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続・村上ハルキョン - (2008/05/03 (土) 16:58:33) の編集履歴(バックアップ)



       1

 見知らぬアナルの話を聞くのが猛烈に好きだった。
 ある時の俺は大学生であり、適度に遊び、適当に酒を飲み、セックスをし、音楽を聴いた。
「どうにも合わないな」
 マジカル・ミステリー・ツアーのCDを止めた俺は嘆息し、窓の外を見た。ちょうど昼前で、曇り空に太陽が輪郭を曖昧にした光をぼんやりと放っていた。
 俺はシステム・キッチンに出向き、昼食にコーヒーを淹れ、BLTサンドとポテト・サラダを作った。テレビをつけると、ちょうどアナウンサーがベルリンの壁跡地から歴史にまつわる薀蓄を披露しているところだった。
「やれやれ」
 俺は不意に古泉のことを思いだした。古泉一樹は高校時代の友人であり、ガチホモだった。奴は高校の男子をあまねく掘りつくし、俺も掘られかけ、何回かは実際に掘られた。
 思い出せる限りカウントすれば、奴は315人の男子を掘り、俺を158回掘ろうとし、そして実際に32回掘った。
 今頃奴は何をしているのだろう。卒業と同時に海外に渡ったと聞いたが、それがどこなのかまでは聞かなかった。あいつならこのニュース画面に映っていてもおかしくない。

       *

 猫について話す。
 シャミセンという名の猫を飼っていたことがある。シャミセンは稀有なオスの三毛猫であり、高校時代の奇矯な部活動のおかげで当時の俺が飼うことになった。
 シャミセンは日に二度我が家で飯を食べ、秋の一時期人の言葉を喋った。彼は延々言語の不完全性について講釈をたれ、その期間俺は人の話を聞くことに対し軽くノイローゼになった。
 しかし、冬が来る頃シャミセンはぱったりと喋るのをやめた。以来一度も人間と話したことはなかった。さらにシャミセンは俺が高校を出ると同時に行方をくらまし、以来一度も家に帰ってこなかった。

       *

 七年間、ということを思う時、俺はいつも営業課長の言葉を思い出す。
「七年間は長すぎる。それはいくら年を取っていても変わらない」
 そうだろうか。そうなのかもしれない。しかし当時二十五だった俺には解らない話だった。今ならどうかと言えば。やはりまだ確信は持てない。
 時間の感覚は確かに速くなり続けていた。高校時代、先輩の朝比奈さんに聞いたところによれば、人間の体感時間の加速こそが、タイム・トラベルを実現するための大きな一歩であったらしい。
 やれやれ。
 確かに時間の流れは速い。三輪車を漕いでいたのが、やがて自転車になり、バイクになり、自動車になる。あるいはそれは気がつけば新幹線になっているのかもしれないし、ジャンボ・ジェットになっているかもしれない。
 人の体感時間が加速する理由は、記憶の蓄積にあると誰かが言った。ならば記憶喪失になれば子供時代に戻れるだろうか。
 そう古泉に話すと奴は、
「三秒であなたをいかせる自信があります」
 と述べたので、俺は首を振った。やれやれ。

 この世のあらゆる問いは形而上学的なものであるかもしれない。
 例えばケツの穴が空間であるか存在であるかというのは、まさしく形而上学的な問いに過ぎず、議論するだけ無駄というものだ。それぞれに解釈があればいい。
「そうね。あなたが今まで何回不倫したのかということと同義だわ」
 妹はある時突然そんなことを言った。俺は大いに当惑したが、そんなこともあるだろうとしまいには自分を納得させた。そうせざるをえなかった。
 妹は大学に入ると同時に三足跳びの急成長を見せ、その頃にはもはや昔の面影はどこにもなかった。俺に対する呼称はお兄ちゃんからキョンくん、最後に「あなた」になった。まるで夫婦みたいだな、と言ったら、
「すべての物事は変わっていくの。そしてそれは止められないわ」
 その通りだと思う。そうでなければならない。


       2

 スプートニクの変人

 2歳の春にいつきは初めて恋に落ちた。深遠なアナルをどこまでも深く掘り進むイチモツのような激しい恋だった。
 それは行く手のおとこどもを跡形もなく掘りつくし、片端から絶頂に押し上げ、理不尽に引き戻し、完膚なきまでにやりつくした。
 そして勢いをひとつまみも緩めることなく海洋を渡り、ストーンヘンジをどたんばたんひっ倒し、ペルシャ湾を気の毒なイルカごとついでに掘って、アラスカのオーロラとなってどこかのエキゾチックな針葉樹林をまるごとひとつ同性愛者にしてしまった。
 見事に記念碑的なゲイだった。
 恋に落ちた相手はいつきより42歳年上で、独身だった。さらにつけ加えるなら、おとこだった。もっとつけ加えるなら、ダンディだった。
 それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほも)すべてのものごとが終わった場所だった。

       *

 という話を転校してきた古泉に聞かされた時、俺はとうとう自分の頭がおかしくなったと思った。
 あまりの衝撃にそこらにあった中庭の丸イスを手当たり次第になぎ倒し、冷めたコーヒーを飲み干し、頭をかきむしって今のをなかったことにした。
「お察しの通り、ガチホモです」
 しかし現実は目の前にあった。依然として横臥していた。
 それが俺と古泉一樹の出会いだった。

 七年間、ということを俺は思った。
 七年間、あらゆる物事が俺の前を通りすぎて行った。それは入れ替わるバーの客のように、あるいは回転ドアを行き来する人々のように、常に絶えることなく俺の前に現れ、通過し、去っていった。
 そのなかには宇宙人や未来人や超能力者が含まれていたこともあった。
 あるいはごく普通のサラリーマンだったり、主婦だったり、OLだったり、果てはツナギを着た男性だったりした。

 家に帰ると、今朝のテレビがつけっぱなしになっていた。
 ニュースはパレスチナ自治区の情勢を緊迫感とともに伝えていた。さすがにそこに古泉はいないだろう、と俺は思った。

「ある日突然、僕は自分の性癖と力に気づいたんです」
 それが奴の告白だった。そして俺は三秒後にヴァージンを喪失した。

 俺はテレビを切ると、ボンゴレ・スパゲティを作るべくキッチンへ出向いた。
 その前にCDラックからスガシカオのSMILEを取り出してかけた。
「ねえ、明日――」
 ハルヒがいつかそんなことを言っていた気がする。
 しかし今俺のところに彼女はいない。高校時代の友人は誰一人近くにいない。
 それらはすべて過去の出来事として記憶の中に沈み、遠くへ去っていった。

 しかしながら俺は思うのだ。
 あいつらは今何をしているのだろうか、と。


       3

 図書館奇男

 図書館はとてもしんとしていた。本が音を全部吸い取ってしまうのだ。
 俺は長門有希と待ち合わせをしていたのだが、宇宙人の同級生は時間になれど現れない。
 変わりに変なおとこが現れた。
「お前の探し物はこっちにあるぜ」
 男は言った。男には顔がないように思われた。いや、あるのだが、顔を構成するパーツのひとつひとつ――目、鼻、口、耳といったそれぞれが、ひどくいびつなのだ。

 長門がいるのだろうか、と思った俺はおとこについて行った。
「ちょうどいいのが入ったところなんだよ」
 おとこはそう言った。よく考えればおかしな話だったものの、俺は別段不思議に思わなかった。
 おとこは図書館の地下へと俺を導いた。ほんの数分のうちに、くねくね曲がった道やら階段、T字路などをひたすらに進んで、図書館にいるという実感はどこかへ吹きとんだ。
 どう考えても普通の市立図書館にこんな地下道があるはずがない。俺はようやく男に質問した。
「本当にこっちに俺の探し物があるのか?」
 おとこは笑っただけだった。

 俺は地下に閉じ込められた。そこは牢屋のような場所だった。
「ここでお前はアナルをくにゃくにゃ掘られるんだ」
 おとこは俺を閉じ込めてそう言った。俺はだまされたのだ。
 十日ののち、俺はアナルをくにゃくにゃ掘られるのだという。これでは幽閉だ。今ごろ長門有希はどうしているだろう。俺が失踪したことに気づくだろうか。
 そうして七日が経過した。光を見ていた日々が、もうずっと遠くのどこか、触れられない場所にあるように思われた。
 
〈お困りのようですね〉
 聞き覚えのある声、というよりはささやきが記憶の片隅からよみがえった。それは古泉のものだった。
〈こう見えて僕は超能力者ですから、こんな場所からあなたを連れ出すことくらい造作もありません。もちろん代償として一掘りいただきますが〉
「断る」
〈相変わらずあなたも頑固なお人だ。ですが考えてみてください。僕と、あの見知らぬおとこ、どちらかに掘られるとすれば、どちらが得策か〉
「長門が俺を助けてくれるはずだ」
〈彼女は来ませんよ。なぜなら僕が――〉
「何してやがるんだ」
 おとこが鉄格子の向こうから現れた。今やおとこは筋骨隆々という姿をしていた。
〈おや。しょうがありませんね〉

 結局、俺は古泉に一掘りやられることで外に出た。
 図書館の人に訊くと、たくましいおとこも、薄暗い地下室もどこにもないと言う。古泉もどこかへ行ってしまった。
 長門有希も図書館で待ち合わせた覚えなどないと俺に告げた。何もかも俺の勘違いだったのかもしれない。


       4

 ハルヒと海に行った。
 休日の朝、突然電話がかかってきて、
「今から支度して。いいえ、しなくていいから早く来て」
 その三十分後に我々はバスに乗っていた。

 高校生活も終わりに近づいていた。
 朝比奈先輩は未来へ帰り、長門有希は宇宙へ戻り、古泉一樹は卒業を待たずに海外へ飛んだ。後には俺とハルヒしか残らなかった。
 初春のやわらかい陽光がバスの窓から照らしていた。車内にはほんの二、三人しか人がいない。
「すべては過ぎさってしまったのね」
 ハルヒが言った。まったくその通りだと俺は思った。

 海は晴天の下でどこまでも続いていた。地球が丸いため、やむなく便宜的に空と境界線を設けているにすぎないといった風情だった。
 我々の街から南へ下れば、歩きでも海には出られる。しかしハルヒはバスに乗って北へ向かった。そしてここへ到着した。
「えいっ」
 ハルヒは浜辺に転がっていた鋭角な石ころを力いっぱい投げた。豪速球となった石ころは、一度も水を切ることなく沈んだ。水面から高く飛沫が上がった。
「ああもう、おしいわね」
 ハルヒはそれから何度か石ころを投てきし、そのすべてが水を切ることなく海中に沈んでいった。
 途中、どこかの漁船が挨拶するように汽笛を鳴らした。それは長く、遠くまで響いた。どこかの岬に灯台があれば、きっとそこまで届いていただろうと思う。
「えいっ。ああもう、どうして跳ねないのかしら。えいっ」
 俺はほとんど何も言わずに、ハルヒが石ころを放つ様子を眺めていた。その間、高校入学からしばらくのうちにあった様々な出来事が、断片的なピースのように記憶の水面に浮き上がった。
 時に俺たちは雪山にいた。あるいは夏の日射しが照らす孤島にいた。
 あるいは高校の文化祭でバンド演奏を俺が聴いていた。生徒会とひと悶着あった。新入生を歓待した。団員全員で映画を撮った。
 それらはみな、二度と戻ることのない時間の彼方へと去っていくのだ。そう思った。もしかしたら、ハルヒも同じ事を思っていたかもしれない。
「キョン、飽きたわ。帰る」
「そうか」
 帰りのバスを待っている間、ハルヒは二分間だけ、俺の隣で泣いていた。

 高校を卒業した俺は大学へ進み、ハルヒとも疎遠になった。
 友人は街頭の広告のように一新され、俺は彼らと長くも短くもない時間を共にした。
 しかし、あの高校時代のような時間は、一瞬たりとも戻ってこなかった。
 俺は繰り返す毎日の節目節目で、文芸部室での何気ない会話や、風景を思い出した。

 いくら思い出しても、やはりそれは戻ってこなかった。 

(続くかもしれない)