<div class="main"> <div>――Nagato Yuki<br /></div> <br /> <br /> <div>わたしは何ら変化の無い天井を見上げる。<br /> 正確には劣化しているし、宇宙座標上の位置も変わっている。<br /> でも、人はこれを変わっていないという。<br /> 微々たる変化は無視し、閉塞感を感じる。<br /> 全ては変わっていっているのに、自滅的な行動によって自分を押さえつけている。<br /></div> <br /> <div>人は記憶を持っている。<br /> わたしは記憶を持たない。全ては無時間性の情報へと帰する運命にある。<br /> 人は記憶を持ち、そして人格を形成していく。<br /> 記憶、つまり時間の重さを持たないわたしは人格を形成できないのだ。<br /> 形成できないというのは語弊が生じる恐れがある。<br /> 元からある人格からの変化は望めないということである。<br /></div> <br /> <div>わたしは後、一時間と十一分で消失する。<br /> (秒単位が必要ないことは彼が教えてくれた事だ)<br /></div> <br /> <div>わたしは今、泣いている。人間の感情でいう、恐怖を感じている。<br /> これはわたしに元からあったものだろうか。<br /> 古泉一樹に以前聞いたことがある。<br /> 人の感情で最も重要なのは何かと。<br /> 古泉一樹は『死への恐怖』だと答えた。<br /> わたしは今、人間の根本たる『死への恐怖』を感じている。<br /> わたしはインターフェイスなのだろうか? それとも人?<br /> この『死への恐怖』も作られた感情なのだろうか。<br /></div> <br /> <div>わたしは後、四十三分で消失する。<br /> (彼との一週間は激しいバグを引き起こした)<br /></div> <br /> <div>わたしはバグを落ち着かせるため、本を読むことにする。<br /> この本はまだこの時代の彼に読ませてあげていない。<br /> 彼はわたしの部屋に来て、読むと約束してくれた。<br /> でも、もうそれが現実になることはない。<br /> 約束とは時に残酷で、時に優しいものだ。<br /> わたしのデータベースの中には彼の情報がたくさん詰まっている。<br /> わたしはそれを引き出し、完全に頭の中で再現する。<br /> 図書館の風景、彼との会話、彼の優しさ。<br /> 全てが精密に再現され、視覚情報、聴覚情報、触覚情報、位置情報、嗅覚情報としてわたしに伝わる。<br /></div> <br /> <div>わたしは後、十九分で消失する。<br /> (彼に教えてもらった料理を作った時、彼が普通だと言っていたのは<br /> わたしのインターフェイスとしての能力が足りないからだろうか)<br /></div> <br /> <div>偶然性というものは情報量を大幅に増加させ、処理速度を遅らせる。<br /> わたしはこの偶然性というものをとても不思議に感じている。<br /> 情報は無限に存在しない(そのため情報統合思念体は処理できる)。<br /> わたしは一つ息を吐いてみる。<br /> この空間は壁に囲まれていて逃げることはできない。<br /> だが、逃げることはできないのか?<br /> できないという可能性が百に限りなく近いという理由で、わたしはそう判断する。<br /></div> <br /> <div>わたしは後、七分で消失する。<br /> (抱きしめてくれた彼の体温は温かく、飾った花はとてもキレイだった)<br /></div> <br /> <div>わたしは生まれてから三年間この部屋で待機していた。<br /> 時間を重ねることはなく、時が来るのを待った。<br /> そう、わたしが吐く息はこの壁を抜け出すことはなかった。<br /> 壁はわたしを囲って、空間を作り上げた。<br /> 狭いこの地球の、島国で、なぜまた空間を作らなければならないのか。<br /> わたしは置き手紙をしたためた。<br /></div> <br /> <div>――わたしは消えた。<br /> 最後にあなたが他の人に見えないように操作した。<br /> これで目的を果たして欲しい。<br /> 鍵は閉めて、郵便受けに入れておいて。<br /> わたしがまた帰ってこれるように。 ――<br /></div> <br /> <br /> <div>わたしは後、三分で消失する。<br /> (彼と現在の彼と過ごした日々はとても、幸せ? なものだった)<br /></div> <br /> <div>彼は最後の日の夕方、色付きマジックを出してくれないかといった。<br /> わたしはマジックを再構成した。<br /> わたしは今、泣いている。<br /> わたしを囲っていた壁に、あの日作ったアルスメリアが描いてあった。<br /> そしてその横にわたしを模したと思われる適当な絵に、言葉が添えられていた。<br /> 『長門、一週間ありがとう。こいつの花言葉は長門に教えてもらったからな。ぴったりだ』<br /></div> <br /> <div>わたしは後、零分で消失する。<br /> (秒単位が必要ないことは彼が教えてくれた事だ)<br /></div> <br /> <div>わたしは壁に手をつけ、その花に向かって息を吐いた。<br /> この壁を壊すのは簡単だった。でも、また壁は現れ、壁は無限に立ちはだかる。<br /> だから彼は壁に絵を描いた。未来のわたしを知っているからだ。<br /> そう思うと、わたしの壁は消えた。<br /></div> <br /> <div>ありがとう。<br /></div> <br /> <div>幸せな日々。わたしはそう感じながら、また構成情報へと溶けていった。<br /></div> <br /> <div>そこでわたしは再び、雪を見た。<br /></div> </div>