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*咲&高坂 小学校篇 【投稿日 2005/10/17】 **[[カテゴリー-その他>URL]] 小学校高学年女子。 この狭い社会でリーダーシップを発揮して女の子の集団を支配するのは、いつだって人一倍美しく、気が強く、成績が良く、人付き合いや家庭環境に問題が無く、同性への面倒見が良い、そんなタイプの子だ。 五年一組学級委員の春日部咲もそんな女の子だった。 「こらーっ!男子ーっ!」 この年頃特有の高く澄んだ声を張りあげて、ほうきを振りかざす。 「やべ、春日部だ!」 「こええ!ぶんなぐられっぞ!」 放課後の掃除をさぼって遊びほうけていた男の子の集団が、蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。 教室に残されたのは仁王立ちになってほうきを握りしめた春日部咲と、一人黙々と雑巾がけをする坊主頭の男の子だ。 春日部咲は意味も無く、その坊主頭をほうきの柄で小突いた。 「痛いよ。咲ちゃん」 「咲ちゃん。じゃ無いよ!春日部さん。って呼びなさいよコーサカ!」 「でも昔から咲ちゃんって呼んでたじゃない」 「それは幼稚園のころでしょ!家がちょっと近所だからってなれなれしくするつもり?やーらしー」 「だって咲ちゃんは咲ちゃんだから」 「だーかーらーそういうのがやらしーって言ってんでしょ!いい?!さぼってる男子の分も、あんたの責任で全部掃除しといてよ。そうじゃなきゃ学級委員のあたしの責任になるんだからね」 「うん」 「相変わらずボケっとしてグズなんだから!コーサカは!」 咲は憎まれ口を叩いて教室を後にした。 恒例の腹いせの高坂イジメをみかねて、メガネの女子がおそるおそる声をかけた。 「春日部さん……高坂クンちょっとかわいそうじゃない?」 「なんにもかわいそうじゃないよ。あんなヤツ」 「だって高坂クン、スポーツ万能だし。女子に優しいし。よく見るとすごくかわいい顔してるのに。かわいそうだよ」 「はぁ?あのボーズ頭が?目ぇおかしいよ」 口では呆れたように否定しつつも、咲は幼馴染の高坂真琴が尋常で無く整った顔の造りをしていることは知っていた。 幼稚園のころは、二人揃うとお人形さんが並んだようだと言われた。今の高坂がわざわざ坊主頭に刈り上げているのも、髪を伸ばせば女の子に間違えられてしまうほどの美形だからだ。 女顔の彼が「オンナ男」と呼ばれてイジメのターゲットになったり、下手をすると変質者の標的になったりしかねないと両親が危惧したのだ。 そんな両親の配慮もあって、高坂はすくすくと育っていた。成績も悪くなく、運動も大の得意。この年頃の男の子集団において最も尊敬される「ゲーム名人」の座も獲得していた。 だが小学校高学年の男の子として健全に成長していくことは、同時に、昔は仲の良かった咲との間に距離と壁が出来ていくことも意味した。マイペースな高坂自身はあまり気にしなくとも、咲と周囲が過剰に意識した。それは思春期の必然だった。 「ボーズ頭で、親が買ってきた安物の服しか着ないで、いっつもボケっとしてる、あーんなヤツのどこがいいのかしらねー。まったく。あんなのガキよガキ」 同年代の男の子の幼稚さを激しくこき下ろすのも、女の子の成長の一過程だった。 「春日部さんっ。大変っ!」 おさげのクラスメートが息を切らしながら廊下に走りこんで来た。 「どうしたの?○○ちゃん?」 「大変なの!クラスで花を植えた校舎裏の花壇の上で、六年の男子が遊んでるの!お花が枯れちゃう!」 「センセイは?」 「探してるけど、いないの」 「わかった。すぐ行くね。○○ちゃんはセンセイを探してきて」 「うん」 気が強く、誰に対しても物怖じせず、面倒見が良い咲は、こんな時一番頼りにされる存在だ。 咲はほうきを片手に廊下を走り、階段を駆け下り、靴に履き替えて校舎裏を目指した。 「こらっ!あんたたち!花壇からどきなさいよ!」 咲は花壇に腰を下ろしている上級生男子の後頭部に、いきなりほうきを振り下ろした。 そして(あ、ちょっとやばいかも)と思った。 「あーっ?なんだてめーわ」 この頃から全国的に社会問題になっていた公立小学校の学級崩壊。 咲の母校においても六年のクラスを学級崩壊させていた男子グループ。そのリーダー格であるひときわ体格の良い少年だ。その彼が、下級生女子にいきなりほうきではたかれてこめかみを痙攣させるほど激怒していることに気づいたのだ。 「XXさんになにしやがんだよ。このアマ」 「こいつ五年の学級委員の女ですよ」 子分格の二人が口々に言った。 内心の怯えを押し隠して、上級生男子三人を相手に咲は胸を張った。 「ここは花壇!そこからどきなさいって言ってるの!聞こえてるの?」 いきなり頬を殴られた。 (え?!) 小学校の男子生徒はおろか父親にも手をあげられた経験の無い咲には、何が起こったのか理解できなかった。 尻餅をついた。口の中が切れて血の味がした。拳で、ぐーで殴られたことに初めて気づいて、咲は呆然とした。 そして続けざまに拳を振るわれ、肩口を蹴り上げられてひっくりかえった。 「ちょ、ちょっと、やめてよお!」 自分の口からこんな弱々しい悲鳴が出ることに、咲は驚いた。 ほうきを振り下ろしたのが、キレて暴力をふるいはじめると男女の見境すらつかなくなるタイプの少年だったことが咲の不幸だった。 美容院でカットし毎晩リンスしている髪を鷲づかみにされて、犬のように引き回された。信じられないほどの屈辱感で頭に血が昇った。なぜ自分がこんな目にあわねばならないのか、理不尽さに涙が出た。助けを求めて視線をさまよわせても、校舎裏には人気は無かった。 (いたいっ。こわいよっ。こんなのやだよっ) 「五年のくせに生意気だよ。おまえ」 「こら、XXさんに謝れよバカ女」 子分が口々に囃したてた。 「ごめんなさい。わ?」 リーダー格がさらに髪の毛をねじりあげて理不尽な謝罪を要求した。艶のある栗色の髪がブチブチとまとめて抜けた。 (ちくしょう。ちくしょう。くやしいよっ) 瞳いっぱいにたまった涙が、頬に流れた。 「ごめんなさい。わ?」 「…………」 「ごめんなさい。わ?」 「……ご……」 それまでの十一年間、ひたすら誇り高く、何の心の闇も無く、日の当たる場所だけをまっすぐ生きてきた咲の魂が、穢されそうになった瞬間だった。 子分の一人がいきなり吹っ飛んだ。誰かに突き飛ばされたのだ。 「咲ちゃんを放せ」 幼馴染の咲もはじめてみる、冷たい瞳の高坂がそこにいた。 「コーサカ……」 「今度はなんなんだよ。このボーズ頭わ」 リーダー格がイラついた口調で言った。 「こいつ五年の高坂ですよ。結構強いって話です」 子分が耳打ちした。 「へーなに、おめーオンナ助けに来たわけ?カッコイイね」 リーダー格がせせら笑った。 「咲ちゃんを放せ」 高坂が繰り返した。 リーダー格は鷲づかみにしていた咲の髪の毛から手を離し、身構えた。 「咲ちゃんを殴ったな」 高坂は拳を握り締めた。 「何?オレって悪役?悪役なの?」 おどけるリーダー格を無視して、高坂は咲に微笑んだ。咲の知るあの優しい笑顔だった。 「咲ちゃん。逃げて」 「え?」 「早く逃げて」 「でも、コーサカは……」 「ぼくはいいから。咲ちゃんは早く逃げて」 「おまえボーズ頭でヒーローのつもり?バカじゃねーの?アニメの見過ぎなんだよおめーわ」 六年生三人と、五年生一人の乱闘がはじまった。 「ごめん!ごめんね!コーサカ!」 泣きながら、咲は校舎裏を走り出た。 女の子に間違えられるような女顔だからこそ、高坂が必要以上に男らしさにこだわっている少年だということを咲は知っていた。それだけが彼にとって男の子である証明だからだ。 それを知る程度には幼馴染として、咲は高坂の内面を理解していた。 職員室に飛び込み、学級委員としての信用で体育教師を引っ張り出して校舎裏に戻るのに一〇分弱かかった。 体育教師の怒号に六年生三人は逃げ散り、地面に仰向けになった高坂だけが残されていた。顔を腫らして空を見ていた。 「ははは。男の子なら喧嘩のひとつやふたつはしないとな。保健室行けよー」 古い体育会系体質を気取っているだけの体育教師は、時間と手間のかかる生徒指導の面倒を無責任に回避して、そのまま立ち去った。学級崩壊が発生するような公立小学校の教諭の、ある意味典型だった。 「コーサカ……」 「ごめん咲ちゃん。負けちゃった」 手ひどく痛めつけられた幼馴染の顔を見つめて、咲は涙を流した。 自分より長く濃い睫毛に縁取られた、ひそかに妬ましく思っていたぱっちりした目は青黒く腫れ上がり、形の良い鼻梁から鼻血を流していた。色白の肌のあちこちが内出血していた。 「ごめんね。ごめんね。ごめんね。コーサカ」 泣きじゃくりながら咲は幼馴染にしがみついた。それは小学校高学年になってからは封印していた幼い頃の行動だった。高坂はその体を優しく抱き返し、「大丈夫だよ。咲ちゃん」といつもの口調でささやいた。 そして続けた。 「負けちゃったけど、でももうあいつらの動きは見切ったから。次は負けないよ」 「……バカ」 咲は呆れた口調でつぶやいて、幼馴染の肩で涙を拭いた。 下校のチャイムが鳴りはじめていた。 「転校?!」 「うん。転勤で引っ越すから、六年の春からは別の学校に通うことになったんだ」 「なんで……そんな……急に……」 五年生終業式の放課後だった。その後何度か高坂と喧嘩していたらしい六年生グループも卒業して学校からいなくなり、咲も安心しつつ『高坂に守ってもらっている』という被保護者意識をようやく下ろした直後のことだ。 いつまでも一緒だと思っていた腐れ縁の幼馴染が、春にはいなくなってしまうと言うのだ。 「なんでそんな大事なこと、もっと早く言わないのよ!」 校舎裏以来の涙が出た。 「ごめんね。咲ちゃん。でもこのことを言ったら、咲ちゃん悲しむから。転校まで悲しんで暮らすから。咲ちゃんは、明るくて元気でまっすぐな女の子じゃないとだめだから」 「わ、わたしは悲しんでなんかいない!バカコーサカ!」 赤面しながら涙をぬぐって、咲は声を荒げた。 「ぼくは悲しいよ。ほんとうに悲しい」 高坂は真顔で言った。 「ぼくは子供で、子供ってほんとうに悲しいな。テレビは一日三〇分まで。ゲームは一日三〇分まで。どんなに好きなアニメでも、どんなに好きなゲームでも一日三〇分までなんだ。 そして大人の都合で転校もしなきゃならない。どんなに好きな女の子とも、遠く離れなきゃいけない。 ぼくははやく大人になりたいな。大人になれば、いつでも好きな時に、好きな時間だけアニメを見たりゲームをしたりできるから。そして好きな女の子とも、いつまでも一緒にいることができるんだから」 高坂がこれほど長いセンテンスを話すことは珍しい。咲は半ばおどろきながらこたえた。 「バカねコーサカは。アニメ見たりゲームしたりするのは子供だけだよ。大人になったらアニメ見たりゲームしたりしないのよ」 「してる人もいるよー」 「そういう大人は、オタク。って言うのよ。コーサカはオタクになるつもりなの?」 「うーん。そうかも」 「オタクは女の子にもてないし、彼女もできないのよ。わたしも相手にしてあげないよ」 「えー。困ったな」 苦笑いする高坂に、今度は咲が真顔で問いかけた。 「ねえコーサカ。コーサカはわたしのことが好きなの?コーサカが好きで、いつまでも一緒にいたいけど、離れなきゃいけない女の子って、わたしのことなの?」 「うん。咲ちゃんのことだよ」 「ほんと?」 「ぼくは咲ちゃんのことが大好きだよ」 その返答に咲の表情が崩れそうになった。また泣きじゃくってしがみつきそうになるのを懸命にこらえた。 「ずっと咲ちゃんと一緒にいたかったよ。六年生も。そして同じ中学に行って、同じ高校に入って、大学も同じところに行って、そしてそれからもずっと一緒にいられたらよかったよ」 「コーサカ、目を瞑って」 咲は幼馴染に命令した。 「え?」 「目を瞑ってって言ってるの」 「うん」 幼馴染は素直に言うことを聞いた。 春日部咲は十一歳のあどけない顔を真っ赤に紅潮させて、高坂真琴の唇に近づけ、優しく触れるようにくちづけた。 「咲ちゃん」 高坂は驚いたように瞳を大きく見開いて、うれしそうに微笑んだ。 「いいコーサカ?これはわたしのはじめてなんだから。はじめてをあげたんだから。だから、絶対わたしのことを忘れちゃだめだよ。絶対だよ」 「うん。ぼくは咲ちゃんのことを忘れたりはしないよ」 「さよならっ!」 恥ずかしさと悲しさがどうしようもなく溢れ出して、咲は身をひるがえした。教室から飛び出して、そのまま通学路を駆け、家に帰って部屋にこもって大声で泣いた。それが二人の別れだった。 そして春日部咲と高坂真琴が再会するのに、その後七年の月日が必要だった。 「……あっ」 「ごめん咲ちゃん。おこしちゃった?」 「大丈夫。ごめんね勝手に部屋に入って寝てて。会社、今日はもう良いの?」 「うん。プシュケの方は作業が一段落して、二三日は出社しなくてもいいって言われたんだ。帰ってきたよ」 「おかえりなさい。コーサカ」 「ただいま。咲ちゃん」 「ベッド……来てくれるんだ……ゲームとかしないの?ひさしぶりに帰ってきたんだから、ゆっくり遊んでてもいいんだよ」 「ううん。いまは、咲ちゃんと一緒にいたいんだ」 「ふふ。ねえ、コーサカ」 「なあに咲ちゃん」 「わたし、夢を見てたよ」 「どんな夢?」 「昔の夢。恥ずかしくってとても言えない思い出。ねえ、コーサカ」 「なあに咲ちゃん」 「コーサカは、運命って信じてる?」
*咲&高坂 小学校篇 【投稿日 2005/10/17】 **[[カテゴリー-その他>http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/52.html]] 小学校高学年女子。 この狭い社会でリーダーシップを発揮して女の子の集団を支配するのは、いつだって人一倍美しく、気が強く、成績が良く、人付き合いや家庭環境に問題が無く、同性への面倒見が良い、そんなタイプの子だ。 五年一組学級委員の春日部咲もそんな女の子だった。 「こらーっ!男子ーっ!」 この年頃特有の高く澄んだ声を張りあげて、ほうきを振りかざす。 「やべ、春日部だ!」 「こええ!ぶんなぐられっぞ!」 放課後の掃除をさぼって遊びほうけていた男の子の集団が、蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。 教室に残されたのは仁王立ちになってほうきを握りしめた春日部咲と、一人黙々と雑巾がけをする坊主頭の男の子だ。 春日部咲は意味も無く、その坊主頭をほうきの柄で小突いた。 「痛いよ。咲ちゃん」 「咲ちゃん。じゃ無いよ!春日部さん。って呼びなさいよコーサカ!」 「でも昔から咲ちゃんって呼んでたじゃない」 「それは幼稚園のころでしょ!家がちょっと近所だからってなれなれしくするつもり?やーらしー」 「だって咲ちゃんは咲ちゃんだから」 「だーかーらーそういうのがやらしーって言ってんでしょ!いい?!さぼってる男子の分も、あんたの責任で全部掃除しといてよ。そうじゃなきゃ学級委員のあたしの責任になるんだからね」 「うん」 「相変わらずボケっとしてグズなんだから!コーサカは!」 咲は憎まれ口を叩いて教室を後にした。 恒例の腹いせの高坂イジメをみかねて、メガネの女子がおそるおそる声をかけた。 「春日部さん……高坂クンちょっとかわいそうじゃない?」 「なんにもかわいそうじゃないよ。あんなヤツ」 「だって高坂クン、スポーツ万能だし。女子に優しいし。よく見るとすごくかわいい顔してるのに。かわいそうだよ」 「はぁ?あのボーズ頭が?目ぇおかしいよ」 口では呆れたように否定しつつも、咲は幼馴染の高坂真琴が尋常で無く整った顔の造りをしていることは知っていた。 幼稚園のころは、二人揃うとお人形さんが並んだようだと言われた。今の高坂がわざわざ坊主頭に刈り上げているのも、髪を伸ばせば女の子に間違えられてしまうほどの美形だからだ。 女顔の彼が「オンナ男」と呼ばれてイジメのターゲットになったり、下手をすると変質者の標的になったりしかねないと両親が危惧したのだ。 そんな両親の配慮もあって、高坂はすくすくと育っていた。成績も悪くなく、運動も大の得意。この年頃の男の子集団において最も尊敬される「ゲーム名人」の座も獲得していた。 だが小学校高学年の男の子として健全に成長していくことは、同時に、昔は仲の良かった咲との間に距離と壁が出来ていくことも意味した。マイペースな高坂自身はあまり気にしなくとも、咲と周囲が過剰に意識した。それは思春期の必然だった。 「ボーズ頭で、親が買ってきた安物の服しか着ないで、いっつもボケっとしてる、あーんなヤツのどこがいいのかしらねー。まったく。あんなのガキよガキ」 同年代の男の子の幼稚さを激しくこき下ろすのも、女の子の成長の一過程だった。 「春日部さんっ。大変っ!」 おさげのクラスメートが息を切らしながら廊下に走りこんで来た。 「どうしたの?○○ちゃん?」 「大変なの!クラスで花を植えた校舎裏の花壇の上で、六年の男子が遊んでるの!お花が枯れちゃう!」 「センセイは?」 「探してるけど、いないの」 「わかった。すぐ行くね。○○ちゃんはセンセイを探してきて」 「うん」 気が強く、誰に対しても物怖じせず、面倒見が良い咲は、こんな時一番頼りにされる存在だ。 咲はほうきを片手に廊下を走り、階段を駆け下り、靴に履き替えて校舎裏を目指した。 「こらっ!あんたたち!花壇からどきなさいよ!」 咲は花壇に腰を下ろしている上級生男子の後頭部に、いきなりほうきを振り下ろした。 そして(あ、ちょっとやばいかも)と思った。 「あーっ?なんだてめーわ」 この頃から全国的に社会問題になっていた公立小学校の学級崩壊。 咲の母校においても六年のクラスを学級崩壊させていた男子グループ。そのリーダー格であるひときわ体格の良い少年だ。その彼が、下級生女子にいきなりほうきではたかれてこめかみを痙攣させるほど激怒していることに気づいたのだ。 「XXさんになにしやがんだよ。このアマ」 「こいつ五年の学級委員の女ですよ」 子分格の二人が口々に言った。 内心の怯えを押し隠して、上級生男子三人を相手に咲は胸を張った。 「ここは花壇!そこからどきなさいって言ってるの!聞こえてるの?」 いきなり頬を殴られた。 (え?!) 小学校の男子生徒はおろか父親にも手をあげられた経験の無い咲には、何が起こったのか理解できなかった。 尻餅をついた。口の中が切れて血の味がした。拳で、ぐーで殴られたことに初めて気づいて、咲は呆然とした。 そして続けざまに拳を振るわれ、肩口を蹴り上げられてひっくりかえった。 「ちょ、ちょっと、やめてよお!」 自分の口からこんな弱々しい悲鳴が出ることに、咲は驚いた。 ほうきを振り下ろしたのが、キレて暴力をふるいはじめると男女の見境すらつかなくなるタイプの少年だったことが咲の不幸だった。 美容院でカットし毎晩リンスしている髪を鷲づかみにされて、犬のように引き回された。信じられないほどの屈辱感で頭に血が昇った。なぜ自分がこんな目にあわねばならないのか、理不尽さに涙が出た。助けを求めて視線をさまよわせても、校舎裏には人気は無かった。 (いたいっ。こわいよっ。こんなのやだよっ) 「五年のくせに生意気だよ。おまえ」 「こら、XXさんに謝れよバカ女」 子分が口々に囃したてた。 「ごめんなさい。わ?」 リーダー格がさらに髪の毛をねじりあげて理不尽な謝罪を要求した。艶のある栗色の髪がブチブチとまとめて抜けた。 (ちくしょう。ちくしょう。くやしいよっ) 瞳いっぱいにたまった涙が、頬に流れた。 「ごめんなさい。わ?」 「…………」 「ごめんなさい。わ?」 「……ご……」 それまでの十一年間、ひたすら誇り高く、何の心の闇も無く、日の当たる場所だけをまっすぐ生きてきた咲の魂が、穢されそうになった瞬間だった。 子分の一人がいきなり吹っ飛んだ。誰かに突き飛ばされたのだ。 「咲ちゃんを放せ」 幼馴染の咲もはじめてみる、冷たい瞳の高坂がそこにいた。 「コーサカ……」 「今度はなんなんだよ。このボーズ頭わ」 リーダー格がイラついた口調で言った。 「こいつ五年の高坂ですよ。結構強いって話です」 子分が耳打ちした。 「へーなに、おめーオンナ助けに来たわけ?カッコイイね」 リーダー格がせせら笑った。 「咲ちゃんを放せ」 高坂が繰り返した。 リーダー格は鷲づかみにしていた咲の髪の毛から手を離し、身構えた。 「咲ちゃんを殴ったな」 高坂は拳を握り締めた。 「何?オレって悪役?悪役なの?」 おどけるリーダー格を無視して、高坂は咲に微笑んだ。咲の知るあの優しい笑顔だった。 「咲ちゃん。逃げて」 「え?」 「早く逃げて」 「でも、コーサカは……」 「ぼくはいいから。咲ちゃんは早く逃げて」 「おまえボーズ頭でヒーローのつもり?バカじゃねーの?アニメの見過ぎなんだよおめーわ」 六年生三人と、五年生一人の乱闘がはじまった。 「ごめん!ごめんね!コーサカ!」 泣きながら、咲は校舎裏を走り出た。 女の子に間違えられるような女顔だからこそ、高坂が必要以上に男らしさにこだわっている少年だということを咲は知っていた。それだけが彼にとって男の子である証明だからだ。 それを知る程度には幼馴染として、咲は高坂の内面を理解していた。 職員室に飛び込み、学級委員としての信用で体育教師を引っ張り出して校舎裏に戻るのに一〇分弱かかった。 体育教師の怒号に六年生三人は逃げ散り、地面に仰向けになった高坂だけが残されていた。顔を腫らして空を見ていた。 「ははは。男の子なら喧嘩のひとつやふたつはしないとな。保健室行けよー」 古い体育会系体質を気取っているだけの体育教師は、時間と手間のかかる生徒指導の面倒を無責任に回避して、そのまま立ち去った。学級崩壊が発生するような公立小学校の教諭の、ある意味典型だった。 「コーサカ……」 「ごめん咲ちゃん。負けちゃった」 手ひどく痛めつけられた幼馴染の顔を見つめて、咲は涙を流した。 自分より長く濃い睫毛に縁取られた、ひそかに妬ましく思っていたぱっちりした目は青黒く腫れ上がり、形の良い鼻梁から鼻血を流していた。色白の肌のあちこちが内出血していた。 「ごめんね。ごめんね。ごめんね。コーサカ」 泣きじゃくりながら咲は幼馴染にしがみついた。それは小学校高学年になってからは封印していた幼い頃の行動だった。高坂はその体を優しく抱き返し、「大丈夫だよ。咲ちゃん」といつもの口調でささやいた。 そして続けた。 「負けちゃったけど、でももうあいつらの動きは見切ったから。次は負けないよ」 「……バカ」 咲は呆れた口調でつぶやいて、幼馴染の肩で涙を拭いた。 下校のチャイムが鳴りはじめていた。 「転校?!」 「うん。転勤で引っ越すから、六年の春からは別の学校に通うことになったんだ」 「なんで……そんな……急に……」 五年生終業式の放課後だった。その後何度か高坂と喧嘩していたらしい六年生グループも卒業して学校からいなくなり、咲も安心しつつ『高坂に守ってもらっている』という被保護者意識をようやく下ろした直後のことだ。 いつまでも一緒だと思っていた腐れ縁の幼馴染が、春にはいなくなってしまうと言うのだ。 「なんでそんな大事なこと、もっと早く言わないのよ!」 校舎裏以来の涙が出た。 「ごめんね。咲ちゃん。でもこのことを言ったら、咲ちゃん悲しむから。転校まで悲しんで暮らすから。咲ちゃんは、明るくて元気でまっすぐな女の子じゃないとだめだから」 「わ、わたしは悲しんでなんかいない!バカコーサカ!」 赤面しながら涙をぬぐって、咲は声を荒げた。 「ぼくは悲しいよ。ほんとうに悲しい」 高坂は真顔で言った。 「ぼくは子供で、子供ってほんとうに悲しいな。テレビは一日三〇分まで。ゲームは一日三〇分まで。どんなに好きなアニメでも、どんなに好きなゲームでも一日三〇分までなんだ。 そして大人の都合で転校もしなきゃならない。どんなに好きな女の子とも、遠く離れなきゃいけない。 ぼくははやく大人になりたいな。大人になれば、いつでも好きな時に、好きな時間だけアニメを見たりゲームをしたりできるから。そして好きな女の子とも、いつまでも一緒にいることができるんだから」 高坂がこれほど長いセンテンスを話すことは珍しい。咲は半ばおどろきながらこたえた。 「バカねコーサカは。アニメ見たりゲームしたりするのは子供だけだよ。大人になったらアニメ見たりゲームしたりしないのよ」 「してる人もいるよー」 「そういう大人は、オタク。って言うのよ。コーサカはオタクになるつもりなの?」 「うーん。そうかも」 「オタクは女の子にもてないし、彼女もできないのよ。わたしも相手にしてあげないよ」 「えー。困ったな」 苦笑いする高坂に、今度は咲が真顔で問いかけた。 「ねえコーサカ。コーサカはわたしのことが好きなの?コーサカが好きで、いつまでも一緒にいたいけど、離れなきゃいけない女の子って、わたしのことなの?」 「うん。咲ちゃんのことだよ」 「ほんと?」 「ぼくは咲ちゃんのことが大好きだよ」 その返答に咲の表情が崩れそうになった。また泣きじゃくってしがみつきそうになるのを懸命にこらえた。 「ずっと咲ちゃんと一緒にいたかったよ。六年生も。そして同じ中学に行って、同じ高校に入って、大学も同じところに行って、そしてそれからもずっと一緒にいられたらよかったよ」 「コーサカ、目を瞑って」 咲は幼馴染に命令した。 「え?」 「目を瞑ってって言ってるの」 「うん」 幼馴染は素直に言うことを聞いた。 春日部咲は十一歳のあどけない顔を真っ赤に紅潮させて、高坂真琴の唇に近づけ、優しく触れるようにくちづけた。 「咲ちゃん」 高坂は驚いたように瞳を大きく見開いて、うれしそうに微笑んだ。 「いいコーサカ?これはわたしのはじめてなんだから。はじめてをあげたんだから。だから、絶対わたしのことを忘れちゃだめだよ。絶対だよ」 「うん。ぼくは咲ちゃんのことを忘れたりはしないよ」 「さよならっ!」 恥ずかしさと悲しさがどうしようもなく溢れ出して、咲は身をひるがえした。教室から飛び出して、そのまま通学路を駆け、家に帰って部屋にこもって大声で泣いた。それが二人の別れだった。 そして春日部咲と高坂真琴が再会するのに、その後七年の月日が必要だった。 「……あっ」 「ごめん咲ちゃん。おこしちゃった?」 「大丈夫。ごめんね勝手に部屋に入って寝てて。会社、今日はもう良いの?」 「うん。プシュケの方は作業が一段落して、二三日は出社しなくてもいいって言われたんだ。帰ってきたよ」 「おかえりなさい。コーサカ」 「ただいま。咲ちゃん」 「ベッド……来てくれるんだ……ゲームとかしないの?ひさしぶりに帰ってきたんだから、ゆっくり遊んでてもいいんだよ」 「ううん。いまは、咲ちゃんと一緒にいたいんだ」 「ふふ。ねえ、コーサカ」 「なあに咲ちゃん」 「わたし、夢を見てたよ」 「どんな夢?」 「昔の夢。恥ずかしくってとても言えない思い出。ねえ、コーサカ」 「なあに咲ちゃん」 「コーサカは、運命って信じてる?」

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