wiki クライムウェイヴ(Sysop読書録 活字をめぐる冒険) 内検索 / 「不夜城」で検索した結果

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  • 不夜城
    不夜城 題名:不夜城 作者:馳星周 発行:角川書店 1996.08.31 初版 初版 価格:\1,500  本書が出た瞬間、カバーの作者紹介で、どうも思い当たる節があり、すぐに読み始める。一夜にてほぼ読み終えて、間違いなく、この作者が、自分の思い当たった人物であることを確信した。  周りにはいろいろな人がいて創作に関っている。小説を書こうとしている人、書いて何冊かの本を出している人、買けばその分だけ売れる人、買いても売れなかったり編集に突き返されたりしている人、書けば売れそうなのに書けなかったり書かなかったりする人、書きたいことではなく不本意な作品を生活のために書かされている人。  ぼくの知っている『不夜城』の作者は、もともとがもの書きなので、なかなかこうしてきちんとした小説を時間をやりくりして書くことができなかったと思う。とにかくフリーの職...
  • 長恨歌 不夜城完結編
    長恨歌 不夜城完結編 題名:長恨歌 不夜城完結編 作者:馳 星周 発行:角川書店 2004.11.30 初版 価格:\1,600  1996年『不夜城』から、はや8年。『鎮魂歌 不夜城II』が、劉健一とはかなり別の物語であっただけに、直接的に健一のその後を語る作品に関しては、当時待ち望まれていたと思う。しかし作者は別の物語に向かって走った。もっと壮大で長い物語や、もっと違う場所での別の物語。さらには時代そのものの寵児たちが奏でる屈折した不協和音や現代を蝕む欲望という名の狂気の世界へ。  あの恐ろしく計算高い中国黒社会が支配する歌舞伎町に関しては足を踏み入れることなく、作者は別の世界にいろいろな足音を残してきた。少しずつ変奏曲を奏でてはきたものの、そこには『不夜城』シリーズの持つスピーディで緊張の途切れないアクションとしてのタイトなイメージがなかったよ...
  • 鎮魂歌 不夜城 II
    鎮魂歌 不夜城 II 題名:鎮魂歌 不夜城 II 作者:馳星周 発行:角川書店 1997.8.31 初版 価格:\1,500  香港フィルム・ノワールを思わせる銃撃の新宿物語パート2と言ったところで、前作の緊張を維持させてのサイド・ストーリー作り二本立てというのは素晴らしい構成だし、素晴らしい維持力だと思う。できることならこのレベルをずっと長いこと最低でも維持していって欲しいし、さらに上をめざして欲しい。今、最も期待度の高い作家の一人であることはもう間違いない。  アクション小説としては、サスペンスと言い、バイオレンスと言い、クライマックスへの高まる緊張度は日本の小説の中では最上位に位置するほどであると断言したい。だからそれだけで日本の小説界をぶっち切っているとは思う。  しかし、ぼくが思うに、練りあげられ、懲りに凝ったプロットの骨組みは...
  • 馳星周
    馳 星周 不夜城シリーズ 不夜城 1996 鎮魂歌(レクイエム) -不夜城II- 1997 長恨歌 -不夜城 完結編- 2004 アンタッチャブル・シリーズ アンタッチャブル 2015.05 殺しの許可証 アンタッチャブル2 2019.11 長編小説 夜光虫 1998 漂流街 1998 虚の王 2000 雪月夜 2000 ダーク・ムーン 2001 マンゴー・レイン 2002 生誕祭 2003 楽園の眠り 2005 トーキョー・バビロン 2006 ブルー・ローズ 2006 弥勒世(みるくゆー) 2008.02 9・11倶楽部 2008.07 煉獄の使徒 2009.05 沈黙の森 2009.10 エウスカディ 2010.09 淡雪記 2011.02 光あれ 2011.08 暗闇で踊れ 2011 帰らずの海 2014.6 復活祭 2014.9 雪炎 2015.1 美ら海、血の海 ...
  • M(エム)
    ...確かにもがいている。不夜城に始まった一連のアジアもの小説の主人公たち同様に、この短編集の主人公たちは誰もが相変わらずもがいている。しかしこれはハードボイルド小説というよりは官能小説の部類に入るくらい性を題材にした短編集だから、もがいてもがいてもある種醜い。  誰も愛せない主人公たち。わが子さえも醜く見えてしまうサラリーマンという冒頭から、ぼくは感じてしまう。馳星周はどこへゆくのか、と。  無理やり書いている印象があるのは、なんだか花村萬月が適度な長さのどうでもいいような作品を書きなぐっていた頃と同じ感覚。作者の動機が感じられた『不夜城』と作者がもがいているこの『M』とでは、まるで読後感が違う。主人公が破滅してもなんでもそこに愛があればいい。それは自己愛でさえいいと思う。  すべての局面を否定してしまうようなマイナスの物語群が果たして何を生むのか? 作者は果たし...
  • 虚の王
    ...い部分というのは、『不夜城』のあの緊迫した世界描写、スリリングな展開、そして切り抜けてゆく孤独な男のサバイバル描写にある。つまりプロットの向かう方向が心語りではなく、あくまで娯楽アクション的方向に向いてくれていればぼくは何よりもありがたい。心は結果的に表現できる。もしくは表現などしなくたっていい。ある意味で生きざまみたいなものを描いてゆくものならば、ハードボイルドという地平の上にはとどまって欲しい。その上でのノワール化というものを望みたい。それができていた作家だから望み続けたい。  そういう意味で少し残念なのが、近年の馳星周世界の方向性であるかもしれない。犯罪を犯して、そこから逃げる者の小説ではなく、本当に敵をやりこめて勝ってゆく小説をも願いたいものだ。誰もが待っているであろう『鎮魂歌』の続編を望みたいのだ。  一気読みの面白さと読後の印象とは別物。読んでいる間のある...
  • 煉獄の使徒
    ...いで書いてしまった『不夜城』の流れそのままのエルロイ風体言止め文体は、今になってみれば馳のひと頃の過ぎ去ったブームを思わせて、やっぱり後戻り感を禁じ得ない。  でも『不夜城』などでは文体の隙間に入り込んでいた叙情の余地すら感じさせないのが、地下鉄サリン事件というリアルで犠牲者の多かった事実をテーマにしたからだとは思うが、馳星周がこの巨大な歴史的事実に背を向けようとせず真正面から向き合った真摯さは、並ではないと思う。  これだけ長大な物語を、堕ちて行く男たちを主軸に描いてゆきながらも、オウムの一連の報道された出来事のすべてを描き切れているわけではないので、あの長かったオウム報道の、ゆるい川の流れのような時間の流れに、馳の小説的特徴である疾走感はまるっきりフィットするわけではないのだ。  そこを無理してでも、いわば馳節にもってゆき、最後は史実とはかけ離れた展開によ...
  • 楽園の眠り
    ...青年であった彼は、『不夜城』のヒット以来、作品そのものの価値よりもずっと、馳星周というノワール作家ブランドの方に、居心地のよさを見出してしまったみたいだ。駄目だなあ、といつも彼を見ていて思った吐息が、今も継続してぼくの口から洩れる。立派かもしれないけれど、それじゃあ駄目だよ……と。  自分で構築した有名作家という名の防壁に囲繞され、出口なしの戦いを強いられて抜け出せないでいるようにも見える。転がる石を山頂に向けて際限なく持ち上げているシーシュポスだ、まるで。  彼がまだ、ぼくの近くにいて、酒を浴びるように呑んでいた頃。そう、始終、胃を痛めては、独りの部屋で胃液を撒き散らして苦しみ、水を飲みすぎてさらに腹具合をこじらせていたあの頃、ぼくは、彼にアンドリュー・ヴァクスという作家を勧められて、まさに嵌まったものだった。ヴァクスの独特なテンポの表現に。ぶつ切りの短い文章が構成...
  • 古惑仔 チンピラ
    ...としてはデビュー作『不夜城』に近いものがあるところがいいのだと思う。  それでも舞台設定が新宿あるいは香港。人物設定はほとんどが中国人。やっぱりどこを切っても同じ主題という金太郎飴のような反復に対して飽きが来てしまう。彼の作風のなかで骨格となっている悲観主義をあと少しだけ抑えて、救いのない話が連続する本というものの粘つきを、別の方角に向けていただけると嬉しいんだけれど。少し干して干からびさせていただきたいと言うか。あまりにじめついた感じがするので。  しかし、そうすると馳星周ではなくなるのか。難しいところですねえ。 (2000.11.04)
  • クラッシュ
    ...それが基調である。『不夜城』で見せたアクション・ノワールの黒い娯楽性よりも、風俗小説の色合いを増しているのが最近の馳であり、あまりにも現代的な部分が読者のニーズを掘り起こしてきたのだと思う。  もともと馳星周は作家としてピュアに勝負してゆくというよりも、ノワール作家としての馳星周自身を演出して生き延びてゆこうというところが見られ、そのために独特のスタイルを作家自身も身に纏っているあたりが、露出度の多い昨今のミステリ文壇らしいと言えば、ほんとうに「らしい」。金髪ツンツンテンの頭にサングラスというスタイルは、若い頃から外見に非常に凝ってきた馳という男が身につけてきた対都会への武装スタイルであるのだと思う。  そうした部分が作中の主人公たちにも当然投影されていて、女性らはブランドものに身を纏い、男たちは時計やアクセサリーや車に凝る。モノへのこだわりは、ぼくのような人間には縁...
  • 夜光虫
    ...  確かに『不夜城』と『鎮魂歌』は、日本暗黒小説史上類を見ない独自の娯楽性にとんだ文体と、中国闇社会という発想そのものの奇異さとでもって、和製ハードボイルドの流れに深いナイフの刃を刺し込んだ。すぱりと切れる鋭利なナイフだった。  しかしそれは鋭利なだけに、融通が利かなくって、とてもストレートで、短時間に、すっぱりと切れ過ぎた。人は、どちらかと言うと、少しナマクラであっても、こってりと時間をかけて叩き潰す、って方法を好むこともある。  『夜光虫』は、前作までの疾走感覚はそのままに、こってり味の家族的因縁をたっぷり煮込んで加えたコクの強い作品だと思う。馳星周は船戸的世界に近づいたな、というのが第一印象。船戸的世界というのは、ぼくの中で、原始的神話の世界。ユング的象徴とアニミズム信仰とが、暗黒の世界で人間たちの血のスープを作り出す。こことは違う場所。闇の奥。  強...
  • 夜明け遠き街よ
    ... すすきのという北の不夜城は、ハードボイルドを展開させるのに決して向いていない街じゃない。常々ぼくはそう思ってきたし、東直己という作家も頑張ってそのことにこだわった作品作りを重ねてきてくれた。最近は同氏の『探偵はバーにいる』はシリーズとして二本も映画化されるに至り、このままシリーズ化されても当たるのではないかとの期待が入るくらい、フィルム・コミッションでも優れた価値を見出されているすすきのである。  でありながら、本格ハードボイルドの息づくすすきの小説としての決定打はなかなかなかったように思う。だからこそ、本書の価値はすすきのを舞台として信じてきたぼくのようなこだわり読者にはこの手の作品の価値がたまらなく高く感じられるのである。  高城高。釧路や仙台をそして札幌をハードボイルドの舞台として書いてきた、元道新のブンヤであった書き手。記者人生の後にふたたび戻ってきてくれた...
  • ダーク・ムーン
    ...  正直、最初に『不夜城』で登場したときは、血沸き胸躍ったものだった。でも今、これを読んでいて、ぼくはどうも醒めている。映像化して映画にしたらけっこう面白いバイオレンスものになるかもしれない。少なくともサム・ペキンパあたりが映像化したら、それをきちんとした役者がやってくれるなら、いい映画になるだろう。  日活無国籍アクションという言葉を思い出す。銃をぶっ放し放題、国籍不明。ストーリーのためなら何でもあり。さすがに小説では無国籍アクションというわけにはゆかないので、バンクーバーとかリッチモンドとか、ぼくにはちんぷんかんぷんな土地の名前を世界地図のどこかから引っ張り出してきた馳星周。刑事と黒社会であれば銃はぶっ放し放題。そしてまずは何でもあれの状況を作り出す。  『雪月夜』が面白かったのに、『ダーク・ムーン』がつまらない原因はそのあたりかな、とわが胸に問うてみる。そう、...
  • トーキョー・バビロン
    ...感情は左右される。『不夜城』は若きヒーローの恋と生存との葛藤を物語の中心に据えたからその作品が生きたのであり、同じヒーローが後年ただの伝説、あるいは乾いた神になってからの物語には、核となるべき心のありかは、作中のどこにも見つからず、読み手としては大いに戸惑わざるを得なかったのだ。  世の中の空疎、無惨を、長短編集で書き続ける馳星周を見ていて、この作家は一体何を追っているのだろうと、常に疑問符ばかりが渦巻いていた。そんな作家が『虚の王』で少し化けた。形(なり)はノワールでも、内容は友情と青春の物語であるように見えたからだ。いわゆる花村萬月などに共通する、決して虚ろではない命の拍動に満ちた暴走の世界である。それは空っぽの暴力とは、すれすれのところで、異なるこちら側の世界に分岐して来る何かのヒントであったのではないか。  その後も足掻きをやめず、馳星周は、何か決め込んだよう...
  • 野蛮なやつら
    ...馳星周のデビュー作『不夜城』において活用されるが、当時日本の小説としてはショッキングなスタイルで綴られはしたものの、まだまだ若干遠慮がちな破壊であった。しかし、本書の文体破壊は、また、なんと言う……。  そう、ウィンズロウは、かつて『ボビーZの気怠く優雅な人生』で疾走感に溢れる文体での、比較的短い長編小説を披露してみせた。普段はニール・ケアリー・シリーズなどでたっぷり感のある大作をいっぱい書いているけれども、こんな芸当だってできるんだぞ、とばかりに、テンポのいい、リズム感に溢れる、まさにバイオレンス小説であった。文章も内容も破壊的だった。まるで小説界のサム・ペッキンパだった。  ところが『ボビーZ……』を遥かに凌駕した形で、さらなる崩しをやってのけ、さらなる疾走テンポ、リズム感満点の、音楽を聴くように読む小説、というやつを作ってみせた。ある種の快感さえ得られる、マリフ...
  • 隠蔽捜査
    ...『ホワイトアウト』『不夜城』『皆月』『ワイルドソウル』等々。要は怱怱たる作品群の仲間入りということなのである。  ちなみに『このミス』では20位という不可解な結果(自分も含めて、回答者層、選択方法にきっと問題ありなのだ)。しかし四ヶ月で5回も版を重ねているというデータ上の実績は、半端なレビュアー筋ではなく、世の読者層にずっとずっと広く受け入れられたという事実を、何よりも明確に示しているだろう。 (2006/03/26)
  • dindindin
    ...であり、もう一つの「不夜城」である。  だからこそ、若き主人公イクオの<みちゆき>は、夜、闇、汚濁、混沌への旅である。花村萬月作品での「愛」の表現方法はいつも「性」と「暴力」という二つのかたちを取る。萬月という作家が表現するのではなく、萬月作品の作中人物たちがこのかたちで表現するのである、くれぐれもお間違いなきよう。しかしこの作品では性と暴力は愛の表現方法ではなく、問いかけの手段であるように見える。飢えるイクオが満たしたいなにかであり、なぜここに「在る」のかという究極の問いかけ。なぜここに「在る」のかを考える人間の特権……とインテリ浮浪者・時田さんに言わせているが、イクオの性と暴力は人間的特権として用いられている。  あらゆるタブーを禁じたような性描写が連続するが、そこからはあくまで真摯でピュアな気配しか立ち昇らない。それはあくまで性のすべてがイクオの問いかけであるか...
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