今中哲二



827 : 名無しさん@お腹いっぱい。(京都府)[] : 投稿日:2011/03/28 22:21:56
御用学者がテレビで引っ張りだこになっている頃、本物の学者は黙々と仕事をしていた

土壌汚染「チェルノブイリ強制移住」以上 京大助教試算
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110328000068
2011年03月28日 15時52分 京都新聞

 東京電力福島第1原発の事故で、高濃度の放射性物質が土壌などから確認された福島県飯館村の汚染レベルが、
チェルノブイリ原発事故による強制移住レベルを超えているとの試算を、
京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子炉工学)がまとめた。
 飯館村は原発から北西約40キロ。今中助教は、原発の状況が分からず被災地各自の事情もあるとした上で
「避難を考えた方がいいレベルの汚染。ヨウ素やセシウム以外の放射性物質も調べる必要がある」として、
飯館村で土壌汚染を調査する方針だ。
 文部科学省の調査で20日に採取した土壌から放射性のヨウ素1キログラム当たり117万ベクレル、
セシウム16万3千ベクレル、 雑草からヨウ素254万ベクレル、セシウム265万ベクレルが確認された。
土壌中のセシウムは通常の1600倍以上だった。
 今中助教は、土壌のセシウムで汚染の程度を評価した。汚染土を表面2センチの土と仮定すると1平方メートル当たり
326万ベクレルで、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で強制移住対象とした148万ベクレルの2倍超、
90年にベラルーシが決めた移住対象レベルの55万5千ベクレルの約6倍だった。
今中助教は「国は原発周辺の放射性物質を詳細に調べて分析し、ただちにデータを公開すべきだ」と話している。
セシウムは半減期がヨウ素(8日)と比べ30年と長く、汚染の長期化が懸念されている。


622 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(静岡県)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 00:10:43.87 ID:3LeFn+WD0 [1/3]
今朝の朝日のオピニオン欄に載ってた今中さんの記事。
531にあった中川恵一の主張と比べてみると、両者の差が興味深い。

放射能のリスク 汚染の中で生きる覚悟を/今中哲二(京都大原子炉実験所助教)


681 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(千葉県)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 05:43:55.11 ID:XwEdueCu0 [5/13]
622の一番したのリンク先にある動画は
6月26日毎日放送で放送されたドキュメンタリー
「その日のあとで フクシマとチェルノブイリの今」だよ。すごく良くできたドキュメント。
ベラルーシの御用学者?の話題もちょっと出てた。やっぱり何も明らかにされてないんだよ。
事故直後からの今中、小出の横画を捉えてる。飯館までくっついて行ったんだな。
今中さんの、チェルノブイリになってしまった。涙が出る涙が出ると言ってたのが
こたえてしまった...
前作のドキュメントにあったように、彼らのし続けた警告をとことん無視して来てしまったのだな。
十分予見された事故なんだ。避けられた未来なのに。
本当に申し訳ないと思う。どう償えばいいのか。


2011年10月4日
【内容起こしUP】飯舘村の「今」と「これから」~村民にとっての復興とは~@福島県文化センター【その②】
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3071942.html

(今中氏)
私自身、除染は専門家ではないが、除染でゼロになることはまずない。
ETVなんかで木村真三さんは除染頑張っていたが、
僕の考えだと半分に減ればいいほうだというのが実感だと思う。まして畑や森をきれいにするなんていうには難しいと思う。
チェルノブイリも最初は除染したが、あきらめた。減らすことはいろんな方法でできる。
作物に移行する汚染を減らす方法はあるが、基本的な考え方として、安全基準は厳密にはない。
我慢基準はある。全部東電から飛び出てきたものだから、しゃくではあるが、それでも僕は、
きっと我慢量の線をどこかで引かなければいけないと思う。
しかし人には言えない。個人的に私だったらここまで我慢するとは言えるが。
私は還暦も過ぎたし、家族の状況、社会生活、仕事の状況によっても違う。そういうことを考えた時に、
一律にこうしましょうはできないと思う。
その辺を考えながら、どうするか?と考えながら、非常につらいなぁと。
我々、自然放射線を受けている。大体年間1mSv。場所によってこれは違う。
東京とここでも違うし、関西の方が高かったりする。
そういうことを考えれば、東電から出たのにしゃくだけれども、神経質にならなくていいよというふうに話している。
それは1年間に1mSv。これは、一つの目安。そして考えていくのは最初のステップ。
東京の人からも相談うけるが、1mSvの10分の1、100μSvくらいなら、そう1年間にそれくらいなら
神経質にならなくてもいいでしょうとは言う。
ただ、それを皆さんに言うことはしない。
チェルノブイリと福島までは、大量に放射能が放出されたのは確かですが、放射能の種類が違います。
福島は被曝を考えた時は、ヨウ素とセシウム。長期的にはセシウムだけ。
チェルノブイリは、燃料がそのまま出たので、プルトニウムやストロンチウムなどが出ているし質が悪い。
福島のほうが相手はしやすいとは思う。
一概には言えないが、どこまでみなさんが我慢するのか。村に帰るというのがどういうことなのか。
年寄りだけが帰るのが、本当に帰ることになるのか?
まとまらなくてすみません…。

(会場男性)じゃがいもを作りました。土壌の汚染は25,300bq/kg。ジャガイモに移行したのは、34bq/kg。
一般的に言われている0.1移行係数は作物によって全然違うということ。国の作付基準5000bq/kgはでたらめ。
私の実験の方法が悪いのかもしれないが、少なくともできた。ホウレンソウも同じくらい。

(今中氏)移行係数は1万分の1ですよね。それなら十分ありうる話で、ものによって幅がある。

(今中氏)原発事故は明確な人災。東電・保安院・原子力安全委員会が責任ある人々が、
然るべき倫理感覚を持っていなかった。そういう意味で、人災。
セシウムの水道放射能汚染は、福島や飯館の汚染をしているのは、セシウム。
これは土とかセシウムによくくっつくので、水道水に入るほどではないと思う。
池とか泥にはほとんどないと思う。ダムも底の泥には溜まってると思う。ただ、水は気にするレベルではないと思う。
今年、プールを控えたのは、私は必要なかったんじゃないかと思っている。それはまず間違いないと思う。
ただ、測ればわかるものを公表しないのは不思議に思う。

(会場男性)
飯舘村村民ではないが、飯野町に住んでいる。
今中さんに質問。
プルトニウムの問題。過去の核実験と比較してどうなのか?あるいはストロンチウムの汚染について、
過去の核実験についてどうなのか?
ICRPECRRがあるが、そこはかなり低線量の被曝は危険だという方針だが、今中先生はECRRに批判的だと聞く。
その辺の話を聞かせてほしい。

(今中氏)プロセス・メカニズムを考えたとき、チェルノブイリと比べて、
今回のプルトニウムやストロンチウムの出は少ないと思っている。
チェルノブイリの場合は、原子炉そのものがバーンといった。
福島の場合は、メルトダウンして高温になって、ガスとか揮発性になって漏れたというので、
実際我々がガンマ線で測って核種分析すると、非揮発性は意外と少ない。
プルトニウム・ストロンチウムは長期的に問題になるから、私は基本的に早く測って、
責任当局がこれくらい出たよと言ってくれれば、よかったが、なかなか出てこない。
実は3月にとった飯舘村のサンプルを金沢大学の山本先生に測ってもらった。
1960年代の核実験時代のレベルと同じか少ないくらい。
プルトニウムにもいろんな種類があって、239と238、核実験のやつというのは、238の割合が239に比べて0.03なんですが、
原子炉内では、238の割合が随分多い。だから福島から出た時には、238の方が2倍か3倍くらい。
土の割合を見て、どっちから飛んできたと判別する。山本さんがもうちょっときちんと測りたいというので、
今回、明日かあさって、もう少し飯舘村でサンプルをとって測りたいと思っている。
ストロンチウムについては、私も気になっていたが、ストロンチウムは私自身測る技術を持っていない。
民間の団体に依頼している。
多分、ストロンチウムの量は、核実験で降ってきた量より多いかもしれない。あくまでセシウム137が圧倒的に多いので、
それに比べたら100分の1、500分の1くらいなので、被ばく評価としてはあまり聞いてこないだろうと今は思う。
プルトニウムについても、空気中に飛んでいって吸い込むとかはあるかもしれないが、地面に落ちたやつに関しては、
そんなに被ばく評価を気にしなくていいと思う。
ECRRは、説明する時間がないが、仮説としては面白いと思うが、それを支持する材料が乏しい部分もあって、
今のところは支持していない。といつも言っている。

(会場男性)
飯舘村では農地の草刈が進んでいる。これは果たして大丈夫か?こないだまでは、
「草を刈るな、農地を耕すな、燃やすな」
とやかましく言われていた。もしこれが本当に人体に影響があるような被曝をすることでったら、
許されることではないと思う。
新聞で見た除染計画を見た。その中で10月に農地の草刈りが入っていると思う。
そんなことで被曝をすることがあれば、許されることではないのではないか?
私の地区は毎時6~7μ、12,3の線量がある。先ほどは我慢という話が出たが、そういう話ではないと思う。

(今中氏)
やるべきことは、3月15日から月末にかけて、起きたことを、
きちんとどういう汚染があって皆さんがどのくらい被曝したのか調べること、これが大事。
雲がきたときの被曝を調べることが一番のキーポイントで、これから大事になる。
草刈り、除染ビジネスについては、小沢さん。

(小沢氏)
今やっているのは、ほとんど飯舘村の被ばく管理がされていないということだった。
そうすると、7とか8とかあるところで草刈りをやるということが、大丈夫なのか?ということだと思う。

(今中氏)
私の感覚だと、7マイクロ、8マイクロの地域は、放射線管理区域に相当するので、放射線管理はあってしかるべきだと思う。


566 :地震雷火事名無し(東京都):2012/12/21(金) 20:13:45.82 ID:rYdZk42R0
このシンポジウムの動画、一ヶ月くらい前に公開してたのか。
多岐にわたるテーマに錚々たる顔ぶれ。

シンポジウム「福島原発で何が起きたか」 - YouTube
http://www.youtube.com/playlist?list=PLXp_nCb7jDhVD5IsNv9yn1rfH5j_35BGK

↓プログラムはこちら
シンポジウム「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」
2012年8月30日(木)・31日(金)/東京大学駒場キャンパスにて
http://www.kk-heisa.com/20120830/
講演者は、田中三彦ア-ニー・ガンダーセン石橋克彦、今中哲二、吉岡斉、フィリップ・ワイト、
高橋哲哉、ミランダ・シュラーズ、池内了
↓書籍はこちら
Amazon.co.jp: 福島原発で何が起きたか――安全神話の崩壊: 黒田 光太郎, 井野 博満, 山口 幸夫
http://www.amazon.co.jp/dp/4000246771


668 :地震雷火事名無し(東京都):2012/12/23(日) 23:38:59.22 ID:tmaitGUH0
566 自己レス。
一通り見終わった。包括的で見所満載のシンポジウム。
YouTubeの再生数がほとんど100以下で全然見られてないっぽいのがとても残念。
最後の締めのセッションでCNICの伴さんが人々の関心の風化を危惧してるんだが※、その通りになってるんだろうね。
(それとも書籍になったやつを読んでるのかな・・・)
とてももったいないのでいくつかピックアップしていこうと思う。

※「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」 セッション5:伴英幸
http://www.youtube.com/watch?v=w1jq0hblOqI#t=40m41s

まず、プログラムは>>566 のリンクにあるんだけど、10分程度の短いコメント発表にも大変興味深いものがある。
それも含めたプログラムは↓書籍の紹介ページにあります。

岩波書店「福島原発で何が起きたか――安全神話の崩壊」
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-024677-4

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」 セッション2:今中哲二「福島第一原発事故による放射能放出と放射能汚染」
http://www.youtube.com/watch?v=ZWSigDUfTn4#t=7m58s

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」 セッション5:今中哲二「ICRP批判、非癌リスク」
http://www.youtube.com/watch?v=w1jq0hblOqI#t=33m28s
(短いスピーチのタイトルは名無しが勝手に付けました。以下も同様)

今中さん。セッション2の長い講演は基本的な内容なので分かってる人は飛ばしていいと思うけど、
セッション5の短いスピーチではICRPへの痛烈な批判と癌以外のリスクについて言い及んでるのが見所。

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」セッション3?1:吉岡斉「福島原発事故の『政策失敗病』としての諸側面」
http://www.youtube.com/watch?v=clDRc9t9w7g#t=7m50s

吉岡さんの講演は政府事故調の実情が赤裸々に語られてて面白い。政府事故調は事務局(検察・警察官僚)主導で進められ、
事務局の用意した文案に委員は意見を言ってそれが採用されたりされなかったりするみたいな、
委員といえど吉岡さんは「お客さん」的な位置づけだったらしい。
「最終報告出たんですけど無様ですね。体裁が酷いです」「読めたもんじゃない」「文体も変」。
中間報告と最終報告の2冊に分かれた未完成ともいえる形態。索引も目次もない。
つまり、広く国民に読んでもらおうとかいう考えはなく、裁判の「論告・求刑書類」のようなもの。
とはいえ内容はちゃんとしてるとのこと。ただし官僚主導なので官僚には甘い内容。

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」セッション3?2:金平茂紀「福島原発事故とマスメディア」 
http://www.youtube.com/watch?v=NM3wiK26j9g#t=35m47s

「大本営発表より酷いかもしれない」
原子力ムラの巻き返しが始まっているとのこと。

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」セッション4?1:高橋哲哉「犠牲のシステム――責任をめぐる―考察」
http://www.youtube.com/watch?v=OZFyyOlvg6U#t=6m10s

とても丁寧に、今回の事故における責任が切り分けられ、所在が整理されてる。

「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」 セッション5:舩橋晴俊「シンポジウム全体を通してのコメント:社会学の視点から」
http://www.youtube.com/watch?v=w1jq0hblOqI#t=13m36s

これからの展望という意味で舩橋さんのスピーチはためになりました。

428 :地震雷火事名無し(新疆ウイグル自治区):2013/05/25(土) 14:15:31.17 ID:L+TGjUSq0
IWJ_KYOTO1 「-見えない放射能とたたかう-「サイレントウォー」今中哲二さんとのトークセッション」
http://www.ustream.tv/channel/iwj-kyoto1

京大の反原発研究者、今中助教3月退職

毎日新聞2016年1月27日 大阪朝刊

 京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)から原発の危険性を指摘してきた研究者集団「熊取の6人組」で唯一の現職、
今中哲二助教(65)が3月末で定年退職する。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の災害研究の第一人者としても知られる。
28日午後2時から同実験所学術講演会で退職講演がある。来月10日には6人組が創設した自主講座「原子力安全問題ゼミ」で講演。
今後も福島第1原発事故の放射能汚染の実態などの研究を続ける。【大島秀利】
 同実験所には、今中さんをはじめ、小出裕章さんや小林圭二さんら原発に批判的な研究者6人が研究グループを作り、
市民参加が可能な「安全問題ゼミ」を開くなどしてきた。昨年3月に小出さんが助教で定年退職し、今中さんが「6人組のしんがり」になっていた。
 今中さんは広島市出身。祖母を原爆で亡くし、母親も被爆した被爆2世だが、
「それとは関係なく、当時は最先端技術とされ面白そうだったから」と大阪大の原子力工学科に進学。
東京工業大大学院を経て1976年に京大原子炉実験所の助手(現助教)になった。原子力開発のありように疑問を抱き、
「原発をやめるのに役立つような研究」をするようになった。
 86年のチェルノブイリ事故では90年から6人組の故瀬尾健助手と現地入りした。
以降、20回以上訪れ調査。2011年3月11日に福島事故が起こると、
同月内に、後に計画的避難区域となる福島県飯舘村で放射性物質の測定などをして、住民らへ判断材料を提供してきた。
 学術講演会の問い合わせは同実験所(072・451・2300)。来月の自主講座は希望者が140人を超え、申し込みを締め切った。

566 :地震雷火事名無し(東京都):2012/12/21(金) 20:13:45.82 ID:rYdZk42R0
このシンポジウムの動画、一ヶ月くらい前に公開してたのか。
多岐にわたるテーマに錚々たる顔ぶれ。

シンポジウム「福島原発で何が起きたか」 - YouTube
http://www.youtube.com/playlist?list=PLXp_nCb7jDhVD5IsNv9yn1rfH5j_35BGK

↓プログラムはこちら
シンポジウム「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」
2012年8月30日(木)・31日(金)/東京大学駒場キャンパスにて
http://www.kk-heisa.com/20120830/
講演者は、田中三彦、ア-ニー・ガンダーセン、石橋克彦、今中哲二、吉岡斉、フィリップ・ワイト、高橋哲哉、
ミランダ・シュラーズ、池内了

↓書籍はこちら
Amazon.co.jp: 福島原発で何が起きたか――安全神話の崩壊: 黒田 光太郎, 井野 博満, 山口 幸夫
http://www.amazon.co.jp/dp/4000246771

京大原子炉“6人の侍”の軌跡 原発の危険性、訴えて行動=社会部・大島秀利

毎日新聞2016年2月24日 大阪夕刊

スリーマイル、チェルノブイリ、福島 最後の現役 今中助教も定年
 京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)に原発の危険性を指摘し続けたグループ「熊取6人組」がある。
地方に原発が押しつけられることに義憤を感じた人たち。故黒澤明監督の名作映画にちなんで「6人の侍」と呼ぶ方がふさわしい。
その最後の現役、今中哲二助教(65)が来月で定年退職する。
折しも福島第1原発事故から5年、4月は旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から30年。
双方に詳しい今中さんを軸に6人の軌跡をみていく。

住民運動、敢然と支援
 今中さんは広島市出身。祖母が原爆で死亡し、母親も被爆した被爆2世だが、
「それとは関係なく、当時は最先端技術とされ面白そうだったから」と大阪大学の原子力工学科に進学した。
他の5人も、科学技術の進歩に夢を抱いて大学に入った。
 阪大から東京工業大大学院に進んだころに今中さんは原子力開発のあり方に疑問を持ち始め、
1976年に京大原子炉実験所の助手(現助教)になった。そこに5人がいた。64〜69年入所の
海老沢徹元助教授(77)=中性子光学▽小林圭二元講師(76)=原子炉物理▽
川野真治元助教授(74)=物性物理▽故瀬尾健助手=原子核物理−−と、
今中さんの2年前に入所の小出裕章元助教(66)=原子核工学=だ。
 「最後に入ってきた小出さん、今中さんは私たちに鮮烈な影響を与えた」と年長の3人は口をそろえる。
2人は学生時代から原発の技術的な問題だけでなく、原子力開発が抱える社会的な問題に目を向けてきたからという。
 実は、2人とも公募の採用試験を受け、原子力委員会の専門委員も務めた教授(故人)が仕切る放射性廃棄物の管理部門に入った。
 なぜなのか。海老沢さんは
「あの教授は2人が原発に批判的だったことは知っていたはずだが、能力のある人を採ったのだと思う。2人もその期待に仕事で応えた」と話す。
 かくして“京大原子炉6人の侍”がそろった。
 そのころ、愛媛県伊方町の四国電力伊方原発の地元住民が国を相手に設置許可取り消しを求めて松山地裁で訴訟中だった。
6人は敢然と原告支援に回り、有利に法廷論争が進んでいた。
しかし、結審直前に裁判長が交代となる不自然な経過を経て、住民側敗訴の判決が78年4月に出た(最高裁で敗訴確定)。
 翌79年の3月、今から考えれば、福島事故の発生を警告するかのような事故が起きた。
米国のスリーマイル島(TMI)原発で、原子炉に水が供給されなくなって核燃料が溶け出すメルトダウン(炉心溶融)が起きたのだ。
今中さんは「それまでは、事故が起こるかどうかは机の上の議論だったが、TMIから、原発の大事故は起きると断言できるようになった。
問題はどれくらい危険なのかに移った」と振り返る。

80年から自主講座112回
 6人は80年、実験所内で市民が参加できる自主講座「原子力安全問題ゼミ」を始めた。
ゲストも含め専門家が最新の原発情報などを提供した。国内外で事故が起こると、その影響や実態を調べて報告して議論を交わす。
 86年4月26日、ゼミで何度もテーマとなるチェルノブイリ原発事故が起きた。
多数の人が死亡し、飛び散った放射能(放射性物質)によって200キロ以上離れた場所にも居住不能地域が出現した。
 瀬尾さんと今中さんは90年に現地入りした。瀬尾さんは94年に病死するが、ロシア語が堪能な今中さんは以降20回以上訪れて、
深刻な汚染が広がったウクライナ、ベラルーシ、ロシアの研究者と情報を交換しながら調査を続ける。
今ではチェルノブイリ災害研究の第一人者とも言われる今中さんは、20年以上にわたる調査から教訓を次のように語っていた。
「原発で大事故が起きると、周辺の人々が突然に家を追われ、村や町がなくなり、地域社会がまるごと消滅する。
そして、被災した人々にもたらされた災難の大きさは、放射線測定器で測ることはできない」
 だが、日本ではTMIやチェルノブイリが無視されるかのように安全神話が拡大し、54基もの原発が建っていった。
 2011年3月11日、福島第1原発で、炉心に水を供給できなくなり、1〜3号機が次々とメルトダウンを起こした。
中でも2号機で、外部への放射能漏れを防ぐ最後の壁「原子炉格納容器」が破損したと政府が発表したとき、
今中さんは「チェルノブイリ級の事故になった」と確信し、ぼうぜんとした。
東北や関東を中心に無視できないほどの放射能で汚染され、十数万人が避難を余儀なくされた。
今も約10万人が避難生活を続け、「地域社会がまるごと消滅する」事態が国内で起きてしまった。
 大変深刻なはずなのに、政府から十分な情報が出てこない。住民避難の指示も的確とは思えない。
今中さんは、事故があった3月に、避難指示がないが、深刻な放射能の情報があった福島県飯舘村に他大学の研究者と入り、調査を開始した。
避難が必要な放射能汚染が村全体に広がっていることが判明した。飯舘村は、ようやく翌月に「計画的避難区域」として避難対象となる。
 今中さんは「文書上の原子力防災対策はうまくできていたが、実際に担う官僚機構が中央から末端まで混乱し、
三つの原子炉と同じように原子力防災システムそのものがメルトダウンして、まったく機能しなかった」とみる。
その上で「原子力ムラの人々は、何がなんでもといった感じで再稼働を進めるが、事故が起きたらまた同じことが起きるのではないか」と危惧する。

汚染地域の現実、研究継続を宣言
 2月10日、約150人が参加して第112回安全問題ゼミが開かれた。ウクライナの研究者と今中さんがチェルノブイリと福島を語った。
 伊方訴訟のころから一緒に行動してきた荻野晃也・元京大工学部講師は
「6人がいなかったら、推進派の思い通りに原発がもっと建設され、大変なことになっていただろう」と指摘した。
会場から「専門家と社会をつなぐこんな場が重要」と声が上がったが、
昨年退職した司会役の小出さんは「基本的に安全問題ゼミは今回で最終回になるはず」と話した。
 だが、福島事故の過酷な現実がある。小出さんは「仙人になりたいが、当面なれそうにない」。
今中さんは「余計な被ばくはしない方がいい。同時に汚染地域で暮らすとある程度の被ばくは避けられない。
この相反する二つにどう折り合いをつけるか。できるだけ確かな知識と情報を提供して、汚染に向き合って判断するお手伝いをしたい」
と福島とのかかわりの中で研究を続けることを宣言した。
 最後に今中さんは「今、原発はほとんど動いておらず、やめるのにはいい機会。若い人には何が本当に大事なのかもう一度考えてもらいたい」と呼びかけた。


















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最終更新:2018年01月31日 22:06