藤岡好明

1985年3月12日生まれ 大阪府出身
2005年ドラフト3巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名。

2006年には開幕一軍入りすると、王政権の下、大車輪の活躍で当時のパ・リーグ新人最多登板記録を更新
(後に記録を塗り替えたのはチームメイトの攝津)。が、登板過多や故障に苛まれ、
翌年から徐々に調子を落とし一軍と二軍の間を行ったり来たりする存在に。
先発や中継で活躍していたものの、13年シーズン前半戦は、先発陣が頼りなかったこともありピンチになるとすぐに登板するなど、
間違いなく投の面でチームの屋台骨となるも6月に内臓疾患により一ヵ月ほどの入院を余儀なくされることに。この入院で約8kgも痩せたそう。
シーズンオフに鶴岡のFAの人的保障で入団となった。
14年5月15日に1軍昇格、17日の対ロッテ戦に11回表に登板しその裏にサヨナラがあり移籍後初勝利をあげた。
15年、16年シーズンも開幕1軍登録を果たすも目立った活躍はできず今年こそ、というところだったが
16年3月30日に登録抹消、1軍の試合中にDeNAへ金銭トレードで移籍することが発表となった。


エピソード

  • たか時代の愛称は 「たごっち」「田吾作」 (顔の印象や、V6のイノッチと掛けてある)、「スマイリー」と呼ばれていたらしい。

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最終更新:2016年03月30日 20:25