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*アフリカの蹄 #amazon(4062635879,right,image) 題名:アフリカの蹄 作者:帚木蓬生 発行:講談社 1992.3.10 初版 価格:\1,400(本体\1,359)  帚木蓬生といえば、一昨年新潮推理サスペンス大賞の佳作に選ばれた『賞の柩』。推理サスペンス大賞は国産作品の賞にしてはなかなか質が高いというか、まあぼくの好みのものが多い。さて本作『アフリカの蹄』は、何と『賞の柩』と同時応募したものの落選した方の作品であるらしい。出版社が応募先ではないというのも不思議な話だが、特に手を入れずに発表されてしまっているようでもある。ま、これは未確認情報ですが(^^;)。  さて本書は壮大なテーマ……国名こそ書かれていないが南アのアパルトヘイト問題に真っ向から取り組んだ作品である。『賞の柩』でノーベル賞そのものに反旗を翻した同じ作家が、同じ時期に書いていたもう一つの作品。本書は佳作にもなれなかったくらいだから、帚木入門者には、ぼくとしてはもうひとつの『賞の柩』の方をお薦めするが、人によってはこちらの差別問題の方がテーマとしては気宇壮大だから、取りつきやすいかもしれない。  作者のデビュー作『白い夏の墓標』は素晴らしい国際冒険ミステリーで、ぼくはそれ以来この作者には瞠目しているのだが、その時の題材にもなっているウィルスが、この本では許しがたい武器として使用される。医学ミステリーで行こうという作者の姿勢がはっきりと伺えるし、凡百の作家では収まりそうにない意気も常に感じられる。だからテーマはいつもある程度つきつめたものであるのだが、本書では、テーマ自体が、作品に費やされたページ以上に大き過ぎるきらいがあり、若干アンバランスなものを感じた。  もちろん量がすべてではない。内容は濃厚だ。しかし読み応えのあるべきシーンが、いま一つ遠く感じられるのは、この作品の主人公への肩入れの度合が、読者は(少なくともぼくは)作者ほどではない、という一点にあるらしいのだ。問題の地域でヒューマニズムに身を投じる一介の医師というだけでは、駄目なのだ、なぜか。こうした壮大なテーマと向かいあっていつも巧いのが船戸与一ではなかろうか? 帚木へと同じジレンマをぼくは森詠にも日頃感じている。客観的なヒューマニズムは、それ自体では冒険小説の軸にはならないのじゃないだろうか? ここにさらに強烈な物語性が加わってくれないことには、国際冒険小説として、作品は一皮向けないようにぼくは思うのだ。  さて、それはそれとして、本書で扱われるテーマそのものにはぼくはずいぶん心を揺すられたものである。日本では、外国人労働者問題。同和問題。在日朝鮮人問題。アイヌ民族の辿った被迫害の歴史。あらゆる意味で日本そのものを振り替える時間を与えてくれる本である。個人の中心へとひたすらせせこましく閉じ篭ってゆくのも自由だが、本を、世界や時代への窓として、果ては正しく認識の試金石として利用するのも一つの読書の形だろう、などと井家上隆幸『量書狂読』などを開き諭されたりするこの頃なのである。 (1992.04.04)
*アフリカの蹄 #amazon(4062635879,right,image) 題名:アフリカの蹄 作者:帚木蓬生 発行:講談社 1992.3.10 初版 価格:\1,400(本体\1,359)  帚木蓬生といえば、一昨年新潮推理サスペンス大賞の佳作に選ばれた『賞の柩』。推理サスペンス大賞は国産作品の賞にしてはなかなか質が高いというか、まあぼくの好みのものが多い。さて本作『アフリカの蹄』は、何と『賞の柩』と同時応募したものの落選した方の作品であるらしい。出版社が応募先ではないというのも不思議な話だが、特に手を入れずに発表されてしまっているようでもある。ま、これは未確認情報ですが(^^;)。  さて本書は壮大なテーマ……国名こそ書かれていないが南アのアパルトヘイト問題に真っ向から取り組んだ作品である。『賞の柩』でノーベル賞そのものに反旗を翻した同じ作家が、同じ時期に書いていたもう一つの作品。本書は佳作にもなれなかったくらいだから、帚木入門者には、ぼくとしてはもうひとつの『賞の柩』の方をお薦めするが、人によってはこちらの差別問題の方がテーマとしては気宇壮大だから、取りつきやすいかもしれない。  作者のデビュー作『白い夏の墓標』は素晴らしい国際冒険ミステリーで、ぼくはそれ以来この作者には瞠目しているのだが、その時の題材にもなっているウィルスが、この本では許しがたい武器として使用される。医学ミステリーで行こうという作者の姿勢がはっきりと伺えるし、凡百の作家では収まりそうにない意気も常に感じられる。だからテーマはいつもある程度つきつめたものであるのだが、本書では、テーマ自体が、作品に費やされたページ以上に大き過ぎるきらいがあり、若干アンバランスなものを感じた。  もちろん量がすべてではない。内容は濃厚だ。しかし読み応えのあるべきシーンが、いま一つ遠く感じられるのは、この作品の主人公への肩入れの度合が、読者は(少なくともぼくは)作者ほどではない、という一点にあるらしいのだ。問題の地域でヒューマニズムに身を投じる一介の医師というだけでは、駄目なのだ、なぜか。こうした壮大なテーマと向かいあっていつも巧いのが船戸与一ではなかろうか? 帚木へと同じジレンマをぼくは森詠にも日頃感じている。客観的なヒューマニズムは、それ自体では冒険小説の軸にはならないのじゃないだろうか? ここにさらに強烈な物語性が加わってくれないことには、国際冒険小説として、作品は一皮向けないようにぼくは思うのだ。  さて、それはそれとして、本書で扱われるテーマそのものにはぼくはずいぶん心を揺すられたものである。日本では、外国人労働者問題。同和問題。在日朝鮮人問題。アイヌ民族の辿った被迫害の歴史。あらゆる意味で日本そのものを振り替える時間を与えてくれる本である。個人の中心へとひたすらせせこましく閉じ篭ってゆくのも自由だが、本を、世界や時代への窓として、果ては正しく認識の試金石として利用するのも一つの読書の形だろう、などと井家上隆幸『量書狂読』などを開き諭されたりするこの頃なのである。 (1992.04.04)

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