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言えないよ - (2020/03/12 (木) 11:27:41) の最新版との変更点
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<div class="main">
<div>「つばめよ 高い空から… 教えてよ 地上の星を…」<br />
「あははは、いいわよー有希!」<br />
「長門さーん、こっち向いてー。えいっ!」</div>
<div>中期試験明けの放課後。<br />
制服のまま、平日格安のカラオケボックスへ突撃した<br />
あたし率いるSOS団一行は、慰労カラオケパーティーを<br />
楽しんでいた。ここ数日は活動らしい活動もなく、<br />
部室でもほとんど試験勉強一色だったものね。みんな、今日は<br />
めいっぱい羽を伸ばしなさい。団長が許可するわ!</div>
<div>無表情ながらなんだかんだでよく歌う有希に、そんな有希を<br />
物珍しそうに写メに撮りまくってるみくるちゃん。<br />
穏やかな微笑みで手拍子を入れている古泉君。うんうん、<br />
みんな楽しそうね!<br />
と、そんなあたしの上機嫌さは、古泉君の隣に視線を移した途端<br />
どこかへ飛んでいってしまった。ウーロン茶のグラスを片手に、<br />
曲目帳をぺらぺらめくっているバカ男。<br />
さっきから、こいつはずっとこんな調子だ。ああ、もう!<br />
カラオケで真剣に曲を選んでる奴って本当にバカだと思うわ!<br />
思いついた曲を思いついた先から入力しちゃえばいいじゃない!?<br />
時間は有限、歌った者勝ちなのよ!</div>
<div>「ちょっとキョン! ノリ悪いじゃない!?」</div>
<div>バン!と片手をテーブルに突いて、思わず声を荒げてしまう。<br />
するとキョンの奴は、顔を上げてあたしを見たかと思うと、<br />
ふうと重い息を吐いた。</div>
<div>「悪かったな、ノリが悪くて。今回は俺史上でも最大クラスで<br />
勉強させられたからな。まだ試験疲れが残ってんだよ」</div>
<div>なによ、根に持っちゃってるの? そりゃ、ここ一週間近くの<br />
放課後は、あたしが付っきりで、ほとんど強制的に<br />
勉強という勉強を叩き込んでやったけどさ。<br />
それもこれも、あんたのためじゃない。赤点さえ喰らわなきゃ<br />
御の字だなんて、最初から諦め発言しててどうすんのよ。<br />
そんな事じゃ将来…将来…その、<br />
あ、あんたが困る事になるんだからねあんたがッ!</div>
<div>「ああ、感謝はしてる。実際、今回は自分でも驚くくらい<br />
手応えあったしな。ただ、ずっとテストに集中してた分…」<br />
「ふふ、いきなり歌えと言われても、そうは<br />
気持ちの切り替えが出来ませんか」</div>
<div>したり顔の古泉君に、キョンはなおざりに頷いていた。</div>
<div>ふん、あの程度のテストでそんなに緊張してんじゃないわよ。<br />
このあたしが隣で勉強見てあげてたのよ? 手応えありまくりで<br />
当然だわ。<br />
そうよ、あんたが頑張ってたのは、あたしが一番よく知ってる。<br />
だから今日はねぎらいの意味も込めて、パーティーを<br />
開いてあげたっていうのにさ。そんな辛気くさい顔をされたら…<br />
ほ、ほら、みくるちゃんや有希だって、白けたような<br />
表情してんじゃない。もう、全部あんたのせいだからね、キョン!</div>
<div>「いいわ、歌いたい曲が見つからないんだったら、<br />
この団長様が決めたげる。適当にピッピッピのピッと…<br />
さあキョン、これを歌うのよ!」<br />
「おいおい、闇カラかよ。俺、レパートリーそんなに広くねえぞ」<br />
「いいから、さっさと歌う!」</div>
<div>あたしに指差され、古泉君に背中を押され、有希にもマイクを<br />
突きつけられたキョンは、やれやれと言いたげな顔で<br />
小さなお立ち台に上がった。あたしの隣では、みくるちゃんが<br />
柔らかな笑顔でぱちぱち拍手をしてる。<br />
やがてカラオケ装置がフィーンとうなり始めて、曲名が<br />
パッとモニターに表示された。『言えないよ』…?</div>
<div>「ほう、郷ひろみですか」<br />
「でもこれ、割と最近の曲だよな。聞き覚えあるし。<br />
これならなんとか歌えそうか」</div>
<div>イントロを聞いたキョンも、そう呟く。ふふん、言ったわね?<br />
それじゃあせいぜい期待させて貰おうかしら?</div>
<div>腕組み足組みをしたあたしの視線の先で、曲に合わせて<br />
キョンが歌い始める。最初はみくるちゃんたちもノリノリで<br />
声援やら手拍子やらを送っていたけれど、<br />
ゆるやかに曲が流れていく内にそれは次第にまばらになり、<br />
そしていつしかあたしを始め、全員がキョンの歌に<br />
静かに耳を傾けていた。<br />
別に、キョンの歌が特別うまかったわけじゃない。歌自体は<br />
可も無く不可も無く、十人並みといったレベルだ。<br />
ただ、その歌詞が――</div>
<div>『言えないよ 好きだなんて 誰よりもきみが近すぎて<br />
悲しいよ 夢だなんて<br />
きみに届きそうな くちびるがほら空回り』</div>
<div>しっとりとしたスローバラード。切々と歌い上げられる<br />
その歌詞に、あたしたち全員が聞き入ってしまう。<br />
そう、その歌詞は、まるで――</div>
<div>と、間奏の合い間に隣のみくるちゃんがあたしの耳元に<br />
唇を寄せて、小さくささやいた。</div>
<div>「うふふ。なんだかキョン君に口説かれてるみたいな<br />
歌詞ですね」</div>
<div>途端、あたしは顔じゅうが熱くなるのを感じた。<br />
みくるちゃんの感想は、まんまあたしの感想だったからだ。</div>
<div>『ああ きみをだれかにね<br />
さらわれたなら 耐えられないくせに』</div>
<div>そう、その歌詞はあまりにキョンにはまりすぎていて。<br />
そのせいだろうか、有希も古泉くんも、歌い続けるキョンに<br />
ずっと視線を注いでいる。そして、あたしも…。</div>
<div>『言えないよ 好きだなんて 誰よりもきみが近すぎて<br />
言えないよ 恋だなんて<br />
お互いを知らない 季節に時計を戻せたら』</div>
<div>う、わあ…。ダメだ、ダメだこれ以上は。<br />
これ以上聞いてたら、あたし…。</div>
<div>「涼宮さん?」<br />
「ごめん、あたしちょっとその、ト、トイレ!」</div>
<div>気が付くと立ち上がっていたあたしは、キョンの歌から<br />
逃げるように部屋を飛び出していた。</div>
<br />
<br />
<div>「はーっ、はーっ…」</div>
<div>幸いな事に、女子トイレには他に人影はなかった。<br />
今のあたしを見たら、きっと変なコだと思われただろう、<br />
洗面台に両手をついて、荒く息を吐いている女の子なんて。</div>
<div>鏡の中のあたしを見てみる。冷たい水で何度も<br />
顔を洗ったのに、頬はまだまだ赤い。瞳も潤んだままだ。<br />
気を抜くと、涙がぽろっとこぼれ落ちそうになる。</div>
<div>「なによ、何なのよ、これ…」</div>
<div>本当は分かってる。前から薄々は気付いていた。<br />
あたしは、キョンの事が好きなんだ。<br />
それを自覚してもなお、今日のあたしはどうかしている。<br />
直接告白されたわけでもないのに。それっぽい歌を聴いた、<br />
ただそれだけの事なのに。</div>
<div>キョンのあの歌が、耳にこびり付いている。それが<br />
リフレインする度に、背筋をぞくぞくとしたものが走り、<br />
息が詰まるほどノドが震え、膝がかくんと折れそうになる。<br />
恋愛が精神病? とんでもない!<br />
心が揺れるくらいじゃ済まないわ。身体にこれほど症状が<br />
現れるんじゃ立派な病気よ。ビョーキ!</div>
<div>そうよ、『情が移る』とか言ったりするじゃない。テスト勉強を<br />
見てあげてる間に、きっと感染しちゃったんだわ。<br />
頭が悪いなりに、あいつはあたしの解説に一生懸命聞き入って。<br />
しかめっ面でしばらく考え込んでたかと思うと、突然<br />
パッと輝いた顔をこっちに向けて、</div>
<div>「ああ、そうかなるほどな! サンキュー、ハルヒ!」</div>
<div>なんて言ったりするんだもの。たまんないわよ、もう。</div>
<div>「うん…あたしはキョン病に、罹っちゃったんだ…」</div>
<div>自分で自分の肩を抱くように、身を縮こませて。ぽつりと<br />
洩らした呟きが、女子トイレに小さくこだました。</div>
<br />
<br />
<div>ぼんやりとした足取りで、あたしは元いた部屋へと<br />
歩いていく。あたしはキョンが好き。それは分かった。<br />
あの歌を聴いて、これでもかと思い知らされた。<br />
でも、じゃあ告白しよう!だなんて思えなかった。自分でも<br />
信じられない事に。<br />
もしも自分に好きな男が出来たりしたら、イチもニも無く<br />
全力で突っ走って行くはずだと、あたしは自分の事を<br />
そう思っていたのに。<br />
クラスメートとして、そしてSOS団員として。あたしと<br />
キョンの間にはすでに心地良い距離感がある。<br />
今さら告白する事で、その距離感が壊れてしまうのが、<br />
あたしは恐かった。足がすくむくらいに恐かった。</div>
<div>バカね、あたし。今まであいつの事を、何度もバカキョン<br />
呼ばわりしてきたけどさ。<br />
あたしの方がよっぽどバカだ。キョンを好きな事にも、<br />
本当の自分はこんなに臆病なんだって事にも、<br />
ちっとも気が付いていなかった。</div>
<div>どうしよう、あたし。キョンへの気持ちに気付いちゃって、<br />
それでも今まで通りにふるまえるのかな。<br />
分かんない。なるようになれだわ!って強がるしかない。<br />
震える指先で、部屋の扉を押し開けて――</div>
<div>あたしは、唖然としてしまった。<br />
部屋に残っているのはキョンだけだったのだ。どうして?<br />
まだあと30分は時間が残っているはずなのに。</div>
<div>「あー、古泉は急用が入ったそうだ。<br />
朝比奈さんは録画したい番組があったのに予約するの<br />
忘れてましたぁ!とか言って、ついでに最近買った<br />
DVDレコーダーの操作方法がよく分からないとかで、<br />
長門を連れて行っちまった」<br />
「あ…そ、そうなんだ」</div>
<div>出入り口付近で立ち尽くすあたしに、長椅子に腰掛けたキョンは<br />
そう言って、やれやれと肩をすくめてみせた。</div>
<div>「って、みんな理由を付けてたけどな。多分、俺たちに<br />
気を遣ってくれたんだと思う」</div>
<div>へっ?と目を真ん丸にしたあたしに顔を向けて、</div>
<div>「なあ、ハルヒ。ひとつ訊きたいんだが」</div>
<div>キョンの奴は、そうしておもむろに質問してきた。</div>
<div>「さっきの曲さ、知っててコード番号入れたのか?」<br />
「そんなわけないでしょ。あたしはあの曲、さっき初めて<br />
聴いたんだもの」<br />
「だよな。いや、俺も歌ってて驚いちまったよ。<br />
なんて言うか、俺の心情そのまんまの曲だったから」</div>
<div>え? それって…?</div>
<div>「あのな、ハルヒ。<br />
俺が今日、カラオケに身が入ってなかったのはな、<br />
確かに試験疲れってのもあったが、本当は<br />
この後にお前に伝えたい事があって…どうにか<br />
お前と二人きりになれないかって、うまい口実を<br />
考えてたからなんだ」</div>
<div>とくん、と心臓が脈を打つ。</div>
<div>「ここ数日、お前は熱心に俺の勉強を見てくれてたよな?<br />
ぶつくさ文句を言われて、ポカスカ頭を叩かれたりもしたが、<br />
お前は俺が理解できるまで、じっくり説明してくれた。<br />
そんなお前の横顔に、ふっと見とれてる自分がいる事に、<br />
俺はしばらく前から気付いてたんだ」</div>
<div>はにかむように笑って、それからキョンは視線を前に<br />
戻してしまう。それが何故だか寂しくて、あたしはキョンの方へ<br />
歩み寄ってみた。<br />
すぐ隣に腰掛けたあたしに、キョンはうつむいたまま<br />
小さく言葉を続けた。</div>
<div>「それでな? 試験が終わったら伝えようと思ってた<br />
言葉があったんだ。でも実際、こうして望み通り二人きりに<br />
なってみても、やっぱり勇気が出てこない。<br />
言いたいはずの言葉が、どうしても言えないんだ。<br />
なんだかな。俺のせいでパーティーも白けちまったみたいだし、<br />
どうにも俺って奴は…」<br />
「意気地なしよね、ほんと」</div>
<div>ばっさり切り捨ててやると、キョンの奴は、がくーっと<br />
目に見えてうなだれてしまった。あらら、ちょっと<br />
意地悪が過ぎちゃったかしら?</div>
<div>仕方ないわね、ここは、こっちが少し譲ってあげますか。<br />
あたしはひょいっと身を屈め、キョンの膝に<br />
頭を乗せるようにして、下からあいつの顔を見上げた。<br />
驚いたキョンが上体を起こすより早くあいつの首に腕を回して、<br />
しっかりあいつの瞳を見据えながら、あたしは訊ねかけた。</div>
<div>「言えないの? どうしても?」<br />
「あ、ああ、言えない」<br />
「そう。でもあたしは意地っ張りだから、あんたが<br />
そんなんじゃあたしの方からだって、何も言えやしないわ」<br />
「…………」<br />
「こんな調子でいつまでも待たされてたら、そうね、<br />
本当に幻滅して失望しちゃうかも。<br />
それまでに…言うべき事は言っておくべきなんじゃない?」</div>
<div>あいつの胸に寄り添うようにして、いたずらっぽく<br />
そう問い詰める。<br />
すると、それまで緊張した様子で固まっていたあいつが突然、<br />
ぐっとあたしを抱きしめ、そして。</div>
<div>「言えねえよ。<br />
言えないんだ、“好きだ”なんて。…これじゃダメか?」</div>
<div>あたしの耳元で、熱くそうささやいた。</div>
<div>「んもう、本当に意気地が無いんだから!<br />
しょうがないわね。大まけにしてあげるわ、キョン…」</div>
<div>ぎゅっと抱きしめ返して、あたしもあいつの耳元でささやく。<br />
えへへ、ゴメンね、キョン。意気地が無いのは、本当はお互い様。<br />
あたしもそう簡単には素直になれないの。けど、いつか<br />
きっと伝えよう。今はまだ言えない言葉を。</div>
<div>『あたしを選んでくれてありがとう! すごく、すごく嬉しい…<br />
キョン、あたしもあんたの事が大好きよ!』</div>
<div>目の端に喜びの涙をにじませながら、意地っ張りなあたしは<br />
胸の奥で、まだ言えないその言葉を噛み締めたのだった。</div>
<br />
<br />
<div>言えないよ おわり</div>
</div>
<div class="main">
<div>「つばめよ 高い空から… 教えてよ 地上の星を…」<br />
「あははは、いいわよー有希!」<br />
「長門さーん、こっち向いてー。えいっ!」<br /></div>
<br />
<div>中期試験明けの放課後。<br />
制服のまま、平日格安のカラオケボックスへ突撃した<br />
あたし率いるSOS団一行は、慰労カラオケパーティーを<br />
楽しんでいた。ここ数日は活動らしい活動もなく、<br />
部室でもほとんど試験勉強一色だったものね。みんな、今日は<br />
めいっぱい羽を伸ばしなさい。団長が許可するわ!<br /></div>
<br />
<div>無表情ながらなんだかんだでよく歌う有希に、そんな有希を<br />
物珍しそうに写メに撮りまくってるみくるちゃん。<br />
穏やかな微笑みで手拍子を入れている古泉君。うんうん、<br />
みんな楽しそうね!<br />
と、そんなあたしの上機嫌さは、古泉君の隣に視線を移した途端<br />
どこかへ飛んでいってしまった。ウーロン茶のグラスを片手に、<br />
曲目帳をぺらぺらめくっているバカ男。<br />
さっきから、こいつはずっとこんな調子だ。ああ、もう!<br />
カラオケで真剣に曲を選んでる奴って本当にバカだと思うわ!<br />
思いついた曲を思いついた先から入力しちゃえばいいじゃない!?<br />
時間は有限、歌った者勝ちなのよ!<br /></div>
<br />
<div>「ちょっとキョン! ノリ悪いじゃない!?」<br /></div>
<br />
<div>バン!と片手をテーブルに突いて、思わず声を荒げてしまう。<br />
するとキョンの奴は、顔を上げてあたしを見たかと思うと、<br />
ふうと重い息を吐いた。<br /></div>
<br />
<div>「悪かったな、ノリが悪くて。今回は俺史上でも最大クラスで<br />
勉強させられたからな。まだ試験疲れが残ってんだよ」<br /></div>
<br />
<div>なによ、根に持っちゃってるの? そりゃ、ここ一週間近くの<br />
放課後は、あたしが付っきりで、ほとんど強制的に<br />
勉強という勉強を叩き込んでやったけどさ。<br />
それもこれも、あんたのためじゃない。赤点さえ喰らわなきゃ<br />
御の字だなんて、最初から諦め発言しててどうすんのよ。<br />
そんな事じゃ将来…将来…その、<br />
あ、あんたが困る事になるんだからねあんたがッ!<br /></div>
<br />
<div>「ああ、感謝はしてる。実際、今回は自分でも驚くくらい<br />
手応えあったしな。ただ、ずっとテストに集中してた分…」<br />
「ふふ、いきなり歌えと言われても、そうは<br />
気持ちの切り替えが出来ませんか」<br /></div>
<br />
<div>したり顔の古泉君に、キョンはなおざりに頷いていた。<br /></div>
<br />
<div>ふん、あの程度のテストでそんなに緊張してんじゃないわよ。<br />
このあたしが隣で勉強見てあげてたのよ? 手応えありまくりで<br />
当然だわ。<br />
そうよ、あんたが頑張ってたのは、あたしが一番よく知ってる。<br />
だから今日はねぎらいの意味も込めて、パーティーを<br />
開いてあげたっていうのにさ。そんな辛気くさい顔をされたら…<br />
ほ、ほら、みくるちゃんや有希だって、白けたような<br />
表情してんじゃない。もう、全部あんたのせいだからね、キョン!<br /></div>
<br />
<div>「いいわ、歌いたい曲が見つからないんだったら、<br />
この団長様が決めたげる。適当にピッピッピのピッと…<br />
さあキョン、これを歌うのよ!」<br />
「おいおい、闇カラかよ。俺、レパートリーそんなに広くねえぞ」<br />
「いいから、さっさと歌う!」<br /></div>
<br />
<div>あたしに指差され、古泉君に背中を押され、有希にもマイクを<br />
突きつけられたキョンは、やれやれと言いたげな顔で<br />
小さなお立ち台に上がった。あたしの隣では、みくるちゃんが<br />
柔らかな笑顔でぱちぱち拍手をしてる。<br />
やがてカラオケ装置がフィーンとうなり始めて、曲名が<br />
パッとモニターに表示された。『言えないよ』…?<br /></div>
<br />
<div>「ほう、郷ひろみですか」<br />
「でもこれ、割と最近の曲だよな。聞き覚えあるし。<br />
これならなんとか歌えそうか」<br /></div>
<br />
<div>イントロを聞いたキョンも、そう呟く。ふふん、言ったわね?<br />
それじゃあせいぜい期待させて貰おうかしら?<br /></div>
<br />
<div>腕組み足組みをしたあたしの視線の先で、曲に合わせて<br />
キョンが歌い始める。最初はみくるちゃんたちもノリノリで<br />
声援やら手拍子やらを送っていたけれど、<br />
ゆるやかに曲が流れていく内にそれは次第にまばらになり、<br />
そしていつしかあたしを始め、全員がキョンの歌に<br />
静かに耳を傾けていた。<br />
別に、キョンの歌が特別うまかったわけじゃない。歌自体は<br />
可も無く不可も無く、十人並みといったレベルだ。<br />
ただ、その歌詞が――<br /></div>
<br />
<div>『言えないよ 好きだなんて 誰よりもきみが近すぎて<br />
悲しいよ 夢だなんて<br />
きみに届きそうな くちびるがほら空回り』<br /></div>
<br />
<div>しっとりとしたスローバラード。切々と歌い上げられる<br />
その歌詞に、あたしたち全員が聞き入ってしまう。<br />
そう、その歌詞は、まるで――<br /></div>
<br />
<div>と、間奏の合い間に隣のみくるちゃんがあたしの耳元に<br />
唇を寄せて、小さくささやいた。<br /></div>
<br />
<div>「うふふ。なんだかキョン君に口説かれてるみたいな<br />
歌詞ですね」<br /></div>
<br />
<div>途端、あたしは顔じゅうが熱くなるのを感じた。<br />
みくるちゃんの感想は、まんまあたしの感想だったからだ。<br /></div>
<br />
<div>『ああ きみをだれかにね<br />
さらわれたなら 耐えられないくせに』<br /></div>
<br />
<div>そう、その歌詞はあまりにキョンにはまりすぎていて。<br />
そのせいだろうか、有希も古泉くんも、歌い続けるキョンに<br />
ずっと視線を注いでいる。そして、あたしも…。<br /></div>
<br />
<div>『言えないよ 好きだなんて 誰よりもきみが近すぎて<br />
言えないよ 恋だなんて<br />
お互いを知らない 季節に時計を戻せたら』<br /></div>
<br />
<div>う、わあ…。ダメだ、ダメだこれ以上は。<br />
これ以上聞いてたら、あたし…。<br /></div>
<br />
<div>「涼宮さん?」<br />
「ごめん、あたしちょっとその、ト、トイレ!」<br /></div>
<br />
<div>気が付くと立ち上がっていたあたしは、キョンの歌から<br />
逃げるように部屋を飛び出していた。<br /></div>
<br />
<br />
<br />
<div>「はーっ、はーっ…」<br /></div>
<br />
<div>幸いな事に、女子トイレには他に人影はなかった。<br />
今のあたしを見たら、きっと変なコだと思われただろう、<br />
洗面台に両手をついて、荒く息を吐いている女の子なんて。<br /></div>
<br />
<div>鏡の中のあたしを見てみる。冷たい水で何度も<br />
顔を洗ったのに、頬はまだまだ赤い。瞳も潤んだままだ。<br />
気を抜くと、涙がぽろっとこぼれ落ちそうになる。<br /></div>
<br />
<div>「なによ、何なのよ、これ…」<br /></div>
<br />
<div>本当は分かってる。前から薄々は気付いていた。<br />
あたしは、キョンの事が好きなんだ。<br />
それを自覚してもなお、今日のあたしはどうかしている。<br />
直接告白されたわけでもないのに。それっぽい歌を聴いた、<br />
ただそれだけの事なのに。<br /></div>
<br />
<div>キョンのあの歌が、耳にこびり付いている。それが<br />
リフレインする度に、背筋をぞくぞくとしたものが走り、<br />
息が詰まるほどノドが震え、膝がかくんと折れそうになる。<br />
恋愛が精神病? とんでもない!<br />
心が揺れるくらいじゃ済まないわ。身体にこれほど症状が<br />
現れるんじゃ立派な病気よ。ビョーキ!<br /></div>
<br />
<div>そうよ、『情が移る』とか言ったりするじゃない。テスト勉強を<br />
見てあげてる間に、きっと感染しちゃったんだわ。<br />
頭が悪いなりに、あいつはあたしの解説に一生懸命聞き入って。<br />
しかめっ面でしばらく考え込んでたかと思うと、突然<br />
パッと輝いた顔をこっちに向けて、<br /></div>
<br />
<div>「ああ、そうかなるほどな! サンキュー、ハルヒ!」<br /></div>
<br />
<div>なんて言ったりするんだもの。たまんないわよ、もう。<br /></div>
<br />
<div>「うん…あたしはキョン病に、罹っちゃったんだ…」<br /></div>
<br />
<div>自分で自分の肩を抱くように、身を縮こませて。ぽつりと<br />
洩らした呟きが、女子トイレに小さくこだました。<br /></div>
<br />
<br />
<br />
<div>ぼんやりとした足取りで、あたしは元いた部屋へと<br />
歩いていく。あたしはキョンが好き。それは分かった。<br />
あの歌を聴いて、これでもかと思い知らされた。<br />
でも、じゃあ告白しよう!だなんて思えなかった。自分でも<br />
信じられない事に。<br />
もしも自分に好きな男が出来たりしたら、イチもニも無く<br />
全力で突っ走って行くはずだと、あたしは自分の事を<br />
そう思っていたのに。<br />
クラスメートとして、そしてSOS団員として。あたしと<br />
キョンの間にはすでに心地良い距離感がある。<br />
今さら告白する事で、その距離感が壊れてしまうのが、<br />
あたしは恐かった。足がすくむくらいに恐かった。<br /></div>
<br />
<div>バカね、あたし。今まであいつの事を、何度もバカキョン<br />
呼ばわりしてきたけどさ。<br />
あたしの方がよっぽどバカだ。キョンを好きな事にも、<br />
本当の自分はこんなに臆病なんだって事にも、<br />
ちっとも気が付いていなかった。<br /></div>
<br />
<div>どうしよう、あたし。キョンへの気持ちに気付いちゃって、<br />
それでも今まで通りにふるまえるのかな。<br />
分かんない。なるようになれだわ!って強がるしかない。<br />
震える指先で、部屋の扉を押し開けて――<br /></div>
<br />
<div>あたしは、唖然としてしまった。<br />
部屋に残っているのはキョンだけだったのだ。どうして?<br />
まだあと30分は時間が残っているはずなのに。<br /></div>
<br />
<div>「あー、古泉は急用が入ったそうだ。<br />
朝比奈さんは録画したい番組があったのに予約するの<br />
忘れてましたぁ!とか言って、ついでに最近買った<br />
DVDレコーダーの操作方法がよく分からないとかで、<br />
長門を連れて行っちまった」<br />
「あ…そ、そうなんだ」<br /></div>
<br />
<div>出入り口付近で立ち尽くすあたしに、長椅子に腰掛けたキョンは<br />
そう言って、やれやれと肩をすくめてみせた。<br /></div>
<br />
<div>「って、みんな理由を付けてたけどな。多分、俺たちに<br />
気を遣ってくれたんだと思う」<br /></div>
<br />
<div>へっ?と目を真ん丸にしたあたしに顔を向けて、<br /></div>
<br />
<div>「なあ、ハルヒ。ひとつ訊きたいんだが」<br /></div>
<br />
<div>キョンの奴は、そうしておもむろに質問してきた。<br /></div>
<br />
<div>「さっきの曲さ、知っててコード番号入れたのか?」<br />
「そんなわけないでしょ。あたしはあの曲、さっき初めて<br />
聴いたんだもの」<br />
「だよな。いや、俺も歌ってて驚いちまったよ。<br />
なんて言うか、俺の心情そのまんまの曲だったから」<br /></div>
<br />
<div>え? それって…?<br /></div>
<br />
<div>「あのな、ハルヒ。<br />
俺が今日、カラオケに身が入ってなかったのはな、<br />
確かに試験疲れってのもあったが、本当は<br />
この後にお前に伝えたい事があって…どうにか<br />
お前と二人きりになれないかって、うまい口実を<br />
考えてたからなんだ」<br /></div>
<br />
<div>とくん、と心臓が脈を打つ。<br /></div>
<br />
<div>「ここ数日、お前は熱心に俺の勉強を見てくれてたよな?<br />
ぶつくさ文句を言われて、ポカスカ頭を叩かれたりもしたが、<br />
お前は俺が理解できるまで、じっくり説明してくれた。<br />
そんなお前の横顔に、ふっと見とれてる自分がいる事に、<br />
俺はしばらく前から気付いてたんだ」<br /></div>
<br />
<div>はにかむように笑って、それからキョンは視線を前に<br />
戻してしまう。それが何故だか寂しくて、あたしはキョンの方へ<br />
歩み寄ってみた。<br />
すぐ隣に腰掛けたあたしに、キョンはうつむいたまま<br />
小さく言葉を続けた。<br /></div>
<br />
<div>「それでな? 試験が終わったら伝えようと思ってた<br />
言葉があったんだ。でも実際、こうして望み通り二人きりに<br />
なってみても、やっぱり勇気が出てこない。<br />
言いたいはずの言葉が、どうしても言えないんだ。<br />
なんだかな。俺のせいでパーティーも白けちまったみたいだし、<br />
どうにも俺って奴は…」<br />
「意気地なしよね、ほんと」<br /></div>
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<div>ばっさり切り捨ててやると、キョンの奴は、がくーっと<br />
目に見えてうなだれてしまった。あらら、ちょっと<br />
意地悪が過ぎちゃったかしら?<br /></div>
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<div>仕方ないわね、ここは、こっちが少し譲ってあげますか。<br />
あたしはひょいっと身を屈め、キョンの膝に<br />
頭を乗せるようにして、下からあいつの顔を見上げた。<br />
驚いたキョンが上体を起こすより早くあいつの首に腕を回して、<br />
しっかりあいつの瞳を見据えながら、あたしは訊ねかけた。<br /></div>
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<div>「言えないの? どうしても?」<br />
「あ、ああ、言えない」<br />
「そう。でもあたしは意地っ張りだから、あんたが<br />
そんなんじゃあたしの方からだって、何も言えやしないわ」<br />
「…………」<br />
「こんな調子でいつまでも待たされてたら、そうね、<br />
本当に幻滅して失望しちゃうかも。<br />
それまでに…言うべき事は言っておくべきなんじゃない?」<br /></div>
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<div>あいつの胸に寄り添うようにして、いたずらっぽく<br />
そう問い詰める。<br />
すると、それまで緊張した様子で固まっていたあいつが突然、<br />
ぐっとあたしを抱きしめ、そして。<br /></div>
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<div>「言えねえよ。<br />
言えないんだ、“好きだ”なんて。…これじゃダメか?」<br /></div>
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<div>あたしの耳元で、熱くそうささやいた。<br /></div>
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<div>「んもう、本当に意気地が無いんだから!<br />
しょうがないわね。大まけにしてあげるわ、キョン…」<br /></div>
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<div>ぎゅっと抱きしめ返して、あたしもあいつの耳元でささやく。<br />
えへへ、ゴメンね、キョン。意気地が無いのは、本当はお互い様。<br />
あたしもそう簡単には素直になれないの。けど、いつか<br />
きっと伝えよう。今はまだ言えない言葉を。<br /></div>
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<div>『あたしを選んでくれてありがとう! すごく、すごく嬉しい…<br />
キョン、あたしもあんたの事が大好きよ!』<br /></div>
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<div>目の端に喜びの涙をにじませながら、意地っ張りなあたしは<br />
胸の奥で、まだ言えないその言葉を噛み締めたのだった。<br /></div>
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<div>言えないよ おわり<br /></div>
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