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本名不詳な彼ら in 甘味処 - (2008/06/17 (火) 00:33:27) の1つ前との変更点

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<p>※このお話は『<a href="http://www25.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3624.html">放課後屋上放談</a>』の後日談です※</p> <p><br /><br />  いつも通りの休日。いつも通りの不思議探索。長門とペアの組になったので、いつも通り図書館へと向かったのは、まあお約束だよな。<br />  秋の日の、さんさんとした午後の陽光が降り注ぐその道すがら。俺はふと思いついて、隣に声を掛けた。</p> <p><br /> 「なあ、長門。小説とか文章の書き方のHowTo本でオススメのってあるか?」<br /> 「………なぜ」<br /> 「俺たちが文芸部室を使い続けるためには、また機関誌を作らなきゃならないだろ? どうせ書かされるなら、基本くらい抑えとけば少しは楽かと思ってさ」</p> <p><br />  形式上、俺たちには文芸部室を占有するに足るだけの活動内容を提示する事が義務付けられている。非常に面倒だが社会の必然って奴なので、こればかりは致し方ない。<br />  致し方ないのなら、いっそポジティブに考えてみるのもいいかもな。そう、もしかして俺には天才小説家としての眠れる才能が秘められていて、本腰を入れて書き連ねてみたならば、ナントカ賞くらい取れたりするかもしれない。<br />  …うん、自分でも多分に邪気眼っぽい妄想だとは思うが。俺だって現役の高校生だし、こんなドリー夢を思い描く事だってあるのさ。それでもハルヒみたいなトンデモ能力に比べれば、発現する可能性はまるっきりゼロじゃないはずだ。なあ、長門?</p> <p><br /> 「そう」</p> <p><br />  俺の潜在的可能性については微塵も触れる事なく――ナイーブハートがちょっとだけ傷ついたぜ――長門は何も無い空中に文字列が並んでいるかのごとく、しばらくまっすぐに正面を見据えていた。</p> <p><br /> 「該当作は複数」<br /> 「じゃあまず図書館にある中で、ページ数の少ない奴を適当に見繕ってくれるか」<br /> 「了解した」<br /> 「よろしく頼むわ。ハルヒの奴はどうせまた無茶なお題を突きつけてくるだろうし、生徒会長の方は生徒会長の方で、そんなハルヒをさらに焚きつけようとするだろうからな。<br />  まったく、今から頭が痛いぜ………。ん? どうした、長門?」</p> <p><br />  取り留めのない会話の途中。不意に長門が立ち止まったので、俺も足を止めた。長門は俺に答えず、ただじっと黒曜石のような瞳を前へ向けている。その理由は、俺にもすぐに分かった。</p> <p><br /> 「うん? キミたちは…」<br /> 「あらあら。こんにちは、長門さん」</p> <p><br />  噂をすれば影ってことわざは、こういう時に使えばいいのかね。図書館を目前にした路上で、俺たちは向こうからやってきた生徒会長と喜緑さんの二人連れに、バッタリ出くわしてしまったのだった。</p> <p> </p> <hr /><p><br />  こざっぱりとした麻のジャケットに、足元の革靴までピシリと決めた会長。その半歩後ろにさりげなく付き従っているのは、ざっくりとした白いセーターにベレー帽をちょこんと合わせた、上品な装いの喜緑さん。<br />  何というか、私服でもなかなか様になっている二人だ。だがしかし、この出会いははたして偶然なのか、それとも必然なのか。見た所、待ち伏せとかしていた訳ではなさそうだが。</p> <p><br /> 「奇遇だな。いや、そうでもないか。文芸部員が図書館に現れるのはごく自然な事ではある。だが、しかし――」</p> <p><br />  会長のセリフを信じるならば、どうやら俺たちは図らずもニアミスしてしまったらしい。だが、まだまだ油断は出来ないぞ。なにせ喜緑さんは、おっとりした外見ながらあのカマドウマ事件の発端となったお人だし、会長は会長で、SOS団に難癖を付けるのを生業としていると言っても過言じゃないからな。厄介な敵などではないにせよ、とりあえず警戒しておくに越した事はないだろう。</p> <p>  はたして。規定された動作のように指先でくいっとメガネを押し上げた会長は、細いあご先に手を当てながらジロジロ値踏みするように俺と長門をかわるがわる見つめ、そしてこう言い放ったのだった。</p> <p><br /> 「気が付かなかったな。キミたちがそういう仲だったとは」</p> <p>「はあ?」</p> <p><br />  何だそりゃ。今度は不純異性交遊か何かで、俺たちを吊るし上げようってのかよ。<br />  はーっと大きく溜息を吐いて、俺は会長に向き直った。</p> <p><br /> 「そういう仲ってのがどういう仲の事を言ってるのか、知りませんけどね。たぶん勘違いですよ。俺と長門は、SOS団の活動でたまたま一緒に行動してるだけです」<br /> 「ほう、違ったか。人物観察にはそれなりに自信があったのだがな。私はてっきり、休日に二人連れ立って仲良く図書館デートだとばかり」<br /> 「勝手に決め付けないでくださいよ。<br />  ってか、それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか? 俺の目には、お二人こそ休日に仲良く図書館デートって風に見えますけどね、センパイ?」</p> <p><br />  ちょっとばかり揶揄するような口調で、俺はそう切り返してやった。相手の痛い所を突くのは、古泉との将棋でそこそこ慣れてるのさ。<br />  まあこの人も『機関』との契約で、いつも通りSOS団の敵対者を演じているに過ぎないんだろうけれども。ところが、意趣返しのつもりで言い放たれた俺のセリフに。会長は、ふむ、と真顔で一言呟き、そして。</p> <p><br /> 「図書館デートか。その通りだ、と言ったら?」</p> <p><br />  答えるなり会長は傍らの喜緑さんの左肩に、ぽんと左手を置いたのだ。そう、彼女を抱き寄せるように。</p> <p><br /> 「うえっ!?」<br /> 「…………」</p> <p><br />  俺が思わず情けない声を上げてしまったのも、無理はないだろう。<br />  いやだって人通りこそ少ないけど、ここ天下の往来だよ? 誰に目撃されてるとも限らない道端でそんなに密着しちゃったりして、もう見てるこっちの方がドギマギするっていうかそれこそ不純異性交遊で告発されたりしたらどうするの!?<br />  っていうかこの二人、本当に付き合ってたのか? SOS団に関わる時は必ず二人セットですよね、などと春先の新入部員勧誘の際に、冗談めかした調子で訊ねたような事もあったりしたが。まさかそれが事実だったとは。</p> <p><br />  ええい、実にうらやま………いやいや待て待て。男子高校生としての本音はさて置き、喜緑さんて確か長門と同じヒューマノイドインターフェースだって古泉は言ってたよな? 会長はその事知っていて、喜緑さんと…?<br />  思わず視線を横に泳がせる。が、長門は目の前で寄り添っている会長と喜緑さんをまばたきもせずに見据えているだけで、その表情はいまいち読み取れな――</p> <p><br /> 「この、バカップルめ…」<br /> 「い、いま何か言ったか、長門?」<br /> 「………別に何も」</p> <p><br />  そうしてむっつり押し黙ってしまった長門と、パニクりまくりの俺が固まったままでいると。<br />  不意に喜緑さんが、にこやかな笑顔のままたおやかな動作で、自分の肩の上の会長の手の甲の皮膚を、きゅっとつまみ上げた。</p> <p><br /> 「たたたっ!?」<br /> 「会長ったら、おふざけが過ぎますよ? あまり後輩をからかって遊ぶものではありません」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「あー、彼の受け答えがあんまり初々しかったものでな。少々茶目っ気が過ぎてしまったようだ。すまん」</p> <p><br />  そそくさと喜緑さんから離れた会長は、つまみ上げられた手の甲をさりげなく、ふーふーと吹いていた。あ、いま爪の痕が赤くなってるのがチラッと…。地味に痛かったんだな、きっと。<br />  つか、さっきまでのってタチの悪い冗談だったのかよ。呆れ顔の俺たちの前で、会長は空気の悪さをごまかすかのようにエヘンとひとつ咳払いを打ち、それから改まって俺と長門に向き直った。</p> <p><br /> 「ところで。先程、SOS団の活動で来たと言っていたが…キミたちはこの図書館をよく利用するのかね?」</p> <p><br />  まあ、そこそこですよ。主に利用してるのは長門の方ですけど。</p> <p><br /> 「そうか。ならば、ひとつ助力を願えないか」<br /> 「はい?」<br /> 「喜緑くんが本を借りたいと言うのでこちらを訪れたのだが、この図書館を利用するのは久々でな。出来れば目当ての本がありそうな場所を案内して貰えるとありがたいのだが」</p> <p><br />  ふーむ。別に見ず知らずの仲では無いにせよ、結構ずうずうしいお願いだな。<br />  一時期は文芸部を潰そうとしたお人でしょうがあなた。それがこういう時には体良く文芸部員を利用しようだなんて、厚かましいにも程があるぜ。</p> <p><br />  なんて拒否するのは簡単なんだが、どっこい、だからこそここで恩を売っておくのもひとつの選択肢だろう。喜緑さんなら最短距離で目的の本まで直行しそうだって所が少々引っかかるんだが…会長の手前、あんまりまっすぐに直進しすぎる訳にもいかないのかもしれない。<br />  何にせよ、この図書館は長門のホームグラウンドみたいな物だ。宇宙パワーなんぞ使わなくっても、長門なら難なく対応できるだろう。それに自分の知識が人様のお役に立てば、長門だって悪い気はしないはずだ。</p> <p><br /> 「ええ、それくらいの事なら別に…なあ、長門?」</p> <p><br />  俺の振りに、長門も無言で頷いた。いったい何の本をお探しかは知りませんが、こいつに任せれば万事安泰ですよ。</p> <p><br /> 「それは頼もしい。では長門くん、喜緑くんの事は頼んだぞ」</p> <p><br />  鷹揚にそう依頼すると、会長は喜緑さんの方に振り返って…あれ、今なんか目配せとかしてなかったか?<br />  その喜緑さんは、ここまでずっとにこにこ笑顔で会長の後ろに奥ゆかしく控えていたが、会長の指図に小さく頷いて、すーっと長門の前に歩み寄ってきた。</p> <p><br /> 「よろしくお願いしますね、長門さん」<br /> 「…………」</p> <p><br />  そう言ってぺこりとお辞儀をすると、長門の手を取って歩き始める喜緑さん。少々戸惑った様子ながらも、引かれるままに長門もついていく。まるで姉妹みたいで、なんだか心和む光景だね。って――。</p> <p><br /> 「会長さんは一緒に行かないんですか!?」<br /> 「人の話を聞いていなかったのか? ここへ本を借りに来たのは喜緑くんだ。俺はただの付き添いに過ぎない」</p> <p><br />  いや、まあ確かにさっきはそう言ってましたけど…。</p> <p><br /> 「見た所、どうやらお前も同様のようだな。どうだ、ここからは男は男同士という事で、しばらく俺に付き合わんか。茶代くらいは出すぞ」</p> <p><br />  唐突な会長の誘いに、俺は内心で緊張を覚えた。もしかしたら俺は、意図的に長門と引き離されたのではないか、と。<br />  周到な罠に、俺は嵌められつつあるのかもしれない。そう考えて身構えようとした俺だったが、しかし会長の次の一言で、一気に脱力してしまった。</p> <p><br /> 「ひょっとして本当の所はデートの真っ最中だったりしたなら、邪魔した事を謝るが。<br />  だが長門くんに喜緑くんを任せられて、正直こちらとしては助かった。なにしろ彼女が一緒だと、ヤニを吸わせて貰えなくてなあ…」</p> <p><br />  肩を落として嘆く会長の背中には本物の哀愁が漂っていて、俺も一人の男として同情せざるを得なかった。割と苦労してるんですね、あなたも。</p> <p><br /> 「分かりました。さっきも言った通り、俺と長門はそんな仲じゃありませんし。俺で良ければ茶ぐらい付き合いますよ」</p> <p><br />  よくよく思い直してみれば、もし仮に会長が俺に害意を抱いたとして、喜緑さんがそれに協力するとは考えづらいしな。<br />  いつもいつもハルヒたちにおごらされてばかりの俺だ、たまには人様のオゴリで一服させて貰ったって、バチは当たりゃしないだろう。例のHowTo本にしても、別に急ぐ用件でもないし。<br />  そんな訳で会長にホイホイついていく事に決めた俺は、すでに遠くなりつつあるインターフェース娘二人の背中に向かって、大声を張り上げたのだった。</p> <p><br /> 「じゃあ長門、しっかり喜緑さんを手伝ってやってくれ! 俺は会長さんとしばらく外でダベってるから!」</p> <p><br />  俺の呼びかけに長門は何の返事もせず、首から上だけこちらに振り向いた。喜緑さんに手を引かれ、こちらに無表情な顔を向けたまま、だんだんと遠ざかっていく長門。その黒いつぶらな瞳を見ていると、頭の中で『ドナドナ』の歌が物悲しげに流れたりしたのは何故なんだろうね。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「あ、じゃあ俺も同じ物を」<br /> 「かしこまりました」</p> <p><br />  一礼したウェイトレスさん、いや、こういうお店では女給さんと呼んだ方がいいんだろうか。和服に白エプロン、足元はブーツ、頭には白いヒラヒラした…メイドカチューシャっていうのかね、あれは? とにかくそれでセミロングの髪をまとめた、一言で言えばハイカラな装いのお姉さんが厨房にオーダーを繰り返すのを見送って、俺は正面に向き直った。</p> <p>  テーブルに伊達メガネを置いた会長は、早くも咥えたタバコの先に火を点けている。って、ちょっと無防備すぎやしませんか? しばらくお預けを食らっていたようですから、無理ないのかもしれませんけど。</p> <p><br /> 「お前、この店を何だと思っている」<br /> 「甘味処、ですよね?」</p> <p><br />  そう、俺が会長に連れてこられたのは、大通りから外れた裏道にある大正モダン調の小さな甘味処だった。あの時代の言葉では『ミルクホール』とか呼ばれてたんだっけ? 確かに茶を飲ませる場所には違いないが、普通の喫茶店を想像していた俺としては、少々面食らってしまった。</p> <p><br /> 「だろうな。普通、野郎が二人連れで甘味処に入ったりはせん。<br />  大体こういった店は女子どもがたむろしていて、男連中にとっては居心地が悪いものだからな。…俺の言っている意味が分かるか?」<br /> 「この店はそうじゃない、と?」</p> <p><br />  俺の返事に、会長は薄煙の向こうでニヤリと笑ってみせた。</p> <p><br /> 「男でも大の甘党というのは存在する。存在するがしかし、世間一般的にあまり受けはよろしくない。スイーツというのは婦女子向けのファンシーな代物が多いからな。<br />  もしもの話だが、お前がファミレスに入ったとして、俺が一人でデラックスプリンアラモードをガツガツ喰ってたら引くだろう?」</p> <p><br />  引きますね、正直。そういえば中学の遠足の時、弁当に苺と生クリームのサンドイッチを持ってきたクラスの男子が「お前、女かよ」なんてからかわれたりしてたな。</p> <p><br /> 「それが現実だ。そうして抑圧されるからこそ、男性甘党の欲求はさらに高まっていく。考えてもみろ、一人暮らしの男が本物の汁粉を食べたくなったとして、小豆を水で戻したり、金網の上で餅が焼けるまで見ていたりとかやってられるか?」<br /> 「さあ、一人暮らしの経験はまだ無いので何とも言えませんが。ただ俺にはまず無理だ、と断言は出来ます」</p> <p><br />  要するにここは、そういう隠れ甘党御用達のお店って訳か。<br />  確かにパッと目に付く限り、周囲には男性客しか見当たらない。テーブルも椅子も重厚な木の造りでちょっと厳か過ぎる感じだし、照明もかなり抑えめ、席と席の間の衝立も大きくて、立ち上がらなければ店の奥まで視線が届かない。どうやらこれは、わざと女性客を寄り付きにくくした店構えみたいだな。</p> <p><br /> 「そうだ、ここは男の甘党にとっての隠れ家でありオアシス。言うなれば――」</p> <p><br />  タバコの先で俺の顔を指し示しながら、会長はこう続けた。</p> <p><br /> 「お前らにとってのSOS団と同じだ。わざわざ周囲に互いの秘密をバラし合ったりはしない。そうだろう?」</p> <p><br />  これには俺も、思わず苦笑いを浮かべる他なかった。なるほど、この店を訪れる客たちはある種の秘密を共有し合っている。だから会長も、密告とかの心配なしにリラックスしているんだろう。<br />  それにしても、なんだかんだでこの人がSOS団の結束を認めてくれていたのが何気に嬉しい。やれやれ、俺もすっかりあのキテレツ組織の中に組み込まれてしまったものだね。</p> <p><br /> 「ライバルとしては認めているさ。だからこそ…。<br />  ふむ。お前、どうして俺に茶に誘われたか心当たりは無いのか?」<br /> 「はい?」<br /> 「言っておくが今日俺たちがあの場で出くわしたのは、単なる偶然だ。<br />  だが、俺がお前を誘ったのは偶然ではない。ちょっとした思惑があってな。だから喜緑くんには、お前と二人になれるよう配慮して貰ったんだが」</p> <p><br />  なるほど、あの時の目配せはそういう意味だったのか。<br />  しかし、どういう事だ? 会長が俺とサシで話したいって。これが喜緑さんの方なら、「前々からお慕いしていました」なんて妄想も抱けるんだが。まさか会長が俺に告白したりする訳も…無いだろうし…。</p> <p> うん、無い! 無いったら無い! 消えろ、数秒前のアホな俺のイリュージョン!</p> <p><br /> 「そうか、無いのか」<br /> 「へっ?」<br /> 「だから、心当たりの話だ。すると古泉の奴は、まだお前に話を通していないんだな」</p> <p><br />  混乱している俺をよそに、一人頷いていた会長は突然、口の端を歪めて悪魔的な笑みを浮かべてみせた。</p> <p><br /> 「せっかくだから忠告しておいてやろう。別に口止めもされていないし」<br /> 「忠告、ですか?」<br /> 「ああ、そうだ。<br />  気を付けろ、うかうかしているとお前、俺と同じ目に遭わされるぞ」</p> <p><br />  忠告と言いながら、会長に俺の身を心配している風は無い。むしろその表情は、新しいゲームを発見した子供のように楽しげだ。</p> <p><br /> 「分かりませんね。古泉が俺にいったい何をするってんです?」<br /> 「なに、いたって単純な話さ。問答無用で生徒会長に祭り上げられる、ただそれだけの事だ。もっとも俺の場合と違って、お前を押し上げるのは『機関』ではなくSOS団のようだが」<br /> 「なあっ!?」</p> <p><br />  あまりに突拍子も無い会長の爆弾発言に、俺が声を失った所へ。<br />  お待たせいたしましたー、と女給のお姉さんがお盆を携えてやってくる。運ばれてきた『アイス白玉ぜんざいと焙じ茶のセット』はなんとも甘美な芳香を放っていた…はずなんだが、あいにくと俺の意識はどこか遠い彼方へすっ飛んでしまって、行方知れずなままだった。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「おいコラ、せっかくの甘味をそんなしかめっ面で喰ってんじゃない。店にも食材にも失礼だろうが」<br /> 「そりゃスイマセン…。けど、とてもじゃないですがじっくり味わってる気分じゃないんですよ…」</p> <p><br />  木のスプーンで一口ぜんざいを流し込んで、俺はやっぱりまた、はーっと魂が抜け出るような溜息を洩らしてしまうばかりだった。ええ、このぜんざいは確かに逸品ですよ? 口に入れた瞬間はずっしりとした存在感の冷たい餡が、舌の熱でふわっと広がり、心地良い余韻を残して喉の奥に溶けていく。その後で飲む熱い焙じ茶が、またうまい。<br />  こんな小ぢんまりとした店なのに、客足が途絶えない理由がよく分かる。まさに知る人ぞ知る名店って奴なんでしょうよ。けどね。</p> <p><br /> 「自分が勝手にゲームの駒にされようとしてるって知ったら、さすがに平然としちゃいられませんって」</p> <p><br />  くそ。古泉の野郎、ハルヒと同じ班になったのをいい事に、今頃は余計な入れ知恵を吹き込んでるんじゃないだろうか。ハルヒもハルヒで、あっさり奴の口車に乗せられちまいそうだ。それ程に、会長がバラしてくれた『新会長就任権争奪、SOS団vs生徒会最終決戦計画』には真実味があった。</p> <p><br /> 「ふむ。そんなにイヤか? 生徒会長になるのが」<br /> 「嫌に決まってるでしょう!? なりたくもない役職を押し付けられるなんて冗談じゃない!」</p> <p>「ま、気持ちは分からんでもないがな。損得勘定以前に、自分の進退を自分以外の人間に勝手に決められるというのは腹立たしいものだ。<br />  一年前の俺も、まさしくそういう気分だった。だからお前には古泉の計画をチクッてやったのさ。同病相憐れむという奴だ」</p> <p><br />  にやにやとしながら会長はそう言った。喜緑さんと一緒の時にも言っていたが、どうもこの人は、俺の『初々しい反応』というのが面白いらしい。あんまりいい趣味とは言えませんよ、それ。</p> <p><br /> 「断っておくが、俺の時はお前よりひどかったんだぞ?<br />  まず、選択の余地が無かった。ズタボロになるまで叩きのめされて、あげく黒塗りタクシーで強制連行だ。目隠しを外された時には、どこか見知らぬビルの中の応接室らしき部屋に放り込まれていたな」<br /> 「うへえ…マジですか…?」<br /> 「大マジだ。とはいえ、それまで交渉のテーブルに着こうともしなかった俺の方に非が無い事も無いんだが。<br />  当時の俺はちっぽけな自尊心を守り通すのに必死になってる、チンケな不良学生でな。他人の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだ、なんて青臭い事を考えてたのさ。そんな俺の態度に、『機関』の方もいいかげん業を煮やしたんだろう。<br />  そうして拉致られて来た応接室で、俺を待ち受けていたのは小綺麗な顔をした女だった。自分で言うのも何だが、あの頃の俺は本当に要領も悪けりゃ頭も悪くてな。この女が何者か、どんな思惑で俺を召し出したのかなんて事は考えもせず、ただ虚栄心から強がって、憎まれ口を叩いちまったんだ。『何様のつもりだよ、このクソババア!』とな。そうしたら――」</p> <p><br />  そこまで言いかけた所で、なぜか会長は、しみじみと首を左右に振った。</p> <p><br /> 「いや、『ア』までは言わせて貰えなかったか。そう言いかけた時にはもう、その女――森さんが胸ポケットから抜き放ったボールペンの先が、目の前に迫っていたからな。<br />  比喩じゃないぞ。本当に“目”の“前”に、だ。隣に控えていた新川さんが森さんの腕を掴んでいなかったら、今ごろ俺はメガネじゃなく、海賊みたいな黒眼帯を付けていたかもしれん」</p> <p><br />  今となっては笑い話だがなと片目を瞑って、会長は実際、ハハハと朗らかに笑ってみせた。が、すいません全く笑えません。みんなも目上の人への言葉遣いには気を付けような。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 『落ち着け、森』<br /> 『放して貰える、新川? こういう最低限の礼儀もわきまえないような子供は、きちんと躾けてあげるのが大人の義務ってものだわ。人が下手に出てりゃ付け上がってくれちゃって』<br /> 『彼にはいずれ、涼宮ハルヒと真っ向から対峙して貰わなければならないのだ。あまりに従順な羊では困る。多少は骨が無くては』<br /> 『だからって、誰にでも噛み付く野良犬でも困るんだけど?』<br /> 『それはこれからの調教次第だろう。古泉とて、最初は狂犬のような目をしていたではないか』<br /> 『相変わらず、甘っちょろい事を…。<br />  仕方ないわね、やるしかないか。今さら他の犬を探し出してる時間も無いし。そうと決まったら、あんたもいつまでも床にへたり込んでないで、さっさと立ちなさい。こうなったからには豺狼程度には鍛えてあげるから。<br />  一応言っとくけど、私たちはあんたに“期待”しているの。その期待を裏切らないでほしいものね』</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「サイロウ?」<br /> 「【豺狼路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん】、要するに森さんは、俺に大悪党になれと迫ったのさ。<br />  もっとも俺はこの時、腰を抜かして歯の根をガチガチ鳴らしている始末で、とてもその言葉の意味なんぞは理解できなかったが。ただ、俺の認識がこのぜんざいなんかよりもよほど甘ったるかった、という事だけは身に染みて分かった。分かった所で時すでに遅し、俺の命運はもはや尽き果てていた訳だがな」</p> <p><br />  白玉だんごをもぐもぐ噛みながら片手間のようにそう言って、会長はちらりと俺を見やった。</p> <p><br /> 「俺のようになりたくなければ。生徒会長の肩書きが重荷でしかないのなら、せいぜい早めに手を打っておくがいい。<br />  本音の所、俺としてもお前らSOS団とは因縁にきっちり決着を付けて――特に古泉の奴には一泡吹かせてから、卒業したかったんだが。やる気のない奴を相手に勝負しても仕方が無いしな。まあ、好きにしろ」<br /> 「…なんだか、ずいぶんサバサバしているんですね」<br /> 「うん?」<br /> 「勝手に人生を捻じ曲げられたような事を言ってる割に、先輩には恨み節みたいなものがあまり無いじゃないですか。<br />  もっと俺をそそのかそうとするんじゃないかって、俺は内心で身構えたりしてたんですけど」</p> <p><br />  俺の指摘に。会長は1回まばたきをして、それからクックッと愉快そうに笑い始めた。</p> <p><br /> 「なるほど? パッと見はどうにも冴えない奴だと思っていたが…。古泉がお前の事を高く買っている理由がよく分かる。俺などよりお前の方が、よほど人物観察の才があるようだ」<br /> 「今さりげに俺、ひどいコト言われてませんでした?」<br /> 「些末な事だ、気にするな。<br />  さて、そうだな。『機関』を恨んでいないのかという質問なら」</p> <p><br />  残り少なくなったぜんざいの器の中でスプーンをくるくる回しながら、会長は妙に爽やかに答えてみせた。</p> <p><br /> 「もちろん恨んでいるに決まっている。古泉の傲慢、森さんの横暴、新川さんの容赦ない教育的指導。どれも思い返すだに虫唾が走るような思い出ばかりだ。だが――」</p> <p><br />  うはあ。笑顔でこういう事を言われると、逆にクルものがあるね。<br />  少々げんなりした気分になりかけてしまった俺に向かって、しかし会長はさらにこう付け加えた。</p> <p><br /> 「だが、だからこそ今の俺がある。それもまたひとつの事実だ。<br />  男子三日会わざれば…とは言うが、何のきっかけも無しに人は成長したりはしない。屈辱、挫折、忍従。寄りすがっていたアイデンティティーの盾を粉々に砕かれ、目を逸らしていた自分の惰弱な部分に力ずくで向き合わさせられて、その上でこそ見えるようになる物がある。<br />  端的に言えば、俺は自分がここまで会長職を務め上げられるとは思ってもみなかった。『機関』の支援があったにせよ、それでも俺は、俺自身にそんな才量などあるはずが無いと決め付けていた」</p> <p><br />  フフッと笑う会長の、その笑みは俺の見間違いでなければ、愚かな過去の自分へと向けられているように思えた。</p> <p> </p> <p> 「単なるチンピラ学生としては、至極当然の考えではあるがな。それ故に俺は、遅刻すると分かっていながらも布団から出られない朝のように、昨日と同じ日常に籠もり続けようとしていたのさ。<br />  だがその布団は、森さんの手で強引に引っぺがされた。おかげで俺は、どうあっても目を覚まさざるを得なかった。<br />  それが手段として、正しいかどうかは知らん。ただ結果から見れば、森さんの判断は間違ってはいなかった。それが全てだ」</p> <p><br />  うーむ。会長にはそんな意図は無いんだろうけれど、布団から引っぺがすでどうしても妹の顔を思い浮かべてしまうね。アレもいずれ、凛々しく銃を構えるような女傑に成長したりするのだろうか。いやいや、そんなまさか。<br />  ………あり得ないと断言できないのがコワイ。おっと、馬鹿げた空想に煩悶している場合じゃないぞ。まだ話が途中だ。</p> <p><br /> 「じゃあ、もう吹っ切れたと?」<br /> 「あいにくだが、俺は執念深い方なんでな。骨身に染み込んだ怨嗟を、そう簡単に忘れたりはせん。とにかくあの頃は俺の意向など完全無視で、何もかもが事後承諾だったしな。<br />  だから、感謝はしない。感謝はしないが――」</p> <p><br />  ぜんざいの最後の一すくいを口に運び、両目を閉じてその余韻を味わっている風を装いながら、会長はしみじみ呟いた。</p> <p><br /> 「あの時、森さんがこの俺に期待を寄せてくれたのは、俺の人生において最大級に幸運な事だったんだろう。そう思うだけだ」</p> <p>「…素直じゃないですね」<br /> 「ふん。俺みたいなキャラは、おいそれと感謝なんかするもんじゃないんだよ。わざわざ死亡フラグを立てるようなマネを、誰がしてやるか」</p> <p><br />  テーブルに片肘を突き、ふてくされた顔で反論する会長に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。生意気盛りな年頃の甥っ子が、無理して悪ぶっている時の態度になんだかそっくりだ。<br />  あー、うん。でも分からなくもないですよ、そういう気持ち。</p> <p><br /> 「ほう?」<br /> 「俺も、時たま思う事がありますから。あの時ハルヒにあんな事を言ったりしなけりゃ、SOS団なんかに関わらなければ、こんな面倒に巻き込まれずにすんだのにな、って。<br />  でも、だからって以前の俺に戻りたいとは思いません。ボヤキながらもなんだかんだで、俺は今の境遇を楽しんでるんです。ハルヒやら古泉やらに、アレしろコレしろ言われるのは重荷に感じますけどね、それでも俺は――」<br /> 「退屈な自分に戻りたくはない、か?」</p> <p><br />  真正面から顔と顔を見合わせて、俺と会長はどちらからともなく、くくくっと含み笑った。谷口なんかには「キョン、お前もよく涼宮の暴虐に毎度毎度付き合ってられるなあ」なんてからかわれるような事もあったりするが、当事者には当事者なりの喜びって物があるのさ。</p> <p><br /> 「さもありなん。人生は期待されてこそ華だからな。<br />  と、いう訳でだ」</p> <p><br />  いつの間にやら新しいタバコを口に咥えていた会長は、片肘を突いたままもう片方の手のライターで、シュボッと火を点けた。そうしてまた、あの悪魔的な笑みを浮かべてみせる。今度は何ですか、いったい?</p> <p><br /> 「俺にとってはここからが本題だ。次期会長選の情報リークに茶菓子までおごってやったからには、少しくらい“期待”させて貰ってもバチは当たらんだろう?」</p> <p><br />  うーむ、恩着せがましい事をさらっと言う人だな。それを不快に感じないのは、俺が普段からハルヒに毒されてるせいなのかね。</p> <p><br /> 「ツラの皮が厚いのも、リーダーたる者の資質のひとつだ。人間のやる事にはどうしても失敗が付きまとう。そういう時にリーダーがいちいち落ち込んでいるようでは、話にならん」</p> <p><br />  なるほど、その点だけはウチのリーダーも資質は満点です。ビデオ機材やらヒーターやら、口八丁手八丁で調達してきたりね。俺にはとても真似できない芸当ですけど。</p> <p><br /> 「安心しろ、苦手分野は部下に丸投げできるのがリーダーの特権って奴だ」<br /> 「それはそれでどうかと思いますが」<br /> 「どこがだ、至極真っ当な意見だぞ。むしろ無能なくせにそれを自覚せず、やたらと出しゃばりたがる指導者ってのが一番困る。部下に力量を発揮する場所を与えてこそのリーダーだ。<br />  おっと、話が逸れたな。本題に戻るとしよう。俺がお前に期待したい点は、ふたつある。まず、そのひとつ目だが」</p> <p><br />  ゆっくりと指を1本突き立てる会長の動作に、俺の喉もごくりと鳴った。わざわざ長門から俺を引き離した上で頼みたい用件とは、はたして何だろうね。良からぬ企てなんかじゃなければいいんだが。</p> <p> </p> <p>「馬鹿を言え。お前が長門くんと付き合っているなら、彼女も誘ったさ。そうではないと言うから、こちらとしてもいろいろ配慮してやったんだ」<br /> 「配慮って、何をです? どうも意味が分かりませんが」<br /> 「むう…以前から古泉の奴にボヤかれる事はあったが、これは相当だな…。まあいい、回りくどい言い方をしても伝わらなさそうだから、単刀直入に言おう。<br />  要は『時折こうして茶でも飲みながら、情報交換やら悩み相談やらに付き合って貰いたい』、それだけの事だ。俺と江美里が将来的に一緒になるに当たって、な」</p> <p><br />  はあ、何かと思えばそんな事ですか。そのくらいなら別に構いませ…んっ?<br />  エミリさん? えみりえみり…うむ、普段聞き慣れない名前なので一瞬誰の事かと考え込んでしまったが(ほら『朝比奈さん』や『鶴屋さん』みたいに、先輩ってのはたいてい苗字にさん付けで呼ぶものだろ?)、幸い俺の脳内人名辞典の中に該当する項目が約一名分だけあった。<br />  ただし、その人物は――。</p> <p><br /> 「そうか、助かる。なにしろ相手がTFEI端末だと知っていて、その上で普段付き合いをしているような奴は、ちょっと他には見当たらないからなあ」</p> <p><br />  よほど安心したのか、うんうんと一人頷いている会長の向かいで。俺は真逆に、喉から飛び出しそうになる絶叫をどうにか押さえ込もうと必死になっていた。</p> <p><br /> 「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!?<br />  しょ、将来的に一緒になるっていうのはつまりその、喜緑さんと…? いやそれより何より、先輩は喜緑さんが宇宙人だって知ってたんですかッ!?」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「頼み事をする方として、こういう言い方もどうかとは思うが。なんだってお前という奴は、特定の問題に限ってこうもウスラトンカチなんだ?」<br /> 「はあ………」</p> <p><br />  呆れるのを通り越して、むしろ感心した風の会長の向かいで。俺は女給のお姉さんが「おかわりはいかが」と注いでくれた湯飲みのお茶をちびちびと飲んでいた。<br />  別に熱すぎるからじゃない。お店の名誉のために言っとくが、味自体は朝比奈さんの甘露茶とだってタメを張れる。問題なのは会長と話を進めれば進めるほど、俺たち二人の相互認識の差がひどかった事が露呈してしまって、何というか非常にきまりが悪い事だった。</p> <p><br /> 「まったく信じがたい。年頃の男女が休日に二人で出歩いているんだぞ? うわ怪しい!と思うだろうが普通」<br /> 「いや、それは…てっきり生徒会の資料集めか何かで図書館を利用しに来たのかと」<br /> 「だから俺たちの仲をバラすために、目の前でこれ見よがしにイチャついてやっただろうに。まさか、アレをただの悪ふざけとしか思わなかったのか?」</p> <p><br />  はい、ズバリそうとしか思いませんでした。実際問題、俺と長門がSOS団の仲間同士だったものだから、単純にあちらも同様だとばかり思い込んでしまったのだ。</p> <p>  それなのに俺はほんのしばらく前、『それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか?』などと会長に向かって偉そうに講釈をたれていたわけで、いやもう恥ずかしいったらありゃしないね。天に唾するとはこの事だよ。<br />  それでその、改めて確認しますが…先輩は喜緑さんとお付き合いをなさってる訳ですか。</p> <p><br /> 「さっきからそう言っている。だいたいここに来る前にも、俺は『あいつと一緒だとヤニを吸わせて貰えないんだ』とボヤいていたはずだろう」<br /> 「ああ、はい。それは憶えてますけど」<br /> 「いくら何でも、俺だって半日くらいは我慢できる。…意味は分かるな?」</p> <p><br />  えーとそれはつまり、お二人が半日以上一緒に居たという事で…。俺たちが出くわしたのは今日の午後一番の出来事だったから、要するにお二人は昨晩からずっと一緒に過ごしていた、と?<br />  俺が目線で訊ねると、会長もまた無言で頷いた。うーむ、あの楚々として折り紙付きの箱入り娘のような雰囲気の喜緑さんが、とっくにそのような事をご経験済みだったとは。考えるだに生々しくって、どうにもお尻の下がむず痒くなってしまうね。</p> <p><br /> 「今どき珍しい話でも無かろう。男がいて女がいれば、つがいが生まれるのは生物学的にも自然な事だ。それを恋愛と呼ぶか、単なる情欲の慰め合いと捉えるかは人それぞれだろうがな」</p> <p><br />  えらく淡々と会長は言い捨ててみせた。その余裕、俺たちは他人にどう思われようと構わないぜっていうノロケですか?<br />  はあ、分かりました。あなたと喜緑さんの蜜月っぷりは、まったく疑いようの無い事実のようです。</p> <p><br /> 「さて、どうだか。ひょっとして俺は、あいつの肉感的な罠にあっさり籠絡された大バカ者かもしれん」<br /> 「そうやって自分を客観視できるなら、何の心配も要らないでしょうよ。って言うか、あなたが先輩でなかったら頭のひとつでも叩いてやりたい気分です」<br /> 「そいつはすまなかったな。その詫びにと言っては何だが、お前に彼女が出来た際には気の済むまでノロケ話を聞いてやろう。いつでも声を掛けてくれ、遠慮は要らんぞ」</p> <p><br />  そう言って会長は、紫煙の向こうでからからと笑ってみせた。くそう、森さんたちに鍛えられてるだけあって、こっちの痛い所をズバリと突いて来られるお人だぜ。<br />  なんとか一矢報いてさしあげたいものだ、と青少年らしい対抗心を胸に抱いたその時。俺はふと、ある疑問に思い当たった。別に会長を槍玉に挙げるような物では無いが、でもちょっとした疑問だ。</p> <p><br /> 「だったら、春の部活説明会の際のアレはどういう事なんです?」<br /> 「部活説明会? ああ、涼宮の奴がド派手なチャイナドレスを着込んでたアレか」</p> <p>「ええ。あの時、先輩は喜緑さんがいる間は普段通りの辣腕会長を演じてたのに、喜緑さんがいなくなった途端、素の口調に戻ってたじゃないですか。<br />  喜緑さんが先輩の彼女で、ましてやあの人が宇宙人だって事まで知ってたなら、そんな必要は無いはずでしょう? それとも、あの頃はまだそういう関係じゃ無かったんですか?」</p> <p><br />  俺の質問に、会長は咥えタバコのまま記憶を探るように、大きな羽根の扇風機がゆっくりと回っている天井を見上げた。</p> <p><br /> 「ふむ。俺が江美里を押し倒したのが確か5月の事だから、その頃はまだ明確な男女の仲ではないな。だが、あいつの正体に関してはとっくに知っていたぞ」<br /> 「え?」<br /> 「逆に訊こう。お前、江美里がTFEI端末だと誰から聞いた?」<br /> 「それは…古泉からですが」<br /> 「俺もだ。ならば現生徒会の書記が本来は別の人物で、いつの間にかそのポジションに江美里が入り込んでいた事も知っているな?」</p> <p><br />  質問の意図が分からないまま頷く俺の前で、会長は謎解きに挑む名探偵のごとく、指に挟んだタバコをくるくると円を描くように動かしてみせた。</p> <p><br /> 「つまりだ。まず『機関』の中で勘のいい奴が、生徒会の顔ぶれに関して『何かおかしいぞ?』と気付いたんだよ。<br />  もちろん『機関』は、その裏付け調査に入る訳だが…ここで質問だ。現生徒会のメンバーが、全員『機関』の工作員だと思うか?」</p> <p>「は? いや、さすがにそれは無いでしょう」<br /> 「その通りだ。主要メンバーは俺の息の掛かった連中で固めてはいるが、やはり過半数は一般生徒が占める。<br />  そんな中で、『機関』が調査を開始したとしよう。お前が調査員だとして、いきなり普通の生徒に『書記の人って、実は別の人物だったりしませんでした?』などという、ふざけた質問が出来るか?」<br /> 「………あ」</p> <p><br />  言われてみればその通りだ。たとえば俺の部屋でハサミが無くなったら、俺はまず妹に、勝手に使わなかったかどうか訊ねてみる。そう、一番身近ですぐ確認を取れる人物に、だ。<br />  『機関』が生徒会のメンバーについて調査を行ったなら、外部協力者で生徒会に詳しい会長にまず事情を訊ねるのは、理の当然なのだ。</p> <p><br /> 「そうして事実が判明すれば、もちろん俺にも警告が下される。『喜緑江美里の動向に注意してください』と、そう俺に伝えてきたのはやはり古泉だったがな。<br />  正直、俺はうんざりしたよ。会長役だって嫌々やらされてんのに、生徒会の中に宇宙人が入り込んでるから今度はその監視もしろ!と来たもんだ。俺の人生はとことん呪われてるのかと、あの頃は雑誌の裏広告のオカルトグッズを買う事さえ真剣に考えてたほどさ」</p> <p><br />  トントンと会長の手の中のタバコの先が、灰皿の縁を叩く。燃え尽きて白んだ灰が、はらはらと崩れ落ちる。</p> <p><br /> 「だのにまさか、その宇宙人をベッドに組み敷くようになるとはな。<br />  人生ってのはまったく訳の分からんものだ。おかげで俺は、ちまちまとつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなっちまったよ」</p> <p><br />  フフッと軽い笑みと共にうそぶいて、会長は改めてタバコをひとしきり吸い、白く長い煙をふーっと吐いた。<br />  たったの二言三言で片付けはしたけれど、俺たちSOS団の中でもいろいろあったように、会長と喜緑さんの間にも葛藤やら衝突やら何やら、いろんな出来事があったりしたんだろうね、たぶん。</p> <p><br /> 「ともかく端的な事実として、俺は春の時点でとうに江美里の正体は知っていた。無論、江美里の方も俺の素性は見抜いていたから、俺たち二人の間で演技をする必要など無い。そこまではお前の言う通りだ。<br />  では、なぜ俺は尊大にふんぞり返った物言いをしていたのか? 簡単な事さ、その場に居たもう一人の人物に対して、自分の仕事ぶりをアピールする必要があったからだ」<br /> 「もう一人の人物…。あっ、それってまさか?」<br /> 「気が付いたか? そうだ、古泉だよ」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「改めて説明するまでも無いだろうが。<br />  俺は『機関』の外部協力者だ。対して、古泉は涼宮ハルヒの言動に逐一対応する、現場の最高責任者。例えて言うなら古泉は支店長で、俺はその店の雇われバイトといった所だな」</p> <p><br />  その例で言うなら、喜緑さんはさしずめ、株式会社情報統合思念体の派遣社員って所ですか。</p> <p><br /> 「ああ。そして『機関』と統合思念体は、同業他社のごとき関係だと言える。<br />  さて、ではその支店長の前で、バイトくんと他社の派遣が節操なくイチャついていたとしよう。お前ならいい気分になるか?」<br /> 「個人的な気分の問題はさておき、仕事に関しては多少不安を覚えますね」<br /> 「だろうな、俺だってそう思う」</p> <p><br />  わざとらしく眉をひそめ、会長は大仰に腕を左右に広げてみせた。</p> <p><br /> 「俺と江美里は生徒会の同志ではあるが、それ以前にやはり『機関』の協力者であり、情報統合思念体のインターフェースだ。<br />  その立場を忘れて公私の区別無く振る舞っていれば、俺は『機関』に不審がられるだろうし、江美里の方も統合思念体から存在を疑問視されかねないだろう。『お前、ちゃんとお仕事やってんの!?』とな」<br /> 「じゃあ、そうならないために?」</p> <p>「ま、そんな所だ。<br />  人前で行動している時、特にそれぞれの組織関係者と接している間は、俺も江美里も一線を画した行動を心掛けている。そして古泉も、俺たちが白々しい演技をしている事くらい承知しながら、しかしお前らの前では単なるSOS団の副団長として、こちらも素知らぬフリを通している訳だ。<br />  言っておくが、別に俺たちは特殊な例なんかじゃないぞ。誰しもが勤務時間中は私を殺し、望まれる自分を演じている。そうしなければ、単純に働きづらくなるからな。<br />  極論を述べるなら、『働く』とは『ペルソナを付ける事だ』とさえ言えるだろう。何もかも正直にブチ撒ける事が、必ずしも円滑な人間関係をもたらす訳じゃない」</p> <p><br />  なるほどね、ようやく合点が行った。あの時、喜緑さんが居る時と居ない時で会長が態度を変えていたのは、古泉に対する「自分はきちんとケジメを付けてます。手を抜いた仕事なんてしてませんよ」という意思表示だったのだ。<br />  しかしまあ、何と言うか。</p> <p><br /> 「シビアな話ですね」<br /> 「何であれ、仕事ってのはシビアな物さ。ましてや『機関』の連中はこの世界の存亡の一端を担おうってんだ、シビアにもなろうよ。<br />  むしろ変に正義やら善意やらを振りかざされるより、俺としてはビジネスライクな付き合いの方がよほど信用できる」</p> <p><br />  飄々と述べたその直後。しかし一転、会長は狼のごとく白い歯を見せて、にいっと笑ってみせた。</p> <p><br /> 「逆に言うなら、やるべき事さえキッチリやっていれば、誰にも文句は付けられんのだからな。<br />  生徒会運営の中でちょっとばかり役得を享受しようが、プライベートの時間に江美里にチャイナ服やら何やらを着せようが、それは俺の自由って訳だ」</p> <p><br />  着せたんですか。いや、どこかツッコミ所を間違えてる気もするが。</p> <p><br /> 「例の説明会の時の涼宮は、かなり扇情的だったからなあ。俺もスラックスのポケットの中で自分の腿を思いっきりつねって、どうにか冷静なフリを保っていたほどさ。<br />  って事で、江美里にお願いしてみたんだが。あいつの方も、意外とノリノリだったんだぞ? 最初の内こそ非難じみた眼差しをしていたが、いざ服を手渡してみると『困った人ですね』とか何とかぶつくさ言いながら、自発的に髪を左右でお団子にまとめていたし」</p> <p><br />  おお、分かっていらっしゃる。やっぱりチャイナの基本はダブルお団子ですよね。ポニテのそれも捨てがたいですけど、お団子髪から下に伸びる、白いうなじの稜線もなかなか…。<br />  って、何を言わせるんですか! う、羨ましくなんかないんだからねッ!?</p> <p><br /> 「くくく、無理をするな。チャイナが嫌いな男などおらん。<br />  ことに江美里とシルクのチャイナドレスの組み合わせは、珠玉と言っていい。見て良し愛でて良し、俺一人がこの艶麗さを独占して良いものかと、思わず自問自答してしまうくらいだ。もちろん他の野郎共なんかには、一目たりとも触れさせる気は無いが――」</p> <p>「すいません、激しく胸焼けを催してきたのでそろそろ帰っていいですか」<br /> 「あああ、スマン! ちょっとばかり調子に乗りすぎた!」</p> <p><br />  俺が腰を浮かせる様子を見せると、会長は慌てて引き止めてきた。勘弁してくださいよ、彼女ナシの身にとってあなたの独白はかなり毒です。</p> <p><br /> 「そう言ってくれるな。常日頃から冷徹なカミソリ会長役を強要されているせいで、これまでは彼女自慢をしたくっても、こうして臆面もなく話せる機会などほとんど無かったんだ。<br />  それでもノロケ話程度なら、まだ我慢は出来る。人前でうっかりニヤケ笑いなんぞ浮かべてしまわないよう、ポケットの中で腿をつねっていれば済む話だ。だが――」</p> <p><br />  と、そこで会長は不意に、大真面目な表情に戻った。</p> <p><br /> 「だがもし今後、俺たちに何らかの不遇が生じたなら?<br />  俺の方に要因がある分には、まだいい。たいていの事なら江美里がフォロー出来るだろう。しかし江美里にとって不測の事態が生じた時、俺にはいったい何が出来るんだ?」<br /> 「それで、俺に相談役になってほしいってんですか」<br /> 「ああ。あいつを口説き落とすまでは、俺個人の裁量でどうにかやってきたが。それでも世間一般の恋愛に比べて、俺たちのそれには普通じゃない場面が度々あった。<br />  これから先は、さらに未知数だ。病気や妊娠などの体調不良から過度のストレスが掛かったりすれば、いかにTFEI端末と言えども自己保全を果たせなくなる可能性は否めない。ならばそうなる前に、一通りの情報収集だけでもしておくに越した事はないだろう」</p> <p><br />  確かに会長の言には一理ある。長門は間違いなくSOS団の誇る万能選手だが、それでも去年の冬にはあいつが言う所の「エラーの蓄積」から、自分をコントロールできなくなってしまった。<br />  それに朝倉涼子が最初に俺を襲ったのも、確か「上の方が現場の状況を理解してくれない」とかいう理由からだっけな。</p> <p><br />  もしも、あの時。事前に「現状に飽き飽きしている」という朝倉の心情を汲み取って、そのストレスを和らげる事が出来ていたら、あいつと共存する未来もあり得たのだろうか?<br />  どこでどうフラグをいじればそういう流れになったかは見当も付かないし、今更な繰り言だって事は分かってる。それでも俺の言動によって、これから起こり得るかもしれない喜緑さんの暴走を未然に防げるなら、それはすごく意味のある事だ。けれども。</p> <p><br /> 「まだ分からない事があります。どうして俺なんですか」<br /> 「うん?」<br /> 「先輩はさっき、『相手がTFEI端末だと知っていて普段付き合いをしているような奴は、他に見当たらない』と言っていましたけど。<br />  古泉の奴だって、俺と同じように長門と接していますよ? おまけに『機関』の情報網までバックにあるんですから、俺なんかよりあいつの方がよほどそっち系の知識について詳しいはずです。<br />  先輩にとっても、古泉は身近な存在だった訳でしょう? だのになぜ今、わざわざ俺に話を持ちかけて来たんです?」<br /> 「ふむ、もっともな疑問ではある。だがその答えは、案外単純だ」</p> <p><br />  だいぶ短くなってしまったタバコの先を、灰皿の底に擦り付けながら。会長はあっさりと俺の問いに答えてみせた。</p> <p><br /> 「確かに情報量だけなら古泉は頼りになるさ。それは認める。『機関』という組織に対して、それなりの発言権さえ持っているしな。<br />  しかし根本的な部分で問題があるだろう。そう、ズバリ言えば――</p> <p><br />  ――あいつは、うさんくさい」</p> <p><br />  ………なんだって?<br />  口角を歪めて、吐き捨てられた一言。思いもかけない会長の侮蔑の言葉に、俺は自分でも意識していなかった衝動が体の奥から湧き立つのを覚えた。そしてその衝動に突き動かされるまま、気が付けばガタン!と、俺は今度こそ本当に席を立っていたのだった。<br />  恥ずかしい話、俺は自分の事を、どちらかと言えば思慮深い方だとばかり思ってたんだが。実際はそうでもなかったみたいだ。勢いよく立ち上がった俺は会長に向かって両手を伸ばし、そして、</p> <p><br /> 「よく…よく言ってくれました!」</p> <p><br />  ポカンとした表情の会長の手にその手を重ねて、感謝感激の一言を告げていた。</p> <p><br /> 「ああ?」<br /> 「いえね、俺だって前々から古泉の事はうさんくさいうさんくさいと思ってたんですよ。あの笑顔からセリフからキザったらしいポーズのひとつひとつまで、とにかくうさんくささの見本市みたいな奴じゃないですかあいつは。ただ――」</p> <p><br />  それでも話している内に、だんだん落ち着きを取り戻してきた俺はいったん席に腰を戻して湯飲みのお茶をぐっと飲み干し、うつむき加減に言葉を続けた。</p> <p><br /> 「ただ、俺のツレで谷…。いえ、本人の名誉のためにTとしておきますが、このTが事あるごとに古泉をこき下ろすんですよ。<br />  『なんだあの野郎、ツラも良けりゃ足も長いのにその上野球まで得意だってのかよ。うさんくさいったらありゃしねえ』とか。<br />  『くっそ、こっちは体張って池にまで落ちてるってのに、あの野郎だけ主役でオイシイ目みやがって。なんだよあの貼り付けたみてえな笑顔に白々しい演技は。ああうさんくせえ』とか。</p> <p>  実際の所、俺だって似たような事は考えてたんです。いえ、古泉の裏の顔を知ってる分、むしろ俺の方が強くそう思っていたかもしれません。でも谷…じゃなかったTのセリフを隣で聞いていると、どうしてもそれが『モテない野郎のみっともないひがみ根性』にしか思えなくて、それで…」<br /> 「それでこれまで、自分の本心を口にするのがはばかれてきた、か?」</p> <p><br />  ポン、と肩に手を置かれて顔を上げてみると、そこには驚くほど穏やかな会長の微笑があった。</p> <p><br /> 「分かるぞ、その気持ち。ことに奴を除けば、お前以外のSOS団員は全員女だものな。とてもじゃないがそんな言葉、口には出来なかったろう」<br /> 「せ、先輩…」<br /> 「だがお前が古泉に抱いていたその感情は、決して間違っちゃいない。れっきとした彼女持ちである、この俺が保障してやろう。<br />  そして今この場では、何の遠慮をする必要もない。いい機会だ、俺と一緒に鬱屈した想いの全てを吐き出してしまえ。さあ!」<br /> 「は、はい!」</p> <p><br />  会長の言葉は蜜のように俺の心に染み渡り、そのささやきに促がされるまま、俺たちは他のお客さんの迷惑にならないよう密やかに声を張り上げたのだった。</p> <p><br /> 「古泉一樹はうさんくさい!」「古泉一樹はうさんくさい!」<br /> 「「古泉一樹は、うさんくさい!!」」</p> <p><br /></p> <hr /><br /> 「――とまあ、ここまでは冗談半分としてもだ。いや古泉の奴がうさんくさいのは事実だが」 <p><br />  喉が渇いただろう、と会長が追加注文してくれた抹茶セーキをストローですすりながら、俺は改めて会長の話に耳を傾けていた。<br />  わざわざお店で粉を挽いているそうで、抹茶の鮮烈なほろ苦さが舌に心地良い。甘さ控えめな分、お茶請けに生キャラメルが添えてあるのがまた憎いね。</p> <p><br /> 「俺が古泉を当てにしないのは、まったく単純な理由だよ。将来のために布石は打っておきたいが、しかし下げたくもない頭を下げるほど現状で苦境に立たされている訳でもない。だから奴には頼らない、それだけの事だ。<br />  もちろん本当に窮した時には、恥も外聞もなく古泉にすがるさ。あいつが頼りになるというのもまた事実だからな。だが今はまだ、その時期じゃない。だから切り札はここぞという時まで取っておく。<br />  要するに俺にとって、あいつは最も借りを作りたくない部類の人間なのさ。それはおそらく、お前にとっても同様だろう?」<br /> 「…………」</p> <p><br />  含み有りげな会長のセリフに、俺も無言で頷いた。<br />  試験勉強の時期とか、ついつい古泉を頼りたくなってしまう瞬間が俺にもある。『機関』の力でテストの中身を事前入手してくんないかなー、とか。けど、それはダメだ。友情と仕事の一線を踏み越えてあいつを利用するような真似をしたら、その瞬間から俺と古泉はSOS団の仲間じゃなくなっちまう。<br />  俺はうっかりあいつに借りなんて作りたくもないし、逆にあいつの弱みを握りたくもないんだ。文芸部室で打つオセロがフェアな勝負でなくなったら、放課後の時間がつまらなさ過ぎるだろ?</p> <p> </p> <p>  この一年で俺が最も会話を交わした相手はといえば、なんだかんだでやっぱり古泉なのだ。あいつが口にする案はたいていロクな物じゃないが、それを試金石に俺が自分の考えを導き出している点は否めない。毎回ぶつくさと文句を言っちゃいるが、今の俺にはあいつとの対等な口論が、朝比奈さんのお茶の次くらいには必須になっているのだ。</p> <p>  きっと会長にとっても、古泉は「張り合い甲斐のある相手」で、だから変に迎合するような真似はしたくないんだろう。こうして陰口を叩きたくなるような、そしてそれを飄々と受け流すくらいの、小憎らしいあんちくしょうなポジションが古泉にはお似合いなのさ。</p> <p><br /> 「まったくだ。ただし俺とお前とでは、少々事情が異なる」</p> <p><br />  こちらも追加注文の黒蜜きなこパフェを口に運びながら、会長はそう付け加えた。にしても、この期に及んでそんなクドそうなのを召し上がられるとは。本物の甘党なんですねあなたって人は。</p> <p><br /> 「ビールよりはカルピスソーダが好きな方だ。中元でも送る気になったら考慮しておいてくれ。<br />  それはさておき。先程も少し触れたな、『機関』と情報統合思念体は同業他社のような関係だと」</p> <p><br />  ああ、そんな事も言ってましたね。だから先輩と喜緑さんは、あまり大っぴらにはイチャつけないんでしたっけ。</p> <p><br /> 「まったく、ややこしい事だ。生徒会では同僚であり、私事では恋人同士の二人が、職務上はライバル関係だってんだからな。シェークスピアも爆笑だぜ。まあ『機関』と統合思念体が明確に敵対していない分だけマシだとは言えるが」</p> <p><br />  こめかみの辺りを指先で抑えながら、会長はそう呟いた。その苦み走った表情は、どうやらアイスの冷たさだけによるものではないらしい。と、会長は不意に、切れ長の目をまっすぐこちらへ向けた。</p> <p><br /> 「敢えて訊こうか。もしも『機関』と統合思念体が敵対したなら、お前はどちらの側に付く?」<br /> 「…答えなきゃいけませんか、それ」</p> <p><br />  多分、俺は仏頂面を浮かべていたんだろう。当然だ、あまり愉快な質問じゃない。そんな俺の顔色に、会長はくっくっとイタズラが成功した子供のように楽しげな笑みを洩らした。</p> <p><br /> 「いいや、無理にとは言わん。こんな質問、状況次第で答えなどいくらでも変わるものだ。たいして意味は無い」</p> <p><br />  じゃあどうしてわざわざ、と訊ねようとしたその矢先。会長の瞳がぎらりと凄みを帯びた、ように思えた。</p> <p><br /> 「だが俺はもう決めた。江美里の味方をすると」</p> <p>「え?」<br /> 「もしも『機関』と江美里が対立するような事態になったなら。俺は江美里の側に付く。そう決めた。だから俺は外部協力員のままで『機関』の内部にまで踏み込みはしないし、古泉とも必要以上に馴れ合ったりはしない。<br />  互いに銃を向け合うような状況になった時、その方が楽だ。俺も、古泉もな」</p> <p><br />  パフェをひょいひょい頬張りながらの、ごく普通の口調。だのにその言葉の裏には、どこかピンと張り詰めたものが漂っていて。俺は思わず、ごくりと息を飲んだ。</p> <p><br />  状況が切迫していれば、人はその場の勢いでキスくらいまでは出来る。…思い返すと胸の内で何かがぐるんぐるん回転したりするので、あんまり考えたくないんだが。ともかくそれは実体験に基づく事実だ。</p> <p>  俺みたいなボンクラでさえその程度は出来るのに、どうして世の中には踏ん切りがつかず恋に悩み続ける人が尽きないのかと言ったら、告白してフられたらもちろん心が痛いし、成功したらしたで、今度は自分のセリフやら行動やらに責任が生じるからだろう。健全な青少年なら、こっそりmikuruフォルダを覗く程度の事は誰だってやっていると思うが。しかし実物の朝比奈さんに手を出すなんて事は、俺にはまったく夢想だに出来ない。そんな覚悟はまだ俺には無い。</p> <p><br />  先の会長の一言に、俺はその覚悟を垣間見た。<br />  それは俺にとって、純粋な驚異だった。女性経験の有無とかはさておいても、この人は“大人”なのだ。俺なんかよりも断然、ずっと。</p> <p>  たった一年の歳の差で、人間こうも違うものだろうか。こんな上級生になれるのなら、生徒会長をやってみるのもいいかもしれないとさえ一瞬思ってしまったほどだ。それほどに会長の宣言は男前で…。</p> <p><br /> 「感心してくれている所、悪いがな。あいにくと俺があいつに手を出したのは、ほとんど成り行きだったぞ」<br /> 「はいっ!?」<br /> 「責任だの覚悟だの、いちいち考えてなんかいられるか。目の前に憎からず思っている女がいて、うまいこと喰えそうな雰囲気だったら、なるようになっちまえってのが男の本音だろう」<br /> 「そ、そんな事でいいんですか?」</p> <p><br />  思わず声を上擦らせてしまう俺の前で、会長は自信満々に頷いてみせた。</p> <p><br /> 「言ったはずだ、俺はつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなったと。<br />  悩んで考えて最善策を思い付けるなら、それでもいい。だが、その場の勢いで突っ走った方が良い目が出る時もある。『ああ、もうこいつでいいや!』という直感が、案外バカにならん」<br /> 「そんなものですかね」<br /> 「そんなものだ。理屈ではなく直感だからこそ、自分を信じられる。もちろん、誰しもがそうしてうまく行くなどという保障は無いぞ。だがとりあえず、俺たちはうまく行った。<br />  そもそも色恋沙汰に方程式など存在しないんだ。おかげで宇宙人相手でも、こちらが優位に立てる。…もっとも近頃は江美里の奴も、女の手練手管をあれこれ身に付け始めているんだが」</p> <p><br />  俺の脳裏に、喜緑さんに手の甲をつねられていた際の、本気で引きつっていた会長の表情が浮かぶ。と、それを打ち消すかのように会長は、ビッ!と銀色のスプーンの先を俺の顔に向けた。</p> <p><br /> 「とにかくだ。方程式など存在しない以上、自分が正解だと信じてさえいればそれでいい。俺はまだまだ野心溢れるお年頃なんでな、覚悟やら責任やらの重苦しい理屈に拘束されるよりは、単純に『こいつとつるんでると面白そうだ!』ってな衝動に身を委ねたいのさ。<br />  あいつは確かに宇宙人だが、だからってスルーしちまうにはちょっと惜しいくらいのイイ女だ。なら俺は手を出す。他の野郎なんかにくれてやってたまるか。<br />  動機なんざそれで十分なんだよ。でもって手を出してみたら、幸か不幸かあいつも俺を受け入れてくれたんでな。今さら手放すのも惜しいし、せっかくだからこのまま二人、行き着く所まで行ってみるのさ。<br />  後悔はするかもしれん。だが後戻りはしない。俺は――」</p> <p><br />  縦長のガラス器に残ったパフェを、ぺろりと平らげて。会長は柄の長い銀のスプーンを器に放り、そのついでみたいにこう告げた。</p> <p><br /><br /><br /> 「――江美里と共にある未来を選ぶ」</p> <p><br /><br /><br />  ガラス器の中で、転がるスプーンがカラカラと澄んだ音を立てる。その音と共に、会長のストレートな一言は俺の胸に響き渡った。</p> <p> </p> <hr /><p><br />  まったく、何なんだろうねこの人は。最初に生徒会室で顔を会わせた際に、いきなりタバコを吸い始めた時にもえらく驚かされたものだが。計算高いようでいて、そうでもない。ふっと無防備に自分をさらしてくる瞬間があって、その都度ドキッとさせられる。<br />  結構ワガママで図々しくて狡猾で自分本位な独断専行型なのに、どこか憎めないというか。なんとなく、その大っぴらさが痛快だったりもするんだよな。もしかして喜緑さんも、この人のそういう所に惹かれたりしたんだろうか。</p> <p><br />  なんて事を考えていたら、ふと気が付いた。そうか、会長ってどことなくハルヒに似てるんだ。<br />  いや、もちろんこの人はインチキパワーなど無い普通の人間なんだけれども。両面性を秘めたそのスタンスというか、根っこの部分が似ている気がする。だからこそ、ハルヒの敵役に抜擢されたのかもしれない。<br />  トラやライオンはその成長過程で、周りの兄弟たちとケンカをする事で狩りの仕方なんかを憶えていくそうだが。おそらくハルヒにとって、会長はまさしくちょうどいいケンカ相手なんだろう。なんだかんだで会長を相手にタンカ切ってる時のあいつは、目をキラキラ輝かせてるもんな。</p> <p><br /> 「…分かりました。って言うかここまで聞いといて、今さら知らんぷりってのもナシでしょう」<br /> 「うん?」<br /> 「相談役ってのは、どうにもこそばゆいですけどね。たまの茶飲み話くらいなら付き合わさせて貰いますよ。<br />  ついでに、もうひとつの俺に期待したい事ってのも聞かせてください。毒喰わば皿まで、こうなったら何でも承りましょう」</p> <p><br />  そう伝えて俺は、にいっと会長を真似た笑顔を浮かべてみせた。<br />  踊るアホウに見るアホウじゃないが、向こうがこれだけあけすけに話をしてるのに、こっちだけだけ勿体ぶってたら格好悪いだろ? まがりなりにもこの人はさっき、俺の境遇に理解を示してくれたんだ。だったら俺だって、この人のお役に立ってさしあげたいじゃないか。<br />  それに俺の方としても、長門に関してはいまだに謎な部分が多かったりする。会長との情報交換は、割と貴重かつ重要な機会なんじゃないのかね。<br />  と、この瞬間までの俺はそんな前向きな事を考えていたんだが。</p> <p><br /> 「ほう、大きく出たな。では遠慮なく要望させて貰おう。<br />  実の所、こちらの案件は少々厄介でな? お前をどう頷かせようかと、いろいろ算段していたんだが。ふむ、案外難問ほど簡単に片付くものだ」</p> <p><br />  申し出に傲然とそう答えて、会長が俺以上のニヤニヤ笑いを浮かべている様に、俺は早くも後悔の念を覚えていた。<br />  うへえ。もしかして俺、ちょっとばかし早まっちゃいましたか。まさかとは思いますけど、俺の安請け合いを引き出すためにここまで内情から何からぶっちゃけてきたって事はないですよね?</p> <p><br /> 「クックックッ、さあな。<br />  まあそんなに身構えてくれるな。厄介と言っても、別にお前を七転八倒させようって訳じゃない。単に、具体的な対処法を示唆できないというだけの話だ」</p> <p>「はあ。なんだか曖昧ですね」<br /> 「言葉にすれば単純なんだがな。ともかくこの件も、俺と江美里の将来に大きく関わるのは間違いない。<br />  だからよく聞いてくれ。いいか、俺がお前に期待したいもうひとつの用件、そいつは」</p> <p><br />  先程と同様に、いやそれ以上に勿体をつけて会長は2本の指をぴっと突き立て、そして厳かにこう言った。</p> <p><br /> 「『涼宮ハルヒを安定させ過ぎるな』って事だ――」<br /><br /><br /><br /> つづく</p>
<p>※このお話は『<a href="http://www25.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3624.html">放課後屋上放談</a>』の後日談です※</p> <p><br /><br />  いつも通りの休日。いつも通りの不思議探索。長門とペアの組になったので、いつも通り図書館へと向かったのは、まあお約束だよな。<br />  秋の日の、さんさんとした午後の陽光が降り注ぐその道すがら。俺はふと思いついて、隣に声を掛けた。</p> <p><br /> 「なあ、長門。小説とか文章の書き方のHowTo本でオススメのってあるか?」<br /> 「………なぜ」<br /> 「俺たちが文芸部室を使い続けるためには、また機関誌を作らなきゃならないだろ? どうせ書かされるなら、基本くらい抑えとけば少しは楽かと思ってさ」</p> <p><br />  形式上、俺たちには文芸部室を占有するに足るだけの活動内容を提示する事が義務付けられている。非常に面倒だが社会の必然って奴なので、こればかりは致し方ない。<br />  致し方ないのなら、いっそポジティブに考えてみるのもいいかもな。そう、もしかして俺には天才小説家としての眠れる才能が秘められていて、本腰を入れて書き連ねてみたならば、ナントカ賞くらい取れたりするかもしれない。<br />  …うん、自分でも多分に邪気眼っぽい妄想だとは思うが。俺だって現役の高校生だし、こんなドリー夢を思い描く事だってあるのさ。それでもハルヒみたいなトンデモ能力に比べれば、発現する可能性はまるっきりゼロじゃないはずだ。なあ、長門?</p> <p><br /> 「そう」</p> <p><br />  俺の潜在的可能性については微塵も触れる事なく――ナイーブハートがちょっとだけ傷ついたぜ――長門は何も無い空中に文字列が並んでいるかのごとく、しばらくまっすぐに正面を見据えていた。</p> <p><br /> 「該当作は複数」<br /> 「じゃあまず図書館にある中で、ページ数の少ない奴を適当に見繕ってくれるか」<br /> 「了解した」<br /> 「よろしく頼むわ。ハルヒの奴はどうせまた無茶なお題を突きつけてくるだろうし、生徒会長の方は生徒会長の方で、そんなハルヒをさらに焚きつけようとするだろうからな。<br />  まったく、今から頭が痛いぜ………。ん? どうした、長門?」</p> <p><br />  取り留めのない会話の途中。不意に長門が立ち止まったので、俺も足を止めた。長門は俺に答えず、ただじっと黒曜石のような瞳を前へ向けている。その理由は、俺にもすぐに分かった。</p> <p><br /> 「うん? キミたちは…」<br /> 「あらあら。こんにちは、長門さん」</p> <p><br />  噂をすれば影ってことわざは、こういう時に使えばいいのかね。図書館を目前にした路上で、俺たちは向こうからやってきた生徒会長と喜緑さんの二人連れに、バッタリ出くわしてしまったのだった。</p> <p> </p> <hr /><p><br />  こざっぱりとした麻のジャケットに、足元の革靴までピシリと決めた会長。その半歩後ろにさりげなく付き従っているのは、ざっくりとした白いセーターにベレー帽をちょこんと合わせた、上品な装いの喜緑さん。<br />  何というか、私服でもなかなか様になっている二人だ。だがしかし、この出会いははたして偶然なのか、それとも必然なのか。見た所、待ち伏せとかしていた訳ではなさそうだが。</p> <p><br /> 「奇遇だな。いや、そうでもないか。文芸部員が図書館に現れるのはごく自然な事ではある。だが、しかし――」</p> <p><br />  会長のセリフを信じるならば、どうやら俺たちは図らずもニアミスしてしまったらしい。だが、まだまだ油断は出来ないぞ。なにせ喜緑さんは、おっとりした外見ながらあのカマドウマ事件の発端となったお人だし、会長は会長で、SOS団に難癖を付けるのを生業としていると言っても過言じゃないからな。厄介な敵などではないにせよ、とりあえず警戒しておくに越した事はないだろう。</p> <p>  はたして。規定された動作のように指先でくいっとメガネを押し上げた会長は、細いあご先に手を当てながらジロジロ値踏みするように俺と長門をかわるがわる見つめ、そしてこう言い放ったのだった。</p> <p><br /> 「気が付かなかったな。キミたちがそういう仲だったとは」</p> <p>「はあ?」</p> <p><br />  何だそりゃ。今度は不純異性交遊か何かで、俺たちを吊るし上げようってのかよ。<br />  はーっと大きく溜息を吐いて、俺は会長に向き直った。</p> <p><br /> 「そういう仲ってのがどういう仲の事を言ってるのか、知りませんけどね。たぶん勘違いですよ。俺と長門は、SOS団の活動でたまたま一緒に行動してるだけです」<br /> 「ほう、違ったか。人物観察にはそれなりに自信があったのだがな。私はてっきり、休日に二人連れ立って仲良く図書館デートだとばかり」<br /> 「勝手に決め付けないでくださいよ。<br />  ってか、それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか? 俺の目には、お二人こそ休日に仲良く図書館デートって風に見えますけどね、センパイ?」</p> <p><br />  ちょっとばかり揶揄するような口調で、俺はそう切り返してやった。相手の痛い所を突くのは、古泉との将棋でそこそこ慣れてるのさ。<br />  まあこの人も『機関』との契約で、いつも通りSOS団の敵対者を演じているに過ぎないんだろうけれども。ところが、意趣返しのつもりで言い放たれた俺のセリフに。会長は、ふむ、と真顔で一言呟き、そして。</p> <p><br /> 「図書館デートか。その通りだ、と言ったら?」</p> <p><br />  答えるなり会長は傍らの喜緑さんの左肩に、ぽんと左手を置いたのだ。そう、彼女を抱き寄せるように。</p> <p><br /> 「うえっ!?」<br /> 「…………」</p> <p><br />  俺が思わず情けない声を上げてしまったのも、無理はないだろう。<br />  いやだって人通りこそ少ないけど、ここ天下の往来だよ? 誰に目撃されてるとも限らない道端でそんなに密着しちゃったりして、もう見てるこっちの方がドギマギするっていうかそれこそ不純異性交遊で告発されたりしたらどうするの!?<br />  っていうかこの二人、本当に付き合ってたのか? SOS団に関わる時は必ず二人セットですよね、などと春先の新入部員勧誘の際に、冗談めかした調子で訊ねたような事もあったりしたが。まさかそれが事実だったとは。</p> <p><br />  ええい、実にうらやま………いやいや待て待て。男子高校生としての本音はさて置き、喜緑さんて確か長門と同じヒューマノイドインターフェースだって古泉は言ってたよな? 会長はその事知っていて、喜緑さんと…?<br />  思わず視線を横に泳がせる。が、長門は目の前で寄り添っている会長と喜緑さんをまばたきもせずに見据えているだけで、その表情はいまいち読み取れな――</p> <p><br /> 「この、バカップルめ…」<br /> 「い、いま何か言ったか、長門?」<br /> 「………別に何も」</p> <p><br />  そうしてむっつり押し黙ってしまった長門と、パニクりまくりの俺が固まったままでいると。<br />  不意に喜緑さんが、にこやかな笑顔のままたおやかな動作で、自分の肩の上の会長の手の甲の皮膚を、きゅっとつまみ上げた。</p> <p><br /> 「たたたっ!?」<br /> 「会長ったら、おふざけが過ぎますよ? あまり後輩をからかって遊ぶものではありません」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「あー、彼の受け答えがあんまり初々しかったものでな。少々茶目っ気が過ぎてしまったようだ。すまん」</p> <p><br />  そそくさと喜緑さんから離れた会長は、つまみ上げられた手の甲をさりげなく、ふーふーと吹いていた。あ、いま爪の痕が赤くなってるのがチラッと…。地味に痛かったんだな、きっと。<br />  つか、さっきまでのってタチの悪い冗談だったのかよ。呆れ顔の俺たちの前で、会長は空気の悪さをごまかすかのようにエヘンとひとつ咳払いを打ち、それから改まって俺と長門に向き直った。</p> <p><br /> 「ところで。先程、SOS団の活動で来たと言っていたが…キミたちはこの図書館をよく利用するのかね?」</p> <p><br />  まあ、そこそこですよ。主に利用してるのは長門の方ですけど。</p> <p><br /> 「そうか。ならば、ひとつ助力を願えないか」<br /> 「はい?」<br /> 「喜緑くんが本を借りたいと言うのでこちらを訪れたのだが、この図書館を利用するのは久々でな。出来れば目当ての本がありそうな場所を案内して貰えるとありがたいのだが」</p> <p><br />  ふーむ。別に見ず知らずの仲では無いにせよ、結構ずうずうしいお願いだな。<br />  一時期は文芸部を潰そうとしたお人でしょうがあなた。それがこういう時には体良く文芸部員を利用しようだなんて、厚かましいにも程があるぜ。</p> <p><br />  なんて拒否するのは簡単なんだが、どっこい、だからこそここで恩を売っておくのもひとつの選択肢だろう。喜緑さんなら最短距離で目的の本まで直行しそうだって所が少々引っかかるんだが…会長の手前、あんまりまっすぐに直進しすぎる訳にもいかないのかもしれない。<br />  何にせよ、この図書館は長門のホームグラウンドみたいな物だ。宇宙パワーなんぞ使わなくっても、長門なら難なく対応できるだろう。それに自分の知識が人様のお役に立てば、長門だって悪い気はしないはずだ。</p> <p><br /> 「ええ、それくらいの事なら別に…なあ、長門?」</p> <p><br />  俺の振りに、長門も無言で頷いた。いったい何の本をお探しかは知りませんが、こいつに任せれば万事安泰ですよ。</p> <p><br /> 「それは頼もしい。では長門くん、喜緑くんの事は頼んだぞ」</p> <p><br />  鷹揚にそう依頼すると、会長は喜緑さんの方に振り返って…あれ、今なんか目配せとかしてなかったか?<br />  その喜緑さんは、ここまでずっとにこにこ笑顔で会長の後ろに奥ゆかしく控えていたが、会長の指図に小さく頷いて、すーっと長門の前に歩み寄ってきた。</p> <p><br /> 「よろしくお願いしますね、長門さん」<br /> 「…………」</p> <p><br />  そう言ってぺこりとお辞儀をすると、長門の手を取って歩き始める喜緑さん。少々戸惑った様子ながらも、引かれるままに長門もついていく。まるで姉妹みたいで、なんだか心和む光景だね。って――。</p> <p><br /> 「会長さんは一緒に行かないんですか!?」<br /> 「人の話を聞いていなかったのか? ここへ本を借りに来たのは喜緑くんだ。俺はただの付き添いに過ぎない」</p> <p><br />  いや、まあ確かにさっきはそう言ってましたけど…。</p> <p><br /> 「見た所、どうやらお前も同様のようだな。どうだ、ここからは男は男同士という事で、しばらく俺に付き合わんか。茶代くらいは出すぞ」</p> <p><br />  唐突な会長の誘いに、俺は内心で緊張を覚えた。もしかしたら俺は、意図的に長門と引き離されたのではないか、と。<br />  周到な罠に、俺は嵌められつつあるのかもしれない。そう考えて身構えようとした俺だったが、しかし会長の次の一言で、一気に脱力してしまった。</p> <p><br /> 「ひょっとして本当の所はデートの真っ最中だったりしたなら、邪魔した事を謝るが。<br />  だが長門くんに喜緑くんを任せられて、正直こちらとしては助かった。なにしろ彼女が一緒だと、ヤニを吸わせて貰えなくてなあ…」</p> <p><br />  肩を落として嘆く会長の背中には本物の哀愁が漂っていて、俺も一人の男として同情せざるを得なかった。割と苦労してるんですね、あなたも。</p> <p><br /> 「分かりました。さっきも言った通り、俺と長門はそんな仲じゃありませんし。俺で良ければ茶ぐらい付き合いますよ」</p> <p><br />  よくよく思い直してみれば、もし仮に会長が俺に害意を抱いたとして、喜緑さんがそれに協力するとは考えづらいしな。<br />  いつもいつもハルヒたちにおごらされてばかりの俺だ、たまには人様のオゴリで一服させて貰ったって、バチは当たりゃしないだろう。例のHowTo本にしても、別に急ぐ用件でもないし。<br />  そんな訳で会長にホイホイついていく事に決めた俺は、すでに遠くなりつつあるインターフェース娘二人の背中に向かって、大声を張り上げたのだった。</p> <p><br /> 「じゃあ長門、しっかり喜緑さんを手伝ってやってくれ! 俺は会長さんとしばらく外でダベってるから!」</p> <p><br />  俺の呼びかけに長門は何の返事もせず、首から上だけこちらに振り向いた。喜緑さんに手を引かれ、こちらに無表情な顔を向けたまま、だんだんと遠ざかっていく長門。その黒いつぶらな瞳を見ていると、頭の中で『ドナドナ』の歌が物悲しげに流れたりしたのは何故なんだろうね。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「あ、じゃあ俺も同じ物を」<br /> 「かしこまりました」</p> <p><br />  一礼したウェイトレスさん、いや、こういうお店では女給さんと呼んだ方がいいんだろうか。和服に白エプロン、足元はブーツ、頭には白いヒラヒラした…メイドカチューシャっていうのかね、あれは? とにかくそれでセミロングの髪をまとめた、一言で言えばハイカラな装いのお姉さんが厨房にオーダーを繰り返すのを見送って、俺は正面に向き直った。</p> <p>  テーブルに伊達メガネを置いた会長は、早くも咥えたタバコの先に火を点けている。って、ちょっと無防備すぎやしませんか? しばらくお預けを食らっていたようですから、無理ないのかもしれませんけど。</p> <p><br /> 「お前、この店を何だと思っている」<br /> 「甘味処、ですよね?」</p> <p><br />  そう、俺が会長に連れてこられたのは、大通りから外れた裏道にある大正モダン調の小さな甘味処だった。あの時代の言葉では『ミルクホール』とか呼ばれてたんだっけ? 確かに茶を飲ませる場所には違いないが、普通の喫茶店を想像していた俺としては、少々面食らってしまった。</p> <p><br /> 「だろうな。普通、野郎が二人連れで甘味処に入ったりはせん。<br />  大体こういった店は女子どもがたむろしていて、男連中にとっては居心地が悪いものだからな。…俺の言っている意味が分かるか?」<br /> 「この店はそうじゃない、と?」</p> <p><br />  俺の返事に、会長は薄煙の向こうでニヤリと笑ってみせた。</p> <p><br /> 「男でも大の甘党というのは存在する。存在するがしかし、世間一般的にあまり受けはよろしくない。スイーツというのは婦女子向けのファンシーな代物が多いからな。<br />  もしもの話だが、お前がファミレスに入ったとして、俺が一人でデラックスプリンアラモードをガツガツ喰ってたら引くだろう?」</p> <p><br />  引きますね、正直。そういえば中学の遠足の時、弁当に苺と生クリームのサンドイッチを持ってきたクラスの男子が「お前、女かよ」なんてからかわれたりしてたな。</p> <p><br /> 「それが現実だ。そうして抑圧されるからこそ、男性甘党の欲求はさらに高まっていく。考えてもみろ、一人暮らしの男が本物の汁粉を食べたくなったとして、小豆を水で戻したり、金網の上で餅が焼けるまで見ていたりとかやってられるか?」<br /> 「さあ、一人暮らしの経験はまだ無いので何とも言えませんが。ただ俺にはまず無理だ、と断言は出来ます」</p> <p><br />  要するにここは、そういう隠れ甘党御用達のお店って訳か。<br />  確かにパッと目に付く限り、周囲には男性客しか見当たらない。テーブルも椅子も重厚な木の造りでちょっと厳か過ぎる感じだし、照明もかなり抑えめ、席と席の間の衝立も大きくて、立ち上がらなければ店の奥まで視線が届かない。どうやらこれは、わざと女性客を寄り付きにくくした店構えみたいだな。</p> <p><br /> 「そうだ、ここは男の甘党にとっての隠れ家でありオアシス。言うなれば――」</p> <p><br />  タバコの先で俺の顔を指し示しながら、会長はこう続けた。</p> <p><br /> 「お前らにとってのSOS団と同じだ。わざわざ周囲に互いの秘密をバラし合ったりはしない。そうだろう?」</p> <p><br />  これには俺も、思わず苦笑いを浮かべる他なかった。なるほど、この店を訪れる客たちはある種の秘密を共有し合っている。だから会長も、密告とかの心配なしにリラックスしているんだろう。<br />  それにしても、なんだかんだでこの人がSOS団の結束を認めてくれていたのが何気に嬉しい。やれやれ、俺もすっかりあのキテレツ組織の中に組み込まれてしまったものだね。</p> <p><br /> 「ライバルとしては認めているさ。だからこそ…。<br />  ふむ。お前、どうして俺に茶に誘われたか心当たりは無いのか?」<br /> 「はい?」<br /> 「言っておくが今日俺たちがあの場で出くわしたのは、単なる偶然だ。<br />  だが、俺がお前を誘ったのは偶然ではない。ちょっとした思惑があってな。だから喜緑くんには、お前と二人になれるよう配慮して貰ったんだが」</p> <p><br />  なるほど、あの時の目配せはそういう意味だったのか。<br />  しかし、どういう事だ? 会長が俺とサシで話したいって。これが喜緑さんの方なら、「前々からお慕いしていました」なんて妄想も抱けるんだが。まさか会長が俺に告白したりする訳も…無いだろうし…。</p> <p> うん、無い! 無いったら無い! 消えろ、数秒前のアホな俺のイリュージョン!</p> <p><br /> 「そうか、無いのか」<br /> 「へっ?」<br /> 「だから、心当たりの話だ。すると古泉の奴は、まだお前に話を通していないんだな」</p> <p><br />  混乱している俺をよそに、一人頷いていた会長は突然、口の端を歪めて悪魔的な笑みを浮かべてみせた。</p> <p><br /> 「せっかくだから忠告しておいてやろう。別に口止めもされていないし」<br /> 「忠告、ですか?」<br /> 「ああ、そうだ。<br />  気を付けろ、うかうかしているとお前、俺と同じ目に遭わされるぞ」</p> <p><br />  忠告と言いながら、会長に俺の身を心配している風は無い。むしろその表情は、新しいゲームを発見した子供のように楽しげだ。</p> <p><br /> 「分かりませんね。古泉が俺にいったい何をするってんです?」<br /> 「なに、いたって単純な話さ。問答無用で生徒会長に祭り上げられる、ただそれだけの事だ。もっとも俺の場合と違って、お前を押し上げるのは『機関』ではなくSOS団のようだが」<br /> 「なあっ!?」</p> <p><br />  あまりに突拍子も無い会長の爆弾発言に、俺が声を失った所へ。<br />  お待たせいたしましたー、と女給のお姉さんがお盆を携えてやってくる。運ばれてきた『アイス白玉ぜんざいと焙じ茶のセット』はなんとも甘美な芳香を放っていた…はずなんだが、あいにくと俺の意識はどこか遠い彼方へすっ飛んでしまって、行方知れずなままだった。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「おいコラ、せっかくの甘味をそんなしかめっ面で喰ってんじゃない。店にも食材にも失礼だろうが」<br /> 「そりゃスイマセン…。けど、とてもじゃないですがじっくり味わってる気分じゃないんですよ…」</p> <p><br />  木のスプーンで一口ぜんざいを流し込んで、俺はやっぱりまた、はーっと魂が抜け出るような溜息を洩らしてしまうばかりだった。ええ、このぜんざいは確かに逸品ですよ? 口に入れた瞬間はずっしりとした存在感の冷たい餡が、舌の熱でふわっと広がり、心地良い余韻を残して喉の奥に溶けていく。その後で飲む熱い焙じ茶が、またうまい。<br />  こんな小ぢんまりとした店なのに、客足が途絶えない理由がよく分かる。まさに知る人ぞ知る名店って奴なんでしょうよ。けどね。</p> <p><br /> 「自分が勝手にゲームの駒にされようとしてるって知ったら、さすがに平然としちゃいられませんって」</p> <p><br />  くそ。古泉の野郎、ハルヒと同じ班になったのをいい事に、今頃は余計な入れ知恵を吹き込んでるんじゃないだろうか。ハルヒもハルヒで、あっさり奴の口車に乗せられちまいそうだ。それ程に、会長がバラしてくれた『新会長就任権争奪、SOS団vs生徒会最終決戦計画』には真実味があった。</p> <p><br /> 「ふむ。そんなにイヤか? 生徒会長になるのが」<br /> 「嫌に決まってるでしょう!? なりたくもない役職を押し付けられるなんて冗談じゃない!」</p> <p>「ま、気持ちは分からんでもないがな。損得勘定以前に、自分の進退を自分以外の人間に勝手に決められるというのは腹立たしいものだ。<br />  一年前の俺も、まさしくそういう気分だった。だからお前には古泉の計画をチクッてやったのさ。同病相憐れむという奴だ」</p> <p><br />  にやにやとしながら会長はそう言った。喜緑さんと一緒の時にも言っていたが、どうもこの人は、俺の『初々しい反応』というのが面白いらしい。あんまりいい趣味とは言えませんよ、それ。</p> <p><br /> 「断っておくが、俺の時はお前よりひどかったんだぞ?<br />  まず、選択の余地が無かった。ズタボロになるまで叩きのめされて、あげく黒塗りタクシーで強制連行だ。目隠しを外された時には、どこか見知らぬビルの中の応接室らしき部屋に放り込まれていたな」<br /> 「うへえ…マジですか…?」<br /> 「大マジだ。とはいえ、それまで交渉のテーブルに着こうともしなかった俺の方に非が無い事も無いんだが。<br />  当時の俺はちっぽけな自尊心を守り通すのに必死になってる、チンケな不良学生でな。他人の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだ、なんて青臭い事を考えてたのさ。そんな俺の態度に、『機関』の方もいいかげん業を煮やしたんだろう。<br />  そうして拉致られて来た応接室で、俺を待ち受けていたのは小綺麗な顔をした女だった。自分で言うのも何だが、あの頃の俺は本当に要領も悪けりゃ頭も悪くてな。この女が何者か、どんな思惑で俺を召し出したのかなんて事は考えもせず、ただ虚栄心から強がって、憎まれ口を叩いちまったんだ。『何様のつもりだよ、このクソババア!』とな。そうしたら――」</p> <p><br />  そこまで言いかけた所で、なぜか会長は、しみじみと首を左右に振った。</p> <p><br /> 「いや、『ア』までは言わせて貰えなかったか。そう言いかけた時にはもう、その女――森さんが胸ポケットから抜き放ったボールペンの先が、目の前に迫っていたからな。<br />  比喩じゃないぞ。本当に“目”の“前”に、だ。隣に控えていた新川さんが森さんの腕を掴んでいなかったら、今ごろ俺はメガネじゃなく、海賊みたいな黒眼帯を付けていたかもしれん」</p> <p><br />  今となっては笑い話だがなと片目を瞑って、会長は実際、ハハハと朗らかに笑ってみせた。が、すいません全く笑えません。みんなも目上の人への言葉遣いには気を付けような。</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 『落ち着け、森』<br /> 『放して貰える、新川? こういう最低限の礼儀もわきまえないような子供は、きちんと躾けてあげるのが大人の義務ってものだわ。人が下手に出てりゃ付け上がってくれちゃって』<br /> 『彼にはいずれ、涼宮ハルヒと真っ向から対峙して貰わなければならないのだ。あまりに従順な羊では困る。多少は骨が無くては』<br /> 『だからって、誰にでも噛み付く野良犬でも困るんだけど?』<br /> 『それはこれからの調教次第だろう。古泉とて、最初は狂犬のような目をしていたではないか』<br /> 『相変わらず、甘っちょろい事を…。<br />  仕方ないわね、やるしかないか。今さら他の犬を探し出してる時間も無いし。そうと決まったら、あんたもいつまでも床にへたり込んでないで、さっさと立ちなさい。こうなったからには豺狼程度には鍛えてあげるから。<br />  一応言っとくけど、私たちはあんたに“期待”しているの。その期待を裏切らないでほしいものね』</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「サイロウ?」<br /> 「【豺狼路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん】、要するに森さんは、俺に大悪党になれと迫ったのさ。<br />  もっとも俺はこの時、腰を抜かして歯の根をガチガチ鳴らしている始末で、とてもその言葉の意味なんぞは理解できなかったが。ただ、俺の認識がこのぜんざいなんかよりもよほど甘ったるかった、という事だけは身に染みて分かった。分かった所で時すでに遅し、俺の命運はもはや尽き果てていた訳だがな」</p> <p><br />  白玉だんごをもぐもぐ噛みながら片手間のようにそう言って、会長はちらりと俺を見やった。</p> <p><br /> 「俺のようになりたくなければ。生徒会長の肩書きが重荷でしかないのなら、せいぜい早めに手を打っておくがいい。<br />  本音の所、俺としてもお前らSOS団とは因縁にきっちり決着を付けて――特に古泉の奴には一泡吹かせてから、卒業したかったんだが。やる気のない奴を相手に勝負しても仕方が無いしな。まあ、好きにしろ」<br /> 「…なんだか、ずいぶんサバサバしているんですね」<br /> 「うん?」<br /> 「勝手に人生を捻じ曲げられたような事を言ってる割に、先輩には恨み節みたいなものがあまり無いじゃないですか。<br />  もっと俺をそそのかそうとするんじゃないかって、俺は内心で身構えたりしてたんですけど」</p> <p><br />  俺の指摘に。会長は1回まばたきをして、それからクックッと愉快そうに笑い始めた。</p> <p><br /> 「なるほど? パッと見はどうにも冴えない奴だと思っていたが…。古泉がお前の事を高く買っている理由がよく分かる。俺などよりお前の方が、よほど人物観察の才があるようだ」<br /> 「今さりげに俺、ひどいコト言われてませんでした?」<br /> 「些末な事だ、気にするな。<br />  さて、そうだな。『機関』を恨んでいないのかという質問なら」</p> <p><br />  残り少なくなったぜんざいの器の中でスプーンをくるくる回しながら、会長は妙に爽やかに答えてみせた。</p> <p><br /> 「もちろん恨んでいるに決まっている。古泉の傲慢、森さんの横暴、新川さんの容赦ない教育的指導。どれも思い返すだに虫唾が走るような思い出ばかりだ。だが――」</p> <p><br />  うはあ。笑顔でこういう事を言われると、逆にクルものがあるね。<br />  少々げんなりした気分になりかけてしまった俺に向かって、しかし会長はさらにこう付け加えた。</p> <p><br /> 「だが、だからこそ今の俺がある。それもまたひとつの事実だ。<br />  男子三日会わざれば…とは言うが、何のきっかけも無しに人は成長したりはしない。屈辱、挫折、忍従。寄りすがっていたアイデンティティーの盾を粉々に砕かれ、目を逸らしていた自分の惰弱な部分に力ずくで向き合わさせられて、その上でこそ見えるようになる物がある。<br />  端的に言えば、俺は自分がここまで会長職を務め上げられるとは思ってもみなかった。『機関』の支援があったにせよ、それでも俺は、俺自身にそんな才量などあるはずが無いと決め付けていた」</p> <p><br />  フフッと笑う会長の、その笑みは俺の見間違いでなければ、愚かな過去の自分へと向けられているように思えた。</p> <p> </p> <p> 「単なるチンピラ学生としては、至極当然の考えではあるがな。それ故に俺は、遅刻すると分かっていながらも布団から出られない朝のように、昨日と同じ日常に籠もり続けようとしていたのさ。<br />  だがその布団は、森さんの手で強引に引っぺがされた。おかげで俺は、どうあっても目を覚まさざるを得なかった。<br />  それが手段として、正しいかどうかは知らん。ただ結果から見れば、森さんの判断は間違ってはいなかった。それが全てだ」</p> <p><br />  うーむ。会長にはそんな意図は無いんだろうけれど、布団から引っぺがすでどうしても妹の顔を思い浮かべてしまうね。アレもいずれ、凛々しく銃を構えるような女傑に成長したりするのだろうか。いやいや、そんなまさか。<br />  ………あり得ないと断言できないのがコワイ。おっと、馬鹿げた空想に煩悶している場合じゃないぞ。まだ話が途中だ。</p> <p><br /> 「じゃあ、もう吹っ切れたと?」<br /> 「あいにくだが、俺は執念深い方なんでな。骨身に染み込んだ怨嗟を、そう簡単に忘れたりはせん。とにかくあの頃は俺の意向など完全無視で、何もかもが事後承諾だったしな。<br />  だから、感謝はしない。感謝はしないが――」</p> <p><br />  ぜんざいの最後の一すくいを口に運び、両目を閉じてその余韻を味わっている風を装いながら、会長はしみじみ呟いた。</p> <p><br /> 「あの時、森さんがこの俺に期待を寄せてくれたのは、俺の人生において最大級に幸運な事だったんだろう。そう思うだけだ」</p> <p>「…素直じゃないですね」<br /> 「ふん。俺みたいなキャラは、おいそれと感謝なんかするもんじゃないんだよ。わざわざ死亡フラグを立てるようなマネを、誰がしてやるか」</p> <p><br />  テーブルに片肘を突き、ふてくされた顔で反論する会長に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。生意気盛りな年頃の甥っ子が、無理して悪ぶっている時の態度になんだかそっくりだ。<br />  あー、うん。でも分からなくもないですよ、そういう気持ち。</p> <p><br /> 「ほう?」<br /> 「俺も、時たま思う事がありますから。あの時ハルヒにあんな事を言ったりしなけりゃ、SOS団なんかに関わらなければ、こんな面倒に巻き込まれずにすんだのにな、って。<br />  でも、だからって以前の俺に戻りたいとは思いません。ボヤキながらもなんだかんだで、俺は今の境遇を楽しんでるんです。ハルヒやら古泉やらに、アレしろコレしろ言われるのは重荷に感じますけどね、それでも俺は――」<br /> 「退屈な自分に戻りたくはない、か?」</p> <p><br />  真正面から顔と顔を見合わせて、俺と会長はどちらからともなく、くくくっと含み笑った。谷口なんかには「キョン、お前もよく涼宮の暴虐に毎度毎度付き合ってられるなあ」なんてからかわれるような事もあったりするが、当事者には当事者なりの喜びって物があるのさ。</p> <p><br /> 「さもありなん。人生は期待されてこそ華だからな。<br />  と、いう訳でだ」</p> <p><br />  いつの間にやら新しいタバコを口に咥えていた会長は、片肘を突いたままもう片方の手のライターで、シュボッと火を点けた。そうしてまた、あの悪魔的な笑みを浮かべてみせる。今度は何ですか、いったい?</p> <p><br /> 「俺にとってはここからが本題だ。次期会長選の情報リークに茶菓子までおごってやったからには、少しくらい“期待”させて貰ってもバチは当たらんだろう?」</p> <p><br />  うーむ、恩着せがましい事をさらっと言う人だな。それを不快に感じないのは、俺が普段からハルヒに毒されてるせいなのかね。</p> <p><br /> 「ツラの皮が厚いのも、リーダーたる者の資質のひとつだ。人間のやる事にはどうしても失敗が付きまとう。そういう時にリーダーがいちいち落ち込んでいるようでは、話にならん」</p> <p><br />  なるほど、その点だけはウチのリーダーも資質は満点です。ビデオ機材やらヒーターやら、口八丁手八丁で調達してきたりね。俺にはとても真似できない芸当ですけど。</p> <p><br /> 「安心しろ、苦手分野は部下に丸投げできるのがリーダーの特権って奴だ」<br /> 「それはそれでどうかと思いますが」<br /> 「どこがだ、至極真っ当な意見だぞ。むしろ無能なくせにそれを自覚せず、やたらと出しゃばりたがる指導者ってのが一番困る。部下に力量を発揮する場所を与えてこそのリーダーだ。<br />  おっと、話が逸れたな。本題に戻るとしよう。俺がお前に期待したい点は、ふたつある。まず、そのひとつ目だが」</p> <p><br />  ゆっくりと指を1本突き立てる会長の動作に、俺の喉もごくりと鳴った。わざわざ長門から俺を引き離した上で頼みたい用件とは、はたして何だろうね。良からぬ企てなんかじゃなければいいんだが。</p> <p> </p> <p>「馬鹿を言え。お前が長門くんと付き合っているなら、彼女も誘ったさ。そうではないと言うから、こちらとしてもいろいろ配慮してやったんだ」<br /> 「配慮って、何をです? どうも意味が分かりませんが」<br /> 「むう…以前から古泉の奴にボヤかれる事はあったが、これは相当だな…。まあいい、回りくどい言い方をしても伝わらなさそうだから、単刀直入に言おう。<br />  要は『時折こうして茶でも飲みながら、情報交換やら悩み相談やらに付き合って貰いたい』、それだけの事だ。俺と江美里が将来的に一緒になるに当たって、な」</p> <p><br />  はあ、何かと思えばそんな事ですか。そのくらいなら別に構いませ…んっ?<br />  エミリさん? えみりえみり…うむ、普段聞き慣れない名前なので一瞬誰の事かと考え込んでしまったが(ほら『朝比奈さん』や『鶴屋さん』みたいに、先輩ってのはたいてい苗字にさん付けで呼ぶものだろ?)、幸い俺の脳内人名辞典の中に該当する項目が約一名分だけあった。<br />  ただし、その人物は――。</p> <p><br /> 「そうか、助かる。なにしろ相手がTFEI端末だと知っていて、その上で普段付き合いをしているような奴は、ちょっと他には見当たらないからなあ」</p> <p><br />  よほど安心したのか、うんうんと一人頷いている会長の向かいで。俺は真逆に、喉から飛び出しそうになる絶叫をどうにか押さえ込もうと必死になっていた。</p> <p><br /> 「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!?<br />  しょ、将来的に一緒になるっていうのはつまりその、喜緑さんと…? いやそれより何より、先輩は喜緑さんが宇宙人だって知ってたんですかッ!?」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「頼み事をする方として、こういう言い方もどうかとは思うが。なんだってお前という奴は、特定の問題に限ってこうもウスラトンカチなんだ?」<br /> 「はあ………」</p> <p><br />  呆れるのを通り越して、むしろ感心した風の会長の向かいで。俺は女給のお姉さんが「おかわりはいかが」と注いでくれた湯飲みのお茶をちびちびと飲んでいた。<br />  別に熱すぎるからじゃない。お店の名誉のために言っとくが、味自体は朝比奈さんの甘露茶とだってタメを張れる。問題なのは会長と話を進めれば進めるほど、俺たち二人の相互認識の差がひどかった事が露呈してしまって、何というか非常にきまりが悪い事だった。</p> <p><br /> 「まったく信じがたい。年頃の男女が休日に二人で出歩いているんだぞ? うわ怪しい!と思うだろうが普通」<br /> 「いや、それは…てっきり生徒会の資料集めか何かで図書館を利用しに来たのかと」<br /> 「だから俺たちの仲をバラすために、目の前でこれ見よがしにイチャついてやっただろうに。まさか、アレをただの悪ふざけとしか思わなかったのか?」</p> <p><br />  はい、ズバリそうとしか思いませんでした。実際問題、俺と長門がSOS団の仲間同士だったものだから、単純にあちらも同様だとばかり思い込んでしまったのだ。</p> <p>  それなのに俺はほんのしばらく前、『それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか?』などと会長に向かって偉そうに講釈をたれていたわけで、いやもう恥ずかしいったらありゃしないね。天に唾するとはこの事だよ。<br />  それでその、改めて確認しますが…先輩は喜緑さんとお付き合いをなさってる訳ですか。</p> <p><br /> 「さっきからそう言っている。だいたいここに来る前にも、俺は『あいつと一緒だとヤニを吸わせて貰えないんだ』とボヤいていたはずだろう」<br /> 「ああ、はい。それは憶えてますけど」<br /> 「いくら何でも、俺だって半日くらいは我慢できる。…意味は分かるな?」</p> <p><br />  えーとそれはつまり、お二人が半日以上一緒に居たという事で…。俺たちが出くわしたのは今日の午後一番の出来事だったから、要するにお二人は昨晩からずっと一緒に過ごしていた、と?<br />  俺が目線で訊ねると、会長もまた無言で頷いた。うーむ、あの楚々として折り紙付きの箱入り娘のような雰囲気の喜緑さんが、とっくにそのような事をご経験済みだったとは。考えるだに生々しくって、どうにもお尻の下がむず痒くなってしまうね。</p> <p><br /> 「今どき珍しい話でも無かろう。男がいて女がいれば、つがいが生まれるのは生物学的にも自然な事だ。それを恋愛と呼ぶか、単なる情欲の慰め合いと捉えるかは人それぞれだろうがな」</p> <p><br />  えらく淡々と会長は言い捨ててみせた。その余裕、俺たちは他人にどう思われようと構わないぜっていうノロケですか?<br />  はあ、分かりました。あなたと喜緑さんの蜜月っぷりは、まったく疑いようの無い事実のようです。</p> <p><br /> 「さて、どうだか。ひょっとして俺は、あいつの肉感的な罠にあっさり籠絡された大バカ者かもしれん」<br /> 「そうやって自分を客観視できるなら、何の心配も要らないでしょうよ。って言うか、あなたが先輩でなかったら頭のひとつでも叩いてやりたい気分です」<br /> 「そいつはすまなかったな。その詫びにと言っては何だが、お前に彼女が出来た際には気の済むまでノロケ話を聞いてやろう。いつでも声を掛けてくれ、遠慮は要らんぞ」</p> <p><br />  そう言って会長は、紫煙の向こうでからからと笑ってみせた。くそう、森さんたちに鍛えられてるだけあって、こっちの痛い所をズバリと突いて来られるお人だぜ。<br />  なんとか一矢報いてさしあげたいものだ、と青少年らしい対抗心を胸に抱いたその時。俺はふと、ある疑問に思い当たった。別に会長を槍玉に挙げるような物では無いが、でもちょっとした疑問だ。</p> <p><br /> 「だったら、春の部活説明会の際のアレはどういう事なんです?」<br /> 「部活説明会? ああ、涼宮の奴がド派手なチャイナドレスを着込んでたアレか」</p> <p>「ええ。あの時、先輩は喜緑さんがいる間は普段通りの辣腕会長を演じてたのに、喜緑さんがいなくなった途端、素の口調に戻ってたじゃないですか。<br />  喜緑さんが先輩の彼女で、ましてやあの人が宇宙人だって事まで知ってたなら、そんな必要は無いはずでしょう? それとも、あの頃はまだそういう関係じゃ無かったんですか?」</p> <p><br />  俺の質問に、会長は咥えタバコのまま記憶を探るように、大きな羽根の扇風機がゆっくりと回っている天井を見上げた。</p> <p><br /> 「ふむ。俺が江美里を押し倒したのが確か5月の事だから、その頃はまだ明確な男女の仲ではないな。だが、あいつの正体に関してはとっくに知っていたぞ」<br /> 「え?」<br /> 「逆に訊こう。お前、江美里がTFEI端末だと誰から聞いた?」<br /> 「それは…古泉からですが」<br /> 「俺もだ。ならば現生徒会の書記が本来は別の人物で、いつの間にかそのポジションに江美里が入り込んでいた事も知っているな?」</p> <p><br />  質問の意図が分からないまま頷く俺の前で、会長は謎解きに挑む名探偵のごとく、指に挟んだタバコをくるくると円を描くように動かしてみせた。</p> <p><br /> 「つまりだ。まず『機関』の中で勘のいい奴が、生徒会の顔ぶれに関して『何かおかしいぞ?』と気付いたんだよ。<br />  もちろん『機関』は、その裏付け調査に入る訳だが…ここで質問だ。現生徒会のメンバーが、全員『機関』の工作員だと思うか?」</p> <p>「は? いや、さすがにそれは無いでしょう」<br /> 「その通りだ。主要メンバーは俺の息の掛かった連中で固めてはいるが、やはり過半数は一般生徒が占める。<br />  そんな中で、『機関』が調査を開始したとしよう。お前が調査員だとして、いきなり普通の生徒に『書記の人って、実は別の人物だったりしませんでした?』などという、ふざけた質問が出来るか?」<br /> 「………あ」</p> <p><br />  言われてみればその通りだ。たとえば俺の部屋でハサミが無くなったら、俺はまず妹に、勝手に使わなかったかどうか訊ねてみる。そう、一番身近ですぐ確認を取れる人物に、だ。<br />  『機関』が生徒会のメンバーについて調査を行ったなら、外部協力者で生徒会に詳しい会長にまず事情を訊ねるのは、理の当然なのだ。</p> <p><br /> 「そうして事実が判明すれば、もちろん俺にも警告が下される。『喜緑江美里の動向に注意してください』と、そう俺に伝えてきたのはやはり古泉だったがな。<br />  正直、俺はうんざりしたよ。会長役だって嫌々やらされてんのに、生徒会の中に宇宙人が入り込んでるから今度はその監視もしろ!と来たもんだ。俺の人生はとことん呪われてるのかと、あの頃は雑誌の裏広告のオカルトグッズを買う事さえ真剣に考えてたほどさ」</p> <p><br />  トントンと会長の手の中のタバコの先が、灰皿の縁を叩く。燃え尽きて白んだ灰が、はらはらと崩れ落ちる。</p> <p><br /> 「だのにまさか、その宇宙人をベッドに組み敷くようになるとはな。<br />  人生ってのはまったく訳の分からんものだ。おかげで俺は、ちまちまとつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなっちまったよ」</p> <p><br />  フフッと軽い笑みと共にうそぶいて、会長は改めてタバコをひとしきり吸い、白く長い煙をふーっと吐いた。<br />  たったの二言三言で片付けはしたけれど、俺たちSOS団の中でもいろいろあったように、会長と喜緑さんの間にも葛藤やら衝突やら何やら、いろんな出来事があったりしたんだろうね、たぶん。</p> <p><br /> 「ともかく端的な事実として、俺は春の時点でとうに江美里の正体は知っていた。無論、江美里の方も俺の素性は見抜いていたから、俺たち二人の間で演技をする必要など無い。そこまではお前の言う通りだ。<br />  では、なぜ俺は尊大にふんぞり返った物言いをしていたのか? 簡単な事さ、その場に居たもう一人の人物に対して、自分の仕事ぶりをアピールする必要があったからだ」<br /> 「もう一人の人物…。あっ、それってまさか?」<br /> 「気が付いたか? そうだ、古泉だよ」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「改めて説明するまでも無いだろうが。<br />  俺は『機関』の外部協力者だ。対して、古泉は涼宮ハルヒの言動に逐一対応する、現場の最高責任者。例えて言うなら古泉は支店長で、俺はその店の雇われバイトといった所だな」</p> <p><br />  その例で言うなら、喜緑さんはさしずめ、株式会社情報統合思念体の派遣社員って所ですか。</p> <p><br /> 「ああ。そして『機関』と統合思念体は、同業他社のごとき関係だと言える。<br />  さて、ではその支店長の前で、バイトくんと他社の派遣が節操なくイチャついていたとしよう。お前ならいい気分になるか?」<br /> 「個人的な気分の問題はさておき、仕事に関しては多少不安を覚えますね」<br /> 「だろうな、俺だってそう思う」</p> <p><br />  わざとらしく眉をひそめ、会長は大仰に腕を左右に広げてみせた。</p> <p><br /> 「俺と江美里は生徒会の同志ではあるが、それ以前にやはり『機関』の協力者であり、情報統合思念体のインターフェースだ。<br />  その立場を忘れて公私の区別無く振る舞っていれば、俺は『機関』に不審がられるだろうし、江美里の方も統合思念体から存在を疑問視されかねないだろう。『お前、ちゃんとお仕事やってんの!?』とな」<br /> 「じゃあ、そうならないために?」</p> <p>「ま、そんな所だ。<br />  人前で行動している時、特にそれぞれの組織関係者と接している間は、俺も江美里も一線を画した行動を心掛けている。そして古泉も、俺たちが白々しい演技をしている事くらい承知しながら、しかしお前らの前では単なるSOS団の副団長として、こちらも素知らぬフリを通している訳だ。<br />  言っておくが、別に俺たちは特殊な例なんかじゃないぞ。誰しもが勤務時間中は私を殺し、望まれる自分を演じている。そうしなければ、単純に働きづらくなるからな。<br />  極論を述べるなら、『働く』とは『ペルソナを付ける事だ』とさえ言えるだろう。何もかも正直にブチ撒ける事が、必ずしも円滑な人間関係をもたらす訳じゃない」</p> <p><br />  なるほどね、ようやく合点が行った。あの時、喜緑さんが居る時と居ない時で会長が態度を変えていたのは、古泉に対する「自分はきちんとケジメを付けてます。手を抜いた仕事なんてしてませんよ」という意思表示だったのだ。<br />  しかしまあ、何と言うか。</p> <p><br /> 「シビアな話ですね」<br /> 「何であれ、仕事ってのはシビアな物さ。ましてや『機関』の連中はこの世界の存亡の一端を担おうってんだ、シビアにもなろうよ。<br />  むしろ変に正義やら善意やらを振りかざされるより、俺としてはビジネスライクな付き合いの方がよほど信用できる」</p> <p><br />  飄々と述べたその直後。しかし一転、会長は狼のごとく白い歯を見せて、にいっと笑ってみせた。</p> <p><br /> 「逆に言うなら、やるべき事さえキッチリやっていれば、誰にも文句は付けられんのだからな。<br />  生徒会運営の中でちょっとばかり役得を享受しようが、プライベートの時間に江美里にチャイナ服やら何やらを着せようが、それは俺の自由って訳だ」</p> <p><br />  着せたんですか。いや、どこかツッコミ所を間違えてる気もするが。</p> <p><br /> 「例の説明会の時の涼宮は、かなり扇情的だったからなあ。俺もスラックスのポケットの中で自分の腿を思いっきりつねって、どうにか冷静なフリを保っていたほどさ。<br />  って事で、江美里にお願いしてみたんだが。あいつの方も、意外とノリノリだったんだぞ? 最初の内こそ非難じみた眼差しをしていたが、いざ服を手渡してみると『困った人ですね』とか何とかぶつくさ言いながら、自発的に髪を左右でお団子にまとめていたし」</p> <p><br />  おお、分かっていらっしゃる。やっぱりチャイナの基本はダブルお団子ですよね。ポニテのそれも捨てがたいですけど、お団子髪から下に伸びる、白いうなじの稜線もなかなか…。<br />  って、何を言わせるんですか! う、羨ましくなんかないんだからねッ!?</p> <p><br /> 「くくく、無理をするな。チャイナが嫌いな男などおらん。<br />  ことに江美里とシルクのチャイナドレスの組み合わせは、珠玉と言っていい。見て良し愛でて良し、俺一人がこの艶麗さを独占して良いものかと、思わず自問自答してしまうくらいだ。もちろん他の野郎共なんかには、一目たりとも触れさせる気は無いが――」</p> <p>「すいません、激しく胸焼けを催してきたのでそろそろ帰っていいですか」<br /> 「あああ、スマン! ちょっとばかり調子に乗りすぎた!」</p> <p><br />  俺が腰を浮かせる様子を見せると、会長は慌てて引き止めてきた。勘弁してくださいよ、彼女ナシの身にとってあなたの独白はかなり毒です。</p> <p><br /> 「そう言ってくれるな。常日頃から冷徹なカミソリ会長役を強要されているせいで、これまでは彼女自慢をしたくっても、こうして臆面もなく話せる機会などほとんど無かったんだ。<br />  それでもノロケ話程度なら、まだ我慢は出来る。人前でうっかりニヤケ笑いなんぞ浮かべてしまわないよう、ポケットの中で腿をつねっていれば済む話だ。だが――」</p> <p><br />  と、そこで会長は不意に、大真面目な表情に戻った。</p> <p><br /> 「だがもし今後、俺たちに何らかの不遇が生じたなら?<br />  俺の方に要因がある分には、まだいい。たいていの事なら江美里がフォロー出来るだろう。しかし江美里にとって不測の事態が生じた時、俺にはいったい何が出来るんだ?」<br /> 「それで、俺に相談役になってほしいってんですか」<br /> 「ああ。あいつを口説き落とすまでは、俺個人の裁量でどうにかやってきたが。それでも世間一般の恋愛に比べて、俺たちのそれには普通じゃない場面が度々あった。<br />  これから先は、さらに未知数だ。病気や妊娠などの体調不良から過度のストレスが掛かったりすれば、いかにTFEI端末と言えども自己保全を果たせなくなる可能性は否めない。ならばそうなる前に、一通りの情報収集だけでもしておくに越した事はないだろう」</p> <p><br />  確かに会長の言には一理ある。長門は間違いなくSOS団の誇る万能選手だが、それでも去年の冬にはあいつが言う所の「エラーの蓄積」から、自分をコントロールできなくなってしまった。<br />  それに朝倉涼子が最初に俺を襲ったのも、確か「上の方が現場の状況を理解してくれない」とかいう理由からだっけな。</p> <p><br />  もしも、あの時。事前に「現状に飽き飽きしている」という朝倉の心情を汲み取って、そのストレスを和らげる事が出来ていたら、あいつと共存する未来もあり得たのだろうか?<br />  どこでどうフラグをいじればそういう流れになったかは見当も付かないし、今更な繰り言だって事は分かってる。それでも俺の言動によって、これから起こり得るかもしれない喜緑さんの暴走を未然に防げるなら、それはすごく意味のある事だ。けれども。</p> <p><br /> 「まだ分からない事があります。どうして俺なんですか」<br /> 「うん?」<br /> 「先輩はさっき、『相手がTFEI端末だと知っていて普段付き合いをしているような奴は、他に見当たらない』と言っていましたけど。<br />  古泉の奴だって、俺と同じように長門と接していますよ? おまけに『機関』の情報網までバックにあるんですから、俺なんかよりあいつの方がよほどそっち系の知識について詳しいはずです。<br />  先輩にとっても、古泉は身近な存在だった訳でしょう? だのになぜ今、わざわざ俺に話を持ちかけて来たんです?」<br /> 「ふむ、もっともな疑問ではある。だがその答えは、案外単純だ」</p> <p><br />  だいぶ短くなってしまったタバコの先を、灰皿の底に擦り付けながら。会長はあっさりと俺の問いに答えてみせた。</p> <p><br /> 「確かに情報量だけなら古泉は頼りになるさ。それは認める。『機関』という組織に対して、それなりの発言権さえ持っているしな。<br />  しかし根本的な部分で問題があるだろう。そう、ズバリ言えば――</p> <p><br />  ――あいつは、うさんくさい」</p> <p><br /></p> <hr /><br />  ………なんだって?<br />  口角を歪めて、吐き捨てられた一言。思いもかけない会長の侮蔑の言葉に、俺は自分でも意識していなかった衝動が体の奥から湧き立つのを覚えた。そしてその衝動に突き動かされるまま、気が付けばガタン!と、俺は今度こそ本当に席を立っていたのだった。<br />  恥ずかしい話、俺は自分の事を、どちらかと言えば思慮深い方だとばかり思ってたんだが。実際はそうでもなかったみたいだ。勢いよく立ち上がった俺は会長に向かって両手を伸ばし、そして、 <p><br /> 「よく…よく言ってくれました!」</p> <p><br />  ポカンとした表情の会長の手にその手を重ねて、感謝感激の一言を告げていた。</p> <p><br /> 「ああ?」<br /> 「いえね、俺だって前々から古泉の事はうさんくさいうさんくさいと思ってたんですよ。あの笑顔からセリフからキザったらしいポーズのひとつひとつまで、とにかくうさんくささの見本市みたいな奴じゃないですかあいつは。ただ――」</p> <p><br />  それでも話している内に、だんだん落ち着きを取り戻してきた俺は、いったん席に腰を戻して湯飲みのお茶をぐっと飲み干し、うつむき加減に言葉を続けた。</p> <p><br /> 「ただ、俺のツレで谷…。いえ、本人の名誉のためにTとしておきますが、このTが事あるごとに古泉をこき下ろすんですよ。<br />  『なんだあの野郎。ツラも良けりゃ足も長いのに、その上野球まで得意だってのかよ。うさんくさいったらありゃしねえ』とか。<br />  『くっそ、こっちは体張って池にまで落ちてるってのに、あの野郎だけ主役でオイシイ目みやがって。なんだよあの貼り付けたみてえな笑顔に白々しい演技は。ああうさんくせえ』とか。</p> <p>  実際の所、俺だって似たような事は考えてたんです。いえ、古泉の裏の顔を知ってる分、むしろ俺の方が強くそう思っていたかもしれません。でも谷…じゃなかったTのセリフを隣で聞いていると、どうしてもそれが『モテない野郎のみっともないひがみ根性』にしか思えなくて、それで…」<br /> 「それでこれまで、自分の本心を口にするのがはばかれてきた、か?」</p> <p><br />  ポン、と肩に手を置かれて顔を上げてみると、そこには驚くほど穏やかな会長の微笑があった。</p> <p><br /> 「分かるぞ、その気持ち。ことに奴を除けば、お前以外のSOS団員は全員女だものな。とてもじゃないがそんなセリフ、口には出来なかったろう」<br /> 「せ、先輩…」<br /> 「だがお前が古泉に抱いていたその感情は、決して間違っちゃいない。れっきとした彼女持ちである、この俺が保障してやろう。<br />  そして今この場では、何の遠慮をする必要もない。いい機会だ、俺と一緒に鬱屈した想いの全てを吐き出してしまえ。さあ!」<br /> 「は、はい!」</p> <p><br />  会長の言葉は蜜のように俺の心に染み渡り、そのささやきに促がされるまま、俺たちは他のお客さんの迷惑にならないよう密やかに声を張り上げたのだった。</p> <p><br /> 「古泉一樹はうさんくさい!」「古泉一樹はうさんくさい!」<br /> 「「古泉一樹は、うさんくさい!!」」</p> <p> </p> <hr /><p><br /> 「――とまあ、ここまでは冗談半分としてもだ。いや古泉の奴がうさんくさいのは事実だが」</p> <p><br />  喉が渇いただろう、と会長が追加注文してくれた抹茶セーキをストローですすりながら、俺は改めて会長の話に耳を傾けていた。わざわざお店で粉を挽いているそうで、抹茶の鮮烈なほろ苦さが舌に心地良い。甘さ控えめな分、お茶請けに生キャラメルが添えてあるのがまた憎いね。</p> <p><br /> 「俺が古泉を当てにしないのは、まったく単純な理由だよ。将来のために布石は打っておきたいが、しかし下げたくもない頭を下げるほど現状で苦境に立たされている訳でもない。だから奴には頼らない、それだけの事だ。<br />  もちろん本当に窮した時には、恥も外聞もなく古泉にすがるさ。あいつが頼りになるというのもまた事実だからな。だが今はまだ、その時期じゃない。だから切り札はここぞという時まで取っておく。<br />  要するに俺にとって、あいつは最も借りを作りたくない部類の人間なのさ。それはおそらく、お前にとっても同様だろう?」<br /> 「…………」</p> <p><br />  含み有りげな会長のセリフに、俺も無言で頷いた。<br />  試験勉強の時期とか、ついつい古泉を頼りたくなってしまう瞬間が俺にもある。『機関』の力でテストの中身を事前入手してくんないかなー、とか。けど、それはダメだ。友情と仕事の一線を踏み越えてあいつを利用するような真似をしたら、その瞬間から俺と古泉はSOS団の仲間じゃなくなっちまう。<br />  俺はうっかりあいつに借りなんて作りたくもないし、逆にあいつの弱みを握りたくもないんだ。文芸部室で打つオセロがフェアな勝負でなくなったら、放課後の時間がつまらなさ過ぎるだろ?</p> <p> </p> <p>  この一年で俺が最も会話を交わした相手はといえば、なんだかんだでやっぱり古泉なのだ。あいつが口にする案はたいていロクな物じゃないが、それを試金石に俺が自分の考えを導き出している点は否めない。毎回ぶつくさと文句を言っちゃいるが、今の俺にはあいつとの対等な口論が、朝比奈さんのお茶の次くらいには必須になっているのだ。</p> <p>  きっと会長にとっても、古泉は「張り合い甲斐のある相手」で、だから変に迎合するような真似はしたくないんだろう。こうして陰口を叩きたくなるような、そしてそれを飄々と受け流すくらいの、小憎らしいあんちくしょうなポジションが古泉にはお似合いなのさ。</p> <p><br /> 「まったくだ。ただし俺とお前とでは、少々事情が異なる」</p> <p><br />  こちらも追加注文の黒蜜きなこパフェを口に運びながら、会長はそう付け加えた。にしても、この期に及んでそんなクドそうなのを召し上がられるとは。本物の甘党なんですねあなたって人は。</p> <p><br /> 「ビールよりはカルピスソーダが好きな方だ。中元でも送る気になったら考慮しておいてくれ。<br />  それはさておき。先程も少し触れたな、『機関』と情報統合思念体は同業他社のような関係だと」</p> <p><br />  ああ、そんな事も言ってましたね。だから先輩と喜緑さんは、あまり大っぴらにはイチャつけないんでしたっけ。</p> <p><br /> 「まったく、ややこしい事だ。生徒会では同僚であり、私事では恋人同士の二人が、職務上はライバル関係だってんだからな。<br />  シェークスピアも爆笑だぜ。まあ『機関』と統合思念体が明確に敵対していない分だけマシだとは言えるが」</p> <p><br />  こめかみの辺りを指先で抑えながら、会長はそう呟いた。その苦み走った表情は、どうやらアイスの冷たさだけによるものではないらしい。と、会長は不意に、切れ長の目をまっすぐこちらへ向けた。</p> <p><br /> 「敢えて訊こうか。もしも『機関』と統合思念体が敵対したなら、お前はどちらの側に付く?」<br /> 「…答えなきゃいけませんか、それ」</p> <p><br />  多分、俺は仏頂面を浮かべていたんだろう。当然だ、あまり愉快な質問じゃない。そんな俺の顔色に、会長はくっくっとイタズラが成功した時の子供のように楽しげな笑みを洩らした。</p> <p><br /> 「いいや、無理にとは言わん。こんな質問、状況次第で答えなどいくらでも変わるものだ。たいして意味は無い」</p> <p><br />  じゃあどうしてわざわざ、と訊ねようとしたその矢先。会長の瞳がぎらりと凄みを帯びた、ように思えた。</p> <p><br /> 「だが俺はもう決めた。江美里の味方をすると」</p> <p>「え?」<br /> 「もしも『機関』と江美里が対立するような事態になったなら。俺は江美里の側に付く。そう決めた。だから俺は外部協力員のままで『機関』の内部にまで踏み込みはしないし、古泉とも必要以上に馴れ合ったりはしない。<br />  互いに銃を向け合うような状況になった時、その方が楽だ。俺も、古泉もな」</p> <p><br /></p> <hr /><br />  パフェをひょいひょい頬張りながらの、ごく普通の口調。だのにその言葉の裏には、どこかピンと張り詰めたものが漂っていて。俺は思わず、ごくりと息を飲んだ。 <p><br />  状況が切迫していれば、人はその場の勢いでキスくらいまでは出来る。…思い返すと胸の内で何かがぐるんぐるん回転したりするので、あんまり考えたくないんだが。ともかくそれは実体験に基づく事実だ。</p> <p>  俺みたいなボンクラでさえその程度は出来るのに、どうして世の中には踏ん切りがつかず恋に悩み続ける人が尽きないのかと言ったら、告白してフられたらもちろん心が痛いし、成功したらしたで、今度は自分のセリフやら行動やらに責任が生じるからだろう。健全な青少年なら、こっそりmikuruフォルダを覗く程度の事は誰だってやっていると思うが。しかし実物の朝比奈さんに手を出すなんて事は、俺にはまったく夢想だに出来ない。そんな覚悟はまだ俺には無い。</p> <p><br />  先の会長の一言に、俺はその覚悟を垣間見た。<br />  それは俺にとって、純粋な驚異だった。女性経験の有無とかはさておいても、この人は“大人”なのだ。俺なんかよりも断然、ずっと。</p> <p>  たった一年の歳の差で、人間こうも違うものだろうか。こんな上級生になれるのなら、生徒会長をやってみるのもいいかもしれないとさえ一瞬思ってしまったほどだ。それほどに会長の宣言は男前で――。</p> <p><br /> 「感心してくれている所、悪いがな。あいにくと俺があいつに手を出したのは、ほとんど成り行きだったぞ」<br /> 「はいっ!?」<br /> 「責任だの覚悟だの、いちいち考えてなんかいられるか。目の前に憎からず思っている女がいて、うまいこと喰えそうな雰囲気だったら、なるようになっちまえってのが男の本音だろう」<br /> 「そ、そんな事でいいんですか?」</p> <p><br />  思わず声を上擦らせてしまう俺の前で、会長は自信満々に頷いてみせた。</p> <p><br /> 「言ったはずだ、俺はつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなったと。<br />  悩んで考えて最善策を思い付けるなら、それでもいい。だが、その場の勢いで突っ走った方が良い目が出る時もある。『ああ、もうこいつでいいや!』という直感が、案外バカにならん」<br /> 「そんなものですかね」<br /> 「そんなものだ。理屈ではなく直感だからこそ、自分を信じられる。<br />  もちろん、誰しもがそうしてうまく行くなどという保障は無いぞ。だがとりあえず、俺たちはうまく行った。そもそも色恋沙汰に方程式など存在しないんだ。おかげで宇宙人相手でも、こちらが優位に立てる。…もっとも近頃は江美里の奴も、女の手練手管をあれこれ身に付け始めているんだが」</p> <p><br />  俺の脳裏に、喜緑さんに手の甲をつねられていた際の、本気で引きつっていた会長の表情が浮かぶ。と、それを打ち消すかのように会長は、ビッ!と銀色のスプーンの先を俺の顔に向けた。</p> <p><br /> 「とにかくだ。方程式など存在しない以上、自分が正解だと信じてさえいればそれでいい。俺はまだまだ野心溢れるお年頃なんでな、覚悟やら責任やらの重苦しい理屈に拘束されるよりは、単純に『こいつとつるんでると面白そうだ!』ってな衝動に身を委ねたいのさ。<br />  あいつは確かに宇宙人だが、だからってスルーしちまうにはちょっと惜しいくらいのイイ女だ。なら俺は手を出す。他の野郎なんかにくれてやってたまるか。<br />  動機なんざそれで十分なんだよ。でもって手を出してみたら、幸か不幸かあいつも俺を受け入れてくれたんでな。今さら手放すのも惜しいし、せっかくだからこのまま二人、行き着く所まで行ってみるのさ。<br />  後悔はするかもしれん。だが後戻りはしない。俺は――」</p> <p><br />  縦長のガラス器に残ったパフェを、ぺろりと平らげて。会長は柄の長い銀のスプーンを器に放り、そのついでみたいにこう告げた。</p> <p><br /><br /><br /> 「――江美里と共にある未来を選ぶ」</p> <p><br /><br /><br />  ガラス器の中で、転がるスプーンがカラカラと澄んだ音を立てる。その音と共に、会長のストレートな一言は俺の胸に響き渡った。</p> <p> </p> <hr /><p><br />  まったく、何なんだろうねこの人は。最初に生徒会室で顔を会わせた際に、いきなりタバコを吸い始めた時にもえらく驚かされたものだが。<br />  計算高いようでいて、そうでもない。ふっと無防備に自分をさらしてくる瞬間があって、その都度ドキッとさせられる。<br />  結構ワガママで図々しくて狡猾で自分本位な独断専行型なのに、どこか憎めないというか。なんとなく、その大っぴらさが痛快だったりもするんだよな。もしかして喜緑さんも、この人のそういう所に惹かれたりしたんだろうか。</p> <p><br />  なんて事を考えていたら、ふと気が付いた。そうか、会長ってどことなくハルヒに似てるんだ。<br />  いや、もちろんこの人はインチキパワーなど無い普通の人間なんだけれども。両面性を秘めたそのスタンスというか、根っこの部分が似ている気がする。だからこそ、ハルヒの敵役に抜擢されたのかもしれない。<br />  トラやライオンはその成長過程で、周りの兄弟たちとケンカをする事で狩りの仕方なんかを憶えていくそうだが。おそらくハルヒにとって、会長はまさしくちょうどいいケンカ相手なんだろう。なんだかんだで会長を向こうに回してタンカ切ってる時のあいつは、目をキラキラ輝かせてるもんな。</p> <p><br /> 「…分かりました。って言うかここまで聞いといて、今さら知らんぷりってのもナシでしょう」<br /> 「うん?」<br /> 「相談役ってのは、どうにもこそばゆいですけどね。たまの茶飲み話くらいなら付き合わさせて貰いますよ。<br />  ついでに、もうひとつの俺に期待したい事ってのも聞かせてください。毒喰わば皿まで、こうなったら何でも承りましょう」</p> <p><br />  そう伝えて俺は、にいっと会長を真似た笑顔を浮かべてみせた。<br />  踊るアホウに見るアホウじゃないが、向こうがこれだけあけすけに話をしてるのに、こっちだけだけ勿体ぶってたら格好悪いだろ? まがりなりにもこの人はさっき、俺の境遇に理解を示してくれたんだ。だったら俺だって、この人のお役に立ってさしあげたいじゃないか。<br />  それに俺の方としても、長門に関してはいまだに謎な部分が多かったりするんだ。会長との情報交換は、割と貴重かつ重要な機会なんじゃないのかね。<br />  と、この瞬間までの俺はそんな前向きな事を考えていたんだが。</p> <p><br /> 「ほう、大きく出たな。では遠慮なく要望させて貰おう。<br />  実の所、こちらの案件は少々厄介でな? お前をどう頷かせようかと、いろいろ算段していたんだが。ふむ、案外難問ほど簡単に片付くものだ」</p> <p><br />  申し出に傲然とそう答えて、会長が俺以上のニヤニヤ笑いを浮かべている様に、俺は早くも後悔の念を覚えていた。<br />  うへえ。もしかして俺、ちょっとばかし早まっちゃいましたか。まさかとは思いますけど、俺の安請け合いを引き出すためにここまで内情から何からぶっちゃけてきたって事はないですよね?</p> <p><br /> 「クックックッ、さあな。<br />  まあそんなに身構えてくれるな。厄介と言っても、別にお前を七転八倒させようって訳じゃない。単に、具体的な対処法を示唆できないというだけの話だ」</p> <p>「はあ。なんだか曖昧ですね」<br /> 「言葉にすれば単純なんだがな。ともかくこの件も、俺と江美里の将来に大きく関わるのは間違いない。<br />  だからよく聞いてくれ。いいか、俺がお前に期待したいもうひとつの用件、そいつは」</p> <p><br />  先程と同様に、いやそれ以上に勿体をつけて会長は2本の指をぴっと突き立て、そして厳かにこう言った。</p> <p><br /> 「『涼宮ハルヒを安定させ過ぎるな』って事だ――」<br /><br /><br /><br /> つづく</p>

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