吉田輝星

2001年1月12日生まれ 秋田県出身
読み方は「よしだ こうせい」
2018年にドラフト1巡目指名(根尾昴の外れ1巡)。

小学校3年より軟式野球を始め中学でも軟式野球部に所属、中3年時には県大会ベスト4を達成。
金足農業高に進学後は硬式野球部に所属、1年夏より控えとしてベンチ入り。
1年秋より主戦投手となり2年夏には県大会決勝進出を果たし、6戦中5試合4完投として先発出場。37回2/3を34三振と力投した。
2年秋の地区大会では参考記録ながらも5回をノーヒットノーランを達成。3年春では地区予選の準決勝では2安打17三振を達成。
3年夏では甲子園に出場し、決勝まで進出。準優勝も11試合中8試合で2桁三振を記録、1517球を投じた(後述)。
その後U-18日本代表に選出、疲労が残る中2試合に登板も負け投手となった。10月には国体に出場して自己最速の152キロをマーク。
当初は大学進学を予定していたが、夏の大会での活躍により評価が高まり、また日本代表に選出されたこともありプロ入りへ進路を変更した。

春季キャンプは国頭スタート、19年2月16日の紅白戦では大田に被弾されるもこの1点に留めた。同年3月12日の教育リーグ(対楽天)で対外試合デビュー、1回を1安打1三振1四球無失点とまとめ、最後のバッターのバットをへし折った。同年3月19日のイースタン(対ヤクルト)にて2番手で登板、2回を投げて2安打3四球1失点とほろ苦いものとなった。同年4月3日のイースタン(対巨人)で先発登板、3回を投げて4安打4三振1四球1失点と敗戦投手となった。
その後ウイルス性胃腸炎に見舞われるなどあったが、同年6月12日に1軍初昇格(後述)、5回84球、4安打4三振2四球1失点とまとめ1軍での初登板初勝利を記録した。また同年7月11日のフレッシュオールスターに選出されてイースタン先発に抜擢、1回に先頭打者ホームランを浴びてその後ヒットで3塁に進まれるも後続は断った(1回2安打(うち1本塁打)1三振1失点)。
20年シーズンは新型コロナの影響で6月にシーズン開始という変則日程の中、ファームを主戦場に調整を続けて同年9月11日に、対楽天にて1軍での初登板の機会を得る(勝敗つかず)。その後登板の機会はあるも不運などもあり結果勝利を挙げることができなかった。
21年シーズンは開幕から6戦目に先発も1軍での先発はこの試合に留まり、主にファームを主戦場にしており、8月には3勝をあげてファーム月間MVPを獲得した。
22年シーズンは1月に新型コロナに罹患した為、キャンプへ合流できたのが2月となる。その場で取材に来ていた藤川球児さんから指導を受けると、投球に変化が現れてオープン戦では防御率1.00をマークも開幕1軍メンバーには入らず。開幕3戦目の対ソフトバンクで先発登板も勝ち負けつかずであった。同年4月2日の対オリックスではプロ初リリーフで7点差で負けの場面で登板、1回を6球で仕留めた。同年4月27日の対オリックスではプロ初ホールドをあげ、翌日の28日まで連続9試合無失点を続けて、同年5月18日には1071日ぶりの白星をリリーフであげた。それを受けて先発登板の機会も得られたが結果を残せなかった為、同年6月29日の対西武で敗戦投手になって以降はリリーフへ配置転換となり、シーズン終了までリリーフで過ごす。その結果、リリーフとして47試合に登板することとなり、先発登板と合わせて51試合を投げるなど2勝3敗5ホールドの成績で締めくくった。
23年シーズンは1軍でわずか3試合、ファームを中心に登板していた。FFESの翌日となった同年11月24日に黒木優太との交換トレードでオリックスへ移籍することとなった。

エピソード

  • 176cm81kgのがっちりした体格の右腕。
  • 家族は祖父母と両親と弟、祖父の梨が県種苗交換会にて県知事賞に選ばれた
  • 夏の大会でのマウンド上での侍ポーズや全力で歌う校歌も有名となった。
  • U-18代表では柿木と仲良くなり同部屋、春季キャンプでも同部屋(+先輩の)、しかも球場へ向かうのも一緒であった。
  • 19年6月5日に監督から12日に登板させると異例の発表があった。またこの日の札幌地区の視聴率が平均21.4%を記録した(最高視聴率はお立ち台の28.6%)。

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最終更新:2023年11月24日 13:58