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本名不詳な彼ら in 甘味処」を以下のとおり復元します。
<p>※このお話は『<a href="http://www25.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3624.html">放課後屋上放談</a>』の後日談です※</p>
<p><br /><br />
 いつも通りの休日。いつも通りの不思議探索。長門とペアの組になったので、いつも通り図書館へと向かったのは、まあお約束だよな。<br />
 秋の日の、さんさんとした午後の陽光が降り注ぐその道すがら。俺はふと思いついて、隣に声を掛けた。</p>
<p><br />
「なあ、長門。小説とか文章の書き方のHowTo本でオススメのってあるか?」<br />
「………なぜ」<br />
「俺たちが文芸部室を使い続けるためには、また機関誌を作らなきゃならないだろ? どうせ書かされるなら、基本くらい抑えとけば少しは楽かと思ってさ」</p>
<p><br />
 形式上、俺たちには文芸部室を占有するに足るだけの活動内容を提示する事が義務付けられている。非常に面倒だが社会の必然って奴なので、こればかりは致し方ない。<br />
 致し方ないのなら、いっそポジティブに考えてみるのもいいかもな。そう、もしかして俺には天才小説家としての眠れる才能が秘められていて、本腰を入れて書き連ねてみたならば、ナントカ賞くらい取れたりするかもしれない。<br />
 …うん、自分でも多分に邪気眼っぽい妄想だとは思うが。俺だって現役の高校生だし、こんなドリー夢を思い描く事だってあるのさ。それでもハルヒみたいなトンデモ能力に比べれば、発現する可能性はまるっきりゼロじゃないはずだ。なあ、長門?</p>
<p><br />
「そう」</p>
<p><br />
 俺の潜在的可能性については微塵も触れる事なく――ナイーブハートがちょっとだけ傷ついたぜ――長門は何も無い空中に文字列が並んでいるかのごとく、しばらくまっすぐに正面を見据えていた。</p>
<p><br />
「該当作は複数」<br />
「じゃあまず図書館にある中で、ページ数の少ない奴を適当に見繕ってくれるか」<br />
「了解した」<br />
「よろしく頼むわ。ハルヒの奴はどうせまた無茶なお題を突きつけてくるだろうし、生徒会長の方は生徒会長の方で、そんなハルヒをさらに焚きつけようとするだろうからな。<br />
 まったく、今から頭が痛いぜ………。ん? どうした、長門?」</p>
<p><br />
 取り留めのない会話の途中。不意に長門が立ち止まったので、俺も足を止めた。長門は俺に答えず、ただじっと黒曜石のような瞳を前へ向けている。その理由は、俺にもすぐに分かった。</p>
<p><br />
「うん? キミたちは…」<br />
「あらあら。こんにちは、長門さん」</p>
<p><br />
 噂をすれば影ってことわざは、こういう時に使えばいいのかね。図書館を目前にした路上で、俺たちは向こうからやってきた生徒会長と喜緑さんの二人連れに、バッタリ出くわしてしまったのだった。</p>
<p> </p>
<hr /><p><br />
 こざっぱりとした麻のジャケットに、足元の革靴までピシリと決めた会長。その半歩後ろにさりげなく付き従っているのは、ざっくりとした白いセーターにベレー帽をちょこんと合わせた、上品な装いの喜緑さん。<br />
 何というか、私服でもなかなか様になっている二人だ。だがしかし、この出会いははたして偶然なのか、それとも必然なのか。見た所、待ち伏せとかしていた訳ではなさそうだが。</p>
<p><br />
「奇遇だな。いや、そうでもないか。文芸部員が図書館に現れるのはごく自然な事ではある。だが、しかし――」</p>
<p><br />
 会長のセリフを信じるならば、どうやら俺たちは図らずもニアミスしてしまったらしい。だが、まだまだ油断は出来ないぞ。なにせ喜緑さんは、おっとりした外見ながらあのカマドウマ事件の発端となったお人だし、会長は会長で、SOS団に難癖を付けるのを生業としていると言っても過言じゃないからな。厄介な敵などではないにせよ、とりあえず警戒しておくに越した事はないだろう。</p>
<p>
 はたして。規定された動作のように指先でくいっとメガネを押し上げた会長は、細いあご先に手を当てながらジロジロ値踏みするように俺と長門をかわるがわる見つめ、そしてこう言い放ったのだった。</p>
<p><br />
「気が付かなかったな。キミたちがそういう仲だったとは」</p>
<p>「はあ?」</p>
<p><br />
 何だそりゃ。今度は不純異性交遊か何かで、俺たちを吊るし上げようってのかよ。<br />
 はーっと大きく溜息を吐いて、俺は会長に向き直った。</p>
<p><br />
「そういう仲ってのがどういう仲の事を言ってるのか、知りませんけどね。たぶん勘違いですよ。俺と長門は、SOS団の活動でたまたま一緒に行動してるだけです」<br />
「ほう、違ったか。人物観察にはそれなりに自信があったのだがな。私はてっきり、休日に二人連れ立って仲良く図書館デートだとばかり」<br />
「勝手に決め付けないでくださいよ。<br />
 ってか、それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか? 俺の目には、お二人こそ休日に仲良く図書館デートって風に見えますけどね、センパイ?」</p>
<p><br />
 ちょっとばかり揶揄するような口調で、俺はそう切り返してやった。相手の痛い所を突くのは、古泉との将棋でそこそこ慣れてるのさ。<br />
 まあこの人も『機関』との契約で、いつも通りSOS団の敵対者を演じているに過ぎないんだろうけれども。ところが、意趣返しのつもりで言い放たれた俺のセリフに。会長は、ふむ、と真顔で一言呟き、そして。</p>
<p><br />
「図書館デートか。その通りだ、と言ったら?」</p>
<p><br />
 答えるなり会長は傍らの喜緑さんの左肩に、ぽんと左手を置いたのだ。そう、彼女を抱き寄せるように。</p>
<p><br />
「うえっ!?」<br />
「…………」</p>
<p><br />
 俺が思わず情けない声を上げてしまったのも、無理はないだろう。<br />
 いやだって人通りこそ少ないけど、ここ天下の往来だよ? 誰に目撃されてるとも限らない道端でそんなに密着しちゃったりして、もう見てるこっちの方がドギマギするっていうかそれこそ不純異性交遊で告発されたりしたらどうするの!?<br />
 っていうかこの二人、本当に付き合ってたのか? SOS団に関わる時は必ず二人セットですよね、などと春先の新入部員勧誘の際に、冗談めかした調子で訊ねたような事もあったりしたが。まさかそれが事実だったとは。</p>
<p><br />
 ええい、実にうらやま………いやいや待て待て。男子高校生としての本音はさて置き、喜緑さんて確か長門と同じヒューマノイドインターフェースだって古泉は言ってたよな? 会長はその事知っていて、喜緑さんと…?<br />
 思わず視線を横に泳がせる。が、長門は目の前で寄り添っている会長と喜緑さんをまばたきもせずに見据えているだけで、その表情はいまいち読み取れな――</p>
<p><br />
「この、バカップルめ…」<br />
「い、いま何か言ったか、長門?」<br />
「………別に何も」</p>
<p><br />
 そうしてむっつり押し黙ってしまった長門と、パニクりまくりの俺が固まったままでいると。<br />
 不意に喜緑さんが、にこやかな笑顔のままたおやかな動作で、自分の肩の上の会長の手の甲の皮膚を、きゅっとつまみ上げた。</p>
<p><br />
「たたたっ!?」<br />
「会長ったら、おふざけが過ぎますよ? あまり後輩をからかって遊ぶものではありません」</p>
<p> </p>
<hr /><p><br />
「あー、彼の受け答えがあんまり初々しかったものでな。少々茶目っ気が過ぎてしまったようだ。すまん」</p>
<p><br />
 そそくさと喜緑さんから離れた会長は、つまみ上げられた手の甲をさりげなく、ふーふーと吹いていた。あ、いま爪の痕が赤くなってるのがチラッと…。地味に痛かったんだな、きっと。<br />
 つか、さっきまでのってタチの悪い冗談だったのかよ。呆れ顔の俺たちの前で、会長は空気の悪さをごまかすかのようにエヘンとひとつ咳払いを打ち、それから改まって俺と長門に向き直った。</p>
<p><br />
「ところで。先程、SOS団の活動で来たと言っていたが…キミたちはこの図書館をよく利用するのかね?」</p>
<p><br />
 まあ、そこそこですよ。主に利用してるのは長門の方ですけど。</p>
<p><br />
「そうか。ならば、ひとつ助力を願えないか」<br />
「はい?」<br />
「喜緑くんが本を借りたいと言うのでこちらを訪れたのだが、この図書館を利用するのは久々でな。出来れば目当ての本がありそうな場所を案内して貰えるとありがたいのだが」</p>
<p><br />
 ふーむ。別に見ず知らずの仲では無いにせよ、結構ずうずうしいお願いだな。<br />
 一時期は文芸部を潰そうとしたお人でしょうがあなた。それがこういう時には体良く文芸部員を利用しようだなんて、厚かましいにも程があるぜ。</p>
<p><br />
 なんて拒否するのは簡単なんだが、どっこい、だからこそここで恩を売っておくのもひとつの選択肢だろう。喜緑さんなら最短距離で目的の本まで直行しそうだって所が少々引っかかるんだが…会長の手前、あんまりまっすぐに直進しすぎる訳にもいかないのかもしれない。<br />
 何にせよ、この図書館は長門のホームグラウンドみたいな物だ。宇宙パワーなんぞ使わなくっても、長門なら難なく対応できるだろう。それに自分の知識が人様のお役に立てば、長門だって悪い気はしないはずだ。</p>
<p><br />
「ええ、それくらいの事なら別に…なあ、長門?」</p>
<p><br />
 俺の振りに、長門も無言で頷いた。いったい何の本をお探しかは知りませんが、こいつに任せれば万事安泰ですよ。</p>
<p><br />
「それは頼もしい。では長門くん、喜緑くんの事は頼んだぞ」</p>
<p><br />
 鷹揚にそう依頼すると、会長は喜緑さんの方に振り返って…あれ、今なんか目配せとかしてなかったか?<br />
 その喜緑さんは、ここまでずっとにこにこ笑顔で会長の後ろに奥ゆかしく控えていたが、会長の指図に小さく頷いて、すーっと長門の前に歩み寄ってきた。</p>
<p><br />
「よろしくお願いしますね、長門さん」<br />
「…………」</p>
<p><br />
 そう言ってぺこりとお辞儀をすると、長門の手を取って歩き始める喜緑さん。少々戸惑った様子ながらも、引かれるままに長門もついていく。まるで姉妹みたいで、なんだか心和む光景だね。って――。</p>
<p><br />
「会長さんは一緒に行かないんですか!?」<br />
「人の話を聞いていなかったのか? ここへ本を借りに来たのは喜緑くんだ。俺はただの付き添いに過ぎない」</p>
<p><br />
 いや、まあ確かにさっきはそう言ってましたけど…。</p>
<p><br />
「見た所、どうやらお前も同様のようだな。どうだ、ここからは男は男同士という事で、しばらく俺に付き合わんか。茶代くらいは出すぞ」</p>
<p><br />
 唐突な会長の誘いに、俺は内心で緊張を覚えた。もしかしたら俺は、意図的に長門と引き離されたのではないか、と。<br />
 周到な罠に、俺は嵌められつつあるのかもしれない。そう考えて身構えようとした俺だったが、しかし会長の次の一言で、一気に脱力してしまった。</p>
<p><br />
「ひょっとして本当の所はデートの真っ最中だったりしたなら、邪魔した事を謝るが。<br />
 だが長門くんに喜緑くんを任せられて、正直こちらとしては助かった。なにしろ彼女が一緒だと、ヤニを吸わせて貰えなくてなあ…」</p>
<p><br />
 肩を落として嘆く会長の背中には本物の哀愁が漂っていて、俺も一人の男として同情せざるを得なかった。割と苦労してるんですね、あなたも。</p>
<p><br />
「分かりました。さっきも言った通り、俺と長門はそんな仲じゃありませんし。俺で良ければ茶ぐらい付き合いますよ」</p>
<p><br />
 よくよく思い直してみれば、もし仮に会長が俺に害意を抱いたとして、喜緑さんがそれに協力するとは考えづらいしな。<br />
 いつもいつもハルヒたちにおごらされてばかりの俺だ、たまには人様のオゴリで一服させて貰ったって、バチは当たりゃしないだろう。例のHowTo本にしても、別に急ぐ用件でもないし。<br />
 そんな訳で会長にホイホイついていく事に決めた俺は、すでに遠くなりつつあるインターフェース娘二人の背中に向かって、大声を張り上げたのだった。</p>
<p><br />
「じゃあ長門、しっかり喜緑さんを手伝ってやってくれ! 俺は会長さんとしばらく外でダベってるから!」</p>
<p><br />
 俺の呼びかけに長門は何の返事もせず、首から上だけこちらに振り向いた。喜緑さんに手を引かれ、こちらに無表情な顔を向けたまま、だんだんと遠ざかっていく長門。その黒いつぶらな瞳を見ていると、頭の中で『ドナドナ』の歌が物悲しげに流れたりしたのは何故なんだろうね。</p>
<p> </p>
<hr /><p><br />
「あ、じゃあ俺も同じ物を」<br />
「かしこまりました」</p>
<p><br />
 一礼したウェイトレスさん、いや、こういうお店では女給さんと呼んだ方がいいんだろうか。和服に白エプロン、足元はブーツ、頭には白いヒラヒラした…メイドカチューシャっていうのかね、あれは? とにかくそれでセミロングの髪をまとめた、一言で言えばハイカラな装いのお姉さんが厨房にオーダーを繰り返すのを見送って、俺は正面に向き直った。</p>
<p>
 テーブルに伊達メガネを置いた会長は、早くも咥えたタバコの先に火を点けている。って、ちょっと無防備すぎやしませんか? しばらくお預けを食らっていたようですから、無理ないのかもしれませんけど。</p>
<p><br />
「お前、この店を何だと思っている」<br />
「甘味処、ですよね?」</p>
<p><br />
 そう、俺が会長に連れてこられたのは、大通りから外れた裏道にある大正モダン調の小さな甘味処だった。あの時代の言葉では『ミルクホール』とか呼ばれてたんだっけ? 確かに茶を飲ませる場所には違いないが、普通の喫茶店を想像していた俺としては、少々面食らってしまった。</p>
<p><br />
「だろうな。普通、野郎が二人連れで甘味処に入ったりはせん。<br />
 大体こういった店は女子どもがたむろしていて、男連中にとっては居心地が悪いものだからな。…俺の言っている意味が分かるか?」<br />
「この店はそうじゃない、と?」</p>
<p><br />
 俺の返事に、会長は薄煙の向こうでニヤリと笑ってみせた。</p>
<p><br />
「男でも大の甘党というのは存在する。存在するがしかし、世間一般的にあまり受けはよろしくない。スイーツというのは婦女子向けのファンシーな代物が多いからな。<br />
 もしもの話だが、お前がファミレスに入ったとして、俺が一人でデラックスプリンアラモードをガツガツ喰ってたら引くだろう?」</p>
<p><br />
 引きますね、正直。そういえば中学の遠足の時、弁当に苺と生クリームのサンドイッチを持ってきたクラスの男子が「お前、女かよ」なんてからかわれたりしてたな。</p>
<p><br />
「それが現実だ。そうして抑圧されるからこそ、男性甘党の欲求はさらに高まっていく。考えてもみろ、一人暮らしの男が本物の汁粉を食べたくなったとして、小豆を水で戻したり、金網の上で餅が焼けるまで見ていたりとかやってられるか?」<br />
「さあ、一人暮らしの経験はまだ無いので何とも言えませんが。ただ俺にはまず無理だ、と断言は出来ます」</p>
<p><br />
 要するにここは、そういう隠れ甘党御用達のお店って訳か。<br />
 確かにパッと目に付く限り、周囲には男性客しか見当たらない。テーブルも椅子も重厚な木の造りでちょっと厳か過ぎる感じだし、照明もかなり抑えめ、席と席の間の衝立も大きくて、立ち上がらなければ店の奥まで視線が届かない。どうやらこれは、わざと女性客を寄り付きにくくした店構えみたいだな。</p>
<p><br />
「そうだ、ここは男の甘党にとっての隠れ家でありオアシス。言うなれば――」</p>
<p><br />
 タバコの先で俺の顔を指し示しながら、会長はこう続けた。</p>
<p><br />
「お前らにとってのSOS団と同じだ。わざわざ周囲に互いの秘密をバラし合ったりはしない。そうだろう?」</p>
<p><br />
 これには俺も、思わず苦笑いを浮かべてしまった。なるほど、この店を訪れる客たちはある種の秘密を共有し合っている。だから会長も、密告とかの心配なしにリラックスしているんだろう。<br />
 それにしても、なんだかんだでこの人がSOS団の結束を認めてくれていたのが何気に嬉しい。やれやれ、俺もすっかりあのキテレツ組織の中に組み込まれてしまったものだね。</p>
<p><br />
「ライバルとしては認めているさ。だからこそ…。<br />
 ふむ。お前、どうして俺に茶に誘われたか心当たりは無いのか?」<br />
「はい?」<br />
「言っておくが今日俺たちがあの場で出くわしたのは、単なる偶然だ。<br />
 だが、俺がお前を誘ったのは偶然ではない。ちょっとした思惑があってな。だから喜緑くんには、お前と二人になれるよう配慮して貰ったんだが」</p>
<p><br />
 なるほど、あの時の目配せはそういう意味だったのか。<br />
 しかし、どういう事だ? 会長が俺とサシで話したいって。これが喜緑さんの方なら、『前々からお慕いしていました』なんて妄想も抱けるんだが。まさか会長が俺に告白する訳も…無いだろうし…。</p>
<p> うん、無い! 無いったら無い! 消えろ、数秒前のアホな俺のイリュージョン!</p>
<p><br />
「そうか、無いのか」<br />
「へっ?」<br />
「だから、心当たりの話だ。すると古泉の奴は、まだお前に話を通していないんだな」</p>
<p><br />
 混乱している俺をよそに、一人頷いていた会長は突然、口の端を歪めて悪魔的な笑みを浮かべてみせた。</p>
<p><br />
「せっかくだから忠告しておいてやろう。別に口止めもされていないし」<br />
「忠告、ですか?」<br />
「ああ、そうだ。<br />
 気を付けろ、うかうかしているとお前、俺と同じ目に遭わされるぞ」</p>
<p><br />
 忠告と言いながら、会長に俺の身を心配している風は無い。むしろその表情は、新しいゲームを発見した子供のように楽しげだ。</p>
<p><br />
「分かりませんね。古泉が俺にいったい何をするってんです?」<br />
「なに、いたって単純な話さ。問答無用で生徒会長に祭り上げられる、ただそれだけの事だ。もっとも俺の場合と違って、お前を押し上げるのは『機関』ではなくSOS団のようだが」<br />
「なあっ!?」</p>
<p><br />
 あまりに突拍子も無い会長の爆弾発言に、俺が声を失った所へ。<br />
 お待たせいたしましたー、と女給のお姉さんがお盆を携えてやってくる。運ばれてきた『アイス白玉ぜんざいと焙じ茶のセット』はなんとも甘美な芳香を放っていた…はずなんだが、あいにくと俺の意識はどこか遠い彼方へすっ飛んでしまって、行方知れずなままだった。</p>
<hr /><p><br />
「おいコラ、せっかくの甘味をそんなしかめっ面で喰ってんじゃない。店にも食材にも失礼だろうが」<br />
「そりゃスイマセン…。けど、とてもじゃないですがじっくり味わってる気分じゃないんですよ…」</p>
<p><br />
 木のスプーンで一口ぜんざいを流し込んで、俺はやっぱりまた、はーっと魂が抜け出すような溜息を洩らしてしまうばかりだった。ええ、このぜんざいは確かに逸品ですよ? 口に入れた瞬間はずっしりとした存在感の冷たい餡が、舌の熱でふわっと広がり、心地よい余韻を残して喉の奥に溶けていく。その後で飲む熱い焙じ茶が、またうまい。<br />
 こんな小ぢんまりとした店なのに、客足が途絶えない理由がよく分かる。まさに知る人ぞ知る名店って奴なんでしょうよ。けどね。</p>
<p><br />
「自分が勝手にゲームの駒にされようとしてるって知ったら、さすがに平然としちゃいられませんって」</p>
<p><br />
 くそ。古泉の野郎、ハルヒと同じ班になったのをいい事に、今頃は余計な入れ知恵を吹き込んでるんじゃないだろうか。ハルヒもハルヒで、あっさり奴の口車に乗せられちまいそうだ。それ程に、会長がバラしてくれた『新会長就任権争奪、SOS団vs生徒会最終決戦計画』には真実味があった。</p>
<p><br />
「ふむ。そんなにイヤか? 生徒会長になるのが」<br />
「嫌に決まってるでしょう!? なりたくもない役職を押し付けられるなんて冗談じゃない!」</p>
<p>「ま、気持ちは分からんでもないがな。損得勘定以前に、自分の進退を自分以外の人間に勝手に決められるというのは腹立たしいものだ。<br />
 一年前の俺も、まさしくそういう気分だった。だからお前には古泉の計画をチクッてやったのさ。同病相憐れむという奴だ」</p>
<p><br />
 にやにやとしながら会長はそう言った。喜緑さんと一緒の時にも言っていたが、どうもこの人は、俺の『初々しい反応』というのが面白いらしい。あんまりいい趣味とは言えませんよ、それ。</p>
<p><br />
「断っておくが、俺の時はお前よりひどかったんだぞ?<br />
 まず、選択の余地が無かった。ズタボロになるまで叩きのめされて、あげく黒塗りタクシーで強制連行だ。目隠しを外された時には、どこか見知らぬビルの中の応接室らしき部屋に放り込まれていたな」<br />
「うへえ…マジですか…?」<br />
「大マジだ。とはいえ、それまで交渉のテーブルに着こうともしなかった俺の方に非が無い事も無いんだが。<br />
 当時の俺はちっぽけな自尊心を守り通すのに必死になってる、チンケな不良学生でな。他人の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだ、なんて青臭い事を考えてたのさ。そんな俺の態度に、『機関』の方もいいかげん業を煮やしたんだろう。<br />
 そうして拉致られて来た応接室で、俺を待ち受けていたのは小綺麗な顔をした女だった。自分で言うのも何だが、あの頃の俺は本当に要領も悪けりゃ頭も悪くてな。この女が何者か、どんな思惑で俺を召し出したのかなんて事は考えもせず、ただ虚栄心から強がって、憎まれ口を叩いちまったんだ。『何様のつもりだよ、このクソババア!』とな。そうしたら――」</p>
<p><br />
 そこまで言いかけた所で、なぜか会長は、しみじみと首を左右に振った。</p>
<p><br />
「いや、『ア』までは言わせて貰えなかったか。そう言いかけた時にはもう、その女――森さんが胸ポケットから抜き放ったボールペンの先が、目の前に迫っていたからな。<br />
 比喩じゃないぞ。本当に“目”の“前”に、だ。隣に控えていた新川さんが森さんの腕を掴んでいなかったら、今ごろ俺はメガネじゃなく、海賊みたいな黒眼帯を付けていたかもしれん」</p>
<p><br />
 今となっては笑い話だがなと片目を瞑って、会長は実際、ハハハと朗らかに笑ってみせた。が、すいません全く笑えません。みんなも目上の人への言葉遣いには気を付けような。</p>
<p><br /></p>
<hr /><br />
『落ち着け、森』<br />
『放して貰える、新川? こういう最低限の礼儀もわきまえないような子供は、きちんと躾けてあげるのが大人の義務ってものだわ。人が下手に出てりゃ付け上がってくれちゃって』<br />
『彼にはいずれ、涼宮ハルヒと真っ向から対峙して貰わなければならないのだ。あまりに従順な羊では困る。多少は骨が無くては』<br />
『だからって、誰にでも噛み付く野良犬でも困るんだけど?』<br />
『それはこれからの調教次第だろう。古泉とて、最初は狂犬のような目をしていたではないか』<br />
『相変わらず、甘っちょろい事を…。<br />
 仕方ないわね、やるしかないか。今さら他の犬を探し出してる時間も無いし。そうと決まったら、あんたもいつまでも床にへたり込んでないで、さっさと立ちなさい。こうなったからには豺狼程度には鍛えてあげるから。<br />
 一応言っとくけど、私たちはあんたに“期待”しているの。その期待を裏切らないでほしいものね』
<p><br /></p>
<hr /><p><br />
「サイロウ?」<br />
「【豺狼路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん】、要するに森さんは、俺に大悪党になれと迫ったのさ。<br />
 もっとも俺はこの時、腰を抜かして歯の根をガチガチ鳴らしている始末で、とてもその言葉の意味なんぞは理解できなかったが。ただ、俺の認識がこのぜんざいなんかよりもよほど甘ったるかった、という事だけは身に染みて分かった。分かった所で時すでに遅し、俺の命運はもはや尽き果てていた訳だがな」</p>
<p><br />
 白玉だんごをもぐもぐ噛みながら片手間のようにそう言って、会長はちらりと俺を見やった。</p>
<p><br />
「俺のようになりたくなければ。生徒会長の肩書きが重荷でしかないのなら、せいぜい早めに手を打っておくがいい。<br />
 本音の所、俺としてもお前らSOS団とは因縁にきっちり決着を付けて――特に古泉の奴には一泡吹かせてから、卒業したかったんだが。やる気のない奴を相手に勝負しても仕方が無いしな。まあ、好きにしろ」<br />
「…なんだか、ずいぶんサバサバしているんですね」<br />
「うん?」<br />
「勝手に人生を捻じ曲げられたような事を言ってる割に、先輩には恨み節みたいなものがあまり無いじゃないですか。<br />
 もっと俺をそそのかそうとしたりするんじゃないかって、俺は内心で身構えたりしてたんですけど」</p>
<p><br />
 俺の指摘に。会長は1回まばたきをして、それからクックッと愉快そうに笑い始めた。</p>
<p><br />
「なるほど? パッと見はどうにも冴えない奴だと思っていたが…。古泉がお前の事を高く買っている理由がよく分かる。俺などよりお前の方が、よほど人物観察の才があるようだ」<br />
「今さりげに俺、ひどいコト言われてませんでした?」<br />
「些末な事だ、気にするな。<br />
 さて、そうだな。『機関』を恨んでいないのかという質問なら」</p>
<p><br />
 残り少なくなったぜんざいの器の中でスプーンをくるくる回しながら、会長は妙に爽やかに答えてみせた。</p>
<p><br />
「もちろん恨んでいるに決まっている。古泉の傲慢、森さんの横暴、新川さんの容赦ない教育的指導。どれも思い返すだに虫唾が走るような思い出ばかりだ。だが――」</p>
<p><br />
 うはあ。笑顔でこういう事を言われると、逆にクルものがあるね。<br />
 少々げんなりした気分になりかけてしまった俺に向かって、しかし会長はさらにこう付け加えた。</p>
<p><br />
「だが、だからこそ今の俺がある。それもまたひとつの事実だ。<br />
 男子三日会わざれば…とは言うが、何のきっかけも無しに人は成長したりはしない。屈辱、挫折、忍従。寄りすがっていたアイデンティティーの盾を粉々に砕かれ、目を逸らしていた自分の惰弱な部分に力ずくで向き合わさせられて、その上でこそ見えるようになる物がある。<br />
 端的に言えば、俺は自分がここまで会長職を務め上げられるとは思ってもみなかった。『機関』の支援があったにせよ、それでも俺は、俺自身にそんな才量などあるはずが無いと決め付けていた」</p>
<p><br />
 フフッと笑う会長の、その笑みは俺の見間違いでなければ、愚かな過去の自分へと向けられているように思えた。</p>
<p> </p>
<p>
「単なるチンピラ学生としては、至極当然の考えではあるがな。それ故に俺は、遅刻すると分かっていながらも布団から出られない朝のように、昨日と同じ日常に籠もり続けようとしていたのさ。<br />
 だがその布団は、森さんの手で強引に引っぺがされた。おかげで俺は、どうあっても目を覚まさざるを得なかった。<br />
 それが手段として、正しいかどうかは知らん。ただ結果から見れば、森さんの判断は間違ってはいなかった。それが全てだ」</p>
<p><br />
 うーむ。会長にはそんな意図は無いんだろうけれど、布団から引っぺがすでどうしても妹の顔を思い浮かべてしまうね。アレもいずれ、凛々しく銃を構えるような女傑に成長したりするのだろうか。いやいや、そんなまさか。<br />
 ………あり得ないと断言できないのがコワイ。おっと、馬鹿げた空想に煩悶している場合じゃないぞ。まだ話が途中だ。</p>
<p><br />
「じゃあ、もう吹っ切れたと?」<br />
「あいにくだが、俺は執念深い方なんでな。骨身に染み込んだ怨嗟を、そう簡単に忘れたりはせん。とにかくあの頃は俺の意向など完全無視で、何もかもが事後承諾だったしな。<br />
 だから、感謝はしない。感謝はしないが――」</p>
<p><br />
 ぜんざいの最後の一すくいを口に運び、両目を閉じてその余韻を味わっている風を装いながら、会長はしみじみこう呟いた。</p>
<p><br />
「あの時、森さんがこの俺に期待を寄せてくれたのは、俺の人生において最大級に幸運な事だったんだろう。そう思うだけだ」</p>
<p>「…素直じゃないですね」<br />
「ふん。俺みたいなキャラは、おいそれと感謝なんかするもんじゃないんだよ。わざわざ死亡フラグを立てるようなマネを、誰がしてやるか」</p>
<p><br />
 テーブルに片肘を突き、ふてくされた顔で反論する会長に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。生意気盛りな年頃の甥っ子が、無理して悪ぶっている時の態度になんだかそっくりだ。<br />
 あー、うん。でも分からなくもないですよ、そういう気持ち。</p>
<p><br />
「ほう?」<br />
「俺も、時たま思う事がありますから。あの時ハルヒにあんな事を言ったりしなけりゃ、SOS団なんかに関わらなければ、こんな面倒に巻き込まれずにすんだのにな、って。<br />
 でも、だからって以前の俺に戻りたいとは思いません。ボヤキながらもなんだかんだで、俺は今の境遇を楽しんでるんです。ハルヒやら古泉やらに、アレしろコレしろ言われるのは重荷に感じますけどね、それでも俺は――」<br />
「退屈な自分に戻りたくはない、か?」</p>
<p><br />
 真正面から顔と顔を見合わせて、俺と会長はどちらからともなく、くくくっと含み笑った。谷口なんかには『キョン、お前もよく涼宮の暴虐に毎度毎度付き合ってられるなあ』なんてからかわれるような事もあったりするが、当事者には当事者なりの喜びって物があるのさ。</p>
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「さもありなん。人生は期待されてこそ華だからな。<br />
 と、いう訳でだ」</p>
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 いつの間にやら新しいタバコを口に咥えた会長は、片肘を突いたまま片手のライターで、シュボッと火を点けていた。そうしてまた、あの悪魔的な笑みを浮かべてみせる。今度は何ですか、いったい?</p>
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「俺にとってはここからが本題だ。次期会長選の情報リークに茶菓子までおごってやったからには、少しくらい“期待”させて貰ってもバチは当たらんだろう?」</p>
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 うーむ、恩着せがましい事をさらっと言う人だな。それを不快に感じないのは、俺が普段からハルヒに毒されてるせいなのかね。</p>
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「ツラの皮が厚いのも、リーダーたる者の資質のひとつだ。人間のやる事にはどうしても失敗が付きまとう。そういう時にリーダーがいちいち落ち込んでいるようでは、話にならん」</p>
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 なるほど、その点だけはウチのリーダーも資質は満点です。ビデオ機材やらヒーターやら、口八丁手八丁で調達してきたりね。俺にはとても真似できない芸当ですけど。</p>
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「安心しろ、苦手分野は部下に丸投げできるのがリーダーの特権だ」<br />
「それはそれでどうかと思いますが」<br />
「どこがだ、至極真っ当な意見だぞ。むしろ無能なくせにそれを自覚せず、やたらと出しゃばりたがる指導者ってのが一番困る。部下に力量を発揮する場所を与えてこそのリーダーだ。<br />
 おっと、話が逸れたな。本題に戻るとしよう。俺がお前に期待したい点は、ふたつある。まず、そのひとつ目だが」</p>
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 ゆっくりと指を1本突き立てる会長の動作に、俺の喉もごくりと鳴った。わざわざ長門から俺を引き離した上で頼みたい用件とは、はたして何だろうね。良からぬ企てなんかじゃなければいいんだが。</p>
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<p>「馬鹿を言え。お前が長門くんと付き合っているなら、彼女も誘ったさ。そうではないと言うから、こちらとしてもいろいろ配慮してやったんだ」<br />
「配慮って、何をです? どうも意味が分かりませんが」<br />
「むう…以前から古泉の奴にボヤかれる事はあったが、これは相当だな…。まあいい、回りくどい言い方をしても伝わらなさそうだから、単刀直入に言おう。<br />
 要は『時折こうして茶でも飲みながら、情報交換やら悩み相談やらに付き合って貰いたい』、それだけの事だ。俺と江美里が将来的に一緒になるに当たって、な」</p>
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 はあ、何かと思えばそんな事ですか。そのくらいなら別に構いませ…んっ?<br />
 エミリさん? えみりえみり…うむ、普段聞き慣れない名前なので一瞬誰の事かと考え込んでしまったが(ほら『朝比奈さん』や『鶴屋さん』みたいに、先輩ってのはたいてい苗字にさん付けで呼ぶものだろ?)、幸い俺の脳内人名辞典の中に該当する項目が約一名分だけあった。<br />
 ただし、その人物は――。</p>
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「そうか、助かる。なにしろ相手がTFEI端末だと知っていて、その上で普段付き合いをしているような奴は、ちょっと他には見当たらないからなあ」</p>
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 よほど安心したのか、うんうんと一人頷いている会長の向かいで。俺は真逆に、喉から飛び出しそうになる絶叫をどうにか押さえ込もうと必死になっていた。</p>
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「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!?<br />
 しょ、将来的に一緒になるっていうのはつまりその、喜緑さんと…? いやそれより何より、先輩は喜緑さんが宇宙人だって知ってたんですかッ!?」<br /><br /><br /><br />
つづく</p>

復元してよろしいですか?