御書 現代語訳wiki内検索 / 「如来滅後五五百歳始観心本尊抄238p~244p」で検索した結果

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    ...創価学会教学部編 如来滅後五五百歳始観心本尊抄238p~244p     -     観心本尊抄 創価学会教学部編 如来滅後五五百歳始観心本尊抄245p~251p     -     観心本尊抄 創価学会教学部編 如来滅後五五百歳始観心本尊抄252p~255p     -     観心本尊抄 創価学会教学部編 日興遺誡置文     -     日蓮大聖人御書講義 別巻
  • 如来滅後五五百歳始観心本尊抄238p~244p
    238p 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 (如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄)   にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう   nyoraimetugo gogohyakusai ni hajimu kanjin no honzonsyou 本朝 沙門 日蓮撰 文永十年四月二十五日 五十二歳御作 富木常忍に与う 佐渡一ノ谷に於いて 1  一念三千の出処を示す 天台大師があらわした「摩詞止観(まかしかん)」の第五の巻に次の様にあります...
  • 如来滅後五五百歳始観心本尊抄252p~255p
    252p 釈尊一代に説かれた顕教・密教のニ道にも、 一切の大乗経・小乗経の中にも、釈迦仏と諸仏が並んで座り、 広長舌を梵天にまで届かせた という文は法華経以外にはありません。 阿弥陀経に仏の広長舌が三千大千世界を覆ったとありますが、これは有名無実です。 般若経には広長舌が三千大千世界を覆い、その舌から光を放って般若を説いたというのも、 まったく真実の証明ではありません。 これらの諸経はみな権教を兼ね帯びているために仏の久遠の本地を覆いかくしているからです。 法華経神力品では、 このように十種類の神力をあらわして地涌の菩薩に妙法の五字を付嘱した状況について つぎのように説かれています。 「その時に仏は上行らの菩薩の大衆に告げられた。 『諸仏の神力はこのようにはかりしれないほど不可思議である。 もし、私がこの神力をもって無量無辺百千万億阿僧...
  • 如来滅後五五百歳始観心本尊抄245p~251p
    245p 法華経法師品に 「已に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、 当に説こうとする(涅槃経経々の中で法華経がもっとも信じ難く、理解し難い)」と。 また、その下に出てくる宝塔品の「六難九易」の文がこれです。 天台大師は法華文句に、 「迹門・本門の二門ともにその説はことごとく昔に説いた爾前経と反しているので信じ難く理解し難い。 戦場で鉾にぶつかっていくように難しいことである」といっています。 章安大師は観心論疏(かんじんろんしょ)に 「仏はこの法華経をもって大事としているのである。どうして理解しやすいわけがあろうか」と。 伝教大師は法華秀句に 「この法華経はもっとも信じ難く理解し難い。 なぜならば仏が悟りの真実をそのままに説いた随自意の教えであるから」 等といっています。 いったい仏の生きておられた時代より滅後千八百余...
  • 顕仏未来記
    505p 顕仏未来記 沙門 日蓮 之を勘う 1  釈尊の未来記を挙げる 法華経の第七の巻、薬王品には、 「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶することがないであろう」 等と述べられている。 日蓮が一たびは歎(なげ)いていうには、 今は、仏滅後、すでに二千二百二十余年も経っている。 一体いかなる罪業があって、仏の在世に生まれ合わすことが出来ず、 また正法の時代に生まれて、 人の四依といわれる迦葉(かしょう)・阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等の 菩薩に会えなかったのだろうか。 さらにまた、像法時代の天台・伝教等にも会えなかったのであろうかと。 また、一たびは歓喜していう。 一...
  • 教機時国抄
    438p 教機時国抄 弘長二年二月八日 四十一歳御作 本朝沙門日蓮之を註す 1  教を明かす 一に教とは ―。 釈迦如来が説かれた一切の経・律・論は五千四十八巻・四百八十帙(ちつ)である。 これがインドに流布すること一千年を経て釈尊の滅後一千十五年にあたる年に中国に仏経が渡った。 後漢の孝明皇帝の永平十年丁卯(ひのとう)から唐の玄宗皇帝の開元十八年庚午に至るまでの 六百六十四年の間に、一切経は渡り終わった。 この一切の経・律・論の中に、小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経がある。 これらをわきまえ知らなければならない。 この名称は、論師・人...
  • 開目抄 下228p~233p
    228p 一闡提に似た阿羅漢とは声聞を謗り咎(とが)めて広く大乗を説く者である。 そして衆生に語って言うには、 我は汝達と共にこれ菩薩である。 何故(なぜ)かといえば、一切衆生皆仏の性分があるからである、と。 しかし、それを聞いた衆生はかえって一闡提であると言うであろう。」 等と。 涅槃経(ねはんきょう)には次の様にあります。 「仏が入滅した後、像法時代において、次の様な僧が現れるであろう。 それは、形は戒律を持(たも)っている様に見せかけて、 少しばかり経文を読み、食べ物を貪(むさぼ)って我が身を養(やしな)っている。 その僧は、袈裟(けさ)を身にまとっているけれども、 信徒の布施を狙う有様は、 猟師が獲物を狙って、細目に見て静かに近づいていく様であり、 猫がネズミを捕らえようとしている様なものである。 そして、常に『自分は羅漢の悟りを得た...
  • 開目抄 下210p~218p
    210p 開目抄 下 28  起後(きご)の宝塔(ほうとう)の羲を明かす 又、法華経に入ってからもろもろの大菩薩も、 大梵天王、帝釈天王、日天子・月天子、四大天王達も教主釈尊のお弟子であると 定まったのです。 ですから法華経見宝塔品(けんほうとうほん)では、 これらの大菩薩を釈尊は我が弟子達であると思われたから、諌(いさ)め諭(さと)して 「もろもろの大衆に告げる。 我が滅後の後、誰がよくこの法華経を護持(ごじ)し読誦するであろうか。 いま仏の前において、自ら滅後の弘教を誓う言葉を述べよ」 と強く仰せ下したのです。 それを聞いたもろもろの大菩薩も又、 「たとえば大風が小さな木の枝を吹きなびかす様なものである」 等と経文にある様に、 吉祥草(きちじょうそう)が大風に随(したが)いなびき、 河の水が大海へ引かれ入る様に、釈...
  • 開目抄 上204p~210p
    204p 燋(い)た種が芽を出し、割れた石がまた合い、枯れ木に華が咲いて実がなるように、 成仏出来ると許されたものの、まだ成仏の相は現じていません。 どうして法華経の重恩を報じないでいられましょうか。 もしこの恩を報じないならば、世間の賢人にも劣り、 恩知らずの畜生です。 毛宝(もうほう)に助けられた亀は、毛宝の衣類に変えて救われた恩を忘れず、 昆明池(こんめいち)の大魚は、漢の武帝に命を助けられた恩を報じようと、 明珠(めいしゅ)を夜中に捧(ささ)げました。 畜生でさえ尚この様に恩を報じています。 ましてや舎利弗らの偉大な聖人達が恩を報じないわけがありません。 阿難尊者(あなんそんじゃ)はインドの斛飯王(こくぼんのう)の二男であり、 羅睺羅(らごら)尊者は浄飯王(じょうぼんのう)の孫です。 世間の人々の中では家柄の高い身分である故、 小...
  • 開目抄 上195p~203p
    195p 二乗を煩悶(はんもん)させました。 小乗経と諸大乗経とは多少の相違があるから、 諸大乗経には、 あるいは十方に諸仏が出現されたり、あるいは十方より大菩薩をつかわされたり、 あるいは十方世界にも同じく大乗経を説く理由をしめし、 あるい十方より諸仏が集まられ、あるいは釈尊が舌をもって三千大千世界をおおい、 あるいは諸仏が舌を出すというような事を説かれたのです。 これは、ひとえに諸小乗経に 「十方の世界にただ一仏あり」と説かれた考え方をやぶる事になるのです しかし、これも法華経のように、先後の諸大乗経と根本的な相違ができて、 舎利弗らの声聞および大菩薩・人天(にんてん)らに 「まさに魔が仏になったのではないか」と思わされたほどの大事ではありません。 ところが、華厳・法相・三論・真言・念仏宗らの智慧の眼のかすんでいる輩が、 ...
  • 開目抄 下234p~237p
    234p また梵天に生まれるには、有漏定(うろじょう)の引業の上に、 慈悲の行を加えて生まれるのです。 今、この貧しい女性が、子を思う慈悲心の故に梵天に生まれたのは、 通常のあり方とは違っています。 これについて章安の二つの解釈がありますが、 結局は子を思う慈悲心より他に何もありません。 思いを、 子供という一つの対境に集中する、これは定善(じょうぜん)に似ています。 ただひたすら子を思う、これはまた慈悲にも似ています。 ですから他の善根は無かったけれども梵天に生まれたものでしょうか。 また仏になる道は、華厳宗の唯心法界、三論宗の八不(はっぷ)中道、 法相宗の唯識(ゆいしき)、真言宗の五輪観(ごりんかん)なども 実際には叶うとは思えません。 ただ天台の一念三千こそ仏になる道であると思われます。 ところが、この一念三千に...
  • 開目抄 下219p~227p
    219p 三論宗の吉蔵(きちぞう)らが経文を読んで言うには 「般若経と法華経とは名は異なっているがその当体は同じであり、 二教は一つの法である」 と。 真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵らが経文を読んで言うには 「大日経と法華経とは理が同じで、同じく共に六難のうちの経である」 と。 日本の弘法(こうぼう)が呼んで言うには 「大日経は法華経に説く六難九易(ろくなんくい)のうちに入らない。 大日経は釈迦が説いた一切経の外(ほか)の経であり、法身(ほっしん)仏・ 大日如来が説いたものである」 と。 又、ある人が言うには 「華厳経は報身如来の説いたものであり、六難九易のうちに入らない」 と。 日蓮は嘆(なげ)いて言います。 上(かみ)にあげた諸人の主張する義を躊躇(ためら)わず間違いである、 と言ったらなら、今の世の諸人...
  • 立正安国論 17p~25p
    17p 立正安国論 文応元年七月 三十九歳御作 北条時頼に与うるの書 鎌倉に於いて 旅人 (真実の仏法を知らず、念仏などを信仰する謗法の人々を指し、 別しては、対告衆である北条時頼のこと) が来て嘆いていうには、 近年(正嘉元年・1257年)から近日(文応元年・1260年)まで、 天変(天空に起こる変動で、暴風、雷、日蝕、月蝕など)、 地夭(地上に起こる災いで、地震など)がうちつづき、 飢饉や疫病が全国にわたって満ち溢れ、地上いっぱいに広がっています。 牛や馬はいたるところに死んでおり、 その死骸や骸骨が道路一杯にあふれています。 すでに...
  • 開目抄 上186p~194p
    186p 開目抄 上 文永九年二月 五十一歳御作 門下一同に与う  佐渡・塚原に於いて 1  三徳を示す 一切衆生がもっとも尊敬すべきものが三つあります。 それは主人と師匠と親です。 また、習学すべきものが三つあります。 それは儒教(道教もふくむ)と、インド古来のバラモン教の外道と内道である仏教です。 2  儒教の三徳 儒教においては、 中国古代の名君主であった三皇「伏義(ふつき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)」 五帝「少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょく)・帝告・堯(ぎょう)・舜」 三王「兎王(うおう)・湯王(とうおう...
  • 草木成仏口決
    1338p  草木成仏口決 文永九年二月二十日 五十一歳御作 与最蓮房日浄 1  非情成仏の経証を示す 問う、草木成仏とは有情・非情のうちいずれの成仏であるか。 答えていう、草木成仏とは非情の成仏である。 問う、有情も非情も今経(法華経)において成仏できるのか。 答えていう、成仏できる。 問う、その文証はどうか。 答えていう、妙法蓮華経の五字がそれである。 妙法とは有情の成仏であり、蓮華とは非情の成仏である。 また、有情は生の成仏、非情は死の成仏である。 生死の成仏というのが有情非情の成仏のことなのである。 1339p ...
  • 種種御振舞御書918p~925p
    918p 彼の身にあやまちを起こしたならばこの重連(しげつら)が大きな罪になる。 だから殺すよりは法門で攻めるがよい。」 と答えたので、 念仏者等はあるいは浄土の三部経、あるいは摩訶止観、 あるいは真言の経釈等を小僧等の頚にかけさせ、 あるいは小脇に挟ませて正月十六日に集まった。 佐渡の国だけではなくて 越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国国から集まった法師等なので、 塚原の堂の大庭から山野へかけて数百人、 それに六郎左衛門尉と兄弟一家やそれ以外の者、 百姓の入道等が数知れず集まった。 念仏者は口々に悪口を言い、真言師は緊張のために面々に顔色を失い、 天台宗の法師は天台宗が勝つとその由を声高に騒ぎたてた。 在家の者どもは 「かねてから聞き及ぶ阿弥陀仏のかたきめ」と声高に非難し、 この騒ぎが響きわたる...
  • 当体義抄
    510p 当体義抄 日蓮 之(これ)を勘(あた)う 1  十界の事相に約す 問う、妙法蓮華経とは、その当体は、どのようなものであろうか。 答う、十界の依報と正報とのすべてが、妙法蓮華経の当体である。 問う、もしそうであるならば、われわれのような一切衆生も妙法の全体であるといえるのであろうか。 答う、もちろん、そうである。 その証文としては、方便品第二に「所謂諸法・乃至・本末究竟して等しい」とあるとおりである。 この文を、妙楽大師は金錍論(こんぺいろん)で次のように解釈している。 「実相には必ず諸法がそなわっている。諸法には必ず十如がそなわり、十如は必ず十界に収まる。 十界は必ず正報と依報の身土に収まっている」と。 天台大師は法華玄義に ...
  • 四恩抄
    935p 四恩抄                       弘長二年正月十六日 四十一歳御作                       工藤左近尉吉隆に与える  伊豆伊東に於いて 1  二つの大事 そもそも日蓮がこの伊豆流罪の身になった事について、二つの大事がある。 その第一には大いなる悦(よろこ)びがある。 その故はこの世界を娑婆世界と名づける。 娑婆というのは忍ぶという事である。 故に仏は能忍と名づけるのである。 この娑婆世界の内には百億の須弥山(しゅみせん)と百億の日月と百億の四州とがあり、 その中の中央の須弥山・日月・四州に、仏は出現されたのである。 この日本の国はその仏が出現された国から見て 丑寅(うしとら)の角(すみ)にあたっている小島である。 この娑婆世界以外の十方の国土は皆浄土であるから人の心も穏やか...
  • 諸法実相抄
    1358p  諸法実相抄 文永十年五月 五十二歳御作 与最蓮房日浄 日蓮 之 を記す 1  諸法実相の意義を明かす 問うていうには、 法華経第一の巻方便品第二に 「諸法実相とは、所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、 如是果、如是報、如是本末究竟等」 と説かれている。 この経文の意味はどのようなものであろうか。 答えていうには、 下は地獄界から上は仏界までの十界の依報・正報の当体が、一法も残さず妙法蓮...
  • 立正安国論 26p~33p
    26p 客は少し和らいでいいました。 自分はいまだその奥底までは究めつくしていませんが、 いくらか仰せになった意味がわかりました。 しかしながら、京都から鎌倉に至るまで、 仏教界には要の位置についている多くの名僧がいますが、 そうした人々でさえ、今日まで誰一人として、 法然の謗法について幕府に訴えたものもいなければ、 天皇に意見を申し述べた者もいません。 あなたは卑しい身分の人でありながら、 たやすく念仏に対して悪口を言っていますが、 その義は未だ議論の余地が沢山あり、その理はいわれがありません。 主人がいいました。 自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、 かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。 青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、 カズラは大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。...
  • 如説修行抄
    501p 如説修行抄 1  宗旨の弘教に大難あるを標す つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経が流布する時に、 生をこの日本国にう受け、この経(三大秘法)を持ち、信行に励んでいく人に対しては、 法華経法師品第十に 「末法においては、釈迦如来在世にくらべて猶(なお)怨嫉が多いであろう」と、 多くの大難が競い起こることを予言されている。 2  行者の値難を釈す その理由は、 釈尊在世の時は、一切衆生を化導し、救済したのは、釈尊というりっぱな仏であった。 しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢(あらかん)であった。 また人界、天界の人々、四衆、八部、人非人たちであっても、 釈尊は、調機調様(じょうきじょうよう)といって長い間、機根をととのえ、 最後には法華経を聞かしめたのである。 しかし、それ...
  • 種種御振舞御書909p~917p
    909p  種種御振舞御書                            建治二年五十五歳御作                            光日房に与える 身延に於いて 1  予言の的中と迫害 去る文永五年の後、閏(うるう)の正月十八日に、 西戎(せいじゅう)・大蒙古国から、 日本国は蒙古に臣従しないなら攻め取るという通告状を送って来ました。 これによって、 日蓮が去る文応元年・大歳(たいさい)庚申(かのえさる)に勘(かんが)えて 幕府に上呈(じょうてい)した立正安国論の予言が少しも違う事無く符号しました。 この安国論は、 かの唐土(とうど)の白楽天(はくらくてん)の楽府(がくふ)よりも勝れ、 釈迦仏の未来記にも劣るものではありません。 この様な重大な予言の的中は、 末...
  • 一生成仏抄
    383p 一生成仏抄                                建長七年 三十四歳御作                                与富木常忍 無限の過去から繰り返されてきた生死の苦悩を留めて、 今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず衆生に本来具わる妙理を 自身の生命の中に見ていくべきである。 衆生に本来具わる妙理とは妙法蓮華経の事である。 ゆえに、妙法蓮華経と唱えれば 衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ている事になるのである。 法華経は、文の法理も真実で正しい経の王であるので、経文の文字はそのまま実相であり 実相はすなわち妙法である。 結局、一心法界(いっしんほうかい)の法理を説き顕している教えを妙法と名づけるのであり、 故にこの法華経を諸仏の智慧というのである。 一心法界の法理に...
  • 生死一大事血脈抄
    1336p 生死一大事血脈抄 文永九年二月十一日 五十一歳御作 与最蓮房日浄                                    日 蓮 記 之 1  生死一大事血脈の体を明かす お手紙を詳しく拝見した。 お尋ねの、生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経のことである。 そのわけは、 この妙法蓮華経の五字は釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになったのであり、 過去遠々弘(おんのんごう)以来、寸時も離れることのなかった血脈の法であるからである。 妙とは死、法とは生のことで、この生死の二法が即、十界の当体で...
  • 災難対治抄
    78p 災難対治抄                     正元二年 三十九歳御作 1  災難対治の方途を勘える 国土に大地震・時節はずれの大風・大飢饉・伝染病の大流行・大規模の戦乱等の 種々の災難の起こる根源の因を知って、いかにすれば対治出来るかという事について考え記した文。 2  五経から七文を挙げる 金光明経(こんこうみょうきょう)には次の様に説かれている。 「(ある時、四天王が仏に申し上げていうには)もし人王がいて、 その国土にこの経があっても未だかつて流布せず、 この経を捨て去る心を起こして聞くことを願わずに、又供養し尊重し讃嘆(さんたん)する事をせず、 比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四部の衆として この経を持(たも)つ人を見ても又尊重したり供養したりする事をしない。 その為、我ら及びその眷属...
  • 日興遺誡置文
    1617p 日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ) 1  五一相対(ごいちそうたい)を示して訓戒す さてよく考えてみると、末法に弘通される太陽のごとき仏法は極悪の謗法の闇を照らし、 久遠寿量の南無妙法蓮華経という妙なる風は釈尊が伽耶城(がやじょう)の近くにおいて 始めて覚りを成じたという権教を吹き払った。 この仏法に巡りあうことは、まれなことであり、優曇華(うどんげ)の花の咲くことに譬えられ、 また、一眼(いちげん)の亀が浮木の穴にあうことに譬えられる。 それでも足りないぐらいである。 ここに我等は、宿縁が深く厚いことから、幸いにもこの経に巡りあうことができた。 従って後代の門下のために、個条書きにして一つ一つの項目を書き遺したのは、 ひとえに広宣流布せよとの日蓮大聖人の御言葉を仰ぐためである。 一、日興門流が立てている教義は、い...
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