原田豊

1958年12月18日 山口県生まれ

地元の柳井高校を卒業後に東海大へ進学、ショートとして名手で鳴らすも(後述)プロ野球へは進めず、卒業後は山口へUターン。
社会人野球の協和発酵でプレー、入社1年目で日本鋼管の補強選手として出場経験して89年に監督へ就任、5年間で都市対抗に出場を果たすなどした。
その後脱サラして2012年に母校の柳井高の監督を13年4月まで務めた。
14年シーズンより九州地区担当のアマスカウトとして抜擢された。18年11月15日にファーム総合コーチに就任することが発表、20年11月30日に2軍監督に就任が発表された。
21年10月30日に退任が発表された。その後はスカウト部へ戻ったが23年12月26日に退団することが発表された。

エピソード

  • 大学時代は原辰徳と三遊間でコンビを組んでおり、また原貢さんに指導を仰いでいた。
  • プロ経験のないままアマスカウトおよびコーチ就任は異例の起用である。

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最終更新:2023年12月27日 15:13