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涼宮ハルヒの困惑 - (2009/11/29 (日) 21:25:25) のソース

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 ギラギラと首筋を照りつける日差しが、俺に今の季節が正真正銘夏である、ということを有無も言わさず感じさせていた――何ていった俺も思うが変な冒頭のくだりはさておき、新学年が始まって早々俺をのっぴきならない事態に追い込んだあの事件もどうにかこうにか終わりを迎え、何事もなく平穏にただ無事に済めばいいなぁなどといった俺の浅はかではありながらも切実な願いがあの何でもかんでも都合のいいことしか聞こえない耳に聞き入れられることはなく一学期は振り返ってみると駆け足で過ぎていき、季節は夏を迎えた。<br />
 梅雨前線がどうのこうのといった気象情報を俺は耳にしたが、俺達の住む星は去年も思ったがやはり本格的に狂い始めたようで、この国に春と夏の間にある梅雨という季節を遂に到来させぬまま夏真っ盛りとなった……いや、語弊があるか。到来しなかったわけではないが、と言ったところだ。<br />
 しかしそれがやったらめったら熱いのには――暑いの間違いではないぞ。もうそんな範疇じゃないってこった――、こちらも閉口以外にしようがない。<br />
 夏は人を長門にする。まさしくその通りだ。誰が言ったかなんて野暮なことは聞くな。<br />
 梅雨っていうのもこの国にはそれ特有の湿気がもれなく付いてきて蒸し暑いこの上なく、早く終わってくれぇ~何ていうさっきの発言からしてみれば180度相反した台詞が口から迸ることになるのだが、水の確保は重要なことであるという事実を俺は田舎のばあちゃん家に行った時身に沁みて実感しているためそれでも、梅雨の到来を待ち望むのさ。<br />
 だが、下手に長引きすぎるのも危険だってことも俺は漏れなく体験している。雨が降りすぎてしまったら、今度は俺のばあちゃん家の心配をしなくちゃいけなくなるのだから不思議なもんだよ、全く。<br />
 そこんとこの匙加減が器用に出来ていたら俺はこの星もまだまだ頑張ってくれているなと安心するのだが、それが不器用になって来ているのではないかと俺はこの頃懸念している訳なのである。<br />
 それでも俺はこの盛夏、既に短い生涯を全うしようと息巻く大量の蝉どものシュプレヒコールをBGMに、通い始めて一年を越えたこの急すぎる坂道をダラダラと汗を掻きながらただただ歩いていた。<br />
 偶にこういうことってないか? 何度も何度も通い歩き慣れた道のりを、気が付いたら無心で歩いていたことって。まるで動物の帰巣本能に似ているな。<br />
 ……まぁ、別に何も考えていなかったという訳では決してないのだが。<br />
 横で相変わらず無駄話を振ってくる谷口に生返事をしながらも、今日家を出る前に耳に入ってきたとある言葉を俺は思い返していたわけさ。<br />
 カメラの前でまだどこか初々しさが残っているレポーターが、どっかの見慣れない町並みを風景にまさにその日の特集を喋り始めていた。<br />
「今日の日付は七月七日です。そう、皆さんも御存知の……――」<br />
 と聞こえたぐらいで俺は家を出ていた。残念ながらこの学校に行くにはそれなりの早さに出なけりゃならなく、いつもその枠は最後まで見れないわけだ。<br />
 話が逸れたがもう分かってくれていると思う。今日はあの七夕なのである。<br />
 年に一度天の川を跨いで、織姫と彦星が出会える日。<br />
 そして個々が其々の願いを小さな短冊に込め、笹の葉に吊るす日。<br />
 そしてあのと言うからには、かなり特別な日なのである。<br />
 俺にとっては一年に一度、どっかの誰かさんのどこか憂鬱そうにしおらしくなった状態を眺められる日でもある。去年のこの日、俺はそいつに堂々と宣言されちまっている為、今日何をするであろうかのプランを大体把握していた。<br />
 そいつ、SOS団団長、涼宮ハルヒ曰く今から十六年後と二十五年後の未来にそれぞれ叶えて貰いたい望みを、去年と同じくベガとアルタイル宛に認めるということだ。<br />
 さてさて俺は、去年一年間をハルヒ達と共に過ごしてきて、あいつの秘められたトンデモパワーなるものを充分に見せつけられてしまっている。それも嫌というほどにな。<br />
 それは古泉が言うところの願望を実現させる力であり、長門が言うところの無意識の内の周辺環境の情報操作ということらしい。<br />
 つまりだ。短冊に何らかの願い事を書くと、それが下手をすれば十六年後や二十五年後にあいつの力によって、叶ってしまう恐れがあるっていう訳だ。<br />
 そんな高校生が背負うには重すぎる事実を突きつけられてしまっては、俺の筆も鈍ると言う訳で、何かこう穏便に済むような願いを俺は頭をフル回転して考えさせられる羽目になってしまうのだ。おまけにハルヒが却下なんぞ使用もんなら益々終わりが遠ざかって行ってしまう為、事前に内容を考えておく方がいいだろうということを俺は去年の教訓として身につけた。<br />
 大体だが、去年の十六年後(及び二十五年後もだが)の次の年に叶えてもらう願いって、難易度が高すぎないか?<br />
 無難に無難にと考える俺を誰が攻められよう。<br />
 ……通い慣れた道というものは何らかの考え事をしていても、勝手に足が辿ってくれるものだ。<br />
 学校に辿り着くまで、谷口は絶え間なく俺にとって無駄でしかない話を喋り続けていた。<br />
 良くもまぁ、そんなしょうもない話を一人で続かせられるものだと感心してしまう。<br />
 実のところ二割もその中身を聞いていないのだが、それに気付いているのか怪しいな。<br />
 今度古泉と討論でもやらせたらいい勝負になるんじゃないか? どれだけ自分に酔って話せるか。<br />
 ……まぁ結果は見え見えなため、最近また溜まってきてるんじゃないかと思うハルヒの退屈を紛らわせることはできないだろうが。</p>
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 直射日光がギラギラと首筋を照りつける窓際後方二番目の席で俺は悶絶しながら、これまた真夏の太陽並のハルヒの笑顔に圧倒されていた。<br />
 というか、なんだか俺の焦点があってない気がするぞ。ハルヒの顔の輪郭が揺らいで行く……いよいよ危険か。自分の意識を岸辺の杭に縄でぐるぐる巻きに括りつけておくことで俺は必死になっていた。結び方が甘かったらすぐにでも流されそうだ。<br />
 そんないかにも朦朧としているのが一目見たら分かるだろうに、ハルヒはSOS団用の特別専用スマイルを俺に向けながら、<br />
「今日は何の日か分かっているでしょうねぇ?」<br />
 と自信満々に訊いてきた。あぁ、既視感がフラッシュバック!<br />
 分かっているともハルヒよ。今日は、お前の誕生日でも、朝比奈さんのでも、長門のでも、古泉のでもない。そうだろう?<br />
「当然よ。……あんた、ちょっとおかしい?」<br />
 そう思うんなら俺をそっとしておいてくれ。だがどうやら頭を使っている間は縄の結び目が解けないようだ。<br />
 というか去年あんな体験をしていては、俺がこの日を忘れるなんてことは一生ないだろうよ。<br />
「とにかく! 部室で待っていなさい。あたしが笹を用意するからあんたは願い事を用意するのよ。先に言っちゃうけど、ちゃんと私が認めるような願い事を考えないとボツよ?」<br />
 そうかい、そうかい、それは去年と同じじゃいかんってことか。俺だってそうそうアイデアマンじゃないんだが。<br />
 そういや笹もまた裏山から盗んでくるのかい。<br />
「……人聞き悪いじゃないの。でも別に良いじゃない、減るもんじゃないでしょ?」<br />
 それ以外どんな手があるのとでも言いたげな目をハルヒは俺に差し向けている。<br />
 あれは、私物の山っていう話なんだがな。しかも確かに一本減るわけだしな。<br />
 まぁ、もとよりハルヒと睨めっこをして勝てるなんて思っちゃいないので、俺から先に逸らすことにした。ハルヒと睨めっこをして勝てるのは長門くらいのもんだろう。<br />
「とにかく。ちゃんと考えておくんだからね」<br />
 ハルヒの予言じみた台詞と去年の実体験が頭の中でリフレインして、俺の心の中には真夏の雲ひとつない青空には全くと言って良いほど似つかわしくない、黒々とした暗雲が立ち込めてきていた。</p>
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 ……まぁ、結果論から言ってしまうと、予想通りその真っ黒な雲は俺に大粒の雨を降らすのである。<br />
 それも梅雨顔負けのどしゃぶりの中、超特大の嵐とともに――</p>
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 まだ俺がその黒雲が超特大の積乱雲だということに気付いてはいなかった頃。<br />
 俺はらしくもなくハルヒとではなく黒板と睨めっこをしていた。良くも悪くも、期末試験の前の最後の足掻きというやつだ。<br />
 結果的に中間考査では赤点ラインすれすれを低空飛行し、いろいろな方面から散々言われることとなった。両親と岡部教諭ならまだ分かるが、あの脳内年がら年中快晴女に耳元で大音量の暴言を吐かれては、流石に俺も再起不能になるかと思ったぜ。<br />
 おっと、スレスレとギリギリはどっちが接触していないか、なんてことを随分と前にテレビでやっていたがどっちか知っているかい?<br />
 スレスレはもう当たっちゃっているらしい。<br />
 つまり赤点ラインすれすれは……皆まで言わないのが日本人の美学、だよな?<br />
 俺の頭の中では、無意味に終わりそうなことを自覚している俺――現実的な悪魔――と、その現実から目を逸らそうと懸命に努力している俺――けなげすぎる天使――が不毛な抗争を繰り広げていた。<br />
 往々にして俺の場合は天使よりは悪魔が優勢となってしまう。自分がよく理解できていることは武器ともなるが、知りすぎているということは時として悲しいものだね。<br />
 今回も軍配はあっさりと自己を理解している俺――何事も諦めの精神で立ち向かっている悪魔――に下ったってわけさ。<br />
 今にも切れそうな集中力をノートの片隅への落書きで保持していた右手のシャーペンを俺は放り出し、約十五ヶ月間近く俺の後ろに居続ける奴の方を振り返った。<br />
 SOS団内の偏差値を一人で下げ続けていると勧告してき、このままでは処罰も已む無しと宣告してきた我らが団長涼宮ハルヒは、机の上で暖かい日差しに包まれて……熟睡していた。<br />
 ……マジかよ!? 自分の眼を疑いたくなるね、嘆息。<br />
 試験の前の総まとめ的授業を寝て過ごすとは、どうやら本当に学校を舐めてかかっているようである。黒板で板書をしている教師の方を俺は振り返ってみたが、注意しても無駄なことを熟知しているかの如く、完璧なまでに無視を決め込んでいるようだった。<br />
 それで良いのか、教師陣よ? 一応、これでも俺は学校の教師というものにそれなりの敬意を抱いてはいる。俺達の担任岡部教諭だってそれなりに良い先生のはずさ。<br />
 だがそんな俺の限りある良心も、ハルヒのこれまた心地よさそ~な、涼やかな寝顔を観賞していると、起こしてやるのもこれまた蛇足な気がしてきたので教師を見習い放っておくことにした。大方、昨日七夕のことを考えすぎて興奮でもして睡眠不足になったんだろう。まるで遠足前夜の小学生だな。<br />
 今お前が観ている夢の中に果たして俺、ジョン・スミスは登場しているのだろうか?<br />
 もし現れていたら嬉しいなぁなどとあわよくば考えていたら、少し背中がこそばゆくなったような気がした。<br />
 睡魔が……襲ってきた――。</p>
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 適当に掃除当番を済ませた後――そういや班交代の掃除当番だから、思い返してみるとこれまたハルヒと一緒だったってわけか――俺の脚は自然と旧校舎のほうへと向かっていた。<br />
 あっという間に時間が過ぎたように感じるかもしれないが、まぁ何もなかったってだけさ。<br />
 ハルヒの奴を掃除場所で見かけることはなかったが――つまりサボりだ――何をしているであろうかは何となく想像できた。また裏山で無許可で笹と格闘しているんだろう。<br />
 思い返してみると、去年の俺の一年間はおよそ八いや九割方がSOS団によって占められていたのだなと、俺は再認識し今日何度目かの嘆息をした。<br />
 まぁ、今となっては別に良かったと思う。俺はそういう風に思えるようになっていた自分に今更驚いてなんかいなかった。<br />
 知っている方もいるだろうがこの学校は他校と同じくして、考査の一週間前から部活動は原則停止である。何故かは知らないが、県立だけあって学校も成績には口煩く言ってくる。<br />
 しかしそんな中でも俺の脚は文芸部室へと向かっている。それこそまるで動物の帰巣本能の如くにだ。つまりだ。涼宮ハルヒの脳内には年中無休という言葉しかなく、試験など何ぞやということらしい。ちょっとは俺のことも考えてくれよ、なぁ。<br />
 部室の前に着いた俺は自分の腕時計を確かめた後、部室の扉をノックした。時間帯によってはまだ朝比奈さんが着替えている可能性もあるからな。それはそれで、健康な一般男児として観てみたくもあるのだが、そこは俺の純真なる理性が押し留めてくれていた。<br />
 多分、天使のほうの俺だろう。まぁ、その天子もいつ堕天使ルチフェルになるのか分からんのが現状だが。<br />
「あ、は~い」と部屋の奥から篭った声がして、ドアの隙間からいつものエンジェルフェイスが覗いた。<br />
「キョンくん、こんにちはぁ。あ、すぐにお茶を入れますねぇ」<br />
 何というか迅速な対応である。<br />
 既に部室内にはハルヒを除いた主要メンバーが揃っていて、俺は机の上でまたなにやらボードゲームをやっている古泉の対面に腰を下ろした。<br />
「どうぞ~」<br />
「ありがとうございます」<br />
 そう言って俺の目の前に置かれた湯呑みからは、淹れ立ての白い湯気が上がっていた。<br />
 そういや、誰も冷たいお茶にしてくれ何て言わないのかね。こうも毎日暑いと、扇風機だけしか冷房設備がないこの部屋では生き抜けんと思うのだが。<br />
 朝比奈さんのお茶の温度が年柄年中変わらなかったことから――と言ってもそれは俺の体感であって、本人は細かく温度計を突っ込んで測っていたようだが――、ハルヒでさえ去年文句を言ったことはないようだ。<br />
 俺かい? 俺は別に言わないね。麗しき朝比奈さんのお茶が折角飲めるっていうのにいちゃもんを付けるなんざ、百万光年早いね。……つくづく思うが百万光年って何だ? どういう意味で使ってるんだろうかね。<br />
「おいしいですよ」<br />
「ありがとうございますぅ~」<br />
 どうやら待っているようだったので、俺は口に含んだあと礼を言った。それは本心だ。朝比奈さんが淹れてくれるものは何でも美味いに決まっているはずさ。<br />
「どうですか? あなたも一局」<br />
 古泉が駒を進める手を止めて、俺に聞いてきた。<br />
「やめておく」<br />
 こうも暑いと俺の頭がうまく働かんだろうから、それを余計にオーバーヒートさせるようなことは避けたい。というかしたくない。まぁ、お前相手にボードゲームでオーバーヒートするようなことはないだろうがな。<br />
「それはそれは耳が痛いお言葉」<br />
 そう言って、古泉はいつもの微笑フェイスのまま手を盤上に戻した。<br />
「しかしながら、貴方の頭をオーバーヒートさせる様なことを避けることは出来ませんねぇ」<br />
 何だ何だ、突然に。また何かあるってのか? 古泉がそんなことを言うからには確実裏づけとなる何かがあるっていうことは自明の論理だ。<br />
「……そういえば、今日は何の日だか……ご存知ですね?」<br />
 質問に答えろ質問に! という俺の渾身の睨みは、無残にも古泉の微笑のポーカーフェイスとは不釣合いな鋭い射る様な視線に跳ね返された。……目だけが笑っていないというのは少々不気味なんだがな。答えてやるか。<br />
「……あぁ分かっている。七夕だろう?」<br />
「分かっているならば結構です。ならば――」<br />
「何をするかも把握していますね、って言うつもりか? それも大体分かっているつもりさ。朝からずっとそれを考えっぱなしだ」<br />
「流石、話の呑み込みが早くて助かります」<br />
 古泉はその後、パイプ椅子にもたれかかりながら続けた。金属の軋む音がする。<br />
「……それにですが先程朝比奈さん、長門さん両名から話を伺ったところ、実は七月七日は涼宮さんにとって最も重要な日であり、必ず何か出来事が起こるようなんです。こういった情報は未来人がいてくれて助かります」<br />
 ……それはさらりと重大発言じゃないのか? 何だかネタバレ感がするのは俺だけか。<br />
 しかし、何でハルヒの野郎はそんなに七夕が好きなんだ。予想してみるとしたら、願いが叶うっていうところがハルヒ的ポイントなんだろうと見た。……当の本人は何でも自分の願いが叶う可能性があるってのを知らないから、逆にあいつが健気に見えてくるな。やれやれ。<br />
 俺は、先程からパイプ椅子にちんまりと座ってこちらを見ている、未来人の先輩に確かめることにした。<br />
「本当にそうなんですか、朝比奈さん」<br />
「はい。未来から観測していて気付いたことなんですが、涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来事が起こることがあるんです」<br />
 朝比奈さんは俯きながらもすらすらとまるで予想していたかのように答えた。<br />
 そういや、時間関係で朝比奈さんがつっかえずに話しているっていう状況は、俺の記憶を軽くリサーチしてみても引っ掛かってこなかった。<br />
「あの……禁則、かかっていないんですか?」<br />
「そうなんです。こういう未来に起こる出来事を事前にその時代の人に伝えることは、厳しく制限が掛かるはずなんですけど……」<br />
 朝比奈さんも、そうです不思議なんですといった顔をして首を傾いでいたが、古泉は何やら意味ありげな視線を俺に送ってきている。その目はまるで「あなたにはその理由が分かっていますよね」と俺に語りかけてきていた。<br />
 ……何だか癪に障るがまぁ、正解だ。多分朝比奈さん(大)が何らかの必要性を感じたのだろう。<br />
「長門は、どうなんだ?」<br />
 俺はただいま読書中の有機端末にも尋ねることにした。すると、<br />
「そう」<br />
 とだけ緩慢に顔を上げて答えた。それは肯定って意味だな?<br />
「そう」<br />
 何という短さだ。すると長門は補足するようにして、<br />
「今の私は未来の私と同期を行ってはいないが、朝比奈みくるの話と情報統合思念体の観測情報を照合した結果そのように考えられる、という事実が判明した」<br />
 最初からそう言ってくれ。それだけ言うと長門は必要性を感じなくなってのか、また本の世界へと潜り込んで行った。つまり……<br />
「つまりこういうことです。この七月七日、本日七夕の日に何か事件が起こる可能性があるということです。そしてそれに私はどうかは分かりませんが、あなたは確実に巻き込まれるということです」<br />
 古泉は最後の部分を嗤ってやや自嘲気味に言った。何だそれは皮肉か? しかも何故そうなるんだ?<br />
「くっくっ、貴方へのあてつけです。とにかく、貴方には身構えておいて貰いたいのです。よろしいですよね?」<br />
 何がよろしいですよね、だ。どこまで俺はアイツに振り回されなきゃならんのか。その上、俺が断る何ていう選択肢はもとより用意されていないんだろう、どうせ。俺はあいつの子守役になった覚えは全くないのだが。<br />
「察しの通りで。しかし任命されたのでは?」<br />
 ……面倒くさいときは無視、と。あとさっきから気になってはいたんだが、<br />
「その重要な出来事というのはもしかして……毎年起こって――あぁ面倒くさい――起こるんですか、朝比奈さん?」<br />
 朝比奈さんが身体を強張らせた。<br />
 ここんところは意外と重要だ。一応俺がどれだけ世話を焼かされるのかは事前に知っておきたいってもん――<br />
「それは、……禁則事項です」<br />
 ……って、おい! 何なんですか、朝比奈さんそれは。それはある意味一種の振りだとも考えられますよね?<br />
 ここまで来て『禁則事項です♪』は、暗にこれからずっと何かが起こりますよって言っているようにも取れる上に、それこそ未来人勢力が誤魔化していると言うか毎年発生しないのかもしれなく、面倒くさいなぁ全く。<br />
「くっくっ、あなたも困惑しているようですねぇ。取り敢えずですが、もし、何かが起これば我々『機関』のできる範囲であなたを手助けすることにいたしますよ。但し時間移動が関わっていなければ、ですけどねぇ」<br />
 古泉はさも可笑しそうに言う。<br />
「お前……どれだけ根に持っているんだ」<br />
「そう見えますか? だとしたら僕の演技にも更に磨きがかかってきた、ということですねぇ」<br />
 嘘つけ、目が笑っていないぞ、古泉。<br />
 お前、演技なんかしたくないって言ってたじゃねぇか。<br />
「……やれやれ。もし時間移動するって場面になったら、お前も呼んでやるようにするよ」<br />
 朝比奈さんが困ったような表情をしたが、この際無理を言わせてもらうことにしよう。<br />
「いいんですか? それは誠に光栄です。是非、お願いします」<br />
 いちいち動作が大袈裟だ。それにお前にお願いされたって嬉しくもなんともないんだがな。<br />
 余談だが、俺は古泉の同行を朝比奈さんを通じて未来人に通せば、許可が下りるじゃないかと密かに自信を持っていた。全く持って何となくなんだが、多分俺が言い出すことは向こうにとって既定事項だったりするんであろう。<br />
 確かに踊らされている気分ではあるが、流石に自意識過剰すぎるかね?</p>
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「涼宮さん、遅いですねぇ」<br />
 朝比奈さんが椅子に座ったままポツリと言った。何でか知らないが、前に聞いたことがあるような気がするのは気のせいか。多分だがそんなことを言ったら、今すぐにでも扉が――<br />
「みんな、集まってる~!?」<br />
 ほらみろ、言わんこっちゃない。相変わらずこいつは台風なんじゃないかと思うほどの威力とスピードでハルヒは扉を開けた後、一瞬の内に団長席で笹を旗のように勢いよく突いていた。<br />
 ちゃっかり、机の上には色とりどりの短冊がばらまいてある。いったいいつの間にだ。<br />
「さぁ! みんなもう言わなくても分かってるわよね?」<br />
 とハルヒ団長は団員の表情を伺うよう覗き込み、<br />
「だったらいいわ! 今すぐこの短冊に、みんなの願いを書きなさい!」<br />
 と、言い放った。俺の顔のどこに恭順の意を読み取ったのかね。<br />
 まぁこいつの耳や目には反対の意思は映らない様だし、俺以外のSOS団団員が反対意見を言うこともないだろうから、ハルヒの感覚では満場一致ってとこなんだろう。<br />
「あ、言っておくけど去年と同じじゃだめよ。分かってるわよね、キョン?」<br />
 ……何で俺だけ名指しなんだ? 他の奴らはどうなんだよ、ええ?<br />
「去年の願いと合わせて、一番最初に叶った人が勝ちだからね!」<br />
 聞いちゃいねえ。<br />
 俺が一人不平不満を漏らしている間、既に俺を除いた恭順なる三人の団員は短冊になにやら書き込み始めていた。……もしかして去年頃から考え始めていたりでもしたか?<br />
「さぁ、どうでしょうねぇ」<br />
 こいつ、さっきからまともに答えやしない。そんなに俺を嫉んでどうするつもりだ。<br />
「決して僻んでなどはいないつもりなんですが。……まぁ、あなたの立場にやや嫉妬していたりもしますが」<br />
 ……やっぱり、お前の言うことだけはどうも分からんな。<br />
 古泉は俺の反応に対して眼だけで、なにやら意を表明していた。言っているだろう。お前だけのは分かりたくともなんともない。分かってもいい例がない。<br />
「ちょっとそこ! 願い事、書けてるんでしょうね!」<br />
 なぁハルヒよ。さっきから感嘆符がやけに多いような気がするんだが。お前が半額サマーバーゲンを一人でやっているみたいだな。<br />
「それより、お前は書けているんだろうな?」<br />
「決まってるじゃない。あたしにはちゃんと夢ってものがあるのよ。あんたとは違ってね」<br />
 最後の一言が余計だ。しかし……。<br />
 数十分後――ここ重要――、やはりというべきか俺はまだ机の上で悶えていた。<br />
 俺以外のメンバーは早々と書きあげ、長門はいつもの定位置で読書、古泉は独りボードゲーム、朝比奈さんは真面目にもテスト勉強をして三者三様に暇を潰していた。そういや朝比奈さんにとっては一応、受験の年だな。<br />
 そうしてハルヒはというと、団長席で俺に明らかに不機嫌に怪視線――怪光線はさすがに無理だろう――を送っていた。<br />
「ちょっと、キョン。あんたまで出来上がってないの? もしかしてあんた、行事とか学期末の反省書くの苦手なタイプだったりして?」<br />
「……なんで分かるんだよ。あぁ、そうさ。確かに俺は小学校の頃からあの面倒くさい質問を矢継ぎ早に投げかけてくる紙には何遍も困らされていたぜ。偶に女子のを見て何でそんなに書けるのかって、何度も敬服した憶えがある」<br />
「やっぱりね。あんなのはね、ちゃっちゃと適当なことを書いて済ましときゃいいのよ。誰も裏づけを取れないしね」<br />
「そんなこと言いながらお前、俺の書いた短冊何枚却下したんだ?」<br />
「仕方ないでしょ。手の抜き方にも適度ってものがあるわ。もちろん、手抜きは当然却下だけど」<br />
「言ってることがさっきから支離滅裂だ。それだと阿呆に見えるぞ」<br />
「はぁ? 団長に向かってその言い方はないわ! ぜっったい、私が認める願い事を搾り出しなさい」<br />
 しまった、いらん火にいらん油を注いでしまった。ハルヒの目の奥の炎がよりメラメラと燃えあがるのを俺は見ながら少し考えていた。そういや、今回はハルヒはあのメランコリー状態に落ち込んでいない。何故だ?<br />
 古泉曰くの、ハルヒの精神が安定してきたということの証なんだろうか。確かに、去年度のハルヒは傍目から見ていてもテンションの上がり下がりが著しかったからな。<br />
 うーむ、喜ぶべきことなのかもしれないが、やはり俺は静かなハルヒも乙というか助かると思う次第で、そんな中で先程の朝比奈さんの予言を思い出していた。<br />
 ――『涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来事が起こっているんです』――<br />
 俺がさっきから巡らしているのは、果たしてハルヒはそれに対してどんな表情を見せるのだろうかということだ。SOS団専用の100Wのスマイルを超えた超絶笑顔か、それとも入学当初の不機嫌モードのハルヒなのか。<br />
 もしくは、『あの時』の様な困惑した……。<br />
 いやいや、したくない想像は端からしなかったら良いわけで、そんなことは頭の中からきれいさっぱり消してしまったらいいのさ。<br />
 俺の持つペンは、右手の中でぐるぐると回っていた。これくらい、俺の脳みそも回転してもらいたいものだ。<br />
 部屋からの眺めが少し赤みを帯び始めていた。</p>
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<p> ――そして俺は束の間の休息を味わっていた。<br />
 いやそのときの俺は束の間とは微塵にも考えてはいなかったのだが、結果から見ると確かに束の間ではあった。<br />
 未来人の予――預――言を忘れていたのだから笑止万全だ。<br />
 そして、嵐の前の静けさが終わる――</p>
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<p><br />
 古泉の置く駒の音だけが部室内に響いていた。<br />
 その頃部室内の他団員は、読書やボードゲーム、うたた寝、をしており、ハルヒ団長は窓の外を見ながら少しだけしおらしくなっていた。<br />
 俺はというと、あの後紆余曲折の末、無事二枚の俺の血と汗と涙の結晶の短冊を提出し終わって、三人娘を少しばかり目の保養としていた。良かったなハルヒ。空が晴れていて。<br />
 だがそんな緊張感ゼロの中、それは起こった。<br />
 突然長門が目線を文字の羅列文から上げる。<br />
 ――コンコン――。<br />
 突然部室のドアをノックする音が響く。ノックの音が充分に響き終わった時、既に三者はそれぞれに臨戦態勢を取っていた。<br />
 朝比奈さんは何やら膝の上で拳を握り締めており、古泉は駒の置く手を停めて目だけが微笑みゼロの顔で扉を注視していた。<br />
 ハルヒは突然の来客宣言に呼応するかの様に団長席でどっかりと腕を組んでいる。<br />
 長門は分厚いハードカバーを膝の上に置いたままさっきの目線でやや目を見開いていた。<br />
 多分長門にはドアの向こうが見えているんだろう。それくらい長門は簡単にやってのけることを、俺は知っている。<br />
 部屋の空気が一気に引っ繰り返った中、ハルヒは「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に了承の返事をした。<br />
 ノブが回り、ゆっくりと扉が開いて『そいつ』は俺らの眼前に現れた。朝比奈さんは慌てて口を手で押さえ、古泉は目を見開き、長門も微量ながら目を大きくしている。<br />
 『そいつ』は悠々と部室内に入って来て、俺の前を素通りし団長席へと向かった。<br />
 そしてついさっきまでは泰然自若の面持ちだった涼宮ハルヒに片手を挙げ、こう言ったのだった。<br />
「よう、久しぶりだなハルヒ」<br />
 ハルヒの口が徐々に開いて行く。<br />
「この俺が、」<br />
 そして……、<br />
「……キョン?」<br />
「ジョン・スミスだ」<br />
 教室の空気を春に感じたものと同じ戦慄が走った。そして瞬間的に俺は悟った。このSOS団は瓦解するかもしれない、と。<br />
 誰であろう、未来の『自分自身』の手によって。<br />
「うそ……」<br />
 ハルヒはまるで漫画のように目を見開き、口をポカーっと開けている。茫然自失の態だ<br />
 古泉は鋭い目を『そいつ』に送り、何故か知らないが長門は俯いている。朝比奈さんはわなわなと肩を震わせていた。俺の頭の中には去年からのSOS団でバカやってた記憶が早送りで駆け巡っていた。<br />
 俺達四人が衝撃に黙りこくっている中、ハルヒと『そいつ』のダイアログは進んで行く。<br />
 ――『涼宮さんは非常識を望みながらも、とても常識的な考え方の持ち主なんです』――<br />
「え? ど、どういうこと?」<br />
 ハルヒには珍しく困惑した表情を浮かべている。<br />
「だから言っているだろう。俺の名はジョン・スミスだ。お前にとっての四年前、七夕の日に線引きを手伝ったあの時の高校生さ」<br />
「で、でも、どう見たってキョンじゃない……」<br />
 ハルヒは俺と『そいつ』の顔を見比べている。<br />
「もしかして……そっくりさん?」<br />
 とことん、ハルヒは今の現実を受け入れられない様子だ。真実を言うと四年前からお前の周りには明らかに常軌を逸脱した出来事尽くしだったんだ。<br />
 しかし同時に俺は『そいつ』、未来の自分に苛立ちを感じていた。<br />
 何で、この時期、このタイミングに全てを壊そうとしているんだ。<br />
 俺は自分の想いをとっくの前から確信している。俺はこの唯一無二のSOS団が好きなんだ。<br />
 それは未来の俺にとっても変わらないはずなんだ。変わらないでいてほしいんだ……。<br />
 なのに、何故なんだ。何故知らないほうが幸せでいられる真実を明かそうとするんだ?<br />
 まさか……朝比奈さん(大)の引き金だっていうのか? こんなことが既定事項だって言うんですか?<br />
「そっくりさん、か。残念ながらそれは違う。そこにいる奴は……」<br />
 それ以上言うな。それを言ってしまうと、もう戻れなくなる。<br />
「過去の俺、」<br />
 くそったれ!<br />
「つまりは同一人物、ってわけさ。言っていること分かるか?」<br />
 俺は拳を握り締めた。だが俺がその腕を挙げようとした瞬間、<br />
「俺とアイツは同じ。でも同じ人が一つの時間にいるわけないよな? つまり俺は、未来人なわけさ」<br />
 古泉が素早い動きで俺の手を抑え、眼で制した。<br />
 眼光の迫力が桁違いだ。その迫力に、俺はあのときの森園生さんの顔をちらりと思い出した。<br />
「お願いします。ここは抑えてください」<br />
 古泉が至近距離で囁いた。お前らのところの機関はもう動いているんだろうな?<br />
「えっ……み、未来、人? で、でもそういうことになるの……?」<br />
 まだハルヒは考えあぐねているのだろうか? 意外と俺よりも頭の中が常識で雁字搦めになっているようだ。<br />
 何故かは知らないがハルヒの視線が『ジョン・スミス』と短冊の間を揺らいでいる。するとその様子を見ていた古泉が明らかに驚愕の表情をした。どうした、何に気付いたっていうんだ。<br />
「そうだなぁ、ハルヒ。……信じられないようなら証拠を見せてやる。ほら、これを見ろ。お前ならすぐにその意味が分かるはずさ」<br />
 ハルヒはそいつが差し出したものを恐る恐る受け取った。遠くからだったが、どうやらその紙の束は新聞紙のようだ。一体どうなっているんだ、未来人は既定事項と禁則事項に縛られているんじゃなかったのか?<br />
 朝比奈さんももうどうにかなっちゃいそうな雰囲気だ。<br />
 半信半疑ながらも新聞紙の一面と日付を流したハルヒは、いつもより大きく眼を見開いた。<br />
「まさか……だってこれ、本当に……?」<br />
「そう言うことだ、ハルヒ。その日付と年を見れば瞭然だろ? それが俺が未来からの来訪者だっていう証拠さ」<br />
「と言うことは……あなた本当に未来人なのね!?」<br />
「だから言っているだろう? やれやれだな」<br />
 お前がその口癖を使うな、ってシャウトしたくなる気分だ。いくらそいつが『未来の俺』なんだとしても、俺は絶対お前を俺だとは認めない覚悟だ。<br />
 俺は目線を左に動かすと、果たして今度は俺までもがハルヒに驚かされる破目になった。一転してハルヒの表情が見る見る輝きを増していき、今朝見た専用スマイルに猛スピードで近づいていく。<br />
 まさか……今の状況を受け入れ始めたって言うのか……? そんな信じられない……がそれでも俺は去年の記憶を再び引き出した。<br />
 一学期の中頃、ハルヒは閉鎖空間の中で歓喜を起こした。退屈した時とは違う別の理由で生み出された『閉鎖空間』。現実を拒否し、もう一つの新しい世界を受け入れようとした俺だけが知るハルヒの表情と、今のハルヒのそれが酷似していることに俺は気付いた。<br />
 俺は嫌な予感がした。そしてだが、やはりそれは当たるのである。古泉、朝比奈さん、長門がそれぞれ草野球の時と同じ、何かを感知した動作をする。<br />
「本当なのね!! やったわ、遂に見つけたわよ未来人!!」<br />
 ハルヒは椅子を跳ね除け、そいつの顔を指差した。<br />
「いっっぱい聞かせてもらうわよ!! あたしに付いて来なさい!!」<br />
 そして鞄を掴んだかと思うと、そいつの服の袖を握り締めて猛スピードで扉に向かった。<br />
「おいハルヒ!! お前……」<br />
「今日はもう解散していいわ、キョン!! あたし急いでるから!!」<br />
「おいおい、急ぎすぎじゃないのか?」<br />
 アイツは苦笑しながらもなされるがままになっている。<br />
「いいのよ!!」<br />
 瞬間俺は見た。壁に打ち付けられて開け放たれた扉から見えたこちらをちらりと振り返った奴の顔が、酷く醜く歪んだことを。<br />
「はっ、お、おい、待て!!!」<br />
 その時既に二人の影はなかった。俺の声は無残にも旧校舎を反響しただけで終わった。静寂の中俺は不恰好にも、腰を挙げ手を伸ばした状態で少しの間固まっていた。<br />
 その静寂を打ち切ったのは古泉だった。<br />
「すいません、どうやら事態は急を要します。現在この地域一帯に規模の大きな閉鎖空間が乱立発生しています。これから、私は機関の下で神人退治に向かわなければなりません」<br />
 顔、声ともにやけにシリアスである。……まぁ、それもそうか。お前は一般人ではあるが、確かに超能力者でもある。<br />
 だが古泉よ。俺は今すぐにでも部室を出ようとした古泉を呼び止めた。<br />
「あの時の約束、果たして憶えているんだろうな?」<br />
 これだけで俺の意思は伝わったはずだ。朝比奈さんと長門も古泉を直視している。<br />
 古泉ははっと何かに気付いた顔をして、沈黙の後口元に手をやりながら答えた。<br />
「……そうでした。確かに……ええ、そのような大事な約束を失念していた自分を深く恥じますよ」<br />
「思い出してくれたか。それで、お前の立場は一体どうなんだ? 機関の尖兵なのか、それともSOS団の副団長なのか?」<br />
 実のところ俺としてはシリアスに迫ったつもりだったのだが、古泉はというとやや目を伏せて、<br />
「……そのようなことを確認されるとは。まだ僕は……貴方の絶対的な信頼を勝ち得てはいないのですね」<br />
 と少し愁いを帯びた表情で絶対的を強調した。どうやら、何か軽率にものを言ってしまったらしい。<br />
 しかし再び顔を上げた古泉は、いつもの凛々しい決意の眼をしていた。<br />
 一度深呼吸をした後、<br />
「自分は……このSOS団副団長、古泉一樹です!」<br />
「あぁ……よく分かったぞ、お前の意志!」<br />
 よし、大丈夫だ。まだ、SOS団は崩壊しない。<br />
 自分の掌を見つめたあと、俺はそれを固く握りなおした。そうさ、いつもSOS団は危機を手を合わせて越えて来たじゃないか。<br />
 だが俺は知らなかった。知りようもなかった。<br />
 部室を出たハルヒが、「ジョン……」と小さく漏らした事に。</p>
<p> </p>
<p><br />
 窓の外の景色は闇一色になっていた。いくら夏とはいっても夜は夜だ。<br />
 約束の時刻まであと一時間。俺はすぐ出れるよう外出着でベッドの上に寝転がり、携帯電話のサブディスプレイに光る時刻をずっと眺めていた。<br />
 ベッドの向かい側、勉強机の上には何度も読み直した便箋が置いてある。<br />
 俺が予想したとおりに、その手紙はスタンダードにも下駄箱の中に入っていた。<br />
 古泉と長門には家に帰ってからすぐに連絡ある。流石に、朝比奈さんの前で伝えるのは許されていないからな。<br />
 それにしても依然、ハルヒとは連絡が取れない。……いや、それも当然か。<br />
 一時間ほど前にかかってきた古泉からの電話。<br />
 ――『申し訳ありません。時間がないので手短に伝えます。この世界から涼宮さん、そして先程の貴方の異時間同位体の存在が確認できなくなりました。これは情報統合思念体とも確認してあります。そして更にほぼ同時刻に、我々の侵入を拒否するほどの強力な閉鎖空間が一つ発生したのも確認しています。おそらくは両名はその中にいるのではないかというのが我々機関の見解です。去年のように貴方に協力を可能性を仰ぐかもしれません』――<br />
 古泉の最後の溜息から全て言い終わったという雰囲気が言外に伝わってきた。珍しく早口で話してそのまま通話を切りそうだった古泉に、俺は便箋の内容を伝えた。<br />
 ――『……分かりました。私は貴方に自分はSOS団副団長であると宣言しています。必ず時刻に間に合うように調整します』――<br />
 そのまま「では」と機械のように古泉は冷たく言って電話が切れた。<br />
 ハルヒとは連絡が取れない。当然だ。今この世界から消失してしまっているからな。<br />
 しかし……よりによって、何であいつなんだ?<br />
 古泉からの電話の後、情報の確認と連絡の為に去年末から急激にかける頻度が上がった電話番号に俺はコールしてみた。<br />
 ――『…………』――<br />
 相変わらず応答の返事をしない長門に俺は名乗ったあと、古泉の伝達があっているか確かめた。何度も思うが、「もしもし」くらいは言うように勧めるか。<br />
 ――『違わない。涼宮ハルヒと貴方の異時間同位体は二十八分と十九秒前にこの時空平面からその存在を認識できなくなった』――<br />
 ――やはりそうなのか。つまり相当機関の決断が早かったってわけだ――<br />
 次に俺は、例の手紙の内容を、言い終わると兎に角沈黙しているアンドロイド少女に伝えた。<br />
 ――『……分かった。彼女が私の立会いを望んだことには何らかの意図があると考えられる。今から行けばいい?』――<br />
 待て待て、まだ集合時間は一時間後だと慌てて長門に伝えたあと、少し気まずいような沈黙が流れた。<br />
 何故だかは分からないがふとその時の沈黙に、長門がまるで何かを俺に伝えようとして逡巡しているような感覚がした。そういや、帰り際も俺の方を見て何か言いたそうにしていたな。<br />
 ――『何か言いたいことがあるんなら、遠慮しなくてもいいんだぜ? 言ったろう?』――<br />
 俺は促してみたが、長門は小さく――『いい』――と言って、電話を切った。<br />
 ――一体どうしたんだ?――<br />
 しかしながら今思い返してみても、古泉の切羽詰った上に凍ったような声には心底肝が冷えた。バックグラウンドには何やら、オペレーターらしき声が飛び回っていた。<br />
 やはりそれほど緊迫した状況なのだろうか。<br />
 俺は何も知らない。何も知らされていない。<br />
 未来人、超能力者、宇宙人の三者三様の裏事情を。だがそれでも世界は俺に全ての荷を追わせようとしている。何度も思い返すが、理不尽だろう。<br />
 俺は白く輝くデジタル時計を再確認した。<br />
 23:30。<br />
 そろそろ出かけることにするか。いつもの、あの集合場所へ。</p>
<p> </p>
<p><br />
 親に気付かれずに家を出るという荒業を俺は何とかこなし、自転車で向かった。<br />
 自転車をいつもの通り銀行の横に止め、道をこえて北口駅の北西口広場に着いた。電車の出発する音が聞こえ、遠くにマホガニー色の車両が走って行くのが見えた。<br />
 既にそこには、相変わらずセーラー服の長門が佇んでいた。まるで何十分も前からそこにいたような雰囲気と一体感を醸し出している。<br />
 しかし、同時に不釣合いで違和感のある情景にもなっていた。やはり今日ばかりは、いつものあの見慣れた風景とは何かが違っていた。<br />
「よう、長門」<br />
 俺は、少し明るい声を作って長門を呼んでみた。長門も俺に気付いたようで、無味乾燥ないつもの眼を俺に向けてきている。<br />
 俺は、やはりあいつがいないことが気になって仕方がない。<br />
 すると長門は、俺の視線を読んだかのように、<br />
「古泉一樹はまだ現れていない。先程連絡があり、予定集合時刻には間に合わせると言っていた」<br />
 そうか。つまり閉鎖空間での仕事は全然かたが付いていないというわけか。<br />
 いつも集合時間の前に余裕で待っていて、柔和な微笑を向けてくる古泉は俺の中でいつのまにかデフォルトになっていたようで、それが少しでも変わっていることに俺は精神的不安を感じられずにはいられなかった。<br />
 深夜の駅前広場に佇む、私服の少年と制服の少女という組み合わせはさぞかし異様に映ることだろう。まぁ、そんなことはいちいち気にしていられないし、誰も見てはいないだろうから。<br />
 俺は長門にもう一人の人物の存在について尋ねた。<br />
 そちらもデフォルトに、下駄箱の中に手紙を入れて用件を伝えてきた人物。ここに我々を集めさせた張本人。<br />
「朝比奈さん……はどうした?」<br />
 今の朝比奈さん(小)の数年後及びグラマラスバージョンの姿はまだ見えなかった。<br />
 俺が長門を見ていると、長門は少しだけ顔を傾かせ――一般感覚で言うと、ほんの僅かに――また言葉を紡ぎだした。<br />
「貴方の言っている人物を朝比奈みくるの異時間同位体と認識した。彼女なら先程私の部屋の中に現れて用件を伝えに来た」<br />
 そうなのか。しかし、長門が俺の考えを読んだとは少々驚きだ。<br />
 いや、今の長門ならそれくらい出来そうだが、出会った当初の長門なら「貴方の言っている人物を特定できない」やらなんやら、言っていたであろう。<br />
 やっぱりこいつは徐々に人間に近づいている。そう感じた。<br />
 それで何て言ってきたんだ?<br />
「……貴方に伝えていいと判断。朝比奈みくるは彼女が午前零時零分からこの時間平面に留まっている間、彼女自身を防御していて欲しいと頼まれた」<br />
 防御って……攻撃から身を守ることだろう? 一体何があるっていうんだ。<br />
「それは彼女自身から後で伝えられる」<br />
 俺はたったそれだけでも、今がのっぴきならない事態であるということを理解した。<br />
 長門に助けを求めるということは尋常な事態ではない。<br />
 その時、車の急ブレーキを掛ける音がして、広場の入り口あたりに真っ黒な車が一台停車した。俺がそれに何やら見覚えを感じていると、後ろのドアが開きいつもよりやけに真剣な表情をした、不釣合いな超能力を持つ同級生が降りてきた。<br />
 なるほど、運転手は新川さんか。古泉はなにやら開いた窓越しに新川さんと話した後、車はどこかへと走り去っていき、古泉はこちらを振り向いて小走りで近づいてきた。<br />
「遅くなってすみません。少々手間取っていたもので」<br />
 古泉が弁解する。だが俺は古泉の表情と焦り様を見て、少々どころではないことをすぐさま理解した。<br />
「何も言わなくていい」<br />
「……ありがとうございます。……それで彼女は、朝比奈さんはもう来たんでしょうか」<br />
「まだ来ていないみたいだ」<br />
 一陣の風が吹いた。生温いいやな風だ。空も黒々と覆われている。ハルヒの為にも七夕の日には最後まで晴れていてもらいたいな。<br />
 そのあと黙ってその時刻が訪れるのを待つこと、数分。<br />
「まもなく、午前零時零分零秒」<br />
 長門が時報のように短くアナウンスした瞬間、「皆さんお揃いのようですね」と、いつもの妖精の声が聞こえた。慌てて振り向いてみるとやはりというべきか朝比奈さん(大)が茂みの中から現れてこちらを優しく見つめていた。<br />
「いつの間に……本当に……」<br />
 古泉が発すべき言葉を失っている。その現れ方に驚いているのだろうか。そういや、お前は本人を見るのは初めてだったな。<br />
 朝比奈さん(大)は、古泉に少しお辞儀をした後、俺に向かった。<br />
「早速ですが、話に入らせてもらいます。……長門さんもいいですか?」<br />
 どうやら朝比奈さん(大)は急いでいる。それに呼応するかのように呼びかけられた長門もすぐ頷いて、<br />
「了承した。この広場一帯に、不可視遮音フィールドを発生する」<br />
 そのまま長門は手で、宙の見えない何かを触る仕草をした。俺は当然首を傾げたが、朝比奈さん(大)は充分だというように頷き、喋りだした。古泉もなにやら納得したものがあるみたいだ。<br />
「今日、じゃなくて昨日、貴方達は未来のキョンくんを見ましたね?」<br />
 俺らは頷いた。<br />
「実は今から……何年後かは言えませんが、ある時点で我々の勢力と別の未来人の勢力が突然ですが武力衝突します。あっ! 分岐点のことじゃないです。とにかく衝突しちゃうんです。そこで向こうの勢力は涼宮さんの能力を使って改変を行おうとするんですが……なんでその時代の涼宮さんを使わなかったのかは禁則に当たるんですいません。とにかく、この時代の涼宮さんを利用することになるんです。そこで……長門さんはもう気付いているかもしれないけど……」<br />
 と言って一端区切り、長門の方を見た後、<br />
「情報統合思念体と天蓋領域が未来のキョンくんに情報操作を行って、この時間に連れてこさせてそれで涼宮さんが情報爆発をするように仕向けたんです」<br />
 それに続いて長門も、<br />
「気付いていた。彼の異時間同位体を確認した時点で、両方の勢力の介入を認識している」と続けた。<br />
 つまり、あの俺は宇宙人の操り人形ってわけか。<br />
「そういうことになります。ともかく今も未来のその時点では攻撃が繰り返されています。私も、本当なら向こうにいるんだけれど特別に貴方達に伝言するように伝えられてやってきました」<br />
 それにしても未来人の攻撃って一体どういったものなんだろうか、などと考えていると少し蚊帳の外状態にあった古泉が割り込んできた。<br />
「ちょっといいですか。貴方がやってきた未来では現在形で戦闘が行われているんですか?」<br />
「……え、ええ」<br />
 朝比奈さん(大)が驚いたように答える。どういう意味だ、現在形って。アイエヌジーか?<br />
「その戦闘は、……貴方達の言う既定事項だったんですか?」<br />
 すると朝比奈さん(大)が急に黙った。どうやら核心的なことを訊ねているようだ。<br />
「あと彼らの目的は多分この世界いや時間軸の消滅及び改変でしょう。この世界では既に、涼宮さんが大きな情報爆発を起こし続けています。いえ、断続的に少しずつ大きくなっているといえば良いでしょうか。とにかく、この世界が貴方達の世界に繋がっていないということは容易に想像できます。それを食い止める方法を一切思いつきませんからね。しかし、貴方はここにいる。どうしてでしょうか? これは既定事項なんでしょうか」<br />
 麗しき朝比奈さん(大)は、目を伏せたままだ。そういや、朝比奈さんは古泉に対して意味深なことを随分と前に言っていたよな。もしかして、この先関係が悪化というか何かしたりするのだろうか。古泉は挑むような視線を向け続けている。<br />
 成る程。古泉一樹、敵にまわしたくない人物、か。<br />
 少しの間沈黙があった。再び電車の発車の音がする。<br />
「どうなんですか、朝比奈さん」<br />
 彼女も決心したらしくようやく面を上げて、「……言えないことがたくさんありますが」と前置きしてから話し始めた。<br />
「敵対勢力によるこの時間への介入は確かに既定事項外です、私にとっては。未来から調査したときこの時間にはこのような異常は認められませんでした。この七夕の日は……言えませんが我々にとって都合よく進むことが既定だったんです」<br />
 朝比奈さん(大)は、少し間をおいて続けた。<br />
「しかし事実こうなってしまいました。私達の見解は、この時期の涼宮さんと七夕の日を利用することによって最大エネルギーで時空振動、情報フレアを発生させたいのだ、と考えています。あと私がこの繋がっていない時間軸に来られていることは、最大級の禁則です。それにあなた方にそれを言語で伝えるのは不可能に近いので、言えません。すみません」<br />
「じゃあ、本当に繋がっていないんですね?」<br />
「……ええ」<br />
 終始、古泉は顎を擦りながら真剣な表情で聴いていた。<br />
 俺はというと、100%理解したか? と聞かれたら、ノーと答える自信はある。なんだか朝比奈さん(大)も微妙なところを答えているような気もしてくる。<br />
 長門はさっきからずっと無言で朝比奈さん(大)を見つめていた。<br />
「もしかして、この時間平面もずっと介入が続けられているのですか?」古泉が訊ねる。<br />
「……はい。私達は今、その改竄の応酬の最中にいます。ですから、長門さんにお願いして気付かれないように手配しているんです。私も当然狙われるので」<br />
 全くこんな話が現実のこととは到底思えないな。ようは本当に世界の裏側で二つの集団が時間を越えて戦闘を繰り返しているというわけだ。残念ながら、未来人の攻撃が如何なるものかは分からないため、そこら辺の想像のしようもなかった。<br />
「とにかく、この戦闘は私達が食い止めます。貴方達にはその影響が及ばないようにもします。もちろん『私』にも。ですので皆さんには、この流れを元に戻してくれることを頼みたいのです」<br />
 なんとも無茶なお願いだ。<br />
「以前にもキョンくんには言ったと思いますが、時間を改竄するにはその時間平面にいる人を使って行わないといけないんです。憶えていますよね?」<br />
 確かに。あの一週間の出来事は多分この先忘れることはないだろう。この先に必要にもなるであろうし。<br />
「ですので、私達には不可能なんです。お願いします。あと、今回私は何もヒントを上げれません。私は知らないので。……すみません」<br />
 そう……なんですか。やはり、いつもはヒントがあるというわけか。<br />
「よく分かりました」と言って古泉が頷きながら手を組んだ。<br />
「私達で、頑張ってみましょう。ところで彼女の、朝比奈みくるの時間移動には頼れるんでしょうか?」<br />
「ええ、一時的にほぼ全ての時間移動を許可してあります。申請があればすぐに許可の返事を取るようにしていますので」<br />
 残念ながら、それを聞いても俺は安堵のしようがない。この際、常人離れした三人に頑張ってもらうことにしよう。俺みたいな一般人は、後ろを突いて行く役割で充分なのさ。<br />
「じゃあ、頑張ってください。あっ! 必ず、貴方達の時間を正しい流れに戻してください。じゃないと……困りますぅ。じゃあ、また逢えることを願っています」<br />
 そう言って、どこかへ行こうとしたとき、俺は重要なことを思い出した。<br />
「朝比奈さん!」<br />
「……何でしょう」<br />
「訊きにくいんですけど……貴方を信じてもいいんですか? 貴方は嘘をついてはいないんですか?」<br />
 また風が吹いた。さっきとは打って変わって身体が凍えた。<br />
「信じてもらわないと困ります。だって私はSOS団の副々団長なんですよ?」<br />
 朝比奈さん(大)は微笑みを残して小走りで暗闇の駅の構内へと消えた。<br />
 何となく、俺は追わないほうが良いような気がしてその場に立ち止まっていた。そうか、副々団長ですか。俺は内心少し安堵していた。<br />
 古泉はずっと腕を組んで考えあぐねている。長門もまだ、静止状態でいた。<br />
 時刻は、もう零時半に近い。<br />
 誰も喋らなそうなので、俺から口を開くことにした。<br />
「全く、やれやれとしか形容できんな。で? これから一体どうするんだ?」<br />
「流石にこれは困りましたね。実は、我々にはタイムリミットというのがあるんです。涼宮さんの能力が完全に失われてしまっては、もう何もかもおしまいです。もちろん、閉鎖空間が全世界を覆って、世界は創り直されるでしょうが」<br />
 そして、確かそれはもう停めようがないんだったよな?<br />
「ええ、我々が一番大きな、涼宮さん本人が存在する閉鎖空間に侵入することが不可能なので、神人を倒してその拡大を阻止する術はありません。……まぁ、一つだけ方法がありますがそれもかなり絶望的です」<br />
 何だそれは。長門もそれを聞いて驚いたように顔をこちらに向けている。<br />
 その表情が驚いているってことが分かるのもSOS団のメンバーだけに限られるんだろうな。<br />
「それは……去年貴方がやったように、涼宮さんをこちらに世界に戻すことです。しかし残念ながらそれは無理であるという結論も同じくして出ています。長門さんがその閉鎖空間に入れるというのであれば話は別なんですが……絶望的なことに涼宮さんは、『貴方』ではなく、『ジョン・スミス』を選んでしまったようなので」<br />
 古泉の声はどこまでも張り詰めていて凍っていた。<br />
 俺はそれを聞いたとき、心の中に得体の知れない黒い靄が生まれたのを感じた。<br />
 どうした? 俺は嫉妬しているのか? 何故? 分からない。<br />
「どうかされましたか?」<br />
 古泉が意地悪く微笑んでるように感じて仕方がない。<br />
 するとさっきまで貝の様に口を閉じていた長門が喋りだした。<br />
「私個人の意思で、涼宮ハルヒの閉鎖的空間に介入することは許されていない。また、情報統合思念体の主流派は観察を目的としている。私個人でどうにかできる問題ではない。……弁解する」<br />
 どうしてわけもないのに長門が謝るんだ。<br />
 古泉もそれを聞いてまた腕を組んで考えるポーズをとった。<br />
 全く、悪い夢でも見ているようだ。とっとと醒めてくれないか。<br />
 朝比奈さん(大)が来たから結果的に繋がるのだと期待を持ってはいけない、ということをさっきの会話で暗に釘を刺されていた。ようはあの夏休みの時と同じだ。<br />
「なぁ長門。もし許可が下りたら、俺を閉鎖空間内に連れて行くことはできるのか? 出来るんだったら、無理にでもしないといけないが」<br />
「……それは前例がないから分からない。しかし、不可能に近いことは予測できる」<br />
 驚いた。長門にでも出来ないことがあるのか?<br />
「現在の涼宮ハルヒの情報操作能力はとても私一人では太刀打ちできないものにまで上昇している。それが彼女が現在、閉鎖空間内で断続的に起こしている情報爆発から推測した答え」<br />
「確かにそうですね。貴方はお分かりにはならないかもしれませんが、途方もない量の情報を彼女は発し続けています」<br />
 そう……なのか。やれやれだな、全く。<br />
 ということは、<br />
「なぁ、古泉。やっぱり朝比奈さんに助けを求めないといけなくなったと俺は思うんだが。」<br />
 というか、それしかないだろう。古泉は自分で時間問題には機関が無力であると宣言してしまっているし、長門も現在の閉鎖空間には無力だということを釈明したし。<br />
 古泉も小さく溜息をつき、<br />
「確かにあとはそれしか方法は残っていなさそうです」と呟いた。<br />
 じゃあ、案ずるより産むが易い。タイムリミットもあるんだろう?<br />
「ええ。まぁ、仰るとおりです。閉鎖空間の拡大率から計算しましたところ、この世界が現状を維持できるリミットは明日の夜九時頃になると予想されています。確かに少ないですがまだ我々に時間はあります」<br />
 夜の九時って言ったら、ハルヒの野郎が東中の校庭にでかでかと謎の文字を俺に書かせた時刻と符合する。<br />
「ではそうと決まれば、今から朝比奈さんに連絡します」<br />
 何でいつもお前なんだ?<br />
「どうしてです? そろそろ絞り込んでいるものとばかり思っていましたが」<br />
 だからお前の言っていることはどうも分からん。<br />
「いえ、失言でした。とにかく最後は貴方がどうにかされるのでしょう? 準備くらいこちらが整えますよ」<br />
 ……古泉よ。<br />
「何でしょうか」<br />
 そんなに他人が理解できない皮肉を言っていて楽しいか?<br />
「それこそ、何のことやらさっぱり」<br />
 まぁいい。今回は念願の時間移動が出来るんだ。満足じゃないのか?<br />
「さぁ、どうでしょうねぇ。……失礼。…………――夜分遅くにすいません、古泉です。今、彼と長門さんと三人でいつもの駅前に集合しています。……はい、そうです。是非来してもらえませんか? 事情はついてからということで……ありがとうございます。そこでなんですが、来られる途中時間移動の申請をしてもらえないでしょうか? ……ええ、彼が仰っていますと、お伝えください。……それでは、お待ちしております。…………――ふぅ。取り敢えず、今すぐ来られるようですよ」<br />
 古泉は携帯をしまうと、俺の方をまた向いた。<br />
 何だそのよく分からん顔は。何も出てこないぜ?<br />
 長門はというと、まだどこか宙の一転を望洋していた。<br />
「長門。ちょっと訊きたいことがあるんだが」<br />
「……なに?」<br />
「お前、『あいつ』が部屋に入ってくる前に扉の向こうを透視、していたよな。あのとき何か見たのか?」<br />
 確か長門は食い入る様に扉を見つめていた筈だ。長門はまた沈黙を置いて、<br />
「透視ではない。一種の遠隔的熱感知」<br />
 そんなことは残念ながら俺にとってはどうでもいい。で、何か見たのか?<br />
「……貴方の異時間同位体」<br />
「それだけか?」<br />
「……禁則事項。貴方にもいずれ解かること」<br />
 どうやらこれ以上は教えてくれないみたいだ。長門が俺に対して、禁則事項ってワードを使ったのは今回が二度目だ。<br />
 まぁ、分かるんなら別に詮索はしないさ。<br />
 茫洋と宙を見上げる長門を、古泉が懐疑的な視線で見つめていた。</p>
<p> </p>
<p><br />
 ――やはり、このとき俺は楽観視しすぎていたようだ。<br />
 もっと複雑な問題であるということに俺は気付いていなかった。――</p>
<p> </p>
<p><br />
 十数分後。<br />
 暗闇の中街頭に照らされて可愛く走ってくる朝比奈さんの姿が見えた。相変わらずの私服のセレクトにも怠りはなかった。<br />
 朝比奈さんは一瞬入り口で立ち止まった後、息を整えながらやってきた。あぁ、今朝比奈さんが驚いているのは俺達が急に視界に現れたからだろう。長門が不可視何たらフィールドを発生させていたのを俺は思い出して納得した。<br />
「一時的にバリアの一部に進入経路を造成した」<br />
 長門がつまらなさそうに補足説明をしてくれた。助かるぜ。<br />
「はぁ、はぁ、はぁ。……ふぅ。遅れてすみません。待ちました?」<br />
 いいえ、全然。朝比奈さんのためなら何年でも待ち続ける自信がありますよ。<br />
「それで、許可のほうはどうされました?」古泉が俺を横目で見ながら催促する。<br />
「あっ! それのことなんですけど……申請したらすぐOKって出ちゃいました。またこないだみたいにキョンくんの指示に従えって……。目的すら分からないのに、キョンくんって一体誰にとっての何なんですか?」<br />
 古泉がやはりとしたり顔で頷く。何なんですか、って言われてもなぁ。<br />
 とにかく俺は、全てにとっての共通認識の《鍵》なんだろ?<br />
「ええ、その認識で間違ってはいませんね」<br />
 古泉、お前は黙ってろ。なぜか嘲笑されている気がする。<br />
 閑話休題、長門よ。『アイツ』に合ったらどうするつもりなんだ?<br />
「彼に対して掛かっている情報操作の解除と以降の介入を妨害する防護壁をつくり出させるナノマシンを彼の体内に注入する」<br />
 朝比奈さんが少し口元を抑えたのが見えた。朝比奈さんはあれを去年やったらめったら打ち込まれているからな。またあれか、あのガブリと一発。<br />
「では準備も整ったことですし。朝比奈さん、時間移動の準備をお願いします」<br />
「あのぅ、その前に……理由、教えてもらえますか?」<br />
「向こうに着いてからお教えます。今は『彼』が現れる少し前に遡ってくれませんか?」<br />
「そう……ですか。やっぱりそうかなって思ってました」<br />
 目を閉じて頷いた朝比奈さんは、そのまま俯きながら掌を出し、「手を重ねてください」と俺達に向かって言った。<br />
「では」と断ってから、古泉、長門、俺の順で手を重ねると、誰からともなく眼を瞑った。<br />
 しまった、時間移動するであろうと読んでいたのに、酔い止めを用意するのをまたしても忘れてしまった。<br />
 暫く目を瞑っているとまたあの天地が引っ繰り返るような衝撃がやってきた。<br />
 心なしか去年より和らいでいる気がする。慣れてしまったということだろうか?<br />
 まぁ、いい。どちらにしろ、もどしそうになっているのは変わらない事実なんだからな。<br />
 長門は多分平気だろうが果たして古泉はどうなんだろうか。あいつは今回が初めてのはずだ。いや、しかし鍛えているって可能性もあるな。……どうやって三半規管を鍛えるんだ?<br />
 そして既に暗転している世界の中、俺の感覚がそのほか意識諸共完全にブラックアウトした。</p>
<p> </p>
<p><br />
 灰色の、天井。<br />
 目を見開いたとき、俺の身体は既に北校の階段の踊り場に横たわっていた。<br />
 見慣れていることから、どうもここは旧校舎の中らしい。<br />
 どうやら今回俺は前ほど眠っていない……みたいだ。慣れたのだろうか。<br />
「あっ、今回は……その、禁則事項……の時間を短くしました。……その方がすぐに動けますから」<br />
 朝比奈さんがつっかえながら言った。どうやらいつもみたいに長く眠っていると支障が出るってことらしい。臨戦態勢で、ってわけか。<br />
 あいつが訪れた時刻を俺ははっきりと憶えていなかったが、窓の外の夕紅の景色からもうすぐであるということは何となく分かった。<br />
「さぁ、もうすぐですよ」<br />
 俺が何故か痛い頬をさすりながら起き上がると、突き当たりの壁から廊下を伺っている古泉が声を掛けてきた。<br />
 かくいう古泉はゼロアワーを覚えてでもいるのだろうか。<br />
「長門さんから教えてもらいました」<br />
 そんなことだろうと思っていたよ。<br />
 しかし今思い返してみても、やはりドアがノックされる瞬間の長門の素振りがどうも不自然だった気がする。単に驚いただけとも取れるかもしれないが、何かが違うような気がする。<br />
 全くいつもこれだ。俺の脳味噌は何に引っかかっているのか全く教えてくれない。何だっていうんだ。何を『見たんだ』?<br />
 暫く廊下の端から伺っていると、向こうの方から足跡が聞こえてきた。<br />
 少し覗いてみると案の定、音の主はアイツだった。<br />
 何となくだが、まだ俺はその人物を俺と呼ぶことに躊躇いがあった。そいつは俺であって俺ではない。第一、俺があんなことをするはずがない。縦え操られているのだとしても、だからといってアイツを俺と呼ぶことを素直に認められない自分がいた。<br />
 しかし一人で来ているのか。さぁ、今からどうする。まだアイツは俺達の存在に気付いていないはずだ。操られているからといって急に長門並みの能力が備わっているわけではないことを祈ろう。<br />
 古泉は、ノックの前にアイツに近寄って動きを止めた後、長門がナノマシンを注入するような作戦を俺に話していた。……それにしても長門は何が言いたかったのだろう。<br />
 放課後やさっきの集まりのときも何かを伝えたそうにしていた……ような気がする。あの俺が、情報統合思念体によって操られていると言うことだろうか。それなら既に聞いている。<br />
 どうやら俺の頭の中は去年末から長門が多くを占めていることに変わりはなかった。<br />
 ふと、また覗いてみると、アイツがもう扉の近くにまで来ていた。<br />
 ――「必ず、貴方達の時間を正しい流れに戻してください」――<br />
 俺達の前から姿を消す直前、朝比奈さん(大)は確かにそう言った。<br />
 言われなくたって、当然俺達はそうするつもりさ。その言葉になんらおかしいところはない。筈なのだが、しかし俺の頭がまたしても何かに引っかかっている。<br />
 古泉がゆっくりと動き出した。朝比奈さんにはその場を動かないようにジェスチャーしている。そりゃそうだな、俺も異論はない。長門もその後を静かに追っていた。だがなぜか振り向いて俺にどうも意味有りげな目線を送っている。<br />
 何だ何だ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないか。溜め込むのは良くないって言ってきただろう。<br />
 その時だった。<br />
 俺の頭の中で閃くものがあった。<br />
 確かに朝比奈さん(大)はこう言った。『貴方達の』と。<br />
 もしや……俺は全身に震えを感じ始めた。俺達は間違ったことをしようとしているんじゃないのか?<br />
 いや、間違ってはいないかもしれない。しかし……このままではかなり悪い、絶望的な事態になることは必至だ。<br />
 俺は慌てて、古泉の前に立ち塞がった。既にアイツも俺達のほうを注視している。その瞳に生気はなかったが。<br />
「おい、古泉。今すぐ元の時間に戻るぞ!」<br />
「どうされました、そんなに慌てて。どうしたんです?何故今更……」<br />
 明らかに古泉は困惑と不服の表情を浮かべている。<br />
 だが俺は構わず続けた。<br />
「お前、この先の計画を考えているのか? ここで長門によってアイツを元に戻した後どうするつもりだったんだ?」<br />
 思わず、声が大きくなる。<br />
「遮音フィールドを発生している」<br />
 長門が再び誰にともなく言った。ありがとよ。<br />
「まさかだが古泉。お前が考えていないとでもいうのか?」<br />
「ですから、また前の時間に戻れば……っ!?」<br />
「ようやく、気付いたか。そうさ、いつの時代もSF作家がどうしてもぶつかったところだよ。パラドックス。それが全然解決していない」<br />
「つまり、私達が戻ったとしても……向こうでは何も変わっていない。もしくは、別の我々が平凡に暮らしている。しかも変わるのは『この時間』の我々であって、私達ではない……。しかし私達の過去では、彼が来ている…………私としたことが。どうやら大きなミスを仕出かす所だったようですね。ありがとうございます」<br />
「そ、そういうことに……なる、な。」<br />
 どうやら瞬時に俺が、考えていたこと以上を理解したらしい。悔しいが認めようじゃないか。<br />
「それでは朝比奈さん」<br />
「ふえっ!?」<br />
 急に呼ばれて、朝比奈さんが奇声を上げた。<br />
「また、前の時間に戻れますか?」<br />
「俺からもお願いします」<br />
 アイツは、ノック寸前の状態でまだこちらを見つめていた。<br />
「じゃ、じゃあ、キョンくんの指示には従えといわれていますので……手、お願いします」<br />
 俺達は、数分前と同じように朝比奈さんのそのちっこい掌の上に重ねて瞼を閉じた。<br />
「行きますよ?」<br />
 意識がまた飛ぶ前、部室の扉をノックする音が微かに聞こえた。</p>
<p> </p>
<p><br />
 暑い、茹だる様な暑さだ。何で俺はわざわざこんな坂を登らなきゃならないんだ。<br />
 蝉は所狭しと樹に群がり喚き続け、太陽は首筋を直に燻り続けている。<br />
 この身体から大量の塩分を奪っていく大粒の汗も、止め処なく流れ続けていた。<br />
 谷口のアホ話も俺にしてみれば、蟲や街の夏特有の喧騒と何ら変わりはなく、俺の耳は自然とそれらをシャットアウトしていた。……塞ぎ切れない音に苛々感が募るわけでもあるが。<br />
 もうだいぶ慣れたと思っていた光陽園駅からのこの坂道も、唯一この季節、夏だけは例外のようで俺は倍以上の時間を歩いている様に感じた。<br />
 しかしどうしてもこいつに、俺は憐憫の目をやってしまう。断っておくが、俺はこいつの頭脳を特別憐れんでいるわけではなく、『何も知らない人々』達の代表への憫れみを込めた視線なわけなんだが。<br />
 訪れるであろう、涼宮ハルヒによる避けることの出来ない世界崩壊。それがどのようなものになるかは見当がつかないが、頭のどこかで、『リセット』と結び付けている自分がいた。ゼロからのやり直し。ただゲームと違うところは、次の世界がどうなるか全く未知数ということだ。<br />
 ハルヒの閉鎖空間はとどまるところを知らず、拡大し続けている……という話だ。<br />
 つくづく、凡人はいつの世も可哀想である。そして残念ながら俺がもう凡人の域を超えていることは去年来から知っている。偶に自分の位置づけがごちゃ混ぜになっているって? 人間っていうのは自分にとって都合のいいことしか受け入れられないものなのさ。確かに俺は一般人ではある。しかし同時に世界の裏側を知る人間でもある。一般人とそうでない人間の区別と定義なんてものは、それを推考する角度からによって幾重にも変わるものなのさ。<br />
 学校について上靴に履き替えた後、俺は自分の教室で座りながら、真後ろの座席を見続けていた。<br />
 分かっている。今日あいつは欠席だ。そしてこの教室内でその理由を言える人はいないだろう。<br />
 当然俺もだ。そんな勇気などない。<br />
 それでもこの日常、世界は何も知らないかのように過ぎて行く。<br />
 教師達は今日も長々と勉強の講義を続けていた。皆は、というとそれでも試験の点数は至上命題らしい。残念ながらこの世界の住民は試験の当日を迎えることはない。今の俺にはその滑稽さを笑っていられる余裕がなかった。<br />
 そんな俺の頭がこの授業に集中しているわけもなく、昨日の――正確には今日のえらい早くの出来事を何度も何度も思い返していたのだった。<br />
 元の時間のちょっと後に戻ることの出来た俺達は、暫く黙って腰掛けていた。一様に疲れた顔をしていた。古泉もまともに疲労の念を顔に出していた。長門はどうか分からないが。<br />
 ややきょとんとしていた朝比奈さんだったが、事情を説明すると、流石未来人らしく早く飲み込んでくれた。ようは、あのままじゃ、俺達があいつらの立場になることは出来ない、と言うことだ。それが『貴方達の』という意味。<br />
 つまり、この世にはたくさんの俺達がいるということなんだろう。それぞれの細かい時間平面の中にいる自分達。そいつらは全員同じで全員違う。決して相容れない……時間的に。<br />
 とにかく俺達は別の方法を考えなければいけなくなってしまった。もしくは、あそこからどうするかを。<br />
 少し話し合った後、今日の放課後、集合ということで解散になった。<br />
 今の俺がやや寝不足気味なのは、真夜中に色々ありすぎたからだ。これでも俺は普通に睡眠時間を必要とする。寝ている時間が遅くなればなるほど、朝の負担も比例して大きくなるのだ。<br />
 やっとの思いで欠伸を噛み殺した俺は、少しでもノートに向かうふりをした。寝ているよりはましだろう。<br />
 ……何かいい案、思いつかないもんかね。<br />
 朝比奈さん(大)はああは言ったものの、何らかのヒントは出ている筈だと俺は思っている。いつもの通りではあるが、勘って奴に他ならない。<br />
 どうやら長門は俺に『アイツ』の行動の阻止自体を俺が阻止するということを伝えたかったようだ。あのとき扉の向こうで長門が見たのは、丁度俺達が真夜中、時間移動して取った行動と同じだったらしい。ただ、長門は『観察が目的』と言っているから、言わなかったのだろう。<br />
 とにかく何らかの既定通りに事が進んでいる可能性がある。先に教えてくれたら、わざわざ行かなくても済んだものを、何てなことを俺は別にぼやきはしなかった。<br />
 適当に、授業と掃除を済ませると放課後俺は文芸部室へと足を向けた。俺の親はしきりに言う。若い頃は勉強の毎日などただしんどいだけかもしれないが、勉強ほど楽なことはないと。<br />
 早々と時間が過ぎて行ったのには、何にもアクシデントが起こらなかったってことだ。切羽詰っている筈だが、古泉から休み時間ごとのミーティングなんて無かったし、長門が不変の表情のまま天地が引っ繰り返りそうな爆弾発言をすることもなく、平凡に過ぎた。<br />
 生徒会はまた何か退屈しのぎを吹っ掛けてくるのだろうか、と俺は部室までの道中ふと思い出した。どちらかというと今期が、あの陰謀色の強い生徒会の豪腕を発揮するときでもある。……全くそれどころじゃないのが現実ではあるが。<br />
 扉を開けると、既に俺以外のメンツが揃っていた。ノックをしなかったのは朝比奈さんがメイド服に着替えていないと読んでのことだ。<br />
「こんにちはぁ」<br />
「あぁ、どうも」朝比奈さんに挨拶を返した俺は古泉の対面に腰を下ろし、表情を伺い見た。<br />
 多分こいつは今朝、一睡もしていないんだろう。何となく雰囲気からそんな気がした。普段は口を利くことも無い九組の奴らからわざわざ話を訊ねまわったのも、古泉が珍しく遅刻をしたからだ。予想だが、機関は臨戦態勢のままだったのだろう。<br />
 張り詰めていた緊張が一瞬で解けて、一気に飽和したような顔を古泉はしていた。<br />
「それで、何か策を思いつかれましたか?」<br />
 嘆息交じりに古泉が尋ねてくる。声にも張りがない。お前の男前の顔に翳りは似合わないぜ?<br />
「いいや、全く思いつかないさ。俺が思いつく様な簡単なもんならお前でも長門でも、もう思いついていてもおかしくないぜ?」<br />
「これはこれはご謙遜を。貴方はいつも私達が驚かれるような手段を見せてくれるではないですか。ねぇ、長門さん。そう思いませんか?」<br />
「……そう」<br />
 ったく、長門もなんだ? 褒めても何も出てこないぜ。<br />
「いえいえ、貴方ならきっと良き策を出してくれると信じています」<br />
 まるで神父が儀礼をサボる子供に諭している様だな……無視することにしよう。<br />
「それで、朝比奈さんは何か分かりましたか?」<br />
 俺は言外に、『時間』関係を匂わせた。時間移動に関しては朝比奈さんに訊くのが常套でもある。<br />
 朝比奈さんはやや逡巡しているように見えた。<br />
「どこまで、私が言えるのか分かりませんけど……私には今回、ほとんど何も情報を与えられていません。それに……そのTPDDだとか、色々時間移動に関することは私の権限では何も言えないんです。何も漏らせないように操作されているんです。キョンくん達が考えるパラドックスについても私達未来人は何も教えることは出来ないんです。それが……決まりだから」<br />
 朝比奈さんは決まりが悪そうに言った。いつも思うがやっぱり厳しすぎるだろう。<br />
 朝比奈さん(大)の考えだと思うのだが、それでいても今の朝比奈さんに何らかの権利を与えてもいいと俺は思う。確かにおっちょこちょいな一面はあるからついうっかり滑らすこともあるかもしれないが、朝比奈さんは俺が知りうる中で一番真面目な人でもある。だからそういう心配は無いんじゃないかとも俺は同時に思っていた。<br />
「ただ、いつもの事例からしたらどこかにヒントはあってもいいんですけど」<br />
 やはりそうなのか。またしても手詰まりと言った雰囲気が部室に圧し掛かると、その沈黙を破るように長門が急に喋り始めた。<br />
「ただ、導くことは可能」<br />
 長門は目線をいつもの単行本に落としたまま続ける。<br />
「貴方達未来人は確かに自らの手では、未来を創造することは出来ない。自分達の干渉が時間平面の前途に影響を及ぼさない。しかし自分達が所属する未来へ過去の人々を利用して時間及び世界の方向を誘導することは容易。貴方達はその誘導によって、涼宮ハルヒに関する全ての不安定要素を、貴方達の未来へと接合させることが至上命題」<br />
 ……それは俺が今まで聞いてきた断片的なことを纏めたものだった。言っていること事態は俺が今まで聞いてきたことと同じのはずだ。それほど初耳というわけではなかった。<br />
 だが朝比奈さんはやけに身体を縮こませ、古泉はなぜかしたり顔で頷いている。まるで、自分の考えが実証されたときのような表情だ。<br />
 長門は最後に俺の方に顔を向けて言った。<br />
「そして貴方がその鍵。貴方自身に特別な能力は無いが、貴方を導くことが不確定要素を確定させる重要なプロセスであり、ファクターだから。つまり全ては貴方の行動次第。そしてそれが結果、既定事項ともなる」<br />
 俺は今の長門の独白《モノローグ》に去年の映画撮影の時の不思議な感覚を思い出した。確かあれは俺が長門と古泉の対話《ダイアローグ》を撮っていた時に感じたような気がする……。<br />
 そして長門の後半の独白は冬に朝比奈さん(大)から聞いた事象についての説明と符合した。<br />
「もしかすると、ヒントはここ最近出されたというわけではないのかもしれませんよ」<br />
 思いついた、という風に古泉は流れ始めた変な空気を断ち切るかのように切り出した。<br />
「なるほど。つまり長い伏線というわけだな?」<br />
「それを言われては、やや興醒めですが……。それに、あの時点ではまだ間違ってはいなかったのかもしれません」<br />
 確かにその可能性だってある。俺が思うにそれ以外の方法自体が思いつかない。だが問題はそこから先だ。どうやって俺達がその時間軸に入り込むか、にある。<br />
「何か手掛かりとなるようなことを思い出せませんか? 去年のことであるとか、時間移動に関してであるとか。我々に残されたタイムリミットはあと、どうやらあと五時間弱しかないようなんです」<br />
 そうみたいだな。部室の時計をチェックした後、俺は去年の記憶を掘り返すことにした。<br />
 朝比奈さん関係で挙げるとしたら、まず俺が最初に朝比奈さん(大)に遇ったとき。<br />
 朝比奈さんに連れられて四年前へ時間移動したとき。エンドレスサマーの時の朝比奈さんの切実な告白。映画撮影のときのこぼれ話。……冬の一連の朝比奈さん関連事象、ぐらいか。<br />
 映画撮影は除いても良いだろう。朝比奈さん(大)に始めてあったときは、多分その後のハルヒとの閉鎖空間事件の予告が目的だったように思う。エンドレスサマーのときも、それらしい示唆は無かったはずである。<br />
 つまり残ったのは、七夕の時の移動と、冬の『朝比奈みちる』事件の二つってわけか。<br />
「その決断で妥当でしょうね」<br />
 だが残念ながらそれに古泉はほとんど無関係だ。古泉の顔が自分にはどうもしようがないということをまたしても愁いでいるように見えた。<br />
 しかしどこで暗に示されたのだろう。もしかしたら七夕のときのほうが、重要なのではないだろうか。日付が日付だし、冬の出来事の時は散々因果応報や辻褄を叩き込まれた感じがあった。<br />
 ……順を追うことにしよう。<br />
「まず、朝比奈さんが俺を呼び止めて中学一年のときに時間遡行した。そのあとハルヒの線引き係を俺は背負わされる。そしてその後何故かTPDDが紛失したが、長門を頼りにして戻ってくることが出来た……」<br />
 一体どこで……?<br />
 俺が暫く頭を抱えていると、じっと聴いていた古泉が掌を拳を叩いて、<br />
「そうです、それですよ。それがヒントであり答えだったんです。僕もはっきり覚えていますよ、チェスのときに貴方が私と長門さんに尋ねられたこと。貴方が疑問に思われたこと。それがアンサーです」<br />
 古泉が本格推理ものの探偵役を演じていると、朝比奈さんも「あぁ、そうだったんですか!」と納得の声を上げた。<br />
 そうさ。いつでもポツンと置いていかれるのは常人たる人々なんである。そう言った意味では俺はまだ一般人なのである。俺の視点から見てみると、まるで部室内に明るい天からの光が差し込んでいる構図のように見えてくる。古泉は満面の笑みで何やらガッツポーズをし、朝比奈さんの顔にも歓喜の表情が浮かんでいる。<br />
 長門はその二人を空虚な目で見つめていた。確かにこれだけ見たら、未来が開けた感じではあるが……。<br />
「待て待て。俺は全然追いついていないぞ。俺が何か言ったのか?」<br />
「ええ、キョンくんは自分で答えを言ってましたよ!」<br />
 朝比奈さんがこちらを見て微笑んでいる。一体全体何を言ったのかねぇ。<br />
「取り敢えず、早速時間移動を始めましょう。朝比奈さん、時間の座標はこの前と同じでお願いします。……いや、それの少し前で、空間座標は校舎内の反対側でお願いします」<br />
「分かりました」<br />
 おい、待て待て待て! さっぱりだ。全く理解できない。まるでマイナスをマイナスで割るとプラスになると教えられてパンク寸前の中学生のようだ。<br />
「大丈夫です。貴方ならすぐ理解されるでしょう。それも分かるんだから仕方がない、としか」<br />
「準備はいいですか? それじゃあ行きます」<br />
 そうだったな。確かに俺は面倒なことは異能力者達にやらせておけばいいなんて言ってた気もするぜ。俺は尻尾をふっときゃ良いってか?<br />
 ……二度あることは三度ある。同じく三度目の正直とも言う。しかし三度目も越えてしまったものは、ただ繰り返しなのさ。<br />
 何がかって? 酔い止めのことだよ。<br />
 くっ、来た……――</p>
<p> </p>
<p><br />
 俺を引っ張る力が無くなり世界の上下が引っ繰り返ったような感覚がした後、再び俺の背中は旧館の廊下に吸いつけられていた。万有引力と重力に感謝。<br />
 窓からの西日が眩しい。それのせいかもしれないがまだ眩暈と頭痛がする。俺だけ規制が強くないか? 同じく『現地人』である古泉よりも。<br />
 起き上がった俺を朝比奈さんが袖を掴んで奥に引っ張り込んだ。古泉が、私達は私達を見ていないでしょう? と、分かる人には分かる補足説明を耳元でする。待て、まだ意識が朦朧としている。まるで朝に弱い低血圧の人みたいだ。<br />
「そろそろです」と、古泉が言うと長門が何かを感知したように面を上げた。<br />
 そういやさっきからちょっとだけ長門の影が薄かったかな。積極的に喋ろうとしないんだから仕方が無いな。<br />
「来ましたよ。我々が」<br />
 俺は向こう側から見えないように気をつけて覗くと、朝比奈さんに頬を叩かれている自分を見た。なんですと! 俺は後ろを振り返ってみると、朝比奈さんが照れたように俯き「すみません」と小声で謝った。<br />
 いやいや、大歓迎です! 畜生、羨ましすぎるぞ俺! どうやら俺は、意識が無いうちに朝比奈さんに色々やってもらっているらしい。くそ、もしそのときに意識さえあれば……。<br />
 俺が一喜一憂しているのも束の間、今度は、こっち側のドアが開いて悠々と未来の俺が現れた。<br />
「成る程そういうことでしたか」<br />
 古泉がまた何やら勝手に納得している。一体何をだ?<br />
「いえいえ。戯言です」<br />
 ……それにしてもあいつ、俺達の目の前を素通りして行ったぞ。<br />
「不可視遮音フィールドを発生している」<br />
 またしても、ここ数日間聞きっ放しの長門の科白だ。何だか反則的な技だな。それ使ったら何でもかんでも辻褄が合う何て言うなよ? というかだったら俺達隠れる必要ないんじゃないのか。<br />
「さて、ここからが正念場です。ここで我々が行動に出なければ未来……この時代の私達は変化しません。ですが行動を始めた瞬間、そこから始まる世界は我々のものとはまったく別の世界となります。違う世界へ繋がる道を開拓できさえすれば、これより続く過去もそちらに流れることになるでしょう」<br />
 後半がよく解からないが、じゃあもうあの俺達に見られてもかまわないってことか?<br />
「それは行けません。彼らにもこの未来を辿ってもらわなければ行けない。部室内の彼らはこの先の未来を進み、向こう側にいる私達はもう一度七月八日未明に戻ることになるでしょう。繰り返しますが私達が最初にこの時間に来たとき、今の私達を見てはいません」<br />
「……そうか、そこであの俺達はまた俺達と同じ道筋を進んで全ての俺達が未来人達の望む未来を辿ることになるってわけか! そうなんですね、朝比奈さん」<br />
「ふえっ! そ、そんなの禁則事項に決まってるじゃあないですかぁ」<br />
 朝比奈さんが悩ましく身体をくねらす。あぁ、ダメです!<br />
「そうですよねぇ。言えないに決まっていますよね? ですが私は確信しています。彼の体験と行動、全てが未来の既定事項に沿っていることは長門さんが証明してくれてますしね。さぁ、彼らが時間移動した後すぐに行動に移りますよ」<br />
 なぁ、古泉?<br />
「何でしょうか?」<br />
 何か知らないがまるで策謀どおりに敵陣が動いて密かに歓喜している参謀長みたいに活き活きしているな。<br />
「そう見えますか? まぁ、自分が参謀であることはやや自負していますがね。なにせ、」と古泉は胸を叩き、<br />
「副団長ですから」<br />
 と言った。そして俺達はニヤリと笑いあった。<br />
 そのあと俺達は廊下に出て、彼等――俺等――の行動を見ていた。<br />
 流石長門というべきか、あのとき遮音フィールドしか展開していなかったのは――どちらにしろ俺には感知できないが――今この状況にいる俺達が彼らの行動を見られるようにするためだったのか。<br />
「……その可能性はある」<br />
 ん、長門にしたら不明瞭な答えだな。<br />
「…………」<br />
 まぁ、いい。答えが一つなんてことは実際問題関係ないからな。<br />
 しかし見ていると、俺の行動は実に滑稽だ。それと同じくらい俺を客観的に見ていることも滑稽だが。新年明けて早々俺は瀕死状態の自分を目にしたが、あの時とはまた違う感慨だぜ。<br />
 古泉のほうを振り返ると、同じく腕を組んで興味深そうにもう一人の自分を見つめていた。<br />
「何故、あの時貴方に言われるまでパラドックスに気が付かなかったのか、改めて思い返してみると不思議でならないですね」<br />
 知らん。誰かさんの陰謀かもしれないぜ。脳内を操作したとかさ。<br />
「それはお断りしたいです」<br />
「もうすぐです……!!」<br />
 朝比奈さんの声がしたその時、今まで俺達の目の前にいたもう一人の俺達が消えた。<br />
 何故だ、まだ時間移動してなかったぞ……? まさか……。<br />
「……禁則事項だから」<br />
 長門かっ!<br />
「長門さん、急いで!」<br />
 古泉が思い出したかのように声を荒げる。<br />
「了承した」<br />
 そのとき、体育祭のときに見たような超高速ダッシュを長門は披露して、あっという間にあいつの腕に歯を立てていた。俺達も急いで長門の後ろに集まった。<br />
「全て終わった」<br />
 速いな。そう言って長門が身を引くと、見る間に未来の俺に変化が現れ始めた。<br />
 そいつの虚ろだった瞳にはどんどん生気が宿っていき、「おうっ!!」と言って目醒めた。<br />
「ようやく元の状態に戻られましたか。どうやら未来の貴方も現在の彼とさほど変わりが無い様に見受けられますね」<br />
「古泉……なのか? にしちゃあ、随分と若いが……どうして俺はこんなとこにいるんだ……って、ここは過去か!!」<br />
 おい、お前。何かそのリアクション自分で見ていると恥ずかしいぞ。<br />
「そうです。ここは貴方達が居た時間から遡った時間です。しかし……何も憶えておられませんか? 貴方がここにおられる理由であるとか」<br />
 訊ねられて暫く未来の俺は腕を組んでいたが、解くと、<br />
「いや悪いが古泉。皆目見当がつかん。取り敢えずもう一回聞くが俺は過去にいるんだな? ……やはりそうなのか。すまん、何も思い出せないんだ。だが……いや、いい。ただの記憶違いだ」<br />
「実はですね……」<br />
 古泉が状況を説明し始めた。<br />
 それにしても、未来の俺はどうやら時間移動に対してさほどのショックを受けてはいないように見える。俺も初めての時間遡行にはドキドキハラハラ――笑ってもいいぞ――したもんだが、こいつは最初自分の境遇に驚いた後は至って平然としている。もしや……いや、したくない想像はやめておこう。ただでさえ今目の前にいる俺は、今の俺に静かにその境遇を物語っている。<br />
 どうやら、何年後かの俺もまだハルヒに振り回されるようだ。<br />
 全く、嬉しいやら悲しいやらどっちかわからんね。いや、悲しいか。前言撤回。<br />
 さてさてどうやら古泉が長門を交えて現在の状況と送り込まれてきた理由をあたかも演説の如く説明し終わったらしく、未来の俺は再び腕組みをして思案顔になっていた。<br />
 だが一言、「成る程な」と言った後どうやら合点が行ったようで、<br />
「そろそろ来るな」<br />
 と呟いた。さて、何が来たと思う? 勘の良い奴なら分かるだろう。俺はそれに軽くデジャブを覚えた。<br />
 俺達の頭の上に軽くクエスチョンマークが浮いていたとき、まず俺の隣で変な声がした。<br />
「ふえっ……」<br />
 隣にいた朝比奈さんがその場に崩れ落ちる。そしてそのあと後ろから突然声を掛けられた。<br />
「お迎えに来ました」<br />
 誰であろう、朝比奈さん(大)の再登場である。<br />
「やっぱりちゃんと未来を繋げて下さいましたね。感謝しています。この世界が未来から観測……確定されましたから」<br />
「朝比奈さん、どうやら俺は操られていたようですね」<br />
 未来の俺が苦笑いをして朝比奈さんの傍に寄ろうとしたとき、二人の間を突然古泉が遮った。<br />
「すいません、朝比奈みくるさん。質問があります。貴方は一体どこまで知っているんですか。もしかして我々は踊らされていただけ、なんですか」<br />
 声が真剣味を帯びている。瞳もいつぞやの森さんの怜悧なそれのまま挑んでいた。<br />
 廊下の空気が急激に重苦しくなった。もちろん古泉が疑心になるのも理解できる。<br />
 どうでもいいがここで誰かが部室から出てきたらそれこそ阿鼻叫喚かもしれないな。……いや、そんなことは無いか。どうせまだ、長門は不可視遮音フィールドを張り続けているんだろう。全く反則だ。すまん余談だった。<br />
 朝比奈さん(大)は小さく肩を落としたあと、<br />
「どうやら貴方達に信頼されていないみたいですね」<br />
 と静かに言った。<br />
 いえいえ滅相も無い、これは全部古泉の妄言でして……。<br />
「いや仕方がないと思います。今まで何も明かさず来ているので不信感を私に抱いたとしても当然でしょう」<br />
 そんなことを貴方から言われたら返す言葉が無いじゃないですか。<br />
 俺が不安げにいると、見かねたかどうかは分からないが未来の俺が「やれやれ、」と間に入ってきた。<br />
「おい、古泉。お前はそんなに疑り深い奴か? いい機会だからこの時代の俺にも言っておいてやるが、朝比奈さんの言うことは信じろ。未来の俺が言ってるんだ、それくらい信じてもらいたい」<br />
 古泉の眼は「ですが、」と言いたげだが、あいつは構わずに続けた。<br />
「朝比奈さんはお前達にヒントを与えに来てくれている。それだけでいいだろう? そこは割り切れ。もし踊らされているんじゃないかって疑心暗鬼になるなら、言ってやるぜ。これから先お前達は毎回毎回、立ち往生することになる。言葉を真っ直ぐに受け止められなくて必ず間違うことになる。だからこそ、」<br />
 俺は唾を飲んだ。何故か分からないが未来の俺に圧倒されている。<br />
「朝比奈さんを疑ったりしないでくれ。朝比奈さんは何も悪くない。行える範囲、規則内で最大限の援助を俺達にいつもしてくれていたんだ。いや、してくれているんだ。そして……これからも」<br />
 そいつは優しい目をしていた。あいつがこっそり、「確かこんなんだったかな」と言ったのに俺は全く気付いていなかった。<br />
「あ、ありがとうございます……」<br />
「いえいえ、俺はこいつらに理解させてやったまでです。本当に大事なことを」<br />
 古泉はというとすっかり言い含められたが、それでも殊勝な顔つきで未来の俺を見ていた。<br />
「貴方が彼のようになるのだと思うと、とても頼もしく心強く思いますよ」、と俺に囁く。<br />
 眼の色も元に戻っていた。そうかい、そうかい。<br />
 さっきからずっと長門はというとフリーズしたままだ。どうやらこの様子を長門なりに観察してはいるようだが。<br />
 朝比奈さん(小)も廊下に蹲っている、というかもう寝ている。そんな様子を朝比奈さん(大)はちらりと一瞥したあと、俺達の方に向きなおった。<br />
「未来のことを言ってはいけませんが、貴方達がこれから正しい道を進むことが判明したので私達はとても安堵しています。もうこれからどうすべきかは分かっているのでしょう? 古泉君」<br />
「ええ、承知の通り」<br />
 そういや俺はまだこれからどうするか聞かされていなかったな。ただただ無理やり連れてこせられただけなんだが。<br />
「簡単なことですよ。まぁ、朝比奈さんにも一つお願いすべきことがありますが」<br />
「何でしょうか」<br />
「今この壁を挟んで向こうにいる、朝比奈みくるに命じて欲しいのです。そこにいる私、彼、長門さんを連れて過去に時間移動してくださいと」<br />
 俺は少しばかり驚いたのだが、朝比奈さん(大)はというと深く首を縦にしていた。<br />
「朝比奈さんは私達に言っています。この七月七日は我々――未来人のことですね――にとって都合よく進むと。しかし実際はそうはならなかった。そこで考えました。彼女は未来から結果としての過去を知っての発言だったのだと」<br />
 どう言う意味だ。<br />
「つまり、朝比奈さんが見たのは、上書きされた時間だったのでしょう。だったらやはり我々がこの時間の上塗りをするということです。言ってみればこれも一つのヒントですね。そこで重要だったのが『都合よく進む』の意味です。それは何事も無く平穏に済むとはまた違う意味を持っているのだと私は解釈しました。そして結論に至ったのです。彼らは時間移動をするのだと。そして多分それは私達のお願いで朝比奈さん、貴方が命令されるのでしょう」<br />
「ええ、その通りです。でもまさかこんな裏事情があったなんて知りませんでしたけどね」 <br />
「何時に時間移動させるかはお任せいたします。当初の予定があるでしょうから。とにかく、方法は一つしかありません。既に異時間同位体の我々が居る時間平面に私達がすまし顔で入るにはどうすればよいか。簡単なことです。彼等に立ち退いてもらえればよいのです。但し気付かれずに」<br />
 それが去年の七夕の件と繋がるのか。<br />
「まぁ、繋がるといいますか、発想を得たといいますか。本物の未来人を前にあれこれと空想論を語るのは気が引けますが、例えば言うとしたら貴方が帰ってきたと最初思われた七月七日はやはり別の時間軸の七月七日であるとか。貴方が体験された時間移動は過去に行って現在に戻ってきたのではなく、過去に行ってそこで三年間を体感時間で言うと一瞬で過ごしたものであるとか。何故そうする必要があったのかは多分私達には判らないでしょうし、今言ったことが全て真実であるなんて言う保証は全然無いんですけどね。悲しいものです。とにかく貴方は別の時間軸の住民になる必要があった。それだけです」<br />
 お前言っていることは悲観しているようだが笑っているな。そう講釈を垂れるのはいい加減にしてくれ。俺の中の何かが爆発しないうちにな。<br />
「唯一つ私が言いたいと思っていることは、」<br />
 まだ続ける気か、と俺が思った瞬間に古泉の言葉を紡いだ奴がいた。<br />
「過去は一つだが未来は一つではない、だろう? 古泉。ある意味当然だが」</p>
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<p><br />
 たった今、部室から朝比奈さん以外全員出て行った。朝比奈さんはいつもの着替えがあるからな。<br />
 古泉はパラドックスがどうのこうのと、朝比奈さん(大)にこの部室内から四人で飛ぶという命令を朝比奈さんに打診してもらうよう言っていた。<br />
 何で部室内からなんだと俺が古泉に訊くと、制服が一揃い増えていたら怪しまれませんかと訊ね返しててきた。よく分からないが、増えるんだったらそっちのほうが良いなぁと俺は言ったが。打診する瞬間は朝比奈さん(大)は俺達の視界から外れた所で打診していたからどうやってたかは謎のままだ。とにかく頭の中の何かで通信しているんだろう。<br />
 眠らされている朝比奈さん(小)は壁にもたれかけるようにしてある。相変わらず、朝比奈さん(大)は頬を突いていた。<br />
 どうやら、『俺達』ハルヒを怪しませないように一緒に出た後、頃合いを見計ってここに戻ってくるようだ。常套手段だ。<br />
 暫く待っていると古泉を筆頭に戻ってきた。その古泉もどうやら時間移動が出来るとなって喜んでいるように見えた。俺は一番最後に嫌そうな顔をしながら部室の扉をノックして入った。情けないぜ、自分。どうせ、朝比奈さん(大)の陰謀やら何やらを考えているに違いない。<br />
 俺は思った。果たしてあいつはいつ未来人に対しての心構えを変えるのだろうかと。<br />
 それからまた暫くすると後ろでポツリと長門が、<br />
「たった今、この時間から彼らの存在を感知できなくなった」<br />
 と言った。もっと分かり易く、たった今時間移動しましたみたいに言ってくれ。<br />
「では、入ってみましょう」<br />
 おい、古泉。何でわざわざ入るんだ?<br />
「確認ですよ、確認。彼らが置いておいてくれないといけない物がありますので」<br />
 そういった後古泉は部室の扉を開け、中を一瞥して良かったと吐息を漏らした。<br />
「お目当てのものはあったのか、古泉」<br />
 未来の俺が含み笑いをしながら訊ねた。<br />
「貴方は結果を知っていると思いますが……ええ、見つかりましたよ。長門さんも朝比奈さんももちろん貴方の分も」<br />
 そう言って古泉は机や床においてあったそれを指差し、俺に「でしょう?」と言った雰囲気の目線を送った。俺はというと、納得して思わず安堵の溜息を漏らしてしまった。<br />
「そうだな、古泉。そりゃある意味大切だ」</p>
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<p><br />
 七月八日、俺は何の弊害もなく登校している。まぁ、この『季節』という弊害はこの学校までの道筋俺から塩分と水分を容赦なく、奪ってくれているが。<br />
 でもまず、俺が何事も無くこの学校に来れていることはもっけの幸いだ。もしもう一人の自分はこの世界に現れでもしたら阿鼻叫喚の渦だが、古泉からも夜に、我々四人の異時間同位体がこの世界にはやってきてはいないようです。安心してくださって大丈夫でしょう、と電話があったため、今のところ俺は安堵している。もれなく長門にも俺は電話をして、その真否を訊ねたのは言うまでも無いことだ。<br />
 あの後俺達は、それぞれ家へと帰ったが、困ったことが一つあった。<br />
 朝比奈さん――もちろん今の――への対処だ。朝比奈さん(大)が現れてから消えるまでの間結構眠らされていたからな。酷い話だ。<br />
 起きた後は前みたいに拗ねてしまいそうになったが、そこは古泉の出番である。何とか説き伏せてもらった。見事なソフィストぶりに俺は舌を巻くばかりだったぜ。<br />
 だが何でそれでハルヒも朝比奈さんも納得するんだ。だが断言できるのはそれで鶴屋さんを騙す事は不可能だろうということだ。<br />
 さてこの俺は今、二度目の七月八日を体験している。見事なまでに中身の無い谷口の夢物語に俺も空虚な返事をしながら、学校の中に入った俺は、少しばかり考え事をしていた。<br />
 どうも昨日の晩からそれが頭を離れず、暫くの間俺は寝るまで思考の海でもがき続けていたのだ。<br />
 一人で溜め込むのは毒だと思ったが故に、聴きたくも無いだろうが聴いてくれ。<br />
「いえ、何か不明瞭なことがあれば、喜んで聴きますよ」<br />
 古泉は揉み手で俺を迎えた。<br />
 お前だったら、漏れなく要らん話まで添えるだろうが、別にいいか。<br />
 何故か分からないが今回はそれが欲しいような気がしている。<br />
「まずだ、過去は一つだが未来は一つではないっていう意味は分かった。つまりだな。時間遡行するときは目指す時間は一つしかないが、逆に進むときはその目指す時間というのは幾つにも増える、と言うことじゃないのか」<br />
「ええ、私もそのように考えていますが。何かご不満な点でも?」<br />
「まぁ、待ってくれ。とりあえずそれは置いておいて、質問だ。俺達が前まで居た世界はあの後どうなったんだ?」<br />
「おっと、確かに話が跳んだ感はありますが……答えましょう。可能性ですが、一つあり得る考えがあります。それは、あのままあの世界は一度破滅した後、再構築されて進んで行く、というものです。涼宮さんが我々の存在を必要としてくれるのであれば、可能性として我々が再構築されている可能性もゼロではありません。涼宮さんの最大の発動力が解らないので確信は持てませんが、時空間が丸ごと消滅した可能性もあります」<br />
 おいおい、何でもありかハルヒの野郎は。全く俺はとんでもない奴と関わっているようだ。俺は溜息を吐いた。<br />
「他には、何か?」<br />
「そうだ、そうだ。次に。思い込みかもしれないが、どうやら未来の俺も俺達と同じ体験をしている節がある」<br />
「そのようですね」<br />
「つまり俺達より前の俺達もこの道を辿っている。だったら何故俺達の世界は救われていなかった? それ以後の過去は変化された過程に随って変わって行くんじゃなかったのか。それにだ。過去に戻るんだったら、俺達は自分達の世界を変えたんじゃないのか。何で俺達は変わらない。存在が消える可能性もゼロじゃないだろう?」<br />
「……順を追って説明していきましょう。まず最初に問題となるのが貴方の後半のほうの質問です。一見それは『過去は一つ~』に反しているように見えますが、そうではありません。我々は一度過去に行っています。その時点では確かにその過去は私達の過去そのものだったのです。ですが二度目に遡行して長門さんが彼の動きを封じた瞬間、我々のものとは違う時間が進みだしたんです。朝比奈さんたちが望む未来へと繋がる時間です。簡単に言えば並行世界の理念ですよ。厳密には違いますが。多分勘違いをなさっているのでは? 最初に私は行っていますよ。あの世界は進んで行くでしょうと」<br />
 ようはそれが上書きってことか。そういや言ってたような気もするぜ。俺は、古泉の言っていた『二つの十二月十八日』を思い出していた。<br />
「しかし前半のほうの質問は重要です。確かに彼は私達と同じことをしています。ですが我々の世界は救われていないというのは見当違いです」<br />
 もっと、オブラートに包んだ言い方は無いのかね。<br />
「すいませんでした、慎みましょう。ですが違います。救われた世界というのは一度救われることの無かった世界の人々が――重要ですよ?――創り出した世界なんです。言い変えると、破滅の危機という規定事項を迎えた世界の人々が創り出す副産物の世界、なんです。そして同時に改変者の住む世界になります。全ての我々は破滅の危機を体験します。あの七月七日に『破滅を体験しなかった』という体験を持つ我々は理論上生まれます。ですが実際にリアルタイムにそのような体験をした我々はいません。私達はもう一つの我々を時間移動させましたよね。彼らは朝比奈さん達が見れば確かに別の時間平面に生きる人々、ですがただの理論上の人々なんです。すいません私の説明力、語彙力が足りません。これ以上の説明は難しいです」<br />
 まぁ、何となく分かった気はするぜ。ようは俺達は必ず破滅の危機を迎えるってことだろう。<br />
 七月七日にあの出来事がなかった俺達って言うのは理論上は存在するが、そういった体験は絶対しない。ああ、行ってるそばからこんがらがって来るぜ。<br />
 付け加えると朝比奈さん(大)はあいつらをもと居た奴らとして勘違いしていたってことだろう。<br />
「ええ、その可能性も彼女の口振りからすれば大いにあります。やはりこれは全て既定事項なんです。そして同時に涼宮さんの能力に近似していることでもあります。私達にとってこの世界は、七月七日のあの時刻までの記録と記憶を持たされて造り出されたということに変わりはないんです。言ったでしょう、世界は五分前に創られたのかもしれない。あぁ、何でこのようなパラドックスが生まれるか分かりますか?」<br />
「分かるわけがないだろう」<br />
「そうですね。では答えを言いましょう。それは世界を変えたのがその時代の人々じゃなく、別の時空、時間から来た人々だからです」<br />
「お、おい、それって……」<br />
「この話はここまでです。これ以上は私にも流石に見当がつきません。他にありませんか?」<br />
 直接介入…………。</p>
<p> 俺は少しの間、絶句していたがまたしても思いついたことがあった。<br />
「あったぜ。朝比奈さん達や他の未来人は戻るときどうしているんだ? もと居た時間に戻れないんだったら意味がないんじゃないのか」<br />
「貴方も奇矯な質問をされますねぇ」<br />
 何だと?<br />
「そのような質問を私にしたところで答えが得られるはずが無いじゃないですか。今までの話が全て真実である何ていう確証はどこにもありませんからね。以上ですか?」<br />
 そうだったな。古泉が言っていることが事実だなんてことはありそうにも無いからな。<br />
 だがな。残念ながらまだあるぞ。<br />
「これは規定事項だったってことだ。だったら朝比奈さんはやっぱり嘘をついていたのか?」<br />
 俺の質問に古泉は少しばかり考えた様子だった。<br />
「さぁ、どうでしょう。朝比奈さんには嘘を吐かれてはいないでしょうが、やはり未来人には騙されたかもしれません。どちらの朝比奈さんも上層部からは何も教えてもらえていなかった、とか。何故そうされたかは私達にはそれこそ永遠に秘密なんでしょうが。もしかしたら情報統合思念体と天蓋領域は全てを知っていたかもしれませんね。彼らは次元を超えて時空間を感知できるという話ですから。確信を持って言えるのは、我々は未来の貴方と朝比奈さんが体験したあの出来事を同じく体験するということでしょう。全てのオチはそこで明かされるのだと私は信じています」<br />
 オチ、ねぇ……。分かりやすいものだったらいいんだが。</p>
<p> 解釈の違いで幾通りにも答えが増えるなんてのは御免だぜ。<br />
 少しばかりの沈黙が部室内に流れた。<br />
「あぁ、それと」<br />
「古泉君とキョン、いる~~!?」<br />
 俺の質問を遮ったのは豪快に開いた部室の扉と、時の人、涼宮ハルヒの雄叫びであった。よく見るとハルヒの後ろには朝比奈さんと長門が、城から脱走する姫に無理やり連れ出された侍従のようについていた。だから、朝比奈さんがいなかったのか……ってことは。<br />
「お前の様子からして、ハルヒ。お前また何か面倒なことを思いついたな。断言してやろう」<br />
 後ろで古泉が手を上げて首を竦めるポーズを取った。<br />
「はぁ? 面倒なことって何よ。あたしがいつ迷惑なことをしたって言うわけ?」<br />
「そうだな、エブリシング、エブリタイムとでも言って置くか」<br />
「何ですって? 団員の分際で~~。しかもぜっんぜん発音がなっていないじゃない! ちゃんとEverything、Everytimeって言いなさい? 高校生でしょ?」<br />
 俺が言い返さず視線をそらしたのを降伏宣言と受け取ったらしく、悠々と団長席へと凱旋して行った。くっ、またしても俺の負けか。<br />
 そしてこちらを振り向いたその眼は案の定の輝きを放っていた。<br />
 ハルヒの堂々たる迷惑宣言を聞きながら、実を言うと俺にはもう一つ謎があった。それを古泉に言おうとしたときハルヒが来てしまった為、訊けなくなってしまったが、やはりやめておこうと思う。<br />
 ハルヒのあの笑顔がその理由だ。それだけでいいじゃないか。<br />
 彼、『ジョン・スミス』がハルヒの前に現れることはまだ先の話になるなと俺は確信し、安堵していた。<br />
 未来の俺よ。真実が明かされるときは必ずや訪れるんだろう?<br />
 それまで、答えは保留ってことで手を打ってやってもいいぜ。</p>
<p> </p>
<p><br />
 ――そうだ。どうせなら、今頃からでも来年の願いごとを考えておくか。</p>
<p> </p>
<p><br />
 ――――【完】――――</p>