コルナンジェ凱旋門事件は、シンテーア暦1770年、ロフィルナ国内における大規模なサイバー攻撃*1の中で勃発した。セドルナ公国首都コルナンジェに展開する自治体正規軍と武装警察、治安維持軍による民主化運動に対する鎮圧事件である。このフリートン政権の対応からヴァルエルクを始めとする多くの国との関係が悪化し、後のロフィルナ革命に繋がるなど更なる混乱を招いた。


背景

民権意識の高まり

 1760年代。ロフィルナ連邦は、機械移民を受け入れる中で本格化した、急激な電脳化と社会構造の変化に伴う未曾有の情報危機に直面していた。意識電脳接続サービスの普及から多くの企業が設備投資を加速させる一方、劇的に増えつつあるアンドロイドの活用によって多くの労働者が職を失ったのである。そんな中、国家による言論統制に不満を募らせた一部の市民が暴徒化し、かねてから泥沼化していた労使間の対立も相まって瞬く間に全国規模へと波及した。

経緯

改革闘争

 1768年。ネッツェレール議長が銃撃され、急遽政権内の指揮を任されたフリートン外務卿(外務政策理事)はこれ以上の事態の拡大を防ぐため、更なる体制改革に務めることを表明する。同時に崩壊して久しい社会保障制度を復旧させ、失われた求心力の向上に取り組む意向を強調した。1769年1月25日。ネッツェレール侯爵の推薦を背景に貴族会主流派*2の強力な支持を得てフリートン政権が成立する。一方、長年に渡って二番手の座に甘んじてきたヴェイルストレーム財閥は、これに対抗するため庶民院第二党*3への支援を強化し、リヴァダー派の有力貴族も同党の支持に回った。

 体制の転覆を恐れるフリートン新政権と、その協力政党自由進歩党は、貴族会において主導権を争うXX・ヴィ・ヴェイルストレーム侯爵と会談。異例の共闘宣言を行った後、同年2月17日、有事の憲法停止*4を可能とする諸改革案を成立させた。これにより、ネッツェレール政権下で先送りにされてきた社会保障プログラムが始動し、その場しのぎではあるものの労働者に寄り添った共立社会が実現するかのように思われた。しかし、その実態は開明的なアルバス大公(連邦筆頭公爵)を警戒する富裕層の総意を固めたものであり、上位1%に君臨する三大財閥の基盤は依然として強大化の一途を辿った。

革命前相関図(拡大推奨)


情報統制強化

 貴族会において最も大規模であり、世論操作に長けるプルームダール財閥は、『階級間の行き過ぎた衝突が全ての原因である』との論調*5を展開し、体制に不満を持つ多くの国民の分断を煽ったのである。そうして形成された野党包囲網は、次第に強権的な様相を強めていく流れとなった。同年12月25日。公共安全管理局は、「国家の尊厳を踏みにじる共立主義の敵」と題したリストを公表。三大首都圏を中心に別件逮捕も辞さない露骨な言論弾圧を行った。この段階に至って多くの革命派議員が検挙され、実質的にディストピアの様相を深めていく。

 高度な自治権を持ち、宙軍の指揮権を担うラーツォルペン政府(連邦宇宙軍府)は、この一連の流れに対する強い不満*6を述べたが、安全保障を脅かされることに危機感を覚えた同国保守層の反発を受け、実際の発議には至らなかった。一方のアルバス大公は、御前会議において修正X条を根拠とする君主大権の発動に踏み切る可能性を示唆。対するフリートン議長は、流血の事態を避ける意向を強調*7し、反意を疑った近衛従士が政権派に斬りかかる事態へと発展した。*8

民主化運動の激化

 そうした混乱の中、14月9日、共立政策の真実と題する怪電波が流され、特殊技術局に属する宙軍将校のヴァルエルク大使館への駆け込みが発覚。体制を揺るがす事態へと発展する。連邦理事会は、同電脳放送において指摘された不正の全てを否定するとともに、『当該の宙軍将校なる人物は存在しない』との反論を述べた。1770年1月2日。セドルナ公国の首都コルナンジェにおいて大規模な民主化運動が勃発。続いてラーツォルペン公国においても同様の暴動が起こり、治安維持軍が出動する事態となる。

政権軍による弾圧

 フリートン議長は当初、打開策の調整のため極力発砲を控えるよう厳命していたが、ヴァルエルクの高官が『解放の準備は整っている』との見解を示すと態度を硬化。徹底的な鎮圧命令を下すとともに全空港の封鎖に踏み切った。その結果、コルナンジェにおける死傷者の総数は実に5万人を超える凄惨なものとなり、ラーツォルペン公国の運動体も連邦宇宙軍府の圧力に堪えられず、自主的に解散することを余儀なくされた。連邦理事会は、更なる対抗措置として『巧妙に計画された拝金主義者の策動である』との見解を示し、多くの国内メディアが公正秩序の名のもとに規制されるなど、混沌とした様相を深めていった。

影響

亡命将校暗殺事件

 1769年14月10日。フリートン政権は国民感情の悪化を理由にヴァルエルク大使館を含む一部の外国施設の移転を決定する。それは大使の安全を確保するために必要な臨時措置として説明された。実際は保護された宙軍将校の始末を目論んでおり、政権の保身を図っていたことが後の時代に判明している。1770年1月3日。コルナンジェを中心に民主化運動が激化すると、ヴァルエルク大使は少数の護衛を伴って国外への脱出を試みた。1月7日。イドゥニア国際宇宙港での厳しい審査を終え、専用機に搭乗したところで宙軍将校の不在が発覚する。不審に思ったヴァルエルク側の職員が抗議するも、ロフィルナ側の出国担当官は「そのような人物は確認しておりません」と一蹴し、ただちに離陸するよう命じた。

 その後、宙軍将校の身柄は公共局に移され、速やかに政権暗部の親衛隊に引き渡されたのである。当時、連邦宇宙軍府が進めていた軍事計画*9に関わることで、フリートン議長は匿名の情報提供*10を得て当該兵器の存在を把握していた。しかし、1月10日。ニーネン軍から係る関係者の身柄を引き渡すよう求められると、連邦理事会は宙軍将校をルドラトリア協定に規定されるパージ対象として決議し、正式な手続きを経た上でニーネン側の宇宙船に移送することを余儀なくされた。その結果、件の将校は船内で謀殺される流れとなり、係る真実は闇の中に葬られたのである。

対ロフィルナ経済制裁

 2月22日。ヴァルエルク率いる自由解放連合は、ロフィルナに対する独自の経済制裁を課すことを宣言。その他の国家に対して同国資源の禁輸に協力するよう圧力を強めた。また、これ以上の圧政を続けるのであれば更なる制裁を課すことも通達する。対する連邦理事会は、「交渉の窓口は常に開かれている」とした上で、如何なる国家の内政干渉も許さない姿勢を強調した。5月16日。同国戦略軍は、抑止力と称する超長距離兵器の発射実験を断行。これにより、国際社会において更なる列強諸国の反発を招いた。

主権意識の高揚

 1771年。連邦宇宙軍府は、これ以上の機密情報の流出を防ぐため関係機関による管理体制の強化を要求する。一方のフリートン政権にとっては軍政改革*11を妨げる政治的な汚点でしかなく、その計画はシャグマ=ラゴン戦線において劣勢を極めた1788年、連邦惑星軍によるカウンタークーデター(通称、ネッツェレール作戦)を実行するまで延期された。1776年。不穏な動きを強めるフリートン政権にソプゲン=ナプトー星衛主席は連邦首都圏におけるニーネン=シャプチ遠星系軍の駐留をもって対抗する。結果的にはシャグマ=ラゴン戦争で敗戦し、ロフィルナ連邦はネルトヴィンリル星系を喪失。更に惑星ツォルマールを失い、ロフィルナ革命を迎えた。戦後、アルバス大公による暫定政権が成立すると、フリートン侯爵を含む多くの財閥貴族が逮捕され、後の外交平等協定の締結に繋がったのである。

関連記事


*1 仮想通貨盗難事件

*2 プルームダール財閥

*3 公正愛国党

*4 革命派の抑制を目的とする。三大財閥同盟。

*5 大貴族と小貴族、経営者と労働者、納税者と受益者……そのような不毛の争いを避けるため、完璧に統制された共立社会の実現が必要である。フリートン議長はそう述べて対立する各派閥の糾合に取り組んだが、結果的には自らが共立主義の敵として断罪された。

*6 ロフィルナ本星における三大財閥の同盟を警戒し、軍事クーデターに踏み切る用意があることを示唆する。

*7 フリートン議長の迷言「お言葉には気をつけましょう!!」

*8 結果的にはアルバス大公の一喝で収まったものの、この事件は後に宮廷派がロフィルナ革命を扇動する大きな要因のひとつとなった。

*9 宙軍が密かに開発を進める重力量子砲で、ニーネン政府と共同研究していた。係る正式名称は新世代エインスディール計画である。

*10 情報提供を行ったのはザルドゥール・ヴィ・ヴェイルストレーム将軍で、当時、対外強硬路線を主張するツェープルム派と対立していた。この情報提供によって特定されることを恐れたヴェイルストレームは、自らの正体を明かさず、フリートン政権が進める共立社会の建設に協力したが、これが仇となり後の連邦理事会によるカウンタークーデター(ネッツェレール作戦)において粛清対象とされた。

*11 連邦理事会による全軍の指揮系統の統一