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長門有希の報告Report.14 - (2007/01/14 (日) 19:18:39) の編集履歴(バックアップ)


長門有希の報告
Report.14 長門有希の憂鬱 その3~recollections &trust~

活動後の部室。ハルヒはひとり佇んでいた。他の団員達は先に帰した。
夕日に照らされ、オレンジ色に染まった部室。あの日と同じ風景。思い出す、あの日の出来事。
本棚に歩み寄る。ここは本来文芸部室。だから、本棚の蔵書数は北高の全部室中随一だろう。
蔵書には、SFのハードカバーが目立つ。その多数の厚い本を読む人物は、今はこの部室にいない。
あの日起こった、不幸な心のすれ違い。ハルヒは忘れられない。
自分が突き飛ばしたせいで、負傷して血を流す彼女の姿を。
そして、その彼女を置き去りにして、逃げるようにその場を立ち去った自分の行動を。
彼女はいつもどおりの無表情だった。自分はどんな顔をしていたのだろうか。
ハルヒは、自らの行動を悔いていた。そして、だからこそ、彼女に合わせる顔が無いと思っていた。
だから、翌日彼女が事情により学校に来ていないと聞いて、少し安堵した。時間が稼げたから。
しかしそれは間違いだった。時間が経つほど、考える時間が増えるほど、自らの行動が重くのしかかる。
ますます彼女に会いにくくなる。考えれば考えるほど、会いづらい。
最近、部室での会話で、彼女について触れられることが多くなっていた。
いくらハルヒが話題を変えても、いつの間にか話題は彼女のことに移っていた。
特に、昨日の朝比奈みくるの発言は、決定的だった。
「はい、涼宮さん、お茶です。はい、長門さん……っと、
長門さんはおらへんかった……うっかり用意してしもた~。」
お茶を出し終えると、みくるはぽつりとハルヒに言った。
「あたし、みんなにお茶を淹れてるから分かるんですけど、1人おらへんだけで、すごく違和感ありますね……」
ハルヒは、自分の眉が釣りあがるのを自覚した。
「なぁに、みくるちゃん? 何が言いたいん?」
「ひっ!? い、いえ、ただ、寂しいなーって……」
それきり、ハルヒは黙りこくったので、みくるも自分の席に着いて、編み物を始めた。
窓辺の指定席は、今は無人。パイプ椅子は、畳んで立てかけられている。
居るべき人がいない風景。それはとても違和感がある風景だった。
ハルヒは知らない。ハルヒの力のせいで彼女が消滅したことを。
彼女を取り戻すために、彼らが様々な工作を行っていることを。
彼らの工作は、じわじわとハルヒに効き始めていた。

「私達の工作は、どうやら効果を示しているようですね。」
喜緑江美里が口を開いた。
空間封鎖された生徒会室。ここは今、『長門有希消失緊急対策本部』となっている。
「僕らは部室での会話で、それとなく、しかし確実に、長門さんの話題に触れ続けとります。」
古泉一樹が言った。彼は部室の会話で、長門有希の話題に誘導する役を務めている。
「俺は、どうも長門に関することについてはハルヒにマークされてるみたいやから、
あからさまにはできひんけど、みんなの話題には参加するようにしとぉ。あとは、そうやな……」
「あんさんは、無意識に長門さんを視線で探してますから、それで十分でっせ。」
「……俺は、そんなつもりは無いんやけどな。」
キョンは古泉を睨む。
「おっと、これはこれは。その反応だけで十分ですわな、状況証拠は。」
古泉はいつもの如才ないスマイルで応じた。
「あたしは、昨日ちょっと積極的にがんばってみました!」
「朝比奈さん、あれはGood Jobでしたよ。」
みくるの行動を賞賛するキョン。
「ええ、まったく。昨日のあなたの言動は、相当効いたようです。MVPは間違いなくあなたですね。」
江美里も同意する。
「昨日のあなたの言動がきっかけになって、今、涼宮さんは『寂しい』という状態になっています。」
それがどんな感情なのか、私は実感できないんですけどね、と江美里は付け加える。
「もう一押し……ってわけね。」
朝倉涼子は思案顔で呟く。
「今日早めに活動を切り上げた涼宮さんは、今は部室でひとり、物思いにふけっています。」
江美里は、涼子に向かって言った。
「さて。お膳立ては整いました。あとは長門さんの代理……あなたの仕事ですね。」
「そう……やね。そろそろ……いけるかな?」
「機は熟した、と思いますわ。鉄は熱いうちに打て、っちゅう言葉もありまっせ。」
古泉も賛同する。
「うん、そうやね。ほな、ちょっと行ってくるわ。」
涼子は、部室へと向かった。

部室の本棚の本を手に取るハルヒ。
そのまま窓辺に行くと、立てかけてあるパイプ椅子を広げて座った。
あの日から学校に来なくなってしまった彼女のように、無言で窓辺に座るハルヒ。
そうすることで、彼女を追想するように。
思い出す、彼女と過ごした日々。
最初は、まるで部室の付属物のように存在感の無い娘だった。
それが、共に過ごすうち、段々彼女を見る目が変わっていく。
彼女は万能だった。何でもそつなくこなせた。
決定的だったのは、1年生時の文化祭。メンバーの怪我や病気で出演が出来なくなった、先輩女子のバンド。
見かねたハルヒは、彼女を誘って急遽代役としてメンバー入りし、舞台に立った。
そこで彼女は、驚くべきギターの腕前を披露した。
ハルヒの歌声とともに、彼女の情熱的なギタープレイは、その場にいた誰もを魅了した。
それは、他ならぬ、共に舞台に立ったハルヒ達も同様に。
体育祭では、ハルヒに負けず劣らずの素晴らしい身体能力を見せつけた。
特にアンカーを務めたクラス対抗リレーでは、最下位でバトンを受け取ると、
表情を変えずにみるみる走者を追い抜き、
ハルヒがアンカーを務める1年5組に次ぐ、2位にまで持ち込んだ。
無表情のまま鉢巻きをたなびかせて疾走し、みるみる順位を上げていく小柄な体操服姿に、
彼女の隠れファンが増加したのは言うまでも無い。
バレンタインの時は、料理の腕前も見事だった。
徹夜で賑やかにチョコレートケーキを作る、ハルヒとみくる。
彼女はそんな2人を静かに、そしてこれ以上無いほど的確にサポートした。
何と彼女は、温度計もなしに、チョコレートのテンパリング(温度調節)をやってのけた。
さらには、まかない料理も作ってくれた。チョコレートケーキ製作中は、
においが移ったり味が分からなくなったりしないよう、薄味の惣菜と、ほかほかご飯に吸い物。
プレゼントを山に埋めて帰ってきたら、胃腸に負担を掛けずに冷えた身体を温める、手作り出汁の香り高いうどん。
阪中家での『陽猫病』事件では、その博識ぶりで、見事に事件を解決した。
いつも大量に本を読んでいるが、それが実際に役に立つのだから大したものだとハルヒは思った。
彼女は阪中家の恩人として盛大な歓待を受け、ハルヒはそれを我がことのように喜んだ。
共に過ごした1年の間に、ハルヒは彼女を『SOS団随一の万能選手』と捉えるようになっていた。
そんな2人の関係に転機が訪れる。
先日の、ハルヒの捕り物劇に端を発する、一連の騒動。
ハルヒは精神的に追い詰められていた。そんなハルヒを救ったのが、彼女だった。
彼女は、ハルヒの打った芝居の意図を理解し、危険を冒してハルヒに会いにきてくれた。
苦しさに押しつぶされそうだったハルヒの慟哭を受け止め、優しくそばに寄り添ってくれた。
一緒に帰るために『男装』を提案するなど、意外な一面も見せてくれた。
彼女の部屋に招待し、泊まっていくことを勧めるなど、積極的な面も持っていた。
そしてその夜、2人は結ばれた。性別の垣根を越えて、肉体的にも精神的にも、2人は繋がった。
次の日には、彼女を通じて彼女の友人に問題を解決して貰った。彼女の人脈には驚かされた。
その日はそのままデートにも行った。朝の目覚めのときと同様、彼女の素顔、生の言動に心を揺さぶられた。
彼女と朝倉涼子のそっくりさんに遭遇したこともあった。その時は彼女もいっしょにいた。
彼女のそっくりさんは、彼女とは性格がまったく違っていた。声も違っていた。
しかし、実は彼女もそっくりさんも、お互いの声を真似ることが出来た。
彼女がそっくりさんの声を、いつもの無表情で真似したときは、正直、絶句した。
あまりにもシュールでユニークだったから。
彼女との思い出は、どれも大切な、かけがえの無いもの。
記憶の中の彼女は、大半が無口で無表情だったが、それでも輝いていた。
そして、つい先日の、あの出来事。彼女に、自分の書いた恥ずかしいものを目撃されてしまった事件。
ハルヒは激しく動揺し、とんでもないことをしでかした。
しかし、そのことで実感したこともあった。ハルヒは彼女を……
ハルヒは、知らず、涙を流していた。自分の中で、こんなにも彼女の存在が大きくなっていたのか。
「会いたい……会いたいよぅ……なんで、あんなことになってしもたん……有希……
早(はよ)……会いたい……謝りたい……なんで、謝らしてもくれへんの……? なんで、なんで……」
言葉にならない思い。言語化できなかった分は、涙と嗚咽になってあふれ出す。
「ゆ、ゆき、有希……有希ぃーーー! うわあああぁぁぁん!!」
以前にも声を上げて泣いたことがある。
その時は彼女が、優しくハルヒの頭を抱いて、ハルヒの慟哭を受け止めてくれた。
でも今は――誰もいない。

「悩み事?」
その時、声が掛けられた。
「うっ、ぐすっ……朝倉?」
涙を拭いながら、部室の入り口を見るハルヒ。
「何よ、人が泣いてんのが、そんなにおかしい? 悪趣味やな。用が無いんやったら放っといてくれる?」
涼子は、部室に入ると、扉を閉めた。
「ご挨拶やなあ。わたしは、女の子が泣いてるのが放っとかれへんかっただけ。」
ゆっくりとハルヒに近づく涼子。
「何? 慰めの言葉やったら、いらへんで。」
涼子を睨みつけるハルヒ。しかし涙に濡れたその目は真っ赤に充血しているので、迫力に欠ける。
「慰め違(ちゃ)うけど、何て言うのかな……うん、独り言!」
涼子は微笑をたたえたままで言う。
「そこまで涼宮さんに思われる長門さんも幸せやね。」
「……」
「……大丈夫。あなたが願えば、きっとすぐに会える。」
「……根拠は?」
「な~んにも。」
ハルヒは大きくため息をついた。
「何よ、それ……」
「言うたやん? 独り言って。」
涼子は、指を組みながら言った。
「でも、わたしは、『信じる』ことって、結構重要やと思うな。
成功のイメージを信じて行動すれば、上手くいく時があると思わへん?
逆に、悪い方にばっかり考えが行く時って、何やっても上手くいかへん時もあるし。
悪い方に考えて気持ちが沈んで、結局上手くいかへんのと、
良い方に考えて気持ちが盛り上がって、結局上手くいくのとやったら、わたしなら、上手くいく方を選ぶな。」
「『信じる』……」
「長門さんとまた会えることを信じればええん違(ちゃ)うかな。
きっと長門さんも、涼宮さんと会いたがってると思うわ。」
涼子は巧みにハルヒを誘導していく。涼子は優秀だった。

「結局、朝倉は、どうするつもりなんやろな?」
キョンが口を開いた。緊急対策本部では会議が続いていた。
「人間の『感情』というものは、私には良く分からないので、何とも言えませんが。」
江美里は答えた。
「その、朝倉さんって、喜緑さんや長門さんと同じ、その……『端末』、なんですよね。」
みくるが話し始める。
「ということは、こんな言い方は失礼やと思うんですけど……
みんな、人間の『感情』は良(よ)う分からへんのですよね?」
「その質問の答えは、」
江美里が答える。みくるが息を呑む。
「禁則事項です。」
盛大に椅子からずり落ちるみくる。
「というのは冗談ですが、基本的にそう考えていただいて差し支えありません。」
(こいつらって、実は意外と冗談好きなんか……!?)
と、キョンは思った。
「ただし、例外もあります。例えば長門さんについては、キョン君は良くご存知ですよね?」
「お!? あ、ああ……長門は、顔には出さへんけど、あいつは、無感情なんやなくて、
表情に表れへんだけで、実はかなり感情豊かです。長く一緒におったら、段々分かるようになってきました。」
そうですね、と江美里は続ける。
「そして長門さんは、様々な体験をして、暴走したこともありました。そう、あの冬の世界改変事件です。
と言っても、お2人さんには、実感はないでしょうけれど。」
江美里はSOS団員達を見回して続ける。
「暴走の原因は、現在も検証中なのではっきりとしたことは言えませんが、
長門さんに、人間で言うところの『感情』に相当するものが発生したのが一因ではないか、
というのが大勢の見解です。」
「ははあ。すると、あれでっか。長門さんは、感情が生まれ、育っていったものの、
本質的には理解でけへんもんやから、段々とその感情を『持て余した』っちゅうわけでっか。」
古泉がしたり顔で解説する
「『感情』がどのようなもので、それがどのように作用したかについては見解が分かれていますが、
とにかく、『感情』のようなものが関係しているのではないか、という点では概ね一致しています。」
江美里は、これは私見ですが、と前置きして続けた。
「同様に、朝倉涼子が独断専行し、キョン君を殺害しようとした件も、
やはり『感情』が何か関係しているのではないかと、私は考えています。」
「そういえば、朝倉はあのとき、何も変化しない観察対象に飽き飽きしてるって言(ゆ)うとったな……」
キョンは、当時を思い出しながら言った。
朝倉涼子本人の謝罪を受けたことで、多少は彼の精神的外傷も緩和されたものと思われる。
少なくとも、冷静に当時を振り返ることができるくらいには回復していた。
「本来、私達は、『飽きる』ということはありません。そのようには作られていないのです。
飽きてしまうようでは、観測ができませんからね。でも、朝倉涼子は、観測に飽きた。
そして、独断であのような凶行に及んだ。暴走としか言いようがありません。
『未熟な感情の暴走』。これこそが、2人が起こした事件を定義する言葉ではないかと考えています。」
「えっと、それじゃ……今の朝倉さんは、未熟ながらも感情を持っている、ってことですか?」
みくるが問う。
「それが本当に『感情』かどうかは分かりませんが、少なくとも私よりは、
朝倉涼子の方が良く人間の感情を理解して、より適した行動を取れると思います。」
「でも、それじゃ、その、また感情に流されて……」
恐る恐るみくるは問うた。江美里が答える。
「朝倉涼子は、人間で言えば2度死にました。そして2度生き返りました。
『感情』を持つ『生命体』が、『臨死』又は『転生』を経験した。
それが思考や行動に大きな影響を与えるだろうことは、想像に難くありません。
これまでの彼女の言動から推察するに、もう以前のように暴走する可能性は無いと言えるでしょう。」
「随分、朝倉を信用してるんですね。」
キョンの問い掛けに、江美里はやや思案するような表情で答えた。
「信用……ですか。」
江美里は、窓があると思しき辺りに視線を巡らせながら言った。
「我々端末同士の関係は、人間のそれとは少し違いますが、そうですね、
人間の関係に例えて言うなら、確かに『信用』という言葉が近いかもしれません。」
江美里はキョンに視線を戻して続けた。
「キョン君。あなたは、長門さんを『信用』していますか?」
キョンは即答した。
「もちろんです。全幅の信頼を寄せてると言えます。
はっきり言って、俺は自分よりも長門の方を信用してるかも知れません。」
「それなら、今の朝倉さんも信用してもらえませんか?
もちろん、そう簡単には考え方を変えられるものではないということは、
情報としては知っています。でも……」
江美里は、ふっ、と表情を緩ませて言った。
「何と言っても、今の朝倉さんは、その長門さんのバックアップ、代理なんです。
彼女が長門さんの代わりを務められるのは、単に能力が同程度だからというだけではなくて、
あなた達と関係が深くて、かつ、あなた達の行動を同程度には理解しているからなんです。
今の彼女は……長門さんそのものだと思ってもらって差し支えありません。
もちろん、元々の性格づけが違うので、例えば無言で本を読んでいる朝倉さん、
という姿を見ることは無いでしょうが、『涼宮ハルヒとその周囲の観測及び保全』という任務に関しては、
長門さんと全く同じ行動原理に制御されています。」
「せやから、彼女を信用せぇ、っちゅうことを言いたいわけでっか。」
と、古泉が口を挟む。
「信用しろ、とはおこがましくて、とても言えません。私に言えるのは……」
ここで江美里は立ち上がった。
「どうか、彼女を、朝倉涼子を信じてやってください。お願いします。」
こう言って江美里は、深く頭を下げた。
「えっ、わっ、わっ、そ、そんな、頭を上げてください! あ、あたしが変なこと言(ゆ)うてしもたから……」
みくるが慌てて立ち上がり、胸の前で手を振りながら江美里に声を掛ける。
「……朝倉は、長門が元に戻れば自分が用無しになるって分かってて、
それでも長門のために動くって言いました。」
キョンは江美里をしっかりと見つめていた。
「俺らを守るって言(ゆ)うた長門の言葉を信じるように、俺は今の朝倉の言葉も信じようと思います。」
「……ありがとうございます。」
江美里は、柔らかい表情で謝辞を述べた。