|【用語名】|三十年戦争| |【読み方】|さんじゅうねんせんそう| **【詳細】 1618年から1648年頃までヨーロッパで行われた戦争。 旧教vs新教の戦いだったのが、見方を変えればハプスブルク家VS反ハプスブルク家の戦いともとれる戦い。 一つの戦いで三十年は戦いあったのではなく段階がある。 戦争の源としては当初は 1.M.H.R.R内部と近隣諸国における旧派と改派の闘争 2.1から派生したM.H.R.R支配圏からの地域の独立戦争 だったのだが、後半部分からは 3.旧派勢力を指揮する皇帝(ハプスブルク家)と、他家の闘争 も入ってきた。 &bold(){最初の頃} まず、旧派と改派は戦争をしあっていて、[[アウグスブルク宗教和議]]で [[M.H.R.R]]内の宗教の違いを理由に戦争をすることは禁止されたが個人の信仰までは守られたわけではないので、 争いの火種はあった。 直接と発火点となったのは、M.H.R.Rの南東にあるボヘミアと呼ばれる公国で有り、 ここはオーストリアやハンガリーと並ぶ広大な国で会った。 改派の土地であったのだが、次期皇帝をマティアスから継ぐ予定だった フェルディナント二世がその国の王となった。 (歴史再現ではマティアスがフェルディナント二世を襲名予定、道筋は羽柴がつけた) 旧派推奨のフェルディナント二世はボヘミア内の改派の弾圧を始める。 キレた住民が王宮の窓から国王顧問を窓からたたき落としてそれを合図に反乱開始。 この出来事を[[プラハ窓外投擲事件]]という。 ここで旧派vs改派の戦争が行われたが、旧派の方が徹底的に鎮圧したり、 改派の内部分裂があったり、改派の方が破れる。 この後ぐらいでドイツ諸侯がデンマークやら瑞典やら外国を呼ぶ。 ちょっとごっちゃ化。デンマーク戦争やら瑞典戦争が起きる。 (グスタフ二世が死んだ戦争もこの辺り) そしてフェルディナント二世は皇帝を世襲していたハプスブルク家出身で有り、 ハプスブルク家は他家とも交流を持っていて当時社会基盤としては便利だった血族のコネが有り、 無くなると困る人たちも居たり、対抗していた反ハプスブルク家もいた。 でもって仏蘭西も参戦。後半部分からの他家の戦争となっていき、 ヴェストファーレン会議で和議を結ぶことになる。 歴史再現では7巻までは六護式仏蘭西は直接三十年戦争には参加していなかったが、 7巻時点で参戦する。 ----