旅路の星天

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旅路の星天 



 歩く。 

「……」 

 歩く。 

「……」 

 歩く……。 

「……済まない」 

 そうして何時間が経っただろうか。どうしても嫌な予感が拭えず、先を行く連れに声を掛けた。 

「……どうした?」 

 此方を向くこともなく、夕暮れの仄暗い残り火を灯りに、手に持つ地図を睨めつけながら答える連れ。 
 それだけ集中しているから此方を向かないのであって、顔を合わせづらいから向かないのではないと信じたい。 

「もしや、今私達は、この広大な草原で迷っているのではないだろうか」 

「……そんな訳はないだろう、イーゼル。 私達はこの通り、このコンパスとこの地図に従って動いているのだから、道を間違うはずがない」 

 そうだな。本当にそうならばどれだけ安心出来るか分からない。しかし…… 

「そうか。ところで、私の目が節穴でないのなら、君の持っているコンパスは さっきから動いていないのではないか?」 

「そんな馬鹿な……」 

 沈黙。 

「……」 

 反転。 

「……」 

 確認。 

「……」 

 涙目。 

「……どうしよう」 

「やはりか」 

「……済まない」 

 名を知らぬ連れの、普段の姿からは想像もつかない、
 それでいて年相応といえば年相応な想定外のうっかりに、私は頭を抱えた。 

 裏路地の怪しい店で異常に安く売られていた、如何にもといった風体のオンボロ[[エヴィング]]で
 [[龍陽京]]を西方に発ってから、もう数日が経っていた。 
 予想通りというか何というか、既に壊れてしまったエヴィングは、切所も越えたということで、
 道中見つけた[[架欄都市]]の商人に二束三文で鉄屑として売り払われ、私と連れの旅は徒歩の遅々としたものになっていた。 

 そんな中、ある集落へ立ち寄った際に、嘗て交流のあった[[ドワーフ]]の一族が造った[[古い塔>ソッツィ・アーペィ]]があるという話を聞いた。 
 私もそれなりに長く世界を見聞しているが、ドワーフの姿は御伽噺の挿絵位でしかお目にかかったことがない。 
 長く音信が絶えているというからもう今は住んでいないかもしれないが、
 もしかしたら本物のドワーフに会えるかもしれないということで、私達は(正確には勝手に連れが)目的地を其処へ定め、購入した古い地図を片手に道を辿っていた。 

……のだが、連れが自分で見たいと言って私から地図を奪い取り、 
自分のコンパスを見ながら勝手に先々へ進んで行ったのに、内心辟易しながら着いていった結果がこれである。 
心中に、何時か私が[[悠久郷]]へ迷い込んだ時の様に、二人纏めて行き倒れるのではないかという悪い予感が沸き起こってきた。 


「さて。どうしたものか」 

「て、天測は? 本で読んで少し齧ったことがある、やるだけやってみようか?」 

「専用の器具もないのにどうやって? それに、縦しんば出来たとして、市販の本に書いてあるレベルの天測では、場所は大雑把にしか分からないよ」 

「……あぅ」 

連れの提案した現状では殆ど役に立たない策を一蹴し、改めて考える。 
差し当たって、思いついたものの内で使えそうなのは、明朝まで待って太陽の運行から方角を割り出し、只管東西の何方かへ進むという無理押し戦術位か。 
植生から割り出す手も無いではないが確実ではないし、周囲に特徴的なものも無いから地図と照合することも出来ない。 

……となると、今日は野宿ということになるか。他に手立てもないし、明日までは手持ち無沙汰だ。 
食料や水もあるし、殊更にすることもない。焚き火を焚いて、さっさとテントを張って眠るのがいいだろう。 

という訳で、その旨を伝えて、連れと共に早速辺りを調べ始めた。 
完全に暗くなる前に何とか草が生えていない平地を発見することが出来たので、 
そこに早速簡易テントを二つ設営し、中に荷物と寝袋を置いてから薪を探しにいくことにした。 
夜の山野にあって火を焚かないのは、自ら獣に身を差し出すのと同じ自殺行為だ。 

しかし、草原地帯ということで予想はしていたが、兎に角木がない。従って薪となるものも少ない。 
空から照らす星々の光を頼りに、偶にぶつかる灌木から幾つか枝を手折って拝借しているが、果たして足りるかどうか。 

とまれ、一先ず手で持つには多過ぎる程には集められた。小さくとも火があれば、獣も寄っては来まい。 
[[悪魔]]や[[魔人]]、[[魔物]]の目撃例もないから、二人で交代に番をすれば大丈夫だろう。 

一人、薪を抱えたまま一息を吐いて、そして、ふと夜空を見上げた。理由など特にはない。 
強いて挙げれば疲れて伸びをしたかったからだが、実際唯本当に何となくだった。 



http://i.imgur.com/gl99MwE.jpg 



そこには、思わず息を呑む様な……というと陳腐であるが、そうとしか形容し難い満天の星の海が広がっていた。 
身体の内から湧き上がる感動とも驚嘆ともつかない感情に身を固めながら、私は暫く、種々の宝石に飾られた天蓋を見ていた。 

……考えてみれば。こうして星空を見上げることなど、何時振りであろうか。 

此方が終われば其方へ。其方が終われば彼方へ。彼方が終わればその果てへ。 
世界の全てを見ようとして、この旅を始めてから過ぎる年月を幾つ経ただろうか。何時でもそれは生き急ぐが如く忙しなく、これ程のんびりとしたことはなかった。 


しかし、それが明確に変わったのは、あの娘……今の道連れと出会ってからだった。 

始めは、見た目の割りにはかなり大人びていると思い、深い知識と聡明さに感嘆した。 
次に会った時は、その理性と裏腹に豊かな感受性に驚いた。 
三度目には、それらの下に子供らしい一面があることに親近感を覚えた。 

以来、彼女と私は友誼を結び、時には示し合わせて共に旅をする様にさえなった。 
そして、未だ旅の初心者である彼女に合わせる為に旅路を進む足取りは自然と遅くなり、 
これまで自分が当たり前の様に熟してきたことを噛み砕いて解釈し直し、それを伝えて理解させることを繰り返した。 

それを重ねる内に、心中何処かで焦る様に旅を急かしていたものが消えて、幾分かゆとりが出来た。 
そして、彼女が居なくとも、自然と歩みはゆっくりとしたものになっていた。 



以前の私ならば、連れの状態など関係無くこの夜道でも夜を徹して草原を進んでいた筈だ。 
それが、こうしてこの星空を望んでいられるのは、彼女と出会ったからだ。 
そう思うと、尚もこの景色に抱く感情は強くなった。 

「おーい、イーゼル! 早くその薪を持って来てくれ!」 

気付くと、テントの辺りでは連れが既に火を起こしていた。 
どうやら薪がまだ足りない様で、私に催促のジェスチャーを送って来ている。 
見ていて、余りやったことのない焚き火をするという体験を喜んでいるのがよく分かる。 

「あぁ。少し待ってくれ」 

心に残る感情を一旦仕舞い込み、彼女の方へ歩み寄る。 

……まぁ、とは言え。先の様なことを直接彼女に言うことは暫くはない。 
少しの褒め言葉を二倍にも三倍にも受け取って図に乗るのが常の子供に、まだまだそんなことは言えない。 
一度料理を褒めてその晩の飯が独創的過ぎるものになったことは忘れていない。 

だからこそ、彼女には早く成長してもらいたいところだが……ああして無邪気な笑顔を浮かべている内は黙っておくことにしよう。 



「……何だ、イーゼル。そんな顔をして」 

「何でもないさ。何時も通りだよ。私も君もね」 

「……?」 



……尚。 

朝目覚めてから、自分達がテントを設営した場所が地図に載っている古い塔への一本道の上だと気付いたというのは、余談である。 

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