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冬風のマーチ - (2007/01/29 (月) 16:09:53) の編集履歴(バックアップ)


2月も下旬から3月にさしかかろうとしている。
枯れ葉も冷えた風に吹かれ過ぎるのが嫌で有給でもとったのだろうか。
舞う葉すらなくなったと思えるくらい強い風がこの辺りを寒さで包んでいる。
暖かい季節を待ち遠しく思えながらもまだ続くと思われるこの寒さにおれはため息を漏らしていた。
まあ、おれがため息を漏らしていたのはそんなセンチメンタルな理由だけじゃない。そんなに繊細でもないと我ながら思ってるしな。
そう、その理由の一つが目の前で繰り広げられている光景だ。いつものことだが。
「あんたも参加すんのよ、いいわね!」
毎度お馴染み涼宮ハルヒが教室で会話をしていた。
というかこの怒鳴り声は会話と呼ぶに値するのであろうか。おれならば恐喝と答えるであろう。
しかしいつもと違う点はその話し相手はおれではないということだ。
なぜならおれは今現在、自分の席でその会話と呼ぶも危ぶまれるやり取りを呆れ半分、申し訳なさ半分で聞いていたからだ。
よけい話がこじれるだけだろうから手もださない事にする。
では一体誰と話しているのかと言うと...
「いや、そりゃ力にはなりたいけど、僕にもやらなくちゃいけないことがあるしさ。」
国木田である。
「力になりたいならなってあげなさいよ!来ないと罰金にするわよっ!」
まさしくお構いなしである。
「そんな急に言われても...とりあえず困るよ涼宮さん。」
ガミガミ喋るハルヒと腰低く曖昧な笑顔を浮かべる国木田。これを恐喝と呼ばなくてなんと呼ぶ。

しかしなんて珍しい組み合わせだろうか。入学当初はクラスの誰とも関わりをもとうとしなかったハルヒがクラスの真ん中でわめき散らしている。
コイツも大分変わってきたな。いや、それもわかっちゃいたんだが、少し離れたところから見てみるとそれが顕著に現われているのがわかる。
なぜかおれは嬉しいような、安心するようななんかよく分からん気分になっていた。
まあ、国木田はおれもよく一緒に行動するし、無理矢理コラムを書かせたこともあるぐらいだから話しやすいのかも知れないが。
ちなみに周りのクラスメイト達はハルヒのこの性格にまだ少し面食らっているようだ。これでも大分慣れているんだろうがな。
「僕だって余裕ってわけじゃないんだよ。僕自身しっかりやんないと本末転倒だし...」
今度はニヤついている。実に楽しそうである。国木田は相変わらず曖昧な表情のままだ。
「あら、あんたならこのクラスじゃあたしの次くらいに大丈夫よ。保証してあげるわ。」
ちなみにハルヒの「保証」が役に立った記憶は、今のところ、無い。
どうせ適当に言っているんだろうと勘ぐってしまうくらいだ。
「そう言われるのは嬉しいけど。でもそれとこれと....」
国木田のささやかな発言に耳を貸すこともなく、ハルヒはぐいっと顔を国木田によせる。ノリノリだ。
あいつがノリノリなら、おれは大概へろへろである。今回ももちろん例外ではない。
「だから、今日はあんたも来るのよ。いい?来なかったら懲役にするわよ。うちの部室でとことん労役を科してやるわ。」
「ちょっと聞いてる?涼宮さん。」
無駄だぞ国木田。それがハルヒだ。
とうとう国木田は観念したようにため息をついた。
「わかったよ、涼宮さん。だからとりあえずその手を離してくれない?」
ハルヒはいつものしたり顔をする。思い通りとも言いたげだ。
「最初からそう言えばいいのよ!」
.....一段落したか。
そろそろ帰りのHRが始まるな。岡部が来るまでもう少しかかるだろうが。
ちなみにおれはこのやり取りには一切手を出さなかった。徒労はごめんだからだが、それはいつものことなので慣れている。
それ以上におれは手を出したくないと思う理由があった。
なぜならこの会話の内容はおれに深く関係していたからである。
...凹む、鬱だ、メランコリーだ。
己の浅はかさを深く自戒する。ま、その気持ちも次の日には消えてるかもしれないけどな。
なぜおれが深く関係しているのか。それもついさっき始まった話なんだよな。



6限目が終了したあと、おれは自分の列の分の宿題を集めて担任に提出した。
こういうのは普通列の最後尾がやってしかるべきなのだが、おれの親切改めハルヒのものぐささのお陰でおれが集めていたのだ。
集めて岡部に渡したとき、やつはこんなことを口走った。
「お前、今度の試験、本当に大丈夫なんだろうな。早く心を入れ替えないと近いうちに大変なことになるぞ。」
..多分こんな感じだ。いつも言われていたことだったし、自分の席に戻った時にはもう正確には思い出せなかった。
そう、試験。進級するための最後の関門。学期末試験が控えているのである。。
そんなにおれはやばかったか?おれより谷口に言ってくれよ。あいつがああだからおれも大丈夫かなって思ってしまう、のは流石に冗談だが
そんなに下の方にいた覚えは無い。おれの意識が低すぎるだけなのかも知れないが。
だが、試験前に言われるとどうもそわそわする。いらぬ不安が芽生えるだろうが。こうしておれはいらぬ不安を抱きながら席に着いた。
そしてその不安の一つがおれの背中をシャーペンで突っついた。
「なにその落ち着かない感じ。岡部に何言われたのよ。」
ま、予想通りさ。何事もないようにおれは振り返る。
「試験は大丈夫なのか、ってよ。今更の話だ。」
半分うつぶせのハルヒは少し見上げるようにじとっとおれを見ている。
「なに開き直ってるのよ。テスト前に言われるのって結構重傷なんじゃないの?」
「滅相もない。おれはいつも通り普段どおりだ。」
ハルヒは窓に顔を向ける。木ですら寒さに凍えているようだ。
「それが問題なんでしょ。普段のあんたに何の問題も無いなら岡部もなにも言わないわよ。」
ご最もで。わかってんだけどなそんなこと。
「ふうん、あんたがねえ。まえも言ったけどウチの団から落第生なんてごめん被るわよ。今日の部活から勉強合宿でもやる?」
「それこそごめん被る。これ以上おれの胃を締め付けるようなことはやめてくれ。」
ハルヒは立ち上がりながらぼやいている。そういえばもう掃除の時間じゃねーか。
「何いってんのよ。あんたはホントに追い詰められないと何もやんないんでしょ。夏休みがそうだったしね。」
ああ、あの永遠の夏休みか。確かにあれほど追い詰められたのも多分初めてだろうな。追い詰められたというか、なんともアホな話だったな。
おれはあえて無視した。
「掃除だ。椅子上げろ。」
軽く睨むハルヒ。これもいつも通りさ。


只今掃除時間。おれはなるべくハルヒから離れていつもの二人と掃除をしていた。持ち場が違ってて助かった。
箒でゴミを集めながら国木田がおれに話し掛けてくる。
「そう言えばもうすぐテストだよね。どう?対策かなんか進んでる?」
掃除時間にテストの話題に触れる時点でおれとはテストに関する心構えが違うよな。
そしたら、ちりとりを持った谷口が実に嫌そうにため息をつく。
「そういう話はやめてくれ。テストの話なんてしたくないね。」
うむ。全く同感だ。
「でもさ、そろそろ取り掛からないと危ないよ。特に谷口はもうちょっと緊張感を持った方がいいよ。」
ゴミを集め終わった谷口がゴミ箱に向かいながら反論する。
「なんでおれだけだよ。キョンもおれと同じくらいあぶねーっつの。お前の対策が万全ならちょっと教えてくれよ。」
ちょっと待て谷口。今のは同意しかねる。
「おれの成績がそこまで落ちた覚えは無い。」
「へいへい。」
不機嫌そうな返事をする谷口。横から国木田がおれに不思議なことを言ってきた。


「キョンの成績は詳しくは知らないけど、まあなんとかなるんじゃないかな。」
何言ってんだ?なんで何とかなる?お前がそう言うのなら勉強しないぞおれは。
「なんでそう言い切れるんだ?おれはお前みたいに優秀になった覚えも無いぞ。」
国木田はわかってるくせにと言ってるように笑ってる。いや、さっぱりわからんぞ。
「だってさ、よく涼宮さんがキョンの勉強を見てくれているじゃないか?」
やっぱりわからんぞ。すると谷口がわざとらしいため息をつく。
なんだこいつらは。二人しておれをからかってるのか?
「そうだよなぁ。お前には涼宮がいるんだよな。羨ましくないけどな。」
大きなお世話だ。
「何バカなこと言ってんだ二人とも。第一あれが役に立ったっていう自覚は無い。」
「そうなの?どっちも結構楽しそうだったじゃないか。」
「なんなら代わるか国木田。」
国木田はあははと笑っている。マイペースって言うのかこれも。
「いや、遠慮しとくよ。僕じゃつり合わないしさ。」
微妙にぼかしてかわす国木田。言葉を選ぶのが上手いな。
「さ、机を戻さなきゃ。そろそろチャイムが鳴るし。」
まさしくいつも通りの学校生活の一ページだった。


掃除を終え、帰りのHRのために岡部がくるまで暫く時間が空く事になる。
ハルヒが国木田と絡みだしたのはその時のことだった。
そんなやつがおれに一言。
「キョン。今日から勉強会やることにしたから。だからこのテストでいい成績を修めなさい。」
いきなり何を口走ってんだコイツは。
「は?」
「だから、部活で勉強みたげるって言ってんの。夏休みみたいに前日でどうにかするのはナシだからね。」
「そんなことわざわざしてもらわなくてもだな。おれも自分で何とかするから全力で遠慮する。」
おれは心にもないと自覚して言った。なんとかなるのか、我ながら少々不安だ。
案の定ハルヒはおれの言葉を全く信用していないようだ。
「何とかなるならもうなってるわよ。これもいい機会だわ。たまにはこういうのもいいわよ。
ウチの団全員が好成績を修めれば教師も生徒会もおとなしくなるに決まってる。うん、やるしかないわね。」
自分で言い出したことに自分で納得して会話を終了させようとしている。壮大な独り言ならおれを巻き込むなよ。
「大体、お前の解説が絶対正しいなんて自信があるのか。」
「へえ、いい度胸じゃないの。言っとくけどあんたにだけは言われたくないわよ。有希も古泉くんもいるんだし大丈夫よ。」
確かに、ハルヒが問題に悩んでる姿なんて想像がつかない。
だが万が一ってものがあるだろう。長門が問題を教えてくれる姿も想像できないし、古泉になんて教えられたくない。
何気なく息を吐き、おれは少し灰色に染まっている空を窓の傍から見上げていた。
もちろん窓は開けてない。そんなことができるほど、おれはこの寒さと仲良くなれそうにない。
おれはあくまで夏が好きなのさ。こればっかりはどうしようもないね。
「でもそうねえ。先生役も他にいた方が見栄えがあるわね。」
おれの憂いなんてなんのその。見栄えなんて勉強とは極めて関係ないことを気にし始めた。
その時急に思い立ったようにハルヒは国木田の席へ向かい国木田と話を始めた。
ハルヒはいい笑顔を浮かべている。コイツがこんな顔をする度におれは寿命が縮むほど疲れる目に遭うのだ。
「国木田。あんた今日はちょっとあたしのとこに来なさい。」
当然だが国木田は意外そうにハルヒの方へ振り向いた。
そして今に至る、というわけだ。
この流れがまるで思わぬ方向へ向かうことなど、このときのおれはは知る由も無かったんだがな。


教室に岡部が入ってきて、みんな習性なのだろうと思わせるほどスムーズに席に着く。
テスト前の激励のようで説教のような担任の一言も淡々と終わり、帰りの挨拶をして担任が出て行く。
さて、部室へ向かうかな、と鞄を持って立ち上がったその時。涼宮ハルヒはここからは私の時間と言いたいがごとく行動を開始した。
もちろんおれには嫌な予感が全身に走り、それはまもなく現実のものとなった。
いきなりおれのネクタイを引っ張る。
「うおっ、ちょっと待て!ちょ、首が絞まるっておい!」
おれの必死の抗議を無視して走っている。
このまま教室を出る、と思ったらそうではなかった。
国木田の席に直行し、そのまま国木田のネクタイも掴んだ。
「わっ、涼宮さん。僕まだ帰りの準備ができてな..」
「そんなの中身全部鞄に突っ込めばいいのよ。」
ハルヒは片手をネクタイから離し国木田の鞄に荷物を全部つっこんで、再びネクタイを掴んだ。
「じゃあ行くわよ!」
そしてそのまま教室を颯爽と出ようとする。
もちろん国木田も抗議をする。
「苦しいって。とりあえず離してよ。」
激しく同感だ。いいから離せ。そう思ってそのまま教室の扉をでようときおれは扉にしがみついた。
奇遇や奇遇。国木田も教室の端を片手で掴む。
「離せハルヒ!窒息死させる気か。」
「少し苦しいなあ。離してくれたらありがたいんだけど。」
壁にしがみつきながら二人は抗議していた。傍目から見たらなんと滑稽なことだろう。

ハルヒはいつもの馬鹿力を存分に発揮する。
「うだうだ言わないっ!」
これまでか、と思った時、おれは谷口と目が合った。
「おい谷口、これが見えてるなら助けてくれ。」
「谷口頼むよ、ちょっと引っ張ってくれるだけでいいから。」
おれたちが 苦しんでるのを目の当たりにした谷口は、
どこから出したかよくわからんハンカチをもって気の毒そうに手を振った。
「ちょっと、お前ふざけ、うおっ!」
「谷口助けてって、うわあっ!」
ハルヒの馬鹿力もあって、二人とも手を壁から離されておれ達はそのまま部室へと向かうことになった...強制的に。
とりあえず、覚えてろよ谷口。
ハルヒの性格を知ってるやつならああいった行動をとるだろうとわかっていつつ、全ての責任を谷口に帰結させることで自分の精神を落ち着けた。
慣れてるおれはまだいいが、災難だったな国木田よ。
おれはいつもゆっくりと周りを眺めながらしみじみと歩いていた部室への道をハルヒに無理矢理引っ張られながら超スピードで進んでいく。
周囲の生徒や外の風景に全く感慨をもてない。
いつの間にか雪が降り始めていた。しかしそんなことに気を配れる余裕はなかった。
まったく、風情も何もあったものではない。
そんなこんなで部室に到着した。道中他の学生に奇異な物をみる目で見られたのは言われるまでもないだろう。



「やほー。」
いつも通りの掛け声でハルヒは扉を勢いよく開けた。
ただいつもと違うところと言えば、両手が塞がっていることくらいだ。
...おれと国木田でな。
部室にはもう全員揃っていた。朝比奈さんがおれと国木田に少し驚いたがそれはほんの少しで、急いで三人分のお茶を淹れ始めた。
もうみんな慣れっこだもんな。人間ふたりを引っ張ってこようが紙袋二袋ひっさげてようが大した違いはないのだ。
古泉はこちらを見て意味もなく微笑んでるだけだし、長門はこっちをちらりと見ただけでもう読書に戻っている。
相変わらずの日常。
部室の中で解放はされたものの、国木田は少し居心地が悪そうにおれの隣の席に着いた。無理もない。
ハルヒは団長席に座り、朝比奈さんのお茶待ちだ。
「僕はどうすればいいのかな?」
そんなことおれが知るはずもない。
「さあな。とりあえず座っとけばいいんじゃないのか。」
朝比奈さんがお茶をおれと国木田に差し出す。
「はい、お茶です。うまく淹れられたかわからないけど。」
朝比奈さんは遠慮しがちにおれ達にお茶を差し出した。
そんなことは地球が反転しようとありえるはずが無いね。
彼女の手を通ったものはどんなものだろうと最高のなにかに生まれ変われるのさ。
「ありがとうございます。」
古泉かと思ったら国木田だった。
朝比奈さんは国木田に笑顔を振りまく。
「ええと、国木田くん?あのときの映画とかありがとうございます。」
「え、いや、別にいいんですよ。お役に立てたんですから。
それにしても似合ってますね。朝比奈さんが似合わない衣装なんて存在しないんじゃないんですか?」
国木田がおれが心でいつも思っていることを口に出す。
朝比奈さんは控えめな笑顔で国木田に応えた。
朝比奈さんの笑顔の後ろを深々と降っている雪が飾り付けている。
今この世で最も素晴らしい絵面になりえるだろう。

「ありがとう。そう言ってくれる人ってあんまりいないから嬉しいです。」
いやいやそんなことはないですよ。
なんならおれが心行くまで褒めちぎりましょうか。
なんて妄想を繰り広げていると、横から古泉が話しに割り込んできた。
「こうして話すのは初めてですか。古泉です。よろしく。」
「僕は国木田。9組の人だよね。よろしく。」
国木田と古泉か。似たキャラではあるがどこか違う感じがするな。
古泉の超能力者という属性のせいか?
「ところで、お二人して涼宮さんに引っ張られてきて今日は一体どうしたんですか?」
国木田は首をかしげる。
「さあ。むりやり引っ張られてきたから。ね、キョン。」
「ああ。」
確かに、国木田を連れてきてどうするつもりなんだか。
「それを今から説明するわ。」
いつの間にかハルヒは立ち上がり、いつもながらの演説ポーズに入っていた。
国木田含む全員がハルヒの方向へ振り向く。

「あんたたち、もうすぐ何が始まるのかわかってるわね。」
返答はない。だがハルヒおの発言はもう決まってるようだ。
「そう、期末テストよ。」
ハルヒの口はとどまることを知らない。
「この期末テスト。なんとしても私たちは好成績を修めなければならないわ。
われらが崇高なるその目的は、文化面でも優秀であることを学内に示し、我々の知名度アップや、生徒会につけこむ隙を与えないため。
また、依頼者獲得の層を広めるためにある。いい、あんたたちはこのテストで全員学年トップまたは五本指に入れるよう尽力なさい。
ホームページのカウンターが大爆発するほどの存在感を見せ付けるのよ。
そのためにこれからテストまでの一週間。我々SOS団は勉強特訓を敢行するわ。」
...なんだって?
爆発するカウンターって、こいつはパソコンを一体なんだと思っているんだ。
総理大臣と思わせて実はそっくりさんが街頭演説してることに気づいてしまったような胡散臭さをまとった演説だった。
勉強特訓?学年五番以内?無理だ、無理に決まってる。
第一それに国木田は含まれるのか?数的にはギリギリだが、もしハルヒの頭の中にインプットされてなかったら国木田があまりにかわいそうだ。
おれが頭の中でさまざまな不安や心配を頭の中で繰り広げていたら隣から国木田が話しかけてきた。
「ねえ、このSOS団っていつも涼宮さんのこういう気まぐれで活動しているの?」
そうだ、いまさら気づいたのか国木田。
おれがそう答えようとするが、ハルヒの演説がそれを邪魔した。
「この勉強特訓では総員の学力の劇的向上を図るわ。もともと大丈夫な人が多いけど、どういようもなく果てしないアホがいることも否めないしね。」
そのとき、おれをにらんだのは言うまでもない。



ハルヒはそう言って「学長」というシンプルな二文字が書かれた腕章を身に着けた。
「あたしはこれから学長としてみんなの勉強をはかどらせるように見張りを行います。みんな、怠けちゃだめよ。時間もないんだから。」
暗に自分はなにもしないと言ってるようなものだが、果てさてそんなことは毎度おなじみなのでもはや気にしない。
「でも教える側があたし一人じゃ少し手が足りなくなる可能性も考えられる。だから、今回はそのためにある特別ゲストを招待したの。
一年五組クラスメイトであり、キョンの数少ないまともな友人。国木田くんよ!」
ハルヒが力強い目つきで国木田を見つめた。自然と国木田に視線が集まる。
急に名指しされ面食らった国木田は、少し間をおいておずおずと「ど、どうも。」と言った。
更にハルヒの追撃がかかる。
「さあ、国木田。」
みんなはハルヒか国木田を見てるだけで微動だにしない。
ここまでノリノリになったハルヒを止めようとする人間はここにはもう存在しないのさ。
徒労に終るのは目に見えてるからな。
「え、なに...」
「起立!」
「は、はいっ。」
背筋をピンと伸ばして国木田は立ち上がった。
「この腕章をつけなさい。」
「う、うん。」
国木田は遠慮がちに腕章を受け取った。
そりゃこんな意味わからん団に無理矢理入れられちゃそんな気分になるさ。
同情するぞ国木田。そして諦めろ。

国木田がつけた腕章には違う二文字が書かれていた。「教官」。
「あんたは今からこのSOS団の臨時教官よ。誇りを持ってあたしに尽くしなさい!」
「ええと、じゃあ僕はここでみんなと勉強するために呼ばれたってこと?」
ハルヒは人差し指で国木田を指した。
「教えるためよ。ま、そのための努力なら認めてやらんでもないけどね。」
その時、国木田はなんとハルヒに笑顔を見せた。
「うん、まあそれならいいよ。ある種、ここなら集中できそうだし。」
おれは少しばかり驚いた。コイツ、なかなかやるな。こんな状況でもハルヒに笑顔かませるやつなんておれの知る限り古泉だけだ。
ハルヒも少し驚いたような顔をしている。おれとは少し違う理由だったが。
「教室でもそう言ったじゃない。アンタ何気に人の話聞いてないのね。」
「い、いやそういうわけじゃなくてさ。あの、涼宮さんのことだから適当な理由つけてどっかにつれてかれるかと思ってたからさ。」
成る程。わかる。その気持ちはよくわかるぞ。
だがハルヒは気に入らないようで、
「アンタあたしをなんだと思ってるのよ。あたしはそんなことしないわよ。極めて心外だわ。」
おまえの認識はそうでもな、一般人から見れば国木田の方がスタンダードなんだよ。
「まあいいわ。じゃあ今から試験までの計画を立てて早速実行に移るわよ!」



ここからのこの日の動きはめんど、いや地味なので割愛しようと思う。そのかわりハルヒの説明やおれたちの活動をかいつまんで説明しよう。
ハルヒによれば、試験勉強とは教科ごとに系統で分けて1日ごとに集中してやると効率がいいそうだ。
大体で理系、文系に分けて一日おきに集中してやるという方針に決まった。
でもそれぞれのペースってものがあるし、概ねの概要をハルヒが決めて、何をするかはこちらで決めることになった。
ハルヒ自身は勉強する素振りを一切見せていなかったが。本当にコイツは勉強しないのか?
上級生の朝比奈さんも試験の内容が違えども、会議や計画作成には参加していた。
古泉はいつも通りに笑顔で、長門は無表情のまま計画を作成している。
そして案外楽しそうにやってたのが国木田だった。
「楽しいというか、ちょっとやる気が出てきたかな。」
そうか?ということはお前は今まで大してやる気がないのにいい点を量産してたのか?
「そういうわけじゃないけど、今まではひたすらに勉強!って感じだったからね。」
その時団長机でネットの中を怪しく徘徊しているハルヒが口を挟んできた。
「国木田。あんたはあたしと同じく教える立場の人間なのよ。その自覚を持ってやってちょうだい。」
わかってるよと言ってるような笑顔をハルヒに向けた国木田であった。
ちなみにおれは未だにペンを走らせていない。
こういう計画の類をおれは一度もしたことがなく、ないのなら当然どうすればいいのか皆目見当がつかない。
それに敏感にも反応したのが――まあ予想通りだが――涼宮ハルヒだった。
「ちょっとキョン。まだ一文字も書いてないじゃない。何やってんの?」
おれは深いため息を吐いた。

「そうは言ってもなあ。おれにとっちゃどうすりゃいいかさっぱりだ。古泉、お前のやつ見せてくれないか。」
古泉は軽く微笑む。
「ええ、まだ途中ですが。どうぞ。」
またもやハルヒが横から口を出す。おれを見張ってるのかよ。
「だめよ。アンタが古泉くんのペースについて来れるわけないでしょ。」
えらい言われ様だな。でも事実だから反論する気にもならない。
そう思って白紙の一枚紙を見つめる作業にもどってすぐ、ハルヒがおれの目の前に右手を差し出した。
「しょうがないわね、貸しなさい。あたしがアンタに相応しいの立ててあげる。そもそも一番危ないのアンタなんだから。」
おれは一瞬躊躇したが、自分で立てることもできそうにないからハルヒに手渡した。
無茶な計画立てるなよ。とんでもない地雷を踏むはめになるのはおれはごめんだ。
だが、おれの期待を見事に裏切り、紙を奪い取り、実に楽しそうにペンを走らせているハルヒ。...後悔しそうな予感がおれを貫く。
周りを見ると、長門と朝比奈さんは計画を立て終わったようで、その計画表はボードに磁石で貼り付けてあった。
そして既に勉強を始めていた。
朝比奈さんはともかく長門は勉強する必要あるのか?こいつこそ何もしなくても世界トップにでもなってしまいそうなやつだろうに。
そう思って長門を見ていたら、ふと長門がおれの視線に気付いたようで、ちらりとこっちを見てから、表情を変えることもないまま視線をノートに戻した。
そのおれと長門の目が一瞬合うだけの本人同士にしかわからないようなやり取りに、意外にも気付いたやつがいた。
「あれ、キョン。何を見てたの今。」
「別に何も。ぼけっとしてたさ。」
ふーん、と国木田は軽く流す。
そこに古泉がチクリと刺すような一言。
「ユキを眺めていたんですよ。」
あ、古泉め。その笑顔が尚更いらっとくるぜ。
「雪?もう止みかけてるね。最近あんまり降らなかったしなあ。キョンも一応風情ってのがわかるんだねえ。」
古泉は軽やかな笑顔をおれに向けた。無視。
その時ハルヒがフンと鼻を鳴らした。無視は無理。
「キョンにそんな繊細な感情があるわけないじゃない。」
いかにもハルヒの言いそうなことで。

おれは反応するだけしてやり、朝比奈さんに話を振る。
「まじめですね。学年も違うんですし、そう真面目にしなくてもいいと思いますよ。」
「いえ、私も集中して出来るし、みんな勉強してるのに私だけってわけにはいかないし。」
なんて気遣いの上手なお方だろうか。古泉も見習えこのやろう。
そんなこんなで各自の計画表がボードに貼られ、それぞれが勉強を始めた。
学長のハルヒと教官の国木田は、おれ達が座って教科書を眺めたりノートをまとめたりしているのを歩いて見回っていた。
ハルヒはどこかから持ってきたのか教鞭を持ちながら、国木田は自分の教科書を持ちながらの違いはあったのだが。
ちなみにハルヒは教官たちには眼鏡をかけさせようとしていたが、おれの反対によってなんとか没になった。
おれ自身アホなことに反対したものだが、眼鏡好きと勘違いされたくもなかったしな。
おれに眼鏡属性が存在しないことくらい長門の件で承知済みだ。
それから、ハルヒが書き上げたおれの計画表を見せてもらった。
なんともまあ、実行する人間がおれであると理解していないんじゃないか?
計画がびっしり。どうすればいいかが細かく書いてあるのが幸か不幸かはわからない。まったく、気が重いな...。



とりあえずこの日の活動もとい勉強会は終了し、全員で帰途を共にすることとなる。今日はいつもより一人多く、それはもちろん国木田だった。
最前列でハルヒと朝比奈さんの会話が弾み、そのすぐ後ろで長門が読書に勤しむ。そして最後尾にはおれと古泉と国木田が続いていた。
傍から見れば健全な仲良し高校生達の帰り道だったろう。問題は間違っても健全とは言いがたいその中身だが。
しかしこういう日常もたまにはないとおれの身ももたないってものだ。
そして一人また一人とおれの帰り道から消えていき、おれはこの大切な日常をかみ締めながら家へ向かって歩いていた。
冬全開の冷たい風も今のおれには心地が良い。2月もたまには悪くない、よな。
そう思えただけでも、今日はいい日だったと言えるだろう。




 翌日。期末試験まであと六日。授業を淡々と終らせ今日は文系に統一して一同は試験勉強に勤しんでいた。
相変わらずハルヒは実に楽しそうな顔をしてその教鞭を振るい――おれにだが――それぞれの姿勢に目を光らせていた。
あいつの頭にはどうやら自分が勉強をするという選択肢は無いらしく、本当にあいつの単なる暇つぶしに付き合わされているような気がしたが、
おれの為にもなると腹を決め、今現在おれはシャーペンを忙しく走らせている。
教官という腕章を今日も身につけている国木田も一応教室をとことこと歩いたりしたが、どちらかというと自分の教科書に目を通す時間の方が多くなっている。
肝心のおれはというと、ハルヒの作った無理無茶無謀の三拍子が揃った計画に見事に振り回されていた。
ハルヒは教えるといっても、いつも通り「アンタこんなのもわからないの?馬鹿じゃないの」と教鞭でおれの頭をぺしぺし叩くだけだったりするので、
ところどころ国木田の力を借りつつ、おれは果てしないゴールに向かって一歩一歩進んでいた。
お前も自分の勉強があるのにスマンな国木田。
「いいんだよ。こうして教えるのも自分の理解を深めるからね。それに頭の中の整理もできるんだよ。」
そう言って国木田は自分の教科書に視線を戻した。
おれは国木田を元々できた人間だと思ってはいたが、ここで認識を改めた。
こんなに素晴らしい人間性を持ったやつだったとは。
ハルヒがハルヒだけにこいつの人間性が輝いて見えた。



ふとおれは外を見やった。相変わらずの強い風と寒さだ。枯れ葉もすっかりどこかへいき、丸裸の木々が咳をして体を丸めているように風に吹かれて曲がりくねっている。
昨日との違いと言えば雪がやんでいただけで、またいつ降り出してもおかしくない。
灰色の雲に覆われていたうちの学校だが、この部室だけはそんなもの小賢しいと言わんばかりにハルヒの声が響いていた。
 そうそう、他にも昨日と大きく異なる点があったんだっけ。
こちらはおれにとっても嬉しいものだった。主に朝比奈さんの周りを徘徊しつつ指導というよりちょっかいをかけているもう一人の教官がいたのだ。
そう、鶴屋さんだ。
 ハルヒがどうやら捕まえてきたらしく、彼女もここで試験勉強に参加することになった。
彼女自身相当乗り気で教官の腕章を身につけ、教鞭を振るっていた。
「みくるちゃんのためにも参加してもらっていい?」
「あはは面白そうだっ、やるやる。」
即答。いかにもこの人らしい受け答えで参加が決定した。
ハルヒから腕章を受けとったあたりで、彼女は国木田に気付いたようで、話し掛けていた。
「おやおや、国木田くんじゃないか。お久しぶりっ。君もハルにゃんに連れてこられたのかい?」
「え、ええ。同じクラスですから。」
「そうかっ。ほお、君も教官なんだねっ。あたしも教官なのさっ。一緒にがんばろっ国木田先生っ!」
そういって鶴屋さんは右手を上げて国木田とハイタッチした。
「は、はい。頑張りましょう。」
鶴屋さんはハイタッチした手を握ったまま、明るい笑顔で国木田を見ている。
二人ともそんなニヤニヤしてないで早く手を離してくれ。おれが鬱で死んでしまうぞ。
国木田。そういう羨ましい役は今度からおれに譲ってくれないか?

 こうしていじるだけのハルヒ学長を中心にどちらかと言えばやる気の教官が二人、ワキをがっちり固めるというシステムが作られてしまったわけである。
朝比奈さんは鶴屋さんと協力しながら古典に苦戦。
おれは国木田の手を借りて英語に苦戦。
古泉と長門は普通に独力で何かをこなしていた。今回ばかりは確認する気にもなれなかったから何かは知らない。
ちなみにハルヒはただただ歩き回っていただけだ。
 今、朝比奈さんは敬語の用途と使い分けについてやってるらしい。
「え、ここは語尾に『けり』が使われてるから過去で訳すんじゃないの?」
朝比奈さんの遠慮がちに尋ねる声。
「いやいやっ、これは和歌だから詠嘆で訳すといいよ!」
鶴屋さんの元気で朗らかな声。
いやあ、勉強って実にいいもんですね。心ここにあらずのおれが言っても説得力はゼロだが。
そのときおれはふと思った。彼女の時代から考えると古典ってどれだけ昔の話なんだろうか。
かの預言者ノストラダムスの予言はだいたい3000年くらいまで残っているらしい。あの恐怖の大王騒動も今となっては懐かしいものだ。
3000年といっても千年後。今から千年前と言えば大体平安時代だ。おれ達はこの辺りからの古典を学んでいるわけだが、遥かなる大昔というわけでもない。
殷、周や、中国だけがあると主張している夏なんかがあったような伝説時代とはわけが違うのである。
つまり例のノストラおじさんですら自分から千五百年ほどの未来しか頭の中に無かったようなのだ。
アカシックレコードが見えるとかいう話なのにそっから先は見通せなかったのか、単に妄想が冴えなかっただけなのか、
それともその時既に人類は滅んでいるのか。
あのノストラおじさんはそのくらい先の未来までしか人類に自信が持てなかったのだろうか。あまりにも悲しいじゃないか、それ。
こうしてタイムマシンが存在して、いつの時代からきたのかわからない可憐な少女がここにいるというのに。
遥か向こうの時代から来たかもな。残念だったなノストラおじさん。
ちなみに奈良時代の古典もあるにはあるが、それ以上高校でやるとおれの頭が水蒸気爆発でも起こしてしまいそうだからやらないでもらいたい。
その気持ちは決しておれだけのものじゃないはずだ。


彼女にとってはおれ達より更に昔のことだろうから、古典はそうとう苦戦するのだろう。最高敬語がどうやらとつぶやいている。
朝比奈さんと鶴屋さんの楽しい四苦八苦をバックミュージックにおれは英語を頑張っていた。
「あ、sはつけられないよ、informationは不加算名詞だから。」不加算?加算?なんだその概念。こんな細かい違いが会話で問題視されるはずがない。
「lookingforwardtoはイディオムだからまんまで覚えた方がいいって。」長い。もっとコンパクトにできないのかアメリカ人。せめて三文字だ。
「あ、こっちのItは形式主語だからこのitとは違うものなんだ。」これって何?何がどれ?私は誰?こっちもどっちももう頭がついていかない。
懸命に説明する国木田には悪いが、はっきり言って理解できなかった。やばいのか、やばいのか?やばいんだろうな。
自分のふがいなさに落胆しつつも五秒後にはそんなことを忘れるのだろうと理解しているおれだったのだが。
と、おれが英語に振り回されていた時、ただ見回ってただけで存在を忘れられていたとも言える人物が一言。
「あんたたち、休憩にしなさい!」
いきなりハルヒが叫んだ。
それぞれがペンを止めた。
「休憩?」
みんながハルヒに視線を集める。急に生き生きした顔つきになった。
...構ってほしかったのか?
「そ。みくるちゃん。みんなにお茶淹れてあげて。」
はいはいっと立ち上がる朝比奈さん。そんな素直に守らなくてもいいんですよ。
「休憩といっても雑談タイムじゃないわ。時間がもったいないものね。だから、あたしがテストしてあげる。」
なるほど。これがやりたかったのか。

おれが密かに納得していたとき、朝比奈さんからお茶を手渡してくれた。
いやあ、いつもすみませんね。あなたが淹れたこの極上の霞のごとき透き通った旨みと天上から降り滴る雫のごとき神聖な深みは、
おれに五臓六腑にしみわたる至極の癒しを与えてくれますよ。
「ありがとうございます。朝比奈さん。」
おれは勉強詰めの中で彼女から手渡しされたお茶でおれの表情は緩んでいたのだろう。
ハルヒがじとっとした目でおれに話し掛けてきた。
「ちょっとキョン、あんた何鼻の下伸ばしてるのよ。たるんでるわね、特別にランクアップしたテストを出してあげる。」
おれに鼻の下を伸ばしたという実感はまるで無いのだが。ハルヒがそこまでおれの表情について熟知しているのには驚きだ。
「やれやれ」
おれは小さな声でつぶやいた。その小さな声に敏感にも反応したのはもちろん古泉だった。
「まあいいじゃないですか。みんなで揃って勉強会。健全なことこの上ありません。損する人間は誰もいませんよ。」
おれの疲労はどうでもいいのか。
「まさか。あなたがそう感じているのはあなたが彼女に一番近いところにいるからですよ。でもいつものことじゃないですか。」
いつものことと軽く流すにはおれには荷が重過ぎる。なんであんなに元気なんだあいつは。
「決まっています。涼宮さんにとって一番のやる気の素はあなたの存在なのですよ。あなたがこうして頑張ってるから彼女もあんなに生き生きとしているんですよ。」
そういうことを易々と言うんじゃない。
「照れているのですか?柄にも無く。」
付き合いきれん。一人で言ってろ。
「失礼。ですがそれも事実ですよ。このSOS団という存在が、今のところ彼女が最も生きていると感じられる場所なのでしょう。
僕個人としても、ここには他とは違う感慨を抱いていますし、あなたもそうではないですか?涼宮さんとあなたは最早セットなのかも知れませんね。彼女にとって。」
帰っていいかな、おれ。
「罰ゲームをくらいたいのでしたらどうぞ。」
わかっているさ。逃げ場はなし、だ。おれは深いため息をつく。もちろんばれない程度に。
「あなたはそう言っておられますが、段々と落ち着いてきてるのも事実です。以前でしたら他人の勉強を見るなんて考えられません。」
「毎度毎度のことだがな、どんな形だろうとあいつがああなる度におれは足が棒どころか枝になるくらい疲労がたまるんだ。お前もわかっているならたまには労ってくれ。」
「そうでしたら良いマッサージ師とエステティシャンを紹介しましょうか?あといい湯治場も。あなたの言う疲労そのものを吹き飛ばしてくれますよ。」
「お断りだ。」
肩をすくめる古泉。
正直かなり魅力的に感じたが、如何せん古泉の紹介だ。慎重すぎるくらいが丁度いい。

「なら、今まで通り頑張るしか無いですね。あなたには期待しているんですから。」
していらんわ。そんなもん。
「ほら、そこの二人!私語はやめ。」
バレた。姿勢を正す二人。
「良し。文系の日だから現社の問題を出すわよ。」
こいつの社会か。胡散臭いことこの上ないな。
「とりあえずお前の考える社会と現実の社会をなるべく合致させてから出してくれ。」
「なに人を異常者みたいに言ってんのよ。あたしはいたって常識人よ。あたしこそ常識。言わばあたしが社会よ。」
そう言ってハルヒは手を両脇に添え背筋をピンと伸ばす。
...とりあえず言いたいのは、そこの三人を刺激するようなことを言わないで欲しいということだ。
今ハルヒがそう言ったことによって、古泉が目を細め、朝比奈さんがびくっと反応し、おそらくだが長門は動きそのものが完全に止まった。
ああ、そこまでわかるようになった自分が恨めしい。
 そのとき冷たい風が吹いた気がした。気のせいかと思える位弱い風だったが。窓でも開いていたのだろうか。

 そんな三人の細かなリアクションなどお構いなしにハルヒは話を進めていく。もう少し周りを見回せば見えてくるものもあるだろうに。即ち青い鳥だ。
この場合、運ぶのは幸せだと思わないけどな。
こうしてハルヒのいわゆるテストが始まったわけだが、思ったとおりこのテストは一般人が考えるテストとは程遠いもので、世界の中心にいる存在は何だとか(答えはもちろんSOS団だったわけだが)、
自分が3年前の七夕で使った文字を解読させようとしたりとかで(空気を読んだのか長門は黙っていた)ようするに暇だったハルヒが暇つぶしのために催した感が丸出しだったわけだ。
形だけでも勉強してろい。
そのハルヒの暇つぶしの間、古泉は膝を組み目を細めたり笑顔に戻したりで、朝比奈さんはそういう問題が出されるたびにびくっと反応していた。長門は取り出したハードカバーを読んでいたがハルヒの挙動に注意を払っているようだった。
いまさらハルヒにそんなに神経質にならなくてもいいと思うけどな。
ちなみに国木田は教科書とハルヒを交互に見ていて、鶴屋さんはただ一人爆笑していた。

このいわゆるテストはハルヒがお茶をずびびっと飲んで休憩時間とともに幕を閉じた。
ハルヒがお茶をすすっているころにはもう下校のチャイムが鳴っていたわけだが。まったく、休んだ実感がまるでないぞ。
しかし、おれのそんな感情などいちいち気にしないのがハルヒのハルヒたる所以である。
チャイムの音を聞き窓から外を見て、
「あら、もうこんな時間?仕方がないわね。今日はここまでにしましょ。もちろん明日もやるんだからね。」
そう言ってハルヒは教鞭を鞄にしまう。
「あーい。」
「は、はいっ。」
「わかりました。」
「うん、わかった。」
「.....。」
「やれやれ。」
もう誰のリアクションか音声のみで判別可能だ。よくこれほど際立った連中を集められたもんだな。

朝比奈さんの着替えの為、男三人はくそ寒い外に放り出された。
もちろん寒い。だから冬はいやなんだ。この風は夏と違いあまりにも清々しく感じるが、吹く季節を明らかに間違えてる。夏に吹いたら冷え冷えのスイカを用意して大歓迎しただろうに。
この風共。お前らに意思があったなら言っておきたいことがある。
 空気読め。
「もういいよっ!」
そう言う鶴屋さんの天上から響くような呼び声が聞こえてきた。おれたちはよし来たといわんばかりにドアを開ける。
そのおれ達の視線に映ったものは、いつも通りの長門。ニヤついたハルヒ。同じく鶴屋さん。
そして、こっちを今にも泣きそうな目で見ていた朝比奈さんだった。
おもむろにブラウスに手を通そうとしてたところにわれわれ男どもが侵入してしまったのだ。

時が止まった。いやまじで。

そして「うそぴょん。」という鶴屋さんのまさしく鶴の一声で時は動き出したようだった。
「きゃあああっ!」
いきなり悲鳴(当たり前だ)をあげた。
「うわあっ!」
「本当にごめんなさい!」
「し、失礼。」
朝比奈さん以上に取り乱してしまった三人は光の速さでドアを閉めた。
ちなみにあの古泉ですら焦っていたことには触れないことにしたおれであった。
こっそり戸に耳を立ててみると鶴屋さんとハルヒが朝比奈さんに謝ってる声が聞こえる。
謝るくらいなら最初からしなくていいだろうに。ちなみにもちろん長門の声は聞こえなかった。

もう一度「もういいよっ!」という声が聞こえ、相当敏感になってしまった男三人はドアを相当慎重にゆっくりと開けた。
制服姿に戻っていた朝比奈さんを見て安心し、三人とも彼女にとりあえず謝った。
朝比奈さんも快く許してくれたし、一安心して帰りの準備に取り掛かる。
それぞれが教室から出て、おれも出ようかとしたとき、ハルヒがこっちに来ておれに話しかけた。
「あんた、調子はどうなの?」
どうって言われてもな。ただひたすら勉強してるだけさ。
「それじゃだめよ。あんたは今回は結果出さなきゃいけないの。」
?何でだ。おれはテストの点数にそんなにこだわりは持ってないぞ。
「そうじゃなくて。その...なんていうか、進級の時とか....いや、クラスの..ああもう、とりあえずあんたは今回いい結果を出しなさい!これは団長命令よ。」
言葉はもうちょっと考えて口に出してくれ。自分の中でしっちゃかめっちゃかになっても伝わらないぞ。
「わかったよ。おれなりにがんばってみるから。」
ハルヒは少し照れくさそうだ。
顔を少し横にそらして右手の小指を出す。
なんだ?
「約束よ。小指を出しなさい。破ったら針千本じゃ済まさないから。」
って指きりか。懐かしい。ここしばらく見てない現象だ。
でも、せっかくハルヒが小指を出せと言ったので、おれはそれにのることにした。
素直に互いの小指が繋がり、それに反応してハルヒがおれに笑顔を向ける。
「約束よ。誓う?」
「...誓わせていただきます。」
おれとハルヒは部室の中で指きりをする羽目になってしまった。たぶん相当ご無沙汰していた行為だとと思う。だって指きりだぞ。今更ですか、みたいな感覚もあった。
だが正直嫌じゃなかったがな。ハルヒらしいし。
それになんというか、照れながら右手を出して指きりと言い出したハルヒは、はっきり言って、かなり可愛かった。
「よし、誓いを破ったら昼ごはん一週間おごりだからね!」
そう言ってハルヒは足取りも軽く部室を出て行った。

スマン、今の発言はなかったことにしてくれないか。


こうしてハルヒが教室を出て、おれ一歩踏み出したとき、今度は長門がおれのすぐそばを通り過ぎた。
いたのかこいつ。今の全部見てたのかなやっぱり。
「....何を言ってた?」
はい?
「涼宮ハルヒ。」
「え、ああ。テストがんばれってよ。」
長門はおれを見据えてすぐにドアの方へ振り返った。
「...そう。」
ふと思ったが、こいつがすぐそばの会話を聞きそびれることなんて在り得るのか?
「あなたの口からあなたの言葉で聞きたかったから。」
いつもおれの疑問に的確に答える長門。お前はおれの心を読んでいるのだろうか。いささか気になるところだ。
「それはできない。心という不確かで不安定な存在を分析することはできない。」
だからノイズなのか。
「そう。」
心に分析なんていらないんだがな。ただわかる。それだけで十分なんだ。おれはそれを長門に伝えたかった。
「でも、お前が以前とは明らかに違うことも確かなんだぜ。いつかお前にも、明確にわかるときも来るだろう。それも、近いうちにな。」
そのときおれは珍しいものを見た。嬉しそうな悲しそうな、いつもの無表情とは明らかに異なる曖昧な意思表示。それは昔の長門には全くなかったものだった。
「...そう。」
そう言い残して長門はドアに手を触れる。そうそう、その前に聞いておきたいことがあった。
「長門。」
長門は振り返らないままだった。
「何。」
「お前、指きりってわかるか?」
お前がさっき見てただろうやつさ。
長門はまだ振り返らないままだ。だから表情はわからない。表情もわからなければ、真意も読み取れないくぐもった答えだった。
「少し。」
そうか。

「なんで直接聞きたかったんだ?」
今度は長門はこっちに振り返った。さっきまでとは違う。なぜかその面持ちは真剣みを帯びていた。
「さっきのやり取りを忘れないで。」
「どういうことだ?」
「あなたの中に存在するノイズに、最も深く働きかけることになるかもしれない。」
何の話だ?いきなり話がかなり飛んだ気がするぞ。
「先に行ってる。」
そう言って部室を後にした。と思ったら、もう一言残して先に行った。
「私もあなたを待つことにする。」
そう言って長門はおれの視界から消えた。
「ん、ああ。わかった。」
なんだかなあ。わかったようなわからんような。
今の長門の言動。このときのおれにはまだ理解できなかった。。
そしておれも部室を出る。冷たい風がおれをピンポイントで射抜く。本当に寒い。
でもこの風は昨日感じた心地いい風とは違っていた。
まったく違う。決定的に違う。体の芯に響くような心寒い風だった。妙に不安を抱かせるような風。
この風によって始まった何か。それがはっきりと理解できたのはまだ少し後の話だった。

今思えば、このときから始まっていたのかもしれない。あいつはこのときからもうわかっのていたのだろうか。




おれは部室を出る。靴箱のところに全員が集合していた。
全員揃って校舎を出る。校門をくぐり、家路を辿っていく。
それぞれが他愛の無い会話を楽しみながら冬の風にそれぞれの表情を織り交ぜていた。どこから見ても平和な冬の夕刻。
だがなぜだろう。おれはどうも笑う気になれなかった。何だこの感覚。これまで感じたことの無いものだ。
それは異常なまでの不安だった。
「..キョン...」
なんだ、どうしたおれ。おれはこんなにテストに不安を抱くようになったのか?
「...ねえ、ちょっとキョン..」
いや、そんなわけは無い。ならなんだ。心なしか鳥肌がありえないほど立ち、一瞬だけ手が震えた気がした。
「...ちょっと聞いてんの?」
まもなく日が沈み宵闇に包まれることとなる。そしてこの冷たい風がおれの不安を煽る。
「何すっとぼけてんのよ、このボケッ!」
鞄がおれの頭にクリティカル。実にいい音が周囲に響いた。
...と他人事じゃないか。


「痛いじゃないか。何だ。」
そのときハルヒは少し意外なリアクションをとった。なぜか口をポカンと開けていた。
「え、いや...あんたあたしの発言を無視するなんていい度胸してるじゃない!ものう一回同じことしたら罰ゲームだからね。」
「無茶言うな。いくらおれでもお前の発言一つ一つに気を配るのは無理だ。」
もうハルヒは笑顔に戻っていた。
「なに言ってんのよ。無理を無理と思うから無理になるのよ。できると思えばできるのよ。」
わかったよ。とおれは無意識の内に適当な生返事で返していた。
今見ると、ハルヒはやはりいつもどおりだった。さっきのハルヒの腑抜けた表情。あれは気のせいだったのか。
結論から言えば気のせいじゃなかったんだ。なぜなら、

おかしかったのは、おれだったからだ。

腑抜けていたのはおれだった。妙に意識がどこかへ飛んでいく気がしていた。そう思える位おれはぼけっとしていた。
ハルヒはそのおれのリアクションの欠如に驚いていたんだ。
何だ、風邪か?今更?この時期に?もうすぐテストなのに勘弁してくれ。


しかしこういうときは、自分自身の実感というものがいまひとつ沸かないものだ。
友人に「お前風邪だろ」と聞かれても、「いやいや、そんなことは無い」と答えてしまうような、そんな感覚。
だが、明確におかしいと思ったのが一つだけあった気がする。
さっきのハルヒがおれに向けた笑顔。
それが、いつもより「薄く」感じた。
色素そのものが低下しているように、水彩絵の具にひたすら水が溶け込んでしまったように、薄くなっているような気がしたのだ。
それだけじゃない。そのハルヒ笑顔を皮切りに、みんなの笑い声、明るさ、そういうものがおれの中で消えていく気がしていた。
ふとおれは恐怖する。そしてそれに呼応するように冷たい風がおれに突き刺さる。
嫌だ。吹くな。冷たい。止めろ。
まったく、どうしちまったんだおれは。

こうして昨日と同じく一人また一人とおれの帰り道から消えていく。
そしておれは一人になった。気づけば回りは闇に染まっている。風が冷たい、心寒い。おれの視界には誰もいないのに気づく。
これほど仲間と別の帰り道を行くのが嫌だったことはなかった。


おれはなんとか家に着いた。ひたすら待ち遠しかったことだ。
おれはドアを開ける。暖かい家の雰囲気がおれを迎えてくれるようだ。
「あ、お帰りキョンくん。」
ちょうどおれの目の前のドアを開けようとしていた妹がいた。
「ああ、ただいま。」
そう言って靴を脱ぐ。そのままうちの母親に帰宅の旨を伝え、部屋へ直行した。制服を脱ぎ捨てる、ほどものぐさなわけじゃないので一応ハンガーに掛けておく。
そのまま居間へ向かい、親のテストに対する危惧を散々示され、おれは学校でも勉強しているとなんとかなだめようと試みている。
ごくごく普通の一家族の団欒風景だった。
風呂に入る。まさにこの世に発現した楽園のよう。晩飯もうまい。何より、暖かい。
この空間の中じゃ、タイムマシンも、あのへんちくりんな空間も、宇宙人も、不可思議な現象は一切存在しないんだ。
おれは自分の家、というありがたみを骨の髄まで思い知った。そう思っていた。

しかし、その認識は、次の日にはもろくも崩れ去ることになったのだが。




 次の日、おれはいつもの学校に行く時間に目が覚めた。目覚めの朝は異常に寒い。
ヒーターも消してたし当たり前で、もう三十分くらい布団にもぐっていたかったがそういうわけにはいかなかった。
おれは自分でなんとか起き上がった。まだ眠いぞ。まったく妹はなにを、あれ?
 妹が起こしに来ない。
いや、別に望んでるわけじゃない。
だがいつもならおれの部屋に喜んで侵攻し、絨毯爆撃がごとき蹴りでおれを目覚めさせるのに一役買ってたのだが、今日は来る気配すらなかった。
なんだ、まだ寝てるのか?夜更かしでもしたのか。小学生がそんなことしてはいけません。
それだけじゃなかった。部屋から出た時に思ったのだが、家全体がものすごく静かだった。
なんだなんだ、ドッキリか?それとも全員寝てるのか?
まったく、おれにものぐさと言われるようじゃこの家はおしまいだぞ。
そう言って階段を下りて、居間のドアを開ける。
いつもなら台所で朝飯の準備にいそしんでる母の姿は、そこにはなかった。
このときおれの頭に一つの直感がよぎった。
気のせいと思いたくとも、どうしてもぬぐえない嫌な予感。
そしてその直感は家中を一通り歩いて確信に変わった。

この家には、だれもいない。

 この事実におれの頭がついていかなかった。なぜだ、なぜだれもいない。
おれに黙って早朝ランニングか?これがドッキリだったらどれだけいいか。
とりあえずヒーターの電源を入れる。一人だし、エアコンを入れるつもりにはならなかった。
台所に向かい食パンをオーブンに
かけ、適当にハムと卵焼きあたりをお腹におさめた。
誰か来るかと期待してたのか、ゆっくりと準備をしていたもののもう学校に行かないと遅刻してしまうので仕方なく学校に向かうことにした。
 ここには誰もいないし、誰か来ることも無い。。
おれの中にそういう直感も芽生えていたが、おれは気づかないふりをしていた。

今日も外は寒い。恐らく風にの強さは昨日以上だろう。
学校に向かう途中もおれは誰にも会わなかった。
いつもなら学校についてる時間だからか、坂道を登るもそこには見知った北校生は見当たらなかった。
おれはただ冷たい風に吹かれていただけだった。少しでもこの風が弱まってくれることはないのだろうか。
このままじゃ風邪じゃ済まないくらい参ってしまいそうだ。
後ろから谷口に声を掛けられにることもなく、校門をくぐり、上履きに履き替え、教室に向かった。
家に誰もいなかった。これは一体どういうことなのだろうか。

おれは教室の扉を開き、自分の席に向かった。
教室には人がまばらにいた。もうチャイムぎりぎりなのにいいのか。そのときおれは妙な違和感が芽生えた気がした。
おれはこのクラスが一年五組ということを確認して気のせいだと考えを改める。
谷口は国木田が教室にいないからか?ハルヒがいないからか?
おれの後ろの席にはまだ誰もいない。

チャイムが鳴った。おいおい、これでもクラスの三分の二くらいだぞ。なんだインフルエンザでもはやってるのか?
おれは以前似たようなことを経験したことがある。いや、そんなことがもう一度あるはずが無い。


おれは少し不安になりながら教室を見回す。そして見回せば見回すほどおれの不安は増大していった。
まだハルヒはおろか、国木田も谷口も来ていない。
それどころかこのクラスの連中は...いや、それもあるはずがない..。
おれはまだ目が覚めていなかったのだろうか。
岡部がまだ来ていない。おれはこの教室が一年五組であることをもう一度確認した。
確認した上でおれはどうも腑に落ちないと思いながら席に着いた。
ついたと同時に教室に教師が入ってきた。
そのときおれははっきりと目が覚めたようだった。
結論から言おう。

この教室にいる人間。おれの知るクラスメイトは誰一人として存在しなかった。

教室に入ってきた教師は担任岡部ではなかった。それどころかこんな教師見たことも無い。
おれがおかしいのか?それともここは北校じゃないのか。いや、こんな制服は他に見ない。第一おれはあの坂道を登ってきた。
おれだってそれなりにクラスメイトとの交流だってしている。その上で言える。
こいつらは誰だ。あらためて見ればはっきりわかる。こんなやつらおれは知らない。
だが周囲は普通と言うようにホームルームを進めている。
おれがここにいることに疑問を持ってるやつも誰もいない。
ふとおれはクラスの扉を見た。誰か知ってるやつが来ないか、一縷の希望をまだおれは持っているからだろうか。
そういえば一昨日、おれと国木田はハルヒに引っ張られて扉にしがみついたんだっけ。
ほんの前のことがはるか昔のことに思えた。


どうやら担任と思われる教師が淡々と話しを進めていく。
そのとき、クラスの後ろの扉が開いた。
どうやら一人の北校生が遅刻してきたようだ。少し息を切らし気味で教室の中を歩いていく。
担任らしき教師はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、言葉を切った。
どうやら女の子のようだ。その子はこっちに向かって歩いてきた。
そしておれの嫌な予感が的中し、そいつはおれの後ろの席に着いた。さも当たり前のように。
こう思ったのは二、三度目くらいだろうか。そしてこれからも何度も味わうことになるのか。
そいつはあの時のように朝倉でも、もちろんハルヒでもない。

誰だお前。

明らかに見たことも無い。おれの知り合いのデータベースにはこんな女の子存在しない。
あっけにとられたのだろう。おれは少しその子をじっと見てしまった。
そしたらその女の子は普通に「おはよう。寝坊したわ。」とだけ言った。
おれの存在には一抹の疑問も持っていないようだ。



おれは自分自身が狂ったのかとふと思った。だが、思っただけでそれを受け入れるつもりはない。
確かめたいことがたくさんある。まだ教室の人間を見ただけだ。希望を捨てるには早すぎる。
だがいったいこれはなんなんだ?知らない人間であふれている。
そして誰もおれの存在を疑問視していない。いや、むしろ気にかけていない。
これは何なのか。何が起こっているのか。どうすればいいのか。引き金はなんだったのか。
おれの頭の中であらゆる考えが戸惑いながらも衛星のようにぐるぐる回っている。
だがおれは何とか冷静でいられた。あの時の長門の時空改変で似たような経験を経ていたからだろう。
あのときの混乱が無かったらおれはまた半狂乱と化していたに違いない。
そしてこの空間が長門の仕業じゃないという自信がある。
長門の空間はこんなに不安を煽るタチの悪い仕様じゃなかった。ここにはそういううっすらとした悪意のようなものがあるような気がする。
なりやまなかった冷たい風。おれの心にまさに突き刺さるものだった。長門がそんな真似をするはずがない。

まず何をすべきかを考えながらおれは授業中をすごしていた。とりあえず自由に動けるように昼休みを待つ。
今教壇の上でこれまた見たことの無い教師がテストについて云々言ってるが、こんな状況で気がそっちに向くはずが無い。
第一おれはテストだの勉強だのがもともと好きじゃない。そんなおれがよく勉強会なんてやってたな。

...そう思ってSOS団を思い出してしまった。今日も放課後にあそこで勉強会が開かれるのだろうか。いや、そもそもここにあいつらはいるのか。
この教室にはハルヒも国木田もいない。国木田の席は空いたまま。ハルヒに至っては知らないやつが座っている。
それでも他のやつがいないことにはならない。希望を捨てるにはまだ早い。何か手がかりが残ってるのかもしれない。
無いのなら探せばいい。そもそもここが昨日と同じ学校、教室、空間なのかも定かじゃないんだ。長門や古泉、朝比奈さん。彼らも巻き込まれているのか。それともおれだけこうなったのか。
だが少なくともこの教室にハルヒはいないようだ。もしかしたらまた他校に行っているのかもしれないな。
おれはほんの昨日までは仲のいいクラスメイトと同じクラスで授業を受け、ハルヒ後ろから突っつかれて、SOS団でハルヒの気まぐれにみんなで付き合い、なんだかんだで楽しかったんだ。
それが今日になっていきなりこれだ。今のおれの心には不安しかない。
それでもおれは探さなければならない。もう今のおれは即答できる。

――元の居場所におれは戻りたい――

おれのこの心の叫びを信じてやるしかないんだろうな。
教室には教師の声だけが響いている。このいつも以上に静かな教室にいつまでもいたらおれの精神が崩壊してしまいそうだ。
そのときまた冷たい風が吹いた。おれの不安と何とか押さえ込んでいた恐怖を活性化させるように。くそ、吹くな。やめろ。
誰へとなくおれは呟いた。だれの仕業か知らないが、おれはこのくらいでへこたれたりしないぜ。
そう思いおれは周囲を見回す。おれはこのとき確かに確認したんだ。
窓どころかドアも、どこも開いてはいなかった。
時間は刻々と過ぎていく。もうすぐテストがあろうと今のおれは知ったことじゃなかった。
そうしておれは授業に全く参加せずにすごしていた。まさしく一人で。

ここにハルヒはいない。だから後ろからシャーペンでつっつかれることも無かった。



四時間目まで授業とはまったく関係ないことを考え続けることでなんとかかわし、待ち望んでいた昼休みがやってきた。
チャイムが鳴り、教師が教室から出て行ったと同時におれは立ち上がった。
窓の外は相変わらずの冬景色。強い風が木々をねじ伏せるように煽りながら吹いている。
おれの不安の強弱に呼応しているように吹き荒れていた。昨日より明らかに暗く感じるのは気のせいだろうか。...少々過敏になりすぎだな。
おれは立ち上がり教室の扉の付近に向かう。誰もおれの行動を気にしていない。不自然なほど溶け込んでいるのに、この別のクラスにいるような感覚は何だ。
最初に確認したかったこと。クラス掲示に張ってあるクラスメイトの名前。全員の名前が書いてある掲示物を探す。
..あった。学年最後の模擬試験があるそうだ。勉強勉強いやなこって。
そこにあるクラスの名前と出席番号を確認する。
......やっぱりそうか。
涼宮ハルヒの名前が無い。谷口や国木田の名前も。それどころかおれ以外はすべて聞いたことの無い名前で構成されていた。
本当に何なんだこれは。おれの名前はある。ということはここはおれが現在在籍している一年五組ということになる。
昨日までとはまるで違う現実。気がついたら何もかもがおれの中の現実とは食い違っている。

夢だの、おれがおかしくなっただの。そうであったらどれだけいいか。少なくともこのわけわからん事実に悩む必要は無いからな。
しかしこれがまぎれも無い事実なら、おれ若しくは現実にいったい何が起こったのか。それを考える必要がある。
おれもこれまで伊達に超常現象とお付き合いしてきたわけじゃない。まずすべきは現状把握だ。
そしてこれがどういうことなのか。大体ならもう見当はついている。
つまり、おれはまた誰かの罠かアクシデントに巻き込まれちまったわけだ。
それが誰なのか、何なのかはまだ見当がつかないが。
古泉の所属する機関と対立する組織なのか。それとも朝倉のような過激派の仕業なのか。朝比奈さんを一時的に誘拐した連中の派閥なのか。
はたまたあのカマドウマの様にハルヒが引き金になったアクシデントなのか。
ま、それはおれの理解の範疇外だからそこらへんは長門や古泉に任せる。ここにいれば、それとも知ってればの話だが。
だが、相当根性ひん曲がったやつであるのは間違いない。こんな悪趣味な空間作るようなやつだからな。まずこの風を止ませてくれ。
こっちだって見かけだけでも威勢を整えるのにも限界があるんだよ。
まだ絶望するには早過ぎる。見てろよこの空間を作った悪趣味な変態野郎。
伊達にこれまでアホらしい目に遭ってきたわけじゃないことを教えてやる。


決意を新たにし、おれは教室を出た。心なしか風が弱くなった気もした。やっぱ人間気の持ちようだよ。
いつもなら国木田や谷口と一緒に自分の席で昼飯を食べている頃だが、今日はそれをともにするようなやつは誰もいない。
まずはどこに行こうか。とりあえず長門、古泉、朝比奈さんのうち誰か一人でもいるのかどうかだ。
あの時のようにクラスが丸ごと消えたりしていないことを祈る。
だがハルヒも国木田や谷口すらいない。そして廊下ですれ違うやつらすらおれは見覚えが無い。
あいつらがいる可能性は恐らくゼロに近いだろう。それでも確かめなければならないな。
いるならいる、いないならいない。その確証が欲しい。

そう思いながらおれは五組、九組、そして二年生のクラスを順々に回っていったが、知っている人間の姿はとうとう見えなかった。
九組は消えてこそいなかったが知らない人間であふれていた。どいつもこいつもテスト勉強してたな。動きの統率が取れすぎて不気味だったぞ。

なら文芸部室はどうだ。あそこならもしいなくとも長門なりなんなりが残した手がかりが見つかるかもしれない。
いつもそうだった。ハルヒと二人で閉鎖空間に引きずりこまれたときも、長門のエラーが拡大したときも、おれはあそこできっかけを得ていたんだ。
一番何かある可能性が高いのはあそこだ。


そうと決まったら行くしかない。おれは廊下をひたすら歩き、部室棟に向かった。
窓の外は曇り、風に煽られて窓が唸っている。学校の窓はぼろいからというのはわかる。しかしいつもならそれも生徒の喧騒でかき消されてしまうものだ。
今日はいつもとは違った。廊下にいる生徒もおれ以外にまばらに何人かはいる。だが、いるだけで異常に静かだった。
すれ違う生徒は常にひそひそ声で話している。こっそりと会話する見知らぬ生徒たち。そしてガタガタと嫌に響く窓。唸る風。
...気味が悪い。雰囲気が暗く、じめっと粘着するような心地。心寒い。
おれの心が疲弊していく。くそ、こういうときこそ弱気になってはいけないんだ。
だが、ひそひそ声とこの暗い雰囲気のせいだろうか。冷たい風も室内なのに鳴り止まない。
なにより、怖い。おれは不安を通り越して恐怖をほんの少しだけ感じるようになっていた。


正体不明の視線を感じる。


どこから、というレベルではない。どこから「も」見られている気がする。
すれ違いざまに、遠くから、ひそひそ声とともに、心のうちまで。おれの深層心理、不安、恐怖。すべてを見透かされている気がした。
気のせいと思いたかった。おれのことなんて気にかけるなと、誰となく叫びたかった。
だがそれを自覚した瞬間、おれは心が締め付けられたような不安に襲われることになった。
今も心寒い風がおれに突き刺さる。おれはできる限りの早足で部室に向かっていた。
「なんなんだよこれは...」おれは無意識のうちに呟いていた。

四方八方から突き刺さる視線。体を貫き過ぎ去るような風。この上ない不快感を感じつつ、おれは文芸部室に到着した。
おれは扉に手をかけようとした。が、なぜかそこから手を動かすのをやめていた。
この部室の中はどうなっているんだろうか。いつものように長門が隅で本を読んでいるのか、それとも空なのか。
ありとあらゆる空想がおれの頭に巡り、回っている。
また朝倉が現れたりしたらどうだろうな。様々な予想、想像をこの教室に来るまで、こうして扉の前に立ってまで、もおれはまだ頭を働かせていた。
今のうちに頭を整理しておいて方がいいだろう。予想なら複数パターンを、それもできるだけ酷なものがいい。
唐突な現実についていけるように。

「ふぅ..」
おれはふとため息をつく。
ここまできて躊躇する必要は無い、か。開けてみればわかることだ。
おれはドアノブに手をかける。そして部室の扉を開こうとした。

しかし、扉が開くことはなく、ガチャガチャと鍵がかかっている音が響いているだけだった。
おれは扉の上にかけてあるクラスカードを見た。クラスカードにはきちんと「文芸部」と書いてあった。
施錠の管理が厳しいのか。それとも廃部になっちまったのか?
ま、こっちじゃ長門一人だったからな。案外後者の方なのかもしれない。
「ははは、なんだよ。そうきたか。」
この奇妙な空間に迷い込んでから独り言が多くなったな。
...仕方ないか。話す人間がいないんだもの。
もちろん部室棟の中からは人の気配は感じられない。
ハルヒに長門、朝比奈さんや古泉。そしてSOS団。主がいないと静かなもんだ。


さて、どうするか。
これで学内における心当たりはすべて消えうせた。
結論。
この学校にはおれの知ってる人間はだれもいない。
ここまで歩き回ったんだ。それにもう異議を申し立てるつもりは無い。
いや、この学校だけじゃないだろうな。あの家族すらもいなかったんだ。
おそらく他校に移動している、なんてこともないだろう。
ではなぜそうなったのか。そもそもここはなんなのか。
そんなものおれがわかるわけが無い。無事元に戻れた際に古泉にでも解説を頼むさ。
どうすれば元に戻れるのか。
これがいったいなんのタチの悪い冗談なのかわからないのにそんなことがわかるはずが無い。

つまり、お先真っ暗だ。

だが、このままでいるつもりは無いさ。おれの中ではっきりとしてること。
それは「おれはこの空間が嫌いだ。」ということだ。
なんとしても元に戻る方法を探し出してやる。
そして戻った暁には、こんなふざけたことをしでかしたアホを思うままにボコボコにしてやるさ。

もうここにいても意味ないか。とりあえず行くところもないし、教室に戻ろう。おれにとってはあそこも今は居場所と呼ぶには居心地が悪すぎるがな。
ここが本当に開いていないのか。放課後になってまたきてみるか。廃部になって開かなかったとしても、合鍵かなんかで開けてもらう。
手がかりが残っている可能性が一番高いのはやっぱりここなんだ。
おれは誰も居なくなった廊下を歩く。窓の外に移る薄暗い曇り空が、いやらしくおれを嗤っている気がした。


教室棟を歩きながらおれは思考を止めないよう心がけていた。
なんか、こういうときは自分を失ったらもう戻ってこれない気がしていたからな。

だが....本当にここにはおれの知っている人間は存在しないのか。
そう思ったとき、いろんなやつの顔、いろいろとやった馬鹿な遊びや活動がありありとよみがえってきた。
ハルヒと朝比奈さんが笑いながらちびっこどもと戯れている。離れたところで長門がそれを動かずに見ていて、おれと古泉はサイドでオブザーバーにまわっていた。
永遠の夏休み。陽だまりのプールサイド。
いよいよハルヒの影響力がやばくなっていた映画撮影。目からビーム。喋る猫。振り回されるおれたち。特におれ。
長門の親玉を垣間見た中河、会誌作りに巻き込まれた国木田と谷口。突如消息を絶ったコンピ研部長。そして自分から渦中に突っ込んだり離れたりの鶴屋さん。
...色々思いだしすぎだ。過去を振り返る暇は無いだろうが。
ふぅ..こんなときに走馬灯か、まったく縁起の悪い。おれはまだ絶望しちゃいないぜ。
他校に移動した可能性も無くはないと思われる。しらみつぶしに近くの女子高にも行ってみよう。

そう虚勢を張ってみても、心の中ではわかていた。だれか知っている人に会うことはないのだろうと。
では元の世界に戻る方法がわかる時がくるまで、おれはこの心寒い空間にいなければならないのか。
一体おれはどうすればいい。ここには手を貸してくれる長門も、当てにならない推論をしゃべくる古泉もいない。
完璧におれ一人。おれはこの世界に何かを見出すことができるのだろうか。

向けられる視線をできるだけ気にしないように心がけて、おれは教室に帰ってきた。
相変わらずおれの教室には知らないやつが蠢いている。少しだけ期待したおれが情けない。
誰も話しかけてこないし、話しかけるつもりもないのでおれはとりあえず自分の席に着いた。
おれのすぐ後ろには知らない女の子が座っていて、これまた知らない女の子たちと談笑を繰り広げている。
そこはハルヒの席なんだ。今すぐどいてもらいたい。...と言いたかったがさすがに言えるわけもなく、おれは視点を定めることもなく、ボケッとしていた。
今この瞬間も気持ち悪い視線を感じている。
だが、どうやらこのクラスの連中じゃなさそうだ。おれの方を見ているやつは誰もいなかったからな。
とりあえず寝よ寝よ。きっと疲れてるんだろうなおれは。
そしてこのまま目が覚めたらいつも通りの日常に戻って...なーんてことはありはしないだろうが、
とりあえずやることもないし、おれは自分の席で寝ることにした。
やはり精神的にも結構きてたのか、早々と頭がボーっとしてきた。ものの五秒でうとうとと思考が夢に奪い去られていく感触を感じていた。
机に顔と腕を伏せて目を瞑る。
その時だ。

このクラスにいる全員がおれを見ている光景が視界に飛び込んできた。

!!!
焦って起き上がったおれは一発で目が覚めた。クラスを見渡す。そんなことは一切無かった。おれの方を見ていたやつなんて誰もいない。
いつの間にかおれは顔に汗をたらしていた。
...今のはさすがに堪えた。今のはなんだ。今までで一番インパクトがあった。
おれが寝ようとした瞬間だ。眠気なんて一発で吹き飛んだぜ。
にもかかわらずクラスは常にいつも通りだった。
何気ない談笑やテスト勉強。もうそこには微塵も違和感なんて無い。

おれがおかしいのか。とうとう精神がやられちゃったのかよ。
さっきおれの視界に飛び込んできたクラスの連中。全員がおれを見据え、どこか嘲け笑っている気がした。
全く表情の読めない顔。目。口の動き。長門なって目じゃないあくどさを感じた。

ん...ちょっと待て。今のはちょっとおかしくないか?
なんだおれはなんつった。何をしていた。
心のどこかにひっかかる何か。
形は不明でも、明らかに何かが存在する確信。
なんだ、なんだ。ちょっと振り返ってみろ。どこかがおかしい。

ほんのちょっと前だすぐ思い出せるだろうが。

おれは寝ようとした。そして眠る瞬間にクラスのやつらの視線が飛び込んできたんだ。
そうそれで、それだけじゃ別に違和感は無いはず..いや待て。
おれは確か「机に伏せて目を閉じていた」はずだ。
なのに「視界」だと。そんなことあるわけ無いだろうが。目を閉じていたんだ。
じゃあ何か?あれはおれの妄想と夢が作り出した幻か?それはあまりにも信じがたい。それだけのインパクトがあったんだ。
あれはもうしばらくは頭から離れそうにない。
そしておれの頭の混乱もそろそろ限界を迎えそうだ。
声にこそださないものの、頭の中は既に辟易している。


おれは起き上がり後ろに振り向いた。後ろにいるのは例の見知らぬ女だ。三人ほどで会話を楽しんでいる。
別に仲良くなろうというわけじゃない。
あんまり気が進まなかったが、あたりさわりないことを直接話して少しでもわかることがあればいい。
それに一人の頭だけで抱え込めるほどおれにはもう余裕はない。
「なあ。ちょっとすまないが。」
おれの声は若干引き目になっていた。いや無理も無いが。
おれが朝からいままで言葉を聞いたのはこいつしか居ない。とりあえず席が後ろのこともあって話しかけるのはこいつからだ。
「どうしたの?」
友達との会話を止め、おれの方を見た。友達らしき二人もおれの方を見ている。
「いや、勉強してるやつ多いな。お前も勉強進んでるか?」
後ろの女は軽く笑った。
「え、何言ってんの。うちのクラスっていつもこんなもんじゃん。」
そのいつもがおれにはわからないんだよ。

こいつとは普通に話すことができた。
このクラスのこと。北校のこと。どうやらこの状態、クラス構成がこいつらにとってはスタンダードであることも理解した。
何気ない話を繰り返し、そんなに悪くないやつもいるのかと思い始めていた。
会話も弾み、友達らしい二人もおれと話しながら笑っていた。そろそろ頃合と思い、聞いてみようと思った。
おれは意を決し、次の単語を述べた。
「涼宮ハルヒって名前に、聞き覚えは無いか?」
その時だ。
三人の動きが、ピタっと止まった。

動きが止まり、三人はおれを見続けていた。感情のこもらない目で。ひたすら無機質な目で。
そして三人が口を揃えて言う。

「知らない」

そう言い放つと、三人はおれをほったらかして話し始めた。
それから、そいつらはおれが何を話しても無視を決め込んでいた。おれはあの視線が正直きつかったのでもう干渉しないことにした。
...何がどうなってんだ?なんで涼宮ハルヒの名前を出しただけでああなる。
知ってるのか?知らないのか?拒否とも取れる返事。
こんなの初めてだ。

昼休みも終わり、今度は放課後を待つことにする。
授業なんて知ったことじゃない。そんなもの今のおれにはどうでもいい。
涼宮ハルヒを知っているのか。それとも単に知らないのか。それすらもわからないじゃないか。
まだだ。おれはまだ粘ってやる。
何かが残っているはずだ。根拠なんて何もない。
だけど、そうでも思わなけりゃおれはもうやっていけない状態だった。
チャイムが鳴っていたことにすら、今のおれは気づくことができなかったんだ。


掃除をこなし、誰かもわからん教師のホームも終わり、おれは後ろのやつもこともあって、この教室にいるつもりは無かった。
文芸部室へ向かう。
先ほどは教室が開いてすらいなかった。
だが、それは昼休みだったからかもしれないし、偶然だったかもしれない。
おれはそういう思いをこめて、旧館に向かった。

旧館の廊下をおれは歩いている。
まもなくおれは部室につくところだ。
ちなみに隣では相変わらずコンピ研が活動中だ。あんたらも物好きだねえ。
どこかで言わなかったっけかこの台詞。気のせいか。
あの意気揚々の部長氏は存在しないだろうがな。
こうしておれは部室についた。いつもならこの扉を開けば、メイド姿の朝比奈さんがお茶を入れていたり、
隅で長門が本を読んでいたりしているのだが、今更おれはそんなもの期待していない。
まず、開いているかどうかだ。
そう思っていた矢先、おれは部室の中から話し声が聞こえた。
なんだかとりとめのない感じの会話だ。
これは期待できるか?
おれは扉を開いた。

そこには、全く見覚えのない女の子が五人いた。
誰、あなたたち?

おれは完全に失った語る口を何とかこじ開け、言葉を発した。


「ええと、ここって文芸部室ですよね。」
おれの発した言葉、向こう側としてはさぞかし意味不明に聞こえたことだろう。
少し戸惑っているようで、「はい。」と答えた。
五人わきあいあいと部活動を楽しむ女の子たち。そこには微塵の悪意も感じられない。
でもさっきだって嫌な思いもした。おれは単刀直入に聞くことにした。
「じゃあ、長門有希って部員、いませんか。」
全員がその名前に反応した。
だがおれの思っていたような反応ではなかった。
全員がおれをにらみつけるように見据え、

「いません」

と答えた。
「え、あの、めがねをかけたおとなしい読書好きがいませんでしたか?」
「いません。」
五人揃っておれを怒鳴りつけるようにおれに答えた。
今度はやばかったね。正直背中に悪寒が走った。なんだ。知っているのか知らないのかどっちなんだ。
いないのか。いないのならいないって言ってくれよ。
こいつらといい例のクラスメイトといい、意味がわからない。
なんでそんな態度が取れる?なんで人並みな会話すらできない?
知らないなら知らないで、それで終わりのはなしだろう。
おれの混乱は頂点に達した。おれの頭は止まってしまったんだ。

もうわけがわからない。何でだ?知らないのになんでそんなリアクションになるんだ。

いや、この際そんなものはどうでもいい。どうだっていい。

そんな目で、おれを見るなっ!

おれは連中からじりじりと遠ざかって、走り出した。
もういやだ、。そんな目をおれに向けるのはやめてくれ。
今はもう考えるのもやめた。ひたすら走る。
どんな視線だろうがもう気にして..気にしてたまるか。
目的地はない。ただ走っていた。


気がつけば、おれは屋上にいた。
なぜだろう。いつもなら屋上は鍵が閉めてあるはずだ。
でも、もう気にもならない。そのくらいどうってことない。
おれはこのわけわからん空間に来てからのことを思い出していた。

何もかもがいきなりで、理解できなくて、不安で、怖くて。
そしておれは鞄を壁に放り投げた。そして壁を殴った。
何度も何度も、何度も何度も。痛み?知るか。今この状況が一番きついんだよ。
「くそっ、くそっ!...」
おれは壁を殴り続けた。
「..くそ.....。」
腕が限界を越えそうだった。おれは壁を殴るのをやめた。
知ってるやつなんかだれもいない。おれが居場所をつくれる空きスペースも無い。
なにもかもがおれを除いてうまく世界が機能している。
なのに、常に、おれに何かが付きまとう。
心寒い風が吹く。こんなもん、もう慣れちまった。
「いくらでも吹けばいい.....どれだけおれが不安がったところでなにも変わりはしないんだ。」

自分の言葉に、絶望していた。

おれ自身が吐いた言葉におれは気づかされてしまったのだろうか。おれはもう限界だった。


立っているのも億劫になり、おれは座り込んでいた。
「はは。もういいのか、もう..いいんだよな....。」
涙を流す感慨すらこもらない。おれの視界にはいつまでも暗澹としている曇り空が映っていた。
いつまでも。どこまでも。広がる絶望。それを示しているようにこの学校や町並みすらそれに染まっている気がする。
もうこの暗い灰色しか見えなかった。
おれは歩き出していたようで、数歩歩いて、屋上の手すりにぶつかった。
「......」
手すりを見つめる。そして手をかけた。
おれはどうすればいいのか。そんなことはもうどうでもよくなった。
どうにもならないのだから。
どうかしたところでおれには何も残らない。
誰も居ない世界で。拠り所の無い世界で。
ここにおれの居場所は無い。

「どうせ狂ったこの世界。...いや、狂っていたのはおれなのかもな。」
そうか、あの楽しかった非日常的な日常もおれのおめでたい脳みその中だけの話だったのかな。
わかったよ。そう考えればおれに未練なんてないさ。
何もない場所に持つ未練は無い。

でも、おれは...楽しかったんだぜ。本当に、生きる意味を見出していた。
ハルヒに追いかけられて、振り回されて。長門に頼って、時々行動に首をひねったり。
朝比奈さんにのぼせながらも、健気に頑張る姿に尊敬を覚えたり。
古泉の推論や雑談に付き合ったり、付き合わされたり、それでもあいつもSOS団が好きで、夢のあるやつで。

楽しかった。

もう戻れないんだな。なんだかんだで満ち足りていたおれには、この空虚な空間にはもう耐えられない。
戻るも何も、こっちがもともとのホームだったりしてな。はは、もう笑う気にもなれねぇよ。

「悪いなハルヒ。もうきついんだ。」

そう無意識に呟いておれは手すりにかけた手に力を入れる。


.......ちょっと待ってくれ。
手すりを越えようと力を入れた瞬間、おれの頭で何かが引っかかった気がした。
ほんの少しだけ手ごたえを感じた釣り竿のようにかすかなもの。

おれは何かを忘れてないか。

おれは無意識に何かを呟いたんだ。
そう「悪いなハルヒ。」と。
どういうことだ。なにが悪いんだ。
おれはこいつと何かしてたっけ?なんだった。
せっかく引っかかった何かだ。釣り損ねるなよ。なにかものすごく重大なことのような気がする。
いつのまにかおれはハルヒについて思案を巡らせていた。
そして、ふと昨日の出来事が頭に浮かんできた。
その時ハルヒは少し照れていて、おれに掌を、いや小指を出したんだっけ。

「約束よ。誓う?」

そうか...完璧に思い出した。そうだおれはハルヒと約束をしていたんだ。
そしておれは何と言ったたんだ。

「...誓わせていただきます。」

そうだろうが。

最早、今のおれは屋上にいることすらすっかり忘れていた。
あの照れ隠しのハルヒの顔が頭に浮かんできたせいで、おれの思考が再び復活した。
絶望の淵にいたおれの中、ほんの刹那の間に飛び込んできたのは、
やっぱりハルヒ、お前だった。
あの一言が無かったら、おれは空を飛ぶこともなく、すべてに押しつぶされてしまっていただろう。

おれはさっきまでの沈んだ空気とは心機一転、これからどうするかを考えていた。
今となっては、沈んだ空もさっきよりはまともに見える。
そして壁に叩きつけた鞄に目をやった。
「勉強...しねぇとな。」
この言葉が出てきたことは我ながら意外だったが、今はそれしか考えていなかった。
そうだ。勉強をして、なんとかして成績を上のほうにもっていって、ハルヒの約束をまもる。
内容なんてどうでもいい。ハルヒとの約束を守るんだ。そのためには...勉強っきゃねえか。
「わかったよハルヒ。勉強してやる。今になってようやく勉強がしたくなったんだ。」
おれはそう自分に言い聞かせるように上を向いて言葉を発した。
全く、いもしないやつとの約束を守るなんて初めてだ。今度礼を言っておくか。どうにかしてな。
そう思ったそのときだった。

パキン

もう古くなっていた代物なのか。それとも単なる突発的なものか、
手すりがぶっ壊れた。


そしてそれに寄りかかっていたおれはそいつの落下に付き合わなければならなくなったようだ。
マジかよ。
くそ、せっかくここでやるべきことも、やりたいことも見つけられたのによ。
目の前に手すりはもう無い。
前に寄りかかった体重はおれに落下を促していた。

だが、その時、おれのブレザーが後ろに引っ張られた。
なんとか安全圏まで引っ張られ、おれはひとまず安堵のため息を吐いた。
「って、え...?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「注意力が散漫してますね。この情報化社会、石橋はハンマーで叩くくらいが調度いいのですよ。」
この少しキザの入った声。だが、おれには何もかもが懐かしかった。
おれは後ろを振り返る。
この空間にいて初めて知っているやつを見た。
「お前...。」
気がついたら半分涙声だ。
おれもまさかコイツを見ただけで泣きそうになるとは思わなかったが、それだけおれはうれしかったんだな。
「どうも。元気にしてましたか?」
SOS団副団長兼企画係。古泉一樹がそこにいた。



おれは少しキザの入った副団長に驚き、やっとこさで言葉を発した。
「本当に古泉か。お前今までどこにいたんだよ。」
古泉は肩をすくめてみせる。やっぱどう見ても本人だな。
「たった今ですよ。今ここに来ました。...どうやら、憔悴しきっているようですね。この屋上という場所と状況を鑑みても。」
ふん、その通りだよ。まあいい。この際、好きなだけお前の解説を聞いてやるさ。
「たった今?どういうことだ。そもそもここはなんなんだ。」
今回の古泉はえらくマジな顔をしていた。
「僕にも詳しくはわかりません。ここまでこれたのは僕の力ではないのでね。それにそこまで時間があるかどうか。」
「またしてもどういうことだ。ここにいるにはおれとお前だけなのか?」
古泉は後ろを見ていた。階段を上って来る音が聞こえた。
「空間座標の設定等で、僕だけ先に屋上へ飛ばしてもらいました。紙一重でしたね。あのままでは無事には済まなかったでしょう。
どうやら到着したようですよ。」
階段を上り終えて入り口に立っていた。そこにはいつもSOS団の無口キャラ(ハルヒ談)、長門有希が立っていた。
「長門...」
長門はまっすぐこっちを見据えている。いつも通り視点をそらさない。
「無事?」
「ああ。なんとかな。死ぬ寸前だったが、」
長門は右手を差し出した。
「手、見せて。」
「え、ああ。」
さっきまで壁を殴り続けていた手だ。
長門がその手を握る。
正直痛みが走ったが、それ以上に温かみがあった。
また涙が出てきそうだ。

「痛い?」
「いや、大丈夫だ。」
長門はおれの手をじっと見ている。
「そう。」
そしていつの間にか、痛みが消えていた。殴った跡も消えた。
「...ありがとな、長門。」
「......」
長門は何も答えない。どう考えてるのかわからないが、いつものことなので放っておく。
おれは古泉に向きなおしておれは尋ねた。
「で、説明してもらいたいんだが。」
古泉はふと考えるように答えた。
「お察しの通り、ここは通常空間ではありません。詳しいことはやはり不明です。誰が作ったのか。具体的な仕組み。
機関でも緊急会議等てんやわんやで大騒ぎですよ。ひとつの結論には達したものの、それはまだ仮定の域を出ませんし、
他の可能性も一山いくらで存在しています。ですが、先ほど僕らが潜入できたことで少し正解のパーセンテージが上がったとは思いますが。
どうですか、長門さん。」
長門は古泉に振り向くこともなく答えた。
「正確には言語では説明できない。ここは通常空間から隔離されたものではあるが、他とは全く異なるシステムを使っている。それは対象者の精神を利用し、
媒体とシステムを溶け込ませるという表現が一番近しいと思われる。
そして、媒体や使用目的を重ね合わせ検討した上で、私たちに干渉する手段を模索していることが考えられる。これもその一つ。」
やっぱやめ。もはや頭がついていかん。こんな会話に溶け込めるのは古泉くらいしかいないだろうが。
「なるほど。ですがこちらとしてはそれで要領を得るのはなんとも難しいようです。
ではあの雪山の件に似たものであるということにしておいてよろしいですか?」
「構わない。」
なら最初からそう言ってくれ。

「しかし、こんなふざけたもん作りやがったのは一体誰なんだ?おれを追い詰めてなんになる。挨拶がてらぶっとばしてやってもいいぜ。」
古泉はそのおれの疑問に答えた。全くうれしいものではなかったが。
「その様子をだと、大分つらい目に遭ったようですね。簡潔に説明してもらってもよろしいですか?」
おれは、気づいたらここにいたこと。知っている人間が誰もいなかったこと。視線を常に感じていたことなどを簡単に説明した。
それを聞いた上で古泉は答えた。
「なるほど。そういう手できましたか。」
そういう手ってどういうことだよ。そいつらはおれを殺してどうすんだ。
「いえ、その『彼ら』の目的はあなたを殺すことではありませんよ。」
じゃあなんだ。現におれは飛び降りようとしていたんだ。
「それでもこちらではあなたが死んだことにはなりえません。そうですね。彼らの目的はあなたを『壊す』ことにあるんですよ。」
壊すっておもちゃじゃないんだから。
「ほんの実験のつもりだったんじゃないですか?現にあなたはこちらの世界でも普通に出席していましたよ。」
...なんだって?
「おれがお前らのところでも出席していた?本当かよそれ。」
おれにはそんな自覚があるわけがない。こいつらが現れるまで、この何もない世界におれは放り込まれていたんだ。
「ええ、本当です。ですが、ひどく体調が優れないのかと、涼宮さんが心配していましたよ。涼宮さんや国木田氏がクラスで何をたずねても空返事、生返事。
部活で国木田氏が止めながらも涼宮さんが一度怒って拳骨を振り下ろしたときも大したリアクションをせずに席に戻っていました。
さすがにあれには面食らいましたよ。まさしく心ここにあらず、でしたね。」
そんなことをしていたのか現実のおれは。大したやつだ。
「そして、長門さんがあなたを分析するように凝視していたので少し尋ねてみたんです。で、案の定というわけです。
そして、それを機関にも報告して、ずいぶん慌ててましたが、ここに入り込む隙を伺っていたんですよ。」
「だが、おれはずっとここにいたんだぜ。おれの意識は常にここだった。なのに向こうにもおれがいて、ここは一体なんなんだ。」
古泉はやっとわかった、というような鋭い目つきになった。頭の中で整理がついたのか。

「先ほどの長門さんの説明で納得がいきました。ここはあなたの精神とリンクした世界なのです。
あなたの精神状態が作用することもある。
あなたの心の揺れが、ここの現実に影響を与えると思われるものがあるんじゃないんですか。
それをうまく利用し、あなたを追い詰めるのがこの空間だと思われます」
...あの心寒い風か。なるほどな。おれの不安が増大するとあおるように強くなり、おれが心からへこたれなくなったときには弱くなったりしていた。
「あなたの話を聞いた限りでは、おそらくこの空間のキーワードは不安と恐怖、そして嫌悪感です。
それによりあなたを追い詰め、内側をつぶす。実に賢しい方法です。爪が甘かったですけどね。」
内側をつぶすといわれてもな。じゃあおれが屋上から落ちてもなんとも無かったんじゃないか。
「そうとは一概に言い切れません。心と体は連結しています。心がつぶれれば肉体はおそらく考えることすらできないただの抜け殻にでもなるでしょう。植物状態です。
そしてそれを目論んでこの空間を製造したのだと思われます。あくまでも彼らの目的は涼宮さんですよ。あなたはトリガーにされるところだったのです。強制的にね。」
何のトリガーだよ。おれはあいつの付属品か。
「そうではありません。いまや涼宮さんはあなたを大切な拠り所にしているのですよ。ならば、あなたを失うことでどのような反応を得るのか。
そういう風に考えている派閥も星の数いるということは知っていますよね。
失うと言っても殺してはいけません。人の死による悲しみは一時的なものなのです。むしろ乗り越えるものでもある。
ですがあなたが心をなくし、永遠にただの器になってしまったらどうなるでしょうか。
涼宮さんはあなたを元に戻すため、または守るため、何かを模索し、考え、実行に移すでしょう。それが死ぬまで続くのだとしたら、
そう考えれば彼らはあなたを内側からつぶすことを選ぶに違いありません。涼宮さんの不可解な力を研究し続けることが出来るのですから。
涼宮さんがとんでもないほどの現象を数々引き起こす。それはなんと言うんでしたっけ。」
とめどなく喋る古泉。今度は長門が口を開いた。お前ら打ち合わせでもしたのか。
「情報フレア。それを望み実行に移した何かがいる。おそらく複数の派閥が手を組んでいる状態。」
「そうなのか。そんなふざけたことを考える連中がいたんだな。まったく誰だよそいつらは。」

「おそらくですが、それは僕たちが潜入できた理由と関係しています。
僕と長門さんがこの空間に入り込めたとき、あなたはさほど絶望してるようにも見えませんでした。
それがキーになっているのではないのでしょうか。」
あのとき、確か勉強をしようと決意したときだったっけ。まさかあれだけでか。
「多分、それでビンゴでしょうね。」
いやいや、単に「勉強しよう」と思ったことが空間の入り口を作ったキッカケになったってのはちょっと苦しくないか?
「いえ、そうでもありませんよ。あなた、勉強が嫌いでしょう。押し付けられたら嫌なものなんじゃないのですか?」
それはそうだが、でもいくらなんでも単純すぎないか?そんな簡単な感情で入り口が出来るものかよ。
「それはあなたの決意に関係しているのでしょう。この際、内容は問いません。何かか契機となり、あなたの中に強い想いが生じた。
それでこの空間に不具合が生じてしまったんです。その隙を突いて長門さんが空間をこじ開けてくれたんですよ。
おそらくあなたの感情の変動に不意打ちを受けてしまったのではないのでしょうか。要するに人間の感情に瞬間的に空間がついてこれなくなったのです。
まさかあなたが自分から勉強したいと思うとは彼らは思いもしなかったのでしょう。」
最後の下りは適当っぽいが他はどうやら大真面目のようだ。
「しかしだな。そんな人の気持ちも考えられないようなやつがこんな空間作ったってのか。どんだけ不器用なんだそいつは。」
長門は黙っている。その隣の古泉が言葉を発する。



「身に覚えはありませんか。このようなシステムを作れるほどの力があり、涼宮さんに非常に関心を持つ。
そして人間の感情というものに対してはそれほど明るくない存在です。あなたに心当たりは?」
なんだそれは。だが、どうやらおれの記憶が反応していた。やはりそういう存在をおれは知っているのか。
その記憶を思い返そうとする。全自動でぐるぐるめぐりめぐるおれの記憶から一つの記憶が浮かび上がった。


おれは確か教室にいたんだっけ。そう、おれは誰かと教室で話しをしていた。
まるで純粋な明るい笑顔。結構会話が弾んでいた、と思う。
「まあ、そういうこともあるんじゃないか?」
「でしょう。」
なんか主題が明確にならないまま話は進んでいく。

と思っていたらコイツは急に豹変したんだ。
セーラー服を着こなし、聡明さを思わせるゆったりとした落ち着いた笑顔。

右手にナイフ。

――わたしには有機生命体の死の概念がよく理解できないけど――


「.....情報統合思念体か。」
古泉はわかりやすく頷いた。
「機関の方でもその可能性が一番高いとしています。
おそらくは情報統合思念体のどこかの派閥が主導してこのような悪趣味なシステムを組んだのでしょう。
ここが閉鎖空間ではない以上、僕単独の潜入は不可能でしたし、だから長門さんにも協力してもらいました。
なにより、長門さんも行きたそうでしたしね。」
今度は長門が頷いた。ゆっくりとちょっとだけ。慣れているやつが見ないとわからないんだろうが。