古泉一樹の約束
まだ、僕は死ねないんですよ。
薄れゆく意識の中。
そんな事を思った。
古泉の左手は
赤く、血に染まった。
◇ ◇ ◇ ◇
太陽が西に傾き、夕焼けの空の下、坂道に二つの影が伸びる。長門有希と古泉一樹は共に学校からの坂道を降りていた。秋風が舞い、長門の髪が揺れる。肌にからみつくそれが少しだけ、心地よかった。長門の左耳には、銀色のイヤリング。誕生日など無いと言い張る長門に、それでは今日を誕生日にしてみませんか?と送った一品だった。長門は、ひそかに気に入っているらしい。絶対に口にはしないが、身に着けている事がそれの証明だった。
文芸部室へと続く廊下の途中、古泉が「よろしければ、一緒に下校しませんか?」と長門を誘ったのは、SOS団の活動が始まる少し前のことである。肯定とも否定とも取れない仕草で応えた長門に、急なアルバイトが入らなければ良いのですがと、最後に両手を広げその場を誤魔化す様に笑った。すると長門は、ややあけて、古泉がわかる形で頷いた。合格通知をひらける受験生の気持ちだ、と。古泉は思った。ほっと胸を撫で下ろし。それでは、よろしくおねがいしますと頭を垂れた。
先に来ていたのであろうキョンはその意外な組み合わせに驚いたのか、少しばかりその目を大きく開けて二人を見た。が、すぐに興味が失せてしまったのだろう、眠たそうな顔で二人を迎え、「今日はハルヒが掃除当番で遅くなるんだと」と、涼宮ハルヒから言付かった伝言をメンバーに伝えた。長門は既に、いつの間にか、定位置のパイプ椅子に座り読書を開始していたので、何も返答しなかった。朝比奈みくるは婦人警官の格好でお茶を汲んでいた。古泉はそんな非日常の風景を眺めつつ、「それでは、涼宮さんがいらっしゃるまで、囲碁などどうでしょうか?」キョンを誘った。「勝ったらジュースでどうだ?」「もちろん、望むところですよ」「よく言うぜ」「おや、自信満々と見える。今日の僕は一味違いますよ」
パチリ。
古泉は自信満々に天元へと黒い碁石を置いた。
キョン曰く、今日は何やら涼宮ハルヒから重大発表があるとの事だった。どうせまた、ろくでもないことだろうがなとキョンは続けた。白い石と、黒い石を並べる。家の倉庫で眠っていたのですがと持ってきた碁石と碁盤。といっても、手合いはいつも古泉が一方的に負けているだけなのであったが。
さて、本日は--
「おい。古泉、ひょっとしてお前ワザと負けてないか?」嫌味というより、ほとんど疑いの目線でキョンは古泉に言った。今日も古泉の連敗記録は更新中なのであった。「あなたには敵いませんね。途中までは僕が、優勢だと思っていましたが」「あれをどう読んだらお前の勝ちになるんだ、序盤で大量失点してたろ。あれじゃJFKを投入したってひっくり返らないぜ」「いやはや、それでは次はポーカーなどどうでしょうか?」
その手には既にカードが握られていた。切り替えが早いとかポジティブとかそんな類の言葉はこんな時に使うべきだろう。一体いつから、というか、どっから出したんだとキョンはそんな事を言いたい衝動にかられたが、しかし、どうせそこを突っ込むとまたベタなマジックのタネと仕掛けを延々と解説されるのだろうと、それを口にするのをはばかった。それに、ポーカーならば実力云々よりも運に左右されるところが大きい、ギャンブルだから。これならば掛け値なしに五分の勝負ができるだろうと、キョンは思った。さすがにこれで自分の連敗記録は止まるのだろうと、古泉も思った。結果は七連敗で、今日も古泉の大幅負け越しが決まった。キョンは半ば呆れてものも言えない様子であった。古泉はさして気にしないような風で、もう一勝負どうですかと対戦を進めたが、キョンはひらひらと手を振って断った。 もうジュースはいらない、そんな風に見える。キョンにも良心というものが残っている様だ。本当のギャンブラーというのは、一度勝てば今日はそれまでとするものらしいが。
そんな中、長門が興味を示したのは、ポーカーではなく、碁石だった。「これは、何」いつものパイプ椅子から立ち上がり、キョンと古泉の前に立った。ひょいと、その小さな手で白い碁石を一つ取った、それをまじまじと見つめる。
「なんだ長門、囲碁を知らないのか?」俺もルールを覚えたのはつい一週間くらい前だけどな、とキョンは続けた。「知らない」
長門は首を僅かに横に振った。「これは囲碁と言って、日本の伝統的な遊戯の一つですよ」古泉はそう説明すると、長門はキョンに席を替わって欲しいと言い。すんなりキョンは、パソコンが置いてある団長席へと移動した。長門は古泉の持っている黒い石と、自分が握っている白い石を交互に見つめた。その後、目線を上げて古泉の眼を見つめた。古泉は「はて?」と思考を巡らせた。
しかしその仕草を「わからないから教えろ」という事なのだろうと理解し、自分の知りうる限りの知識を長門へと流した。五分ほどの演説を一言一句聞き逃さない様に聞き入っていた長門は、しばらくして「理解した」と告げると白の碁石を握り締め、「対局」と古泉に宣言した。「望むところです」ニコリと古泉は笑い、黒の石を握った。
ジャラジャラ。
パチリ、パチリと小気味良い音が文芸部室内に木霊する。なんのBGMも流れていない文芸部室の中を、優しい木のメロディーが包んだ。キョンは、することもなく突っ伏しているうちに眠ってしまったらしい。朝比奈みくるは、そんなキョンを見て自分のカーディガンをそっとかけてやった。
彼女は今週「みくるちゃん強化週間よ!」と、張り切る涼宮ハルヒ主導の元、ナース服にチャイナドレスを経て、そして今日は婦人警官のコスチュームへと身を包んでいた。 一体どのルートでそれを手にしたかは、謎であった…。キョン曰く、「ひゃああぁあ」と、なすがままにされる朝比奈みくるも、まんざらでもなさそうであったという。あくまでキョン目線の話ではあるが。
パチ、
古泉の内心は穏やかなものではなかった。いくらなんでも、いくらなんでも、と。さすがに今ルールをさらりとだけ解説した手合いで負けるとは思っていなかったのである。当然、自分の実力からすれば勝てるとまではいかないまでも「良い勝負」ができるはずとの見込みであったが雲行きはどうも怪しい様子であった。だからと言って、まだ負けたわけではない。古泉はそう思い、奮起するのであった。
その時である。廊下からバタバタバタと急いで走る音が聞こえてきた。学校の教師が近くに居たなら間違いなくそれを咎めるであろう行為で、まぁ注意されたとしても本人が素直に聞くとは思えないが…。ともかく「遅れてごめんっ」の掛け声とともに、本日の掃除当番であった涼宮ハルヒがドアを勢いよく蹴破った。その尋常とは思えない騒音に目を覚ましたキョンが、ドアくらいもう少し丁寧に開けろと小言を呟きたくなるのも、理解できる。「ったく、お前は毎度毎度。ここのドアが壊れないのが不思議なくらいだ」今まで寝ていた団長席から立ち上がりやれやれ、と。額に手をやりながら言う。「何言ってるのよ、これくらいで壊れるようなヤワなドアはSOS団には不要よ」無茶苦茶な事を言っていると、キョンでなくても思った。「お前は一体ドアに何を求めてるんだよ…」キョンがちらりと盤上を見ると、白の圧倒的な優勢だった。頭の中で、十中八九黒が古泉だなと思った。
両の手を腰に当て、「今年も野球大会に出るわよ!SOS団の名前を世間に知らしめてやるのよ!」元気良く涼宮ハルヒは宣言した。
「それで、ハルヒよ。それはいいがその試合とやらはいつなんだ」キョンは訊ねた。「明後日よ?」「そんな無茶な、だいたい、そんなにやりたいならもっと前もって言うとかだな」「無茶でもなんでも、やると決めたら一直線よ!」「人集めるのにも苦労するだろうが」「あら、去年と同じメンバーでいいじゃない」「去年と同じって、オイオイ、人には都合ってもんがあってだな・・・」「目指すのは優勝のみよ!」ビジッと決めポーズを取った涼宮ハルヒに、それは素晴らしい意気込みですと微笑んだ古泉一樹。碁石を見つめるのに夢中な長門有希。婦人警官の姿でお茶を汲んでいる朝比奈みくる。やれやれと額に手をやった、キョン。今彼の頭にあるのは、どうやってメンバーを集めるか、その一点に絞られていた。ごそごそと、ダンボールから何かを探す涼宮ハルヒ。「あったわ」ニンマリと笑う、見つけたのはグローブやヘルメット、バットなど、野球道具一式だった。それらはいつぞや野球部からガメてきたものだった。「って、まだ返してなかったのかよ」キョンはここぞとばかりに突っ込みを入れた。
さて、話は戻り。学校からの長い坂道を降りる長門と古泉であった。「長門さん」なに、と長門は前を向きながら答える。「今日は、とても面白い一日でしたね」首肯。少なくとも、面白いという一点において古泉と長門の意見は一致していた。コツコツと、規則正しい足音が響く。ごくごく当たり前の、そして何の変哲の無い会話が続いた。それは大抵は今日の天気から始まり、涼宮ハルヒの話題で終わる。途中先程の囲碁の話題も出た、やはり古泉は黒だったらしい。二人のいつものやり取りだった。建前は、機関による統合思念体の接触。ここ数ヶ月で古泉が、真夜中に携帯電話の着信で起こされて眠い眼を擦りながら何キロも先の閉鎖空間で<<神人>>狩りをするという事も相当減っているのだが、ゼロになったというわけではなかった。 右肩下がりの発生頻度に、機関上部の人間は安堵し、そして次の手段を探していた。次、というのは。機関に都合が良い情勢を作り出す手段の事であった。TFEI端末との接触によって得られる情報は、当然機関の中でも重要事項として扱われる。「長門有希に接触せよ」アルバイトが減った古泉に下された命令であった。古泉は最初こそ、なぜ自分がそんな事を…、と思ってはいたが。長門と触れ合う時間は自分にとって、楽しい時間だと認識する様になってからは、むしろ自分から積極的に長門へと話しかけるようになった。
他愛も無い会話、答えなど出ない会話。天気の話をしては、気圧がどうだ、等圧線がどうだ、雲の種類がどうだ。今日の月の話などと、長門の興味を引く会話を探した結果そうなった。自分の方が長く地球に居るのだからと、古泉は長門に自分の知識を広げたものの、長門の理解の早さとその持っている知識の量に驚かされ、結局気象予報士が読むような専門書を十冊も読破してしまったのであった。 おそらくあの難関とされる気象予報士の試験を受けても大丈夫だろう、いつしかそれくらい古泉の天気に関する知識は深まっていた。
「もうすぐ、満月」長門が満月よりも大きい目を古泉へ向ける、一瞬、その眼に見入ってしまった古泉ではあったが「そうですね、中秋の名月とも呼ばれています。とても綺麗な月ですよ」頭の中に眠っていた単語が古泉の口から出て、長門の耳に届く。こくりと頷き、長門はどこかへと目線をやった。確認を取るような動作に見えた、古泉はそれを追ったが、何も見えず。おそらく長門には見えているであろう光景を想像しては、自分は何て無力なのだろうかと勝手に思いながら、少しばかりショックを受けるのであった。「そうだ、長門さん。こんど満月を一緒に見ませんか?」長門は首を傾げたが古泉は、「日本の伝統的な風習の一つですよ」と続けた。古泉は長門が、伝統的~という言葉に弱いという事を、最近知った。いや、そうでなくても。古泉は長門に、なるべく多くのことを知って欲しかったのだった。それはエゴだろうか。「了解した」長門は古泉の申し出に肯定の言葉で応えた。
「それでは、ここで失礼します」いつものこのバス停で、長門と別れる。いつもの通学路。通学路、などという単語が頭に浮かぶと、古泉は---そうだ自分は高校生だったのだ---と、少しだけ心の中で笑った。超能力に目覚め、およその一般人が何の縁も無いであろう<<神人>>を倒す力に目覚め、閉鎖空間の中で暴れまわる<<神人>>を、ひたすらに狩る。 昼だろうが、夜だろうが。親友と過ごす時間だろうが。好きな人と過ごす時間であろうが。
なぜ?わかってしまうのだから仕方ない、以前キョンに説明した言葉が古泉の中でリピートされる。そう、古泉は超能力者だ。それも、限定された空間にのみ発揮される<<神人>>を狩る力、涼宮ハルヒという一人の少女によってもたらされた力。 燃えるような夕陽が、影を伸ばす。古泉は二十ほど歩みを進めた後で振り返った。長門の小さな背中が夕暮れに沈む太陽の中に消えていった。
えぇ。綺麗な月ですよ。
あなたの二つの眼には、かないませんけどね。
翌々日。市民グランドに現れた涼宮ハルヒ含めて九名。SOS団のメンバーに谷口と国木田。名誉顧問の鶴屋に、キョンの妹を加えた面々が今年も揃った。谷口には何か大事な用事があるらしかったのだが、「どうせナンパだろ」と、キョンに指摘され、「鶴屋さんも行くの?じゃあ僕も行こうかな」案外乗り気だった国木田にひっつく形でやってきたのだった。
涼宮ハルヒプレゼンツのあみだくじによる厳選な審査が行われた。結果、「四番、ファースト。キョン!」キョンは、また俺かよ!という腑に落ちない表情だ。「四番ファーストなんて強打者の代名詞みたいなもんじゃありませんか、光栄なことですよ」「うるさいぞ古泉」「僕は九番キャッチャーです。これでリードに専念できますね」大会本部からの借り物のレガースを装着しながら古泉は言った。「この即席チームにリードも配球も組み立てもないだろ」やはり涼宮さんはあなたに4番バッターとしてチームを勝利に導いて欲しいのですよ、と。これまた野球部からの借り物の(強奪してきた)黒いキャッチャーミットでキョンの背中をポンと叩いた。
「ピッチャーは有希ね!」その言葉を聞いてキョンはこう思ったという。嗚呼対戦相手さん、色んな意味でごめんなさい、と。
視線が長門へ集まる「おやおや、有希っこがピッチャーにょろ?」鶴屋がまじまじと長門を見つめた。これはめがっさ野球のしがいがあるねぇと意味ありげな視線を古泉へと向ける。古泉は苦笑いするしかなかった。「長門さんと、僕のバッテリーというわけですね」「そうね。古泉くん、有希。しっかり完封で抑えるのよ!魔球をじゃんじゃん投げちゃいなさい!三段ドロップよ、ハイジャンプ魔球よ、竜巻落としよ!」「最後のは何か別の漫画なような・・・」
いいの?という目線を長門はキョンと古泉に送った。キョンは「まぁ、ほどほどにな」と言い残して、遅刻してきた罰のジュースを買いに走った。
さてさて。
何の因果か、昨年と同じくして第一回戦の相手はあの大学生チーム・上ヶ原パイレーツであった。既に何人かのメンバー(昨年を経験しているメンバー)は、悪夢だ・・・恐怖だ・・・と、うなされていたとかいないとか。一回の表。SOS団の攻撃。一番、ショートストップ。涼宮ハルヒ。初球のど真ん中に来た直球を軽々とレフト線へ運ぶと、野手のもたつきの間に一気に三塁を陥れた。いやはや、その身体能力たるや敬服に値する。「楽勝よ!さぁ皆、わたしにつづきなさい!」
二番、キョンの妹。「あれれー?」三球ともど真ん中の直球を、身の丈に見合わないバットに振られて、あえなく三振。
三番、鶴屋。「にょろ?」三種類の変化球に翻弄され、三振。
さて、四番のキョンの出番である。「ちょっと、キョン?!ここで打たなかったらあんたわかってるでしょうね?!願っても無いチャンスなのよ!」わかってるよ、と。目線でキョンは合図を送り、ヘルメットを被りなおし、マウンドの上のピッチャーを見た。長身の男であった。セットポジション、彼はニヤリと笑うと。四番バッター目掛けて百三十キロはあろうかという直球を投げ込んだ。
さて、人間が反射的に行動するまでにおよそ零コンマ二秒を要するという話はご存知だろうか?目に入った情報が脳に届き、そこから体の各部へ指令を出すまでにおよそそれくらいかかるとされている。もちろん個人差はあるが、遅くてもコンマ一秒ほどの差である。 野球の場合、マウンドの投手からベースまでの距離は十八メートル四十四センチと定められている。プロ野球に限らず最近では高校生でも百五十キロを余裕で上回る速球を投げる人材は少なくない。投手の手から放たれた白球が、ベースを通過するまで、球速が百五十キロともなると人間の反射速度の限界である零コンマ2秒に限りなく近づくのだ。それが「速い球は最も打ちにくい」とされている所以でもある。少年時代からバットを振り込み。そして普段の鍛錬によりヘッドスピード・スイングスピードを上げる事でプロはその速球を打ち返す事を可能にしているのだ。
という言い訳を、キョンは後に涼宮ハルヒに語ったという。
裏の守備。キャッチャーの古泉からサインが出る。グーなら直球。チョキなら変化球。大まかなサインだった。マウンドに集まった時の打ち合わせで決めたのはそれだけ。いいですか?と古泉が確認すると、それでいいと長門は頷いた。
「しまっていこー!」涼宮ハルヒの声が響き渡る。雲間から太陽が顔を出し、秋風が涼しい。暑くなく、さりとて寒くも無い。絶好の野球日和であった。
長門は古泉のサインに頷くと、申し訳程度に左足をあげ、ゆったりとしたぎこちないフォームからヘロヘロとした球を投げた。遅いボールに合わせるのは慣れていないと意外と難しいもので、打者はタイミングを外され、打球は力なくショートに転がった。難なく涼宮ハルヒはそれをさばいて、ファーストのキョンへと送球した。簡単に一アウトを取る。しかし、続く二人目の打者にセンター前に痛烈な当たりを打たれてしまった。
長門は変わらずに淡々とヘロヘロボールを投げ込むが、次の打者にもライト線へ鋭い当たりを飛ばされる。キョンはジャンプして捕球を試みるが、その上を打球はあっという間に越えて、外野の深くへと転がっていった。国木田が追うも、走者の足が速く、一気にホーム・イン。これで一点を先制されてしまった。続く四番打者。白球はセンター・バックスクリーンへと飛び込んだ。谷口はの仕事はそれを見送るだけであった。
タイム!
マウンドに涼宮ハルヒが駆け寄った。「有希、いい?相手が大人だからって手加減することないわ、剛速球を胸元に投げ込んでやるのよ!そうね、メジャーリーグからスカウトがくるかもしれないわ!そうなったら大変よ!私、アメリカにSOS団支部を作ろうかしら!」 「落ち着けハルヒ、とりあえず話が飛躍しすぎだ。それにこんな草野球を本場アメリカのスカウト見に来ない」ファーストミットでポンと叩いた「なによ、そんなのわからないじゃない」そんな涼宮ハルヒをキョンはマウンドからひっぺがし、定位置へエスコートした。とにかく剛速球よ!と、ショートの定位置で叫ぶ涼宮ハルヒ。
いいの?再び長門の目線が古泉とキョンへ向けられた。彼は少し考えた末に、まぁ、相手はお得意さんだしな、と、「よし、やっちまえ」GOサインを出した。古泉は苦笑いをして、黒いミットを右手でポンと叩いた。その音は、上ヶ原パイレーツの悪夢の始まりを告げ、それは、ゲーム・セットの声がかかるまで続いたという…。
試合終了時、長門はメジャー級の直球とウェイク国吉もビックリの変幻自在の変化球を「あれは、まぐれ」で片付けた。プロテストを受けさせようと、涼宮ハルヒが騒いだからである。涼宮ハルヒは「まぐれならしょうがないわね」と、その矛先をキョンへと変え、「あんた今日、三振みっつだから罰ゲームね」と宣告し、その日のキョンの昼食の支払いが決定したという。
長門のボールを受け続けた古泉の左手は、真っ赤に腫れていた。
「古泉」森に呼ばれた古泉は立ち上がり、彼女の元へと歩み寄る。ここは機関の中枢----と言っても外見は普通のマンション、ここの十三階を機関関連で全て借り上げてある。このマンションも機関に関連のある企業のものだった。 上にとっては、むしろこの方が都合が良いらしい、関係のある部署は全て繋がっている。少々狭い空間に、何人もの人間が犇めき合っているのを、古泉はあまり快く思わなかったが。そこには古今東西の、あらゆる思惑が交錯していた。政治的な、あるいは経済的な意味において。「何ですか?森さん」物腰が柔らかい、社交的、などという言葉を古泉は機関に来てから知った。というよりも、訓練によりそういう人格を植えつけられたからである。それまでは、野球が好きな、ただの子供--そう、どこにでもいる様な--でしかなかった。そして、今では機関の上部にとって、古泉は多くある手駒の一つでしかなかった。「何?」「はい?」古泉は聞き返すが「何、と聞いているの」森から返ってきた言葉の意図がわからないと、古泉は思った。いつかの離島での森さんのメイド姿、似合ってましたよと言うと、照れたように笑う彼女だったが。普段は古泉の直属の上司、仕事の場での森の一面を古泉は知っている。 知っているのだが「わかりません」「わからない?あなた本気で言っているの?」「僕はいつも本気のつもりですが」口答えするつもりは毛頭無かったが、なぜかいつも突っかかるようにしてしまう。森が古泉にとって本音で言葉を交わせる数少ないうちの一人だから、であろうか。
「長門有希の事よ、情報を聞き出すつもりなんて、古泉、あなた無いでしょう?」「それは・・・」核心を突かれ言葉を濁す古泉。森はそんな様子を見て「まぁいいわ。あなたが報告もままならない状態だから、少し心配しただけ」ほんの一瞬だけ、上司の顔では無くなった。しかし、すぐにいつもの表情へ戻すと「それだけ、今日は戻っていいわよ。一応、いつでも準備はしておいて」準備、というのは、いつでも起きる準備をしておけという事である。目的は言わずもがな。古泉の睡眠は浅い、深く眠った記憶は、ここ数年で一度か二度、機関から休暇を与えられた時だけだった。当然古泉の休暇中に<<神人>>は出現したのだが対応は残りの超能力者で済ませた、いつもの二割ほど倒すのに手間取ったらしいが。わかりました、と。ペコリと森に一礼をしてその場を後にした。今日の報告書を見ながら、ふぅとため息を漏らす。「野球大会、順調に勝利です」それだけである。試合を機関のエージェントはもちろん監視していたのだが、古泉から報告されたのはそれだけであった。そのエージェントからの報告も入っているので、取り立てて問題はないのだが。
森は、ふぅ、と。もう一度ため息をつく。機関に支配され、自由を奪われた少年。最初に来た頃はひどく荒れていた。自殺未遂、そんな事もあった。そんな少年の変化を彼女は感じていた。それはむしろ、歓迎すべき変化であった。
「あの子、最近少し表情が柔らかくなった、そんな気がしない?」「左様でございますな」森の言葉に新川が反応した。新川もまた、古泉が信用できる数少ない人物の一人であった。
森は過去4年分の報告書を纏めたファイルに今日の一枚を加える。色あせた最初のページには、びっしりと一日の詳細が記録されていた。全て古泉が記述したものである。それこそ、朝食から学校までの歩数だったり。授業の内容、誰と話したか、何を話したか。逐一全部だ。網羅と言っても良かった。それが「野球大会、順調に勝利・・・ね」
黒塗りのタクシーに乗り、ハイウェイを法定速度で駆け抜ける。
大きな月が雲間から、古泉を照らした。
野球大会が滞りなく終了した、その日。着信があったのは、深夜三時を回ろうとしていた頃だった。後悔後にたたず、と言う言葉を思い出した。この場合に適応するかどうか。普段三コール以内に出るようにと、あの可愛らしい上司(そんな事を面と向かって言うと殴られるが)から口酸っぱく言われているのに、四コールで出てしまった日には、何を言われるかわかったものではなかった。 もう何百回と聞きなれた着信メロディーを停止させ、耳に当てる。「ぐっすり寝ていた様ね」少し疲れていたとはいえ、核心を疲れて押し黙ってしまう。おまけに声は低い、言い訳の言葉も思いつかなかった。「まぁいいわ。すぐに現地に向かって」しかし、次に聞こえた上司の声は思っていたのとは裏腹に優しいものだった。制服に着替えて(そのまま<<神人>>狩りが終われば登校するつもりである)古泉はブレザーを羽織り、革靴を履いた。黒塗りのタクシー、運転手は新川だった。「急ぎましょう、新川さん」古泉の言葉に頷いた新川は真夜中の道を飛ばした。法定速度を無視しても警察に捕まらないのは、もちろん工作のおかげなのではあるが、途中で煽ってきた何台かのバイクをいとも簡単にかわしてしまったそのドライビングテクニックに感心しつつ、古泉は窓の外をじっと見つめていた。 楽しかった時間というのは、振り返ると短くて。いつかは、自分は死んでしまう。それがいつになるのかは、死んでしまうその時までわからないが。だからこそ、最後の時が来るかもしれないその前に、伝えるべき事は伝えておけ。と、誰かに言われた事を思い出していた。ふと。赤く腫れた左手を見つめた。
「何か、ありましたかな?」新川が口を開いた。何か、思い当たる事があるような無いような。そんな気持ちにさせる言葉だと思った。「いえ、特には」困った古泉はそう返答した。「そうですかな」「えぇ。特に問題は無く、順調です」「それはそれは」新川はニッコリと笑うと、ハンドルを左へ倒した。チラリと古泉をバックミラー越しに見た。「森が、こんな事を言っておりました。最近古泉の表情が柔らかくなったと」「森さんが?」「えぇ」「ははっ、隠し事は、できない。という事ですね」「でしょうな」「・・・、新川さん」「何でございましょう」「新川さんの初恋って、いつだったんですか?」「さぁ、あまりに前の事すぎて忘れてしまいましたな」ペダルを思い切り踏み込み、加速した。夜のハイウェイを駆け抜ける、黒塗りのタクシー。「そうですか・・・」「ただ、相手の事は覚えております」
「どんな人だったんですか?」「ははっ、それはもう美人で。私など眼中にはなかったでしょうな。街を歩けば誰もが振り返るくらいの美女でしたなあ」「その人とは?」「残念ながら。ですが、風の噂で結婚したという事だけは聞きましたなあ」「結婚、ですか」「いや、我ながら恥ずかしい思い出の一つですな」新川は照れ隠しの様に笑った。
ハイウェイを降りて、3つ目の信号機の周辺に、超能力者のみが探知できるその空間は在った。「着きましたぞ」「ありがとうございます」古泉は新川に告げると、足早に閉鎖空間の内部へと向かった。
「少々、お待ちください」車から出た新川は古泉を呼び止めた。「何でしょう?」古泉が振り返ると、「私が言えたものではございませんが」新川は諭すように、「後悔先に立たずというものです。どうか、それだけはお忘れの無いように」古泉を見据え、優しく微笑んだ。まるで父親の様に。
灰色の世界が支配する空間。その中でも、月というものは見えるのだと、ここに来て思った。それは相変わらず綺麗だった。眼前では青い色をした<<神人>>がビルを真っ二つにして、大きな音を立ててそれが崩れている。既に何人かの超能力者が到着し、<<神人>>と交戦していた。透き通る様な青に、赤い球体がまとわりつき、月がそれを照らしていた。この景色を神秘的だ、と。古泉は思った。自分も加わろうと、力を貯める。すっと、空中に浮くと。古泉は改めて自分の持った力を実感した。「さて、今日も頑張りますか」自分を勇気付けるように言った一言は、誰の耳にも届かなかった。
自分がこの世界に生まれ、誰かと出会い、そして死ぬ。当たり前の事が当たり前に起こる世界に自分は生まれたのだと。仕方ない事だと、諦める事。割り切る事。それを生まれてから死ぬまでに学ぶのだと、機関に入ってからそう思うようになった。特に、そうでも思いもしないとやっていけない。周りの超能力者の誰かが言っていた。そうなのかもしれない、実際に<<神人>>狩りとは言え、相手を倒す--言い換えれば殺す--事なのだ。そして、間違えれば自分も死ぬ。命のやり取りがこの空間の中では、当たり前の様に行われていた。
そして殉職--といえるかどうかわからないが--していった仲間も古泉は知っている。自分が兄の様に思っていた存在を、この空間で失った。かつての自分の幼さ故に。だから、と。古泉は思う。結局は無力なのだ、と。そしてその自分の無力さが、一番辛かった。青い光を放つ、三十階建てのビルほどの大きさの<<神人>>は、我が物顔で街を破壊していた。それは本当に単純な破壊行動だった。人間が苦労して積み上げてきたものを、一瞬にして。ジグソーパズルをひっくりかえす様に。<<神人>>は、ゆらりと腕を挙げ、振り下ろす。単純な動作だが、破壊力はすさまじいもので、あっと言う間に東京ドーム一個分ほどの土地が瓦礫の山と化した。地面にはコンクリートの塊の雨が降り注いた、巻き込まれたらひとたまりも無い。
ズドン、と。音を立てて<<神人>>の腕がビルの残骸の中に落ちた。続いて残るもう片方の<<神人>>の腕も、素早い動きで切りつけた。 <<神人>>の動きが鈍った。もう決着は着いたと、仲間のうち何人かが気を緩めた---瞬間。「あぶない!!」誰かが叫び、誰かが<<神人>>の腕が落ちた場所へと、消えていった。
だから、力など持つべきではないのだ。誰も幸せにならない、力など。薄れゆく意識。
そうだ、長門さん。こんど満月を一緒に見ませんか?
空に浮かぶ月を目指して伸ばした古泉の左手は、血で赤く染まっていた。
まだ、死ねない。心の中で、少女の事を思い出した。誕生日はいつだろうと、勇気を振り絞って聞いてみたあの日。屋上でイヤリングを贈ったあの日。
それに、まだ。囲碁の勝負の途中だった。
ドサリ。
伸ばした手は、糸が切れたマリオネットの様に崩れた。
夢を見ていた。酷い夢だ。
自分は超能力に目覚めてしまう。なぜ自分が超能力者になってしまったのかという事、涼宮ハルヒという少女の事。少女に願われたからという理由で、そうなってしまったという事。力の使い道、自分以外にその力を使える者がいるという事。少女はこの世界をつまらないと思っている事。なぜそうなってしまったのか?わかってしまったから仕方ない。
あぁ、なんていう冗談だ。これは夢だ、悪い夢だ。笑ったが、それは冗談ではなかった。
自分は力を持て余していた。力は持ったが、これからどうしていけばいいのかわからず、荒れた。それと時を同じくして、黒塗りのタクシーが自分を迎えに来た。いろんな偉い人が、自分の事を必要とした。どれも作り物のお面を被ったような大人ばかりで、気に食わないと思った。
どこかの組織へと、自分は無理矢理所属させられた。家族とも会えない日が続いた。何日も、何日も、一人で過ごした。やがて、変わりに親と思えと、二人の人間と一緒に暮らすことになった。老人は新川と名乗り、少し年上の女の人は森と名乗った。自分は、こいずみと呼ばれた。なぜか、涙が止まらなかった。二人は、そっと、こいずみを抱きしめてくれた。こいずみは安心して、その人たちの前だけで笑うようになった。
組織に居る時間は、こいずみにとって窮屈なものだった。逃げ出したい、イヤだ、苦しい。ずっと、こいずみはそう考えていた。面会にくるのは、いろんな偉い人。政治や経済の話をされた、こいずみが眠くなってうとうとすると頬をぶたれた。こいずみは、そんな話なんかに興味はなかった。そんな事をされるくらいなら、正直こいずみは<<神人>>に出現して欲しかった。こんな息苦しい空間に居たくなかったから。
当時、決まって夜に<<神人>>は出現した。小さい頃、こいずみは夜は寂しいと思っていた。それは、涼宮ハルヒも同じらしい。未だ見ぬ少女が自分と同じ気持ちでいることに少しおかしくて笑ってしまった。よるが恐いのだ、よるは孤独だから。よるは寂しいから。涼宮ハルヒの機嫌が悪くなると、閉鎖空間が発生して<<神人>>が暴れる。こいずみはそれを止めるための力を持っていた。こいずみは夜になると恐いけれど、すこしだけうきうきした。昼間はずっと、ぶすっとしていたけれど。
黒塗りのタクシーで閉鎖空間へ向かう。新川と森とこいずみ、もう一人の超能力者の4にんで。こいずみは、自分と同じ超能力者をはじめてみた。いつもは<<神人>>狩りが終われば会話もなくそれぞれ解散になるので、こうしてこんなに近くで見るのははじめてだった。どんな人だろうと、まじまじとみた。こいずみには兄は居ないが、こいずみに兄がいれば、きっとこんな姿をしているのだろうと、こいずみは思った。タクシーの中で、彼は気さくに色々な話をこいずみにしてくれた。もうすぐ、自分は結婚するのだ。とか。これが終わったら旨いラーメンを食わせてやる、とか。ラーメンが好きだったこいずみはとても喜んだ。結局、その人の名前はきけなかったけど。こいずみはそれでも、新川と森と同じくらい、この人は大切な人だ、とおもった。
閉鎖空間の中で、<<神人>>はビルや家を破壊していた。機関にいなくてもいいんだと閉鎖空間に行く途中まではいつもうきうきしているのに、ここに来るとこいずみはいつも震えた。恐いのであった。こいずみは、人殺しなんかしたくなかった。でも、やらなければならない。それに、この中では、誰にも怒られない。それがこいずみにとって、一番のことだった。だれにもぶたれない、だれにも怒られない。じぶんを誉めてくれる。だから、<<神人>>は人ではないと、何回も目を瞑って思った。
ふるふると頭をふり、ゆうきをふりしぼった。一緒に来た超能力者は、さて、今日も頑張りますか、と呟いて、こいずみの頭をくしゃくしゃにすると、赤い球体へと姿を変え先に飛び立った。こいずみは遅れまいと、それに続いた。
複数の<<神人>>が暴れていた。涼宮ハルヒのきげんは、そうとう悪いらしい。
こいずみは素早く右の<<神人>>へと接近して、ぐるぐると周りを旋回して、その足をきりつけた。ぎこちない動きの<<神人>>はばらんすを失ってビルにもたれ掛かるようにしてグラリと倒れた。すぐうしろでは、一緒に来た超能力者がもう一体の<<神人>>の相手をしていたそっちも片付いたみたいだった、こいずみは、さっきの仕返しに頭をくしゃくしゃにしてやろうとそおっと近づいた一緒に来た超能力者はこわい顔で振り返りこいずみにむかって何かを叫んだ
こいずみはうしろをふりかえったさっき倒したとおもった<<神人>>が一本足で立ち上がり、今まさにその手を振りかざすしゅんかんだった。こいずみは目をつむった。もうだめだとおもった痛みが、全身を襲うはずだった
でも、その痛みは襲ってこなかった。変わりに目の前にあったのは、一緒に来た超能力者だった。彼は、血まみれだった。すんでのところで、じぶんはすくわれたらしい。でも、一緒に来た超能力者は致命傷をおっていた。
こいずみはさけんだことばにならなかったいっしょにきたちょうのうりょくしゃはこいずみにいったぶじでよかった、よかったと。なんども。こいずみはいつまでもないた。こいずみは、いつまでも、ないた。
そのあと、写真の中で笑顔を浮かべている超能力者は、まるでべつじんみたいだった。
女の子はいつも本を読んでいた。こいずみは女の子の事が好きだったでも、女の子にその事を言ってはいけなかったえらいひとに、そう言われたから。自分が戒律を破ればどんな罰が待っているか、わからなかったから。
女の子はことばをしらなかっただから、こいずみはいっしょうけんめいことばをおしえようとべんきょうしたきらいだった政治や経済の話も熱心にきいた。
ひっしにべんきょうした女の子の喜ぶ顔がみたかった
女の子は、純粋で、無垢で。真っ白だった。こいずみは、まっくろだった。血の色で染まろうが、灰色の閉鎖空間に入ろうが、真っ黒だった。もう黒以外、染まるものがなかった。だから反対の色に惹かれた。こいずみは、その女の子と話す時間が、大好きだった。だから、こいずみはその女の子が大好きだった。
女の子はことばをおぼえた
「こいずみ」
じぶんの名前だった
こいずみはうれしかったいろんな言葉があるなかで、さいしょにじぶんのことばをいってくれたことが女の子も、よろこんでずっと、こいずみの名前をよんでわらった
ある日、こいずみは女の子に告白した。女の子はとてもよろこんでくれた。女の子もこいずみの事がすきだった。こいずみも、おんなのこも、いっしょによろこんだ。二人は幸せになった。
こいずみは女の子と約束をしたそうだ、満月をみよう女の子は訊ねたまんげつってなあに?こいずみは女の子に満月をおしえてあげた。ふたりは夜空をみあげたお星様をみあげたお月様をみあげたたくさんのひかりが、祝福しているようだった。その星の中に、あの超能力者もいるようなきがしたこいずみはたくさんのソレラにちかった。おんなのこもこいずみを真似して、ちかった。
でも、幸せはつづかなかった。えらいひとはおこったこいずみが約束をやぶったから
えらいひとはこいずみの家族をころしたえらいひとは森と新川をころしたえらいひとは女の子をころしたえらいひとは、こいずみを殺さなかった
えらいひとは、いったお前は<<神人>>さえ殺していればいいんだとこいずみは理解した自分は人殺しのドオグなんだともうだれも、こいずみのはなしあいてになってはくれませんでした
こいずみは一人ずっと一人で泣いていました
長い長い夜は、続いた。
「---それで、全治一ヶ月。というわけです」ニコリと、表情は穏やかに古泉は涼宮ハルヒ以下三名に説明した。その途中、朝比奈みくるは終始半泣き状態であった。反面長門有希は無言を通した。要約するとつまり、工事現場でアルバイトをしていた古泉が、置いてあった木材に躓き、置いてあった機材のカドで強く打った。という事で涼宮ハルヒは納得した様子だった。後ろで差し入れの林檎を剥いていたキョンは、かなり怪しんでいた様子だったが。「それでも、よくその程度で済んだな」「えぇ、打ち所が良かったのでしょう、不幸中の幸いという事ですね」また、ニコリと笑い。それをキョンに向けた「そんだけ笑えたら余裕だな」キョンは心配するのをやめたようである、一応、彼は彼なりに古泉に対する思いやりというのがあったようだ。「ははっ、あなたに心配してもらえるなんて僕は幸せ者ですね」「なんか意味を取り違えたら危険だから辞めてくれ」「そうですか?それは残念です」やれやれ、と彼は呟いた。
その後キョンが居残りで見舞いをすると宣言した涼宮ハルヒをなんとか言いくるめるのに、一時間もかかってしまったが。その間、いつものSOS団らしい時間が過ごせたと、古泉は少しだけ嬉しかった。長門は相変わらず本を読み、朝比奈みくるは備え付けのポットで自分の持ってきた茶葉を使い古泉にお茶を出した。涼宮ハルヒとキョンは、言い争いをし、それを古泉はなだめていた。何か、気の紛れるものをと。キョンが持ってきたオセロで今日も古泉は二十三連敗を喫した。キョンは少しだけ安心したらしい、いつもの古泉だ、と。明日も来るからねと言い残し、涼宮ハルヒは病室を後にした。
普通、これだけ騒いだら文句の一つでもきそうなものだが。というか病院では静かにするのが当たり前で、もしかしたら自分は明日から面会遮断を言い渡されるかもしれないと思った。しかし、これだけ騒いでも文句の一つも来ないのは、ここが個室で、しかも機関関連の一番良い病院だからだと後で勝手に納得した。面会時間も終わり。さて賑やかだった先程とは打って変わって、静かな空間に包まれる。静寂は心を癒す、などと、怪しげな占い師が言っていた事を思い出したが、すぐに記憶の底に閉まった。テレビを見て時間を潰すが、特別面白いとは思わなかった。名前も知らない芸能人が笑いを取ろうと必死に司会者に取り入っていた。今頃の普通の高校生達は、こんな番組を見て笑っているのだろうか?
古泉は飽きてしまったので、そっとベッドの横に置いてあった本を開いてみた。それは長門が持ってきたものだった、忘れていったのだろうか?
なんとなく、活字の世界になら、溶け込める気がした。いつも、文芸部室でそうしている少女の事が浮かんだ。可憐で、無垢で、碁石の白がよく似合う。
それらは古泉とは相容れないものだった。あるいは、真逆の。
自分の、そんな少女に寄せる気持ちを。無理矢理心のどこかへと閉まった。伝えるべきだろうか、それとも。答えはでているのに堂々巡りの思考は、当てもなく回り続けた。夢の事を、鮮明に覚えているのは初めてだった。どこまでが夢か、どこまでが現実なのか。何が本当で、何が嘘なのか。混沌、入り混じった、居心地の悪い夢を。古泉は、もう一度思い出していた。その間、本は三ページほど、めくられた。
上の空、心ここにあらず。今の自分は、そんな言葉で表現できるのだろうと古泉は思った。生きている実感と、夜の静寂。暗い闇が包む。薄暗がりの病室では、本の小さな文字を読むことが困難な事に、気がつく。自分が生きているのは、本当に運が良かった。そう医者に言われた事が繰り返される。現場に居た仲間からも同じ事を言われた気がする。よくこの怪我で済んだものだと。超能力なんかいらないと自殺未遂を森に止められた事を思い出す。あの時の森が一番恐かったと、今はふざけて言えるほど。そうだ。
まだ、自分は死ねないのだ。そう思えるようになったのは--
ドアが開く。予期せぬ来客に胸の鼓動が早くなるのを古泉は感じた。「な、長門さん?」「・・・」無言で、長門は応えた。その表情からは、いかなる感情も読み取れない。何を考えているのか、これから何を言おうとしているのか、いままで何をしてきたのか。「どうしたのでしょうか?何か、用事でも?」外はもう暗い闇の中。病室に古泉の声が木霊した。まるで、そこには自分ひとりしか居ない様に。
「私は、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」何----、と思ったが、すぐに古泉は頭のスイッチを入れ替えた。「統合思念体は、依然としてあなたたちの組織に深入りすべきではないという考えを変えていない」「そうですか」ニコリと、笑い。長門の言葉を待った。しかし長門は、俯いたまま。「長門さん?」「わたしは、あなたがこうなる事を予期していた」「はは、さすが長門さんですね」古泉は笑った。
「しかし、わたしにできる事は、これしかなかった」これ、というのは。つまり、古泉の今の状態でろうか。強く地面に叩きつけられた古泉に、降りかかる瓦礫は一片さえも無かった。「・・・」「あなたを守ることは、統合思念体の本意ではない」「えぇ、わかってますよ」「しかし私は」「いいんです」「・・・」「いいんですよ、それに、長門さんはこうして僕を守ってくれたじゃないですか」「違う」「違わないですよ、それにあれは僕のミスです」「わたしのミス」「いいえ、僕のです」「わたし」「僕ですよ」「わたし」「僕です」そこまで言い合ってぷ、と。古泉は笑ってしまった。
なんだ、長門にもこんな一面があるのか、と。自分と同じじゃないか、と。「それを言いにわざわざ?」「そう」「・・・光栄の至りです」「そう」長門は、それきり用は済んだとばかりに黙ってしまった。
「私は、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」搾り出すように、先程と同じ台詞を長門はなぞった。古泉は、振り返った長門を見て何も言えなくなった。
「生きていて・・・、良かった・・・」
長門は、古泉の胸の中で。そっと呟いた。
「長門さん、聞いてくれませんか?」
長門はコクリと頷いた。
「僕には、兄弟はいませんが。兄の様に慕っていた人がいたんです。残念ながら、今はもう居ませんが。その人に言われた事があるんです。この力に目覚めたのは、偶然なんかじゃない、と。選ばれたんだから、誇りに思えばいい、と。でも僕は、そうは思えなかったんです」
長門の大きな2つの目が、古泉を見つめていた。夜風が涼しい。秋の夜。
「確かに、僕は力を持ちました。でも、誰も、守れなかったんです」
「もちろん<<神人>>を狩るのは、僕の仕事ですが。恐くないと言えば嘘になります、本当は。こんな力、今すぐにでも捨てたいんです」
「僕は、自分を呪いました。こんな力に目覚めてから。恥ずかしい話ですが、僕は一度死のうと思った事もあったんです。はは、僕は真っ黒なんです」
「でも、この力のおかげで、こうして長門さんに出会えました。僕の人生は、それだけで肯定されたのかもしれません」
「すみません…、その。自分でも何を言っているのか、わからなくて…、でも」
「だから。僕の力、もし、長門さんに出会う為にあったのだとしたら」
「超能力者に選ばれた事を、僕は誇りに思います」
「長門さん、どうか泣かないでください」「・・・泣いてなどいない」「そうですか?」「・・・」「・・・そうですか」「・・・」「そうだ。窓、開けてくれませんか?」
秋風が舞い込む。銀色のイヤリングが揺れる。ソレは雲間から、ゆっくりと、その顔を出して。そっと二人を見守るように、
「約束、でしたよね」
大きな月は、
「きれい…」
いつまでも二人を照らしていた。
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