山田孝男3

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風知草:べつの道を行こう=山田孝男 2012年06月04日

 レイチェル・カーソン(アメリカの生物学者・ジャーナリスト、1907〜64)が「沈黙の春」を書いて
環境汚染を告発したのは50年前、1962年の夏だった。本の最終章に
「べつの道(The other road)」という題をつけた上で、カーソンはこう書いている。
 「私たちは、いまや分れ道にいる。(中略)どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、
すばらしい高速道路ですごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、
禍(わざわ)いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり人も行かないが、この分れ道を行くときにこそ、
私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる最後の唯一のチャンスがあるといえよう……」(青樹簗一訳=新潮文庫)
 原発再稼働の前にかみしめるべき一節だと思う。

 カーソンは農薬や殺虫剤の乱用に伴う自然破壊の実態を暴く一方、放射能にも強い関心を示した。1962年は
冷戦下の核実験のピークだ。死の灰の降下のみならず、平和利用の核廃棄物による海洋汚染や原発事故にも警鐘を鳴らした。
 化学薬品と原子力に立ち向かったカーソンの精神は、
「人間は時として利口すぎ、かえって我が身を滅ぼそうとしているのではないか」
「人間も他の生物と同じく地球生態系の一部であり、環境の力に支配されているという事実を、なぜ受け入れないか」
(63年、サンフランシスコでの講演記録から)という疑問に根ざしている。

 原子力をめぐるカーソンの発言については「センス・オブ・ワンダー」の翻訳者である上遠(かみとお)恵子
レイチェル・カーソン日本協会会長(83)に教わった。
上遠は、農林官僚だった父の勧めで「沈黙の春」の出版直後に原書で読んだが、はじめはピンとこなかったという。
 「戦後の腹ぺこ時代、DDTのおかげで害虫が減って生産力が上がったでしょ。農薬はいいもんだって思ってた。
アメリカは戦争に勝ったし、食糧難もないし、農薬批判なんてぜいたくだと思った。
ところが、日本でも公害が出て、いや大変だって読み返したんです」

 「沈黙の春」自体、最初から名著として受け入れられたわけではない。出版前から妨害を受けた。
農薬企業、そこから助成を受ける学者、研究機関が批判を繰り返した。近年、ネットで幅を利かせたのは
「カーソンの警告によってDDTが禁止されたため、何百万人ものアフリカの人々がマラリアで死んだ」というものである。
 なるほどDDTで死んだ人間はほとんどいないが、DDTは自然界に取り返しのつかない影響をもたらした。
 カーソンへの批判を個別に検討してことごとく退けたアメリカの科学史家は、批判は、
経済活動に対する規制を嫌う自由市場主義やイデオロギーに基づく偏見であると指摘。
その上で「現代の産業文明は持続可能ではない。科学はレイチェル・カーソンが間違っていなかったことを示した」
と結論づけた(楽工社昨年12月刊「世界を騙(だま)しつづける科学者たち」)。

 野田政権は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を提案、周辺自治体は「とりあえず動かすのはやむをえぬ」
という趣旨の声明を出して同意した。
それは高速道路走行の漫然たる継続ではなく、べつの道へ進入するための決定だというビジョンを示してほしい。(敬称略)

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風知草:目にも留まらぬ政治=山田孝男 2012年06月25日

 「決める政治」と「決められない政治」のほかに「目にも留まらぬ政治」もある。
 増税3党合意の陰で「原子力基本法」が書き換えられた。核武装に含みを持たせたと取れる文言が加筆された。
別の法律の付則で基本法改定を決めてしまうという姑息(こそく)な形で。
 このやり方に驚いているのは反核運動家と脱原発派だけではない。体制立て直しを探る原発推進派の間にも批判が広がっている。こんなやり方で信頼を取り戻せるはずがない。

 問題の法律の名は「原子力規制委員会設置法」という。なにしろ速かった。民自公3党の修正合意を経て
法案が国会に出たのが15日。成立が20日だ。原発再稼働をにらみ、規制委の発足を急いだわけである。
 その法案に基本法の改定条項が埋め込まれていることが公になったのは、法案成立当日、20日の参院環境委員会で、
民主党の議員が「狙いは核武装か」と質問したことによる。
 質問者は「議案を渡されたのが15日。修正部分の新旧対照表もなかった」と嘆いた。改定は自民党主導だが、
3党合意直後の14日夕、自民党の合同部会で配られた法案要綱に焦点の文言は見えない。同党政調のベテランも
「どういう経緯かわからない」と首をかしげた。
 日本核武装の布石ではないかと疑われた文言とは何か。基本法2条(基本方針)に、こう書いてある。
原子力の研究、開発及び利用は平和目的に限り「民主、自主、公開」の3原則に基づいて進める(大意)。
その2条に第2項を加え「安全保障に資することを目的として」という文言を織り込んだところが条文修正のミソである。

 「安全保障」とは何か。20日の参院環境委でそこを聞かれた自民党の提案者は核武装の意図を否定し、こう答えた。
「原発の安全、軍事転用を防ぐ国際原子力機関([[IAEA]])の保障措置、原発テロの防護を規制委に一元化することです」
 東京新聞が21日朝刊1面トップで「原子力の憲法、こっそり変更/軍事利用への懸念も」と大きく報じた。
テレビも伝え、韓国外交通商省の副報道官が「注視している」と反応したというのが週末までの情勢だ。
 自民党からこの案が出たことは驚くに当たらない。戦後、日本核武装への期待を非公式に語った政治家、官僚はいくらでもいる。
表向きは非核の理想を掲げつつ、いつでも持てる「潜在的保有国」であることが経済大国の心の支えだった。

 では、暗黙の了解だった「潜在的核保有国」の自負を表に出す理由は何か。旧知の官僚の解説を興味深く聞いた。
 「六ケ所村(の核燃料再処理工場=青森県)でしょう。脱原発が進めば、あの施設は意味を失う。
核物質の軍事転用に備えるという意義を法律に入れておけば存続可能です。
そう考えた自民党の議員と、手伝った役人がいたと思いますね」
 そんな立法が、基本法を正面から論ずることなく、関連法の付則で決まった。先の官僚の慨嘆、傾聴に値する。

 「付則による関連法改正というのは、ある法令を変えると必然的に他の法律も変えざるをえない時にやるもので、
今回は趣旨を履き違えている。法的には有効ですが、まったく不適切な立法だと思いますね」
 原子力基本法は自民党が生まれた1955年にできた。それから57年。事態は、「民主、自主、公開」の3原則にますます逆行している。(敬称略)

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風知草:あまりに事務的な=山田孝男 2012年07月02日

 自民党に言わせれば、「原子力基本法」改正は核武装の陰謀ではない。衆院法制局に聞いてみたが、改正の手続きに問題はない。
だが、釈然としない。そもそも「基本法」とは何かという疑問が残る。
原子力政策の根本を定める法規が、かくも事務的に塗り替わっていくことに対する違和感がある。
 先週、陰謀説の一端を紹介した当コラムは、今週もこの問題にこだわってみる。
 陰謀とは何か。原子力の平和利用を定める基本法2条に第2項を設け、「安全保障に資することを目的として」
という文言を加筆した。加筆部分は自民党原案のまま。そのココロは自存自衛の保守イデオロギーと結びついた核武装の布石か、
軍事転用に含みを持たせて核燃料再処理工場を維持する策略ではないかという話である。
 この加筆は原子力規制委員会設置法案の付則の改正として議事に付され、初めは新聞記者も気がつかなかった。

 同法成立直後、「こっそり変更/軍事利用への懸念も」(東京新聞6月21日朝刊)などと報じられたことに対し、
自民党の原子力規制組織に関するプロジェクトチーム座長の塩崎恭久元官房長官(61)が反論した。ポイントが二つある。
 「安全保障という文言に軍事的意味合いを持たせたり、非核三原則に変更を加えたりという趣旨は、毛頭ない」
 「付則による改正は通常手続きであり、こっそり変更という批判は当たらない」
 もう一人、塩崎とともに自民党案とりまとめの中心だった吉野正芳党環境部会長(63)に聞くと、こう答えた。
 「党内協議には欠かさず出たが、(政策的意図に基づいて基本法を改正するという話は)全くありません。
規制委の設置法に『安全保障に資することを目的として』と書いた。核不拡散や原発テロ対策に努めるという意味ですよ。
(衆院)法制局と相談し、他の法律との整合性をとったに過ぎない」

 この人は原発被災地の福島県中南部が地盤。「旧法では、核武装論の首相が登場すれば
核施設に対する国際機関の査察を拒むこともできた。新法で歯止めをかけたのに、核武装を疑われるとは」と嘆息だ。
 この事態、衆院法制局はどう見ているか。自民党に引きずられたのか。関連法付則による基本法改正は邪道か。
 幹部に聞くと、問題ないという。法制局職員必携「ワークブック法制執務」によれば、「新たな法規の定立を目的とする場合、
法令の付則で既存の法令の一部を改正する」ことになっている(343ページ)。
 「原子力基本法」は広島・長崎への原爆投下から10年、
日本漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験に巻き込まれた翌年の1955年にできた。

 核の平和利用と軍事利用の技術的同質性、相互依存性をめぐり議論が沸騰した。
 湯川秀樹、朝永振一郎、武谷三男、坂田昌一ら、そうそうたる物理学者の主導で「民主、自主、公開」の原子力3原則が生まれ、
日本学術会議の声明に盛り込まれた。それをそっくり取り込んで定めたという経緯が基本法2条にはある。
 いま再び、原子力に潜む根源的な課題が問われているが、政官学界には57年前の熱気も緊迫もない。
組織改編に伴う細目はともかく、基本法の理念規定の改正をめぐる事務的な、あまりに事務的な調子の先に何があるか。
不安だ。(敬称略)

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風知草:意見聴取会の激白=山田孝男 2012年07月23日 

 批判続出のエネルギー政策意見聴取会(政府主催)にも功績はある。原発護持の電力会社幹部の激白を引き出し、
脱原発派の反発を誘って議論を盛り上げた。政府は今後、電力会社社員の意見表明を認めない方針らしいが、
むやみな規制より、何が問題か、激白の中身を点検する方が建設的だろう。
 先週の聴取会は電力会社の社員が意見を述べた仙台、名古屋会場の混乱が話題だった。それぞれヤジで中断した。
東北電力に届いた抗議の電話・メール100件に対し、中部電力802件。中電はホームページに謝罪文を載せた。
最大の反響を巻き起こした中電の課長の発言はどんなものだったか。

 会場のヤジを誘ったくだりはこうだった。「放射能の直接的な影響で亡くなった方は(福島原発事故の場合)
一人もいらっしゃいません。5年、10年たっても状況は変わらないと思います。疫学のデータから見てまぎれもない事実です。
5年、10年たてばわかります」
 この種の発言とそれに対する批判は昨年来、何度も繰り返されてきた。
なるほど直接被ばくの死者はいないが、統計を盾に内部被ばくの影響なしと割り切ることはできない。

 ベラルーシで甲状腺がんの治療にあたった[[菅谷昭]](すげのや)(68)=外科医、長野県松本市長=は
「新版チェルノブイリ診療記」(新潮文庫)の序文にこう書いている。「統計上は致死率が高くないとしても、
現実には病と闘う子どもがいて、時に命を落とす子どももいた。(中略)机の上で何をどう分析しても命を失う痛みはわからない」
 聴取会は11都市で開く。既に5カ所で終えた。インターネットで同時中継し、国家戦略室のホームページに動画を載せているが、アクセス数は少ないらしい。むべなるかな、前半は大臣あいさつと官僚の説明だし、進行も円滑にはいかない。

 だが、動画を追うとニュースから抜け落ちた部分が見えてくる。
中電の課長の発言は「経済成長なくして幸福なし」というメッセージの一部だ。この人はこうも言っていた。
 「実質的な福島の被害って何でしょう。警戒区域設定で家や仕事を失ったり、
過剰な食品安全基準値の設定で作物が売れなくなるなど、経済的な影響が安全や生命を侵してしまっている事例だと思います」
 「経済が冷え込み、企業の国際競争力が低下すれば福島事故以上か、それ以上のことが起きると考えています」
 逆風の中、顔も名前も明かして所信を述べた勇気には敬意を表するが、原発を動かさなければもっとひどい事故が起きるという
主張は常識を超える。カネさえ回れば万事解決という確信も疑問だが、「成長なくして幸福なし」という感覚は
経済大国のエスタブリッシュメントに共通する本音だろう。 そんな幸福観とは相いれない意見陳述が多かった。
名古屋で発表した東京の大学生はこう語って拍手を浴びた。

 「なぜ、経済成長が前提になるのでしょう。
人口が減り、生産人口はさらに早く減るのに国内のモノやサービスを増やす必要があるでしょうか。
欲しいときに欲しいものが、どこでも手に入る大量消費、大量生産の社会は本当に心豊かな社会と言えるでしょうか……」
 経済より脱原発か、脱原発より経済か。渡る世間はカネ次第か、そうでないか。
明日の幸福観をめぐる論争は歴史的な要請に違いない。(敬称略)

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風知草:長州が動いたのか=山田孝男 2012年08月06日

 好ゲームの敗者の弁には含蓄がある。山口県知事選(7月29日)で負けた[[飯田哲也]](てつなり)(53)に先週、
感想を聞くと、こう答えた。選挙を通じて「さびついた鉄板にいくつも亀裂が入り、裂け目が広がっていく感じがしました」。
負け惜しみと切り捨てるわけにはいかない。
 勝敗は明らかだった。新人4人が争った知事選の覇者は元国土交通審議官、自公推薦の山本繁太郎(63)である。
山本25万票に対し、無党派の飯田18万票(次点)。7万票弱の差がついたにもかかわらず、「飯田善戦」と新聞は書いた。
 理由はある。山口は、いわゆる保守王国である。民主党旋風が吹き荒れた09年の衆院選でさえ、
4小選挙区のうち三つを自民党が押さえた。この時、自民党系でただ一人落選し、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、
目標を知事選に変えて準備してきたのが山本だ。

 対して飯田。脱原発の論客でメディア露出も多い。いわば時の人だが、選挙はド素人。頼れる組織もない。
脱原発のうねり侮るべからずとはいえ、風頼みの選挙ではタカが知れていると見る向きが多かった。
 ところが、強かった。飯田は郷里の周南市(県東部。人口15万。かつての徳山市と新南陽市が中心)で
山本を引き離したのみならず、足場のない県西部の大都市・下関(人口28万)や宇部(同17万)でも山本を苦しめた。
下関では山本4万票、飯田3万票。この肉薄はとりわけ自民党に衝撃を与えた。
 飯田快進撃の理由は何か。自公側の見方に2説あった。
オスプレイ(米海兵隊輸送機)の岩国基地(県東部)搬入強行がたたった説と、脱原発のIT企業が資金を提供した説。
 選挙資金について飯田に確かめると、「フェイスブックを通じて集まった寄付1800万円が基本。孫正義さん
(ソフトバンク社長)が出したと言われるが、いただいてません」と苦笑いのうえ、いささかも迷わず善戦の理由を断定した。
 「原発依存で20世紀型の工業社会にしがみつくか、脱原発で自然を守る心豊かな21世紀型社会を開くか。
私は21世紀型への移行を訴え、多くの方々が、未来はその方向にあると共感してくださったと思います」

 飯田は県立徳山高校から京大工学部原子核工学科へ進み、同大学院を経て83年、神戸製鋼入社。
3年ほど原子力機器製造に携わり、財団法人・[[電力中央研究所]]へ出向。
原発国際基準の歴史や日本がそれを取り入れてきた経緯を調べるうちに生き字引となり、
やがて政府の原子力安全委員会から答申の下書きを任されるようになった。
 「原子力ムラ」に疑問を抱いて90年、スウェーデン留学。00年、NPO「環境エネルギー政策研究所」設立。
昨秋、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員に招かれたが、いまだ聞く耳持たぬ官主導に反発して出馬を決めたという。
 この間、橋下徹大阪市長の顧問に迎えられたが、「大阪維新の会」の活動とは無縁。
原発再稼働で市長と判断が分かれたものの「橋下さんの思いは分かりませんが、関係は変わっていないつもり」だそうな。
 旧長州藩の領地は今の山口県と同じ。長門国(ながとのくに)、周防国(すおうのくに)の防長二州から成る。
飯田は周防の人だが、長州人である。司馬遼太郎に従えば、
長州人は温順、律儀、怜悧(れいり)と見えて猪突(ちょとつ)猛進という複雑な性格をもつ(街道をゆく/長州路)。
山口の有権者は猛進し始めたか。考えさせられる知事選だった。(敬称略)

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風知草:信金理事長の直球=山田孝男 2012年08月13日

 「近いうち」の総選挙と希望について書こうと思ったが、筆が進まない。
すると、間近のテレビに[[城南信用金庫]]の[[吉原毅]](つよし)理事長(57)が現れ、
「[[経団連]]の加盟企業は自分で原発を買い取って運営できるのか」と斬り込んだ。(9日、テレビ朝日「[[報道ステーション]]」)
 「そもそも、銀行が融資に応じるはずがない。最後は国民負担と見越して自分たちにできもしないこと(原発継続)を提言する。
それで『現実的』とは話がさかさま、無責任きわまりない」と歯に衣(きぬ)着せぬ名調子。
何事も目配り気配りでモノが言いにくい当節まれに見る直球、それも、小兵とはいえ金融機関トップの公式発言だから、
インパクトは大きかった。
 テレ朝によれば、番組に届いた反響は「よく言った」と「けしからん」が半々。
人気番組での直言は、賛否を問わず、視聴者の心を波立てた。

 吉原の「脱原発」は知る人ぞ知る。新聞・テレビにしばしば登場し、中部電力浜岡原発の廃炉を求める訴訟の原告団にも参加。
金融機関にあるまじき逸脱、時流迎合の売名といぶかる向きもあるが、さにあらず。
会って話してみれば、地域金融の伝統と経験に基づく確信という筋金が入っていた。

 城南は預金量で全国の信金中2位。前身の城南信用組合は1945年、東京都大田区で生まれた。城南は江戸城の南。
いまのNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」の世界だ。吉原自身、大田区生まれ。77年、慶大経済学部を卒業して入社。
第3代理事長で、信用金庫業界のドンと仰がれた小原鉄五郎(おばらてつごろう)(1899〜1989)に仕えた。
 小原語録に「銀行に成り下がるな」がある。「信用金庫は地域を守って地域の人々の幸せに貢献する。利益第一の銀行とは違う」
と小原は言った。高度成長の60年代、信用金庫も株式会社化(信金は協同組合だ)して銀行と合併せよという流れが強まった時、
小原は反対の先頭に立って食い止めた。
 全国の信金を団結させ、「地域無視、人間不在、効率一辺倒の超資本主義は国を過つ」と説いた。
その熱弁と行動力で、澄田智・大蔵省(現財務省)銀行局長(後の日本銀行総裁)や
中山素平・日本興業銀行(現みずほ銀行)頭取を感嘆させた逸話は語りぐさである。

 その城南も常に小原精神を守ってきたわけではない。吉原は10年11月、利益至上主義と情実人事に流れて理事長を世襲した
前2代のトップを理事会の多数決で解任し、実権を握った。理事長は60歳定年、年収は支店長レベルの1200万円以下、
世襲は論外、社用高級車廃止と定め直しての登板だ。
 吉原の「脱原発」は、苦い体験を踏まえ、本来の伝統に帰ろうという実践の一環である。
必要とあらば国策にもの申す小原精神の継承である。
 愛読書の一つがアダム・スミスの「国富論」。中に株式会社と協同組合の比較論がある。
協同組合には組合員自治の規律があるが、株式会社の運営には怠慢と浪費がつきまとう。
このくだりは英国東インド会社の乱脈を見ての加筆。今日に通じる観察と吉原は見る。
 これでもかと噴き出す内外の「金融ムラ」不祥事、巨大株式会社の乱脈と、原発依存の産業体制はつながっている。
資本主義の歴史的な曲がり角で「脱原発」の先頭に立ち、混迷に直球を投げ込んだ吉原の挑戦は、
思いつきでも、便乗でも、政治道楽でもない。(敬称略)

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風知草:シューマッハーの予言=山田孝男 2012年09月24日 

 原発の将来をめぐる政府方針の動揺を私は批判しない。決めればいいという問題ではないと思うから。
国民の幸福観の分裂が背景にあると思うから。混乱の根っこにまでさかのぼって考えなければ解けない難問だと思うからである。

 異端の経済学者、シューマッハー(1911〜77)の予言的著作に「スモール・イズ・ビューティフル」
(邦訳は講談社学術文庫)がある。73年、石油ショック直前に危機を予測、ベストセラーになった。危機が去ると忘れられた。
3・11後の目で読むと、原発の危険を言い当てたくだりが新鮮だ。

 「原子力/救いか呪いか(Salvation or Damnation?)」という1章を設け、
「原爆より平和利用(原発)が人類に及ぼす危険の方がはるかに大きいかもしれない」と書いた。著者はドイツ生まれの英国人。
近代経済学の巨人、シュンペーターとケインズに師事し、英国石炭公社に長く勤めた資源派エコノミストでもある。

 「スモール・イズ・ビューティフル」は表題が示す通り、経済膨張主義に対する警告の書である。「平和の土台は繁栄であり、
経済の拡大がすべての矛盾を解決する」という、現代の主流の考え方に対する批判の書である。
「需要を作って不況を乗り切る」ケインズ政策に対する反逆の書でもある。

 ケインズ政策は20世紀の先進国経済にはあてはまったが、グローバリゼーションの時代、
万国がそれをやれば地球が壊れてしまうとシューマッハーは説いた。科学技術の巨大化を疑い、
地域に見合った「中間技術(Intermediate Technology)」を求めてこそ破局は避けられると考えた。

 シューマッハーのことは尾関修・元横浜商科大教授(70)に教わった。この人も異端。
東大の大学院(経済学研究科)を出て三菱総研に20年勤めたが、シューマッハー思想に傾倒して冷や飯を食い続けた。

 77年、東京電力の依頼で超長期のエネルギー資源需給予測を手がけ、2020年の原発比率を10%と予測した
(実績は11年で30%)。「同僚に妥協して10%と見たが、シューマッハーならそんな過大な予測は認めなかった。
不本意でした」と苦笑いで振り返る。

 その後、東京ディズニーランド建設の環境影響評価を求められたが、「あんなとこ(千葉県浦安市沖)埋め立てちゃダメです」
と断って管理職からヒラに降格。後日、夫人と愛息が商店街の福引でディズニーランドの入場券を当てたものの、
父の信念に従って泣く泣く捨てたという逸話が泣かせる。
 尾関は大学でもシューマッハーを講じて孤立した。いまは難病を得て長野県御代田町の自宅で療養中の身。
震災に伴う原発崩壊とディズニーランド周辺の地盤液状化のニュースを感慨深く聞いたという。

 脱原発は感情論だろうか。脱原発のシューマッハーも、尾関も経済理論に精通している。
彼らが異端視されるのは感情的だからではない。「幸福は経済の戦略的抑制にある」と考えるからだ。
「幸福は経済の拡大にあり、科学技術が無限の未来を開く」という主流派の教義への謀反と見なされるからだ。

 原発政策をめぐる混乱の背後にある「幸福観の分裂」とはこのことである。最先端を走って傷ついた日本がまず異端に学び、
世界に先がけて主流のゆがみを正していく。当然のことであると私は思う。(敬

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風知草:映画「東京原発」再び=山田孝男 2012年10月08日

 核のゴミ捨て場を選定中の細野豪志環境相と横光克彦副環境相が同時に交代した。
無責任と言えば無責任だが、問うべき本質は人事ではない。
 核のゴミをどこに保管するのか。先例通り、札束を積んで田舎に埋めるのか。海外に捨てるのか。
どちらもダメなら、電気の大消費地、つまり国内の都市部に持ち込むしかないのではないか。
受益者がリスクも引き受ける。原発依存を選ぶなら、そもそも、そういう運営ルールであるべきではないか。
 この根源的な問いに真っ正面から挑んだ映画がある。「東京原発」(02年、山川元(げん)監督、役所広司主演)である。
 役所演ずる天馬(てんま)東京都知事は人気とヒラメキが身上だ。
ある日、副知事と局長を集め「東京に原発を誘致する」と言い出した。
「すぐ記者会見だ」「いや、よく検討を」と議論沸騰の会議室。東大教授と政府の原子力安全委員も登場、
3・11後の今日ではよく知られた原発政策の問題点を毒気たっぷりに解き明かす爆笑会話劇である。
 副知事に段田安則、局長に岸部一徳、吉田日出子、平田満と脇役も豪華だが、この作品は長く顧みられなかった。
 山川監督(55)に聞いた回顧談がおもしろい。この人は反原発運動とは無縁の喜劇監督である。
たまたま読んだ「東京に原発を!」([[広瀬隆]]著、81年JICC出版局)と01年当時の「元気な知事」ブームにヒントを得て
自ら脚本を書いた。

 「Shall we ダンス?」(96年、周防(すお)正行監督、役所主演)の助監督だった縁で役所に出演を依頼、
快諾を得た。他の出演者も脚本をおもしろがり、二つ返事で乗ってくれた。
試写を見た先輩監督いわく「いやー、すごいもの撮りましたね。でも仕事がなくなりますよ」。はたしてその通りになった。
 配給会社は決まったが、上映してくれる映画館がない。04年、東京の2館でやっと公開されたものの不入り。
それが、東京で開かれた05年度地球環境映像祭で外国人審査員にバカ受けして最優秀賞。
DVD化され、3・11後、注目され始めた。
 先週末、川崎市の映画祭で上映され、かけつけた役所が「もう一度、大きなスクリーンで見ていただきたかった」と舞台あいさつ。
会場は満席。終映後、はじめ静かに、徐々に大きく、満場に拍手が広がった。
 もはや原発新設の現実味は薄い。だが、「原発」を「放射性廃棄物貯蔵施設」と読み替えれば映画はなお新鮮だ。
 各原発サイトで満杯に近づいている使用済み核燃料をどうするか。展望はない。
貯蔵器で数十年間保管し、技術の進歩と原発政策の推移を見守る「wait and see」(様子見)が
暗黙の了解になりつつあるが、ではどこに貯蔵するか。
 今年2月、馬淵澄夫元国土交通相(52)の勉強会が「各都道府県に1カ所ずつ、使用済み燃料の保管場所を設置」
など複数案を提言。枝野幸男経済産業相(48)も近著「叩かれても言わねばならないこと。」(東洋経済新報社)で
「本来なら東京を含む都市部に中間貯蔵施設」と書いた。が、非都市圏の低レベル廃棄物貯蔵施設さえ紛糾の現状では、
反発が出るどころか、話題にさえなっていない。
 映画「東京原発」はかつて排斥され、いまは共感を呼ぶ。日本は変わったか。楽観を戒める天馬知事のセリフがいい。
「人間、終わったことには関心がない」。3・11は終わらないという自覚が重要だ。(敬称略)

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風知草:原発輸出は「富国無徳」=山田孝男 2013年05月06日

 原発輸出はおかしい。福島原発はなお不安定で、日本の原発システムは未完のままだ。不備があるから再稼働が滞っている。
 にもかかわらず、外国に売る。「先様がよくてこっちも助かるならいいじゃないか」という考えには同意できない。
自国の経験に学び、友好国の安全も親身に考える徳に欠ける。「富国、無徳」はいけない。
 福島原発事故が暴いたものは、巨大システムの中で細分化された専門家の無力だ。
平和と繁栄に慣れ、イザという時に根幹を制御できない社会の弱さだ。
不安は常に技術進歩で解消という皮算用、希望的観測を疑わぬ慢心である。
 おくればせながら連休中に「カウントダウン・メルトダウン」(船橋洋一、文芸春秋。上・下)を読了した。
原発事故直後、国民が垣間見た戦後日本社会の亀裂の深層を証言で描き、先月、大宅壮一ノンフィクション賞に決まった。
 筆者は朝日新聞の元主筆である。定評ある取材力もさりながら、私が最も印象深く読んだのは、
後始末に駆り出された多くの人々が事故の中に「敗戦」を見ていたということだ。
彼らは自ら戦史とダブらせて状況を語り、しかも、あぶり出された「敗因」はいまだ取り除かれていない。
 高線量下の電源復旧作業に作業員を走らせる現場責任者が「神風特攻隊を送り出す気持ちだ。零戦も燃料もない」と訴えた。
東京電力本店が現場の応援要請に応えぬ様子を見た政府高官は「ガダルカナル」だと思った。先の大戦で日本軍が大敗した島の名だ。
 役に立ったのは東電の顧問やOBなど旧世代の技術者。新世代はマニュアルのない世界は苦手−−。
技術官僚のこの観察も日露戦争以降、実戦を知らぬ軍人が増えて安定感を失った旧軍の歴史を思わせる。
 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)があるのに政府は発表に伴う混乱を恐れて情報を伏せた。
海洋気象学者が猪瀬直樹東京都知事のノンフィクション「昭和16年夏の敗戦」を引き、情報無視の伝統を嘆いた。
 対米開戦前の1941年春、近衛内閣が官民の若手エリートにシミュレーションを求めた。
結論は「奇襲で緒戦には勝てるが、長期化し、ソ連参戦で必敗。開戦回避を」だった。
 ところが、東条英機陸相は黙殺した。
「諸君の研究の労は多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは
君たちが考えているようなものではない。日露戦争にしても勝てるとは思わなかったが、勝てた」という理由で−−。
 一連のエピソードは、平和一筋で盤石の経済大国を築いてきたはずの、戦後日本の頼りなさを浮き彫りにしている。
原発が戦争並みの危機を招く装置であることも明確にした。
 しかも危機は去っていない。政権は代わったが、原発管理の主体は「言われたことを仕方なくやる組織文化」
「上向き・内向き志向」の東電(原子力安全委員会課長)のままだ。
 読み終えてテレビをつけると、安倍晋三首相が現れた。
トルコで原発受注の優先交渉権獲得を発表、「事故の教訓を世界と共有します」と訴えていた。
 事故の最大の教訓は何か。原発には二面性があるということだと私は思う。繁栄も生み出すが、時として国土喪失に至る−−。
 国内では事故に懲りて原発離れを探り、中東では稼ぎ優先の原発ビジネス。
二枚舌も使いようだが、徳望ある「新しい国」にはふさわしくない。(敬称略)

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風知草:節電社会は暗くない=山田孝男 2013年07月29日

 猛暑の夏だが、節電、節電と言わない。ほとんどの原発は止まっているが、電気は足りている。
 にもかかわらず、節電は大事だ。経済成長の妨げどころか、国富を積み上げる力になる。
いまや原発に置き換わった火力発電用のLNG(液化天然ガス)の輸入量を減らせる。「節電社会」は暗くない。
 そもそも、日本の夜は明る過ぎる。先進国の中でも際立っている。停電のおかげで星空に気づいた震災体験も今はむかし。
 ビルや道路の照明もさりながら、「蛍光灯付き冷蔵庫」と言うべき飲料の自動販売機が全国に256万台もある。
4万8000店のコンビニの95%が24時間営業。自販機は震災後に微減したが、昨年また微増。
深夜営業のコンビニは一貫して増え続けている。
 産業界も、自民党もビカビカ、ギラギラの現状を改める気などないように見えるが、耳を澄ませば別の声も聞こえてくる。
 東京電力の経営方針を決める取締役会で、電力需給の将来予測をめぐり、二つの意見が対立した。
 ある役員が言った。
 「経済成長の伸びは消費電力量に比例する。従来もそうだったし、今後も変わらない。オール電化社会はさらに進化します」
 別の意見はこうだ。
 「日本は人口減社会であり、電力需要の落ち込みは避けられない。需要の縮小を前提とする生き残り策を探るべきでしょう」
 「電力消費はまだまだ増える」と声を上げたのが東電生え抜きの取締役、
「減る方が自然」とたしなめたのが社外取締役であることは想像に難くない。
 東電の社外取締役の一人である三菱ケミカルホールディングスの小林喜光(よしみつ)社長(66)が、
毎日新聞紙上でこう語っている。
 「……今後、日本経済が目指すべき方向は、これまでのような量的な成長ではなく、質的な成長だ」
 「質的成長・発展を目指すのは量的成長を目指すよりも困難だが、それを実現するパッション(情熱)こそ国民の活力になる。
政治には、それを喚起する役割がある」(10日朝刊)
 先日の参院選で自民党が圧勝した理由ははっきりしている。政府は巨大な精密機械であり、
規律ゼロのアマチュア政党の手に負えるものではなかった。今の自民党がプロ集団か、疑問は残るが、
老舗の実績と柔軟性に期待が集まったと見て間違いないだろう。
 自民党の政権復帰で原発回帰は必定、原子力ムラは大喜び−−という解説が幅を利かせているが、決めつけるのはまだ早い。
 毎日新聞のアンケート調査によれば、当選した自民党参院議員の25%が「原発は必要だ」と答えたのに対し、
「当面必要だが将来的には廃止すべきだ」が40%を占めた(23日朝刊)。
アベノミクスは経済成長と電力消費の関係について、まだ何も語っていない。
 電気を消して気がつくこともある。日没直後の「暮れ」とそれに続く「宵」の暗さは違う。真夜中の闇はさらに深い−−。
 電気が普及する前の日本の建築、照明や美意識をめぐる谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」は
世界で愛読されているが、高度成長以降の日本は、「陰翳礼讃」とは懸け離れた、蛍光灯中心の暮らしになった。
 東電の最高首脳レベルでようやく、右肩上がりの電力消費を疑う声が上がり始めた。
電力会社の過大な需要予測に基づき、電力浪費型成長を求めるという、高度成長以来の悪循環を断つチャンスだ。
政治主導で踏み込んでほしい。

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風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男 2013年08月26日

 脱原発、行って納得、見て確信−−。
今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。
 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。
「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」
 小泉が答えた。
 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、
後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」
 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。
今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」
 3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、
さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。
 呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。
経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。
 その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。
自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、
原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。
 原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、
危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。
 原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。
人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ
想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。

 帰国した小泉に感想を聞く機会があった。
 −−どう見ました?
 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。
原発ゼロしかないよ」
 −−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。
総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」
 「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。
『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。
昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。
自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」
 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。
5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)

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風知草:フクイチの社員に聞く=山田孝男 2013年09月02日 

 まずい流れだ。放射能汚染水。制御できない。
 「国が前面に出る」と経済産業相は言うが、実動部隊が納得し、奮い立たねば実のある成果は期待できまい。
先週末、福島第1原発に通う東京電力社員の話を聞き、そう思った。
 「管理職が(屋外の)現場に行かないんですよ。ほとんど線量浴びないで退職していく管理職がかなりいる。
そのことに対する不満が職場にある。『(点検や補修のため、現場に)行ってきてくださいよ』と
管理職にはっきり言う人もいますが、(廃炉作業の)実施計画には『屋内で管理』と書いてある。管理職はそれを盾にとるんですよ」
 名前も、年齢も、職種も書けない。跳ね上がりの不満分子ではない。
慢性的情報不足、場当たり的命令と職場の風通しの悪さに泣く平均的社員である。
 「いま、職場では、汚染水タンクのパトロール要員をどう割り振るかっていう話をしています。
記者会見で副社長が『1日4回(従来は1日2回)やる』って言っちゃったでしょ? でも人手は増えない。
あれやれ、これやれって言ってくるけど、現場作業員の(被ばく)線量なんか本気で考えていないと思う」
 「こないだ、大臣が来てどなってましたね。ああいうの見ると、ふざけんなって思いますよ。オマエに何が分かるんだって」

 汚染水の一部海洋流出は事故直後、2011年4月の段階で露見していた。
首相補佐官だった馬淵澄夫元国土交通相(53)が、新たな地下水の流入を防ぐ土中壁の建設を求めたが、東電は無視。
曲折を経て壁の建設は始まったものの、何事も受け身で渋々という東電流は相変わらずだ。
 今年4月、地下貯水槽から大量の汚染水が漏れ、問題が再燃した。
東電は、多核種除去装置(東芝製ALPS=アルプス)で汚染水の有害核種を除き、漁協の了解を得て海に流すつもりでいた。
ところが、6月、この装置が故障。8月、間に合わせの地上タンクから汚染水が海に流れ出し、パニックが広がった。
 経緯を見守ってきた官僚は「制御不能。いや、相当まずいですよ」と嘆息。
ここに至って首相、経産相が政府の責任を強調し始めたという流れである。

 原発事故の鎮圧に携わった自衛隊の将官から「戦争と同じ」という感想を聞いたことがある。
汚染水をめぐる混乱は、第二次大戦における日本軍のガダルカナル作戦を思わせる。
 南太平洋のガダルカナル島では、補給の失敗で2万人近い日本の将兵が餓死した。失敗の原因は、敵を甘く見、
己を過信したところにある。戦略に大局観がなく、打つ手が場当たり的だった。東京の机上では想像できない実情を、
首脳部が把握できなかった(「失敗の本質/日本軍の組織論的研究」中公文庫)。
 汚染水を甘く見、間に合わせの貯水タンクとアルプスを過信し、誤算続きで作業員がヘトヘトになっている福島と似ている。

 福島をガダルカナルにするわけにはいかない。東電に代わって前面に出る国の姿勢は人事と予算に表れている。
政府は先月27日、経産省の糟谷(かすたに)敏秀・総括審議官(52)を「汚染水特別対策監」に任命した。
予算もつける。これから先は、安全より低価格という選択はなくなると信じたい。
 福島の作業員たちの東京不信をぬぐい、空前の海洋核汚染を食い止めなければならない。
国会審議を活用して内外へ発信を強め、失敗続きで傷ついた日本の国際的信用を取り戻さなければならない。

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風知草:油断すれば倍返し=山田孝男 2013年09月16日

 汚染水はコントロールされていない。
首相の「アンダー・コントロール(under control)」は、どう見ても無理がある。
 だが、その無理のおかげで東京オリンピックがやってくる。この苦みを、電力の大消費地こそかみしめなければなるまい。
 汚染水の後始末を被災地に押しつけ、首都圏は五輪ビジネスの皮算用−−
という不公平に鈍感では、2020年東京五輪の成功など望むべくもない。
 たかだか470億円の国家予算投入で「国が前面に出」たとは言えない。
将来にわたる東京電力の潜在的負債は15兆円から20兆円と見込まれている。

 民間企業の手に負えるレベルを超えている。
そうと知りつつ国が前に出なかったのは、「事故の賠償責任は電力会社にある」という無理なタテマエに縛られてきたからである。
 その結果、巨大なモラルハザード(無責任状態)が生じた。放射能除染が典型だ。除染は法律で国の義務になった。
 ところが、同じ法律に「請求、求償があれば、費用は電力会社が支払うよう努める」と書いてある。
これで、東電にツケを回して行政が除染を乱発する流れができた。
 除染作業員は危険手当がもらえる。下請けの人気が高い。ピンハネを狙って暴力団も介入した。
 賠償、除染、廃炉、汚染水。どこまで続くぬかるみぞ。支払い完了の見通しなく、作業員は疲労困憊(こんぱい)、意気阻喪。
東電幹部は「無間(むげん)地獄です」と慨嘆だ。極悪人が落ちる、果てしなき最悪の地獄である。
 「東電も日本航空のように破綻処理すべきだ。東電の経営責任とメガバンクの貸手責任、行政責任を明確にするのが先」
という批判は正論である。
 ただ、必要な公的資金のケタが違う。日航の3500億円に対し、東電は最低でも5兆円。底知れぬ負債がある。
しかも事故制圧のための要員、ノウハウ、システムを東電以外で調達することは難しい。

 事故以来、東電を生かさず殺さず、国がカネを出すとも出さぬともつかぬ中間策で2年半過ぎた。
この選択は急場しのぎだった。間に合わせの仕組みがついに破綻しかけている。
 原発事故が民間の手に負えないということは、日本が原発開発に着手した半世紀前から分かっていた。
アメリカをはじめ、先進諸国では、「万一の場合は国家補償」が常識だ。
 日本もそれでいくはずだったが、大蔵省(現・財務省)が反対し、電力会社の負担に修正した。

 国が前面に出るとはどういうことか。まずは、原発が制御できていない現実を認めることだろう。
原発制御になお膨大なカネがかかる実情を、国民に率直に伝えるべきである。
 国家補償となれば、新たな国民負担が求められること必定。
被災地と電力消費地の不公平を正す負担のあり方も工夫されていいと思う。
何より、オリンピックで経済さえ発展すれば万事解決という安直な考えをあおらないことだ。

 高視聴率で話題のテレビドラマ「半沢直樹」(TBS)の主人公は、銀行に嫌気がさした銀行員である。
反逆児・半沢は、上役の不正、責任転嫁、事なかれ主義と戦い、
「やられたら倍返しだ!」という決めゼリフとともに理不尽な現実を変えていく。
 日本中が東京オリンピックに浮かれて舞い上がり、原発の後始末を忘れて油断すれば、
過酷な現実によって「倍返し」を食らうに違いない。(敬称略)

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風知草:覆面官僚作家、現る=山田孝男 2013年10月14日

 ホワイトアウト(whiteout)とは、吹雪と濃霧の雪原で、視界が閉ざされることだと辞書にある。
 話題の新刊「原発ホワイトアウト」(若杉冽(れつ)、講談社)は、
現役キャリア官僚の覆面筆者による小説仕立ての内部告発である。
 エネルギー政策に関する知識などから見て経済産業省のキャリア、それも課長級以上の幹部の造反である可能性が高い。
自民党における小泉純一郎元首相の造反を見よ。
原発推進勢力はなお強力だが、政府・与党の亀裂は深まり、動揺が広がっている−−。

 発売1カ月あまりで4刷5万部。
遅ればせながら読んだ私の最初の感想は、筆者の斜に構えた語り口が引っかかるということだった。
脱原発と原発推進がせめぎ合い、五里霧中、針路不明の「ホワイトアウト」状況の中、筆者は最後まで脱原発とは言わない。
 「告発ノベル」(同書の帯)「反核小説」(米ウォールストリート・ジャーナル紙9月19日付電子版)という割には
率直さに欠け、もどかしいと感じた。
 だが、それも、現実を知る現役官僚ならではの屈折かと思い直した。再稼働を急ぐ推進派の反撃は強力だという現実である。

 先週まとまった[[経団連]]のエネルギー政策提言の素案にこう書いてある。
 「……原子力を引き続きベース電源として活用していくとの基本的な考えを政府のエネルギー基本計画に明記すべきである」
 原発ゼロ論議など歯牙にもかけぬ断定だ。エネルギー基本計画は数年ごとに見直される中期計画。
安倍政権は年内に新計画をまとめる。現政権と経団連の関係から見て、提言は国の計画に影響するだろう。
 覆面作家は脱原発を鼓吹しないが、推進論の弱点を突いて鋭い。
特に原発テロへの無防備を問い、平和利用なら危険なしという「平和利用ぼけ」をあぶり出す構成が出色である。

 原発は、送電線の中継鉄塔が倒壊するだけでメルトダウンに至る可能性がある。
鉄塔を守れという議論は2011年の事故直後からあった。電力会社は送電線網の情報不開示などの対応をとってきたが、
原発につながる1000本以上の鉄塔は今も無防備のまま放置されている。
 アメリカは核兵器と原発の維持管理に同じレベルのセキュリティーを施している。
7日放映のNHKスペシャル「原発テロ/日本が直面する新たなリスク」の主題がこれだった。
 原発従業員の徹底的な身元調査、思想調査、武装警備員による厳戒にもかかわらず、
原発や関連施設の敷地に部外者が侵入してしまうことはある……。

 覆面作家の筆が特にさえるのは、官僚の生態や政官界の慣行、官僚と業界、マスコミとのかかわりを描くディテールである。
 官僚ならではと思わせるリアルな情景描写は、
1998年のベストセラー「三本の矢」(榊東行(とうこう)、早川書房)に通じる。これも覆面官僚作家の筆−−。
 三本の矢は、金融行政の転換を阻む政官財界主流の結束だった。
「原発ホワイトアウト」は脱原発を阻む原子力ムラの再結束を冷ややかに描いていく。
 原発を守り、送電線網を守り、他人を疑い、相互監視、密告奨励、重武装の日本社会をつくる。
そのために、地域独占の価格形成力によって今も維持されている電力会社の政界工作、世論対策資金の徴収システムを守りぬく−−。
 それ以外に道がないということはない。脱原発でも明日はある。覆面作家の第2作に期待する。

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風知草:決める政治。だが何を?=山田孝男 2013年10月21日

 「決める政治」にも決められない領域がある。原発の使用済み燃料の最終処分場を決められない。
 それなのに原発推進・再稼働はおかしくないか。政治は本当に必要なことを決めているか。
国家国民の将来にとって真に重要な課題が、じつは見失われているのではないか−−。
 「原発ゼロ」の小泉純一郎元首相(71)の、計算ずくの挑発が続いている。

 16日、小泉はメディア露出を解禁した。千葉県木更津市での講演会にテレビカメラを招き入れた。
 「私が原発ゼロにしろという一番の理由はね、使用済み燃料の処分場がないっちゅうことですよ」
 マスコミを避けてきた元首相の動画は夜のニュース番組をにぎわした。
 「私は政治家は引退したし、二度と国会議員に返り咲くつもりはない」
 「どっかの新聞が(脱)原発で新党考えてんじゃないかって書いてたけど、毛頭考えてないよ……」
 さりげなく臆測を退けつつ、小泉は読売新聞19日朝刊に寄稿した。小泉を批判した8日の読売社説への反論だ。
「小泉発言はあまりに楽観的、無責任で、見識を疑う」という社説。小泉はこう切り返した。
 「核のごみの処分場のあてもないのに、原発政策を進めることこそ不見識」
 「過ちては改むるにはばかることなかれ……」

 小泉の攻勢は臨時国会にも波及した。17日の衆院本会議で、みんなの党の渡辺喜美代表(61)が小泉発言について質問。
安倍晋三首相(59)は小泉の名には触れず、こう答えた。
 「(核廃棄物)最終処分方法としての地層処分については20年以上の調査研究の結果、
我が国においても技術的に実現可能であると評価されています」
 「処分制度創設以降、10年以上も処分地選定調査に着手できなかった現状を真摯(しんし)に受け止めなければなりません。
国として、処分地選定に向けた取り組みの強化を、責任をもって検討してまいります……」
 この首相答弁にこそ問題が凝縮されている。

 地層処分とは、向こう10万年、猛毒の放射線を出し続ける核廃棄物を地下に埋めて管理することだ。
日本は1976年から研究を進め、99年、理論上は「実現可能」と総括した。
 だが、3・11以降、10万年の管理を、ましてやこの地震列島で夢想すること自体、正気の沙汰かという当然の疑問が生じた。
 国は2002年から最終処分場用地を公募しているが、引き受け手はない。
いまだ「取り組みの強化を検討(・・・・・・・・・・)」するという答弁が精いっぱいなのである。
 北米に「決められない政治」あれば、極東に「決める政治」あり。昔は逆だったが、それはおく。 
安倍首相の所信表明によれば、この国会は「成長戦略実行国会」であり、「決める政治」で国民の負託に応えねばならない。
 政府は産業競争力強化法案の成立を急ぐが、この法案が何を生み出し、どんな繁栄をもたらすか、具体的には想像できない。

 他方、「決める政治」の外に置かれた核廃棄物問題が、日本の将来に破滅的な影響を与える可能性は想像できる。
再稼働でつかの間の豊かさを得ても、増え続ける核廃棄物を抱えて地獄を見ると見当はつく。
 「決める政治」を目指す安倍首相の意気込みは頼もしい。期待を鼓舞して経済再生を引っ張る集中力も非凡。
だが、希望的観測を排して決めなければならない歴史的課題もある。
 安倍首相の歴史的決断に期待する。


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