「好き嫌い」とは「非合理な価値判断」であり、その非合理性を解決するのが「正義」です。
つまり、「正義(justice)」によって「好き嫌い」が「正当化(justify)」されます。
「正義」は『「好き嫌い」を「好き嫌いではない」と主張するため』に存在しているので、正義を論ずる人々が「好き嫌いではない」と主張するのは至極当然です。それが「正義」の主な機能だからです。
「好き嫌い」は自身の正当化のため、「正義」を強く要求します。そして「正義」を得た「好き嫌い」は「好き嫌いではない」という大義を振りかざし、「好き嫌い」を実行するのです。
ちなみに、幸福の物理では「好き嫌い」を「自意識による絶対的な判断」と捉えています。神による道徳判断や、科学による合理的判断よりも、最も原始的で究極的な判断が「好き嫌い」です。神は矛盾だらけですし、科学も反論可能性があります。しかしながら「好き嫌い」は反論の余地がありません。
世の中には自分の「好き嫌い」を「道徳」や「科学」で正当化する人がいますが、実はその「好き嫌い」こそが最も絶対的で反論できない価値判断なのです。
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