サーヴァリア革命とは1710年に発生したサーヴァリア共和国で発生した革命運動である。途中、サーヴァリア人民共和国とアプレジラ管理主義学会連合が成立したが、1719年にサーヴァリア王国によって制圧され、再び統一された。
 サーヴァリア企業連合内では1710暴動と呼ばれている。


第一次サーヴァリア革命

サーヴァリア共産党の決起

 ジサ戦争後後、各国は復興景気ということもあり、次第に国内経済を回復させていった。しかし、サーヴァリア王国連邦は戦中から無産階級者の不満が蓄積しており、戦後それは最高潮に達した。
 サーヴァリア国内ではストライキなどの無産労働者による活動が展開され、特に戦争による被害が多かった惑星アプレジラで活発に行われた。1710年に「サーヴァリア共産党」(共産党の結党はサーヴァリア憲法で禁止されている)と名乗る組織がジェヴヨボ地方で決起。サーヴァリア人民共和国の建国を宣言した。
 また、それに呼応し、サーヴァリア王国連邦全土で「人民武装同盟」と名乗る集団が各地で蜂起し、テロ行為を繰り返した。

サーヴァリア経済連合の成立

 サーヴァリア国内の政治不安を解決すべく、サーヴァリアの資本家組織である、サーヴァリア資本家連合が、中産階級市民連合である「小康派」を組織させる。サーヴァリア資本家連合は「小康派」と結託し、軍と共に共産テロ勢力の排除を徹底し始める。

社会派同盟の結成

 1711年、サーヴァリア共産党と人民武装同盟が連携し、社会派同盟が設立される。これによりバラバラに活動していた人民武装同盟で一定の組織的活動が可能になった。
 また、グロスクロイツ社会主義共和国連邦からの義勇軍が大量に流入し、社会派同盟と王国連邦との対立が全面化した。
 この当時、サーヴァリアの友好国の一つであり絶大な影響力を握るヴァルエルク共和国の政権はハト派が握っており、武装的介入を渋っていた。そのため惑星アプレジラの拠点は次第に社会派連合により陥落させられていくことになる。

ジエールの介入

 ジエール帝国連邦がサーヴァリア革命に干渉し、中産階級技術者を集結させ、管理主義技術学会を設立させた。しかし、この集団は社会派同盟から見たら中産階級の修正主義者であり、方針の違いから完全な敵対勢力として見なしていた。
 管理主義技術学会は、社会派同盟のような武力による統一を積極的に目指しておらず、暴力革命には反対しつつ賛同者を集め拡大した。
 さらに、社会派同盟は資本家勢力を弱体化させるために積極的なインフラ破壊を行っていたのに対し、管理主義技術学会は「拝金主義者の設備は接収して活用する」というスタンスをとっていたために、社会派同盟の指示に全く従わなかった。このことから社会派同盟は彼らを「修正主義者」、「ジエールによる介入」などと非難し、敵視した。

サーヴァリア経済連合成立とヴァルエルクの介入

 社会派同盟によるインフラ破壊、サーヴァリア文化の否定と破壊に対抗し、サーヴァリア貴族がサーヴァリア諸国王と結託し、「サーヴァリア貴族会」を設立。エルトリア王国が支援した。また、彼らはサーヴァリア資本家連合と小康派と結託しサーヴァリア経済連合を設立させる。
 1713年、ヴァルエルク共和国が国民の支持を受けて、サーヴァリア革命に対する干渉を開始。ヴァルエルクの義勇軍が惑星アプレジラに投下され、戦闘を行った。
 当時、ヴァルエルク政権はまだハト派であり、義勇軍の目的は社会派同盟からのサーヴァリア人の保護、一時的な休戦を目標とした。なお、ベリオン共和国は公式に協力は宣言していないものの、物資供給によりサーヴァリア経済連合を支援した。

休戦

 ヴァルエルク共和国は介入に本腰を入れなかったものの、ヴァルエルク義勇軍は一定の働きを見せた。これに対して危機感を持った社会派同盟は管理主義技術学会に一時的な協力を要請。1713年同年に管理主義技術学会は社会派同盟に加入するも、サーヴァリア経済連合との均衡から1715年に休戦協定を結んだ。
 休戦後惑星アプレジラにはグロスクロイツが支援し、サーヴァリア共産党が指導する「サーヴァリア人民共和国」とジエール帝国連邦が支援し、管理主義技術学会が指導する「アプレジラ管理主義学会連合」が成立した。

休戦協定までの流れ


第二次サーヴァリア革命

サーヴァリア人民共和国のアプレジラ管理主義学会連合侵攻

 1715年の休戦から3年経った、1718年。サーヴァリア人民共和国は自身の行ったインフラ破壊戦略から生産不良を引き起こし、生産拠点が正常に機能していたアプレジラ管理主義学会連合吸収を計画し侵攻した。サーヴァリア人民共和国はこれを第二次サーヴァリア革命と呼んだ。(第三次はアプレジラ全土を掌握する手筈だった)
 これに対しジエール帝国連邦は管理主義学会連合人民の保護を理由に軍を派遣するも、奇襲的な攻勢に押され同国技術者のジエール政府亡命政策を開始。前線を次第に引き下げながら、サーヴァリア人技術者をジエール帝国連邦加盟国、ヴェルゼン管理主義共和国へと亡命させた。

ヴァルエルクの参戦

 ヴァルエルク共和国では政権が変わり、サーヴァリアへの本格介入を望む市民の声が政権に大きく反映されていた。ヴァルエルク共和国はアプレジラ管理主義者学会連合がサーヴァリア人民共和国の攻撃にしぶとく耐えているのを見ると、自国宙軍を惑星アプレジラ宙域に派遣。包囲を行った。
 この時、グロスクロイツによる輸送船や軍艦を封鎖する一方、ジエール民間船による亡命を人権的な理由で見逃していたため、グロスクロイツはジエールに対してしばらく「ヴァルエルク資本主義と結託した裏切者」として反発し続けることとなる。

グロスクロイツの屈服

 グロスクロイツ・ベリオン戦争からの疲弊から完全に立ち直っていないグロスクロイツはヴァルエルク共和国との全面的な対立を避け、軍の派遣を断念。
 サーヴァリア経済連合はヴァルエルク軍の支援を全面的に受け反抗。サーヴァリア人民共和国はアプレジラ管理主義学会連合に再度協力を依頼するも、これには応じず、1719年にサーヴァリア企業連合により惑星が統一された。

サーヴァリア企業連合の成立

 再統一された惑星アプレジラであるが、休戦から再統一までにサーヴァリア貴族会は影響力を失っていた。国内ではサーヴァリア資本家連合と小康派が継続して権力を掌握。財閥による統治の機運が高まった。その後1720年に、サーヴァリア資本家連合と小康派が権力を完全掌握、サーヴァリア王国連合は「サーヴァリア企業連合」に国号が変更された。

休戦から第二次サーヴァリア革命への流れ


関連項目