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親愛の情 - (2007/01/14 (日) 06:09:09) の編集履歴(バックアップ)


『親愛の情』

※「敬愛のキス」という話のキョン視点バージョンです。



突然だが、男女の違いってのは色々ある。心身ともにな。
同じ人間であるのに差異がついた理由は諸説様々だ。
最も有名なのはアダムからイヴが創られた、って話だな。
因みにうちの団長さまはこの説が一番お気に召させない。
『男が先に創られたなんてナンセンスだわ!』
と、あたかも自分がアダムの肋骨でできたのだと言われたか如く憤慨しておられた。
じゃあリリスにでもなればいい。アダムと同時に創られたそうだし、しかも悪魔を産んだ女。ぴったりじゃないか。
と言ったら殴られた。2発も。

その暴力的な団長さまは俺の背後で鬱々ど真ん中。(現在進行形)
何故かって?
推測でいいなら答えてやってもいいが、俺も年頃のダンシコウコウセイな訳で、その単語を思考の最前列に浮かべるのはちょっと抵抗がある。
だから代名詞で勘弁してくれ。
つまり──『アレ』だ。
月一の厄介事が始まってしまったらしい。
初めてそれに気付いたときは内心かなり動揺したもんだが、付き合いがここまで長いと今や慣れたもんである。
今回はかなりキツそうですねハルヒさん、という感想もつけられるくらいにな。勿論口には出さんが。
とにかく今日のハルヒは朝からずっと机に突っ伏したままで、かなり調子が悪そうだ。
俺の背中をシャーペンの先で突つくという茶飯事が3時限目達しても皆無であるということも、ハルヒの体調の悪さを如実と語っている。
ただ偶に射るような視線を背中に感じるのは何なんだろうね。

今は数学の授業中。教師が三角関数の合成とやらの成り立ちを証明している。
うむ。さっぱり分からん。
そもそもサインやらコサインやらを作り出した人間の気がしれない。何をしたかったんだ?俺の人生に役に立つとは思えんぞ。
この間のテスト勉強の際、『三角比とは角度ではなく直角三角形の辺の比だ』ということはよぅっく分かった。後ろのハルヒ教官さまのお陰で。
しかし新たに追加された公式たちはかなりの強敵で、助力無しで立ち向かうのは無謀なようなだ。
一応黒板の証明をノートにとっておく。あとはハルヒに聞こう。後日に。今日は無理だろうからな。
俺が急いで書き写し終えると授業は問題演習に入っていた。
当てられないことを祈りながら、ちらりと背後を見やる。やはりハルヒの頭しか見えない。
やれやれ、とため息をひとつ吐きながら視線を元に戻した。
不幸にも当てられたクラスメイトが各自黒板に解答を書いている間、俺は無人のグラウンドを眺めながら先週末のことをそれとなく思い出していた。
SOS団恒例の不思議探索。午前中は長門と図書館に行き、午後は朝比奈さんと古泉と3人で当てもなく歩き回った。
――そういやハルヒとペアになったことないな。
不思議探索で俺はハルヒと二人になったことが一度もない。くじ引きなのだから確率からいって一度はありそうなんだが。
それはハルヒが望んでいるからか? ──いや、どちらかというと雑用係の俺を連れまわすことが出来なくて、心の底から地団駄を踏んでいるように見える。
待てよ。一度だけペアになったこともあるな。必然的に。あの閉鎖空間の後に示し合わせたように他の3人が休んだときだ。
けれど、あのときの一回はハルヒの中でカウントされていないのだろう。くじ引きで偶然に、というヤツに何故かハルヒは拘っている。ような気がする。
ホントよくわかりません。女、もとい涼宮ハルヒというヤツは。


拷問のような数学の授業が終わって、俺は体ごと後ろを振り向いた。
やはり突っ伏したままの格好。そんなに辛いのか? 男の俺には一生理解できんが。
数秒躊躇って、結局声をかけた。なんとなく。
「ハルヒ」
ピクリとハルヒの肩が僅かに動いた。反応が鈍い。もしかして寝てたか?
少し間を置いてハルヒが気だるそうに顔を上げた。顔色があまり良くない。
そりゃあ血が足りてな──いや、なんでもない、スマン。
ハルヒの虚ろな目が、休み時間になって少し騒がしい教室に注がれる。
いつもならプレアデス星団も裸足で逃げ出すくらい輝かしい瞳が雨雲みたいにどんよりだ。
「なんか調子悪そうだな。大丈夫か?」
俺なりの気遣い。ありきたりのセリフだが一応心から心配しているのは察知してくれ。
その思いが届いたのか、ハルヒは僅かに表情を和らげた。
らしくない。実にらしくないぞ、そんな顔。
何だかんだ言って、俺はいつもの暴走ハルヒを相手にしている方が落ちつくらしい。かなり迷惑を被るにも関わらず。俺も末期だな。
──おい、今何か企んだだろう。
ハルヒがふと何かを思いついたような顔をして、こっちを向いたのだ。同時に背筋がぞくりとした。良くない予感。
目が合う。ちょっとだけイキイキ復活しているぞ。
さて何を言い出すことやら……
しかしハルヒは何か言いかけて、口を半開きのまま停止した。
「……」
「? どうした?」
内心、とんでもないことを抜かすんじゃないかとヒヤヒヤしながら促してみる。
いつものハルヒならここぞとばかり捲し立て始めるのだが、今回は珍しく口を噤みそっぽを向いた。
「……何でもないわよ」
そうですか。いや、思いなおしてくれてアリガトウ。今までの経験上、お前の思いつきによって俺の心の平安が乱されるのは必須事項だからな。
しかし何を言おうとしたんだろうね。今更ながら気になった。コイツが言い澱む事とは一体何なのかと。
まあ聞いたら聞いたでやはり後悔するような事なんだろう。
そろそろ休み時間も終わる。4限目もこいつは机に伏したままでい続けるのだろうか。
「酷いようだったら保健室いけよ?」
そっぽを向いたままのハルヒの横顔にしばしの別れの挨拶。
ハルヒは俺の言葉に何の反応も示さなかった。どうやら憂鬱が復活したらしい。やれやれ。


昼休みになるや否やハルヒは教室を出ていった。
学食か? それとも保健室か? まあ、このまま昼休みも机に突っ伏したままだったら保健室に連れていってたがな。
カバンから弁当を取り出し、いつもの面子と向き合った頃ハルヒがまた教室に戻ってきた。
自分の机に戻り、カバンをゴソゴソといじってから再び教室を出ていく。俺は横目でその後姿を見送った。
いつもより足取りが重そうなのは気のせいではないだろう。
「キョン、今日はいつもより涼宮さんのこと気にしてるね」
正面でジュースを片手に国木田がそんなことをさらりと抜かした。今シュウマイを喉に詰まらせたらお前のせいだぞ。
「なんだよキョン。とうとう涼宮と付き合いだしたのか?」
「断じて違うぞ。それに国木田、『いつもより』とはなんだ。俺がいつもハルヒを気にかけているような言いぐさじゃないか」
谷口のアホをあしらいつつ、俺は国木田に訂正を求めた。しかし当の国木田は「ああ、無意識なんだね」と変な納得をしやがる。
昔から俺に対するこいつの認識はどうも誤解があるようだ。いつか是正せねば。
「まあ確かにアイツ、今日は珍しくおとなしいな」
谷口がハルヒの机の方を見やる。ハルヒの不調は谷口にまで丸分かりなようだ。そりゃ午前中ほとんど机に伏していれば嫌でも目に付くか。
「具合でも悪いんだろ」
「ふーん……もしかして『アノ日』だったりな」
おい、谷口。今ご飯二十粒(推定)を危うく気管の方に導きそうになったぞ。免れたが。
俺は何も言わずゆっくり弁当箱を置いて谷口のアホ頭にチョップをくらわした。いい音したな。
「いてっ!」っと呻き谷口は頭を抱えた。自業自得だ。
まったく、おまえは小学生か。思っても口にするんじゃない。しかも食事中に。
俺は胸に溜まった理由なき不愉快を弁当の残りで押し込めた。


さて昼休みも終わって午後の授業になったわけだが、ここで一つ懸念事項ができた。
俺の後ろの席が空なのだ。
ようやく保健室にでも行ったのだろう、と冷静に判断する一方、今すぐにでも探しに行きたい衝動にかられる。
いると気苦労が絶えないわけだが、いなければ不安になる。凄いヤツだなハルヒは。というか俺がそれだけあいつの存在感に毒されているのか。
というわけで俺は5限が終わるとすぐ保健室に向かった。しかし空振りに終わる。どこ行ったんだ、アイツは。
他を探し回るには時間が無さ過ぎた。俺はすごすご教室に戻り、6限の授業中教室の時計の秒針と分針の追いかけっこを睨みつづけていた。
そんなことをしても時間が短縮されるわけではない。寧ろいつもより長く感じて損した気分だ。
その億劫な午後最後の授業中に出した推論は、「ハルヒは部室にいるんじゃないか」ということだ。
だから授業が終わるとすぐ部室に向かった。いつもより倍速で。

文芸部室のドアをノックする。返答がない。
扉を開くとやはり長門がいた。
そして。
やはりというかなんというか──午前中まで俺の後ろにいた本日絶不調の団長さままでおまけにいらしゃった。
俺は大仰に溜息を吐く。人の気も知らんでスヤスヤ夢の中だ。忌々しいことこの上ない。
長門は案の定だが無反応。黙々とページを捲り続けている。そろそろ今手にしているやつは読み終わりそうだ。
ハルヒは団長席ではなく、いつも俺が座っている席に腰をかけたまま長机に伏して熟睡していた。肩にカーディガンがかけてある。
側にオレンジジュースが2個置いてあった。片方にしかストローが刺さっていない。もしや昼飯抜いたんじゃあるまいな。
近づいてストローが刺してある方を持ち上げて振る。空だった。それをゴミ箱に捨てようとして、もう一つのジュースの側に転がっている銀色の小さなものを見つけた。
薬のパッケージだ。ナルホド、鎮痛剤か。睡眠促進作用もあるからな、おかげで眠ってしまったんだろう。
その空のパッケージも拾いまとめてごみ箱に捨てた。

パタンと本を閉じる音が部室の隅から聞こえた。
長門が読み終えたらしい。今まで読んでいた本を本棚に戻している。
次の本を手にするのかと思ったら、手ぶらのまま透明な目でこちらを見た。
「? どうした?」
「──今日は帰る」
え、もうか? まだ下校時間ではない、というか放課後は始まったばかりだと思うが……
「今日読むべき本はもう読んでしまった。予定外なので次に読む本を用意していない」
「──予定外?」
「そう」
なんだ? 本の厚みに対して文字数が少ない本だったのか?
「違う」
つ、と長門はハルヒの方に視線を移した。
「彼女の体調が芳しくなかった。起すのも憚られた。なので私もここにいた」
「──もしかして昼休みからか?」
「そう」
で、午後の授業中ずっとここで本を読んでいたから、予定よりも早く読み終えてしまった、と。
「それに彼女がこの状態なら今日は休みにするべき」
至極ごもっともな意見を長門が言った。長門がそういうならそうすべきだろう。しかし決定権はなぜ俺に譲るかね。
「じゃあ、まだ来ていない朝比奈さんや古泉にも伝えた方がいいな」
「朝比奈みくるには私から伝える。古泉一樹は今日学校に来ていない」
あー……なんとなく分かったぞ。午前中のハルヒの様子からみりゃ、神人も一暴れしてんだろ。ご苦労なことだ。
しかし、だ。もしかして古泉はハルヒの『コレ』に関して毎回察知していたりするのか?
──なんか、今ちょっとムカッ、とか、モヤッとしたのは、昼休みの谷口に対するものと似ているな。
正直頗る不愉快だ。理由は不透明だし、俺がそう感じるのはかなり筋違いなのだろうがな。

長門は自分の鞄を持って扉に向かった。俺は慌てて長門を呼びとめ、ハルヒの肩にかけてあったカーディガンを指して言う。
「これ長門のだろ?」
「いい。明日返してもらう」
「でも、夕方は冷えるぞ?」
「だからこそ彼女にかけておくべき」
「これから図書館にも行くんだろ? お前のことだから帰る頃には日も暮れているだろうさ」
じゃあどうすればいいと言いたげな目で見つめられた。いや、お前も中々頑固だな。
さて長門もハルヒも凍えさせない打解策は一つしかない。
「ハルヒなら大丈夫だ」
と俺はハルヒの肩のカーディガンを剥ぎとって自分のブレザーを代わりにかけた。カーディガンを長門に返す。
「……」
長門は了承したように僅かに首を傾げた。


長門が去って俺は部室に眠り姫と共にとり残された。成り行き的に俺はコイツが起きるまで待つことになってしまっている。下校時間までには起きてほしいものだ。
俺は空いているパイプ椅子をハルヒの隣りに置いて腰掛けた。
何もすることがないので、頬づえをついてしばらくハルヒの寝顔を眺める。
ホント無邪気な顔してやがる。イタズラ書きしたくなるぞ。
まあ今回は芳しくない体調に免じてこれくらいで許してやる、と俺はハルヒの頬を軽くつついた。
起きるか?とも思ったがハルヒはむにゃむにゃと寝言らしいことを呟き少し身動ぎしただけで、また夢の中に帰っていった。
午前中の物憂げな表情どこへやら。薬が効いてるんだろう。効き過ぎて寝てしまってはわけないがな。
今ので肩に掛けてあるブレザーが少しずれた。さっき急いで引っ掛けたからな。俺は側に寄って丁寧に掛け直してやる。
ハルヒの肩は俺のブレザーにすっぽり包まれてしまった。なんだか寝顔と相乗効果で可愛らしさ6割増しだぞ。
視線を机に投げ出されたハルヒの左手に移す。当たり前だが小さい。
自分の右手を重ねてみるとより実感できた。細い指。馬鹿力のくせに。
身を乗り出したせいでハルヒの顔が近い。こんなにまじまじとハルヒの顔を見たのは初めてかもしれない。
艶やかな黒髪。長い睫毛。通った鼻筋。形のよい唇。尖った顎。白い柔らかな頬──
ハルヒは女なんだ、と改めて思い知る。
軽い衝撃が胸に走った。
そして俺は無意識にハルヒの頬に口付けていた。

いや、何血迷った俺。誰か首吊り用のロープくれ。そうかこれは部室の魔窟化のせいか。思考が支離滅裂だな。落ちつけ。ゴメンそれ無理。

──ダメだ。降参だ。コイツの寝顔はとんだ魔力が秘められている。俺はこの魔力に抵抗できん。寧ろもう魅了されている。
このまま眺めていたら、もっととり返しがつかないことしそうな俺がいるぞ。逃げろハルヒ。いや俺がか。
しかし、この場から立ち去るわけにもいかない──
ああそうか、俺も寝てしまえばいいのか。寝てしまおう。夢の世界に逃亡だ。
ハルヒの寝顔を見続けることも、何かしでかすこともできなくなる。まさに良案だ。
おれはそのまま机に伏した。右手をハルヒの左手に重ねたままで。一刻も早くこの状況から離脱しなくてはならなかったからな。


覚醒時にはまず触覚が働くようだ。
暗闇の中、俺は『くすぐったい』という感触が芽生えたのを意識した。
どこが? 手の甲だ。なんか撫でられている。
その外部情報と辛うじて覚えていた睡眠前の記憶によって脳がある結論を導いた。

ハルヒ、か? 起きたのか? て、何している、くすぐったいだろうが。やめれ。

今すぐ目をあけてもよかったのだが、俺の心拍数が3倍速になるようなもう一つの事実に気付いた。
撫でられている俺の右手は何かを握っている。その何かは小さくて華奢でそれでいて柔らかい──ハルヒの手。

え、なんで俺ハルヒの手握ってんだ?いつの間に。起きていた時は重ねただけだったぞ。こんな固く握った覚えなんぞない。

マズイ。恥ずかしい、死にたくなるほど恥ずかしい。
どう言い訳する。どう考えてもこの握り方は『ハルヒが握らせた』のではなく『俺が自発的に握った』形だ。
俺が目を覚ましたらハルヒはどんな顔をしているだろう。どうかあのアヒル口でにんまり笑いかけてはほしくない。
それはハルヒの尋問スタートを意味する。そしてどう言い訳しようと最後には『絶対不可侵の団長様に寝惚けていたとはいえこの狼藉は大罪だわ!』と言って罰金が加算されるのだ。
と、俺が現実的に有り得そうなことを想像し、それだけで気が重くなったところで、
またしても驚くべきことが起きた。
さっきまで撫ぜられていた右手の甲に何か柔らかいものが押し当てられた。一瞬だけ。

え?

ハルヒさん? あなた今何をしました?
人が寝ている(本当は起きているが)とは言え随分と大胆なことをなさってくださるじゃありませんか。
いや、俺も人のことを言えた立場じゃあないんだがな。自分がした『ソレ』よりは『コレ』はまだ軽度だし、って──だぁっ!思い出すだけで死にたくなる!!
今日は羞恥デーかよ。誰だよ俺をこんな状況に置いたヤツ──ああ、俺自身か。やっぱり一回死んだ方がいいぞ俺。
まったく、こんな恥ずかしいことはトップシークレットだ、絶対に。俺の右手の甲も、ハルヒの頬も。
誰にも教えんぞ。俺だけの秘密だ。


さて、俺はそろそろ叩き起こされるようだ。ハルヒの「よし!」という無意味に気合いを入れた声が聞こえたからな。
起すならさっさと起してくれ。お前の顔を見て握った手に対する言い訳を考えるから。
それに実は少し肌寒い。ブレザーをハルヒに貸しちまっているからだ。
この分だと外は暗くなっていることだろう。仕方ない。遠回りになるが家まで送っていくか。


ハルヒは女で俺は男なのだから。


――終わり