フォルメア史年表(~1000年・アテューカンの雷鳴)

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フォルメア史年表(~1000年・アテューカンの雷鳴) - (2016/02/26 (金) 23:07:17) の1つ前との変更点

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<h1>フォルメア史年表(~1000年・アテューカンの雷鳴)</h1> <p><span style="color:#FF0000;">このページはまだ未完です。ゆくゆくは、以下で出る歴史用語すべてにそのページへのリンクを作る気でいます。明日(2016/2/26)ラジオフォルメアが放送されることを記念して、勢いで掲載しておきます。舟鷹</span></p> <p> </p> <p>紀元前80000年:フォルメア大陸へフォルメノイドが到来。<br /> 紀元前6000年: 海へ流れ出すプレーゼ川とフェルシア湖へ流れ出すハウガン川の間のヘトン地方において移動式農業”タナフォン”の痕跡が見られる。<br /> 紀元前3000年:ヘトンで肥料技術、灌漑技術が確立。ヘトン地方、ルナル地方等で都市国家”サーマ”の分立が始まる。<br /> 紀元前2500年:ヘトンで”八つのサーマの時代”始まる。<br /> 紀元前2300年:ヤハレ王がハウガン河畔の五サーマを従え、カンティルヴィリ朝ハウガンを勃興。フォルメア初の”サマロゲーア”。<br /> 紀元前2000年:ボゼア、エナロ等の複数のサマロゲーアが、カンティルヴィリ神権を禅譲されハウガンを支配したとされる。<br /> 紀元前1900年:ボゼア、エナロ等の強権体制からスガントル、イェホートル、ベズナテトル、ターセンガートルら四サーマが離反。<br /> 紀元前1800年:現在のマテュッセイヤー地方全域を支配していた都市国家フォルトトルの王カンメングリアにより歴史書「ブラメン」が残される。<br /> 紀元前1800年:オノエムシエ朝がイェホートル以外の全サーマおよびサマロゲーアを支配下に置く。<br /> 紀元前1700年:オノエムシエ朝がブリメルトルにより滅ぼされる。ブリメルトルはイェホートルにより滅ぼされ、イェホーはサマロゲーアとしてカンティルヴィリ朝以来のハウガン統一を達成。<br /> 紀元前1700年:フォルトトル王ハンベルトンの横暴に対しマテュッセイヤーの諸都市国家の反乱。フォルトトル消滅。<br /> 紀元前1600年:オノエムシエ朝で世継内乱が発生するが、神官リエスが「天命が下った」としてオノエムシエ朝自体を打倒。リエス王によるハイフェンメール朝ハウガンが勃興。<br /> 紀元前1502年:タラマト=ヴォーフェレーフの戦い。ポタイ朝、テオル朝に勝利。<br /> 紀元前1500年:ポタイ朝がテオル朝を滅ぼす。<br /> 紀元前1494年:ハウガン朝の将軍フラジール、ロマン地方にスルヴァイ朝を勃興。ハウガン朝とともにポタイ朝に対し対抗。<br /> 紀元前1493年:ポタイ朝がモージュ朝を滅ぼす。<br /> 紀元前1490年:ポタイ朝軍がマテュッセイヤーへ侵攻。マテュッセイヤー諸都市国家は連合軍を組織し対抗。マテュッセイヤー戦争。<br /> 紀元前1484年:ポタイ朝とマテュッセイヤ連盟の間で白紙講和が確定。マテュッセイヤー戦争終結。<br /> 紀元前1482年:ポタイ朝がトーナ朝を滅ぼす。<br /> 紀元前1480年:ペシアからナヴァフリアにかけてフェクトル人の大移動が始まる。ポタイ朝滅亡。<br /> 紀元前800年:スヴィール人がフェルシア経由で農耕文化を獲得。<br /> 紀元前500年:ロマン湿原にてワガン人の侵攻。サール人は大移動の結果、スヴィーリレーンに移住。<br /> 紀元前500年:この頃に多神教「トレーフ」が現在とほぼ同じ形式となり、マテュッセイヤー地方から大陸各国へ伝播。<br /> 紀元前300年:スヴィール人の南下。サール人と度々衝突が起こる。<br /> 紀元前100年:スヴィール人がサール人との戦いに勝利。サール人を奴隷として服従させる。<br /> 紀元元年1月10日:スヴィーラ第一王国独立。<br /> 西暦80年4月:バルドド王ガンペロがスヴィーラ王国に侵攻。<br /> 217年2月6日: レヌム王マクタリウヴァン、コズミア・ペシア・ズンマを平定。「新時代の法」を制定。<br /> 220年6月3日:ガイアン公ヴァヴィルス、レヌム王マクタリウヴァンへ「四箇条質問状」を発信。<br /> 220年8日23日:ガイアン軍、レヌム王国討伐のため征西開始。ティエンナヴォロン戦役勃発。<br /> 224年10月10日:ガイアン公ヴァヴィルス、フォルメア帝国の建国を宣言。都はティエンナヴォロン(旧ハウガン王都ホノロルク)。<br /> 225年6月28日:マクタリウヴァガス砦陥落。レヌム王国滅亡。ティエンナヴォロン戦役終結。<br /> 225年:この頃より、フォルメア大陸各々の民族文化が一点に混合する”トゥーガ文化”が栄える。<br /> 228年3月1月:フォルメア帝国軍によるズンマ征伐終結。<br /> 232年4月20日:バラトン王国、フォルメア帝国に朝貢を開始。<br /> 244年9月20日:ヴラウ王国、フォルメア帝国に朝貢を開始。<br /> 320年2月3月:バラトン王国の侵攻によってスヴィーラ第一王国が滅亡。<br /> 348年11月24日:ナヴァフリア大地震。M8,8。<br /> 356年5月20日:フォルメア領ヴォスヴォラでテルヴィール・パイツェフィルの乱。第一次天下大乱時代始まる。<br /> 358年2月10日:フォルメア領アルガンでザルジェマール・ルフシャスティルの乱。<br /> 363年5月6日:フォルメア領シパフェスでダラナン・ガヴァローンの乱。<br /> 371年1月3日:フォルメア領トンペラモでツェフラトン・シヴェルイェーニェクの乱。<br /> 379年11月19日:セヌル王カフカサス、軍を率い、反乱軍の鎮圧に当たる。<br /> 383年1月8日:セヌル王カフカサス、旧コズミア平定完了。ティエンナヴォロンに入城。<br /> 384年12月3日:ティエンナヴォロンの雷鳴。セヌル王カフカサス、トレーフダラード一族を殺害。しかしダナエリーヴ皇子のみ取り逃がす<br /> 385年3月20日:ダナリーヴ皇子、トレーフダラードに即位。紂叡帝<br /> 385年3月24日:第一次トレストカトル公会議開催。テュー・ショー、紂叡帝より代天聖徳師を拝命。ヴィヤウェズナス勃発<br /> 385年4月19日:バラトン王国、ヴィヤウェズナスに参戦。<br /> 385年5月28日:サステンファヤ王国、ヴィヤウェウズナスに参戦。<br /> 385年6月24日:ティエンマーンの戦い。ヴィヤウェズナス、セヌル王国軍に対し勝利。<br /> 386年8月10日:ヴォスヴォラ王国独立。首都ヴォスヴォラ。ヴィヤウェズナスに参戦。<br /> 386年9月21日:スルヴァイ王国独立。首都エロン。ヴィヤウェズナスに参戦。<br /> 386年10月22日:ナフォラ王国独立。首都マナドヤ。ヴィヤウェズナスに参戦。<br /> 387年3月10日:ヨナクールの戦い。ヴィヤウェズナス、セヌル王国軍に対し勝利。<br /> 387年9月22日:ニュガデュリンスンの戦い。ヴィヤウェズナス勝利。セヌル王国、フォルメア帝国と和睦。第一次天下大乱時代終結。ヴィヤウェズナス終結。<br /> 389年4月20日:紂叡帝、シューニー(仁法)を公布。<br /> 391年5月20日:スィエーモンヴィアン事件。ワガン族、バラトン王国に侵攻。<br /> 391年6月11日:ビエナヒの雷鳴。ワガン族、ナヴァフリア及びクールマルトへ侵入。紂叡帝(ダナエリーヴ)戦死。アスマルアヴァート戦争始まる<br /> 391年9月14日:ビエナヒ=ナヴァロン間の戦い。ワガン族、フォルメア帝国軍に勝利。フォルメア帝国軍、ナヴァロンから撤退。<br /> 391年9月1日:第二次トレストカトル公会議開催。ヒューイ・フィン、永康帝(アキアン)により代天聖徳師を拝命。第二次ヴィヤウェズナス勃発<br /> 391年10月20日:ティエンナヴォロンの戦い始まる。フォルメア帝国、トレストカトルへ遷都。<br /> 391年11月4日:ワガン族の侵攻により、スルヴァイ王都エロン陥落。ワガン族、スルヴァイ王国軍に勝利。スルヴァイ王コニャー・ウジェパスタル戦死。<br /> 392年4月29日:ティエンナヴォロン陥落。ワガン族、フォルメア帝国軍に勝利。<br /> 392年7月11日:トレストカトルの戦い始まる。<br /> 392年10月2日:エヴァレーンの戦い。バラトン王国、ワガン族の攻撃により滅亡。<br /> 392年11月23日:トレストカトル陥落。ナフォラ王テュー・シェンマッケー及び天聖徳師ヒューイ・フィン戦死。<br /> 392年12月1日:第二次トレストカトルの戦い。フォルメア帝国軍、ワガン族に勝利。帝国軍、トレストカトル奪還。アルガン王テュー・シピョクフィル戦死。<br /> 398年10月20日:第三次トレストカトル公会議開催。オタロー・フィン、永康帝(アキアン)により代天聖徳師を拝命。第三次ヴィヤウェズナス勃発<br /> 399年1月24日:ハイフェンメールの戦い。ワガン族、帝国軍ともに撤退。決着つかず<br /> 399年4月10日:ヴラウ王カノク・ペトゥマシア、シェンマウダー城を築城。<br /> 399年8月10日:代天聖徳師オタロー・フィン、ヴィーゼルヴォーグ(前衛軍団)を創設。<br /> 400年3月30日:第二次ハイフェンメールの戦い。ワガン族、帝国軍ともに撤退。決着つかず<br /> 401年11月3日:ナフォラ王デュルファー・シェンマッケー、コリホクシエ城を築城。<br /> 403年3月1日:第三次ハイフェンメールの戦い。ヴォスヴォラ王ジェクパフュー・ポルサディン戦死。代天聖徳師オタロー・フィン戦死。フォルメア帝国軍敗退。戦争停滞。<br /> 413年11月11日:第二次ティエンナヴォロンの戦い。帝国軍、トレストカトル奪還。<br /> 418年2月10日:フォルメア帝国軍、ハニョーロルク・トイラミェーン城を築城。<br /> 421年10月2日:ハニョーロルク・トイラミェーン城の戦い。フォルメア帝国軍防衛成功、ワガン族撤退。<br /> 425年11月31日:アヴリカルトーフの戦い。プレサカイル候ウルガント・ハイデヴァー、ワガン族に勝利。サハドを統一。<br /> 429年3月11日:ウルガント・ハイデヴァー、セヴァスカヴナー王国を建国。首都エジェンレーン。ヴィヤウェズナスに参戦。<br /> 430年年9月1日:第三次トレストカトル公会議開催。ウルガント・ハイデヴァー、天招帝(ヘイミェルティー)により代天聖徳師を拝命。第三次ヴィヤウェズナス勃発<br /> 430年11月20日:バラトンの戦い。ヴォスヴォラ王センファイアン・ポルサディン戦死。フォルメア帝国軍の決定的勝利。ワガン族、リエスへ撤退。<br /> 430年12月3日:リエスの慈睦。ワガン族、フォルメア帝国と和睦。ワガン王国独立。第三次ヴィヤウェズナス終結。アスマルアヴァート戦役終結。<br /> 431年2月3日:ロマン王国独立。首都マシェンナキエ。初代国王ミー・ダオラ<br /> 431年6月2日:シパフェス王国独立。首都ガヴァローン。初代国王ガリバリ・アシューシク<br /> 431年9月11日:スヴィーラ第二王国独立。首都スヴィーリレーン。初代国王カフガーシャ・サヴィル<br /> 434年2月13日:フォルメア帝国以下冊封権で、天招帝による改革”フォーテューン”。<br /> 439年10月12日:サステンファヤ王国、経済破綻につきドレーフダラードに援助を懇願。北央貿易始まる。<br /> 442年12月13日:第四次トレストカトル公会議開催。セヴァスカヴナ王ハイデヴァー、南招(ナフナーシュ)帝により終身代天聖徳師を拝命。第四次ヴィヤウェズナス(ナフナーシュ戦役)勃発。<br /> 448年3月12日:ヴィヤウェズナスによるグラナテ平定終結。同地はフォルメア帝国が併合セヴァスカヴナ王ハイデヴァー、都市ナフナーシュを建設。<br /> 449年9月20日:サステンファヤにて”愛と血の廟”建立。<br /> 452年6月12日:ヴィヤウェズナスによるメオ平定終結。同地はヴォスヴォラ王国が併合。フォルメア帝国軍、都市ナフカーンを建設。<br /> 454年4月11日:ヴィヤウェズナスによるペロミッシャ平定終結。同地はヴォスヴォラ王国が併合。<br /> 457年9月20日:ヴィヤウェズナスによるパプテガヤ平定終結。同地はフォルメア帝国が併合。<br /> 458年7月1日:南顕帝(ナフカーン)、イムセオーン制を公布。トレーフ圏は各地に交易都市の設置を開始。<br /> 459年5月19日:セヴァスカヴナ王ハイデヴァー病死。終身代天聖徳師後任にデュルファー・フィン。<br /> 464年1月5日:ヴィヤウェズナスによる東ヴラウ平定終結。同地はヴラウ王国が併合。<br /> 468年2月12日:セヴァスカヴナ王国崩壊。21カ公国に分裂。<br /> 515年3月4日:碧叡帝(エイナマイナー)、タレーファ・アコン令。トレストカトル、ティエンナヴォロン、ヴォスヴォラ、サヴァナトルにアコン=フォーラを設置。<br /> 525年6月1日:碧叡帝(エイナマイナー)、トレーフ圏諸王国に命じてトレストカトル東部海岸にトレーフタレータ宮殿を建設開始。<br /> 561年12月1日:トレーフタレータ宮殿完成。このごろより、貴族的かつトレーフ的な”トレストカトル文化”が栄える。<br /> 589年4月2日:寛豊帝(ヘイファルモヤ)、エンテファロー制を公布。都市に更なる経済的緩和政策。<br /> 589年ティエンナヴォロン、トレストカトル、サヴァナトル、ヴォスヴォラ等の人口が50万人を突破。<br /> 600年頃:スヴィール第二王国でサール人領民が相次ぎ逃亡、南下。スヴィール南方に無法地帯が発生。<br /> 691年3月14日:大叡帝(デューファイナン)、ファーメ制を公布。トレーフ圏に共通通貨”ファーメ(交)”が流通。<br /> 698年11月6日:ヴラウ王国にてタルア・オロモケアの乱。ヴラウ王国鎮圧不可能。前衛軍団出動。<br /> 699年6月24日:バリカダの戦いにおいて前衛軍団、タルア・オロモケア反乱軍に勝利。タルア・オロモケアの乱終結。<br /> 711年:この年より717年まで続く疫病の感染爆発が発生<br /> 721年2月22日:テシエヴェール、フォルメア帝国の公認医学に。<br /> 769年:この年より784年まで続く大凶作が発生。<br /> 773年1月22日:顕昌帝(ジュラヴロ)、ルナリア・ズンマ諸王国に命じナヴァフリアへの穀物安売りを命令。<br /> 776年2月:西からの穀物をフォルメア帝国が独占したことで、ヴァリューシャにおいて大飢饉発生。この年、ヴァリューシャにおける餓死者2万名以上。<br /> 783年11月15日:スヴィーラ第二王国でフェナディン・ヴォイの乱発生。<br /> 783年12月2日:フォルメア帝国、前衛軍団のスヴィーラ第二王国への出動命令。<br /> 783年12月28日:ハーイェヴラナの戦い。前衛軍団、フェナディン・ヴォイの率いる反乱軍に勝利。反乱軍撤退。<br /> 784年1月14日:フェナディン・ヴォイの乱の鎮圧完了。<br /> 784年1月22日:フェナディン・ヴォイ逮捕。<br /> 784年2月21日:フェナディン・ヴォイ、トレストカトルで極刑(ジャキラ)。<br /> 788年12月1日:スヴィーラ第二王国でフィダール・マウルの乱発生。<br /> 789年2月23日:スヴィールナーヴの檄。多数の農民がスヴィーラ第二王国を離反し、フィダール・マウルの乱に参加。<br /> 789年2月20日:ポルゼナ候ナム・ダオラが帝国に無断で第二王国討伐に出動。<br /> 789年4月5日:フィダール・マウルやポルゼナ軍等の侵攻によりスヴィーラ第二王国滅亡。<br /> 789年5月11日:スヴィーラ第三王国独立。首都スヴィーリレーン。初代国王フィダール・マウル<br /> 790年3月1日:ジレーナ村事件。<br /> 800年4月8日:フォルメア帝国がジレンジア公国に対して所領における残虐行為の有無の尋問を開始。<br /> 800年4月21日:フォルメア帝国によりトレストカトルのズターナフ・ターコン・フォーラで調査団が組織され、ジレンジアへ派遣される<br /> 800年5月27日:調査団がフォルメア帝国へジレーナ村報告書を提出。康卦帝(トゥアヴァイミェン)激怒。<br /> 800年5月28日:フォルメア帝国、前衛軍団にジレンジア公国への出動命令。<br /> 800年6月3日:フォルメア帝国からジレンジア王国へ悪行の停止と謝罪を求める旨の勅令が到着。ジレンジア王国は即日追従し、謝罪と諸行の停止を行った。<br /> 801年7月2日:前衛軍団長ファマガート・フィン将軍病没。後任にセンファイヤン・フィン将軍。<br /> 811年4月20日:アテューカン候テュー・ヴァンスコー、フォルメア帝国へ申請し自由都市制を認可される。<br /> 832年9月4日:ハーセンディーグ制度(為替制度)、フォルメア帝国全土に伝播<br /> 879年4月2日:ウルート・ヴァニモロの乱(アテューカン大一揆)始まる。前衛軍団、反乱軍を鎮圧。<br /> 881年11月13日:三十六人衆事件。亡君騎士36名がアテューカンの役人を殺害。36名は事件後自決。<br /> 881年12月26日:安平帝(ハイミェナート)、アテューカンの混乱に”恩赦と譲歩”の政策を決定。<br /> 886年6月2日:安平帝(ハイミェナート)、王公独立における臨時納税基準の大幅な値下げを公布。各諸侯の独立は容易化。<br /> 899年1月12日:自由都市アテューカン、安平帝の提案を承諾し、アテューカン王国として独立。<br /> 899年8月12日:安平帝(ハイミェナート)、フィー・カウラー制を布告しタレーファ・アコン制を改正。アテューカンでディント・アコン・フォーラの着工。<br /> 903年3月9日:ヴェツィカ王国独立。首都ヴェツィクヴァイト。初代国王ファフェーク・ヴェツィカ<br /> 905年4月10日:アテューカン候ヒューイ・ヴァンスコーが勤法(フアーニー)を制定<br /> 918年9月20日:アテューカンでマウナ・オイヴが長編準口語小説”エロンの踊り子”を発表。フォルメア初の女流作家。文学ブーム到来<br /> 921年10月2日:アテューカンで表音字”フェスティーアヴィアム”が発表される<br /> 921年12月21日:ディント・アコン・フォーラ建立。この頃より自由・合理・実学を基調とする”アテューカン文化”が栄える<br /> 923年4月1日:アテューカンのヒェムラファイリェー・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。霊道論争始まる<br /> 926年8月11日:アテューカンにて霊道論争終結。<br /> 927年1月10日:トレーフダラードがフェスティーアヴィアムを平民教養として公式採用。フォルメア帝国およびその影響圏でフェスティーアヴィアムの教育始まる<br /> 927年2月24日:ドブロイ王国独立。首都プレサカイラフロー。初代国王シュテューク・ドブロイ<br /> 928年6月11日:アテューカンのディント・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。祈祷論争始まる<br /> 928年8月20日:祈祷論争終了<br /> 928年8月21日:ミューロン事件。<br /> 929年7月15日:テュマー王国独立。首都ヴァーシャム。初代国王ヴィラーフ・ファッサ<br /> 933年4月9日:アテューカンで平民出身の官吏採用試験制度”スレヴェーン”を導入<br /> 933年11月2日:クースファン・アンティヴィン、サウガー/ノウガー・ユーディーン兄弟の醸造した桃酒をアテューカンで販売。大好況。後の大手酒造アンティフナイヤ。<br /> 938年3月11日:フコイ・アンデセレヴィヤーフィンらの労により街灯として菜種油がアテューカンを筆頭に帝国全土へ流通開始<br /> 950年8月1日:ジレンジア王国独立。首都サーリンゼン。初代国王シュヴァン・マスカビスワー<br /> 961年4月1日:ヴァラハン・ヴァンスカウが王国立アテューカン博物学校の開設を許可。<br /> 965年:アテューカンの人口が200万人を突破。<br /> 968年8月16日:モロトア事件。<br /> 981年10月10日:アテューカンのディント・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。高級神官の汚職問題について<br /> 981年10月12日:トレーフ評議会決裂。ズターナフ・ターコン・フォーラ・サウランのシズラーン・メルナセイエー、サウラン職を辞す。次期サウランにイフォイ・スヴァル<br /> 982年12月3日:ヤフラ・ヤーフアルがアテューカンでコークス製鉄を発明。<br /> 989年:石炭の燃焼を料理に転用する技術が確立。世界に先駆け、アテューカンで”炒める料理”が発明される<br /> 990年:アテューカンの人口が250万人を突破。<br /> 996年6月13日:ミー・フーカが蒸気圧を応用し、扉を開閉する技術を発明。<br /> 996年8月10日:トレストカトルおよびアテューカンなどで、イフォイ・スヴァルを中心とするトレーフ教権の改革運動”フェルティーナ”が勢いを増す<br /> 994年:トレストカトルのズターナフ・ターコン・フォーラでトレーフ評議会開催。論理主義とトレーフ原理主義の和睦について</p> <p><span style="line-height:1.6em;">1000年2月21日:アテューカンの雷鳴。賢者スヴァイエン・アリョームがアテューカンのディント・アコン・フォーラから飛行に成功。トレーフ圏に大いなる衝撃。</span></p>

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