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ミステリック・サイン後日談 - (2007/01/14 (日) 18:23:55) のソース

<div class="main">
<div>それはあのカマドウマ事件の数日後のことだった。<br>
その日も例によって我等がSOS団の活動は長門が本を閉じる音と共に終了した。<br>

皆がそれぞれ帰り支度を始める中、俺は奇妙な光景を見た。<br>

長門が本を閉じたままじっとしている。<br>
いつもならさっさと本を鞄にしまいこんで部室を出て行ってしまうはずなのに今日はどうしたんだ?<br>

「それでは、また明日」<br>
振り向くと古泉がいつもの微笑を浮かべてドアの前に立っていた。その後ろには小さく手を振る朝比奈さんの姿。<br>

どうやらハルヒはとっとと帰ったらしい。<br>
「ああ、またな」<br>
そう言うと古泉は表情を崩さずに部室を立ち去った。次いで俺は朝比奈さんに軽く会釈する。今日もお疲れ様でした。<br>

「うん、また明日」<br>
朝比奈さんは愛らしい笑顔を残してお帰りになった。先に出て行ったのが古泉で良かった。<br>

野郎と美少女の笑顔では得られるものに差がありすぎる。<br>

しばし朝比奈さんの笑顔の余韻に浸っていた俺は、ふと思い出して振り返る。<br>

「………」<br>
長門がさっきの体勢のまま佇んでいた。…一瞬、その横顔に困惑のような色が混じっていた気がしたが俺の気のせいだろう。<br>

あの長門が意味もなくそんな顔をするわけがない。<br>
もっとも、こいつが感情を顔に出したところすらろくに見たことがないのだが。<br>

「長門、帰らないのか?」<br>
俺が口を開くと長門はゆっくりと俺の方を振り返り、視線を固定した。<br>

黒いビー玉のような瞳が、何かを言いたげに俺をじっと見つめる。<br>

俺がどうしたものかと思考を巡らせていると、長門がぽそりと呟いた。<br>

「…わたしの構成情報に、微量のノイズが発生している」<br>

構成情報にノイズとな。過去の経験からして随分とデジタルな存在だと思っていたが<br>

そこまでデジタルなのか、宇宙人製アンドロイドってやつは。<br>
</div>
<br>
<div>「ノイズ、ね。して、それはどんなやつなんだ?」<br>
ノイズというからには何かしら問題があるのだろう。<br>
だが薄情なことに俺は長門を心配するよりもそのノイズとやらに興味が向いていた。<br>

いったい長門の構成情報とやらのどこにノイズが発生しているというのだろう。<br>

まさか今日長門が本を閉じた後じっとしていたのもノイズとやらが原因ではなかろうな。<br>

「わからない」<br>
この言葉に俺は少々面食らった。こいつに分からないことなんてあったのか。<br>

「発生箇所は構成情報の中の思考を司る部分。レベルとしては、許容できる範囲」<br>

許容できる範囲?なら別に問題ないんじゃないんだろうか。それとも放って置くとやっぱりまずいものなのか?<br>

「それも、わからない。ただ、」<br>
と言って長門は言葉を切る。…まただ。<br>
さっきのは俺の見間違いじゃなかったんだろうか。<br>
長門の無表情に見える顔に、わずかな困惑が浮かんでいた気がした。<br>

「多少の不快感があることを認識している」<br>
不快感、か。こいつにもそんなものがあったんだな。<br>
ただ単に俺がそれを読み取れていなかっただけかもしれないが。<br>

ただ一つ、気になるのは…<br>
「それで、何故それを俺に話した?」<br>
はっきり言うが、長門の存在は俺には理解できない次元のものらしい。<br>

頼られている、というのは悪い気はしないが俺が役に立てるとも思えん。<br>

「………」<br>
長門は珍しく考え込んでいるようだった。俺をまっすぐに見つめたまま、滅多にしない瞬きを一度だけする。<br>

そして、あの時と同じことを言った。<br>
「上手く言語化できない。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。でも、聞いて」<br>

長門が立ち上がって数歩だけ俺に歩み寄った。<br>
俺と長門の距離は、大体にして1mくらいといったところだろう。<br>

「ノイズが発生した時間情報は把握している」<br>
長門の瞳が、俺をまっすぐに捉える。<br></div>
<br>
<div>
「コンピュータ研の部長の自宅で、情報生命体を退けた日」<br>

長門は話を続けるが、俺は困惑していた。<br>
長門が、あの時ハルヒと自分について語った時と同じくらい真剣な表情をしていた。<br>

「あなたの言葉を聞いた瞬間に、一瞬思考がフリーズした後、ノイズが発生した」<br>

そこまで言って長門は口をつぐむ。どうやら、次をどうやって話したらいいかを考えているようだった。<br>

俺も同じように考え込む。正直今の俺に長門の表情を注意深く観察する余裕などなかった。<br>

…俺の言葉を聞いた瞬間?<br>
俺はあの日長門に言った言葉を必死に思い出す。<br>
長門は不快感があると言っていた。だとしたら、俺が何か長門の機嫌を損ねるようなことを言ったのだろうか。<br>

「すまん、俺、何て言ったっけ…」<br>
俺は疑問を正直に口にする。長門が機嫌を損ねそうなこと…何だ?<br>

確かにあの日俺は長門にj結構口出ししていたが、機嫌を損ねる程のものだったんだろうか。<br>

「あなたが、古泉一樹に対して言った言葉」<br>
古泉?何でここで古泉が出てくるんだ。俺はてっきり長門に対して何か言ったものだと…。<br>

「あなたは、」<br>
開きかけた口を長門は閉じた。<br>
しばしの間を置いて、再び、今度はゆっくりと口を開く。<br>

「古泉一樹に対して、わたしと人類で言うところの男女としての交際をしてはどうかと提言した」<br>

…そういえばそんなことを言った気がする。勿論冗談のつもりだったが。<br>

もしかして、これが気に入らなかったんだろうか。<br>
「長門、」<br>
俺が発した言葉は、長門によって遮られた。<br>
「わたしという固体は、古泉一樹を嫌っているわけではない。そもそも、そのような感情を持つ理由がわたしにはない」<br>

ここまで言って、長門は再び迷うような表情をする。<br>
…これで長門のこんな顔を見るのは今日で何度目だろう。<br>

「わたしの推測では、おそらく他の誰かに今回と同じようなことを言われてもノイズは発生していなかったと思われる。そして、」<br>

一瞬の間を置いて、長門は続けた。<br>
「…あなたに言われたことで、ノイズが発生したものと、わたしは推測している」<br>
</div>
<br>
<div>何を言いたいのか、理解できなかった。<br>
何故俺に言われるとノイズが出るんだ?<br>
「わからない」<br>
長門は視線を一切動かさずに続ける。<br>
「ただ、その時のノイズによってもたらされた不快感が何なのか、メモリを照合した結果、」<br>

次の瞬間、長門の言葉によって俺の思考はフリーズした。<br>

「人間で言うところの、『哀しい』という感情に似ているものだと認識した」<br>

部室に沈黙が流れる。<br>
俺と長門は、ただ黙って互いを見つめ合う。<br>
…哀しい?いつも無感情に見えるこいつが?<br>
いや、無感情というのは俺の勝手な思い込みで、実はちゃんとした感情か、それに似たものはあるのかもしれない。<br>

というか、何故哀しいんだ?それも俺に言われたから?<br>
さっぱり分からん。俺の理解の範疇を超えている。<br>
俺がぐるぐると思考を巡らせていると、ひどく小さな声で、長門が呟いた。<br>

「…エラーコード…承認…修正を行う…」<br>
いつの間にか、目の前に長門の姿があった。<br>
「なな、長門?」<br>
長門が俺を見上げる。…その表情は、俺の見間違いでなければ、『哀しい』ということを訴えていた。<br>

「…ごめんなさい」という長門のものとは思えない台詞が長門の声で聞こえた次の瞬間。<br>

ほんの1秒か2秒か、俺の唇に、暖かく柔らかいものが触れた。<br>
</div>
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<div>「………」<br>
二人とも、完全に無言だった。<br>
俺は何が起きたのか分からず、しばし呆然としていた。<br>
「…ごめんなさい」<br>
その言葉に、俺の意識はようやく覚醒する。<br>
「…!ななな長門!お前、今何を…」<br>
俺は長門の顔を見てはっとする。<br>
そこには、見慣れた能面のような顔をした宇宙人モドキの女子高生が立っていた。<br>

「エラーコードは解消された。協力に感謝する」<br>
そう言って、長門は帰り支度を始める。<br>
俺はその姿を釈然としない気分で見つめていた。<br>
「…本当は」<br>
鞄を閉じたところで長門が口を開き、こちらに向き直った。<br>

「もっと以前から、ノイズは発生していた」<br>
俺は何も言わない。いや、何も言えなかった。<br>
「朝倉涼子の情報結合を解除した後、」<br>
長門が俺をじっと見つめる。<br>
「あなたがわたしに、『かわいい』と言った時から」<br>
それだけを告げると、長門は部室から出て行ってしまった。<br>

さっきの話と今の長門の言葉を、頭の中で反芻する。<br>
そして、誰もいなくなった部室で俺は一人呟いた。<br>
「…長門、それって…」<br></div>
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今日もSOS団はこれといって何をするわけでもなく、怠惰な時間を過ごしていた。<br>

朝比奈さんの淹れてくれたお茶をすすりつつ古泉とボードゲームをしながら、<br>

横目でネットサーフィンをするハルヒと…呼吸もしていないような無表情で読書をする長門を横目で見る。<br>

何もない退屈な日常だが、俺にはそれで十分だ。<br>
平凡以上の安らぎはない。少なくとも、余計な騒動に巻き込まれるよりは幸せだ。<br>

ハルヒがまたぞろ妙なことを言い出すまでは、この束の間の安らぎを存分に満喫しようじゃないか。<br>

そんなことを考えながら、俺はもう一度長門をチラ見する。<br>

長門は、視線を本に落としたまま指だけを動かしていつも通り部室のオブジェと化していた。<br>

…また、俺はエキセントリックな体験をしちまったな。<br>
「おや、どうしました?」<br>
古泉が、俺がなかなかチェスの駒を進めないので声をかけてきた。…と思ったのはどうやら違ったようだ。<br>

「溜息などついて。チェスは飽きましたか?」<br>
そう言って古泉は肩をひょいとすくめてみせた。…どうやら俺の悩みは溜息となって吐き出されていたらしい。<br>

「いや、何でもない」<br>
そう言って俺は駒を進める。<br>
チェックだ。…古泉、お前本当に弱いな。<br>
「おや、また僕の負けですか」<br>
残念がっているのかいないのか、笑顔を崩さないまま古泉は対戦表に勝敗を書き込んだ。<br>

古泉がチェスの駒を並べ直している間に、俺は再び長門を見やった。<br>

無表情の宇宙人モドキは、黙々と読書に勤しんでいる。<br></div>
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…現実世界でのファーストキスの相手が宇宙人モドキだったってのは、多分、一生の秘密だ。<br>
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