笑顔記念日
四月の下旬、俺達は二年生に無事進級していた。・・・いやまあ、「無事」というのは実際俺だけのことなんだが・・・。クラス分けもハルヒの能力が発動しなかったのか、俺達SOS団は別々になってしまった。別々といっても、俺とハルヒは一年の時から変わらず同じクラスである。席も去年と変わらず、俺の後ろを陣取っている。何故だ?
気だるい授業の終わりを告げるベルが鳴り、HRもそこそこにその日の学業は終わった。いつものように、俺はハルヒと共に部室に向かおうとしたが「ちょっと職員室に用があるの、先に部室行ってて」面倒くさそうにそう言うと、ハルヒは鞄を引っつかんで教室を出て行ってしまった。ここでボーっと立っていてもしょうがない。部室に向かうとするか。グラウンドで練習をしている野球部の怒声を聞きつつ、俺は文芸部室に着いた。もうとっくの昔に、SOS団の団室と相成ってるがな。俺は軽いノックを二回し、返事を待った。返事は無い。こういう時は大抵長門が一人で本を読んでいるパターンだ。「ういーっす」適当に挨拶をし、部室のドアを開ける。予想通り宇宙人娘が一人で本を読んでいた。長門は俺に気付くと、肉眼でギリギリ確認できる程度に頭を下げた。俺は鞄を長机に降ろし、椅子に腰掛けた。SOS団が出来た当初は、二人きりになると少し気まずかったもんだ。まあ俺だけがそう感じていたんだろうな。今ではそんな風に感じる事もなく、自然な状態でいられる。自分で言っといて変な表現だ。しかし暇だな。古泉が来たら暇つぶしのボードゲームでも出来るんだがな。しょうがないので俺はお茶を入れようと思い、腰を上げた。朝比奈さんもまだ来る様子も無いしな。進路相談か何かだったか。ヤカンに水を入れ、沸かしていると長門がこっちを見ているのに気付いた。「・・・」「長門にもちゃんとお茶を入れてやるから待ってろ」長門は俺がそう言うと、また本に目を落とした。ピーッとお茶が沸いたことを知らせる音が鳴った。えーっと、お茶っ葉はこれだったな・・・。適当に葉を急須にぶちこみ、お湯をその上から流し込んだ。茶碗を取り出し、お湯からお茶に変わった液体を入れる。「ほら、出来たぞ。味は期待するな」「・・・感謝する」そういうことはちゃんと朝比奈さんにも言ってやってくれ。自腹で茶の葉を買ってきて、飲ませてくれてるんだからな。「わかった」よしよし、素直でよろしい。俺はもう一つの茶碗を持って、さっきまで座っていた椅子に腰掛けた。ずるずるとお茶を啜る。うむ、自分が入れたにしては中々美味しいじゃないか。一息ついたところで、何故か俺はふと頭に浮かんだ事を脊髄反射的に口に出していた。「なあ、長門」「・・・」本から顔を上げこちらに顔を動かした。何?と言いたげな顔だ。「ヒューマノイド・インターフェースってのはどれくらいの種類が居るんだ?」「・・・それなり」曖昧だな・・・。しかし長門でもそういう表現を使うんだな。答えるのが面倒くさかっただけか?「俺が会った中では朝倉と喜緑さんだけだよな?」「ヒューマノイド・インターフェースという枠内であれば私も含まれている」ああすまん、そういうことじゃないんだ。「・・・」本題は何だ早く言えと聞こえてきそうな顔だ。少し怖いと思ったのは内緒だぞ。「二人とも・・・まあ何だ、人間的な笑い顔や悲しみの顔があった。感情が込められてるかどうかは知らんがな。 長門、お前は表情を変えたりしないのか?」一年近く一緒に行動してきた俺は、誰よりも長門の心の機微に気付く事ができると自負している。だが、こいつが周りの奴がそうだ、とわかる程感情を表に出した事が無い。つまり、嬉しい、悲しいといった事をあらわす表情を見たことが無いのだ。「何故」何故って・・・。長門も女の子だ。端正な顔立ちもしている。笑ったりした顔も可愛いと思うんだがなあ、と今ふと思ったんだ。ああもう気にしないでくれ、ただの妄言だった。今なら顔で火炎放射器の一発芸が出来そうだ。「・・・出来ない事はない」そ、そうなのか。正直なところ少し、いや、かなり意外だった。「善処してみる」そうかい。期待しておくよ。長門が本に目を落としたと同時に、ドアからノックが聞こえてきた。「おう」返事をすると古泉と朝比奈さんが入ってきた。「どうも」「ごめんなさい、遅れましたぁ~」
古泉が来たので、暇つぶしにボードゲームをすることにした。今日は将棋か。「ええ、偶にはいいでしょう」そうだな。まあ、お前が負けることは変わらんがな。「手厳しいですね。負けませんよ?」フンと俺は鼻を鳴らし、盤に散らばっている駒を掴んで並べていく。後ろでは朝比奈さんがお茶を入れなおしてくれている。あぁ、本当にありがたいことだ。「では、始めましょうか」よし来い、返り討ちにしてやる。
結果は俺の圧勝だった。まあ、分かりきっていた事だが。どうしてこいつはいつもいつもこんなに弱いんだ? 確か理数クラスだろう。頭は良いんじゃないのか?「それとこれとは別問題のようですねえ・・・」悲しそうな、あるいは困ったようなニヤケ顔で盤を見つめている。弱いくせに負けず嫌いなところが少しあるからな。「もう一局どうです?」いいぜ、どうせ暇だからいくらでも付き合ってやる。盤にもう一度駒を並べなおそうとしたところで、傍らにいつの間にか長門が立っているのに気付いた。「何だ長門、やってみたいのか?」三秒程経ってから、長門は数ミリほど縦に頭を動かした。「よし、じゃあ俺が代わってやろう。やり方はわかるか?」「・・・」返事が無い、ただの端末のようだ。知らないみたいだな。しょうがない、教えてやるか。「良いか? この駒は歩といって」「今しがた、将棋と呼ばれる遊戯の知識をダウンロードした。ルールを把握」得意気になって駒に手を伸ばしていた俺は、何故かとても恥ずかしくなり、手を引っ込めた。ニヤケ野郎が三割増しくらいにニヤニヤしてやがる。畜生。「では長門さん始めましょうか」「・・・よろしく」「はい、よろしくお願いします」
「・・・」この三点リーダは宇宙から送られてきた観察者のものではない。古泉のものだった。そりゃそうだ、俺に勝てないのに長門に勝てるわけ無いだろう。しかしそこまでコテンパンにすることもないだろう。古泉の駒は歩と玉以外取られてしまっている。嬲り殺しとはこういうことを言うんだろうな。「・・・」長門からの視線に気付いた俺は、長門が俺に対局を申し込んでるのだと気付くのにそう時間はかからなかった。「よし長門、俺ともやるか」「・・・」さっきと同様にわずかに頭を下げる。古泉、仇をとってやりたいところだがぶっちゃけ無理そうだ。構わんか?「・・・ええ、そうですね」可哀想に、放心状態だ。無理もない。駒を再度並び終え、挨拶をする。「よろしく」「・・・よろしく」
勝てるわけがない。相手は超超ハイスペックのスーパーコンピュータみたいなもんなんだぞ。知っている限りの戦術を駆使して挑んでみたが、全て潰され、逆に攻めを受けてしまう始末だ。・・・どうしようもない。多分プロでも勝てないんだろうな。俺に勝った位でプロに勝てるとか思ってしまうのは、正直プロの人たちに失礼甚だしいとは思うが、実際この結果を突きつけられると、そう思わざるをえなかった茫然自失となっている俺を尻目に、長門は心なしか嬉しそうだった。「・・・」とりあえず感想くらい聞いとくか。「どうだ長門。面白かったか?」「・・・」長門は何も答えなかった。肯定の意味として取って良いのか、と考えていると「面白かった」そう言って、長門は微かに口端を吊り上げ、目じりを緩ませた。つまり、長門が笑ったのだ。いや、どっちかっていうと微笑んだと言うべきか。「・・・」突然の出来事に俺は言葉を失っていた。失礼な話だが。長門が席を立ったところで俺は我に返った。ふと古泉の方を見やると、ニヤケ顔が張り付いたままフリーズしていた。正直気持ち悪い。そして長門がいつもの能面顔で読書席に着くと同時に、ハルヒが不機嫌な顔で部室に入ってきた。「遅れてゴメンね。全くあのハンドボールバカは・・・」何やら、ハルヒの話によるとSOS団のことで色々聞かれたそうだ。俺達が二年三年になった今、新入生の勧誘をどうするのか、という事らしい。「勧誘するに決まってるじゃない! 何考えてんのかしら!」まあ岡部の言いたいことも分かる。いたいけな新入生がSOS団の毒牙にかかることを考えたら、そりゃあ不安な気持ちにもなるだろうよ。「まあ、とりあえずは文芸部名義でやることにしたわ。勧誘活動自体はSOS団として行うけどね」そうかい。とりあえず人様には迷惑をかけるんじゃないぞ。「どういう意味よ! バカキョン!」触らぬ神に祟りなし、ということなので俺は反論しなかった。しかしこの諺がハルヒにはよく合うな。そしてその日はいつものように、長門の本を閉じる音で団活は終わった。
帰り道はSOS団五人でハイキングコースを降りていた。前では朝比奈さんとハルヒ二人が何やら楽しそうに話している。正直俺も混ぜて欲しい。そして俺の少し前に長門が歩いていて、隣には古泉がいる。俺は歩きつつ、今日起こった珍しい出来事を反芻していた。やはり長門にもあんな顔が出来るんだな。何故か俺は嬉しくなっていた。俺は長門には普通の人間になって欲しいと常々思っていた。表情を持つことも立派な人間の証だと言える。「なあ、長門」「・・・何」前を歩いていた長門は少し速度を緩めて、俺と古泉の間に入ってきた。「今日、将棋に勝った後笑ってたよな」「・・・」「どうだ、これを機会にもっと表情を出してみたら」正直、あの微笑みは爆弾級だった。「僕もそう思いますね。中々チャーミングな笑顔でしたよ」「・・・」返事は返ってこない。黙ったまま長門は歩きを早め、またさっきと同じ位置に戻っていった。古泉と顔を見合わせると、古泉は肩を竦ませた。・・・何か怒らせてしまったか・・・?そして駅前で俺達は、各々の帰路についた。
次の日、受ける気もない授業を受けつつ、適当に流していた。やっと終業のチャイムが鳴った。やれやれ、やっと学生の本分が終わった。「部室に行きましょ」ハルヒの声と共に俺は鞄を掴んで、席を立った。部室棟を上がり、俺達は部室まで着いた。ハルヒは俺がノックする前に部室に入っていった。バカ野郎、朝比奈さんが着替えてたらどうすんだ。嬉し恥ずかしな事になるじゃないかとかなんとか、ちょっと期待していたというのは実際嘘じゃない。「やっほー! あら、まだ有希しか来てないの」俺の淡い期待は外れたみたいだ。「おう、長門」軽い挨拶を済ませ、部室に入る。昨日帰り道でいらん事を言ってしまったので、正直少し気まずい。「・・・」長門はいつものように、かろうじてわかるくらいの会釈を返してくれた。少し気分が晴れた気になった。気にしてないみたいだな、良かった良かった。そうこうしていると古泉がやってきて、その五分くらい後に朝比奈さんもやってきた。
朝比奈さんが入れてくれたお茶をありがたく頂戴しつつ、昨日と同様に古泉と将棋をしていた。ハルヒはPCでネットサーフィンをしているようだ。頼むから変なもんを見つけるなよ。そう心に願いつつ、俺は古泉の玉将に王手をかけた。と、同時にハルヒが何かを思いついたような、少し不思議な顔をした。数秒で願い事を破棄された俺は閉口しつつ、ハルヒの発言を聞こうとしたらいつものハルヒらしからぬ発言が口から飛び出してきた。「ねえ有希、あなた一人暮らしで寂しくないの?」「・・・」俺は何も言わず黙って聞いていた。そして長門は本から顔を上げると、ハルヒの顔を見つめた。「高校二年生っていったら、まだ17歳よ。親元から離れていて寂しくないの?」そいつはまだ人間換算だと4歳だ。まあ、年の概念なんか情報統合思念体には関係ないんだろうな。「そういう感情は抱いた事がない」「そうなの・・・? まあでも、寂しくなったら何時でも電話してきなさい! 深夜でも全然構わないわ、SOS団全員で飛んで行くから!」正直深夜はどうかと思うが、その意見には諸手を挙げて賛成しておく。「・・・」長門は何も答えない。長門とハルヒが見つめあって何秒か経った後、長門は口を開いた。
「ありがとう」長門は昨日よりも20w程明るめの笑顔で、そう言った。
ハルヒは目を見開いて驚いていた。「わわっ・・・長門さん・・・」お茶を入れなおそうとして、近くに居た朝比奈さんも驚いていた。そりゃそうだ。あの長門が笑っているのだから。二人は数秒ほど固まっていたが、すぐに笑顔になった。ハルヒはいつもの100w笑顔、朝比奈さんは母性を感じさせる柔和な微笑だった。ふと古泉を見ると、いつものニヤケ面じゃなく、歳相応の自然な笑みを浮かべていた。
俺はそんな光景を見て、不思議と――いや、当然と言って良いだろう。とてもとても幸せな気持ちになった。そして俺も自然と顔が綻んできたのだった。
その日、初めてSOS団全員が揃って、自然と笑っていたのだった。俺はきっとこの日を忘れないだろう。
初めて私達全員が笑ったから四月二十五日は笑顔記念日。ハルヒは満面の笑みでそう言って、カレンダーに丸をつけた。
おわり
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