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アルエ・第五話 - (2006/07/30 (日) 02:28:08) の最新版との変更点

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*アルエ・第四話 【投稿日 2006/07/01】 **[[アルエ]] 朝 7:35 「ええ、さっき駅に着いて、今、一般行列の横、通ってます。ハルコさん達この中ですか?」 「そー。今、立ってるけど、そっちから見えないかな?」 「……いやあ、見えないですね。ハルコさん達は先に買い物するんですよね?」 「ぅ、うーん…。だからそっちのサークルスペース行くのは昼頃」 そこで大野がハルコの手から携帯を引っ手繰った。 「いいえ! ハルコさん、田中さん、私は着替えたら”スグ”行きますので。買い物は荻上さん”だけ”です」 言うだけ言って、大野は喜色満面でハルコに携帯を差し出した。荻上にふふんと鼻を鳴らして。 荻上はムッツリしてキャップを深く被り直す。 苦い顔でハルコは携帯を受け取った。 「……じゃ、そっちヨロシク…」 「……はい、じゃ、後ほど」 笹原はハルコの心中を慮って苦笑いを漏らした。しかし、裏腹に胸は高鳴る。 目の前に巨大なモニュメントの如き建造物が迫るにつれて、そのボルテージは確実に上がっていく。 「楽しみだねー」 真琴が携帯をしまい込む笹原を見ながら行った。 朽木は既に尋常ならざるシチュエーションに浮き足立っているが、真琴はいつもの笑顔で余裕がありそう。 やはりサークル入場に真琴を入れたのは正解だ。 「そうだねー」 「どっちが?」 「ふえっ?」 喉から素っ頓狂な音が飛び出して、笹原は言葉に詰まった。どっちがって…、どれとどれが? 真琴は無邪気に笑ったまま、 「どっちも楽しみだねー」 「ははは…」 笹原も合わせて笑った。 真琴はそのまま、朽木と話しながらすたすたと歩いていく。 笹原は息を整えつつ、真琴の後姿をじっと見つめた。 どっちって、当然、片っぽはサークル参加で、もう片っぽは…。 笹原は自分の胸の中だけにある答えを確かめる。そこには、確かに今日もう一つの楽しみなことがあった。 自分でも、それを楽しみだと確認することを無意識に避けていた楽しみ。 笹原は真琴の背中を見ながら思った。 やっぱりそうなのかなあ。女の子って、そういうこと本人以上に鋭いものなんだなあ。 楽しみは今、一般参加の列の中に紛れていた。 「ちょっといいですかネ…」 小さく手を上げてハルコは尋ねる。 大野は喜びに堪えない顔をしていて、田中は眉をひそめて汗をかいていた。 その汗の成分の半分は反省か申し訳なさで出来ているのかもしれない。 「今日…、マジでやるの…?」 「マジです!」 「でもぉ~…、サイズ測っただけで…、どんなコスするのか全然聞いてないんですけどネ…」 「心配ありません。ハルコさんは身を任せてくれればOKです」 「それが心配だっつってんだよ…。あれだよね…、親が泣くような衣装ではないのですよね?」 「むしろ親さえ感涙にむせび泣くこと請け合いです!」 言下に断言した大野であったが、その後、口に手を当ててニヒヒ笑いをしている姿を見るにつけ、 ハルコの不安はいやが上にも高まるばかりだった。 「大丈夫なんでしょうね…、こんな場所でトラウマ背負い込みたくないんだけど…」 「今日のフェスティバルに相応しい衣装ですよ。ねー田中さん」 語尾に『はぁと』とルンルンがつきそうな勢いの大野に、田中はお手製の作り笑顔を向けていた。 「そーだね…」 荻上が呆れ顔で指摘する。 「田中さん、目が死んでますよ」 「Shut up! コスプレ班でない人は黙ってて下さい」 「私…、いつの間にそんな班に入れられてたの…」 ハルコは溜息を漏らしたが、まあ、良しとした。 現視研初サークル参加のコミフェスにハルコもテンションのギアが一つ高かったのだ。 ともあれ、こうして『コミックフェスティバル 2004夏』3日目の朝を迎えた。 梱包を解いた先にはスカートを摘み上げる幼女会長のお姿が美麗に印刷されていた。 まるで初めて同人誌を手にしたような(というのは感動的なようで全然そうじゃない表現だが)気持ちで 笹原はじっとその会長を隅から隅まで見つめ尽くした。 ページをめくる。 「うわ……」 本当に自分達が描いたマンガが印刷されている。 「わーわーわー……」 本物の、本物の自分達が作った同人誌だ。 「いい出来だね。印刷ミスも無し」 忘我の心地であった笹原とは別に、真琴は落ち着を払っている。 地獄の一週間を経験していないからかもしれないが、これは真琴の元来の性格のせいだろう。 「じゃ保存用に……、20冊だっけ? 抜いとこう。それと提出用の本に見本誌票を貼んないと」 「あ、そーだね」 テキパキと段取りを進める真琴に引っ張られて笹原も設営の作業に移る。 今日はこれからが本番。まだまだこんなところで浸っている場合ではなかった。 さすが高坂さん、頼りになります。 設営が終わったスペースを前に、 「どう?」 「いい感じ、いい感じ」 特に派手なわけではないが、ま、こんなものだろう。 本が二段に詰まれ、表紙絵を流用したポップ。なかなか様になっているんじゃなかろうか。 「や」 「あ、高柳さん」 肩にタオルを掛けた高柳がやってきた。片手には同人誌を持っている。 恐らく漫研発行の新刊だろう。 「お~~、出来てるじゃない。いーねぇ」 「おかげ様で…」 笹原はいろいろな意味を込めてその言葉を言った。 この人には本当にいろいろ迷惑を掛けてしまった。主に春日部君が。 「その節は、本当に申し訳ございませんでした」 「まー、いーって…。俺も忘れたいし…。これ、ウチの新刊ね、とりあえず一冊」 いい人だなあ、高柳さん。 笹原はそっと高柳の幸福を願いつつ、同人誌を卒業証書を受領するような手つきで受け取った。 「あっ……、はい。じゃウチも一冊」 『ウチも一冊』っと言うのは、何だかゾクっときた。 そう、これはウチの同人誌なのだ。まだちょっと照れが入るが。 「ありがと。あっ、そうだ…」 そこで高柳は、また見慣れた表情をした。高柳の代名詞的な不表情である困り顔である。 ジト汗に押されるように眉尻が下がっていた。 「ハラグーロ来てるらしいから、気をつけてね」 「えっ……漫研のチケットで入ったんですか?」 「いや、大手サークルかどっかから入手したみたいね」 うわー、と思わず笹原は声を漏らした。あの人が絡むと本当にロクなことが無い。 ぜひ顔を出して欲しくない相手なのだが、いざ来たらどうしようか。 外にハルコも来ていることが脳裏を掠める。それと、今日は春日部が居ないことも。 今日は楽しい思い出になると決めてかかっていたというのに、まったく、出ばなを挫かれた。 「春日部君が居ないってのは、不幸中の幸いですかね…」 笹原は呟くように声を漏らす。気付けば高柳と同じ顔になっていた。 「あー、聞いたソレ…。正直スッとしたよ。……じゃーもう、みんな知ってんだ?」 高柳が訊いたのは、当然ハルコと原口の因縁のことだ。 ハルコが原口のせいで蒙った迷惑といったほうが正確かもしれない。 「ええ、まぁ、田中さん達から…」 高柳はまた眉尻を下げた。 「今日、斑目も来てんだよね…。顔合わさなきゃいいけどなあ…」 と、そこまでは真面目に心配そうにしていたのだが、急に何やら少しばかり恥かしげに高柳は頬を染めた。 そして真琴をちょっと気にする素振りをみせて、笹原に顔を近づける。 「斑目、コスプレするって言ってたけど、そーなの?」 んん? 「えぇ…。大野さんと一緒にコスプレで売り子さんしてもらう予定ですけど…」 「やっぱくじアンキャラ? 誰?」 「いや、知んねっす…」 「はぁ~~~、なんだろね…、目覚めたの?」 「いやぁ…、半ば無理矢理ですよ」 「まーそんなとこか…。じゃ、俺、自分のとこ戻るよ…。んじゃまた後で…」 「どーもー…」 笹原は高柳をいやに細い目で見送った。 横で真琴が笑顔でその光景を見守っていた。 「あ、そうだ。後で原口さん関係で断った人達にあいさつ行っといた方がいいかもね」 「あー……、そうかなぁ……」 笹原は生返事を返すのみだ。 幸いなことに、原口が現視研の売り場に顔を出すことは無かった。 今のところは。 10:00 会場にアナウンスが流れる。 『だだいまより、コミックフェスティバル2004夏 3日目を開催いたします』 「あれ…、大野先輩達はまだ来てないんですか…?」 意外なことにスペースに最初に現れた現視研メンバーは荻上だった。 笹原たちの予想では大野さん達が来るもの思っていたのだが。 荻上は夏らしいノースーブに、首にアクセサリーまで付けていて、それまた意外だった。 「どうですか、売り上げの方は…」 「ま、ボチボチかな。あっちから回って入って」 荻上は裏に回ると早速本を手に取った。 「あ、やっぱり気になった?」 「ええ……、一応自分も描いてますから」 荻上は刷り上った『いろはごっこ』を少し離して眺めると、笹原たちの目を避けるように背中を向けて目を通した。 「どう?」 笹原が尋ねる。 「まー…、いいんじゃないですか? 男性向けなんで、本当にこれでいいのかどうか微妙ですけど…」 荻上はそっと紙袋に本を戻す。 「でも、いざ本になると、感慨深いものがあるよね~~」 笹原は立ったまま肩越しに話しかけている。 荻上は二の腕を隠すように腕を擦っていた。 「まあ…、そうですね…。少しは……」 少し恥かしそうに笹原には見えた。 荻上が顔を上げると、目の前に笹原の背中がある。 それを見ていると、荻上の口は会話を求めているみたいに、むずむずと疼いた。 「……立ってやってるんですか?」 「ん?」 笹原が振り向いて、荻上はまた周囲に視線を逸らす。 「そっちの方が目立つかなって、高坂さんのアイデア」 「あー…、なるほど…」 また笹原が前を向く。また口がむずむずして、荻上は唇をこじる。 えーと…、何かねぇがな…。何か…、出来るだけどーでもいいやつ……、えーと…。 「大野さんたちは?」 荻上の筆が跳ね上がる。笹原に先に越されてしまった。 「入場で、別れたきりです…」 「へー、二人ともだから、時間くってんのかな?」 「あー…、そうかもしんないすね…」 「うん……」 「はい……」 「………………そっか」 笹原は、前を向いてしまった。ちょっと苦笑気味だった。 うーん、と荻上はまんじりともしない表情で背中を見つめる。 あ、お客だ。 「1部下さい」 「ありがとうございまーす」 笹原は子供のような顔で嬉しそうにお釣りを渡す。 荻上は少しだけそれを見つめて、またうーんと二の腕を擦った。 会話が続かない。まー、話すことがない以上、続かないのもむべなるかな。 どこかに話の取っ掛かりはないものだろうか? 荻上は一度はしまった同人誌を取り出して、パラパラとめくった。 そこは荻上と笹原が一緒に過ごした時間がたっぷりと詰まっていた。 くじアンの話にしようか、同人誌の話でもしてみようか。 久我山を含めて三人で缶詰した話はどうだろう。 私は途中で帰って自分の家で寝たけど、笹原さん達は毎日どんな風に朝を迎えたんだろう。 荻上は、小さく笑った。 別にわざわざ探すまでもない。もうみんなで一緒に過ごした時間がこんなにもあったんだから。 「同人誌、出せてよかったですよね」 「ん? ああ、本当、一時はどうなることかと思ったけどねー」 笹原は笑顔が堪え切れないような、そんな笑顔をしている。 荻上もつられて顔を崩しそうになって、キャップの鍔を深く引いた。 「もー、本見た瞬間に走馬灯が駆け巡ったよ」 「それ笑えないですよ」 荻上は苦笑していたが、心は弾むように軽かった。 こんな気持ちは、もうずっとずっと感じたことがなかった。楽しいと思った。 「でも、荻上さんには悪かったなあって思うんだよね」 笹原は通路を通る人を気にしながら、弱り顔を荻上に向けた。 「本当はもっと俺がちゃんとしなきゃいけなかったのにさぁ。結局シワ寄せいっちゃったし」 荻上は胸の奥がギュと鳴くのを聞いた。 頭にある光景が浮かぶ。 自分に掌を広げて精一杯強がった顔をしている笹原。そしてしたり顔でフォローをする春日部の顔。 『【女の子】だから負担かけないように』 その言葉が耳に木霊していた。 笹原は喋り続けている。 「ほら、だって荻上さんは…」 荻上は笹原を見上げる。顔が噴火しそうなほど赤く火照っている。それに気付いて慌てて顔をあさってに向けた。 いっそ何も聞こえないように、大声でも出してしまいたかった。 次に笹原の口から出る言葉を、聞きたいのか、聞きたくないのか。 今は、じっと笹原の声が耳に届くのを待っていた。 「1年生だから。いきなりいろいろやってもらうの、申し訳なくて」 「………いいっす、別に…」 がっかりなんかしてない、と荻上は自分に言った。 「どうぞご覧になって下さーい」 真琴の平べったい客引きの声が響いた。 「あ~~、スゴーイ! 本当にやってる~~!」 お昼近くになって大野率いるコスプレ班がやっと笹原たちの元へやって来た。 大野の格好はもちろん、 「お~~大野さん、副会長式典Ver.か」 「くじアン本ですからね!」 周囲の視線を集めて、コスプレした大野は実に堂々としている。 しかし、何だか妙に歩きにくそうだ。 だがそれでいて、大野は明らかにいつもより生き生きしていた。 「随分かかってたね…」 笹原は少しキョドリ気味に訊いた。 実はさっきから大野の後ろで小さくなってる影が気になっているのだ。 「あはは、ちょっと説得に時間を要しまして」 「説得じゃない…。脅迫でしょっ!」 ハルコは大野の背中に肩を丸めてしがみ付いている。頭にゴーグルが見えた。 「あ、いづみコスですか? ……あれ? でも…」 帽子じゃない。ねじり鉢巻? 「ほら! いい加減に覚悟決めて下さいっ!」 大野が勢いよく体を振り回す。 背中から追い出されたハルコはタタラを踏んでよろめき出た。両足の下駄がカランと鳴った。 壊れそうなくらい細く白い脚がホットパンツから伸びている。 対照的に真っ赤になった顔。纏った薄布の祭り半纏の合わせを自分の体を抱きしめるようにして閉じていた。 眼鏡のない瞳が、ちょっとだけ涙ぐんでいた。 「ちょ、え? それ、ええ~~~? 巻末の合作マンガのテキ屋コスじゃないすか…」 笹原は噴き出した汗と赤面を隠すように、手で覆って顔を伏せる。 でも、目はしっかりハルコの生脚に固定されてしまっていて、それが余計に恥かしく思えた。 「う~~ん、まあ、今日はお祭りだしね~…」 田中は自嘲気味に言った。が、何気に満足そうだ。仕事を終えた感を漲らせた顔をしている。 「ちょっとハルコさん。なに前を隠してるんですかっ!」 大野がさっきとは真逆に後ろからハルコに組み付いた。ハルコのこれまた細い両腕を鷲づかみにする。 「せっかく苦労して巻いたサラシが全然見えないじゃないですか!」 「いい、見えなくていいの!」 ハルコは体を丸めて必死に抵抗してる。 赤い顔をますます真っ赤にさせて、四角い駒下駄がカンカンと鳴る。 腰を落として抗う様は、まるで手篭めにされそうになるのを死力を賭して逃れようとする姿にも見え、 目の毒だ。 「ハルコさんでコスと言えば『へそ』なんですよ? ちゃんと皆に見せてあげて下さい!」 「誰が決めたのよぅ、そんなこと」 涙を溜めて抗議する表情が嗜虐心を刺激したのか、大野の悪ノリは止まらない。 「うふふ~~~、よいでわないか~、よいでわないか~……」 「ちょっと…、ほんとぅ、マジでやめて~~」 一時的に忘我の境地で大野攻め×ハルコ受けを鑑賞していた笹原だったが、 流石に周囲の皆さんの視線が痛くなってきたので止めに入った。 「ま、まあ、大野さん…、その辺で……。一応、公共の場だから……」 「むうう…。仕方ないですね。まったく意気地無しなんだから」 開放されたハルコはペタリと床に座り込んだ。それを大野が妙に勝ち誇った顔で見下ろしている。 ハルコは大野の影に怯えるように、またギュっと半纏の前を固く合わせた。 「ほら、サークルスペースの中に入りますよ。そんな所に座ってたら周りの迷惑です」 ついさっきまで周り人達の目のやり場を困らせまくらせていたくせに。 大野は愚図るハルコを手を引いて島の端へ歩いて行った。 笹原は小さく息を吐いた。 それはちょっと温度の高い溜息だった。 カメラのファインダーを覗いている田中に目をやる。 「時間が掛かってたの…は、こういうことでしたか…」 「まあねぇ…、相当ゴネてたみたいだから…」 「そんでよく着ましたね…、ハルコさん」 「まあ、それは何ちゅうか…、大野さんの力業かな…」 「力業ですか……」 あちこちに脚をぶつけながら半泣きで引っ張られているハルコと、意気揚々とした大野が 内側を回って笹原たちのサークルスペースに到着した。 荻上が呆れた表情で大野に尋ねる。 「無理矢理やらせたんですか?」 「いいえ。ただ協力を促しただけです」 得意顔の大野に、荻上はうんざりとしているのを隠さない。 それは笹原も一緒だ。正直思った。やばい、これは犯罪かもしれない。 「さあ、ハルコさん。一緒に売り子やりましょう!」 無論、大野はそんなことは露ほども気に留めていないのだ。 「え……? ほ…、ほんとにやるの……」 ハルコはソソクサと手探りでパイプ椅子を手繰り寄せて、その上でダンゴ虫みたいに丸まってしまった。 「もういいじゃん、一応着たんだから……、ね?。だからほら、眼鏡と服、返してよぅ…」 ああ、そういうことか。力業……ね。 察するに、まずハルコさんの衣服を剥ぎ取り、没収したのち、それをネタにコスプレを強要したということか。 ……エゲツない! 「ダメです」 マジで今日の大野はエゲツなかった。完全にコスプレの暗黒面に堕ちていた。 「あんまり聞き分けがないと、コスプレ会場に置き去りにしますよ?」 ひでー。 「無理矢理やらせるのは邪道じゃなかったのかよぅ…」 ハルコの至極真っ当な抗議の声が空しく響く。 「悲しいですが、これも完売のためには仕方のない犠牲なのです」 大野は一瞬、悲壮感を漂わせたが、すぐに笑顔に転じてハルコの背中をポンと叩く。 「さ、やりましょー! 売りましょー!」 ハルコは首を持ち上げてギロリと睨んだ。 「くそー、大野ぉぉぉ…。この恨み忘れんぞ…」 「ハルコさん…、そっちは荻上さんです…」 どうやら眼鏡がないと人の判別も出来ないらしい。 「うるせー笹原、お前も同罪だ! 会長なら助けなさいよ」 それは大野に向かって言った。 真琴が楽しそうに笑っている。 笹原は少し考えて、 「すいません…。完売のためには仕方のない犠牲なんです…」 と笑って誤魔化した。 本当ところは、見とれていた。 白いクレパスのように淡く光る脚を抱えて、大き過ぎる黒地に赤い鼻緒の駒下駄を揺らしている。 やや赤い膝小僧の隙間から、胸に巻かれた真っ白なサラシが小さく覗いていた。 背中を丸めて、恥かしそうに膝に顎を乗せるハルコの瞳は、眼鏡が無いことに怯えるように不安げに潤んでいる。 それは、思わず頭でも撫でてしまいそうな、そんな気持ちに笹原をさせていた。 「大丈夫ですよ、ハルコ先輩」 真琴の声に、ハルコは顔を上げる。 「とってもかわいいですよ。ね、笹原くん」 「うん…」 口から出た言葉に、笹原自身が驚いてしまった。 それは水を向けた真琴でさえ、珍しく驚きが顔に表れていたくらいだ。 荻上も、その一瞬、時間が止まったように笹原を見つめていた。 その消え去りそうな一瞬に、笹原は慌てて言葉を詰め込んだ。 「まあ……、けっこーハマってんじゃないすかね…、意外と……」 「ですよねー!」 大野の何もかもを吹き飛ばすような歓声が上がる。 「さー、立って立って! 売り子交代しますよー!」 腕を引っ張られて、ハルコはしぶしぶ立ち上がった。漸く観念したようである。 「わーったよー…。やりますよー」 入れ違いで売り場に入るときに見えたハルコのサラシ姿。ニヤケそうな口元をぐっと押し殺す。 ハルコの何も気が付いていない様子に、笹原はそっと胸を撫で下ろした。 隣で真琴が笑っている。荻上は無表情に天井を見ていた。 ハルコはもうやけっぱちのような表情で積まれた同人誌の前に棒立ちに立った。 もうどうにでもなれの心境である。 「ありがとございまーす」 目の前に人間らしき影が立つ度に、機械的に同人誌を渡していく。 相手の表情が見えないのがせめてもの救いだ。じろじろ見てられるのも、苦笑いなのも、見えなきゃ分からない。 「ありがとございまーす」 もうお客を人間とも思わずにただただ同人誌手渡しマシーンと化すことに努めるのみである。 相手は人形…、人間じゃなく、かぼちゃ同然、だたの人形。狙って売って一発で終わり……、ってか…。 「ありがとございまーす」 ありがとございまーす、と喋る自動販売機でももっと愛想が良いだろうという平板な音声で繰り返す。 いま自分がしている格好を出来るだけ考えないようにしていた。 「なんかマジで売れはじめてない?」 「うん。ハルコ先輩たちになってから急に売れはじめたねー」 聞こえない、聞こえない。 ちょっとそんな気がしないでもないけど…、そんでちょっと嬉しい気もするけど…、 考えない、考えない。無視、無視。 ハルコは朱が差した顔を隠すように仏頂面を作り、同人誌を取る、渡す、お礼を言うの動作に徹しようとする。 「ありがとございまーす」 どうせコミフェスに居るのはオタクのみ。三次元には興味が無いのだ。 落ち着け~、まだ慌てるような時間じゃない~~。 変な汗かくな、私。 「ありがとございまーす」 ふぅ…。 でも、ここに春日部君が居ないのは不幸中の幸いかも。 「ありがとございまーす」 また目の前に立った影に同人誌を差し出す。 しかし、その影は同人誌を受け取ろうとしない。それにお金を払おうともしなかった。 なんだ? 「うわ…、またそんなコスプレなんだ…」 「へっ?」 それは紛れも無く聞き覚えるのある声だった。 変な汗かくな~~~、私。 「嫌がってわりには、何だよ、ノリノリだったんじゃんか」 うーん…。まあ、大体分かってんだけどね…。 ハルコは声に出して確認してみた。 「春日部君…じゃないよ」 「あー、そっか…。眼鏡してないもんなー。へー、そんな見えないんだー」 ハルコはその時思った。 大野コロス、と。 つづく
*アルエ・第五話 【投稿日 2006/07/09】 **[[アルエ]] 「何で春日部君が来ているんですか?」 ハルコは憔悴した顔で訊いた。 「ま~ね~。口出しした手前、ほったらかしってのも無責任だから、顔ぐらい出しとこうかな~と」 春日部がカッカと笑いながら返した。 「……ぶっ、あはははははーー! せくしーーー!」 「あ、ツボ入っちゃったよ……」 大笑いする春日部にハルコはいたたまれない様子で背中を丸めていた。 そりゃ、似合ってるとは思わないけど…。そんな爆笑することないじゃないの…。 「大丈夫ですよ、ハルコさん。とってもカワイイですから。もう食べちゃいたいぐらいですぅ~」 大野がテカテカした顔を全開の笑顔で彩ってハルコを励ました。 「私はむしろお前を食い千切りたいぐらいよ……」 ハルコは大野に精一杯の不快感を込めて眼光を放つが、眼鏡無しでボヤッとした影を睨んでも ちっとも効果あるように思えず、逆に立腹が倍増された。 「いや~~ん。ハルコさん目がこわ~~い」 やっぱり全く効果が無い。 「お前の思考の方が兆倍怖いって……」 ハルコは小さく溜息をついた。もう何か疲れた。 実際、ブースに来てからずっと立ちっ放しだったので、ちょっと足が痺れてきていた。加えて精神的疲労…。 ハルコはブースの裏へ振り返る。 「ちょっと誰かこうたーい」 へっぴり腰で両手をバタバタさせてパイプ椅子を探る。 その、そこはかとなく愛らしい仕草に大野はまたも黄色い声をかけた。 「きゃああーー、かわいい! はいは~い、こっちですよ、ハルコたん」 「たんはやめろ」 不倶戴天の敵に手を引かれてハルコは椅子に腰を下ろした。 隣に座っているのは、どうも春日部君らしい。 「……へぇ」 春日部はまじまじとハルコを眺める。 「……何でショーカ?」 たとえ影の塊と言えども、それが春日部かと思うとハルコは直視できなかった。 ましてや自分はあられもない衣装を身に着けているわけで。 「どーせキモイとか言うつもりなんでしょ?」 憎まれ口を叩いて唇を尖らせていても、本当は春日部の次の言葉を知りたくて、 ハルコの意識は耳に集中していた。 「いーじゃん。似合ってんじゃね?」 ハルコの顔が一瞬で真っ赤に染まった。 「な、何か逆にヤだなーソレッ! これ似合ってるって微妙じゃない?!」 声を張り上げてハルコは気持ちを誤魔化した。実際は、ちょっとというか、かなり嬉しかったけれど。 ただ飄々とした春日部の口調だと、どこまで本気で言っているのか分からなくて、警戒してしまう。 「本当に思ってる? バカにしてない?」 「思ってる思ってる」 春日部はあははと笑って、ひょいと隣の真琴に顔を向けた。 「なー、似合ってるよなあ? 真琴もそー思だろ?」 「うん、ホント素敵ですよ」 真琴の天使のような笑みと揃えるように、春日部はハルコに笑顔を向けた。 「ほらー」 「ぇえーー?! もー真琴ちゃんも適当なこと言わないでよー!」 「本当ですよ」 真琴は赤面しているハルコに微笑む。 「ハルコ先輩、肌も真っ白で綺麗だし」 「いや~、生っちろいだけだってコレは…」 「足も細くて羨ましいなあ」 「痩せてるのと細いのは違うよ。私はただ貧相なだけだよ」 「そんなことないですよー。背ぇ高いし、スタイルいいですもん」 「もう! そんな心にもないおべっか言わなくていいんだって」 「違いますよ。ハルコ先輩は自分の魅力に気付いてないんです」 「ないない。魅力なんてないの」 「ありますあります」 などという女子同士のキャッキャウフフな様子をまったりと春日部は見物している。 (ん?) ふと笹原を見ると、何やら様子がおかしい。 笹原の目は妙に泳ぎまくりで、視線はわざとらしいぐらいに目の前のハルコから逸れている。 それでいてちょいちょい目線のヒットアンドアウェイをハルコに対して繰り返しているのだ。 (ん~~~~~~?) 春日部は、笹原の顔を見て、ニヤリと笑った。 「ササヤンはどーお?」 「はひ?」 笹原はおもむろに面食らった顔を春日部に向けた。 「いんや、似合ってると思うかい? ハルコさんのコスプレ」 「やー…、それはー…」 笹原は何でもない風に手にしていたペットボトルの蓋を開けながら、視線をあさってに向けた。 「似合ってんじゃないですか…、まあ…、ヘンじゃないですよ…」 笹原は一瞬だけハルコに目を向けて、そして天を仰ぐようにお茶を一口、喉へ流し込んだ。 (ほほう…) 春日部はまたニヤリと笑って、キラリと目を光らせた。 隣で真琴が柔らかく微笑んでいる。 ハルコは春日部たちの表情は当然分からず、 「あーもう、暑っついわー! 皆が下らないこと言うから暑くなってきた!」 大野がコスプレとセットで用意した祭り手拭いで、しきりに汗を拭いていた。 それから、大野の背中をツンツンと突付いた。 「何ですか?」 「眼鏡返して。ジュース買いに行く」 大野の眉根を寄せて、語気を強めた。 「ダメです。ジュースは荻上さんが買ってきますから」 「勝手にパシリにしないで下さい」 今度は荻上が顔をしかめた。 「まあ、別にいいっすけど」 頑張っているハルコにジュースを買ってくるのはいいのだが、大野にパシられるのは嫌らしい。 「いいって、自分で行くから。それにトイレも行っときたいから。ほら、眼鏡を出しなさい」 「むむう、そう言われては出さざるを得ませんね…」 大野は観念してカバンからティッシュに包んだ眼鏡を取り出し、ハルコに渡した。 漸く帰ってきた眼鏡をハルコは掛ける。 暫くぶりだからか、何だか異様に良く見える気がする。気がするだけだろうけど。 「おー、見える見え…」 自分の格好もよく見えた。 着替えの時は真っ先に眼鏡を盗られたので、実際に自分の姿は見ていなかった。 もちろん、頭では自分の纏っている衣装は分かっているのだが、現実に目にしてみると、 大赤面! 「てめ、大野ォォオオ!! なんちゅーもの着せてんのよっ!!!」 ハルコは大野に詰める。 が、大野は視線を逸らせて開き直った。 「おほほほほほほ。今更文句を言っても遅いのです。もう皆にばっちり見られたという事実は消せないのですよ、ハルコさん!」 などとうそぶいていやがる。 「貴様の血の色は何色だ、大野!」 「赤に決まってるじゃないですか~~、やだなあ~~。ささ、早くジュースでも何でも買いに行っては如何です? 行けるものならばね!」 くぬのうぅぅ…コスプレ魔人があああ! と、罵ったところで最早手遅れ。客にも現視研の皆にも、春日部君にも見られていたのである。 とほほ…。 「あら、行かないんですか? うふふふ……。行かないなら、荻上さんにお願いしますけど?」 「………行くわよぅ、ちくしょゥ…。どーせアタシは汚れちまったのよ…」 「そこまで言わんでも……」 春日部の突っ込みに苦笑いしてフラフラと歩き出した。 か細い声で何事か呟いている。 「コスプレ潔癖症はね~、辛いわよ~。オタクの間で生きていくのが~。汚れたと感じたとき分かるわ~。それが~」 「エヴァですか…」 もやは笹原の声も届いていないかに思われたが、ピタリとハルコが立ち止まった。 見ている。周りの目がこっちを。 ガン見でなく、あくまでさりげなーく見てる。チラ見している。なんてゆーか、逆にこれは想像以上に…。 再び大赤面! ダッシュで現視研のブースまで戻ると、荻上の手を掴んだ。 「は? 何すか?」 「頼む、荻上! 一緒に来て!」 「はい? ちょ、ちょっとまってくだっ、そんな引っ張らねーで…」 「いいから!」 ハルコは荻上の手を引っ張ってブリザードに立ち向かうような姿勢で出発した。 そして蹴つまずきそうになっている荻上とともに人ごみの彼方に消えていったのだった。 あははははは、と春日部が再び爆笑している。 「いやー、面白いなあ、今日のハルコさんは」 「本人は災難だろうけどね…」 笹原は緊張が解けたのか、ふっと息をついた。あの格好で傍に居られると、心臓に悪い。 お茶を飲み、笹原は渇いた喉を潤した。 その横顔を春日部が企むような笑みを浮かべて見ていた。 「ほーほーほー」 「ん…、なに?」 「いやあ、何でもないよぉ」 「??」 キョトンとしている笹原を尻目に、春日部はクスクスと声を立てて笑った。 「まったく、今日の大野がいい仕事したなあ」 行列する女子トイレを横目に、荻上は通路の柱にもたれ掛かっている。 こういうイベントごとの常であるが、女子トイレはいつだって混雑しているものだ。 まだ特にトイレに用事の無かった荻上は、一人ハルコが出てくるのを待っていた。 手にはゴーグルと捻り鉢巻を預かっている。 ハルコは下駄も交換して欲しそうだったけれど、荻上とは靴のサイズが違ったのでハルコは下駄のまま行列に加わった。 女子だけに囲まれて、ハルコは少しほっとしてるように見えた。 「じゃあ、先にジュース買って待ってますから。何がいいすか?」 「あー、う~ん。緑茶系で。別に何でもいいから」 「わかりました」 自販機から帰ってくると、列にハルコの姿はなかった。 もうトイレ内には進んでいるのなら、もう少し待てば出てくるだろう。 荻上は自分用に買ったスポーツドリンクの蓋を開け、一息ついた。 通路は人でごった返している。 わいわいがやがやという人の声が密閉されたホールに響いて耳鳴りのように響く。 人が多すぎて、酸素濃度が低いんじゃないというほど、何だか息苦しい。 通路の先から外へ出て、ちょっと新鮮な空気でも吸ってこようか? ハルコ先輩が戻ったら、風に当たって一休みするのも悪くないかもしんね。 喫煙所の付近は中より人は少ねーし、ハルコ先輩のストレスになんないだろう。 と荻上はぼんやりと考えていた。 「ねー、あれ見た? 現視研のブース」 一際甲高い声が、聞こえてきた。どこかで聞いたことのある声だ。 「あー見た見た。あれでしょ? コスプレ」 「あん? また大野が巨乳コスしてんの? アイツよく恥かしくねーよなー」 侮蔑の篭った三つの声が重なり合って響いた。 その神経にくる笑い声を、荻上は思い出した。あれは今年の4月。 「ちげーって。大野のコスなんて今更珍しくないっしょ?」 「じゃー誰よ? あ、もしかして荻上?」 「うはは。違う違う。まあーアイツがやってても、それはそれでウケるけどさあ」 漫研の女子会員の声だ。 荻上は表情を強張らせた。 電子音のような不快さを持った彼女達の声が宙を跳ね回り続けている。 「斑目だよ。アイツまたコスプレしてんの。しかも今回もエロいの着てた」 うはー、という嘲笑が聞こえた。 「ぐえーマジでー? どんなんだった?」 「くじアンのいづみ」 「うわー。自虐的ですなー。貧乳ネタかよ」 「しかもしかもぉ、何か巻末でチラッと出てたテキ屋のコスだよ。もーヘソとか腿とか丸出し」 「イタターーって感じだった。何を勘違いしてんだテメーって言いそうになっちゃったよ」 「あー、それアタシも思った」 荻上は口の中で、うっせーと呟いた。 「何アイツ? 自分でスタイルいいとか思ってんの? ガリガリなだけじゃん」 「だよなー? 誰か注意してやるヤツいないのかネー?」 「何か足とか細すぎてマジキモイの。色白なのも不健康なだけって感じだったし」 「おばちゃんのくせに汚い肌を晒すなっての。誰も見たくねーよ」 「おばちゃん、病弱キャラ作ってんじゃねーの?」 「原口の元カノじゃ、説得力ねーー」 言えてるー、というユニゾンが聞こえたところで、荻上は舌打ちした。 彼女達には聞こえちゃいないだろうが。 「もー、マジで何とかしてほしいわ。元カレ共々どっか行けよ」 「コスプレで売ろうってのが、どーにもなあ~。脱力だわ」 「醜い肌晒してまで売りたいかねー。まあ、じゃなきゃ売れやしないんだろうけどさあ」 きゃはははと彼女達は笑っている。 荻上は気分が悪くなった。自分の過去が脳裏に甦って吐き気がした。 彼女は柱の影で、じっと彼女達の声が聞こえなくなるのを待っていた。 ふと気配を感じて顔を上げると、ハルコが立っていた。 「ごめん。行こっか?」 「あ…、はい…」 ハルコは笑っていたが、その笑顔は少し辛そうだった。 出来るだけ自分の表情を悟らせないように、荻上の前に立って足早に歩いていく。 ピンと背筋を伸ばしているはずなのに、悲しいそうに荻上には見えた。 「うわ。あれ斑目じゃん?」 後ろから漫研女子の声が聞こえた。 「え…、わー、ホントだ。やば…、今の聞かれてた?」 「ダイジョブじゃない? つーか聞かれても別にいーし」 「あははは、それもそっかー」 甲高いざわめきが、背中の神経を突付く。荻上は眉間にシワを刻んで、必死に振り返りたい衝動を我慢した。 ハルコはただ前だけ向いて歩いている。半纏の前を固く合わせて。 会場の高い天井と人ごみの中を二人は無言で進んでいく。ずんずんと。 「ね、荻上」 ハルコが肩越しに振り向いた。 「さっきの聞いたことだけどさ…。大野には言わないでよ」 「……はぁ、まぁ……いいすけど……。むしろ言ったほうが良いような気もしますけど…」 荻上の表情は険しいままだ。 「大野先輩、今日はちょっとやり過ぎだと思います」 「ははは、それはそーかもね…」 ハルコは笑顔は優しそうで、荻上は胸が痛くなった。 それを誤魔化すように、荻上はまた顔を強張らせる。 「はっきり言わないと、大野先輩は分かりませんよ」 「う~ん…………、でもなぁ……」 ハルコは少し見上げて、小さく笑った。 「大野も何とか成功させようって一生懸命なんだろうからなぁ…。私もこんくらいしか出来ることないしなぁ…。 笹原は会長として頑張ってて、久我山と荻上は苦労してちゃんと本作って、大野と田中はコスプレで、 真琴ちゃんも売り場で戦力になってて、朽木君は汚れ役として奮闘してて、春日部君は崖っぷちから立て直してくれて…。 私だけ何もしないわけにいかんからネ…」 はははと、乾いた声でハルコは笑った。 「恥ぐらいかかにゃー役に立たんのよ、私」 「でも……、嫌じゃないんですか?」 荻上はハルコの顔を見上げた。 あの手の女の陰口は、荻上も経験があった。 中学時代、高校時代、彼女自身が俎上に載せられてきた。 じかに耳にする機会こそ稀だったが、女子グループの自分を見る目を見ればどんなことを言われているか、おおよそ想像はつく。 彼女はその度に軽蔑の視線を作って、針のような気配を纏わせて、独りぼっちで過ごしてきた。 荻上には他人事とは思えなかった。 「原口さんの…っていうのも嘘なんでしょ?」 「こっちが何したって、悪口言うヤツは言うんだもん…。もう言われ慣れちゃったぁ…。」 その横顔は笑っているけど、それはいつもの笑顔とは全然違っていたから、ハルコは慣れてなんかいないんだと荻上は思った。 それなのに、ハルコは笑っているから、荻上はハルコの笑顔を見ているのが辛かった。 「ぜんぜん平気ヘーキ。私は平気だから、大野には黙っといてね」 「はい……」 荻上は小さく頷いた。 ハルコの背中を荻上は見つめる。荻上は思った。 誰か、この人を守ってくれたらいいのに。 「あっ、久我山さん」 「遅かったですね先生!」 「え、ま、斑目……。が、頑張ってるね……」 「にゃはははは……」 タオル装備の久我山がやっとブースに姿を見せた。 「ちゃーす。じゃ、そっち回って入って来て下さいよ」 「お……おう」 久我山は席に着くと、ふぅーと汗を拭った。 笹原が声を掛ける。 「けっこう売れてますよー」 「あ、そ、そう?」 久我山の目が売り場の二人に向いた。 「で……でもそれは、あの二人のおかげなのでは?」 「ま……、否定はしません」 笹原は苦笑いで応えた。二人が到着してからの経過をみると、確かに否定できない。 「これです、本」 「おお~~……」 感嘆の溜息を漏らし、久我山はパラパラと本をめくる。 「う、うん」 「え、それだけすか」 「いやー……。は、恥ずいよね……」 「自分が描いたエロ本だもんね~」 春日部は快活に笑いながらちゃちゃを入れた。 「あ、後でちびちび見るよ」 「そーすか」 笹原にも、久我山の気持ちは何となく分かる。 自分の性癖を晒すようなものだから、それはそれは恥かしいだろう。 「ありがとうございましたー」 ハルコの声が響く。幾分、戻ってきてからの方が言い方に気持ちが篭ってるような気がして、少しほっとした。 流石にちょっと罪悪感があったので、ハルコが乗り気になってくれたのは単純に嬉しい。 さて、と呟いて、笹原はパンと太腿を叩いた。 気持ちが軽くなったところで、あれを処理しておくか。 「俺、ちょっと原口さん関係の後始末に行って来ますんで、こっちお願いします」 「はーい」 誰とも無しに返事をして、笹原はブースを出ようとする。 と、その時、春日部が腕組みをしながらニヤリと笑った。 「ハルコさんも一緒に行ったら?」 「え?」 言ったのは笹原だ。春日部の発言に面食らっている。 「ハルコさんもその辺回りたいだろ? ついでに行って来くればいいんじゃない?」 「あぁー…、まぁ……、そうだけど……。でも……」 ハルコは自分の姿を一瞥して、 「この格好じゃ……」 「そーですよね……」 「大野さん、服出してあげれば? あと靴も。上から羽織るものとかあれば大丈夫でしょ? 真琴が大野のカバンを抱えてパイプ椅子の上にドンと載せた。 「う~ん。私としてはそのままの方がよいと思うんですけどねぇ…」 「ダメです!」 荻上が噛み付いた。 「ちゃんとした格好じゃないと可哀想です」 荻上の剣幕に意表を突かれたのか、大野はしぶじぶハルコの衣服と靴の返還に応じた。 女子が壁を作る形でハルコを取り囲み、ハルコは半纏を脱いでシャツを羽織った。 下駄も朝に履いてきた靴に履き替える。ゴーグルと鉢巻も外した。 「あー、ちょっと解放されたぁ~」 ハルコが安心した顔を見せたことに荻上は小さくはにかんだ。 でも、笹原さんは照れ臭そうにしてる。 「それじゃ、ちょっと行って来ます」 「うぃ~~す」 春日部に手を振られて、笹原はちょっと妙な顔をした。 うーん、なんだろ、これ? ハルコさんは、コスプレから解き放たれて嬉しそうだけど。 二人はブースを後にする。 「まずどっから行くの?」 「あー…。一番近いところは…、伊鳩コージさんですね」 「うわ、いきなりビッグネーム!」 とか何とか言いながら。 春日部が終始薄気味悪い笑顔でオタクの群れに紛れる二人の姿を見守っていた。 つづく

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