小林繁

1952年11月14日生まれ 鳥取県出身
社会人を経て1971年に読売にドラフト6位に指名、
一度は辞退するも翌年72年に入団する。


空白の一日に巻き込まれたり暴投敬遠サヨナラ負けなどの伝説を残した男。
プロとしての経歴は読売(1972~78)→阪神(1979~83)
1983年に引退する。

その後はTBS系の野球解説者やタレント業として活躍、一時は選挙にも立候補したりもした。
1997年からは近鉄のコーチに就任する。(~2001年)
近鉄退団後は福井県に居を移し、東京スポーツの専属評論家やSKバーンズの2軍投手アドバイザーを経る。

近鉄時代梨田監督のもと投手コーチを務めてた縁で2009年ハムに呼ばれ二軍コーチに就任。
2010年からは一軍コーチに就任、期待されていたものの、
同年1月17日午前11時、心不全(との発表だが経緯から大動脈瘤解離の疑いが濃厚)のため福井市の病院で死去した。
前日には、日ハム本社イベントに出席し元気な姿を見せたばかりだっただけに、その衝撃は大きい。


エピソード

  • 自分がサイドスローだからといって江尻糸数須永植村を次々とサイドスローに改造。
  • オーバースローの速球投手がサイドスローになるのは死亡フラグな気がしてならないのだが、なぜかみんな成功させてしまうダイジョーブ博士。

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最終更新:2014年02月16日 11:37