妙木浩之、1997、「「エヴァンゲリオン」と父の消失」、『大航海』、19、52-60.
主人公は、父親たちのそれぞれ幼稚な願望のために、犠牲になる宿命である。そのため、この物語は、古典的な英雄神話を典型的なエディプスのロマンティックな解消と捉える視点から見れば、明らかに脆弱な、母子関係のみに左右される男の子のお話になっている。そしてその病的な関係は、傍観者や観察者である父親ゲンドウたちが、いつまでも対象としての母親への幻想にこだわっているために起きている。(57)
この物語は、父親たちが母親に固執するあまり、次の世代である息子たちが、女性たちに取り込まれて、そこから距離を置けない、分離不安の強い子どもになってしまうという、自我境界の弱い男の子のお話なのである。(57)
かろうじて自我境界の喪失を回避しようとする男の子たちにしてみれば、「死にたくない」=「自分を失いたくない」という言葉こそ現実的なのである。(58)
彼ら子どもたちが無意識的に反応しているのは、視覚的な部分、2の「非常に複雑な舞台設定を行って、その上で話を展開する」という部分なのである。(58)
まぁ外れてはいないだろう。しかし彼らが最も反応しているのは、TV版最終話に見られるような、美少女であろう。
最終更新:2007年02月24日 22:35