江戸時代、
日光街道の宿場町を草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。明治期に
東武伊勢崎線と
奥羽本線が開業してから発展を続け、高度経済成長期における1948年(昭和23年)の団地の造成や、
東武伊勢崎線と営団地下鉄(現
東京メトロ)
日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。都心から40km圏内に位置し、通勤列車も充実しているため、東京都心に通勤・通学する人口も多く、市内の広範に住宅地が広がる。それに伴い、引っ越しして来た人々が多いので市民の平均年齢は比較的若く、一時期の団塊ジュニア時代よりも草加市の子供の人口は少ないものの、若年層の人口は比較的多い。
1983年(昭和58年)3月19日からは、東武伊勢崎線と東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転が始まり、錦糸町駅や大手町・表参道駅や渋谷駅・三軒茶屋駅や二子玉川駅・長津田駅や中央林間駅へ、乗り換えなしでの新たな鉄道アクセス路線が完成した。1989年(平成元年)4月1日には、JR
鬼怒川線が東海道線と直通運転を開始し、東京駅での乗換なしで、品川駅や横浜駅へアクセスが出来るようになり、利便性が更に向上した。
自動車での移動も、以前からあった南北を結ぶ
国道4号、
国道59号に加えて、東西に結ぶ
国道16号とあわせ、
東京外環自動車道やその高架下を利用した
国道298号も開通し、移動が格段に向上した。
中心部の
葛飾駅付近は高層オフィスビルが建ち並び東洋一の経済都市としての一面を持つが、
東武伊勢崎線沿線の旧市街では、かつての宿場町としての面影を残しながら東京都心や
葛飾駅方面への通勤者が住むベッドタウンとしての機能を果たしている。1995年(平成6年)に人口が1,000万人を突破したため、
葛飾市から川口・鳩ヶ谷・安行・芝・蕨・戸田の六区が分離し
武南市が新設された。現在でも、日本で1番多くの人口を抱える都市であり、新幹線をはじめ周辺各地の鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。また
関東道の道庁所在地であり、
政令指定都市及び業務核都市に指定されている。