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マスターの溜息 - (2008/06/05 (木) 03:28:32) の編集履歴(バックアップ)


「だって、言いたい事も言えない人生なんて嫌じゃない?」
「真にそうでございますな」
「マスターもそう思うでしょ? だから私、はっきり言ってあげたの。もうあなたには興味ありません、ってね」
「はは、涼宮さんもキツいですなあ」
「あたしね、こういう事はストレートかつ簡潔に伝えるのが一番だと思うの」
「しかしその男の子はショックだったでしょうな、たった五分で別れを告げられるなんて」
「そいつがその程度の男だったって事よ」
「そうでございますか、いやいや、男として同情せざるを得ないですな」
「どうしてカップルって他人同士であんなにイチャイチャできるのかしら? 人前だっていうのに、バカじゃないかしら? この前だってね──」

 

 

◇ ◇ マスターの溜息 ◇ ◇

 

 

「──さあ、なぜでしょうな」
「平行線で、交わらない事が正解っていう事もあるんじゃないの?」
「そうですな。それでも、全く知らない他人同士だとしても、一度出会ってしまったのなら、二人の運命は交錯した事にもなりませんか?」
「他人は他人だわ」
「それも正解だとは思います」
「間違いを探す方が難しいわよ、だって問題にもならないもの」
「模範解答を示すのも、それはそれで難しいものです。問題を作るのもね」

 

 
「他人……、しかし得てして失いたくない人物というのは、自分の身近に存在する他人だったりするものです」
「ふ~ん……、一理あるわね」
「両親などがその例でしょうな。他人と言うには近すぎて、しかし他人ではないかと聞かれれば、そうではない。確かに普段は空気の様な存在かもしれません。しかし、その空気がなければ人間は息ができないものです。息ができなければ、我々は死んでしまうより他はありません」
「親、ねえ」
「灯台下暗し、とでも言いましょうか。いやいや人間と言うものは恐ろしいものです。何かに飢えている時は、不満や満たされたい願望だけが強く。しかし一度それを手にしたら、それまで持っていた大切な何かを忘れてしまいがちなのです。ちょうど息をするのと同じようにね」
「……そんな事、ないわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。それに恋愛なんて精神病の一種だわ、くだらない感情よ。いいえ感情とすら呼べないわ」
「はは、中学生が精神病ですか」
「もう! 子ども扱いしないでよね! それに、あたしなら灯台の下もちゃんと照らしてみせるわ」
「これは失礼致しました」

 

 
「日常がつまらないと思うか、ですって? 当たり前じゃない、現状に満足してるだけなんてつまならいわ。ルーチンワークなんてもっての他よ」
「日常、ですか。私は、ただ、毎日を笑顔で過ごせればそれが一番だとは思いますが」
「そうね。でも、その笑顔で過ごす事って。実は一番難しかったりするわよね」
「そうでございますな。私など嫁にそっぽ向かれないように顔色を伺う毎日でございます」
「もう、はぐらかさないでよ」
「はは。それでも、我々は生きていくしかない。光陰矢の如しと言います。長いようで一瞬の人生です、最後に笑って死ぬか、笑わずに死ぬかの違いです。これは些細な違いですが、しかしそれとこれでは大きな違いです」
「光陰矢の如し、ねえ。なんだかそれって年寄り臭いわね」
「少なくとも涼宮さんよりかは年長のつもりなのですがね」
「私だってそこまで達観してないわよ。まだまだ子供よ、少なくともマスターよりはね」

 

 
「マスターは未来人って居ると思う?」
「さあ……、検討もつきませんな。ですが、一秒先の我々は一秒前の我々からすると未来人という事になりませんか?」
「あはは! 何よそれ。じゃあ宇宙人は?」
「居ると信じた方が幸せな人生が送れると思いますな。それに、この広大な宇宙に存在するであろう知的生命体が我々人間のみだと考える方が不自然というものです。それこそ人間のエゴイズムではないでしょうか?」
「うん! あたしもそう思うわ。じゃあじゃあ、超能力者は?」
「ユリ・ゲラーが来日した時はシビれましたな。彼は間違いなくスプーンを曲げる事で幸せになれた人間でしょうなあ。他人を幸せにできたかどうかは、彼も悩んだところでしょうが」
「それで性格まで曲がってなければいいけれどね」
「ヘソ曲りでも、曲りなりでも曲者でも超能力は超能力ですよ。資格も試験も無しに名乗る事ができる。先駆者という言葉の通り、まさしくやったもの勝ちの世界でしょうな」
「マスターは超能力肯定派なの?」
「あると信じた方が人生の楽しみが増えて良いとは思います。ちょうど……そうですね、食後のコーヒーの様なものです。お口直しにどうですか? 私が持ちますよ」
「あ~あ、マスターと話してたら絶対にコーヒーの方向へ行っちゃうんだもの」
「これはすみませんでした」
「美味しいからいいけどね、エスプレッソで」
「かしこまりました」

 

 
「ねえ、マスター」
「はい。何でございましょう?」
「今度ね、進学する高校。北高っていうの」
「ああ、坂の上の」
「そう、坂の上の」
「どうしてまた北高に?」
「ちょっとね、知ってる人が居るかもしれないの」
「かもしれない?」
「そう、居るかもしれない」
「そうでございますか」

 

 
「……、面白い事。あるといいな」
「願う事が第一歩です」
「第一歩?」
「行動する事が二歩目」
「三歩目は?」
「誰かと一緒に、ですな」
「他人と?」
「そうでございます」
「……何か、ずるいわ」
「はは」
「ずるい、マスター。あなたってとってもずるい大人だと思うわ」
「誉め言葉と受け取っておきます」

 

 
「……高校生になっても、来ていい?」

 

「私は涼宮さんとお話ができるだけで満足でございます。ここは喫茶店ドリーム、来店の際には資格も試験も無しでございます」

 

「……ありがとう」

 

「願わくばこれからの三年間が、涼宮さんにとって良い高校生活である事を」

 

「あたしとした事が、たかが高校進学くらいでちょっとメランコリーだったわ、気を入れていかなきゃね。光陰矢の如しってね」

 

「はは」

 

「ありがとう、マスター」

 

 

 

 おわり。

 


 

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