暇死は主にジエール帝国連邦内で発生する精神病である。文化依存症候群なのではないかという説も存在する。


概要

暇死

暇死の誕生

 永帝革命後のシンテーア帝国では、ルニアスアオン・シオンによる執政を経て、食料品の支給とベーシックインカムが導入され管理主義経済が確立された。
 管理主義体制では労働などの経済活動を特に行わなくても最低限度の生活が可能となっており、「何もしない」人民が生み出されてしまった。「何もしない人民」が、次第に自分の生命の価値を実感しなくなり最終的に無気力状態に陥り死亡するというケースが多発した。アオン・シオンはこれを「暇死」と呼称した。
 暇死を予防するためにアオン・シオンは「研究」を奨励した。彼が言うには「研究」は終わりのない趣味であり、その内容は何でも構わず、何かに夢中になることで暇死を予防できるという。 ここから行われた「研究奨励政策」が軌道に乗り、結果として現代のジエールの「学者階級優位」や学者独裁につながったといえる。

原因と治療

 管理主義体制が学者独裁体制となり、学者階級が大幅に増加しても暇死問題が終結することはなかった。
 暇死は記憶の蓄積に起因する無力感が原因であり、刺激的な生活を送ることで一時的に良くなるが、結局はさらなる刺激がなければ発症してしまう。治療を繰り返すたびに、再び発症したときの暇死の症状が強くなり、治療も効きづらくなるため、現代ジエールでは「ガン」のような扱いを受けていた。

新型暇死

新型暇死の発見

 不死技術の発展に伴い、1700年代から暇死は新しい症状へとシフトした。以前の暇死が無気力と抑うつが主症状であったのに対し、新型暇死は強い眠気、昏睡を症状とし、直接死に至る病となった。
 第二世代不死技術はあらゆる疾病治療の可能化と老化停止の組み合わせであったが、その時点での治療不可能な新型疾病の登場は社会に大きな衝撃を与えた。

原因と治療

 新型暇死の原因は記憶の蓄積に起因する無力感ではなく、不死技術が結果的にもたらした大量の記憶に脳の限界が追いついたことであった。
 人間の脳は大量の記憶から重要なもののみを抜き出すために、不必要な記憶を「忘れる」が、この行為は記憶の完全な抹消ではなく、想起しにくい場所に追放しているだけに過ぎない。つまり、不要な記憶は「デスクトップのゴミ箱」に入れられるのである。ただ、不死技術が「肉体が想定していない長寿」がもたらしたことにより、この追放領域が誤作動を起こしたのである。
 脳が本来の機能ではない「完全な抹消」を迫られ、これを行おうとした際に、同時に意識の形成に関わっているとみられる「格」部分を抹消させてしまい、意識が消滅してしまうことが原因で発症する。「格」に関しての研究が進むのは1800年代後半からであり、当時原因は全く不明であった。
 また、デバイスの意識連動と第三世代不死技術の登場により、「脳の容量」問題が解決され新型暇死の死亡率は大幅に低下した。

暇死問題に関心を持つ指導者

モイエナ主席

 モイエナ主席は娯楽の健全化と旅行の推奨で暇死問題を抑え込もうとした。また、暇死問題が落ち着けばゴルギストの減少につながると提唱した。

アルバスラ主席

 アルバスラ主席は運動の推奨で暇死対策をとるべきだと訴えた。スポーツジムに支援金を出し、全人民が無料でジムに通えるように予算を組んだ。

ギヴェグト主席

 ギヴェグト主席は精神科学会で催眠術による暇死患者の治療を研究していた。彼の登場により催眠術が日の目を浴び、精神病院では催眠術が一般的な治療として用いられるようになった。催眠術による治療は副作用がなく、一定の効果を上げたが、効果のない患者も多かった。

関連項目

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最終更新:2023年01月23日 20:35