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長門有希の報告Report.8 - (2007/01/14 (日) 19:16:44) の編集履歴(バックアップ)


長門有希の報告
Report.8 長門有希の操作

今日、すること。
この流れなら言える。
以前試みて、出来なかったこと。
ネット上の、彼女に関する個人情報を消去する。
やはり彼女が日常生活を取り戻すためには、この過程は必要となる。
情報統合思念体としても、涼宮ハルヒが世間に妙な注目を浴びて、
余計なストレスを受けることは好ましくないと大勢は判断している。対処が難しくなるから。
そしてもちろん、わたしという個体も、彼女が日常を取り戻すことを……強く、願っている。
実現のために必要なことは……彼女、涼宮ハルヒの同意。
どのように話を持っていくか。
考える。昨日、わたしは彼女と一緒に帰宅するために、彼女に変装……男装をさせた。
そう。彼女は、そのままでは誰かと一緒に歩くことも叶わない。
そして何より、彼女の仲間……SOS団に近づくことさえできない。団長であるというのに。
このままで良いのか、彼女に問い掛ける。彼女は否定すると予想される。
そこで、日常に戻れる方法として、ネット上の個人情報を消去することを提案しよう。
この線だ。
彼女が同意さえすれば、情報の消去はたやすい。
むしろ、彼女に対する偽装工作の方が重要となる。
どのように彼女に現象を納得させるか。
あくまで、一般的な人間の理解の範囲から余り外れない方法で納得させるのが望ましい。
その方法については、1つ心当たりがあった。少し無理があるかもしれないが。
方針は決まった。
以上のことを、わたしは彼女と抱き合いながら、耳元で囁きあいながら、考えていた。
まだまだ彼女とこうしていたいという『願望』はあったが、それは好ましくない。
「……そろそろ起きないと。」
「むふー、残念。」
わたし達はゆっくりと体を起こした。ようやく今日という1日が始まった。

洗面台。わたし達は並んで歯を磨く。
彼女は歯磨き剤を使わない。いつまでも口の中に味が残って、食事の味が変わるのが嫌なのだという。
「なんで、歯磨きって、ミント系の味しかないんやろな?揃いも揃って。他の味、というか、
あんまり味がせえへんやつ、味が残らへんやつがあってもええと思うんやけどなー。」
などと言いながら、わたし達は同じタイミングで同じ動作をしていた。うがいのタイミングまで同じ。
朝食は、昨日買ってきたコンビニエンスストアの弁当その2。
彼女もわたしも、Tシャツとパンツだけを身に着けている。
「女同士、気にすることないやろ?一緒に風呂入った仲やんか。それに……(ごにょごにょ)」
とは、彼女の弁。なお、不明瞭な後半部分は、あえて記すこともないと判断した。
わたしは、いつもの無表情の裏で、話を切り出す時機を窺っていた。
人間が服装に特別な『思い入れ』を持っていることは、知識としては知っている。
衣服を身に纏うことは、毛皮も鱗も持たない有機生命体である人間が、
生命活動を維持するために気温等周囲の環境から身を守る行動。
しかし人間は、衣服に別の情報を付与した。
『おしゃれ』
衣服その他を用いて、人間は自らの身体を装飾することを覚えた。
最初それは、他の生命体同様、繁殖のために異性を惹き付けるための行動だった。
例えば孔雀のオスの華美な羽や、タナゴやオイカワに現れる婚姻色の代替手段として。
毛皮等を持たず、明確な発情期がなく、身体に余り変化が現れない人間にとって、
衣服で異性を惹き付けることは、制限から生まれた苦肉の策といえる。
またしても、制限による工夫。

当初は異性を惹き付けるための苦肉の策であったおしゃれ。
これは換言すると、『他者とは違う格好をすることに意味を持たせる』行為。
そこに、新たな情報が生まれた。
人間は、性別、地位、職業その他の様々な属性の違いに応じて、
服装を変えることで違いを表示するようになった。
例えば『制服』。
人間は、一定の職業と性別に合わせて、一様の衣服を着ることで職業と性別を表示する。
そうすることで、他の職業の人間との区別を行いやすくし、その職務執行を円滑にしている。
そして涼宮ハルヒが朝比奈みくるに行わせている『コスプレ』や、
昨日わたしが彼女に提案した『変装』及び『男装』は、こうした属性を表示する制服の機能を利用した行為。
そういえば、『萌え』という感情は、人間の性的衝動と深い関係があることが分かってきたが、
萌えを刺激するコスプレや異性装が、元々は着飾ることの原因だったものの、
後に切り離されていった性的衝動に再び繋がるのは興味深い。
わたしは、服装についての情報に重きを置いていない。周囲の環境から身を守るという機能は、
わたしにとって無意味。例え裸であっても、機能上はまったく問題は無い。
裸で表を出歩かないのは、身体を覆わないことを禁則事項とする認識が人間社会に共通して存在するから。
身体を覆う面積は地域、文化、風習等で差異が生じるが、どれだけ覆う面積が小さい、
裸に近い姿で生活している文化でも、生殖器だけは何らかの方法で覆うことは共通している。
そこにどのような意味、あるいは『意識』が込められているのか、わたしには実感できない。
ここからは推測になるが、それには『生殖能力』が関係しているのではないだろうか。
わたしには、『生殖能力』は存在しない。『性器』は有するが、『生殖器』としては機能しない。
必要が無いから。
だが、もしかすると、人間をより詳細に観測するためには、無くても良いと判断できるような機能でも、
備えているといないとでは、観測結果に微細な又は重大な差異を生じるのかもしれない。
この点について、現時点では情報が不足している。
情報の不足を解消するためには、やはり実験してみる必要があるだろう。
わたしを使うのか。あるいは別のインターフェイスを使うのか。
どのような手法によるものかは分からない。

長々と服装について考察していたのには理由がある。
わたしが立案した計画は、服装も大いに関係がある。わたしは待った。
「ごちそーさまっ。」
「食後はコーヒー?」
「えっ!淹れてくれるん!?」
「待ってて。」
わたしは台所に行き、お湯を沸かしながらドリッパーを準備する。
「あたしはカフェオレでお願い!豆乳でー!」
コーヒーを淹れ始めると、すぐにコーヒーの香ばしい匂いが立ち込める。
フィルターを外して蓋に差し替え、リビングに向かう。カップセットは2つ。砂糖はなし。
「ブラックはよう飲めへんけど、甘いのもあんまり好きちゃうねん。」
甘くないカフェオレが一番具合が良いそうだ。わたしはブラックで飲む。
『ふーーーっ。』
思わず息をつく。1人で飲んでも特に何も感じるものはなかったが、今は2人。
これもまた食事と同じく、おいしいものだった。
「さて、今日はこれからどないしよ?」
彼女はぽつりと呟いた。
来た。
「朝の続きする?」
彼女はにんまりと笑いながら言った。
「それは推奨できない。他にやるべきことがある。」
わたしは彼女の瞳をまっすぐに見据えて言った。
「わたしに考えがある。」

「あなたは現在、表を普通に出歩ける状態ではない。買い物もできない。この原因は1つ。
ネット上に晒されたあなたの個人情報。これを消去しない限り、あなたへの来襲はやまない。
でも、ひとたびネット上に掲載された情報は、無限に複製し拡散できるため、完全な消去は困難。」
「ほな、どうすんの?」
彼女が食いついてきた。いける。
「1つ手段がある。」
わたしはそこで言葉を区切る。彼女は続きを無言で促す。
「友人のスーパーハッカーに協力を要請する。」
彼女の目が見開かれた。
「スーパーハッカー!?何それ!?」
これはとあるネット上でのやり取りに登場する一種のジョークに由来するが、彼女は知らないようだ。
「IT関係にとても詳しい人。この人に任せれば間違いない。」
「凄い知り合いがおるんやなぁ……それで、その人にはどうやって連絡すんの?」
「実はもう、手配済み。」
「早っ!!」
「あなたの同意があれば、すぐに着手できる。よく考えて。」
彼女は真剣な表情でわたしを見ている。
「あなたは今、団長でありながら、活動はおろか、団員にさえ近づくことが出来ない。あなたは今のままでいいの?」
「……ええわけ……ええわけないやんかっ!!!!」
彼女は立ち上がった。両手に握り拳をつくっている。
「いつまでもしつこくしつこく、散々付き纏いよって!もううんざりや!!」
彼女は親指で力強く床を指差す。
「ええわ、有希!やっちゃって!その友達のスーパーハッカーさんとやらにすぐに連絡して!!」
「わかった。」
わたしは彼女の携帯電話を借りると、あるサイトを表示した。
いわゆる『まとめサイト』。
「ここにあなたの個人情報が掲載されている。」
「うわ……ほんまや。住所、電話番号に通学経路から家族構成まで!」
「分かりやすい指標として、このサイトが今から消滅する。」
わたしは席を立ち、固定電話に向かった。

彼女からは見えない角度で、0120…から始まる一連の番号を入力する。電話口から声が聞こえてくる。
『こちらは、NTT西日本サービスガイドです。音声でお聞きになる方は01、ファックスで……』
わたしは通話口に語りかける。
「わたし。……そう。同意が得られた。……そう。……わかった。」
電話を切ると、わたしは彼女の元に戻って座った。
「どう!?」
「すぐに着手する。数分もすれば、すべて終わる。」
そしてわたしは情報介入を開始した。今度は弾かれない。
しばらく待ってから、時計を見やる。3分経過。もう良いだろう。
「終わった。」
「早っ!?」
「そのページをリロードしてみて。」
「……!?あれ!?……!!??うそっ!!??消えてる……」
当該情報の電網空間からの完全消滅を確認。
「情報発信の中心だったそのサイトが消滅した。
見える範囲以外の、バックアップデータ等もすべて消去されたと思われる。」
わたしは、コーヒーセットを片付けながら言った。
「彼女の仕事は正確。」
「女の人なんや、そのスーパーハッカーさんて……」
念のため、彼女にも検証を依頼した。すぐに答えが返ってくる。
『まったく問題ありませんよ、長門さん。さすがです。相変わらずいい仕事してますね。』
喜緑江美里からの返答が伝わってきた。
『協力に感謝する……ありがとう。』
『どういたしまして。』
あとは人間に残る記憶の方だが、これは単純に情報に触れた人間を片っ端から操作して、
1人1人丹念に記憶を消去していくしかない。これは膨大な情報を処理する必要があるため、
情報統合思念体が直接行うことになった。わたしが操作するのは、ここまで。
10分もあれば、すべて終わるだろう。
これでようやく、彼女は元の生活を取り戻せる。
そんな異常な生活を楽しんでいるのではないか、という意見も一部にはあったが、
今のわたしなら断言できる。
それはない。

これで、彼女の行動に対する制限事項はなくなった。
もしかしたら、これまで考察したとおり制限に人間の進化を促すきっかけがあるとしたら、
彼女が進化するきっかけを失ってしまったのかもしれない。
だが、反省も後悔もしていない。
他に方法は無かった。
少なくとも今は、これで良いと思う。
物事には順序がある。
今の彼女は、制限事項を受け入れる準備ができていない。
それはこれから、彼女が様々な経験を通し、『成長』して獲得するもの。
これまでの人間の観測結果から、そのような結論が導き出される。
今後彼女は、自身の持つ力を自覚しても何とも無いほどに成長するのかもしれない。
まだまだ、精密な観測が必要なようだ。
わたしの任務も続くことになる。
でも、それでも良いと思った。むしろそうなって欲しいかもしれない。
任務……観測が続けば、それだけ長く彼女を見続けることになる。見続けていられる。
それだけ――彼女のそばにいられる。