スイング・第六楽章
<p align="center">神の少女(おとめ)</p> <p> </p> <p>むすっとしたキョンを横目に、あたしは有希を見やる。有希にとっては三年ぶりのベースだ。</p> <p>…確か、佐々木さんに会っちゃってから、音楽が楽しめなくなっちゃったんだっけ。</p> <p>あたしがKKK団に引き込むまで、ただ苦しむためだけにフルートだけをやってきた。 </p> <p align="center">人間関係も、未来までも捨てて。 </p> <p align="center"> </p> <p>有希の部屋に行った、あのとき見えた、散乱した譜面に隠れた、血だらけの音楽ルーム。</p> <p>もう少しで光が当たったはずの、努力しつつ音楽を楽しんでいた天才フルートは、佐々木さんのせいで表舞台から姿を消した。</p> <p> </p> <p>もちろん、佐々木さんは悪くない。頭では分かってるわ。でも、心じゃ納得できない。</p> <p>だから、それをどうしても、目の前で見てみたかった。お二人には失礼かも知れないけど、言う。</p> <p> </p> <p>「佐々木さん、『神の能力』見せてくれませんか?」</p> <p> </p> <p>佐々木さんの微笑んだままの顔が少し曇る。客席から立ち上がると、舞台へ上がる。<br /> 皆の視線が佐々木さんに集まり、そして、その視線はピアノの方角へと移動する。</p> <p>佐々木さんは真剣な顔でピアノの横に立ち、つぶやく。</p> <p> </p> <p>「これが私の『能力』です」</p> <p> </p> <p>それから、ピアノの前に座ると、まるでレコードのように。本当にレコードのように。<br /> あたしと同じように、あのアドリブのピアノを叩き始めた。</p> <p> </p> <p>『夢がないの?ばっかじゃない?』<br /> あたしのクセのあるピアノを完全に叩き出す。<br /> 感情をたたきつけたあの音が、寸分の狂いもなく演奏される。</p> <p> </p> <p>『決めつける事なんて絶対に許さないんだから!』<br /> 挑発的な音から、なまらない『あたし』の言葉が響いていく。<br /> まるでもう一人の自分が存在するみたいに。</p> <p> </p> <p>『誰かじゃなくて、あたしがやるの!』 <br /> 「あたし」じゃないあたしが叫ぶ。 自分は「涼宮ハルヒ」だと、主張する。</p> <p> </p> <p>『さあ、あたしの音楽を聴けぇっ!』</p> <p> </p> <p>佐々木さんは絶対音感の持ち主だった。そして、よい観察力・天才的記憶力、そして器用な手の持ち主でもある。 それらを全て組み合わせると、どんな楽器の、どんな人の演奏でも大体再現できるのである。</p> <p align="center"> </p> <p align="center">これが通称『神の能力』といわれる、佐々木さんの力だった。</p> <p> </p> <hr /><p> </p> <p>佐々木さんはドラムに座り、朝倉になる。ベースに触り、有希になる。</p> <p> </p> <p>そして、キョンのトランペットを触った。その鉄のかたまりをみて、何故か目をとろんとさせる佐々木さん。</p> <p>マウスピース(笛口)を自分のハンカチで拭き、息を吹きかける。緊張からなのか、少し赤面している。</p> <p> </p> <p>それを見て、あたしは。<br /> 何でだろう。何でだか分からないけど、ものすごく、叫びたい。</p> <p> </p> <p>突然襲ってきた感情に戸惑う。</p> <p> </p> <p>…佐々木さんは、キョンになろうとしてる。 <br /> あたしについてきてくれた、あの音を、あのトランペットで出そうとしている。</p> <p>あんなに情けない音でも、それはキョンなんだから。<br /> ほかのうまい人達じゃ、絶対に表せないはずのキョンの音だから。</p> <p>何故か知らないけど、キョンの偽物なんて、絶対に絶対に聞きたくない。</p> <p>「やめてっ!」</p> <p>必死に、声にならない声を出そうとする。でも、声は出ない。</p> <p><br /> 決意したように、佐々木さんは、キョンが吹いていた笛口に口を付ける。そして、すぐに吹き始める。</p> <p> </p> <hr /><p align="center">長門・2</p> <p align="center"> </p> <p>「なんかちょっと、有希の気持ちが分かった気がする」</p> <p> </p> <p>その日の夜。東京・秋葉原の普通の喫茶店。最近はしゃれたお店も多い。<br /> 駅前のビルの中にあるこの喫茶店は、夜景がとてもきれいな場所だった。</p> <p> </p> <p>「と言っても泣き出すことはないだろ」</p> <p> </p> <p>だって泣きたかったんだもん。えっ…ええと、別にあんたのためじゃないわよ。<br /> 単にあの情けない音を二回も聞かされると思うとうんざりしただけ。</p> <p> </p> <p>「…そんな事いわれると、俺だって落ち込むぞ」</p> <p> </p> <p>あ、やばい。こいつ、本気で落ち込んでる。<br /> 肩を叩いて、ちょっと笑ってやる。ほんと、やれやれ、ね。</p> <p> </p> <p>ガラス窓をみる。</p> <p> </p> <p>キョンのやる気のない顔が、光に照らされている。 ポニーテールのあたしが写っている。 <br /> その向こうに透ける光の列。</p> <p> </p> <p>「長門が俺たちを呼び出した理由って、なんだろうか」</p> <p> </p> <p>夜景が本当にきれい。真珠のような光る点を見つつ、あたしは言葉をつなぐ。</p> <p> </p> <p>「仲直りしたかったり、してほしかったり、したんじゃないの。どうせだから、全部まとめて」</p> <p> </p> <p>路上ブルースバンドへの飛び入りの時、有希は楽しそうだったらしい。</p> <p>有希はそのとき、今までの苦しいだけの音楽じゃなくて、『楽しい音楽』をまた見つける事ができた。 音楽が『好き』か『嫌い』か、じゃなくて、音楽が『楽しい』か、『楽しくない』かが問題だってわかったから。</p> <p> </p> <p>あの『楽しい』音楽なら、また佐々木さんと会うことができる、みんなが仲直りできる。<br /> 人間だって『好き』か、『嫌い』か、で分類するんじゃない。一緒にいるのが『楽しい』か、『楽しくない』かが問題なのよね。</p> <p> </p> <p>「ああなるほど…『どちらでもいい』ってそういう意味か…」</p> <p> </p> <p>キョンは一人で勝手に納得してる。ちょっと不機嫌になったあたしは横を向いて、夜景を眺める。</p> <p> </p> <p>それにしても、キョン食べるの本当に遅いわね。罰金よ罰金。</p>