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大阪大学 - (2013/05/10 (金) 16:32:54) のソース

虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/1(その1) 青森・六ケ所村、「再処理堅持」の意見書 2013年02月02日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130202ddm001040031000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130202ddm001040031000c2.html
 ◇原燃社長、突然役場に 「ひな型」提示、4時間半後に可決

 民主党政権の原子力政策策定が大詰めを迎えていた昨年9月6日午後8時ごろ、青森県六ケ所村の自宅でくつろぐ
橋本猛一(たけいち)村議会議長の携帯電話が鳴った。ディスプレーに表示された名前は「川井吉彦」。日本原燃の社長だった。
川井氏が専務時代からの付き合いだが09年8月に社長に就任してからは初めての電話だ。
議長によると、川井社長は「近く閣議決定される」と事態が切迫していることを伝えた。
 この日、民主党のエネルギー・環境調査会が「30年代に原発ゼロを目指す」「核燃サイクルを一から見直す」
とする政府への提言を決めた。核燃サイクルは、原発の使用済み核燃料を再処理し、ウランとプルトニウムを再利用する事業。
見直しは六ケ所村で再処理工場を経営する日本原燃の業績や村の財政、雇用を左右する。橋本議長は川井社長からの電話を切り、
この問題に詳しい橋本勲、三角(みかど)武男両村議に相談。国に意見書を出すため翌朝、早めに登庁することを決めた。
 7日午前9時前、議長が役場の「正副議長室」に入ると、両議員だけでなく、面会を約束した覚えのない川井社長ら
日本原燃幹部3人がソファに座っていた。川井社長らは文書を示し、再処理から撤退した場合
(1)村内への使用済み核燃料受け入れ
(2)過去に再処理を委託した英仏から返還される放射性廃棄物の搬入
−−など3項目について、継続が困難になると説明した。
 意見書のたたき台とも言える内容だが、公文書の原案を民間企業が作成するのは異常だ。
橋本議長が「証拠が残るから文書を持ち帰ってほしい。後は我々で相談して決める。
他の議員や記者たちに見られるとまずいから早く退席してください」と言うと3人は従った。
 議会は同日午前10時に開会し、意見書は午後1時半、全会一致で可決された。「再処理路線の堅持を求める」と
題した意見書には8項目が並び、その中には、日本原燃の主張する3項目が含まれていた。
 日本原燃は「社長が誰に電話したのか相手のあることなので回答を控える。ただ意見書を出すよう依頼していない」と回答した。
橋本議長も「意見書は我々が独自に作った原案を基にした。日本原燃の文書は参考にしていない」と説明する。
しかし電話がきっかけで議会が動き出した事実は動かない。
 電話から意見書可決まで17時間半の早業だった。
 意見書は後日、政府のエネルギー・環境会議に届いた。民主党の方針通り閣議決定すれば、使用済み核燃料は行き場を失う。
2月に英国から返還予定の高レベル放射性廃棄物も陸揚げできない。エネ環会議事務局の関係者が振り返る。
「国際問題になりかねない。意見書は猛烈に効いた」
 昨年9月14日、エネ環会議は「再処理継続」と決めた。「見直す」とする党の方針はわずか8日で覆った。

 核燃サイクルは資源に乏しい日本が「準国産エネルギー」を目指し60年代後半から具体化させた。
しかし再処理工場の完成は19回延期され、再処理後の燃料を使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」がトラブルで停止したままで、循環(サイクル)は「完成のめどの立たない虚構」(電力会社首脳)だ。にもかかわらず撤退できないのはなぜか。
第1部は政策転換を阻む壁に迫る。

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虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/2 エネ庁・電力各社、撤退を模索 2013年02月04日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130203ddm002040115000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130203ddm002040115000c2.html

 ◇言ったら負けの「ばば抜き」

 03年6月、経済産業省資源エネルギー庁の安井正也電力・ガス事業部企画官(現原子力規制庁緊急事態対策監)は
今後の再処理政策について協議するため、電力各社とひそかに会議を設置した。
集められたのは
▽電気事業連合会の武藤栄・原子力部長(現東京電力嘱託)
▽村松衛・東京電力企画部マネジャー(現常務執行役)
▽豊松秀己・関西電力原子力事業本部副事業本部長(現副社長)
▽青木輝行・中部電力副社長。
各組織の原子力部門を代表する人物が顔をそろえ、エネ庁内部で「エージェント(代理人)会議」と呼ばれた。
 青森県六ケ所村再処理工場の建設費は当初7600億円だったが、漏水や不良溶接などのトラブルが相次ぎ
2兆円を超えることが確実になっていた。再処理工場経営会社の筆頭株主である東京電力と経産省双方の首脳は02年、
極秘に会談し、高コストを理由に再処理から撤退することで一致した。しかし部品のひび割れなどを隠蔽(いんぺい)した
「東電トラブル隠し」で東電首脳が引責辞任し協議が中断。エージェント会議で復活した形になった。
 安井氏と電力側4人は取材に対し、会議の存在を否定した。しかし、関係者がメモを残していた。メモによると、
03年7月のエージェント会議で、電力側が1枚の文書を示した。そこには再処理からの撤退を決断するための条件が並んでいた。「国から『撤退したい』と言い出す」「使用済み核燃料は国の責任で処理する」
「電気料金に上乗せして集めた使用済み核燃料の再処理費用(この時点で約2・7兆円)を、
再処理をやめても電力会社側が自由に使えるようにする」……。
 東電首脳が振り返る。
 「このころ、村田成二・経産事務次官が『六ケ所から撤退できないか』と提案してきた。電力から『撤退したい』と言えという。
冗談じゃない。国から言い出し国が責任をとるべきだと考えた」
 言い出した方が責任を負う。だから言い出せない−−。この構図はエネ庁内部で「ばば抜き」と呼ばれた。

 実はエネ庁は90年代前半にも撤退を検討していた。「X作戦」と名付けた勉強会を主催したのは原子力産業課の課員たち。
ある課員が説明する。「再処理は技術として確立していないのに事業費はどんどん膨れあがる。心配だった」。
そこで使用済み核燃料をすぐ再処理するのではなく、再処理工場は当面ストップし技術が確立するまで
核燃料を貯蔵(中間貯蔵)する政策について検討した。
 課員数人だけの勉強会。課員は「結論は『再処理を止める』でいいとしても道筋が難しい。
電力会社と地元への対策で5年はかかると思った」。ところが中心メンバーが異動し、作戦は外部に存在を知られないまま1年で終了した。
 X作戦から十数年を経て動き出したのがエージェント会議。経産省職員が当時を語る。
 「東電の勝俣恒久社長も再処理に慎重だった。再処理工場ではまだウランを使った試験(ウラン試験は04年12月)を
しておらず、今より廃炉にしやすかった。『今回はやれるかも』といちるの望みを持った」
 国、電力いずれもが撤退を模索した。だが「ばば抜き」の構図からなかなか抜け出せなかった。

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虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/3 プラントを分割発注、弱点に 2013年02月05日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130205ddm002040093000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130205ddm002040093000c2.html

 ◇「ずっと試験中でいいんだ」

 経済産業省を中心に再処理からの撤退を模索する動きは続いていた。
 03年秋、東京都内にあるかっぽうの小上がり。経産省職員数人が関西電力幹部ら2人と顔を合わせた。
当時、業界団体「電気事業連合会」トップは藤洋作・関電社長で、その意向が重要と考え、経産省側がセットした会合だった。
 経産省職員がトラブル続きの六ケ所村再処理工場について尋ねると、関電幹部は「危ないんです」と答えた。
当時、漏水や施工ミスなどの発覚が相次いでおり、官民ともに「危険性がある」という認識で一致した。幹部は続けた。
「投資が巨額で自分たちからはやめられない(撤退できない)。ただ、これまでも自分たちは国策に協力してきた。
国が『やめる』といったらやめられるかもしれない」
 再処理工場の重大な弱点として、分割発注を挙げる声は根強い。
 取材班は関係者から「再処理施設所掌一覧表」と題したA3判1枚の文書を入手した。左半分に各施設の配置図、
右半分に受注業者名が記載されている。配置図は核防護上の問題、業者名は私契約に関する事項だとして、いずれも非公開だ。
文書によると施設は原発メーカーなど14社に分割発注されている。
14社から建設工事を請け負ったゼネコンを加えると25社以上になる。
工場配管の総延長は約1300キロ。東京−徳之島(鹿児島県)間の直線距離にあたり複雑かつ大規模だ。
 国の原子力政策作りを担う原子力委員経験者の一人が明かす。
 「プラント設計がばらばらで、分断されて施工している。うまくいくわけがない。トータルで仕切っている会社もない」

 04年4月27日、経産省職員2人は意を決して自民党商工族で大臣経験もある重鎮に接触した。
撤退には政治の後押しが不可欠だ。場所は東京・永田町の国会議事堂にある一室。A4判5枚の資料を渡し説明した。
 「再処理工場は安全性に疑念がある。行政も電力も本音では『動かしたくない』と思っている。
原子力発電自体は維持しつつ再処理は凍結すべきだ。サイクル政策について、
首相直轄の『原子力政策改革委員会』(仮称)を新設し徹底的に議論して見直してほしい」
 重鎮は黙ったまま聞き、説明が終わるとこう言った。
 「君らの主張は分かる。でもね。サイクルは神話なんだ。神話がなくなると、核のごみの問題が噴き出し、
原発そのものが動かなくなる。六ケ所は確かになかなか動かないだろう。でもずっと試験中でいいんだ。
『あそこが壊れた、そこが壊れた、今直しています』でいい。これはモラトリアムなんだ」
 重鎮は核燃サイクルという看板を失ったとたんに使用済み核燃料の置き場所、つまり最終処分場の問題が浮上し、
反原発運動に火がつくことを恐れた。重鎮は協力を拒否した。
 原子力部門に勤務した経験のある経産省幹部は「痛かった」と振り返り、
別の経産省職員は「このころから風向きが変わった」と話した。

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虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/4 自民商工族がエネ庁に圧力 2013年02月06日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130206ddm002040076000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130206ddm002040076000c2.html

 ◇直接処分、試算膨らませろ

 04年5月14日午前8時、東京・永田町の自民党本部。7階の一室で「エネルギー関係幹部会」が開かれた。
自民党政調に置かれたエネルギー関係の委員会に所属する商工族ら衆参16議員が出席。
経済産業省資源エネルギー庁の日下一正長官、石毛博行次長、寺坂信昭電力・ガス事業部長、
業界団体の電気事業連合会幹部が招かれた。
 会議は非公開。議員らは取材に対し「覚えていない」などと答えた。
しかし経産省職員が作成し、関係部署に送信した議事メモが残されていた。
 3日前の同11日、日経新聞が1面トップで、国の原子力委員会がコスト高から「核燃料サイクル政策を抜本的に見直す」と
報じていた。会議は報道を基にエネ庁を「つるし上げる」(出席した経産省職員)構図だった。
 A議員「日経新聞に訂正を打たせろ」
 B議員「役所の課長レベルに(核燃サイクルに)反対の人がいるので、こういう問題が出てくる」
 日下長官「閣議後の大臣会見で(報道は)事実無根であると発言していただいている」
 B議員「大臣が発言しても十分ではない」
 C議員「原子力は報道との戦い。まともな報道は少ない」
 当時、青森県六ケ所村の再処理工場を動かすと18・8兆円のコストが生じると公表されていた。
一方、再処理工場を動かさず使用済み核燃料を地中に捨てる直接処分を選んだ場合のコスト試算について、
エネ庁や原子力委、電事連などが共同で作業を進めていた。
 D議員「直接処分のコストについて強引に(試算を)作ればいい」
 発言は「意図的に直接処分のコスト試算を膨らませろ」という意味だ。
会議に出席していた経産省職員は「今でも覚えている。ひどいと思った。ただ試算は『粉飾』しなかったはず」と語る。
別の職員は「粉飾したといううわさを省内で耳にした」と話し真相は分からないが、
いずれの職員も会議の様子から「撤退は難しいと感じた」と振り返る。自民党議員はこう話したという。
「2カ月後は参院選。スタンスを維持しないと支持者が離れる」
 電力業界は立ち位置を変えた。電事連の総合政策委員会(通称社長会)は自民党の会議と同じ日
「サイクル確立に向けた流れを確実なものとする」ため全会一致で「推進に関する決議」をした。
02年から撤退に向けて経産省と水面下で協議してきたが、
政策転換した際の責任を国、電力いずれがとるのか折り合いがつかなかった。
この間、立地自治体である青森県や六ケ所村の反発が強まり時間切れになったのだった。

 同日夕の経産事務次官室。当初は電力側に再処理撤退を持ちかけていた村田成二次官と、部下とのやり取りが残されたメモがある。
 寺坂部長「もうもたない。六ケ所は動かすしかない」
 これに対し、村田次官は「すぐに(再処理をやめて)直接処分にしろと言っているわけではない」と言うだけで
「今どうすべきか」明確に答えなかった。政治と電力は「稼働」で一致している。省内を諦めが覆った。
 結局撤退は失敗した。2人はどう思っているのか。村田氏は取材に応じず、寺坂氏は次官室での発言内容を否定した。

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虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/5 「撤退」唱える共同研究 2013年02月07日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130207ddm002040044000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130207ddm002040044000c2.html 

 ◇電力業界異論で連載中止

 使用済み核燃料を再処理し、ウランとプルトニウムを取り出して再利用する核燃サイクルを維持するのか、見直すべきか。
03〜04年、研究者の世界でもせめぎ合いがあった。
 「どうする日本の原子力」と題した連載が03年8月、業界誌「原子力eye」9月号に載った。
書いたのは山地憲治東大教授(現名誉教授)や電力各社の寄付で作る「電力中央研究所」に所属する鈴木達治郎上席研究員ら
「原子力未来研究会」のメンバー。記事は「巨額のコスト」を理由に「青森県六ケ所村の再処理工場は経営的に破綻している。
核燃サイクル確立という国策の堅持は閉塞(へいそく)感を強め、原子力の未来を危機に陥れる。国策を変えるべきだ」
と主張していた。
 10月号では「出口なき前進ではなく撤退を」と訴える予定で、既に原稿もできあがっていた。
ところが8月15日、山地教授は出版元の編集主幹から「どうにもなりません」と連載中止の連絡を受けた。
編集主幹の上司が取材に答えた。「電力業界から『(購読や広告出稿によって)この雑誌に金を出しているのに何だ。
この記事はおかしいじゃないか』と批判が出た。頭にきたが仕方がなかった」
 同じころ、経済産業省OBの一人はある電力会社の首脳が「あいつら(山地、鈴木両氏)はもう原子力の、
電力の世界から全部消す」と話しているのを聞いた。
OBは「研究をやめさせるから『消す』のはやめてくれ、と裏で走り回った」と言う。

 しかし、水面下で研究は続いた。山地、鈴木の両氏に、佐藤太英(もとひで)電中研理事長、
電力各社の役員が理事に名前を連ねるシンクタンク「日本エネルギー経済研究所」の内藤正久理事長(現顧問)、
田中知(さとる)(前日本原子力学会会長)、八田達夫(現学習院大特別客員教授)の両東大教授らが加わり、
03年12月に極秘の研究会が発足した。04年1月に合宿をした後に各自研究を進め、同5月には報告書をまとめた。
 「核燃サイクルを維持すると、コスト高で電気料金が上がり産業界が反発」
「再処理工場を一定期間動かした後にストップすると(六ケ所村など)自治体が反発」
「工場を稼働させず直接処分を可能にすると、青森県が使用済み核燃料の受け入れを拒否し、電力が原発から撤退する」など、
大別して3パターンの予想をした。どの政策にも一長一短があるという当たり前とも言える分析だった。
 ところが報告書の内容を知った東京電力幹部は「『六ケ所をやめる』というパターンが含まれているのはまずい」
と公表しないよう求めた。経緯を知る関係者は「電中研もエネ研も電力の金なしでは成り立たない。だからあきらめた」と語る。
研究会は解散し、報告書は闇に葬られた。
 佐藤、内藤の両理事長と山地教授は取材に対し圧力を否定。田中、八田の両教授は「経緯は知らない」と答えた。
現在、原子力委員長代理を務める鈴木氏は「コメントする立場にない」と話した。=つづく(肩書は当時)

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虚構の環:第1部・再処理撤退阻む壁/6止 上層部「維持」で意思統一 2013年02月08日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130208ddm002040105000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130208ddm002040105000c2.html
 ◇経産省「撤退派」を次々更迭

 04年6月、原子力政策決定の鍵を握る経済産業省資源エネルギー庁の電力・ガス事業部長と原子力政策課長が交代した。
新任の安達健祐(けんゆう)部長(現経産事務次官)と柳瀬唯夫課長(現首相秘書官)らはすぐに青森県に飛んだ。
柳瀬課長が回想する。
 「三村申吾(しんご)知事、古川健治六ケ所村長と会った。2人とも『あなたたち(国)、何をやっているんですか。
東京の人が無責任に振り回さないでほしい』と言った。怒っているというより困っている感じだった」
 六ケ所村は全国の原発から使用済み核燃料を受け入れている。なぜか。
それは、再処理工場でウランとプルトニウムを取り出して再利用する核燃サイクル事業のためだ。
ところが当時、さまざまなマスコミが「国が核燃サイクル見直しへ」と報じ、地元は不信感を募らせていた。
柳瀬氏は「会談後、撤退するにせよ、維持するにせよ、はっきり決めなければならないと感じた」という。
 同月、電力側に再処理からの撤退を持ちかけていた村田成二・経産事務次官が退任。
すると翌月以降、水面下で動いていた経産省職員数人が次々異動した。エネ庁職員が解説する。
「当時、新体制になり上層部は『サイクル維持』で意思統一した。そして撤退派を更迭した」。粛清の嵐が吹いた。
 同11月、内閣府原子力委員会の「策定会議」が核燃サイクル維持を基本方針とする中間報告をまとめた。
翌月には再処理工場で、初めて放射性物質(ウラン)を使った試験が始まる。「ついに施設が汚れた。
廃炉費用が約1・2兆円増え、撤退はさらに難しくなった」。更迭された職員は無力感に包まれた。

 「再処理事業の確実な実施が著しく困難となった場合、(工場を経営する)日本原燃は使用済み核燃料の施設外への搬出を含め、
速やかに必要かつ適切な措置を講ずる」。98年、日本原燃、青森県、六ケ所村が締結した覚書だ。国も電力もこの文書に基づき
「再処理から撤退→工場に貯蔵中の使用済み核燃料が各原発に送り返される→収容しきれなくなり全原発が即時停止」という
シナリオを最も恐れる。
 現職のエネ庁課長級職員が取材に答えた。「核燃サイクルは恐らく完成しない。早く撤退した方がいいと思う。
でも実際の政策となると無理」。電力会社首脳も「『サイクルをやるべきだ』とは思わない。しかし仕方がない」と言う。
 04年、核燃サイクルの問題点と撤退に向けた方策をまとめた経産省職員のメモが残っている。
「国民的コストが大で安全性に関する懸念が強い。反原発派のみならず原子力推進論者の中にも批判がある」としたうえで
「民間任せの使用済み核燃料の取り扱いについて国の責任を明確にし、立地自治体に対し血みどろになって説明、
撤退への了解を獲得する」と書かれている。
 問題点は今も重なる。だが今、撤退に向け奔走する人物はいない。

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14  修正中