ヨナス・エンダイン Jonas Endain
焔都ブラドゥークの人口は、いつもの10倍にまで膨れ上がっていました。
パグが前の年に見たのとは比べ物にならないほどのオークたちが、この場にいました。
彼らは荒れ狂う吹雪から逃れるためではなく、神を崇めるために聖火の周りへと集まったのでした。
パグは目の前にいるがっしりした二匹のオークの間に割り込み、彼らは文句を言いながらも、そのゴブリンを通しました。
ついに彼は暖かい場所に至り、巫女の言葉をはっきりと聞き取ることができました。
「おお、偉大なるバアルよ、炎の女神よ、我らを守りたまえ、我らを導きたまえ! 汝が娘たちの声を聞き届けたまえ! 我らの槍を握る手に力を授けたまえ、我らの激しい憎しみの熱さを敵に知らしめたまえ!」
オークやゴブリンたちの騒がしい喧騒は静まりかえり、彼らは儀式に参加するため前方へと身を乗り出しました。
「汝の炎を我らの後に続かせたまえ!」と彼らは唱え、槍を鳴らしました。
巫女は祈願の詠唱を続け、オークたちは促されるままにそれを繰り返しながら、儀式の最高潮を待ち受けました。
間もなくそれは訪れ、巫女は大声で叫びました。
「生贄をこれへ持て!」炎を取り囲む群衆が二手に分かれ、巫女のしもべを迎え入れました。
成熟した男性のオークである彼らは、果てしない冬の中にあっても殆ど裸同然で、頭から爪先に至るまでを神秘的な化粧が彩っていました。
三つの組に分かれ、彼らは生贄を運び入れました。
三人の人間の兵士です。
金目の物はすべて剥ぎ取られ、彼らが身に付けているぼろぼろになった服には、切れ端となった
バンノールの紋章を未だ見て取ることができました。
絶え間のない争いにもかかわらず、彼らの憎むべき敵が生きたまま運ばれてくるのは稀なことでした。
パグは他の者たちとともに嘲りの声を上げ、人間の一人に向けて泥の塊を投げつけました。
彼の狙いは外れ、泥はバアルに仕えるオークの一人に命中しました。
そのオークは通り過ぎる際にパグを見下ろし、舌の無い口を見せて威嚇しました。
パグは怯みました。
「女神よ、これなる我らの捧げものを受け取りたまえ!」聖火それ自体が燃え盛る巨大な炎の竪穴の中へ、一人、また一人と人間の捕虜が投げ込まれました。
彼らは炎に焼かれてのたうち回り、猿ぐつわが燃え尽きるまで、くぐもった叫び声をあげました。
やがて彼らの悲鳴はオークたちの耳障りな喝采さえかき消しました。
「おお、偉大なる女神よ、汝の望みを我らに示したまえ!」と巫女が叫び、炎に向かって深々とこうべを垂れました。
集まった群衆もそれに倣いました。
前回の生贄の儀でも、さらにその前のときにも起こったことを、彼らは見入るようにして待ち受けました。
ついに巫女は立ち上がり、群集に向き直りました。
「バアル神は、憎むべき人間どもを生贄として捧げたことに応え、啓示を下された。我らの前途を祝福なされ、僕たる巫女の意思をお認めになられたのじゃ。」
「そんなのは知ったことじゃねえ、この老いぼれ婆ぁめ。」神聖な魔法円に囲まれたこの場で、そのような言葉が使われるのを聞いて、オークたちは喘ぎました。
他の者たちがこうべを垂れている間に、戦いの傷痕を身に刻んだ重装備のオークが、巫女へと近付いてゆきました。
いや、群集のそこかしこには、こうべを垂れていない者たちがいました。
特にバアルに仕えるオークたちの周りでは、数人の屈強なオークたちが槍を手にして立ち上がっていました。
彼らは声の主と同じような鹿革の外套に身を包んでいました。
「皺だらけの婆ぁが啓示なんざ受けてないことはお見通しなんだよ。勇気に溢れる凶暴なオークたちが、手柄を横取りするしか能がない、くたびれた婆ぁの言いなりだ。」
「三本槍族のヨナス、」と老婆は小声でなじりました。
今や叫ぶ必要などありませんでした。
百匹もの逞しいオークたちは、ひとことも言葉を発しませんでした。
「なんという冒涜であろうか、この場をどこだと―」
「どこだってんだ? 聖火の前か? ブラドゥークはバアルの奇跡なんかじゃねえ、奴の火葬場なんだよ。魔女め、てめえも女神と一緒に死にやがれ。」
そして素早い動作で彼女を突き飛ばすと、いにしえのオークは捕虜の死体が残る炎の竪穴へと落ちてゆきました。
彼女はすぐに、そして静かに絶命しました。
同時に、ヨナスの手下たちは手際よくバアルに仕えるオークたちを始末していきました。
「わかったか? 女どもが戦士より偉いなんて話は祝福でもなんでもねえ、大嘘なんだよ!」
彼がそう言葉にすると、遥か北方で途方もない遠雷がとどろき、突然に猛吹雪が止みました。
「ほれ見ろ。バアルは、お告げを聞くのが貧弱な女どもしかいないことにお怒りだ。」
彼は、炎のそばで大きく目を見開いて身を縮こまらせている小さな少女の腕を掴みました。
「巫女の見習いか。女どもの嘘で、屈強なオークたちを支配するよう教え込まれた奴だな。お前ら、どう思う?」
謀叛の熱に浮かされ、群集はいっせいに叫びました。
「バアルに捧げよ!」そしてヨナスはその通りにしました。
悲鳴を上げて、少女は炎の中へとくべられました。
人間の兵士たちとは違い、肉が丸焼けになっても彼女の悲鳴が止むことはなく、ますます大きな叫びが響き渡りました。
身体が焼けるに従い、のた打ち回る動きは鈍くなり、声は野太くなっていきました。
ついに彼女の目は苦しみに裏返り、炎が彼らを舐めたちょうどそのとき、その顔はヨナスに向けられました。
「ヨナス・エンダイン!」と彼女は声を轟かせました。
戦士は顔色を失ってその場に跪きました。
「我が娘たちは生贄を捧げたぞ…。翻って、汝はどうだ?」
「我が…我が女神よ…。」
「炎より我を連れ出すべし、ヨナスよ。」
そのオークの族長は歯を食いしばりながら炎の中へと足を踏み入れ、少女の頭を手に取りました。
彼女の身体はほとんど灰となって崩れ落ちました。
彼の外套には火が燃え移り、肌は焼け焦げて火ぶくれができましたが、彼は両手に少女の頭を抱えてゆっくりと戻りました。
「我は…地上における我が民に心を砕くことを怠っていたようだ、ヨナスよ。だがそれは、汝の冒涜を赦す理由にはならぬ。」
「我が命を以て、バアル神よ、」とヨナスは囁きました。
「よかろう、」と少女の頭が言いました。
炎は燃え続けていましたが、その頭が火に呑まれることはありませんでした。
「だが、汝が命を捧げるべきは我が御許にではない。汝は我が手足となって働く僕となるのだ、ヨナスよ。我に仕える最初の司祭として。汝のもくろみどおり、我が民を率いるがよい。されど汝の栄光を手にできるのは、ただ我のみである。汝の生が我の道具でしかないことを忘れぬよう、この頭と少女の悲鳴が、死ぬまで汝に付きまとうであろう。ただちに備えるのだ、我が民たちよ。宿敵は去り、冬は終わりを迎える。新たなる時代の到来である。それは燃え盛る炎の中に幕を開けるのだ。」
五千ものオークたちが、槍を掲げて雄叫びを轟かせました。
最終更新:2013年03月10日 14:57