印度諸国連合

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印度諸国連合 - (2018/12/09 (日) 17:27:51) のソース

|【国名】|印度諸国連合|
|【読み方】|いんどしょこくれんごう|
|【対応国】|北条家+インド|
|【トップ】|[[北条・氏直]]|
|【登場巻】|5巻下~7巻|

**【詳細】
[[極東]]の東海から関東地方に存在する国。
現在のトップは[[北条・氏直]]。

西暦1648年には既にムガル帝国が成立しているのに、北条家と合一した国がなぜ「印度諸国連合」と呼ばれるのかは不明。
考えられる可能性は、[[P.A.Oda]]と[[教譜]]がかぶるのを避けるためか?(ムガル帝国はイスラーム)
結局、アウラングゼーブらインド側の[[襲名者]]は一人も登場せず、武装の一部に[[ガルーダ>金雀四六式]]や[[ヴリトラ]]の名付けがあったに留まる。

[[自動人形]]の生産数ナンバーワンの国で、主に各国の裏方を担当。航空感の製造数も多い。
[[里見家>里見教導院]]とは江戸湾の制海権やイベントの警備担当などで争う仲だったため、国内に生息する触手系異族を里見家に投げ込むなどの嫌がらせもしている。
里見が開発した[[八房]]の所有を認める代わりに羽柴が常駐させていた航空戦を撃破するよう要求、これによりP.A.Odaの干渉をはねのけることに成功している。
襲名者が極東側しかいないのも、世界史側の勢力の影響を除外できたためか?
だが教譜がムラサイのため完全には排除しきれず、IZUMOでも会談にて武蔵への助力を約束したが[[三方ヶ原の戦い]]では現場にP.A.Odaと羽柴の者達がいたため見ていることしかできなかった。

北条は[[信長>織田・信長]]の死後に起きる関東の動きの起点となり、松平との戦闘も二度発生する重要な国。
実質的には、[[滝川・一益]]を代表とするP.A.Odaの支配下にあったが、その状況でも[[毛利>六護式仏蘭西]]と連携を取り関東を解放することを狙っていた。

最終的に、[[小田原征伐]]をもって国として解体されることになり、「切腹」した氏直に代わり[[北条・幻庵]]が国の締めくくりを行っている。
7巻下の関東解放戦では北条の残党達が乗る機鳳が[[安土]]に突貫。主加速器を破壊し慶長の役とネルトリンゲンに向かう武蔵のいサポートを行った。
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