進出前時代
1666年 ファーストコンタクト
1669年 スレフィエ暫定政府樹立
エルミアに「とりあえず政府作った方がいいよ」と言われ、有力なイシュメニ4名によるスレフィエ暫定政府が樹立される。
1675年 貨幣制度の導入
エルミアの支援でエルミアの通貨Ern(エルン)を参考にした通貨Lyns(ルンス)を導入。
1676年 ヴァルエルク式社会制度の導入
ヴァルエルクの社会制度を導入してヴァルエルクの医療、教育、インフラ等を参考にして導入。
保護国時代
1682年 ヴァルエルク保護国化
スレフィエ暫定政府を解体し、長老と首相を頂点としたヴァルエルク式民主主義を導入し、ヴァルエルク領スレフィエとなる。
1685年 惑星ブレゼンセンス植民プロジェクト開始
エルミア政府はブレゼンセンスの植民に反対していたが、ヴァルエルクが植民協力と引き換えにスレフィエへの一定の影響力を保証するという内容の取引を行い、これに渋々承諾したエルミアがプロジェクトに加わる。
1697年 植民プロジェクト完了
国民の種族にブレゼンス類(ブレゼンス、レヌー、スヒム)が正式に加わる。
開国時代
1708年 開国準備プロジェクトが開始
1710年 開国見送り
サーヴァリア革命が発生してしまったためヴァルエルク政府側の要請により開国が見送りになった。
1717年 開国
1719年 自由解放連合に加盟
ヴァルエルクが主導する自由解放連合に正式に加盟。
なぜ2年も正式加盟しなかったのかというとエルミアが妙にゴネたため。結局エルミアが国際問題になるのを避けて有耶無耶したので解決した。
1720年 初のペット・スレフィ
エルトリア王国の貴族に引き取られた孤児のスレフィがペットとして飼育される。開国以降初めてのペット・スレフィが誕生する。
1721年 ウビウリと国交樹立
1724年 グロスクロイツ=シルア友好通商航宙条約
1730年 ペット・スレフィ問題
エルトリアやメロアの貴族・セレブたちの間でペット・スレフィが人気になり、貧しいスレフィたちがペットとして自ら身売りすることが社会問題化。
ペットになることで文明種族としての自由と尊厳を失う代わりに衣食住に困らない豊かな暮らしを享受できる点が指摘され、スレフィエ政府は生活困難者の支援制度を充実させ、ペット化による人口流出・景気停滞を食い止めようとした。
1734年以降には貧困層のみならず一部では中産階級のスレフィたちも身売りしていることが取り沙汰され、問題となった。文明化による都市化で孤独を感じるケースやコミュニティでの不和などが原因で衣食住にも困らず愛されたいという欲求が彼らに存在しているという政府にとって対策しづらい問題点が存在していることが明らかになった。
一方で貴族やセレブたちの中にはスレフィを虐待したり、十分なケアを怠ったりして死なせてしまう場合があり、ペットになって豊かな生活を得ようとしたスレフィが凄惨な最期を迎えていることもスレフィ国内で社会問題として議論された。
アンドロイド時代
1733年 アクース内戦
アクース内戦が勃発。兄貴分のヴァルエルクが軍事介入したが、スレフィエはアクースから遠いので出兵を回避。
アンドロイド情勢、レーウス情勢にも疎かったためこの時期は国内経済の発展に注力。
1737年 スレフィエ国でスレフィ型アンドロイドの試験的導入
1736年にヴァルエルクがアイローム・アンドロイドを導入したことに追従して太陽光発電に特化したアイローム製のスレフィ型アンドロイドを試験的に導入。
1737年 エルミアの国際アンドロイド人権宣言
スレフィエ国政府は好意的な声明を発表。
1738年 リスヒューメ独立戦争勃発
グライニア調和国で南サニス連合王国艦隊が突如出現し
リスヒューメ独立戦争が勃発。
ヴァルエルクとの貿易航路が失われる”重大な懸念”からメロアと共に参戦。
かなりの規模の軍隊を遠征させる。
1739年 リスヒューメ独立戦争終結
ヴァルエルク国内の反戦運動が高まり、世論を無視できなくなったヴァルエルクは撤退。
しばらくメロアと共に戦場に取り残されたスレフィエ遠征軍だったが、相応の損害を伴いつつも無事帰還する。
1740年 マーカス内戦勃発
反戦運動が盛んで出兵できないヴァルエルクの代理でメロアと共に出兵。
メロアと同じくアンドロイドの普及が進んでいないにも関わらず、国際政治闘争に巻き込まれて戦争に介入せざるを得なくなったスレフィエ国はヴァルエルクに対して疑念を抱きながらも軍事介入のためにかなりの戦力をマーカス宙域に投入。
国内ではヴァルエルクの無茶な介入要請とそれに従う政府に反感を抱く自由解放連合離反派の声が次第に大きくなっていく。
またリスヒューメ独立戦争で被った戦費を回収できなかったばかりか、その後すぐに出兵することになってしまったため、国内の経済に対するダメージが大きく、物価の高騰や失業率の上昇の兆候が現れ始める。
暴動の激化を避けるため、4代目首相スヒニーミー・ブレンシエはエルミア共和国に緊急経済支援を要請。融資と一時的な関税緩和措置でスレフィエ政府は一命を取り止める(
ただし助からなかった命もありましたね……)。
その後(予定)
今までのヴァルエルクとの交易規模を縮小し、
エルミア、
メロアなどといった近隣の友好国との貿易強化にシフト。貿易額増加によるさらなる経済発展の時代に突入。
スレフィエ国は1749年から1759年まで「
実り多き10年」を迎える。研究力にも注力できるほど経済的余裕が生まれ、電脳空間やサイバー技術の積極的導入が行われる。
アイローム社が倒産して国内の少数ながら存在するスレフィ型アンドロイドに社会不安が一時期広まったものの、スレフィ型アンドロイドの国内生産に成功。政府が機械的トラブルへのサポート政策を展開した。
一方で政府はマーカスでのAI不和合性症候群等の新しいアンドロイドの時代に伴うトラブルを避けるためにスレフィ型アンドロイドの大規模な追加生産を控える方針を示した。
イシュメニの戦死者が多すぎてそのくびきを長いこと引きずることになる。
関連項目
最終更新:2023年09月08日 09:23