|【用語名】|真田十勇士| |【読み方】|さなだじゅうゆうし| **【詳細】 真田教導院が有する10人の忍者たち。江戸時代中期の小説『真田三代記』が初出。 史実上、実際にモデルとなる人物を持つ者もいれば、完全なフィクションが[[襲名]]元の者もいる。 初出が江戸時代中期のため、[[歴史再現]]的に問題は無いのか疑問が残るところである。 当代の真田十勇士は二代目。初代真田十勇士は二代目達からは"先生"と呼ばれている。 "先生"と呼ばれている先代真田十勇士は天竜であったことが判明した。 欧州から真田に渡った竜族のウチ天竜は11人。天竜とはいえ匪天竜が8人いて、ほか地竜が大勢だったと言う。 先に十勇士を襲名したのは天竜2人、匪天竜8人。 現在では十勇士を襲名した天竜2名と、他1人以外はほとんど死亡している。 代替わりしてしまったのは、歴史再現が長引いて初代達が老いたためで、初代達は後継者を捜していた。 現在の該当者は次のとおり。 "要らずの一番":[[猿飛・佐助]] "要らずの二番":[[霧隠・才蔵]] "要らずの三番":[[三好・晴海]] "要らずの四番":[[伊佐・入道]] "要らずの五番":[[穴山・小助]] "要らずの六番":[[由利・鎌之介]] "要らずの七番":[[海野・六郎]] "要らずの八番":[[根津・甚八]] "要らずの九番":[[望月・幸忠]] "要らずの十番":[[筧・十蔵]] それぞれが小規模な[[教導院]]なら[[副長]]、大規模教導院でも特務クラス以上は確実の実力者達。 全員が"要らずの"で始まる番号を持ち、数字が減るごとに地位が高くなる模様。 実際、“要らずの一番”猿飛・佐助は「班長」と呼ばれている。 なお彼らが"要らず"と呼ばれるのは、かつて他の教導院で争いに負け、真田教導院に辿り着いたため。 根津・甚八は自分がミスしたことにより要らずとなってしまっていた。 5の下では、本来ならば彼等が[[十本槍]](正確には七本槍+補佐3名)になるはずだったのだが、[[羽柴>羽柴・藤吉郎]]が連れてきた今の十本槍に負けたことが明らかになる。 登場当初は[[清武田]]の麾下にあったが、将来的には西軍、つまり[[羽柴>M.H.R.R.]]側に雇われ[[武蔵]]の敵となる予定だった。 一時的に武蔵に滞在していたが、3巻下のラストで[[三方ヶ原の戦い]]を経た[[長篠の戦い]]が始まったため、"[[武田・信玄>源・九郎・義経]]が病死"したとして清武田を離れ、 武蔵の内部で破壊工作を行いながら武蔵を去っていった。 4巻では彼らはばらばらに各国に諜報として潜入したり、武蔵の修繕に紛れ込んで破壊工作や 武蔵の要人暗殺を目論んでいたがいずれも失敗し、4巻下では伊佐が死亡。 だが、伊佐はやるべき事をやり、それにより十勇士は“要らず”では無くなったという。 5巻上では海野、望月、筧が武蔵勢と対戦する。いずれも相対に敗れるが、忍者らしく生を拾って生き延びた。 5巻下の武蔵の移動教室において、[[猿飛・佐助(先代)]]、[[霧隠・才蔵(先代)]]が討ち取られる。 残りの天竜は1名となっているはずだが、登場はしておらず、「人の姿をした化物」と称された[[加藤・段蔵>トビー]]ではないかと思われる。 ----