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魚返善雄『「論語」新訳』前半 - (2017/01/13 (金) 09:27:28) の1つ前との変更点

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<p> </p> <p> 〔一〕先生──「ならってはおさらいするのは、たのしいことだね。なかまが遠くからくるのは、うれしいことだね。知られなくても平気なのは、りっぱな人じゃないか。」</p> <p> 〔二〕有先生──「人がらがすなおなのに、目上にさからうものは、まずない。目上にさからわないのに、むほんをするものは、あったためしがない。土台がだいじだ。土台あっての道だ。すなおということが、人の道のはじまりだな。」</p> <p>〔三〕先生──「おせじや見せかけに、ろくなものはない。」</p> <p>〔四〕曽(ソウ)先生 ──「毎日ふりかえることが三つ。人にまこころをつくしたか。友だちにすまないことはないか。教えは身についているか。」</p> <p>〔五〕先生──「大きなかまえの国ほど、まともな政治をし、つましくなさけぶかく、人はひまひまに使うこと。」</p> <p> 〔六〕先生──「若い人は、うちではすなお、そとでもおとなしく、よく気をくばり、みんなにやさしくして道をまなぶこと。そのうえひまがあれば、学問にふりむける。」</p> <p> 〔七〕子夏──「色よりはチエを買い、親のためには苦労をいとわず、国にはすすんで身をささげ、友だちづきあいに、ウソをつかなければ、無学な人でも、学問があるというわけさ。」</p> <p>〔八〕先生──「上の人は軽いと押しがきかぬし、学問も練れない。まこころを第一とし、つまらぬ人とつきあわぬこと。あやまちはアッサリあらためよ。」</p> <p>〔九〕曽先生 ──「とむらい供養のしかたで、気風がずっとよくなるものだ。」</p> <p>〔一〇〕子禽(キン)が子貢にたずねる、 「うちの先生はどこの国にいっても、きっと政治にかかりあうが…。たのむのかな、それともたのまれるのかな。」子貢──「先生はオットリとへりくだっていてそうなるんだ。先生のやりかたはだね、こりゃどうも人のやりくちとはちがってるね。」</p> <p>〔一一〕先生──「ふだん父の気もちをくみ、死んだらやりくちを思い、三年そのしきたりを変えないのは、親孝行といえる。」</p> <p> 12〔一二〕有先生──「きまりにも、なごやかさがだいじ。昔のお手本も、ここがかなめだ。万事がそうなっている。だが例外もある。なごやかにするだけで、しめくくりがないのも、うまくいかないものだ。」</p> <p>13〔一三〕有先生 「取りきめも、すじがとおっておれば、はたす見こみがある。へりくだりも、しめくくりがあれば、見っともなくない。たよるのも、相手をまちがえねば、たのみがいがある。」</p> <p>14〔一四〕先生 ──「人間は、たべものにもこらず、よい家にも住まず、しごとは手ばやくて口をつつしみ、人格者を見ならうことだ。それでこそ学問ずきといえる。」</p> <p>15〔一五〕子貢 ──「こまってもこびず、もうけてもいばらないのは、どうです…。」先生 ──「よろしい。だがこまっても苦にせず、もうけてもしまりのあるのがましだ。」子貢 「うたに、『切ってはこすり、ほってはみがく、』とあるのがそのことですか…。」先生「賜くんとだけは、うたのはなしができるわい。かれは打てばすぐひびくやつじゃ。」</p> <p>16〔一六〕先生 ──「人に知られなくてもこまらぬが、人を知らないのはこまる。」</p> <p> </p> <p>〔爲政第二〕<br /> 17〔一〕先生──「政治も良心的であれば、ちょうど北極星が動かずにいて、取りまかれるようだ。」</p> <p>18〔二〕先生 ──「うた三百首を、ひっくるめていえば、『ひがまずに』ということじゃ。」</p> <p>19〔三〕先生 ──「規則ずくめで、ビシビシやると、ぬけ道をつくって平気だ。親こころをもって、ひきしめてやれば、恥じいってあらためる。」</p> <p>20〔四〕先生 ──「わしは十五で学問を思いたち、三十で一人まえ、四十で腹がすわり、五十で運命を知り、六十で分別ができ、七十では気ままをしても、ワクにはまっていた。」</p> <p>21〔五〕孟孫さんが孝行についてきく。先生 ──「ほどを知ることです。」樊遅(ハンチ) のやる馬車で、先生がいわれた、 「孟孫が孝行をきいたから、わしは『ほどを知れ』といったよ。」樊遅-ー「どういう意味ですか。」先生 ──「親には、ほどよくつかえる。死んだら、ほどよくとむらい、供養もほどよくすること。」</p> <p>22〔六〕孟武さんが孝行についてきく。先生 ──「父・母には、病気だけが心配です。」</p> <p>23〔七〕子游(ユウ)が孝行についてきく。先生 ──「いまどきの孝行は、養うことだという。犬でも馬でも、みな養われている。うやまわないと、区別がつかなくなるぞ。」</p> <p>24〔八〕子夏が孝行についてきく。先生 ──「態度がだいじだ。用のあるとき若いものが手つだい、ごちそうがあれば目上にあげる、そんなことで孝行になるかね。」</p> <p>25〔九〕先生 ──「回くんと話してると、一日じゅうハイハイでバカみたいだが…。あとで実情を見ていると、けっこう教えられる。回くんはバカじゃない。」</p> <p>26〔一〇〕先生──「人はそのしわざを見、いきさつをながめ、思わくをさとられたら、かくそうにも、かくせはしまいて。」<br /> 27〔一一〕先生 ──「古いものからも新知識、それなら指導者になれる。」</p> <p>28〔一二〕先生 ──「人物は道具じゃない。」</p> <p>29〔一三〕子貢が人物についてきく。先生 ──「おこないが先、ことばはあとだ。」</p> <p>30〔一四〕先生 ──「人物は閥をつくらず、俗物は閥をつくる。」</p> <p>31〔一五〕先生 ──「ならっても考えねばハッキリしないし、考えるだけでならわないとあぶない。」</p> <p>32〔一六〕先生 ──「他流の末に走ると、損するばかりだ。」</p> <p>33〔一七〕先生 ──「由くん、『知る」ということを教えようか。知ってるなら知ってる、知らないなら知らないという、それが知ることだよ。」</p> <p>34〔一八〕子張は役人志願。先生 ──「聞いてよくたしかめ、たしかなことだけをいえば、まず無難だ。見てよくたしかめ、たしかなことだけをすれば、まず安心。そうバカをいわず、あまりヘマをやらねば、自然に出世するさ。」</p> <p>35〔一九〕哀(殿)さまのおたずね ──「どうしたら民がおさまるか…。」孔先生の返事 「まっすぐな人を上におけば、おさまります。まがったものを上においたら、おさまりません。」</p> <p> 36〔二〇〕季孫さんがきく、「人民にうやまい、したがい、はげませるには、どうします…。」先生iー「重みを見せればうやまい、やさしくすればしたがい、すぐれた人にみちびかせれば、はげみます。」</p> <p>37〔二一〕だれかが孔先生にいった、「なぜ政治をなさらないんです…。」先生 ──「歴史の本にある、『孝行いちずに、兄弟なかよく、家庭もおさまる。』あれも政治です。なにもことさら政治をせずとも…。」</p> <p>38〔二二〕先生 ──「人間は誠意がないと、人として台なしだな。荷車も小車も、横木なしでは、それこそやりようがあるまい。」</p> <p>39〔二三〕子張がきく、「十代あとの世がわかりますか…。」先生 ──「股(イン)は夏(カ)の時代をまねたから、たいしたちがいはないはず。周も殷をまねたから、たいしたちがいはないはず。周のあとがあったとて、百代までも知れているさ。」</p> <p>40〔二四〕先生 -「先祖でもないのに祭るのは、物ほしそう。正義を見送るのは、いくじなしだ。」</p> <p> </p>
<p> </p> <p> 〔一〕先生──「ならってはおさらいするのは、たのしいことだね。なかまが遠くからくるのは、うれしいことだね。知られなくても平気なのは、りっぱな人じゃないか。」</p> <p> 〔二〕有先生──「人がらがすなおなのに、目上にさからうものは、まずない。目上にさからわないのに、むほんをするものは、あったためしがない。土台がだいじだ。土台あっての道だ。すなおということが、人の道のはじまりだな。」</p> <p>〔三〕先生──「おせじや見せかけに、ろくなものはない。」</p> <p>〔四〕曽(ソウ)先生 ──「毎日ふりかえることが三つ。人にまこころをつくしたか。友だちにすまないことはないか。教えは身についているか。」</p> <p>〔五〕先生──「大きなかまえの国ほど、まともな政治をし、つましくなさけぶかく、人はひまひまに使うこと。」</p> <p> 〔六〕先生──「若い人は、うちではすなお、そとでもおとなしく、よく気をくばり、みんなにやさしくして道をまなぶこと。そのうえひまがあれば、学問にふりむける。」</p> <p> 〔七〕子夏──「色よりはチエを買い、親のためには苦労をいとわず、国にはすすんで身をささげ、友だちづきあいに、ウソをつかなければ、無学な人でも、学問があるというわけさ。」</p> <p>〔八〕先生──「上の人は軽いと押しがきかぬし、学問も練れない。まこころを第一とし、つまらぬ人とつきあわぬこと。あやまちはアッサリあらためよ。」</p> <p>〔九〕曽先生 ──「とむらい供養のしかたで、気風がずっとよくなるものだ。」</p> <p>〔一〇〕子禽(キン)が子貢にたずねる、 「うちの先生はどこの国にいっても、きっと政治にかかりあうが…。たのむのかな、それともたのまれるのかな。」子貢──「先生はオットリとへりくだっていてそうなるんだ。先生のやりかたはだね、こりゃどうも人のやりくちとはちがってるね。」</p> <p>〔一一〕先生──「ふだん父の気もちをくみ、死んだらやりくちを思い、三年そのしきたりを変えないのは、親孝行といえる。」</p> <p> 12〔一二〕有先生──「きまりにも、なごやかさがだいじ。昔のお手本も、ここがかなめだ。万事がそうなっている。だが例外もある。なごやかにするだけで、しめくくりがないのも、うまくいかないものだ。」</p> <p>13〔一三〕有先生 「取りきめも、すじがとおっておれば、はたす見こみがある。へりくだりも、しめくくりがあれば、見っともなくない。たよるのも、相手をまちがえねば、たのみがいがある。」</p> <p>14〔一四〕先生 ──「人間は、たべものにもこらず、よい家にも住まず、しごとは手ばやくて口をつつしみ、人格者を見ならうことだ。それでこそ学問ずきといえる。」</p> <p>15〔一五〕子貢 ──「こまってもこびず、もうけてもいばらないのは、どうです…。」先生 ──「よろしい。だがこまっても苦にせず、もうけてもしまりのあるのがましだ。」子貢 「うたに、『切ってはこすり、ほってはみがく、』とあるのがそのことですか…。」先生「賜くんとだけは、うたのはなしができるわい。かれは打てばすぐひびくやつじゃ。」</p> <p>16〔一六〕先生 ──「人に知られなくてもこまらぬが、人を知らないのはこまる。」</p> <p> </p> <p>〔爲政第二〕<br /> 17〔一〕先生──「政治も良心的であれば、ちょうど北極星が動かずにいて、取りまかれるようだ。」</p> <p>18〔二〕先生 ──「うた三百首を、ひっくるめていえば、『ひがまずに』ということじゃ。」</p> <p>19〔三〕先生 ──「規則ずくめで、ビシビシやると、ぬけ道をつくって平気だ。親こころをもって、ひきしめてやれば、恥じいってあらためる。」</p> <p>20〔四〕先生 ──「わしは十五で学問を思いたち、三十で一人まえ、四十で腹がすわり、五十で運命を知り、六十で分別ができ、七十では気ままをしても、ワクにはまっていた。」</p> <p>21〔五〕孟孫さんが孝行についてきく。先生 ──「ほどを知ることです。」樊遅(ハンチ) のやる馬車で、先生がいわれた、 「孟孫が孝行をきいたから、わしは『ほどを知れ』といったよ。」樊遅-ー「どういう意味ですか。」先生 ──「親には、ほどよくつかえる。死んだら、ほどよくとむらい、供養もほどよくすること。」</p> <p>22〔六〕孟武さんが孝行についてきく。先生 ──「父・母には、病気だけが心配です。」</p> <p>23〔七〕子游(ユウ)が孝行についてきく。先生 ──「いまどきの孝行は、養うことだという。犬でも馬でも、みな養われている。うやまわないと、区別がつかなくなるぞ。」</p> <p>24〔八〕子夏が孝行についてきく。先生 ──「態度がだいじだ。用のあるとき若いものが手つだい、ごちそうがあれば目上にあげる、そんなことで孝行になるかね。」</p> <p>25〔九〕先生 ──「回くんと話してると、一日じゅうハイハイでバカみたいだが…。あとで実情を見ていると、けっこう教えられる。回くんはバカじゃない。」</p> <p>26〔一〇〕先生──「人はそのしわざを見、いきさつをながめ、思わくをさとられたら、かくそうにも、かくせはしまいて。」<br /> 27〔一一〕先生 ──「古いものからも新知識、それなら指導者になれる。」</p> <p>28〔一二〕先生 ──「人物は道具じゃない。」</p> <p>29〔一三〕子貢が人物についてきく。先生 ──「おこないが先、ことばはあとだ。」</p> <p>30〔一四〕先生 ──「人物は閥をつくらず、俗物は閥をつくる。」</p> <p>31〔一五〕先生 ──「ならっても考えねばハッキリしないし、考えるだけでならわないとあぶない。」</p> <p>32〔一六〕先生 ──「他流の末に走ると、損するばかりだ。」</p> <p>33〔一七〕先生 ──「由くん、『知る」ということを教えようか。知ってるなら知ってる、知らないなら知らないという、それが知ることだよ。」</p> <p>34〔一八〕子張は役人志願。先生 ──「聞いてよくたしかめ、たしかなことだけをいえば、まず無難だ。見てよくたしかめ、たしかなことだけをすれば、まず安心。そうバカをいわず、あまりヘマをやらねば、自然に出世するさ。」</p> <p>35〔一九〕哀(殿)さまのおたずね ──「どうしたら民がおさまるか…。」孔先生の返事 「まっすぐな人を上におけば、おさまります。まがったものを上においたら、おさまりません。」</p> <p> 36〔二〇〕季孫さんがきく、「人民にうやまい、したがい、はげませるには、どうします…。」先生iー「重みを見せればうやまい、やさしくすればしたがい、すぐれた人にみちびかせれば、はげみます。」</p> <p>37〔二一〕だれかが孔先生にいった、「なぜ政治をなさらないんです…。」先生 ──「歴史の本にある、『孝行いちずに、兄弟なかよく、家庭もおさまる。』あれも政治です。なにもことさら政治をせずとも…。」</p> <p>38〔二二〕先生 ──「人間は誠意がないと、人として台なしだな。荷車も小車も、横木なしでは、それこそやりようがあるまい。」</p> <p>39〔二三〕子張がきく、「十代あとの世がわかりますか…。」先生 ──「股(イン)は夏(カ)の時代をまねたから、たいしたちがいはないはず。周も殷をまねたから、たいしたちがいはないはず。周のあとがあったとて、百代までも知れているさ。」</p> <p>40〔二四〕先生 -「先祖でもないのに祭るのは、物ほしそう。正義を見送るのは、いくじなしだ。」</p> <p> </p> <p> </p> <p>三 八列の舞い〔八倫第三〕<br /> 41〔一〕孔先生が(家老の)季孫さんを批評して──「八列の舞いを自宅でやりおる。あれが平気ならば、なんでも平気でやれるさ。」</p> <p><br /> 42〔二〕三家老は、「御歌」で祭りをおわる。先生──「『居ならぶ大名、大君おおらか』なんて、三家老のお宮では無意味だよ。」</p> <p>43〔三〕先生 ──「人情をもたずに、なにが『きまり』だ…。人情味がなくて、なんの音楽だ…。」</p> <p>44〔四〕林放が儀式の精神をきく。先生 ──「だいじな問いじゃな。儀式は、ハデにやるより、ジミがよい。葬式は、念入りよりは、しんみり。」</p> <p>45〔五〕先生 ──「文化のない王国は、文化のある亡国におよばないね。」</p> <p>46〔六〕季孫さんが(家老のくせに)泰山の祭りをする。先生が冉(ゼン)有に ──「おまえ、とめられないのか…。」返事 ──「ダメです。」先生 ──「ウーム、泰山も林放以下と見なすわけだな。」</p> <p>47〔七〕 先生 ──「人物に争いはない。まあ弓ぐらいかな。おじぎして場に立ち、降りたら飲ませる。あの争いはりっぱだ。」</p> <p>48〔八〕 子夏がたずねる、「『ニッコリえくぼ、パッチリまなこ、オシロイまぶしや』って、なんですか…。」先生──「絵は白でしあげるよ。」 ──「礼儀もしあげですね…。」先生 ──「商(子夏)くんには教えられるね。かれとなら詩のはなしができるわい。」</p> <p>49〔九〕 先生 ──「夏(カ)(の時代)のきまりはわしにもわかるが、杞(き(の国)のはよくつかめない。殷(イン)(の時代)のきまりはわしにもわかるが、宋(ソウ)(の国)のはよくつかめない。書き物も人もすくないからだ。それがあればつかめるわけだが…。」</p> <p>50〔一〇〕先生 ──「大祭も、おみきをまいたあとは、わしはもう見るのがイヤじゃ。」</p> <p>51〔一一〕だれかが大祭のわけをきく。先生 ──「知らんです。それがわかっとれば世のなかのあつかいかたも、ここにのせたようでしょうな。」と手のひらをさした。</p> <p>52〔一二〕 (先祖は)居るように祭り、神も居るように祭る。先生ll「白分で祭らないと、 祭った気がせぬ。」</p> <p> 53〔一三〕王孫賈(カ)がきく、「奥の間のきげんより、板の間のきげん』ってのは、どうですか。」先生l──「ウソですよ。天ににくまれたら、いのる間(マ)はないです。」</p> <p>54〔一四〕先生 ──「周は夏(カ)と股(イン)(の時代)を目やすにして、文化の花をさかせたのだ。お手本にしょう。」</p> <p>55〔一五〕先生は大神宮で、いちいち人にきく。だれかが ──「躑(スウ)村の若僧め、儀式を知らんじゃないか。大神宮で、いちいちきくとは。」先生はそれをきいて ──「そこが儀式だ。」</p> <p>56〔一六〕先生 一矢は通さなくてもよく、ちからわざにも差をつけるのが、背のやりかただった。」</p> <p>57〔一七〕子貢がついたちのヒツジをそなえまいとした。先生 ──「賜くん、ヒツジがおしいだろうが、わしは儀式がおしいよ。」</p> <p>58〔一八〕先生 ──「おかみをうやまえば、ごきげん取りといわれる。」</p> <p>59〔一九〕定(テイ)(殿)さまのおたずね- 「殿が使い、家来がつかえる、その方法は…。」孔先生の返事lr「使うには手あつくしてやり、つかえるには心をこめます。」</p> <p>60〔二〇〕先生 ──「『ミサゴの歌』は、喜びにもおぼれず、悲しみにも負けていない。」</p> <p>61〔二一〕哀(殿)さまがお宮のことを宰我(サイガ)にきかれる。宰我のお答え ──「夏(カ)の王さまは松、殷(イン)の時代にはヒノキ、周はクリの木を植えています。『ビックリさせる」んだそうで…。」先生がそれをきかれ ──「できた事はいうまい。やった事は見のがそう。すぎた事は責めまい。」</p> <p>62〔二二〕先生────鰤管仲は人物がちいさいな。」だれかが ──「管仲はしまり屋ですか。」先生──「管には妻が三人、家来はかけ持ちなし。なにがしまり屋だ。」──「そんなら管仲は礼儀屋ですか。」先生 ──「殿さまは目かくしを立てるが、管も目かくしを立てていた。殿さま同士の宴会にはサカズキ台があり、管の家にもそれがあった。管が礼儀屋ならば、だれだって礼儀屋だ。」</p> <p> 63〔二三〕先生が魯(ロ)の国の楽隊長に──「音楽って、こうなんだね。はじめは、音をそろえる。そして思いきり、ひびかせる。すみ通らせる。長つづきさせる。それでいい。」</p> <p><br /> 64〔二四〕儀の村の役人が会いたがっていう、「えらいかたがこちらに見えると、わたしはいつもお会いできたのですよ。」供の人が会わせる。あとでいう、「みなさん浪人もいいじゃないですか。世のなかはもう長いこと乱れている。世をみちびくのが先生の天職だ。</p> <p><br /> 65〔二五〕先生は 「韶(ショウ)の曲」を、「みごとだし、このましいものだ。」といわれた。「武の曲」は、「みごとだが、ちょっとこまる。」といわれた。</p> <p>66〔二六〕先生──「おかみはガミガミ、礼儀はゾンザイ、おとむらいに空なみだでは、どこにも見どころがないわい。」</p> <p> </p> <p>四 住むには〔里仁第四〕</p> <p>67〔一〕 先生──「住むには気ごころ。住みあてないのは、チエ者でない。」</p> <p><br /> 68〔二〕 先生 ──「俗物は貧乏にたえられないし、安楽も、長つづきせぬ。人物は心を乱さず、チエ者はくふうする。」</p> <p><br /> 69〔三〕 先生ー1「人物だけが、人をほめも、けなしもできる。」</p> <p>70〔四〕 先生 ──「人物になる気なら、悪事はできぬ。」</p> <p>71〔五〕先生 ──「カネと身分は、だれでもほしいものだが…。無理に手に入れたのは、ごめんこうむる。貧乏と下積みは、ありがたくないものだが…。身から出たのでなければ、逃げだしはせぬ。人の道を離れて、なにが人物だ。まことの人は食事のあいだも道を離れぬ。どんなに急いでも道、とっさの場あいも道だ。」</p> <p>72〔六〕 先生 ──「わしはまだ道をこのむ者、道はずれをにくむ者に会わない。道をこのめば、それがなにより。道はずれをにくむのも、やはり道だ。道はずれの者に手だしをさせないからだ。一日でも道のためにつくした人があろうか。そのちからのない人にはまだ会わぬ。あるかもしれない<br /> が、わしはまだ出会わない。」</p> <p>73〔七〕先生 ──「人のあやまちは、その人がらによる。あやまちを見れば、それで人がわかる。」</p> <p>74〔八〕 先生 ──「真理がきけたら、その日に、死んでもいい。」</p> <p>75〔九〕 先生 ──「真理を求める人が、着物くい物を気にしては、話せるとはいえないな。」</p> <p>76〔一〇〕 先生 ──「まことの人なら世間にたいして、ヒイキもなし、意地わるもなし、ただ道理にみかたする。」</p> <p>77〔一一〕先生 ──「徳をみがく人、土地にあがく人。おきてを守る人、おこぼれを待つ人。」</p> <p>78〔一二〕 先生-ー「欲と相談でやると、うらまれる。」</p> <p>79〔一三〕先生 ──「折りあいよく国をおさめれば、わけはない。折りあいよくおさめられねば、儀式もムダだ。」</p> <p>80〔一四〕先生 ──「地位はなくてもいいが、いくじがなくてはこまる。知られなくてもいいが、知られるようなことをしたいもの。」</p> <p>81〔一五〕 先生 ──「参(シン)くん、わしの道はひとすじじゃよ。」曽(ソウ)先生の返事 ──「ええ。」あとで、弟子たちがたずねる、「あの意味は…。」曽先生ll「先生の道とは、『思いやり』なんだ。」</p> <p>82〔一六〕 先生 ──「道理が。ピンとくる人と、利益が。ピンとくる人。」</p> <p>83〔一七〕先生 ──「りっぱな人は、見ならいたい。つまらぬ人でも、わが身のいましめにするのだ。」</p> <p>84〔一八〕先生 ──「親には、それとなくいさめる。きいてもらえなくても、さからわずにおく。つらくてもうらまない。」</p> <p>85〔一九〕先生 ──「親のある身は、遠出をしない。出るにはまず行く先。」</p> <p>86〔二〇〕先生 ──「三年(の忌中)父のしきたりを変えないのは、親孝行といえる。」</p> <p>87〔二一〕 先生 ──「親の年は、知っておかねばならぬ。安心にもなり、川心にもなる。」</p> <p>88〔二二〕 先生 ──「晋の人の口重いのは、やれないことを恐れたからだ。」</p> <p>89〔二三〕先生──「つつましくてしくじることは、まずない。」</p> <p>90〔二四〕先生 ──「上の人は口は重く、事はキビキビやりたい。」</p> <p>91〔二五〕 先生 ──「道をふむなら、つれはあるもの。」</p> <p>92〔二六〕子游 ──「殿さまにも、うるさいのはきらわれる。友だちも、うるさいと遠のく。」</p> <p> </p> <p> </p>

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