椿は、「日本の女性は、美しい」というキャッチコピーを持って登場した。これはいったい何を意味するのだろうか。
同じシャンプーでユニリーバ社から出た「DOVE」という製品のキャッチコピーにこんなものがある。「日本の女性は美しくない」というものである。これは、事実を述べたものではなく、日本女性の自意識を述べたものである。ある調査によると、自分のことを美しいかと聞かれた日本の女性は86%が美しくないと答えたそうである。それに対し、ブラジルは90%が美しいと答えたそうである。以上の結果から、日本の女性は一般的に自身の美しさについてコンプレックスを持っていると言える。「日本の女性は、美しい」というキャッチコピーはまさにそこを突いたものであり、その戦略が成功したと言える。このキャッチコピーが受け入れられるということに、日本の女性が、自ら、美を高め、そしてその美を打ち出していこうという、美に対する積極的な姿勢が垣間見られる。しかし、伝統的な日本人の美意識ということを考えたとき、このキャッチコピーが受け入れられるというその事態は、その美意識に反しているのはないであろうか。「秘すれば花」という世阿弥の言葉があるように、日本人の伝統的な美意識を謙譲、謙遜、隠すことと定義するのであれば、美に対する積極性を打ち出す「TSUBAKI」は、それに反している。
近年、「和」というキーワードや、先発のシャンプーである「アジエンス」のヒットからも分かるように、アジア的なもの、日本的なものに対する回帰、そしてその需要が高まっている。「TSUBAKI」も、それに乗じた形で商品を作り売り出しているが、先述したように、日本的なものとは、謙譲、謙遜、隠すことである。したがって、美を前面に打ち出す「TSUBAKI」は日本的なものに対する回帰を装っているにすぎず、むしろグローバリズムという形式のなかで捉えることができる。
グローバル化とは何か。それをここではフラット化とする。フラット化とは、様々な価値観つまり多様性を徐々に押しつぶしていき、世界を均質な価値観で覆うことである。「TSUBAKI」という商品がそもそもメガブランドを志向し、明らかに個性の違う女優をマーケティングに使うことで、あらゆる消費者の好みに対応できるという戦略を持っている。しかし、例えば、仲間由紀恵と観月ありさをそれぞれ理想の女性像とする女性では、嗜好が違うことは明白であり、単一の商品でもってそれに対応できるというのはある意味詐欺だとも言える。「TSUBAKI」の志向するメガブランドとは、まさにそうした女性の様々な好みを覆い隠し最終的には画一化することであり、それはグローバリズムである以外のなにものでもない。「TSUBAKI」は、世界がグローバル化のなかでフラットになっていくものに対するアンチとしてではなく、局所的なグローバリズムであると考えられる。
同じシャンプーでユニリーバ社から出た「DOVE」という製品のキャッチコピーにこんなものがある。「日本の女性は美しくない」というものである。これは、事実を述べたものではなく、日本女性の自意識を述べたものである。ある調査によると、自分のことを美しいかと聞かれた日本の女性は86%が美しくないと答えたそうである。それに対し、ブラジルは90%が美しいと答えたそうである。以上の結果から、日本の女性は一般的に自身の美しさについてコンプレックスを持っていると言える。「日本の女性は、美しい」というキャッチコピーはまさにそこを突いたものであり、その戦略が成功したと言える。このキャッチコピーが受け入れられるということに、日本の女性が、自ら、美を高め、そしてその美を打ち出していこうという、美に対する積極的な姿勢が垣間見られる。しかし、伝統的な日本人の美意識ということを考えたとき、このキャッチコピーが受け入れられるというその事態は、その美意識に反しているのはないであろうか。「秘すれば花」という世阿弥の言葉があるように、日本人の伝統的な美意識を謙譲、謙遜、隠すことと定義するのであれば、美に対する積極性を打ち出す「TSUBAKI」は、それに反している。
近年、「和」というキーワードや、先発のシャンプーである「アジエンス」のヒットからも分かるように、アジア的なもの、日本的なものに対する回帰、そしてその需要が高まっている。「TSUBAKI」も、それに乗じた形で商品を作り売り出しているが、先述したように、日本的なものとは、謙譲、謙遜、隠すことである。したがって、美を前面に打ち出す「TSUBAKI」は日本的なものに対する回帰を装っているにすぎず、むしろグローバリズムという形式のなかで捉えることができる。
グローバル化とは何か。それをここではフラット化とする。フラット化とは、様々な価値観つまり多様性を徐々に押しつぶしていき、世界を均質な価値観で覆うことである。「TSUBAKI」という商品がそもそもメガブランドを志向し、明らかに個性の違う女優をマーケティングに使うことで、あらゆる消費者の好みに対応できるという戦略を持っている。しかし、例えば、仲間由紀恵と観月ありさをそれぞれ理想の女性像とする女性では、嗜好が違うことは明白であり、単一の商品でもってそれに対応できるというのはある意味詐欺だとも言える。「TSUBAKI」の志向するメガブランドとは、まさにそうした女性の様々な好みを覆い隠し最終的には画一化することであり、それはグローバリズムである以外のなにものでもない。「TSUBAKI」は、世界がグローバル化のなかでフラットになっていくものに対するアンチとしてではなく、局所的なグローバリズムであると考えられる。