職場に子どもを連れていくことの是非と、新幹線やレストラン、映画館に子どもを連れていくことの是非は、さしあたり別のロジックで論じ得る。(4)
その通りだろう。ケースバイケースで柔軟に判断したい。
いっしょに歩もうという男たちに女はいつも語りかける。産む産まないの判断をする時、ともに育てる人間の存在や意見は大きな位置をしめるだろう。育てることは共有できる。もちろん妊娠の期間のさまざまなことを共に過ごし、いっしょに考え、支え合うことも。しかし、妊娠自体を共有することはできないのだ。そして中絶によってからだが傷つくのも女なのだ。(178)
その通りと言うしかない。はっきりと書かれている。
おわかりのように、この[独身貴族という]言葉のうちには一つのイデオロギーが隠されている。結婚をすれば女は家庭に入り子供を産むのが当然だ(したがって女はお金を自由に使えなくなる)、男は妻子を養うのが当然だ(したがって男もお金を自由に使えなくなる)、という古色蒼然たる秩序イデオロギーが前提とされているのだ。(265)
薄々感づいてはいたけれども、これを読んではっきりした。
最終更新:2007年03月03日 14:59