スイング・第九楽章
<div align="center">廊下にて</div> <div> <p><br /> 寝室の奥から聞こえる涼宮ハルヒの着替えの音。<br /> ドアに耳を付け、聞き入る、とある人物の影。<br /> クリーニングロット(楽器の中の部分を掃除するための棒)を寝室に置き忘れたので、わたしは少し離れたところで、彼女の着替え待ちをしている。<br /><br /> その人物に警告はしない。彼の運命は、既に予想できているから。<br /><br /> 「ふっふっふ…キミは確か谷口くんとやら」<br /><br /> そう、ここでまず佐々木さんに見つかる。そして、羽交い締めにされる。<br /><br /> 「WAWAWA…もう少し胸があったら気持ちいいのに、まったくもったいないぜ…」<br /> これは予想外の言葉。わたしとしては到底(とうてい)容認できず、それは彼女も同じはず。</p> <p> </p> <p>彼女の雰囲気が一気に黒くなる。</p> </div> <div> </div> <div> <p align="left">「涼宮さ~ん、のぞきです!」<br /><br /> ドアが開き、わたしたちの団長…涼宮ハルヒが部屋から出てくる。<br /> 無論、表情はやや黒みがかっている。<br /><br /> 「佐々木さん、どうする、この男」<br /> 「腹に思いっきり跳び蹴りでお願いします」<br /> その人物はすぐに慌てた顔になると、私に気づき、言う。<br /><br /> 「助けてくれぇ…ええと、長門有希…さん、胸がないからAマイナー」<br /> やがて予想以上の、とても、とても、とても大きな悲鳴が響く。</p> <p align="left"> </p> <p align="right"><br /> 始まる。</p> <p> </p> <hr /></div> <div align="center"> <p>Ekaterina(エカチェリーナ・ロシアでの女性の一般的な名前)</p> <p> </p> </div> <div align="left"> <p>ここはわたし、長門有希のマンション。いろいろな事情があって、ここに一人で住んでいる。 今日ここにいるのは、涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、ジョン・スミス…要するにKKK団全員と、国木田、谷口と呼ばれる人物。<br /><br /> 涼宮ハルヒは彼に怒鳴っている。<br /> 「ねえキョン、なんでこんな奴連れてきたのよ」<br /><br /> わたしも無言で肯定する。彼は何でこんな人物を連れてきたのだろうか。<br /><u><em>わたしにも一応胸はある</em></u>。胸がないからAマイナーとは、失礼にもほどがある。<br /><br /> 「まあまあ、これでも中学時代、パーカス(パーカッション・打楽器の総称)だったんだよ。腕は悪くないと思うんだけどなぁ」<br /> ベースのピックを持った国木田…くん付けはするべきだろう。楽器はベースである。見た目、谷口…くんよりはまともそうだ。<br /><br /> 国木田くんは佐々木さんを見つめ、へぇ~と言ってから<br /><br /> 「佐々木さん、お久しぶり。『神童』から『神』って言われるまでに成長してるみたいだね」<br /> 「どうも。転校先ではジョンと一緒によくお世話になったね」<br /><br /> 佐々木さんはちょっと笑う。</p> </div> <div> <p>そして、谷口くんは佐々木さんをのぞき込むと<br /> 「これが『神童』の現物かぁ…写真で見たところ、もう少し胸があったように見…」<br /> 「涼宮さん、腹に思いっきり跳び蹴りでお願いします」<br /><br /> 皆が笑う。わたしもぎこちなく笑う。<br /> 彼らはわたしを『復活』させるために集まってくれた。本当に、ありがたいことだと思う。 </p> <hr /></div> <div align="left"> <p align="center">師匠</p> <p> </p> <p>佐々木さんは朝比奈さんを見つつ言う。</p> <p>「師匠…こんなわたしたちですが、どうか笑わないでください」<br /> 「だから、師匠はやめてくださいぃ~」<br /><br /> わたしと佐々木さんは、朝比奈みくるを師匠と呼ぶことにした。<br /> 彼女は『音楽を使ってストレス発散』というすばらしい技術を編み出している。<br /> 『音楽のストレス発散』であった私たちにとって、これは暗闇の一筋の光に等しかった。<br /><br /> 彼女は、心の闇を音楽にすることができる。<br /> わたしたちにも表現力が無いわけではないが、まだまだ彼女の黒さにはかなわない。<br /><br /> 「持ち替えもできません…『神』様に師匠といわれたら、重圧であたし…」<br /><br /> 例の微笑み。<br /><br /> 「…もっと黒くなっちゃいますぅ!」<br /><br /> 通称、悪魔の微笑み。この状態の彼女にピアノを触らせると、即席でロシアンルーレットの雰囲気が楽しめる。 </p> <p> </p> </div> <div>朝比奈みくるは、わたしの楽器防音室に入ると、ピアノに触る。</div> <div> </div> <div><strong>曲目『幻想即興曲』</strong></div> <div> <p> ショパン 作<br /><br /> この雰囲気の良い曲も、悪魔の微笑みの手にかかれば、初犯による暗黒殺人曲へと変わる。<br /><br /> 周りを見回す。皆、無言。<br /> わたし含め、皆が闇に浸食されないうちに…わたしは立ち上がると、防音室の大きな扉を閉めた。<br /><br /> そこに存在する人達はまさに水を得た魚ならぬ、空気を得た人間となる。<br /> 涼宮ハルヒ…普段師匠を空気とか言ってるくせに、朝比奈みくるの音がなくなったとたん、口をパクパクさせるとは。<br /><br /> 佐々木さんはあたしを見つめ、<br /> 「あなたとはこれから、同じ師匠の、仲間ね」</p> <p><br /> 微笑んで、言う。<br /> 「もう一度…」<br /><br /> わたしも、ぎこちなく笑って、言う。<br /> 「あなたと…」</p> </div>