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雪炎 - (2015/01/24 (土) 16:46:51) のソース

*雪炎

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題名:雪炎
作者:馳星周 
発行:集英社 2015.1.10 初版 
価格:\1,800

 馳星周こと坂東齢人とはほんの短い時期のことだが、よく遊び歩いた仲であった。ネット(と言ってもまだインターネット前の時代なのでパソコン通信というやつである)を介して知り合い、新宿を中心としたあちこちで飲み明かしたり、海水浴に出かけたりしたつきあいがあり、彼が執筆をするために山間の隠れ家的温泉を紹介してあげたり、そこにジンギスカンセットを持ち込んで仕事の邪魔をしたりしたことがある。

 そんな時期には毎日チャット(当時はパソコン通信ではリアルタイム会議と称していた)にふけり、創作のことやら彼が『本の雑誌』で手がけている書評のこと、出版界の裏話や、ゴールデン街のこと、音楽のこと等々、垂れ流し的なおしゃべりに講じて片手にお互い酒を傾け、酔っぱらうとそのうちどちらともなく、おやすみを言い交し眠りについた。毎夜のように。

 その頃、彼とアンドリュー・ヴァクスのアウトロー探偵バークの話をよくしたのだが、坂東によれば、バークはへなちょこなのでその部分は自分はよくわかるんだ、自分もへなちょこだからね、というようなことを言っていた。へなちょこだからいろいろなもので武装しなければいけないし、慎重に行動しなければならない。そう言われてみればハードボイルドのヒーローというのはやせ我慢をして、減らず口を叩いては、身の丈以上のことをしようと頑張るのだよな、とぼくは思った。無理をして、気位を大事にする騎士道精神である。

 あの頃の会話が十分に蘇るようだった。本書の主人公に出くわして。あの頃の等身大の坂東が蘇るかのような。そう。今までになく、ノワールと縁切りを果たして、ついに馳星周がディック・フランシスみたいな作品を書いてくれたのである。

 ぼくは嬉しい。ラストシーンには涙が出るほどじんと来たし、あの頃の(まだ馳星周ではなかった)坂東の、俺はへなちょこだからと、言いながら自虐的な笑みと照れとを同居させたナイーブな表情を思い出して心が熱くなった。坂東は、頭はつんつんに尖らせ、耳ピアスで、へなちょこを隠し通し、毎夜新宿界隈の闇をうろついていた。女に恋し、女に振られ、酒を飲み、たった独りで発熱していた。

 二十代のあの頃の若き才能はもうきっと中年男になったはずだ。彼の出生の地・日高、青春の地・苫小牧といったところを舞台にして、3・11後の原発問題を大テーマに、魅力的な人物をいっぱい配して、大きな物語を構築してみせた。

 本当に魅力的な人物がいっぱいだ。堅気よりもよほど人間臭く正直で信頼に足るやくざ、真っ直ぐに熱く生きる弁護士、日々に夫の死を感じとりながら自立を見据える老妻、娘の命を失いながら悲しみを隠し慈しみばかりを見せる老母などなど。そして最高のヒーローは、主人公の飼い馬であるガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザーのフルネーム)である。

 冬の北海道を舞台にして、原発問題と殺人事件、選挙運動などを題材に物語をひねりながら、あくまで痩せ我慢を貫き、男の矜持にすべてを賭ける捨て身の主人公は、へなちょこで意地汚い面も見せながら、一線を越えぬ判断をここという時に見せてくれる。馬に乗ってウインチェスターを構える西部の主人公みたいないいシーンを日本の小説で読めるなんてとても予想していなかった。

 乾坤一擲の快作、と言えよう。

(2015.01.24)