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    <title>◎◎福沢諭吉的家庭論◎◎　まとめwiki</title>
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    <description>◎◎福沢諭吉的家庭論◎◎　まとめwiki</description>

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    <title>新女大学-まとめ</title>
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    <description>
      
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・まとめ】&lt;/font&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;この第１条から第23条に至るまでは、概してわが国古来の定論に反しているばかりではなく、&lt;br /&gt;
前には旧女大学の条々を論破し去って、さらに新女大学として新主義を唱えているものであるから、&lt;br /&gt;
新旧の内容は相容れず、世間には多少の反対論もあるだろう。&lt;br /&gt;
旧説では両性の関係を律するためにはもっぱら形式を以ってしようとしているが、&lt;br /&gt;
私は人生の自然なありかたに従って、その交情をまっとうしようとする考え方である。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;
いわゆる儒教の故老輩が百年、千年来の形式的な習慣に養われてきて、男尊女卑の古い習慣に安んじてしまい、悟ることができないのはこの形式重視論が原因である。&lt;br /&gt;
このような人々が文明の世の中になって新説を聞いたときに釈然としないのは当然であろう。&lt;br /&gt;
しかし、今の新日本国には新しき人が確かに存在する。私はこの新しき人々を友として、共に事を起したい。&lt;br /&gt;
旧式の考えの人々の反対は恐れるに足らないことである。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;白髪の老人だけではなく、前途有望な青年たちの中にも、&lt;br /&gt;
「一切万事形あるものもないものも文明主義を貫く」と公言して実際にそれを実行しながら、&lt;br /&gt;
男女両性の関係については古い儒教流の習慣を利用して、&lt;br /&gt;
淫猥、不倫の罪を逃れようとする者がいるが、おかしいことである。&lt;br /&gt;
これは文明の学者で君子たるはずのものが、腐った儒教の袖の下に隠れ、&lt;br /&gt;
儒教の教えに保護されて、文明社会を騙し欺く者である。&lt;br /&gt;
その愚かなさまはあわれむべきものだ。&lt;br /&gt;
あるいは、この腐った儒教の教えを受けた者が苦し紛れに反対論を言う場合もあるだろう。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;
私は世界中の人々を相手にしても、この問題を追及し見逃すことはないだろう。&lt;br /&gt;
旧女大学の評論、新女大学の新論は、全て日本婦人のために書いたものであり、&lt;br /&gt;
彼女たちを百千年来の蟄伏状態から救い出し、彼女ら、彼らを自尊自重を以って社会の平等な線の上に&lt;br /&gt;
立たそうとするささやかな気持ちである。&lt;br /&gt;
これは女性の利益ばかりではなく、男子の身にも家にも子孫にもよいことであり、&lt;br /&gt;
一害もなく百利百福を求める方法であるから、女子が幼いときからよくこの趣意の大概を言い聞かせ、&lt;br /&gt;
文字が読めるようになったらこの書を授けて自分で読むようにさせ、&lt;br /&gt;
わからない点があれば丁寧にその意味を教えてやり、誤らないようにさせることが大切だ。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;今も昔も変わらず、父母の情は一つである。その子が男子か女子にかかわらず、兄、弟、姉、妹であることを問わない。&lt;br /&gt;
これを愛する情は正しく同一であり、兎の毛ほどの差もありはしないだろう。&lt;br /&gt;
だから、親は愛する子供の行く末を案じ、兄弟姉妹のうち誰が幸せで誰が不幸であるかを考え、&lt;br /&gt;
もしその中に不幸な子がいたならば両親の苦痛はいかばかりであろうか。&lt;br /&gt;
子供の心身に障害がある場合は言うまでもなく、一本の歯や一点のあざにも心を&lt;br /&gt;
悩ませて日夜片時も忘れることがないのである。&lt;br /&gt;
俗に言う、できの悪い子ほどかわいいというのは親の心の真実を表したもので、&lt;br /&gt;
その心は子供が平等に、一様に幸せになってほしいと念ずる心である。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;だから、その子の男女や年齢に関係なく、一様にこれを愛して、&lt;br /&gt;
かりそめにも偏りがないさまは父母の本心、真実の親心である。&lt;br /&gt;
親が女子の行く末を案じて不安がないかといえば、不安であるとしか言いようがないであろう。&lt;br /&gt;
娘を他人の家に嫁がせれば舅姑の機嫌が心配だし、小舅姑など親類との付き合いも面倒である。&lt;br /&gt;
仮にこれらの心配が丸くおさまったとしても、肝心の夫が一番の心配である。&lt;br /&gt;
その素行が正しく、妻に対して優しければよいが、世間によくいる獣行男子で妻を無視し、&lt;br /&gt;
女遊びにふけった末、ついには公然と妾を作って家に住まわせ、&lt;br /&gt;
一家妻妾同居の支那流を演じるような狂乱の振る舞いがあればこれをどうしたらよいのか。&lt;br /&gt;
一昔前の世情に従えばただ黙ってその狂乱に屈服するか、&lt;br /&gt;
それができないなら身を引いて自分から離縁してもらうほかに手段はないであろう。&lt;br /&gt;
娘の嫁入りはまるで博打のようなものである。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt; &lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;その博打が当たるか当たらないかは、運は天にある。&lt;br /&gt;
いや、これは夫の心次第で、極楽もあり地獄もあり、その苦楽喜憂はまるで男子の掌の玩具といってもよい。&lt;br /&gt;
ここまでに不安な女子の身であるから、&lt;br /&gt;
父母である者がその行く末を案じて娘に安身立命の法を教えるのは親子の自然な愛情ではないだろうか。&lt;br /&gt;
そのために、女子には文明教育が大切なのである。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;たとえ博識の大学者でなくても、人の大概のことに通じてまず自分が何者であるかを知り、&lt;br /&gt;
その男子に対する軽重を測り、男女平等、不軽不重の原則を明らかにし、内に深く自分自身の権利を持ち主張して、&lt;br /&gt;
自尊自重をもって何があっても動揺しないまでの見識を持たせるのは、子を愛する父母の義務であろう。&lt;br /&gt;
旧女大学の末文に「百万銭を出して女子を嫁がせることは知っていても、十万銭を出して子を教育することは知らない」&lt;br /&gt;
という云々のことが書かれているのは敬服するが、&lt;br /&gt;
私はこれを一歩すすめて、娘の結婚には衣裳などの万端の支度のほかに&lt;br /&gt;
相当の財産分配をすすめたいのである。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;
家計が苦しい人ならばさておき、資力がある人ならば、たとえ娘を手放して人の妻にするにしても、&lt;br /&gt;
万一の場合には他人を煩わさず自立して生活できるだけの基本財産を与え、&lt;br /&gt;
生涯の安心を得させるのがこれまた父母のすべきことであろう。&lt;br /&gt;
古い教えには婦人の三従と称して、幼いときには父母に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う、というのがある。&lt;br /&gt;
これは徳義からいえば正しいことのように思われるかもしれないが、&lt;br /&gt;
定めなき世の中の心波情海を渡ろうとするには、人生の浮き沈みがあるのはしかたのないことで、&lt;br /&gt;
この教えのように夫に従い子に従うという従順さは屈服盲従の姿となり、&lt;br /&gt;
結局全てがうまくいかなくなって苦しむ例がないとはいえない。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;&lt;br /&gt;
主人が貪欲、不人情で、かまどの下の灰までもが俺様のものだと絶叫するような傍若無人な者であるならば、&lt;br /&gt;
どんなに従順な婦人も思案に余ることがあるだろう。こういうとき、婦人自身に資力があったならば心強く、&lt;br /&gt;
少しずつ自分の密かな計画も実行に移すことができる。たとえこのような極端な話でなくても、&lt;br /&gt;
婦人自身に自力自立の覚悟があれば、夫婦相対して夫に求めることも少なくなり、&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;求めて得られなかった場合でも不平がない。&lt;br /&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;少々皮肉な書き方になってしまったかもしれないが、このように金銭的なものを求めないで済むならば、&lt;br /&gt;
両者の間に意見の衝突を少なくする一助にはなるであろう。古い言葉に衣食足りて礼譲興る、というのがある。&lt;br /&gt;
婦人に資力がないのは、たとえるならば衣食が足りないということである。&lt;br /&gt;
父母がこれに財産を分与しておくのは、愛する娘に衣食を豊かにして夫婦の礼を知らしめる方法であると知っておくがよい。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;ただし、婦人に財産を与えても自分でこれを管理し処理する方法を知らなければ幾千万の金もあってなきがごとしである。&lt;br /&gt;
婦人自身がこの金銭の管理能力を持っていればその安全をはかり、その使い方を工夫し、世間の事情を察して、&lt;br /&gt;
また人の話を聞き、みだりに疑うこともなくみだりに信じることもない。&lt;br /&gt;
つまり、自分一人の責任であると思えば、この管理能力を身につけるということは決して&lt;br /&gt;
簡単なことではない。西洋諸国の良家の女子には、このあたりのことについてはしっかりしている者が多いという。&lt;br /&gt;
日本の家庭においても、いい加減にしておいてよい問題ではないであろう。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
（新女大学終）&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html">
    <title>新女大学メニュー</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html</link>
    <description>
      -[[新女大学-1]]
-[[新女大学-2]]
-[[新女大学-3]]
-[[新女大学-4]]
-[[新女大学-5]]
-[[新女大学-6]]
-[[新女大学-7]]
-[[新女大学-8]]
-[[新女大学-9]]
-[[新女大学-10]]
-[[新女大学-11]]
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-[[新女大学-22]]
-[[新女大学-23]]
-[[新女大学-まとめ]]

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-[[メニュー]]    </description>
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    <title>新女大学-23</title>
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    <description>
      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・23】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　偕老同穴は夫婦の約束であるが、いかんせん、死は年齢に関係なくやってくるものであるから、十分に歳を重ねることなく夫が早くこの世を去ることもある。&lt;br&gt;

　このような不幸に際してはあとに残った婦人が既に40とか50に達して、子供の数も多いなら夫なきあとの家を守って暮らすべきだが、まだ20、30くらいで40にもならない場合には、未亡人としての生活は非常によろしくない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　私としては再婚をすすめたいのだが、日本社会の風潮は非常に冷淡で、学者の間でも再婚を論ずる者は少なく、そればかりか未亡人であることがあたかも婦人の美徳として、「貞婦二夫にまみえず」などという根拠もない愚説を唱えている。再婚を妨げるような風潮があるのは非常に残念なことである。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　昔の人が言う「二夫」云々は、夫のいる婦人が同時に第二の男子に接するという意味であろう。&lt;br&gt;
　つまり、今現在妻のいる男子が花柳に戯れるような不品行をいましめたものであろうけれど、人間の死生は絶対の天命であり、人の力の及ぶところではない。生きている人は生きている人のすべきことをすべきである。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　死につかえることは生につかえることと同じである、というのは人の情であるが、人情だけで人生のありかたを左右してはならない。&lt;br&gt;
　例えば、死者をまつるのに供え物を捧げるのは生者の情であるが、その情がどんなにこまやかな人であっても、既に故人となっている人に食べ物を食べさせることはできない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　生者が死者に対して情を尽くすのは言うまでもないことだし、懐旧の恨は天長地久もただならず、この恨み綿々絶ゆる期なしというが、こちらの人とあちらの人とでは住む世界が違うのだから、既に亡くなった人への情が濃すぎることによって今現在の人生に妨げがあるような状態になってはならない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　心機を転じて身外の万物を忘れ、その古いものを棄てて新しい生活をするのは人間の自由である。この点が私があくまでも再婚をすすめる理由である。&lt;br&gt;
　特に、男女の再婚は世界中で普通のことであるから、男子を自由にして女子には窮屈にさせるのは日本だけでのことである。&lt;br&gt;
　これでは両者対等であるはずの関係のためにはよくない。私はこの点を見過ごすことはできないのである。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=
&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/58.html&quot;&gt;新女大学-まとめ&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
    </description>
    <dc:date>2007-11-06T21:45:18+09:00</dc:date>
    <utime>1194353118</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/56.html">
    <title>新女大学-22</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/56.html</link>
    <description>
      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・22】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=&quot;#666688&quot;&gt;　夫婦が同居して、妻である者が夫に対して誠をつくすべきなのは言うまでもないことである。&lt;br&gt;
　両者一身同体、苦楽を共にするという契約は、生命を賭けるべきもので、背いてはならない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　しかし、もともとの両者の立場からすると、家事の経営に内外の別こそあれ、お互いに尊卑の階級があるわけではない。一切万事が対等であると心得て、自分から屈することがあってはならない。&lt;br&gt;

　また、相手を屈服させようとしてはならない。これは結婚の契約から生じたそれぞれの権利があるためである。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　婦人は柔順を貴ぶという。これはもともと女性としての本質であり、男子と大いに違う点である（違わざるを得ないのだ）。&lt;br&gt;
　柔順は女性の徳の根本であり、唯一の本領であるが、その柔順とは言語挙動における柔順であり、卑屈盲従の意味ではない。ここが重要である。私のあくまでも勧告奨励する点である。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　非常時には父母の命令を拒んで夫のすることに争うこともあってよい。&lt;br&gt;
　例えば経済的な事情で娘を身売りに出そうとしたり、または利益のために相手を選ぶことなく結婚させようとするようなときは、父母のよこしまな心のために子供をもてあそぶ行為であるから、たとえ親子の間であってもその命令を拒絶してかまわない。&lt;br&gt;

　親子の間もそうなのだから、夫婦の間も同じである。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　夫が外の仕事に失敗して貧窮に沈んだときは、夫婦共の不幸であり、双方の間に一点の苦情もあるべきでない。一沈一浮を共にし、苦楽を同じくするのが夫婦である。&lt;br&gt;

　しかし、その夫の品行がおさまらず、内に妾を囲い、外で花柳に戯れ、獣のような行いをほしいままにして家庭内をかえりみないようなときは、対等であるはずの配偶者を侮辱し虐待する罪であるから、断じて許してはならない。&lt;br&gt;

　妻である者は死力を尽くしてこれを争うべきである。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　もしかすると、世間はこれを見て婦人の嫉妬であるなどと言う人もいるかもしれないが、凡俗な人々の評論は取るに足らないことだ。&lt;br&gt;
　男子の獣のような行いをやりたい放題にさせると男子はその人自身の罪にとどまらず、ひいては一家の不和となり、兄弟姉妹の隔絶の種となる。&lt;br&gt;
　そしてその獣のような行いを繰り返した男の死後には、体の虚弱な者が子孫として残る心配もあるばかりではなく、不徳の悪い習慣も遺伝して、家庭平和の幸福は望むことが難しくなる。&lt;br&gt;

　ひどいときには骨肉の争いが起こり、親戚同士が互いに謀り、家名の相続や財産の分配など、争論が多数出て、所謂お家騒動の大波乱を生じて人に笑われる自体になりかねない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　その不和をおさめる役にはそのときの未亡人、つまり今日の妻になるのだ。&lt;br&gt;
　わざわいの原因は一人の男の悪徳によるものであることは明白であるから、家庭内をおさめる妻が夫の不行跡を制止できないのは、自分の権利を放棄してその天職を空しくしていると言われても弁解の余地はない。&lt;br&gt;

　嫉妬云々という世間の俗評をはばかって萎縮するのは、婦人の人生において恥辱といってよい。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/57.html&quot;&gt;新女大学-23&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
    </description>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/55.html">
    <title>新女大学-21</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/55.html</link>
    <description>
      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・21】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　婦人の気品を維持することは確かに大切なことであるから、他人に惑わされることなく自分自身を重んじるべきである。&lt;br&gt;
　昔から現在に至るまでとどまることなく流れゆく濁った水のようなこの社会においては、芸者もいるし妾となる者もいる。妾から成り上がる者もおり、芸者から出世して立派に一家の夫人となる者もいる。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　全てこれらは人間ではない醜物であり、淑女や貴婦人の座に同席できるような者たちではない。賤しんでもなおあまりある者たちであるわけだが、彼女たちを賤しんでいる気持ちを外面にあらわすことはすべきでない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　私は清いがあなたは濁っている、私は身分が高いがあなたは卑しい、といわんばかりの顔色であからさまに彼女たちを辱めるようなことはただむなしくその人自身の品格を落とすだけであり、利益のない振る舞いであるから、深く慎むべきである。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　もし交際の都合で余儀なく彼女たちと同席することがあった場合には、礼儀を乱さず温顔をもって接し、侮ることがないようにする。&lt;br&gt;
　そしてそれと同時に、密かに彼女たちの無教育、破廉恥なのを憐れむのが慈悲というものであろう。&lt;br&gt;
　要するに、ただその人の内部に立ち入ることはせず、度外に捨て置き、事情が許す限りは近づかないようにすることである。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/56.html&quot;&gt;新女大学-22&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
    </description>
    <dc:date>2007-11-06T21:43:04+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/54.html">
    <title>新女大学-20</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/54.html</link>
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      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・20】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　教育の進歩に伴って婦人が自分が実際に見たり聞いたりしていないことまでも喋り、ひどいときには奇怪千万な言葉を使って平気でいるのは、浅見を自覚していない罪であってただあわれむべきものである。&lt;br&gt;

　その原因は様々であるが、中でも幼いときから教育の方針を誤って自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理をなおざりにし、いたずらに浮華に流れて虚文をもてあそぶようなのは、自分から災いを引き起すようなものといってよい。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　たとえば、学校の女生徒が少々字を知り、また洋書などを理解できるようになるのと同時に、いわゆる詠歌や国文に力を注ぎ、または小説や戯作などを読んで余念がない者もいる。&lt;br&gt;

　文を学ぶには国文学や小説なども非常に有意義だが、年齢が小さいときには他に勉強すべきもののほうが多い。&lt;br&gt;
　詠歌には巧みだが自分が独立するということについて将来を思い描いたこともなく、数十百部の小説本を読みながら一冊の生理学の本も見たこともない女性が多いのだ。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　小説や戯作は往々にして人の情を刺激することが多く、血気盛んな春ともいうべき妙年の女子のためにはまず有害であるから、文学を学ぶということの必要性からこれを読もうとするならば、その内容を考えて何を読むべきか選ぶことが大切であろう。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/55.html&quot;&gt;新女大学-21&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
    </description>
    <dc:date>2007-11-06T21:42:18+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/53.html">
    <title>新女大学-19</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/53.html</link>
    <description>
      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・19】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　女子がいかに教育されていかに書物を読み、博学多才であっても、その気品が高くなくて行いが悪く不品行な場合は、淑女の本領は既に消滅しているといってよい。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　私がここに行いが悪いと記すのは、必ずしもその人が実際にみだらな罪を犯すことの罪自体を咎めているだけではない。&lt;br&gt;
　普段の言行が粗末で礼儀上いましめるべきことを知らず、ややもすれば談笑の間にもあられぬ言葉を漏らして、当人よりも聞く者のほうが却って赤面してしまうようなことがあってはならない。これはこれらは全て不品行の敗徳としていやしむべきものである。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　例えば芸者などといういやしい女が衣裳を着飾り、酔客の座辺にはべって歌い踊りまわるときに漫語放言をはばかることがないのは活発で無邪気なようでいて、まあ実際に本当に無邪気な者もいるかもしれないが、これは座中の淫婦といわざるを得ない。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　芸者のことは例外としてさておくとしても、上流社会においても自覚なく誤った行動をする者がいる。&lt;br&gt;
　近来の教育の進歩に従って言葉の数も増加し、昔は学者の世界に限って用いていた漢語が今は俗世間での通語となっているものが多い。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　その中でも私にとって耳障りなのは「子宮」という文字である。&lt;br&gt;
　従来は婦人病といえばただ漠然と「血の道」とだけ称して、その詳しい内容はただ医者に任せていたわけで、素人の間ではかつてこの言葉を言う者も聞く者もなかった。&lt;br&gt;

　しかし近年では日常の会話に公然と「子宮」という言葉を用いてはばかることがなく、市販薬の看板にさえその文字を見られる状態である。&lt;br&gt;
　それだけではない。ひどいときになると婦人の口から直接この言葉が漏れることもないわけではない。ただ仰天するばかりである。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　そもそも「子宮」という字は洋語のUterus（ユーテルス）にあたり、相互直訳の文字であって、西洋諸国においては医師社会に限ってこの言葉を用いていた。診察や治療の必要に迫られた場合はごく内々に患者またはその家族にこれを告げるのみであった。&lt;br&gt;

　医事に関する要談のほかには、西洋の人の口から「ユーテルス」という言葉を聞こうと思っても決して聞くことはできない。ましてや婦人の口からはとても、生命を賭してもこの言葉を口にしてはならないという。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　しかし日本人はこの言葉を口外して平気であるという。当人の知らないこととはいいながら、恥ずべきことではないか。&lt;br&gt;
　なお、このほかにも今の世間には見苦しく聞き苦しい言葉が多い。これは婦人の罪だけではなく、社会の先達である学者、教育者の不親切と、政府の筋の無学や不注意によるものであると知るべきだ。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/54.html&quot;&gt;新女大学-20&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
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    <dc:date>2007-11-06T21:41:41+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/52.html">
    <title>新女大学-18</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/52.html</link>
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      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・18】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　婦人は家を治めて家庭内の経済を預かるが、いわば支出だけを管理して収入を知らない者も多い。これは甚だ不安なことである。&lt;br&gt;
　夫だっていつまでも生きられる身ではないし、老少の順番でいくと夫のほうが先に世を去るのだから、早く夫に死に別れて大勢の子供の世話をはじめ、家事の全てを婦人の一手に引き受けるという万一の不幸もある。&lt;br&gt;

　そのときになって夫の存命中、外でどのような仕事をして誰とどのような関係があったのか、金銭上の貸借はどうか、その約束はどうかなど、詳細の事実を知らず、帳簿を見てもよく理解できず、そのために様々な行き違いを生じて、ひどいときには訴訟の沙汰に及ぶことも世間には珍しくないのだ。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　これはつまり婦人が家計の外部に注意していなかったために起こることであるから、夫婦が一緒に暮らしているならば外の仕事は全て男子の責任とはいいつつも、その仕事のだいたいのことについては婦人もこれを心得おいて、その時々の変化や盛衰に注意するのは大切である。&lt;br&gt;

　私が女子に経済の思想が必要であると言っているのはこのあたりの意味である。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/53.html&quot;&gt;新女大学-19&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
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    <dc:date>2007-11-06T21:39:14+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/51.html">
    <title>新女大学-17</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/51.html</link>
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      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・17】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　下男下女を召し使うのは随分骨の折れることである。使われる者は力を労し、使う者は心を労する。主人のほうこそかえって苦労が多いであろう。&lt;br&gt;

　下男下女にもいろいろな人物がいる。ときには忠実ですばらしい人物がいないこともないが、これは特別なことであり、そもそも彼らは資産もなく教育もないがゆえに人の家に雇われるのだから、主人である者はその人物いかんにかかわらず、よく教えてならし、とにかく親切にしてそれぞれの家事に当たらせるのと同時に到底自分の思い通りにはならないものと最初から胸中に覚悟して多くを望んではならない。&lt;br&gt;

　下女の不行き届きや下男のいい加減さなど、いちいち気にしていたずらに心配や苦労をして無駄な癇癪を起すのは、ただ愚かなことであるといえるだろう。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　現在の下男下女をよくないと思うならば、ここ数年のことを思い出すことだ。&lt;br&gt;
　その数年の間にいかなる男女が果たして最高の人物で自分の意に適した者であったか、それは誰かと指を折ってみたならば、彼らの中でもそれぞれ長所も短所もあり、十分であった者は非常に少なかったのではないだろうか。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　ここ数年が既にそういう状態であったなら、現在もその通りであたりまえである。また、将来も同様であろうと勘弁したほうがよい。&lt;br&gt;
　下の者の過誤、失策を叱るのは叱られる者よりも叱る者のほうが見苦しい。主人は慎むべきものだ。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/52.html&quot;&gt;新女大学-18&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/50.html">
    <title>新女大学-16</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/50.html</link>
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      &lt;b&gt;&lt;font color=&quot;#222299&quot; size=&quot;+1&quot;&gt;【新女大学・16】&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br&gt;
&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;　子供の養育は婦人の専任であるから、たとえ富貴の身分であったとしても自然の理に従って自分の乳を授けるべきである。&lt;br&gt;
　病気または健康上の差し支えにより乳母を雇うことになっても、朝夕の注意は決して怠ってはならない。&lt;br&gt;
　授乳の時期を過ぎた後も、子供の食生活や衣服に心を配って細かいことまでも見逃さないようにするのは婦人の天職を奉ずることであり、その代理人はいないはずである。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　食事や衣服は有形のものだから誰の手から与えても同様であるかのように見えるが、これを与えるについては無形である母の徳が大切であり、その感化力は有形物に優れること百千倍であることを忘れてはならない。&lt;br&gt;

　蚕を養うにも家の者が自分でするのと雇い人に任せるのとではその生育に違いがあるという。ましてや自分の産んだ子供についてである。人任せができないのは言わずとも明白であろう。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　世の中の婦人の中にはこの道理を知らず、多くの子供を持ちながらその着物のほころびを縫うのは面倒だ、食事の世話は煩わしいということで下女の手に託し、自分は友達との付き合いや物見遊山などにふけって、悠々閑々たる者がいるが、これは気の毒なことである。&lt;br&gt;

　もちろん、婦人の遊楽は決して咎めてはならないことである。日頃の憂さを晴らし、養生のためといえば花見をするのもよいだろうし湯治も賛成である。集会や宴席の付き合いも有意義なことであろう。&lt;br&gt;

　しかし、外出するにあたって子供を家に残し、夫婦の留守中に下男下女に預け、生まれたばかりの赤ん坊は無理に牛乳で養われるという例もあるようだ。&lt;br&gt;
　これはまるで雇い人に任せた蚕のようなものである。その成長がどうなるかは自分で考えればよくわかることだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　昔の大名や良い家柄の子供に心身が暗弱な者が多かったのも、貴婦人が子を産みながら子を養育する方法を忘れていたためである。この点はよく考えなければならないことである。&lt;br&gt;

　私は婦人の外出をやめろとは言わない。むしろ外出をすすめて婦人が活発な人生を送ることを願う者であるが、子供の養育という天職を忘れて浮かれた生活をするようなのは決して許せない。&lt;br&gt;

　この点については、西洋流のやりかたに感心させられるものが非常に多い。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　また、婦人はその境遇から家にいて家事をつかさどるわけだが、生理や病理について多少の心得がなくてはならない。&lt;br&gt;
　家族の病気に手治療などは決してしてはならないことだけれども、急病や怪我などのとき、医者が来るまでの間には頓知や工夫が必要であるが、いたずらにうろたえて病人のために却って害になることも多い。これは用心しなければならない。&lt;br&gt;

　たとえば子供が腹痛のときには「例の黒焼きの妙薬がある」などと薬剤学的にはわけのわからぬものを服用させてはならない。&lt;br&gt;
　緊急の場合は医者が来るまでに腰湯やパップを使ったり、またはしばらく排便がないといえば浣腸をしたりというような外用の手当ては恐る恐る用心しつつ施してもよいが、内服薬は一切勝手には与えず、ただ医者の来診を待つのがよい。&lt;br&gt;

　あるいは高いところから落ちて気絶した者がいた場合は酒か焼酎を飲ませ、または切り傷ならばとりあえず消毒綿を使って縛っておくくらいにして、その他に余計の工夫は無用である。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　ある人が剃刀の傷に袂草（袂の隅にたまったゴミ）をつけて血を止めたのはよかったが、その袂草の毒にあたって大きな病気にかかったことがあった。&lt;br&gt;
　つまりこれは無学の罪である。くれぐれも心得ておくことだ。&lt;br&gt;
　これらのことについては世間に原書もあるし翻訳書もあるから、これを読むのはさして苦労することではない。婦人のためには面白い教養となることであろう。&lt;/font&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/63.html&quot;&gt;&lt;font color=
&quot;#666688&quot;&gt;新女大学メニュー&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www33.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/51.html&quot;&gt;新女大学-17&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
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