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人情裏長屋
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人情裏長屋
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)河岸《がし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)屋|河岸《がし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#3字下げ]
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[#3字下げ]一、おちぶれて来る人の寄り場所[#「一、おちぶれて来る人の寄り場所」は中見出し]
松村信兵衛に会いたい人は京橋炭屋|河岸《がし》の丸源という居酒屋にゆけばいい。もし丸源にいなくっても、よそを捜すよりそこで待っているほうが早く会える。住居は木挽《こびき》町一丁目の十六店という裏長屋であるが、殆んど寝るときのほかはいた例《ためし》がない。――と、云えばおわかりであろう。彼はいつも酔っている。浪人だということは慥《たし》かだし、これといって稼《かせ》ぐ風もみえないが、年じゅう酒びたりのうえに相長屋で困っている者があるとよく面倒をみる。
年はまだ三十になるまい、眼にちょっと凄《すご》みはあるが笑うと人なつっこい愛嬌《あいきょう》が出て、子供たちにも、「松村のおじさん」と人気がある。いつも垢《あか》のつかない着物を着て、髭も月代《さかやき》もきれいに剃《そ》っているから、素面《しらふ》のときはなかなか凛《りん》とした人品だ。初めは、「さる御大身の息子」だとか、「実は大名の御|落胤《らくいん》だそうだ」などという噂《うわさ》まで立ったくらいである。
だが移って来て一年ほど経ち、そんな容子のないことがわかると、こんどはいったいあれだけ飲む金がどこから出るだろうという不審が起こった。と云っても、そのために悪く詮索《せんさく》するとか毛嫌いをするようなことはない。仮に疑わしい事実があったにしても見て見ないふりをし、いざとなれば庇《かば》ってやる気持にもなるのが、こういう貧しい人たちの人情である。
もちろん信兵衛のばあいは、そんな不審もすぐ消えてしまった。長屋うちで稼ぎ手に寝られるとか、仕事にあぶれて困る者などがあると、さりげなく米味噌を届けさせたり銭を持っていって遣ったりする。「どうせ持っていれば飲んじまうんだ、困るときは誰でもお互いさ」決して相手に遠慮やひけめを感じさせないさらっとした態度である。――こういう訳で、もうずっと以前から松村信兵衛は、長屋ぜんたいの「先生」と慕われていた。
彼の隣りに夜鷹《よたか》そば屋の重助という老人が、十八になる孫娘のおぶん[#「おぶん」に傍点]と二人で住んでいた。信兵衛が初めて移って来たときおぶん[#「おぶん」に傍点]はまだ十五だったが、お祖父さんに云われて彼の世話をするようになり、それ以来もう三年も煮炊きや洗濯の面倒をみている。まる顔でちょっと眼尻の下った温和《おとな》しそうな娘であるが、実は芯《しん》にきついところがあり、年に似合わない気丈な性質をもっていた。彼女は信兵衛のことを「うちの先生」と云う。ほかの者には長屋ぜんたいの先生なのだが、おぶん[#「おぶん」に傍点]がそう云う段には不服はないらしい。
「よくないわよおぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、偶《たま》には先生になんとかお云いなさいよ、幾らなんでもあんなに飲んでばかりいちゃあ毒じゃないの、いまにきっと躯《からだ》をこわすわよ」近所の神さんたちはこんなことを云うくらいである、「あんたの云うことならお聞きなさるんだから、少しは加減をするように云っておあげなさいよ」
「あたしもそう思うんだけれど、ほかの事ならともかくお酒だけはだめよ」おぶん[#「おぶん」に傍点]は哀《かな》しげな微笑をうかべる、「お好きもお好きなんだろうけれど、なにか酔わないじゃいられないようなことがあるらしいわ、醒《さ》めた時の寂しそうなお顔は堪《たま》らないわ、迷子になった五つ六つの子供のような眼つきをなさるの、とても飲むななんて云えないのよ」
女性のなかにはごく稀《まれ》に男の気持を敏感に悟る者がある。おぶん[#「おぶん」に傍点]の推察はかなり正しいようだ。酔い過ぎたときとか醒めているときなどに、信兵衛のもらす独り言は絶望的であり冷笑と侮蔑《ぶべつ》に汚れている。その眼つきや表情には現在の貧しい環境のほかの凡《あら》ゆるもの、特に権力や富や威厳などに対する否定と嘲弄《ちょうろう》の色が明らかであった。――居酒屋の丸源で彼が飲むときには、いちばん安い酒にいちばん安い肴《さかな》と定《きま》っている。心付は法外なくらい置くが、酒肴は必ずいちばん安いのを誂《あつら》える、常連の熊公八公らと近づきになってから盃《さかずき》をさすのに、「済まないが一杯つきあって呉《く》れ」と、下手《したで》に出るのが定りだ。
初めのうちは誰にもこの謙遜《けんそん》の意味がわからなかった。すると或る宵のことだったが、三十二三になるふり[#「ふり」に傍点]の客が一人まぎれ込んで来た。どこかの通い番頭というものらしい。髪を油で光らせて、やわらか物を着て、襦袢《じゅばん》の衿《えり》で首を絞めるような恰好で、雪駄《せった》の裏金をちゃらちゃらさせて、入って来るなりから店の中を眺めまわしたが、
「このうちでいちばん高いお酒を持っといで」と黄色いような声を出した。
それから壁に貼《は》った書出しや、そこにあるつけ板の品書きを見ていたが、
「このうちじゃあここに書いてある物っきり出来ないのかい、鯛の刺身とか蒲焼《かばやき》とか鱸《すずき》のあらい[#「あらい」に傍点]ぐらい無くっちゃ飲めないじゃあないか、酒の肴はきどりといって少しぐらい高価《たか》くってもきれいごとでないとうまくないよ」
「へえ相済みません」亭主の又平が温和しく頭を下げて、「なべ公お銚子《ちょうし》が上った」
つきだしに燗《かん》徳利をのせて盆を出すなべ公という十三になる小僧が運んで来て置くとたんに、
「このお酒は幾らだい」ときた。
なべ公が恐る恐る、「幾ら幾らです」と云う。
こっちは盃でちょいと舐《な》めてみて、軽侮に堪えないという顔をする。
「値段だけのもんだね、これがいちばん高価いのかい、もっと高価いお酒はないのかい」
なべ公は尊敬の余り水っ洟《ぱな》をすすった。
「ええ、これがお客さんいちばん高価いんです、お菜はなにを上りますか」
「なにをといったってこれじゃあ一つも喰べられるものはないじゃないか、親方にそう云ってお呉れ、神田川から鰻《うなぎ》でもとれないかって」
店の中はしん[#「しん」に傍点]となった。虎も熊公も竹造も八もいかれ[#「いかれ」に傍点]のかたちである、この手合はふだん鼻っぱしの強いことを云うくせに、金持とか厚顔《あつかま》しい人間の前へ出るとだらしもなくしぼんでしまう。――そうでもねえ、またどんな事で世話になるかも知れねえから。こう考える癖が身に付いている。自分ひとりでは生きられないということを知っているからであるが、彼等はこいつを逆手に取ってのさばるのが通例だ。……みんな肩をすぼめて、話し声もちょっと途絶えた。そのとき松村信兵衛が、
「おいそこの番頭さん」と呼びかけたのである、「おめえ店の銭箱から幾らくすねて来たか知らねえが、一世一代の積りなら座敷のある家へ這込《はいこ》んだらどうだ、ここは居酒屋といって地道に稼いだ人間が汗の匂いのする銭でうちわにつつましく飲む処だぜ、済みません場違いですがお仲間に入れて下さい、こういう気持で来るんならお互いさまよ、みんなの飲む酒みんなの喰べる肴で、御馳走さまと云って飲むがいい、なんだ、白痴《こけ》が火見櫓《ひのみ》へ登りゃあしめえし、高え高えが聞いて呆《あき》れらあ、気の毒だが勘定は払ってやるから出ていって呉れ、まごまごすると向う脛《ずね》を――」
その者は一議に及ばず退散した。亭主もなべ公も、熊も八も虎も喝采《かっさい》した。そして松村先生の謙遜の意味が初めてわかったのである。この店は地道に稼ぐ人間が汗の匂いのする銭でつつましく飲む処だ。場違いですがお仲間に入れて下さい。詰りそれである。従って、こういう処へ来てまで人をみくだしたり、金をひけらかしたりする人間には容赦をしないのであった。
朝十時に信兵衛は起きる。おぶん[#「おぶん」に傍点]の給仕をして呉れる味噌汁に飯一椀、武家育ちのきちんとした生活が癖になっているのだろう、どんなひどい宿酔《ふつかよい》でもこれだけは欠かしたことがない。
但し美味《うま》くはないとみえて喰べるのに時間がかかる。それがまたおぶん[#「おぶん」に傍点]にとっては彼と話の出来る唯いちどの機会であったが。
「佐平さんの跡へ昨日お侍の方が越しておいでになりましたわ」食後の茶を注《つ》ぎながらおぶん[#「おぶん」に傍点]が云った、「まだお若い方のようですけれど、お気の毒に奥さまに亡くなられて、乳呑み児を抱えていらっしゃいますわ」
「それあどうも――」信兵衛は辛そうに眉をしかめた、「なんという人だ」
「沖石|主殿《とのも》と仰しゃいました、御挨拶にみえましたから後でいらしって下さいまし」
「なにか持ってゆきたいが、なにがいいかな」
「赤ちゃんがいるんですから水飴《みずあめ》なんかがようございましょう、あたし買って来ますわ」
「そうして貰おう、おれが水飴を呉れなどと云ったら天気を怪しまれる」
おぶん[#「おぶん」に傍点]が表通りへいって水飴を買って来ると、信兵衛はそれを包んで、一軒おいて右隣りの新しい住人を訪ねた。――沖石主殿は二十五六だろう、辛労のために蒼白《あおじろ》く痩《や》せてみえるが、意志の強そうな眉つき唇《くち》もとで、言葉も態度もきりっとしていた。寝かしてある赤児が泣くのを気にしながら、「主家を浪人したうえ妻に死なれ、嬰児《えいじ》を抱えているので近所の厄介にならなければならない、宜しくお頼み申す」こう云って頭を下げた。
「及ばずながらお力になりましょう」信兵衛は励ますように云った、「こういう裏長屋はたいてい世間からこぼれ落ちた人間の集まりです、みんな不幸や不運の苦い味を知っていますから決して不人情なことはしません、困ることはみんなでお手伝いしますよ」
「どうぞ呉々《くれぐれ》も宜しくお願い申します」
主殿は垂れた頭をあげることが出来ない容子であった。――別れを告げて出ると信兵衛はその足で差配の平七老人を訪ねた。
「沖石という人の店賃《たなちん》はおれが払うからな、然し当人には決して知れないように頼むぞ」
「そう来るだろうと思ってましたよ」平七老人は中っ肚《ぱら》の態である、「いまだって五軒もの店賃を払ってお遣んなさるんですぜ、まあお好きなようになさいまし、そのうちに十六店ぜんぶの店賃を払えばお気が済むでしょう」
「どうしてそうすぐに肚を立てるんだ、いちど医者に診て貰うほうがいいな、肝臓に病気があると怒りっぽくなるそうだ、――頼むぞ」
平七がむきになってなにか云い返そうとした。然しこっちはさっさと路地を出てゆき、角の三河屋の店先へいって立った。これも三年このかた欠かしたことのない日課だ。小僧の定吉はまじめくさった顔で、どんなに大事なことかなんぞのようにこう叫ぶ。
「ええ先生に一升|枡《ます》で、願いますう」
[#3字下げ]二、相手を立てて、それからの沙汰[#「二、相手を立てて、それからの沙汰」は中見出し]
五合桝で冷を一杯。急ぎはしない悠《ゆっ》くりと飲んで三河屋を出た。
「さて今日はひと稼ぎか――」
こう呟《つぶや》いて歩きだした信兵衛、半刻《はんとき》ばかり後に、日本橋へとやって来た。もうすぐ親父橋という町筋の一角に、神伝流剣法指南、折笠五郎左衛門と掲げた新しい道場がある。新しいが繁昌しているとみえて、竹刀《しない》の音や矢声がびんびんと建物に反響して聞えた。
――信兵衛は玄関へいって案内を乞い、現われた門人に向って、
「ひと手御教授を」と、横柄に他流試合を申し込んだ。その文句が凄いのである。
「拙者はこれまで各地を遍歴し、念流一刀流|梶派《かじは》新蔭《しんかげ》、無念流鹿島神流あらゆる師範と試合を致し、いまだ曾《かつ》て敗北したことのない修業者でござる、折笠殿の御高名を聞き及び、ぜひともお手合せを願いたく参上つかまつった、取手呉兵衛と申す、宜しくお取次ぎのほどを」
文句も態度も明らかに道場荒しである。新しく開業して門人の手前もあるし、草鞋《わらじ》銭で帰すには名乗りが大き過ぎる。仕方がないから道場へ通した。もちろん稽古は中止で、五六十人いる門人はずらっと三隅に居並んだ。――折笠先生は四十そこそこだろう、眉太く口髭《くちひげ》濃く、躰躯《たいく》も堂々としてなかなか立派な人品である。
「道場の定めでござる、まず門人両三名とお立合い下さい」
「承知つかまつった、何人でもどうぞ」
手頃の木剣を借りて立つ。襷《たすき》も汗止もせず袴《はかま》の股立《ももだち》も取らない、ぬっと立ってさあいらっしゃいという恰好だ。和田なにがしとかいう門人が第一の相手に出た。これは稽古着で充分に支度をしている。勢《きお》った眼でじろりと見て、「宜しいか」と云う。信兵衛は頷《うなず》いて、黙ったまま木剣を地摺《じず》りに構えた。
相手は青眼にとった。信兵衛の構えは余りに人を馬鹿にしたように見える。怒りと若気でかっとなったものらしい、
「えい」
絶叫しながら真向から打ちを入れた。とたんにばしっという烈しい音がして、和田なにがしは遠く入口のほうまですっ飛んだ。……そして木剣は、――木剣はなんと床板に突刺さっていた。尖《さき》のほうが三寸余りも床板へ突刺さり、斜めになって立っているのである。
「お次の方に願いましょう」
信兵衛は持っている木剣を手で撫《な》でながら退屈そうに云った。
「どなたでもお早く――」
折笠先生は師範代に目くばせをした。太田それがしという三十二三の、よく肥えた敏捷《びんしょう》そうな躯つきでちょっと猪《いのしし》を思わせる精悍《せいかん》な感じの男だ。支度をして出て来ると、まず床に立っている木剣を抜き取り、それを捻って前へ進んだ。――信兵衛は相手が中段|籠手《こて》下りに構えたのを見て、こんどは一文字に位取りをした。胸の高さで木剣の籠手と切尖《きっさき》が水平になる。ごく不安定な型で、相手からは一撃で叩きおとせそうに見える。やや暫《しばら》く睨《にら》み合っていたが、信兵衛の木剣がゆらりと動いた。同時に師範代の肥えた精悍な躯が跳躍し、中段の木剣をそのまま、
「えい」
とつぶてのように突込んだ。どういう変化があったのかわからない、こんどもばしっばりッという音と共に、太田それがしはすっ飛んでいって羽目板へだっと躯をぶっつけ、でんぐり返しを打ってから「参った」と云った。……それはいいが木剣が見えない。さっきの例があるのでみんな四辺を見まわすが、どこにも師範代の木剣がみあたらないのであった。
「では失礼ながら」と、信兵衛は慇懃《いんぎん》に振向いて云った、「こんどは御師範にお願い致しましょう」
明らかに折笠先生は困惑していた。
いまの二勝負はそのあっけなさに依って技術の甚《はなは》だしい懸隔を示している。木剣の一を床板へ突立て、別の一を消滅させた。二人は羽目板と入口へとすっ飛んだが、これをどういう手でやったかまるっきり眼にもとまらない。
門人たちの驚愕《きょうがく》は当然として、道場の主たる折笠先生にも、自分がこの取手呉兵衛の敵でないことは歴然とわかる。どうしてこの危機を切抜けたらいいか。――折笠先生は支度をして出ながら、ひそかに自分の秘術の棚卸《たなおろ》しをし、せめて相打ちにするにはどの手でゆくかと戦法を練るのであった。
信兵衛は折笠先生の動作を見ていたが、なにを思ったか木剣を置いて手拭を出し汗止をした。刀の下緒で襷をかけ袴の股立をきりりと絞った。門人たちは顔を見合せた、――あんなに支度をするところをみると先生はやはり相当てごわい相手なんだな。こう思ったのである。
折笠先生は別の意味でギョッとした。こいつは徹底的にやる積りだなと推察した訳である。礼を交わして「いざ」と相対した。こんどは相青眼、信兵衛の構えは慎重を極めている。折笠先生は舌を巻いた。見ていて想像したよりは段違いに上を遣う。これはとうてい勝負にならないと感じた。信兵衛はもちろんそれを知っている。折笠の眼に恐怖の色の現われるのが見える。
もうよかろう、……彼は相手の呼吸をはかっていたが、やがて折笠先生の呼気のはな[#「はな」に傍点]、……詰り吸った息を吐こうとする刹那《せつな》に無声の鋭い気合を一つ呉れた。えい[#「えい」に傍点]ともやあ[#「やあ」に傍点]とも声には出さないが、全精気を凝集した真の気合というやつである。先生は吐こうとした息を止めてじりりと退る、打込むかと思って待つことしばし、詰めていた息を吐こうとする。
とたんにまた無声の気合をくらった。こんどこそと息を止める、信兵衛はつと半歩前へ出た。
――これを繰り返すのである。先生は呼吸が出来ない。吸った息を吐こうとする刹那刹那に真の気合で叩かれぐいっぐいっと圧迫される。胸郭は張裂けそうになり、頭から膏汗《あぶらあせ》がたらたらと流れ始めた。そのままもう少し続ければ気絶して倒れてしまうだろう。信兵衛はもうよしとみてとつぜん自分の木剣を投出し、
「まいった」
と叫んで後ろへとび退った。
折笠先生は支柱《ささえ》を外された朽木のようにひょろひょろと前へよろめき、危うく踏止まって今にも息の絶える人のようにはっはっと激しく喘《あえ》いだ。
「いや恐れ入りました」信兵衛は汗止を取り襷を外しながら云った、「拙者はこれまで八年あまりも諸国をめぐり、あらゆる流派の達人名手と試合を致したが、折笠先生ほどの名人に会ったは今日が初めて、失礼ながらまことに感服つかまつった」
「いやいや、それは、いや」先生は肩で息をしながら辛うじて苦笑した、「そんなその、さしたることは詰るところ」
「御謙遜では恐れ入る、今日はこれにて御免を蒙《こうむ》り、不日また改めて御教授を受けにまいりたい、まことに無礼を――」
今日は帰るがまた改めて来ると云う。とんでもない、折笠先生は吃驚《びっくり》してひき留めにかかった。そう何度もこんなめに遭わされて堪るものではない、
「まあとにかくお近づきに一献さしあげたいから」
と、手を取らんばかりに奥へ案内をした。酒肴で手|篤《あつ》くもてなしながら、紙に包んだ物をすばやく渡したが、先生にとってはそれだけの値打が充分にあったものらしい。
――信兵衛はごく自然に受取ると、二三杯かさねて座を立った。先生と高弟二人が玄関まで送りに出たが、道場の口のところで立停った。道場の中で門人たちがなにか騒いでいるのである。みんな天床を指さしてがやがや云っているから、太田師範代が「なにを騒いでいるか」と叱った。
「あれを御覧下さい」門人たちは口々にこう叫んだ、「御師範代の木剣があんな処に――」
云われて上を見ると驚いた。さっきどこかへけし飛んだ木剣がなんと天床板に突刺さっているのである、太田それがしも先生もあっ[#「あっ」に傍点]と云った。
信兵衛は黙って静かに外へ出ていった。
――貰った紙包を、ふところで調べてみると十両ある。
「先生よっぽど肝に銘じたな」
彼はこう思ってにっと笑った。さよう、これが松村信兵衛の稼業である。
彼は「運上を取る」と称して、必要ならいつでもこの手で稼ぐことが出来る。市中にも十四五カ所おとくい[#「おとくい」に傍点]先があって、顔出しをすれば一両や二両はどの道場でも黙って呉れる。
少し多く入用なときは新規の道場へいって、折笠先生にやったような辛辣《しんらつ》な手をもちいたうえ負けてやる。勝ってはいけない、ぎゅっというところへ追詰めて置いて負けてやる。与えてとる、詰りまず相手を立てて自分を立てるという訳だ。
中には眼のある師範がいて、
「これだけの手腕をもちながら市井に埋もれているというのは勿体ない、御推挙をするから仕官なさらぬか」
などと親切にすすめたり、また師範代に来て呉れと望まれることもたびたびであったが、彼は冷笑するだけで、相変らず、「運上をはたり」続けているのであった。
丸源で飲んで、珍しく宵のうちに帰り、五両だけ紙に包んで沖石主殿を訪ねた。――赤子が眠っていたので、乞われるままに上へあがると、主殿はぶきような手つきで茶を淹《い》れ、どうやら身の上話でも始めそうだった。信兵衛はこれが大嫌いである。
「いや人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります、どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません、現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう、まあ焦らずに悠くり構えるんですね、こんな暮しの中にもまた味のあるものですよ」
「そうです、このまま落魄《おちぶ》れはしません」主殿は意志の強そうな唇をひき緊めた、「浪人してみて、妻には死なれ男手に小さい者を抱えてみて、幾らか世間がわかったようです、どんなことをしても、必ずもういちど世の中へ出ます、必ず沖石の家名を立てます」
「その意気ですな」信兵衛は苦い顔をした、「然しまあ急がないことだ、世の中は逃げも隠れもしないもんです、――甚だ失礼だが私には不用なので少しばかり持って来ました、また入用なときはいつでも云って下さい」
信兵衛は包んだ物を置いて、相手に礼を云う隙も与えず辞去した。――家名を立てる。ふん[#「ふん」に傍点]と彼は鼻を鳴らす。世の中へ出る、このまま落魄れはしない。ふん、その意気ですな沖石うじ、まあ精々おやんなさい、どんな才があるか知らないが駆けずり廻って頭の千遍もさげて二十石か三十石の扶持《ふち》にありついたらさぞ本望でしょう。そこでまた妻を貰って子を殖やして、勤めに身をすり減らして、ああ……。
信兵衛は路地を出て、既に戸を下ろしかかっている三河屋の店先へ立った。
「おい定公、桝で一升だ」
[#3字下げ]三、不幸は友を伴れて来る故事[#「三、不幸は友を伴れて来る故事」は中見出し]
それから三日めの夜のことである。丸源の常連のひとりで、大工の竹造というのが女房を貰ったという。
「兄弟の盃をしたこちとらにも内証でこっそり引摺り込みあがった太え野郎で」
「それもおかめ[#「おかめ」に傍点]ならいいが何処《どこ》から盗んで来たかちょいと渋皮の剥《む》けた牝鶏なんで」
「だもんですから今夜はみんなでもり潰《つぶ》して役に立たねえようにしてやろうてえ訳です」
わいわい囃《はや》したてている。信兵衛も好い機嫌で、
「よかろう、軍用金はおれが引受けた」
「先生まであんなことを、冗談じゃありません」竹造は泣きそうな顔で、「そんなことされたら離縁もんでさ、なにしろ嫁さんと嫁さんのお袋が待ってるんですから」
「この野郎ぬけぬけと云やあがる、嫁さんたあなんだ嫁さんたあ」
「いいから丼《どんぶり》で飲ましちまえ」
丸源には珍しく陽気な騒ぎになった。竹造にも祝儀を包んでやり、ふらふらするほど酔って先に切上げる。外へ出るといい月夜で、天も地も青白い光りのなかに、灯を消した街の家並が墨絵のように浮いて見えた。――それこそ蹣跚《まんさん》と歩いて長屋へ帰ると、家には灯が明あかと点《つ》いて、
「お帰りなさいまし」とおぶん[#「おぶん」に傍点]が障子を明けた。
「どうしたんだ」
信兵衛は刀をとりながら不審げに眼をそばめた。
「こんな時刻に、――なにかあったのか」
「まあお上りなさいましね、お留守にちょっと困ったことが出来たんですよ」
上ると少しよろめいた。おぶん[#「おぶん」に傍点]は敷いてある夜具の側へいって「これ」と眼で知らせた。見ると赤ん坊がよく眠っている。信兵衛はそこへ坐っておぶん[#「おぶん」に傍点]を見た。娘は茶棚の上から封書を取って渡した。上に松村殿、裏を返すと沖石主殿とある。披《ひら》いてみると、
「よくよく考えてみたが乳呑み児を抱えてこのまま此処《ここ》にいては身を立てるすべがない、まことに不義理なしだいであるが思い切って児を棄ててゆく、世に出ることが出来たら迎えに来る積りであるから、甚だ勝手ながら、それまで預かって頂きたい、武士と武士、御厚意に縋《すが》ってお願い申上げる」
こういう意味のことが書いてあった。生後九カ月、名は鶴之助、信兵衛は読み終ると怒りがこみあげて来た。
「夕方あんまり赤ちゃんが泣くので、いってみるとこの置き手紙が枕許《まくらもと》にあって沖石さんはいないんです、差配ではすぐ番所へ届けろって云いましたけれどなんだか可哀そうだし、それに先生へ手紙があるもんですから、とにかくお帰りになってからと思って――」
「ひどいやつだ」信兵衛は怒りを抑えながら夜具の中を覗《のぞ》いた、「なんという人間だ」
赤児はよく眠っていた。まるまると頬の張った可愛い子である。母親に死なれてまだ間もないというのに、父親にまで棄てられてしまった。誕生にもならないうちに孤児《みなしご》、いったいゆくすえはどうなるのだろう。信兵衛の眼から涙がこぼれた。
「そんなに出世がしたいのか、母親に死なれたばかりの、こんな小さい子を棄ててまで自分の身が立てたいのか、子の親となってそんな無慈悲なことが出来るものだろうか」
「あたしとても所へなんて遣れないわ」おぶん[#「おぶん」に傍点]は指でそっと眼を押えた、「たとえ五日でも六日でも、抱いたりおむつを洗ったりしたんですもの、どんな苦労をしてもあたし育ててみますわ」
「おれが預けられたんだからおれが育てる、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん手伝って呉れるか」
「だって先生、男の手でそんな――」
「出来るとも、世間に例のないことじゃあない、やってみる、おれの手でこの子を立派に育ててみせる、手伝って呉れおぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、おれは今夜かぎり酒をやめるよ」
朝になると差配の平七老人がやって来た。すぐに番所に届けようと頑張る、信兵衛はてんで受付けなかった。老人かんかんに肚を立て、自分のことのように呶鳴《どな》りたてた。
「いまにひどいめに逢いますぜ、こんな薄情な親の子は薄情なもんに定ってまさ、ようござんすか先生、いまに貴方きっとひどいめに遭いますぜ、そのときどうなっても私あ知りませんぜ」
「いいから人別《にんべつ》を直しといて呉れ」信兵衛はこう云いながら草鞋を穿《は》いた、「名前は鶴之助だ、誰にも迷惑は掛けない」
さっさと路地を出ていった。三河屋の小僧がみつけて、
「ええ先生に――」
呶鳴ろうとすると、なんと信兵衛は素通りをしてゆく。定吉は吃驚して、
「先生、先生」
と呼んでみた。信兵衛は見向きもせず、然しごくっと喉《のど》を鳴らして、逃げるように向うへ去っていった。定吉は慌てて天と地面を眺め、ぶるっと身震いをした。
「――地震でもゆるんじゃあねえか」
松村信兵衛は酒をやめた。本当に子を育てる決心である、長屋うちに同じような赤児のある女房がいて、日に三度おぶん[#「おぶん」に傍点]が抱いて乳を貰いにゆく、もう九カ月だからあとは重湯と水飴で充分だ。困るのは夜中で、人の変ったのがわかるのだろう一刻あまりは泣いてやまない。近所に気の毒だから抱いて出て、三十間堀のほうまで歩いていったりする。
ぎこちない手つきで、「おおよしよし」などとあやしなから、母親の温たかいふところを恋しがっているのだろうと思い、哀れさに胸がきりきりと痛むのを覚えた。
「泣くな泣くな、おれが誰よりもいい父になって、きっと仕合せに育ててやるからな、よしよし泣くな泣くな――」
こうして五日ばかり経った。
おぶん[#「おぶん」に傍点]も彼も少しずつ馴れ始めたとき、又もや不幸な出来事が起こったのである。――霧のようなこぬか雨が舞っているなかを、おぶん[#「おぶん」に傍点]の祖父の重助は夜鷹そばの屋台車を押して稼ぎに出ていったが、夜の十時頃になって人に背負われて帰って来た。おぶん[#「おぶん」に傍点]の悲鳴を聞いて信兵衛もとんでいった。老人は腰の骨を折っているらしい、すぐに医者を呼んで来て診せると、折れてはいないが腰骨をひどく打ったのと、右の太腿《ふともも》の骨に罅《ひび》が入っているという。
「年が年だからな」医者は首を捻《ひね》った、「うまく治っても立つようになれるかどうか」
医者が帰り長屋の者たちが帰ってから、重助は口惜し涙をこぼし訳を語った。
――京橋の中通りを例のように日本橋までいったが、こぬか雨のために客が少なく、いつもの三分の一も商売がなかった。それから江戸橋までゆき戻って来たところに大きな剣術道場がある。もう稽古終いなのだろう、疎《まば》らな竹刀の音と賑やかな話し声が聞えた。そこで呼び声をあげてみると、すぐに武者窓から門人が覗いて、
「爺い幾つ残っているか」
と訊《き》いた。まだこれこれ有りますと答えると、
「よし総じまいにしてやる」
と三人ばかり出て来た。それが二つ三つ宛《ずつ》食うところへ、あとから来たのが加わり、それが済まないうちに割込む者や入れ代る者などでごたごたした。総じまいだというから安心していたら、最後に残った一人が三つ食って十文投げだし「つりはいらぬ」と云ってゆこうとした。
「細かい稼ぎの年寄りをからかうのは罪ですよ、どうか払ってやってお呉んなさい、――こっちはまだ冗談だと思ってそう云いました、するとそれからが雑言で、黙ってれあよかったんですがあんまり腹が立つからふた言み言云ってやりました」
傷が痛むのだろう、老人は歯をくいしばりながら息をついだ。
「むろん理屈もなにもあったもんじゃあない、四人ばかり引返して来たのと一緒に、屋台車を押倒す、丼を破る、止めようとしたあっしは引倒されて、踏んだり蹴ったりという始末です、……背負って来て呉れたのは通りがかりの人だが、あの人に起こされるまで気を失っていました、あっしも五十八になるまでずいぶん苦しいめ悲しいめに遭って来たが、今夜くらい口惜しいことに遭ったのは初めてです――」
「そんな無法なことがそのままで済む道理はないよ、爺さん」信兵衛は力をつけるようにそう云った、「きっと挨拶をさせてやる、そいつ等になにをしたらいいか、教えてやるよ、気を立てるのは傷に悪い、とにかくおちついて悠くり寝ることだ」
信兵衛は忿怒《ふんぬ》にかられた。
沖石主殿の身勝手なやり方、その日稼ぎの無力な老人に対するこの非道、二つが重なって抑えようのない怒りに全身が震えた。――明くる日の夕方、彼は重助の仕事着を借り、頬冠りをして、すっかり夜鷹そば屋の姿になり、貸し屋台に材料を仕込んだうえ、日の昏《く》れるのを待って長屋を出た。
「先生だいじょうぶですか、危ないことなさらないでね――」おぶん[#「おぶん」に傍点]が鶴之助を抱いて白魚橋まで送って来た、「先生がけがでもなすったら長屋じゅうの人に恨まれるし、なにより鶴坊が可哀そうですからね」
「そいつは自分がいちばんよく知ってるよ、それよりおれの心配なのはうまくこの商売が出来るかどうかということさ」信兵衛はこう云って笑った、「これからずっと夜鷹そばをやってゆく積りだからな」
「まあ、あんなことを」
「本当さ、地道に稼いだ銭で鶴坊を育てるんだ、お祖父さんの分まで稼ぐからな、見ていればわかるよ」
笑いながら彼は屋台車を押してでかけていった。
重助の話で察したとおり、いってみるとそれは折笠五郎左衛門の道場であった。早くてはいけない、親父橋から日本橋への河岸をながして時刻の来るのを待った。客がぼつぼつある、馴れないから湯通しが早かったり汁が少なかったりした。「ええまいど有難う」という言葉さえなかなか軽くは出ない。客にもすぐわかるとみえて「おめえまだ素人だな」などと云われた。
――やがて九時少し過ぎた。もうよかろうと屋台を押してゆき、折笠道場の外へいって停めた。一つ二つ竹刀の音が残るばかり、がやがやと人声が高く聞える。自分でも下手《へた》だと思う声で「そばあい」と叫んだ。三度ばかり叫ぶと武者窓から、「おい、そば屋」と呼ばれた。
「そばは幾つ残ってる」
「へえ、三十ばかりでございます」
「よし総じまいにしてやるから待ってろ」
こう云ったと思うと、間もなく四人ばかり稽古着のままとびだして来た。信兵衛は頬冠りを深くし、顔を見られないように気をつけながら、四人の丼のそばを盛り、上から唐辛子を思いっきり振掛けた。
「へえお待遠さま」
「腹の虫がクウと云うぞ、こっちへ呉れ」
四人は手に手に丼を持った。
[#3字下げ]四、蕎麦は夜泣きの子も育つなり[#「四、蕎麦は夜泣きの子も育つなり」は中見出し]
腹が減ってるんだろう、一人がまずつっと啜《すす》り込んだが、とたんにぷっと噎《む》せた、それも尋常の噎せ方ではない、なにしろ熱いそばの上へ唐辛子をぶちまけたのだから、啜り込むなりこいつが口中にかあっ[#「かあっ」に傍点]とひろがった。
「あっぷっ」という悲鳴が次々に四人、噎せこんで洟《はな》と涎《よだれ》を垂らしながらごぼんごほんと咳入った。苦しいのなんの、顔をまっ赤にし喉を掴《つか》んで大騒ぎをやったが、
「こ、この爺い」
と、一人が丼を地面に叩きつけた。
「こんな物を食わせやあがってなんの遺恨があるんだ、おれの喉を焼きあがって」彼は咳入りながらこう呶鳴った、「太え爺いだ、足腰の立たぬようにぶちのめして呉れるぞ」
屋台へ手を掛けて押倒そうとする、それより早く、信兵衛の持っていた尺箸がその男の眉間《みけん》を突いた。あっと云って仰《のけ》ざまに倒れる、残った三人が、
「や、この爺い」
とび退って、
「おいみんな出て来い、須藤がやられた」
道場のほうへ叫ぶと、竹刀を持った連中が十四五人、ばらばらとびだして来て取囲んだ。
「これはとんだことになりましたな」
信兵衛は腰をかがめながら屋台の前へ出て来た。
「お詫《わ》びを云いたいが人数が多すぎる、ひと束にして挨拶するから遠慮なく出ておいでなさい」
「爺いその口を忘れるな」
喚きざま一人が竹刀をふるって打ちかかった。
十四五人の影がどっと崩れたつ、信兵衛の姿は眼にもとまらない、いつ奪い取ったか竹刀を手に、四方八面出没自在に跳躍する、ひゅっ、ぴしっと凄《すさ》まじい音につれ、悲鳴をあげながら転倒しはね飛ばされた、三人、五人、七人。中には同志打ちをする奴もあり、忽《たちま》ち総崩れになってばらばらと道場へ逃げ込んでゆく。
それを後ろから追い詰めて、更に二人、三人とうち倒し、道場の中まで逃げのびたのは僅かに二人だけであった。
逃げのびてほっとする間もない、信兵衛がそこへ踏込んで来たから、二人は、
「誰か来て呉れ」
情けない声をあげ、刀を取ってひき抜いた。――そこへ奥から二人、例の太田師範代と折笠先生がとびだして来た。
「騒ぞうしい、なに事だ」
「こ、この爺いが」と、門人の一人が抜いた刀でさし示しながら、「表でむやみにみんな表で、乱暴|狼藉《ろうぜき》で、めちゃくちゃです」
「はっきり云え、なんの事だ」
「云ってやろう」信兵衛が叫んだ、「ゆうべ老人がこの表へ夜鷹そばを売りに来たところ、門人どもが只食いをしたうえに、屋台車をうち毀《こわ》し老人の足腰を踏み折った、そばの一つ二つ只食いをするなら若い者のいたずらだ、商売道具をうち毀し、無力の老人を片輪にするとなればいたずらでは済まされぬ、折笠先生、貴方の剣法はかかる非道をお教えなさるか」
こう叫びながら信兵衛は初めて頬冠りをとった。――夢にも忘れることのできない顔だ。先生も太田それがしも、残った二人の門人もあっと色を失った。
「ああこれは」折笠先生はとび下りて来た、「これは取手うじ、まずお待ち下さい、まず、只今のお話は拙者も今朝はじめて聞きました、それで心痛しておったところなのです、事情をよく伺いましょう、ともかくまず奥へお通り下さい」
「いや今宵はこれで帰りましょう」
信兵衛は持っていた竹刀を投げだした。
「表に門人衆がだいぶ寝ておいでなさる、早くいって水でもぶちかけておやりなさい、明朝また改めてお話にまいる、騒がせて悪うございましたな」
明くる朝、信兵衛は折笠道場をたずねた。
そしてその午後、十五人の門人たちが見舞いの金品を持って長屋を訪れ、代る代る重助老人の枕許《まくらもと》へいっては謝罪した。
これはなんとも珍しい風景である。長屋の連中は大よろこびで、げらげら笑いながら面白そうに見物していた。貧しい者ほど情に脆《もろ》いものはない。泣いて口惜しがった老人が、二三人に平伏されるともう気の毒になり、終いには恐縮したり衒《て》れたり、自分のほうで恥ずかしくなるような始末だった――。
「これでさっぱりと水に流そう」信兵衛は門人たちを送り出しながらいった、「明日の晩から老人に代っておれが蕎麦《そば》を売りにゆく、折笠道場をあてにしてゆくからな、こんどは銭を払って総じまいを頼むぞ」
門人たちは河童《かっぱ》が飴玉を貰ったような妙な顔をして帰っていった。――接骨医と内科の医者が二人、一日おきに通って来るが、重助は寝たきりだからおぶん[#「おぶん」に傍点]の手の離れることがない。信兵衛はしぜん独りで鶴之助をみなければならなかった。むろん近所の神さん連中も黙って見ていた訳ではない、守をしよう抱いていよう、洗濯を縫い物をと手伝いに来るが、彼はみんなそれを断わった。
「自分の子として育てるのだから自分のてしお[#「てしお」に傍点]にかけてやってみる」
こう云って出来るだけのことは自分でやった。そして夕方からは鶴之助をおぶん[#「おぶん」に傍点]に預けて、本当に夜鷹そばの稼ぎに出るのであった。
三河屋の小僧は当分のあいだ眼が籔睨《やぶにら》みになった。なにしろ、あれ以来ばったり先生が寄付かない、ぜんぜん表を素通りである。幸い、地震は揺らないようだが、なんとも気持がおちつかなくて、お客に物を売りながらも眼の隅では絶えず表を見ている。
いつ先生が入って来るか、いつ「桝で一升」と云われるかと片時も気が安まらないのである。
――炭屋河岸の丸源でも同じことだった。亭主の又平も小僧のなべ公も、常連の熊公八公竹造のてあいも、松村先生が鼬《いたち》の道でとんと気勢があがらない、ひょいとすると先生の話が出る。
「なんでも棄児を拾って育ててるそうだ、明け方ちかくその赤ん坊を負って、三十間堀の河岸で子守唄をうたってたそうだぜ」
「やり兼ねねえな、人情にゃあ矢も楯もねえ先生だから、いい人だからな」
「だがまさかこれっきりになるんじゃあねえだろう、あれだけ召上ったんだ、いつかは此処へいらっしゃるに違えねえ」
「先生の音頭取りでもういちどわっと飲みてえもんだ、楽しかったからなあ」
だが信兵衛は、三河屋へも丸源へも姿をみせなかった。鶴之助を背負って洗濯をし、抱き寝の子守り唄をうたい、夜は蕎麦を売りに歩いた。折笠道場は最もいいとくい[#「とくい」に傍点]で、余ったのを持ってゆけば必ず総じまいにして呉れる。ただ困るのは五郎左衛門が出て来て仕官をすすめることだった。
「どういう訳でそんなことをしておいでなさるのか、其許《そこもと》ほどの達人が夜そば売りとは余りに勿体ない、さる大藩より師範の推挙を頼まれているのだが、どうであろう仕官なさるお気はござらぬかな」
「折角ですがまあ止しましょう」信兵衛は或る時ふと冷笑しながら云った、「私も曾ては扶持を取ったことがある、扶持を取って刀法を教えたこともあるが、しょせん世の中は実力より阿諛《あゆ》追従、弁口|頓才《とんさい》が第一です、泰平の世に無用の剣をひねくる、そもそもこれが間違いのもとなんでしょう、裃《かみしも》袴《はかま》で人の機嫌をとるより、夜鷹そばを売る渡世がいっそ気楽ですよ」
「仰しゃることは凡そわかるが」と、折笠先生がいった、「蟹《かに》は蟹なり鰻の穴には棲《す》めぬと申します、半年一年の眼で見れば弁口頓才も勝ちましょうが、人間一生は五十年が勝負、それは些《いささ》かお考えが狭くはございませんかな」
「狭くも広くもこれが拙者の本音ですよ」
秋が来た。重助の腰がどうやら立つようになった。医者はここで四五十日も温泉《いでゆ》へ浸ったら申し分がないという。そこで信兵衛は久方ぶりに道場まわりをし十両あまりの金を作った。幸い隣り町の杵屋という質屋の隠居が、熱海へ湯治にゆくというのでそれに伴《つ》れを頼み、駕籠《かご》で送りだしたのが九月はじめのことであった。
――鶴之助は誕生を過ぎ、壁や障子につかまり立ちするようになった、むくむくとよく肥え、眼を糸のようにしてはよく笑う、口の達者な生れつきなんだろう、舌はまわらないが早くもお饒舌《しゃべ》りがはじまった。食事になると、自分につけられた物より信兵衛の皿のほうが欲しいらしい、まるい頬ぺたをいきませ、皿の物を指して「ぶう」と云う。「ばあ」と云うときもある。信兵衛は首を振る。「これはだめだ、おまえのはそっちにある、いいか、おまえにはまだ是れはいけない、これはだめぶう[#「だめぶう」に傍点]だ」などと云う。「詰りわかり易く云えばだ、な、鶴坊、おまえはまだ歯牙《しが》が少ない、要するに咀嚼《そしゃく》が充分でない、従って胃の腑《ふ》の消化も割とすればぞんざいだ、と云うことは喰べ物にもそれだけの」
「ぶう――」鶴之助は断乎として信兵衛の皿を指さす、「ぶう、ばあばあばあ、ぶうッ」
「うむ、それはまあおまえとしては、そうだろうが」信兵衛はすばやくあたりを見まわす、「しょうがない、それじゃあ一口だけやろう、だがおぶん[#「おぶん」に傍点]のおばちゃんには内証だぞ」
重助が湯治にいってから、おぶん[#「おぶん」に傍点]は身に暇が出来たので絶えずやって来る。女だから子供の扱いはうまいが、やかましいことも、一倍だ。あれはいけないこれをしては危ない、これは毒あれは腹をこわすと一日じゅう文句である。口惜しいのはむずかり泣きをしている時で、こっちがどんな事をしても黙らないのに、おぶん[#「おぶん」に傍点]が抱くとすぐに温和しくなる。妙なこともあるものだと思ってよく見ると、抱きあげるなり衿《えり》へ手を入れて乳房を握らせるのであった。どんなに虫を起こしている時でも、乳房へ手をやるとぴたりと黙る。これには信兵衛ひどく憤慨して、
「今からそういうもので誘惑しては将来が思い遣られる、やめて貰おう」と云った。
おぶん[#「おぶん」に傍点]は眼をまるくした。
「今からって先生、赤ん坊だからお乳でだますんじゃありませんか、これが誘惑なら世界じゅうの赤ちゃんはみんな誘惑されてる訳よ」
「うむ、――それはまあ仮にそうだとしてもさ」
「仮にじゃありません、先生だって、赤ちゃんの時はやっぱりお母さんのお乳をこう握って――」
「もういいわかった、眩《まぶ》しいからその胸をしまって呉れ」
信兵衛は言葉に詰って脇へ向いた。
……こうして更に月日が経っていった。
[#3字下げ]五、またたちかえるみな月の宵[#「五、またたちかえるみな月の宵」は中見出し]
夏が来た。路地の破れ垣に朝顔の花が、ちまたの霧に濡れてあざやかに咲く早朝、信兵衛が差配の家へとびこんでゆく。
「平七、平七」
けたたましい声に吃驚して朝飯の箸を持ったまま老人が出て来る。
「どうしました先生、泥棒ですか」
「慌てちゃあいけない、泥棒なんてそんな散文的なもんじゃあない、おまえあたちたたのたったのよう[#「あたちたたのたったのよう」に傍点]ってことを知ってるか」
「なんですって」平七は眼を剥《む》いた、「いったいそれはまたなんのこってす」
「よく聞け、あたちたたのたったのよう[#「あたちたたのたったのよう」に傍点]と云うんだ、わかるまい、はっはっは」信兵衛ひどく得意げである、「おれも初めはわからなかった、でたらめだろうと思った、ところがちゃんと訳があるんだ、わからなければ云ってやるがな、これはお父さん、はいたちましたのよという意味なんだ、どうだ、そうわかってみればちゃんと語呂と音が合ってるだろう」
「いったいそんな唖者《おし》の片言みてえなことを誰が云ったんです」
「誰がってばかだな、それは鶴之助に定っているさ」
「あの坊――」平七はまた眼を剥《む》いた、「で、それを云いにわざわざ来たんですね」
「誰より先に知らせようと思ってな、面白いだろう、いいから飯を食え、また来る」
二た誕生になる前で、子供は日毎に舌がまわりだす。信兵衛にとってその一つ一つが可愛く面白くて堪らない、寝るときにおぶん[#「おぶん」に傍点]が話すのだろう、お伽噺《とぎばなし》をちぐはぐに覚えていて見当もつかないようなことを饒舌っては頻り[#「頻り」に傍点]に笑わせるが、そのたびに迷惑をするのは差配の平七であった。三日にあげずとび込んで来て、
「平七、平七はいるか」と呶鳴る、「おまえ番太の処にいるむく[#「むく」に傍点]犬を知ってるだろう、あの灰色の毛の長い爺さん犬だ、あれをおまえなんと云って呼ぶか知ってるか」
「なんてったってあれはクマでしょう」
「それが素人だ、あれを鶴之助はこう呼ぶんだ」信兵衛はその口まねをする、「ぼーろぼろぼろ、ぼーろぼろぼろ、どうだ、はっはっは、いかにも襤褸《ぼろ》という感じじゃないか、いや実に勘のいいやつなんで驚くよ」
「ちっとも驚きゃあしません、ばかばかしい」
「じゃあまた来る」
そして半日も経つとまたとんで来て、
「平七、平七はいるか」
と呶鳴るという始末だ。老人うんざりして、
「婆さんおまえ出て呉れ、おらあ頭がくらくらする」
「おい平七はいないのか」
「へえいることはいますよ、なんです」
「や、どうもその、はっはっは、面白いのなんのと云って、はっはっは」独りで笑いだす、「いま鶴坊が眼をまるくしてとんで来た、お父さん向うの垣根に鬼がいるよと云うんだ、鬼だぞ、いってみるとなるほどいたよ、いたにはいたがむろん本当の鬼じゃない、なんだと思う平七」
「なんですかねえ」平七はそっぽを向く、「どうせ子供のこったから詰らねえものに吃驚してるんでしょう」
「まあいい知らなければ教えてやるがな、実は蝸牛《かたつむり》だ、朝顔の垣根に蝸牛が這《は》ってるんだ」
「そんなこったろうと思いましたよ、――で、どうしたんです」
「いやそれでどうしたという訳でもないがさ、詰りおぶん[#「おぶん」に傍点]から鬼の話でも聞いていたものなんだろう、鬼には角があるもんだと覚えていた訳だ、見ると蝸牛が角を出している、そこで鶴之助の頭にぴんときた、角があれば即ち、――いや止そう、どうもおかしい」
信兵衛は自分でむっとする。
「折角の話がおまえにすると少しも面白くなくなってしまう、やめた、一言にして云えば詰り蝸牛を鬼と云っただけのこった、ふん、もう来ないぞ」
「助かりますよ」
本当に来ないかと思うとどう致しまして、明くる日になるとけろりとした顔で、
「平七、平七はいないか」
と駆けつけるのであった。
「血肉を分けた親子でもあれほど可愛がりはしなかろう」
長屋の者はよくこう云い合った。
「病気でもされたら先生きちがいになるかも知れない」「それにしても男手でとうとうあれまで育てた、出来ないこったぜ」
七月はじめの或る夜。午後からの雨で商売は休みにし、日本橋槇町まで用達しにいって帰ると、家の表におぶん[#「おぶん」に傍点]が鶴之助を抱き、傘をさして立っていた。――泣くのをだましに出たようでもない。
「濡れるじゃないか、どうした」
こう云って近寄ると、おぶん[#「おぶん」に傍点]は蒼《あお》いひきつったような顔で家のほうへ振向いた。
「――お客さまが待ってます」
「お客さま?」信兵衛は傘をすぼめた、「また折笠道場の使いか」
「――沖石さんです」
信兵衛は訝《いぶか》しそうに眼を細めた。そして口の中で、「沖石」と呟《つぶや》いたが、とたんに恟《ぎょっ》っと色を変えた。
「あたし鶴坊を見せたくないから出ていたんです」おぶん[#「おぶん」に傍点]は硬い無表情な顔で云った、「うちへいってますから、話が済んだら呼んで下さい、お待ちしてます」
おぶん[#「おぶん」に傍点]が自分の家のほうへ去るのを見て、信兵衛は格子をあけ、上へあがった。――そこに沖石主殿が待っていた。紋付の帷子《かたびら》に袴をつけ、蝋色鞘《ろいろざや》の立派な刀を脇に置いている。僅か一年、見違えるように人品があがった。
信兵衛を見ると座を退り、そこへ手をついて慇懃に挨拶を述べ始める。信兵衛は坐るなり手を振って遮《さえぎ》った。
「いや挨拶はおきにしましょう、見れば出世をなすったようだが、本望を達せられた訳なんですね」
「苦労もしましたが幸運だったのでしょう、この春ふと亡父の旧友にめぐり会い、その伝手《つて》で松平出雲家へ召抱えられました、新参には破格の百五十石、書院番を勤めています」
「それはなによりめでたい、――で、ずっと江戸詰でいた訳ですね」
「住居もおちつかず御挨拶も延びておりましたが、このたび雲州松江へ転勤になり、四五日うちに出立をしなければならなくなりました、それで御礼を兼ねて御挨拶にあがったのですが、――実はお預け申した鶴之助も、一緒に松江へ伴れてまいりたいと思いまして」
信兵衛の頬が微《かす》かにひきつった。かっと頭へ血がのぼり怒りとも絶望ともつかぬ激しい怒りの感情がつきあげてくる。
――預けた子供、一緒に松江へ伴れてゆく。……これはそういう簡単なことだろうか。
「これまで御養育の御苦労には、言葉で礼は申上げられません、松村うじなればこそお怒りもなくお預かり下された、今日無事に我が子と会えるのもひとえに松村うじのお蔭です、お厚意にはとうてい酬いるすべとてもございませんが、ただ私の気持だけをお汲《く》み下すって、まことに些少《さしょう》でお恥ずかしいが――」
「いやいけない、それは引込めて貰おう」信兵衛の声は震えた、「これはそんなこととは話が違うんだ」
「お怒りでは恐縮のほかありません、微力な私としては他に御礼の法もございませんので、御不快でもありましょうがぜひお受けを願いたいと存じます、それでないといかにも心苦しくて」
「鶴之助は返します」信兵衛は頭を振りながら云った、「明日お返しするから、改めて来て下さい、但し謝礼など出してはいけない、決して、――わかったらどうか明日来て下さい」
激しい感情を制しきれない調子だった。相手にもそれがまざまざとわかる、それがなにを意味するかは気づかないが、主殿は気まずくなり、やがて、
「では明日お伺い申します」
と立っていった。――彼が出てゆくと入れ違いに、眠っている子を抱いておぶん[#「おぶん」に傍点]が入って来た。部屋の隅へ蒲団をのべて寝かし、ほろ蚊帳をひろげて、信兵衛の前へ坐るなり、
「あたし厭《いや》です」と云いだした。
眼はいっぱい涙を溜《た》めて、きらきらと妖しいほど光っていた。
「表ですっかり聞いていました、お返しになるって、鶴坊を、――厭です、先生だって御本心じゃあないでしょう、いまさら返すなんて、厭です、どんなことがあったってあたし厭です」
「わかってるよ、おぶん[#「おぶん」に傍点]、だが子供は親のものだ」
「あれが親ですか、母親に死なれたばかりの可哀そうな子を、自分が出世したいからといって馴染みも浅いこんな処へ棄ててゆく、お侍に出世したから取りに来たんでしょ、出世しなければどうするんです、一生ほったらかして自分は自分で暮すんじゃありませんか、そんな薄情な者が親といえますか」
おぶん[#「おぶん」に傍点]はきりきりと歯の音をさせた。
「――夜中に泣きだして泣きやまない、先生が馴れない手つきで抱いて、河岸のほうまでだましにいったのを、あたし知ってます、泣くな泣くな、おれが立派に育ててやる、仕合せにしてやるから泣くなって、……あたし聞いてました、自分の子供だから自分のてしお[#「てしお」に傍点]にかける、先生は御自分でおむつの洗濯までなすったじゃありませんか、これでも沖石さんのほうが親でしょうか、いいえ厭です、鶴坊を返すのは厭です、あたしだって抱いたり寝かしたりするんですから、どんなことがあったって返しゃしません、厭です先生、あたし厭です」
おぶん[#「おぶん」に傍点]はそこへ泣伏してしまった。信兵衛のつむっている眼尻から涙がつっと糸をひいた。やや暫く、おぶん[#「おぶん」に傍点]の泣くのを黙って聞いていたが、やがて彼は静かにこう云った。
「おまえの云うとおりだ、それも慥《たし》かには違いない、然しそれだけじゃあないんだよおぶん[#「おぶん」に傍点]、おれも去年あの男が鶴坊を棄てていったとき、なんという不人情な親だろうと肚を立てた、だが今夜あの男を見て考えたのは、もしあの男が子の愛にひかされ、この長屋に住みついたとすればどうだろう。――お定まりの内職をするか手伝いに出るか、今でもその日の生活に追われて齷齪《あくせく》しているに違いない、わかるか、あのとき思い切って子を棄てたからこそ、百五十石の歴《れっき》とした武士になれた、鶴之助は百五十石書院番の子だぞ、おぶん[#「おぶん」に傍点]、……夜鷹そば屋の伜《せがれ》のほうがいいと思うか」
信兵衛はそっと眼尻を拭った。
「――男はきめどころをきめなければいけない、小さい人情に溺《おぼ》れるのはやさしいが、きめどこをきめないと未練になる、鶴之助は返そう、鶴坊のゆくすえを思ったらそうするのが本当じゃないか、わかるだろうおぶん[#「おぶん」に傍点]」
「――先生」おぶん[#「おぶん」に傍点]は信兵衛の手を犇《ひし》と握り緊めた、「先生……」
堰《せき》を切るようなおぶん[#「おぶん」に傍点]の声で、鶴之助が眼をさましたらしく、寝返りをうってぐずぐず云い始めた。信兵衛とおぶん[#「おぶん」に傍点]が同時に立った、先にゆこうとするおぶん[#「おぶん」に傍点]の肩を、信兵衛は手で押えて、
「頼むよ」と云った、「夜の商売で偶にしか抱いて寝かせなかった、今夜はおれに寝かさせて呉れ――」
そしてほろ蚊帳の中へ上半身を入れ、横になって子供に手枕をさせた。
「どうした鶴坊、眼がさめたのか、よしよし、もう夜中だから温和しく寝なくちゃあいけない、お父さんがいま面白い話をしてやるからな」
おぶん[#「おぶん」に傍点]は坐って袂《たもと》で面を掩《おお》った。信兵衛は片手で子の背を叩きながら、馴れない口ぶりで話し始めた。
「むかし、むかし、なあ鶴坊、お爺さんとお婆さんがあったとさ、――お爺さんは山へ……」
そのときおぶん[#「おぶん」に傍点]は堪り兼ねたように、わっと声をあげて泣伏してしまった。
明くる朝まだ早く、おぶん[#「おぶん」に傍点]が来ると信兵衛はでかける支度をしていた。もちろん鶴之助は眠っている。
「こんなに早く、どこへいらっしゃるんですか」
咎《とが》めるようなおぶん[#「おぶん」に傍点]の眼から、信兵衛は寝不足の蒼ずんだ顔をすっとそむけた。
「沖石があとで来る、おれにはとても、――」彼はこう云った、「夕方になったら帰る、頼むよ、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん」
そして表へ出ていった。――おぶん[#「おぶん」に傍点]は後を追った、どういう積りもない、ただなにか大変な事でも起こりそうな気がしたから。……信兵衛は路地を出るとすぐ角の、三河屋の店先へいって立った。
「おい定公、桝で一升」
小僧の定吉は口をあいた。馬鹿にでもなったように眼をまるくし口をあいたまま、五合桝へ酒を注いで出した。――信兵衛はそれをひと息に呷《あお》った。一年ぶりの酒である。きゅうっとやって桝の隅を歯でこいた。
「――うめえ、ここへ置くぞ」
銭を置いて去ってゆく。定吉はまだ夢を見るような眼で、暫く松村先生の後ろ姿を眺めていたが、とつぜん身震いをし、天と地面を眺めながら、こう呟いた。
「――地震でもゆるんじゃあねえか」
その夜八時、おぶん[#「おぶん」に傍点]は夕飯のあと片付けをしてから、寝ているお祖父さんの枕許で、信兵衛の浴衣を縫っていた。
お祖父さんは六十日ばかりの湯治で痛みは治ったけれど、肝心の腰骨が悪くて、まだ寝たきりであった。鶴之助は主殿に伴れられて去り、信兵衛はまた飲みだした。なにもかもお終いである、しょせん仕合せにめぐまれない運命なのだろう、――思いだすと泣けそうになるので、頭を振ってはたどたどと針を運んでいた。すると路地を入って来た足音が、家の表で停って、「おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん」と信兵衛の声がした。
「――まだ起きているか」
おぶん[#「おぶん」に傍点]は膝《ひざ》の上の物を押しやって立った。酔って、赤い顔をして、信兵衛が立っている、やっぱり、――悲しい思いでどうぞと上へあげた。信兵衛は重助とおぶん[#「おぶん」に傍点]のまん中へ坐った。
「お祖父さん、今夜はお願いがあって来たんだ」彼はきちんと膝に手を置いた、「――私は夜鷹そばをやめる、この長屋もひき払う、そして、館林様の家来になってお扶持を貰う」
「先生――」重助は頭をあげた、「そ、それあ本当のことですか」
「剣法師範、食禄《しょくろく》は二百石だ、それに就いて、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃんを嫁に欲しい、もちろんお祖父さんも一緒だ、どうだろう」
重助はなにか云おうとした。然し舌がもつれて言葉にらず、低く呻きながら壁のほうへ向いてしまった。おぶん[#「おぶん」に傍点]は蒼くなり、両手を握り緊めたまま震えている。――信兵衛はおぶん[#「おぶん」に傍点]のほうへ振向いた。
「武士は武士で生きるのが本当だ、きめどこをきめよう、――沖石のことからおれはそう決心をし、折笠道場を訪ねて話をきめて来た、館林の家老にも会って来たよ」彼はこう云って微かに笑った。
「――嫁に来て呉れるな、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、そして鶴坊よりもっと可愛い、二人の子を……」
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「講談雑誌」
1948(昭和23)年7月号
初出:「講談雑誌」
1948(昭和23)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)河岸《がし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)屋|河岸《がし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#3字下げ]
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[#3字下げ]一、おちぶれて来る人の寄り場所[#「一、おちぶれて来る人の寄り場所」は中見出し]
松村信兵衛に会いたい人は京橋炭屋|河岸《がし》の丸源という居酒屋にゆけばいい。もし丸源にいなくっても、よそを捜すよりそこで待っているほうが早く会える。住居は木挽《こびき》町一丁目の十六店という裏長屋であるが、殆んど寝るときのほかはいた例《ためし》がない。――と、云えばおわかりであろう。彼はいつも酔っている。浪人だということは慥《たし》かだし、これといって稼《かせ》ぐ風もみえないが、年じゅう酒びたりのうえに相長屋で困っている者があるとよく面倒をみる。
年はまだ三十になるまい、眼にちょっと凄《すご》みはあるが笑うと人なつっこい愛嬌《あいきょう》が出て、子供たちにも、「松村のおじさん」と人気がある。いつも垢《あか》のつかない着物を着て、髭も月代《さかやき》もきれいに剃《そ》っているから、素面《しらふ》のときはなかなか凛《りん》とした人品だ。初めは、「さる御大身の息子」だとか、「実は大名の御|落胤《らくいん》だそうだ」などという噂《うわさ》まで立ったくらいである。
だが移って来て一年ほど経ち、そんな容子のないことがわかると、こんどはいったいあれだけ飲む金がどこから出るだろうという不審が起こった。と云っても、そのために悪く詮索《せんさく》するとか毛嫌いをするようなことはない。仮に疑わしい事実があったにしても見て見ないふりをし、いざとなれば庇《かば》ってやる気持にもなるのが、こういう貧しい人たちの人情である。
もちろん信兵衛のばあいは、そんな不審もすぐ消えてしまった。長屋うちで稼ぎ手に寝られるとか、仕事にあぶれて困る者などがあると、さりげなく米味噌を届けさせたり銭を持っていって遣ったりする。「どうせ持っていれば飲んじまうんだ、困るときは誰でもお互いさ」決して相手に遠慮やひけめを感じさせないさらっとした態度である。――こういう訳で、もうずっと以前から松村信兵衛は、長屋ぜんたいの「先生」と慕われていた。
彼の隣りに夜鷹《よたか》そば屋の重助という老人が、十八になる孫娘のおぶん[#「おぶん」に傍点]と二人で住んでいた。信兵衛が初めて移って来たときおぶん[#「おぶん」に傍点]はまだ十五だったが、お祖父さんに云われて彼の世話をするようになり、それ以来もう三年も煮炊きや洗濯の面倒をみている。まる顔でちょっと眼尻の下った温和《おとな》しそうな娘であるが、実は芯《しん》にきついところがあり、年に似合わない気丈な性質をもっていた。彼女は信兵衛のことを「うちの先生」と云う。ほかの者には長屋ぜんたいの先生なのだが、おぶん[#「おぶん」に傍点]がそう云う段には不服はないらしい。
「よくないわよおぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、偶《たま》には先生になんとかお云いなさいよ、幾らなんでもあんなに飲んでばかりいちゃあ毒じゃないの、いまにきっと躯《からだ》をこわすわよ」近所の神さんたちはこんなことを云うくらいである、「あんたの云うことならお聞きなさるんだから、少しは加減をするように云っておあげなさいよ」
「あたしもそう思うんだけれど、ほかの事ならともかくお酒だけはだめよ」おぶん[#「おぶん」に傍点]は哀《かな》しげな微笑をうかべる、「お好きもお好きなんだろうけれど、なにか酔わないじゃいられないようなことがあるらしいわ、醒《さ》めた時の寂しそうなお顔は堪《たま》らないわ、迷子になった五つ六つの子供のような眼つきをなさるの、とても飲むななんて云えないのよ」
女性のなかにはごく稀《まれ》に男の気持を敏感に悟る者がある。おぶん[#「おぶん」に傍点]の推察はかなり正しいようだ。酔い過ぎたときとか醒めているときなどに、信兵衛のもらす独り言は絶望的であり冷笑と侮蔑《ぶべつ》に汚れている。その眼つきや表情には現在の貧しい環境のほかの凡《あら》ゆるもの、特に権力や富や威厳などに対する否定と嘲弄《ちょうろう》の色が明らかであった。――居酒屋の丸源で彼が飲むときには、いちばん安い酒にいちばん安い肴《さかな》と定《きま》っている。心付は法外なくらい置くが、酒肴は必ずいちばん安いのを誂《あつら》える、常連の熊公八公らと近づきになってから盃《さかずき》をさすのに、「済まないが一杯つきあって呉《く》れ」と、下手《したで》に出るのが定りだ。
初めのうちは誰にもこの謙遜《けんそん》の意味がわからなかった。すると或る宵のことだったが、三十二三になるふり[#「ふり」に傍点]の客が一人まぎれ込んで来た。どこかの通い番頭というものらしい。髪を油で光らせて、やわらか物を着て、襦袢《じゅばん》の衿《えり》で首を絞めるような恰好で、雪駄《せった》の裏金をちゃらちゃらさせて、入って来るなりから店の中を眺めまわしたが、
「このうちでいちばん高いお酒を持っといで」と黄色いような声を出した。
それから壁に貼《は》った書出しや、そこにあるつけ板の品書きを見ていたが、
「このうちじゃあここに書いてある物っきり出来ないのかい、鯛の刺身とか蒲焼《かばやき》とか鱸《すずき》のあらい[#「あらい」に傍点]ぐらい無くっちゃ飲めないじゃあないか、酒の肴はきどりといって少しぐらい高価《たか》くってもきれいごとでないとうまくないよ」
「へえ相済みません」亭主の又平が温和しく頭を下げて、「なべ公お銚子《ちょうし》が上った」
つきだしに燗《かん》徳利をのせて盆を出すなべ公という十三になる小僧が運んで来て置くとたんに、
「このお酒は幾らだい」ときた。
なべ公が恐る恐る、「幾ら幾らです」と云う。
こっちは盃でちょいと舐《な》めてみて、軽侮に堪えないという顔をする。
「値段だけのもんだね、これがいちばん高価いのかい、もっと高価いお酒はないのかい」
なべ公は尊敬の余り水っ洟《ぱな》をすすった。
「ええ、これがお客さんいちばん高価いんです、お菜はなにを上りますか」
「なにをといったってこれじゃあ一つも喰べられるものはないじゃないか、親方にそう云ってお呉れ、神田川から鰻《うなぎ》でもとれないかって」
店の中はしん[#「しん」に傍点]となった。虎も熊公も竹造も八もいかれ[#「いかれ」に傍点]のかたちである、この手合はふだん鼻っぱしの強いことを云うくせに、金持とか厚顔《あつかま》しい人間の前へ出るとだらしもなくしぼんでしまう。――そうでもねえ、またどんな事で世話になるかも知れねえから。こう考える癖が身に付いている。自分ひとりでは生きられないということを知っているからであるが、彼等はこいつを逆手に取ってのさばるのが通例だ。……みんな肩をすぼめて、話し声もちょっと途絶えた。そのとき松村信兵衛が、
「おいそこの番頭さん」と呼びかけたのである、「おめえ店の銭箱から幾らくすねて来たか知らねえが、一世一代の積りなら座敷のある家へ這込《はいこ》んだらどうだ、ここは居酒屋といって地道に稼いだ人間が汗の匂いのする銭でうちわにつつましく飲む処だぜ、済みません場違いですがお仲間に入れて下さい、こういう気持で来るんならお互いさまよ、みんなの飲む酒みんなの喰べる肴で、御馳走さまと云って飲むがいい、なんだ、白痴《こけ》が火見櫓《ひのみ》へ登りゃあしめえし、高え高えが聞いて呆《あき》れらあ、気の毒だが勘定は払ってやるから出ていって呉れ、まごまごすると向う脛《ずね》を――」
その者は一議に及ばず退散した。亭主もなべ公も、熊も八も虎も喝采《かっさい》した。そして松村先生の謙遜の意味が初めてわかったのである。この店は地道に稼ぐ人間が汗の匂いのする銭でつつましく飲む処だ。場違いですがお仲間に入れて下さい。詰りそれである。従って、こういう処へ来てまで人をみくだしたり、金をひけらかしたりする人間には容赦をしないのであった。
朝十時に信兵衛は起きる。おぶん[#「おぶん」に傍点]の給仕をして呉れる味噌汁に飯一椀、武家育ちのきちんとした生活が癖になっているのだろう、どんなひどい宿酔《ふつかよい》でもこれだけは欠かしたことがない。
但し美味《うま》くはないとみえて喰べるのに時間がかかる。それがまたおぶん[#「おぶん」に傍点]にとっては彼と話の出来る唯いちどの機会であったが。
「佐平さんの跡へ昨日お侍の方が越しておいでになりましたわ」食後の茶を注《つ》ぎながらおぶん[#「おぶん」に傍点]が云った、「まだお若い方のようですけれど、お気の毒に奥さまに亡くなられて、乳呑み児を抱えていらっしゃいますわ」
「それあどうも――」信兵衛は辛そうに眉をしかめた、「なんという人だ」
「沖石|主殿《とのも》と仰しゃいました、御挨拶にみえましたから後でいらしって下さいまし」
「なにか持ってゆきたいが、なにがいいかな」
「赤ちゃんがいるんですから水飴《みずあめ》なんかがようございましょう、あたし買って来ますわ」
「そうして貰おう、おれが水飴を呉れなどと云ったら天気を怪しまれる」
おぶん[#「おぶん」に傍点]が表通りへいって水飴を買って来ると、信兵衛はそれを包んで、一軒おいて右隣りの新しい住人を訪ねた。――沖石主殿は二十五六だろう、辛労のために蒼白《あおじろ》く痩《や》せてみえるが、意志の強そうな眉つき唇《くち》もとで、言葉も態度もきりっとしていた。寝かしてある赤児が泣くのを気にしながら、「主家を浪人したうえ妻に死なれ、嬰児《えいじ》を抱えているので近所の厄介にならなければならない、宜しくお頼み申す」こう云って頭を下げた。
「及ばずながらお力になりましょう」信兵衛は励ますように云った、「こういう裏長屋はたいてい世間からこぼれ落ちた人間の集まりです、みんな不幸や不運の苦い味を知っていますから決して不人情なことはしません、困ることはみんなでお手伝いしますよ」
「どうぞ呉々《くれぐれ》も宜しくお願い申します」
主殿は垂れた頭をあげることが出来ない容子であった。――別れを告げて出ると信兵衛はその足で差配の平七老人を訪ねた。
「沖石という人の店賃《たなちん》はおれが払うからな、然し当人には決して知れないように頼むぞ」
「そう来るだろうと思ってましたよ」平七老人は中っ肚《ぱら》の態である、「いまだって五軒もの店賃を払ってお遣んなさるんですぜ、まあお好きなようになさいまし、そのうちに十六店ぜんぶの店賃を払えばお気が済むでしょう」
「どうしてそうすぐに肚を立てるんだ、いちど医者に診て貰うほうがいいな、肝臓に病気があると怒りっぽくなるそうだ、――頼むぞ」
平七がむきになってなにか云い返そうとした。然しこっちはさっさと路地を出てゆき、角の三河屋の店先へいって立った。これも三年このかた欠かしたことのない日課だ。小僧の定吉はまじめくさった顔で、どんなに大事なことかなんぞのようにこう叫ぶ。
「ええ先生に一升|枡《ます》で、願いますう」
[#3字下げ]二、相手を立てて、それからの沙汰[#「二、相手を立てて、それからの沙汰」は中見出し]
五合桝で冷を一杯。急ぎはしない悠《ゆっ》くりと飲んで三河屋を出た。
「さて今日はひと稼ぎか――」
こう呟《つぶや》いて歩きだした信兵衛、半刻《はんとき》ばかり後に、日本橋へとやって来た。もうすぐ親父橋という町筋の一角に、神伝流剣法指南、折笠五郎左衛門と掲げた新しい道場がある。新しいが繁昌しているとみえて、竹刀《しない》の音や矢声がびんびんと建物に反響して聞えた。
――信兵衛は玄関へいって案内を乞い、現われた門人に向って、
「ひと手御教授を」と、横柄に他流試合を申し込んだ。その文句が凄いのである。
「拙者はこれまで各地を遍歴し、念流一刀流|梶派《かじは》新蔭《しんかげ》、無念流鹿島神流あらゆる師範と試合を致し、いまだ曾《かつ》て敗北したことのない修業者でござる、折笠殿の御高名を聞き及び、ぜひともお手合せを願いたく参上つかまつった、取手呉兵衛と申す、宜しくお取次ぎのほどを」
文句も態度も明らかに道場荒しである。新しく開業して門人の手前もあるし、草鞋《わらじ》銭で帰すには名乗りが大き過ぎる。仕方がないから道場へ通した。もちろん稽古は中止で、五六十人いる門人はずらっと三隅に居並んだ。――折笠先生は四十そこそこだろう、眉太く口髭《くちひげ》濃く、躰躯《たいく》も堂々としてなかなか立派な人品である。
「道場の定めでござる、まず門人両三名とお立合い下さい」
「承知つかまつった、何人でもどうぞ」
手頃の木剣を借りて立つ。襷《たすき》も汗止もせず袴《はかま》の股立《ももだち》も取らない、ぬっと立ってさあいらっしゃいという恰好だ。和田なにがしとかいう門人が第一の相手に出た。これは稽古着で充分に支度をしている。勢《きお》った眼でじろりと見て、「宜しいか」と云う。信兵衛は頷《うなず》いて、黙ったまま木剣を地摺《じず》りに構えた。
相手は青眼にとった。信兵衛の構えは余りに人を馬鹿にしたように見える。怒りと若気でかっとなったものらしい、
「えい」
絶叫しながら真向から打ちを入れた。とたんにばしっという烈しい音がして、和田なにがしは遠く入口のほうまですっ飛んだ。……そして木剣は、――木剣はなんと床板に突刺さっていた。尖《さき》のほうが三寸余りも床板へ突刺さり、斜めになって立っているのである。
「お次の方に願いましょう」
信兵衛は持っている木剣を手で撫《な》でながら退屈そうに云った。
「どなたでもお早く――」
折笠先生は師範代に目くばせをした。太田それがしという三十二三の、よく肥えた敏捷《びんしょう》そうな躯つきでちょっと猪《いのしし》を思わせる精悍《せいかん》な感じの男だ。支度をして出て来ると、まず床に立っている木剣を抜き取り、それを捻って前へ進んだ。――信兵衛は相手が中段|籠手《こて》下りに構えたのを見て、こんどは一文字に位取りをした。胸の高さで木剣の籠手と切尖《きっさき》が水平になる。ごく不安定な型で、相手からは一撃で叩きおとせそうに見える。やや暫《しばら》く睨《にら》み合っていたが、信兵衛の木剣がゆらりと動いた。同時に師範代の肥えた精悍な躯が跳躍し、中段の木剣をそのまま、
「えい」
とつぶてのように突込んだ。どういう変化があったのかわからない、こんどもばしっばりッという音と共に、太田それがしはすっ飛んでいって羽目板へだっと躯をぶっつけ、でんぐり返しを打ってから「参った」と云った。……それはいいが木剣が見えない。さっきの例があるのでみんな四辺を見まわすが、どこにも師範代の木剣がみあたらないのであった。
「では失礼ながら」と、信兵衛は慇懃《いんぎん》に振向いて云った、「こんどは御師範にお願い致しましょう」
明らかに折笠先生は困惑していた。
いまの二勝負はそのあっけなさに依って技術の甚《はなは》だしい懸隔を示している。木剣の一を床板へ突立て、別の一を消滅させた。二人は羽目板と入口へとすっ飛んだが、これをどういう手でやったかまるっきり眼にもとまらない。
門人たちの驚愕《きょうがく》は当然として、道場の主たる折笠先生にも、自分がこの取手呉兵衛の敵でないことは歴然とわかる。どうしてこの危機を切抜けたらいいか。――折笠先生は支度をして出ながら、ひそかに自分の秘術の棚卸《たなおろ》しをし、せめて相打ちにするにはどの手でゆくかと戦法を練るのであった。
信兵衛は折笠先生の動作を見ていたが、なにを思ったか木剣を置いて手拭を出し汗止をした。刀の下緒で襷をかけ袴の股立をきりりと絞った。門人たちは顔を見合せた、――あんなに支度をするところをみると先生はやはり相当てごわい相手なんだな。こう思ったのである。
折笠先生は別の意味でギョッとした。こいつは徹底的にやる積りだなと推察した訳である。礼を交わして「いざ」と相対した。こんどは相青眼、信兵衛の構えは慎重を極めている。折笠先生は舌を巻いた。見ていて想像したよりは段違いに上を遣う。これはとうてい勝負にならないと感じた。信兵衛はもちろんそれを知っている。折笠の眼に恐怖の色の現われるのが見える。
もうよかろう、……彼は相手の呼吸をはかっていたが、やがて折笠先生の呼気のはな[#「はな」に傍点]、……詰り吸った息を吐こうとする刹那《せつな》に無声の鋭い気合を一つ呉れた。えい[#「えい」に傍点]ともやあ[#「やあ」に傍点]とも声には出さないが、全精気を凝集した真の気合というやつである。先生は吐こうとした息を止めてじりりと退る、打込むかと思って待つことしばし、詰めていた息を吐こうとする。
とたんにまた無声の気合をくらった。こんどこそと息を止める、信兵衛はつと半歩前へ出た。
――これを繰り返すのである。先生は呼吸が出来ない。吸った息を吐こうとする刹那刹那に真の気合で叩かれぐいっぐいっと圧迫される。胸郭は張裂けそうになり、頭から膏汗《あぶらあせ》がたらたらと流れ始めた。そのままもう少し続ければ気絶して倒れてしまうだろう。信兵衛はもうよしとみてとつぜん自分の木剣を投出し、
「まいった」
と叫んで後ろへとび退った。
折笠先生は支柱《ささえ》を外された朽木のようにひょろひょろと前へよろめき、危うく踏止まって今にも息の絶える人のようにはっはっと激しく喘《あえ》いだ。
「いや恐れ入りました」信兵衛は汗止を取り襷を外しながら云った、「拙者はこれまで八年あまりも諸国をめぐり、あらゆる流派の達人名手と試合を致したが、折笠先生ほどの名人に会ったは今日が初めて、失礼ながらまことに感服つかまつった」
「いやいや、それは、いや」先生は肩で息をしながら辛うじて苦笑した、「そんなその、さしたることは詰るところ」
「御謙遜では恐れ入る、今日はこれにて御免を蒙《こうむ》り、不日また改めて御教授を受けにまいりたい、まことに無礼を――」
今日は帰るがまた改めて来ると云う。とんでもない、折笠先生は吃驚《びっくり》してひき留めにかかった。そう何度もこんなめに遭わされて堪るものではない、
「まあとにかくお近づきに一献さしあげたいから」
と、手を取らんばかりに奥へ案内をした。酒肴で手|篤《あつ》くもてなしながら、紙に包んだ物をすばやく渡したが、先生にとってはそれだけの値打が充分にあったものらしい。
――信兵衛はごく自然に受取ると、二三杯かさねて座を立った。先生と高弟二人が玄関まで送りに出たが、道場の口のところで立停った。道場の中で門人たちがなにか騒いでいるのである。みんな天床を指さしてがやがや云っているから、太田師範代が「なにを騒いでいるか」と叱った。
「あれを御覧下さい」門人たちは口々にこう叫んだ、「御師範代の木剣があんな処に――」
云われて上を見ると驚いた。さっきどこかへけし飛んだ木剣がなんと天床板に突刺さっているのである、太田それがしも先生もあっ[#「あっ」に傍点]と云った。
信兵衛は黙って静かに外へ出ていった。
――貰った紙包を、ふところで調べてみると十両ある。
「先生よっぽど肝に銘じたな」
彼はこう思ってにっと笑った。さよう、これが松村信兵衛の稼業である。
彼は「運上を取る」と称して、必要ならいつでもこの手で稼ぐことが出来る。市中にも十四五カ所おとくい[#「おとくい」に傍点]先があって、顔出しをすれば一両や二両はどの道場でも黙って呉れる。
少し多く入用なときは新規の道場へいって、折笠先生にやったような辛辣《しんらつ》な手をもちいたうえ負けてやる。勝ってはいけない、ぎゅっというところへ追詰めて置いて負けてやる。与えてとる、詰りまず相手を立てて自分を立てるという訳だ。
中には眼のある師範がいて、
「これだけの手腕をもちながら市井に埋もれているというのは勿体ない、御推挙をするから仕官なさらぬか」
などと親切にすすめたり、また師範代に来て呉れと望まれることもたびたびであったが、彼は冷笑するだけで、相変らず、「運上をはたり」続けているのであった。
丸源で飲んで、珍しく宵のうちに帰り、五両だけ紙に包んで沖石主殿を訪ねた。――赤子が眠っていたので、乞われるままに上へあがると、主殿はぶきような手つきで茶を淹《い》れ、どうやら身の上話でも始めそうだった。信兵衛はこれが大嫌いである。
「いや人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります、どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません、現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう、まあ焦らずに悠くり構えるんですね、こんな暮しの中にもまた味のあるものですよ」
「そうです、このまま落魄《おちぶ》れはしません」主殿は意志の強そうな唇をひき緊めた、「浪人してみて、妻には死なれ男手に小さい者を抱えてみて、幾らか世間がわかったようです、どんなことをしても、必ずもういちど世の中へ出ます、必ず沖石の家名を立てます」
「その意気ですな」信兵衛は苦い顔をした、「然しまあ急がないことだ、世の中は逃げも隠れもしないもんです、――甚だ失礼だが私には不用なので少しばかり持って来ました、また入用なときはいつでも云って下さい」
信兵衛は包んだ物を置いて、相手に礼を云う隙も与えず辞去した。――家名を立てる。ふん[#「ふん」に傍点]と彼は鼻を鳴らす。世の中へ出る、このまま落魄れはしない。ふん、その意気ですな沖石うじ、まあ精々おやんなさい、どんな才があるか知らないが駆けずり廻って頭の千遍もさげて二十石か三十石の扶持《ふち》にありついたらさぞ本望でしょう。そこでまた妻を貰って子を殖やして、勤めに身をすり減らして、ああ……。
信兵衛は路地を出て、既に戸を下ろしかかっている三河屋の店先へ立った。
「おい定公、桝で一升だ」
[#3字下げ]三、不幸は友を伴れて来る故事[#「三、不幸は友を伴れて来る故事」は中見出し]
それから三日めの夜のことである。丸源の常連のひとりで、大工の竹造というのが女房を貰ったという。
「兄弟の盃をしたこちとらにも内証でこっそり引摺り込みあがった太え野郎で」
「それもおかめ[#「おかめ」に傍点]ならいいが何処《どこ》から盗んで来たかちょいと渋皮の剥《む》けた牝鶏なんで」
「だもんですから今夜はみんなでもり潰《つぶ》して役に立たねえようにしてやろうてえ訳です」
わいわい囃《はや》したてている。信兵衛も好い機嫌で、
「よかろう、軍用金はおれが引受けた」
「先生まであんなことを、冗談じゃありません」竹造は泣きそうな顔で、「そんなことされたら離縁もんでさ、なにしろ嫁さんと嫁さんのお袋が待ってるんですから」
「この野郎ぬけぬけと云やあがる、嫁さんたあなんだ嫁さんたあ」
「いいから丼《どんぶり》で飲ましちまえ」
丸源には珍しく陽気な騒ぎになった。竹造にも祝儀を包んでやり、ふらふらするほど酔って先に切上げる。外へ出るといい月夜で、天も地も青白い光りのなかに、灯を消した街の家並が墨絵のように浮いて見えた。――それこそ蹣跚《まんさん》と歩いて長屋へ帰ると、家には灯が明あかと点《つ》いて、
「お帰りなさいまし」とおぶん[#「おぶん」に傍点]が障子を明けた。
「どうしたんだ」
信兵衛は刀をとりながら不審げに眼をそばめた。
「こんな時刻に、――なにかあったのか」
「まあお上りなさいましね、お留守にちょっと困ったことが出来たんですよ」
上ると少しよろめいた。おぶん[#「おぶん」に傍点]は敷いてある夜具の側へいって「これ」と眼で知らせた。見ると赤ん坊がよく眠っている。信兵衛はそこへ坐っておぶん[#「おぶん」に傍点]を見た。娘は茶棚の上から封書を取って渡した。上に松村殿、裏を返すと沖石主殿とある。披《ひら》いてみると、
「よくよく考えてみたが乳呑み児を抱えてこのまま此処《ここ》にいては身を立てるすべがない、まことに不義理なしだいであるが思い切って児を棄ててゆく、世に出ることが出来たら迎えに来る積りであるから、甚だ勝手ながら、それまで預かって頂きたい、武士と武士、御厚意に縋《すが》ってお願い申上げる」
こういう意味のことが書いてあった。生後九カ月、名は鶴之助、信兵衛は読み終ると怒りがこみあげて来た。
「夕方あんまり赤ちゃんが泣くので、いってみるとこの置き手紙が枕許《まくらもと》にあって沖石さんはいないんです、差配ではすぐ番所へ届けろって云いましたけれどなんだか可哀そうだし、それに先生へ手紙があるもんですから、とにかくお帰りになってからと思って――」
「ひどいやつだ」信兵衛は怒りを抑えながら夜具の中を覗《のぞ》いた、「なんという人間だ」
赤児はよく眠っていた。まるまると頬の張った可愛い子である。母親に死なれてまだ間もないというのに、父親にまで棄てられてしまった。誕生にもならないうちに孤児《みなしご》、いったいゆくすえはどうなるのだろう。信兵衛の眼から涙がこぼれた。
「そんなに出世がしたいのか、母親に死なれたばかりの、こんな小さい子を棄ててまで自分の身が立てたいのか、子の親となってそんな無慈悲なことが出来るものだろうか」
「あたしとても所へなんて遣れないわ」おぶん[#「おぶん」に傍点]は指でそっと眼を押えた、「たとえ五日でも六日でも、抱いたりおむつを洗ったりしたんですもの、どんな苦労をしてもあたし育ててみますわ」
「おれが預けられたんだからおれが育てる、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん手伝って呉れるか」
「だって先生、男の手でそんな――」
「出来るとも、世間に例のないことじゃあない、やってみる、おれの手でこの子を立派に育ててみせる、手伝って呉れおぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、おれは今夜かぎり酒をやめるよ」
朝になると差配の平七老人がやって来た。すぐに番所に届けようと頑張る、信兵衛はてんで受付けなかった。老人かんかんに肚を立て、自分のことのように呶鳴《どな》りたてた。
「いまにひどいめに逢いますぜ、こんな薄情な親の子は薄情なもんに定ってまさ、ようござんすか先生、いまに貴方きっとひどいめに遭いますぜ、そのときどうなっても私あ知りませんぜ」
「いいから人別《にんべつ》を直しといて呉れ」信兵衛はこう云いながら草鞋を穿《は》いた、「名前は鶴之助だ、誰にも迷惑は掛けない」
さっさと路地を出ていった。三河屋の小僧がみつけて、
「ええ先生に――」
呶鳴ろうとすると、なんと信兵衛は素通りをしてゆく。定吉は吃驚して、
「先生、先生」
と呼んでみた。信兵衛は見向きもせず、然しごくっと喉《のど》を鳴らして、逃げるように向うへ去っていった。定吉は慌てて天と地面を眺め、ぶるっと身震いをした。
「――地震でもゆるんじゃあねえか」
松村信兵衛は酒をやめた。本当に子を育てる決心である、長屋うちに同じような赤児のある女房がいて、日に三度おぶん[#「おぶん」に傍点]が抱いて乳を貰いにゆく、もう九カ月だからあとは重湯と水飴で充分だ。困るのは夜中で、人の変ったのがわかるのだろう一刻あまりは泣いてやまない。近所に気の毒だから抱いて出て、三十間堀のほうまで歩いていったりする。
ぎこちない手つきで、「おおよしよし」などとあやしなから、母親の温たかいふところを恋しがっているのだろうと思い、哀れさに胸がきりきりと痛むのを覚えた。
「泣くな泣くな、おれが誰よりもいい父になって、きっと仕合せに育ててやるからな、よしよし泣くな泣くな――」
こうして五日ばかり経った。
おぶん[#「おぶん」に傍点]も彼も少しずつ馴れ始めたとき、又もや不幸な出来事が起こったのである。――霧のようなこぬか雨が舞っているなかを、おぶん[#「おぶん」に傍点]の祖父の重助は夜鷹そばの屋台車を押して稼ぎに出ていったが、夜の十時頃になって人に背負われて帰って来た。おぶん[#「おぶん」に傍点]の悲鳴を聞いて信兵衛もとんでいった。老人は腰の骨を折っているらしい、すぐに医者を呼んで来て診せると、折れてはいないが腰骨をひどく打ったのと、右の太腿《ふともも》の骨に罅《ひび》が入っているという。
「年が年だからな」医者は首を捻《ひね》った、「うまく治っても立つようになれるかどうか」
医者が帰り長屋の者たちが帰ってから、重助は口惜し涙をこぼし訳を語った。
――京橋の中通りを例のように日本橋までいったが、こぬか雨のために客が少なく、いつもの三分の一も商売がなかった。それから江戸橋までゆき戻って来たところに大きな剣術道場がある。もう稽古終いなのだろう、疎《まば》らな竹刀の音と賑やかな話し声が聞えた。そこで呼び声をあげてみると、すぐに武者窓から門人が覗いて、
「爺い幾つ残っているか」
と訊《き》いた。まだこれこれ有りますと答えると、
「よし総じまいにしてやる」
と三人ばかり出て来た。それが二つ三つ宛《ずつ》食うところへ、あとから来たのが加わり、それが済まないうちに割込む者や入れ代る者などでごたごたした。総じまいだというから安心していたら、最後に残った一人が三つ食って十文投げだし「つりはいらぬ」と云ってゆこうとした。
「細かい稼ぎの年寄りをからかうのは罪ですよ、どうか払ってやってお呉んなさい、――こっちはまだ冗談だと思ってそう云いました、するとそれからが雑言で、黙ってれあよかったんですがあんまり腹が立つからふた言み言云ってやりました」
傷が痛むのだろう、老人は歯をくいしばりながら息をついだ。
「むろん理屈もなにもあったもんじゃあない、四人ばかり引返して来たのと一緒に、屋台車を押倒す、丼を破る、止めようとしたあっしは引倒されて、踏んだり蹴ったりという始末です、……背負って来て呉れたのは通りがかりの人だが、あの人に起こされるまで気を失っていました、あっしも五十八になるまでずいぶん苦しいめ悲しいめに遭って来たが、今夜くらい口惜しいことに遭ったのは初めてです――」
「そんな無法なことがそのままで済む道理はないよ、爺さん」信兵衛は力をつけるようにそう云った、「きっと挨拶をさせてやる、そいつ等になにをしたらいいか、教えてやるよ、気を立てるのは傷に悪い、とにかくおちついて悠くり寝ることだ」
信兵衛は忿怒《ふんぬ》にかられた。
沖石主殿の身勝手なやり方、その日稼ぎの無力な老人に対するこの非道、二つが重なって抑えようのない怒りに全身が震えた。――明くる日の夕方、彼は重助の仕事着を借り、頬冠りをして、すっかり夜鷹そば屋の姿になり、貸し屋台に材料を仕込んだうえ、日の昏《く》れるのを待って長屋を出た。
「先生だいじょうぶですか、危ないことなさらないでね――」おぶん[#「おぶん」に傍点]が鶴之助を抱いて白魚橋まで送って来た、「先生がけがでもなすったら長屋じゅうの人に恨まれるし、なにより鶴坊が可哀そうですからね」
「そいつは自分がいちばんよく知ってるよ、それよりおれの心配なのはうまくこの商売が出来るかどうかということさ」信兵衛はこう云って笑った、「これからずっと夜鷹そばをやってゆく積りだからな」
「まあ、あんなことを」
「本当さ、地道に稼いだ銭で鶴坊を育てるんだ、お祖父さんの分まで稼ぐからな、見ていればわかるよ」
笑いながら彼は屋台車を押してでかけていった。
重助の話で察したとおり、いってみるとそれは折笠五郎左衛門の道場であった。早くてはいけない、親父橋から日本橋への河岸をながして時刻の来るのを待った。客がぼつぼつある、馴れないから湯通しが早かったり汁が少なかったりした。「ええまいど有難う」という言葉さえなかなか軽くは出ない。客にもすぐわかるとみえて「おめえまだ素人だな」などと云われた。
――やがて九時少し過ぎた。もうよかろうと屋台を押してゆき、折笠道場の外へいって停めた。一つ二つ竹刀の音が残るばかり、がやがやと人声が高く聞える。自分でも下手《へた》だと思う声で「そばあい」と叫んだ。三度ばかり叫ぶと武者窓から、「おい、そば屋」と呼ばれた。
「そばは幾つ残ってる」
「へえ、三十ばかりでございます」
「よし総じまいにしてやるから待ってろ」
こう云ったと思うと、間もなく四人ばかり稽古着のままとびだして来た。信兵衛は頬冠りを深くし、顔を見られないように気をつけながら、四人の丼のそばを盛り、上から唐辛子を思いっきり振掛けた。
「へえお待遠さま」
「腹の虫がクウと云うぞ、こっちへ呉れ」
四人は手に手に丼を持った。
[#3字下げ]四、蕎麦は夜泣きの子も育つなり[#「四、蕎麦は夜泣きの子も育つなり」は中見出し]
腹が減ってるんだろう、一人がまずつっと啜《すす》り込んだが、とたんにぷっと噎《む》せた、それも尋常の噎せ方ではない、なにしろ熱いそばの上へ唐辛子をぶちまけたのだから、啜り込むなりこいつが口中にかあっ[#「かあっ」に傍点]とひろがった。
「あっぷっ」という悲鳴が次々に四人、噎せこんで洟《はな》と涎《よだれ》を垂らしながらごぼんごほんと咳入った。苦しいのなんの、顔をまっ赤にし喉を掴《つか》んで大騒ぎをやったが、
「こ、この爺い」
と、一人が丼を地面に叩きつけた。
「こんな物を食わせやあがってなんの遺恨があるんだ、おれの喉を焼きあがって」彼は咳入りながらこう呶鳴った、「太え爺いだ、足腰の立たぬようにぶちのめして呉れるぞ」
屋台へ手を掛けて押倒そうとする、それより早く、信兵衛の持っていた尺箸がその男の眉間《みけん》を突いた。あっと云って仰《のけ》ざまに倒れる、残った三人が、
「や、この爺い」
とび退って、
「おいみんな出て来い、須藤がやられた」
道場のほうへ叫ぶと、竹刀を持った連中が十四五人、ばらばらとびだして来て取囲んだ。
「これはとんだことになりましたな」
信兵衛は腰をかがめながら屋台の前へ出て来た。
「お詫《わ》びを云いたいが人数が多すぎる、ひと束にして挨拶するから遠慮なく出ておいでなさい」
「爺いその口を忘れるな」
喚きざま一人が竹刀をふるって打ちかかった。
十四五人の影がどっと崩れたつ、信兵衛の姿は眼にもとまらない、いつ奪い取ったか竹刀を手に、四方八面出没自在に跳躍する、ひゅっ、ぴしっと凄《すさ》まじい音につれ、悲鳴をあげながら転倒しはね飛ばされた、三人、五人、七人。中には同志打ちをする奴もあり、忽《たちま》ち総崩れになってばらばらと道場へ逃げ込んでゆく。
それを後ろから追い詰めて、更に二人、三人とうち倒し、道場の中まで逃げのびたのは僅かに二人だけであった。
逃げのびてほっとする間もない、信兵衛がそこへ踏込んで来たから、二人は、
「誰か来て呉れ」
情けない声をあげ、刀を取ってひき抜いた。――そこへ奥から二人、例の太田師範代と折笠先生がとびだして来た。
「騒ぞうしい、なに事だ」
「こ、この爺いが」と、門人の一人が抜いた刀でさし示しながら、「表でむやみにみんな表で、乱暴|狼藉《ろうぜき》で、めちゃくちゃです」
「はっきり云え、なんの事だ」
「云ってやろう」信兵衛が叫んだ、「ゆうべ老人がこの表へ夜鷹そばを売りに来たところ、門人どもが只食いをしたうえに、屋台車をうち毀《こわ》し老人の足腰を踏み折った、そばの一つ二つ只食いをするなら若い者のいたずらだ、商売道具をうち毀し、無力の老人を片輪にするとなればいたずらでは済まされぬ、折笠先生、貴方の剣法はかかる非道をお教えなさるか」
こう叫びながら信兵衛は初めて頬冠りをとった。――夢にも忘れることのできない顔だ。先生も太田それがしも、残った二人の門人もあっと色を失った。
「ああこれは」折笠先生はとび下りて来た、「これは取手うじ、まずお待ち下さい、まず、只今のお話は拙者も今朝はじめて聞きました、それで心痛しておったところなのです、事情をよく伺いましょう、ともかくまず奥へお通り下さい」
「いや今宵はこれで帰りましょう」
信兵衛は持っていた竹刀を投げだした。
「表に門人衆がだいぶ寝ておいでなさる、早くいって水でもぶちかけておやりなさい、明朝また改めてお話にまいる、騒がせて悪うございましたな」
明くる朝、信兵衛は折笠道場をたずねた。
そしてその午後、十五人の門人たちが見舞いの金品を持って長屋を訪れ、代る代る重助老人の枕許《まくらもと》へいっては謝罪した。
これはなんとも珍しい風景である。長屋の連中は大よろこびで、げらげら笑いながら面白そうに見物していた。貧しい者ほど情に脆《もろ》いものはない。泣いて口惜しがった老人が、二三人に平伏されるともう気の毒になり、終いには恐縮したり衒《て》れたり、自分のほうで恥ずかしくなるような始末だった――。
「これでさっぱりと水に流そう」信兵衛は門人たちを送り出しながらいった、「明日の晩から老人に代っておれが蕎麦《そば》を売りにゆく、折笠道場をあてにしてゆくからな、こんどは銭を払って総じまいを頼むぞ」
門人たちは河童《かっぱ》が飴玉を貰ったような妙な顔をして帰っていった。――接骨医と内科の医者が二人、一日おきに通って来るが、重助は寝たきりだからおぶん[#「おぶん」に傍点]の手の離れることがない。信兵衛はしぜん独りで鶴之助をみなければならなかった。むろん近所の神さん連中も黙って見ていた訳ではない、守をしよう抱いていよう、洗濯を縫い物をと手伝いに来るが、彼はみんなそれを断わった。
「自分の子として育てるのだから自分のてしお[#「てしお」に傍点]にかけてやってみる」
こう云って出来るだけのことは自分でやった。そして夕方からは鶴之助をおぶん[#「おぶん」に傍点]に預けて、本当に夜鷹そばの稼ぎに出るのであった。
三河屋の小僧は当分のあいだ眼が籔睨《やぶにら》みになった。なにしろ、あれ以来ばったり先生が寄付かない、ぜんぜん表を素通りである。幸い、地震は揺らないようだが、なんとも気持がおちつかなくて、お客に物を売りながらも眼の隅では絶えず表を見ている。
いつ先生が入って来るか、いつ「桝で一升」と云われるかと片時も気が安まらないのである。
――炭屋河岸の丸源でも同じことだった。亭主の又平も小僧のなべ公も、常連の熊公八公竹造のてあいも、松村先生が鼬《いたち》の道でとんと気勢があがらない、ひょいとすると先生の話が出る。
「なんでも棄児を拾って育ててるそうだ、明け方ちかくその赤ん坊を負って、三十間堀の河岸で子守唄をうたってたそうだぜ」
「やり兼ねねえな、人情にゃあ矢も楯もねえ先生だから、いい人だからな」
「だがまさかこれっきりになるんじゃあねえだろう、あれだけ召上ったんだ、いつかは此処へいらっしゃるに違えねえ」
「先生の音頭取りでもういちどわっと飲みてえもんだ、楽しかったからなあ」
だが信兵衛は、三河屋へも丸源へも姿をみせなかった。鶴之助を背負って洗濯をし、抱き寝の子守り唄をうたい、夜は蕎麦を売りに歩いた。折笠道場は最もいいとくい[#「とくい」に傍点]で、余ったのを持ってゆけば必ず総じまいにして呉れる。ただ困るのは五郎左衛門が出て来て仕官をすすめることだった。
「どういう訳でそんなことをしておいでなさるのか、其許《そこもと》ほどの達人が夜そば売りとは余りに勿体ない、さる大藩より師範の推挙を頼まれているのだが、どうであろう仕官なさるお気はござらぬかな」
「折角ですがまあ止しましょう」信兵衛は或る時ふと冷笑しながら云った、「私も曾ては扶持を取ったことがある、扶持を取って刀法を教えたこともあるが、しょせん世の中は実力より阿諛《あゆ》追従、弁口|頓才《とんさい》が第一です、泰平の世に無用の剣をひねくる、そもそもこれが間違いのもとなんでしょう、裃《かみしも》袴《はかま》で人の機嫌をとるより、夜鷹そばを売る渡世がいっそ気楽ですよ」
「仰しゃることは凡そわかるが」と、折笠先生がいった、「蟹《かに》は蟹なり鰻の穴には棲《す》めぬと申します、半年一年の眼で見れば弁口頓才も勝ちましょうが、人間一生は五十年が勝負、それは些《いささ》かお考えが狭くはございませんかな」
「狭くも広くもこれが拙者の本音ですよ」
秋が来た。重助の腰がどうやら立つようになった。医者はここで四五十日も温泉《いでゆ》へ浸ったら申し分がないという。そこで信兵衛は久方ぶりに道場まわりをし十両あまりの金を作った。幸い隣り町の杵屋という質屋の隠居が、熱海へ湯治にゆくというのでそれに伴《つ》れを頼み、駕籠《かご》で送りだしたのが九月はじめのことであった。
――鶴之助は誕生を過ぎ、壁や障子につかまり立ちするようになった、むくむくとよく肥え、眼を糸のようにしてはよく笑う、口の達者な生れつきなんだろう、舌はまわらないが早くもお饒舌《しゃべ》りがはじまった。食事になると、自分につけられた物より信兵衛の皿のほうが欲しいらしい、まるい頬ぺたをいきませ、皿の物を指して「ぶう」と云う。「ばあ」と云うときもある。信兵衛は首を振る。「これはだめだ、おまえのはそっちにある、いいか、おまえにはまだ是れはいけない、これはだめぶう[#「だめぶう」に傍点]だ」などと云う。「詰りわかり易く云えばだ、な、鶴坊、おまえはまだ歯牙《しが》が少ない、要するに咀嚼《そしゃく》が充分でない、従って胃の腑《ふ》の消化も割とすればぞんざいだ、と云うことは喰べ物にもそれだけの」
「ぶう――」鶴之助は断乎として信兵衛の皿を指さす、「ぶう、ばあばあばあ、ぶうッ」
「うむ、それはまあおまえとしては、そうだろうが」信兵衛はすばやくあたりを見まわす、「しょうがない、それじゃあ一口だけやろう、だがおぶん[#「おぶん」に傍点]のおばちゃんには内証だぞ」
重助が湯治にいってから、おぶん[#「おぶん」に傍点]は身に暇が出来たので絶えずやって来る。女だから子供の扱いはうまいが、やかましいことも、一倍だ。あれはいけないこれをしては危ない、これは毒あれは腹をこわすと一日じゅう文句である。口惜しいのはむずかり泣きをしている時で、こっちがどんな事をしても黙らないのに、おぶん[#「おぶん」に傍点]が抱くとすぐに温和しくなる。妙なこともあるものだと思ってよく見ると、抱きあげるなり衿《えり》へ手を入れて乳房を握らせるのであった。どんなに虫を起こしている時でも、乳房へ手をやるとぴたりと黙る。これには信兵衛ひどく憤慨して、
「今からそういうもので誘惑しては将来が思い遣られる、やめて貰おう」と云った。
おぶん[#「おぶん」に傍点]は眼をまるくした。
「今からって先生、赤ん坊だからお乳でだますんじゃありませんか、これが誘惑なら世界じゅうの赤ちゃんはみんな誘惑されてる訳よ」
「うむ、――それはまあ仮にそうだとしてもさ」
「仮にじゃありません、先生だって、赤ちゃんの時はやっぱりお母さんのお乳をこう握って――」
「もういいわかった、眩《まぶ》しいからその胸をしまって呉れ」
信兵衛は言葉に詰って脇へ向いた。
……こうして更に月日が経っていった。
[#3字下げ]五、またたちかえるみな月の宵[#「五、またたちかえるみな月の宵」は中見出し]
夏が来た。路地の破れ垣に朝顔の花が、ちまたの霧に濡れてあざやかに咲く早朝、信兵衛が差配の家へとびこんでゆく。
「平七、平七」
けたたましい声に吃驚して朝飯の箸を持ったまま老人が出て来る。
「どうしました先生、泥棒ですか」
「慌てちゃあいけない、泥棒なんてそんな散文的なもんじゃあない、おまえあたちたたのたったのよう[#「あたちたたのたったのよう」に傍点]ってことを知ってるか」
「なんですって」平七は眼を剥《む》いた、「いったいそれはまたなんのこってす」
「よく聞け、あたちたたのたったのよう[#「あたちたたのたったのよう」に傍点]と云うんだ、わかるまい、はっはっは」信兵衛ひどく得意げである、「おれも初めはわからなかった、でたらめだろうと思った、ところがちゃんと訳があるんだ、わからなければ云ってやるがな、これはお父さん、はいたちましたのよという意味なんだ、どうだ、そうわかってみればちゃんと語呂と音が合ってるだろう」
「いったいそんな唖者《おし》の片言みてえなことを誰が云ったんです」
「誰がってばかだな、それは鶴之助に定っているさ」
「あの坊――」平七はまた眼を剥《む》いた、「で、それを云いにわざわざ来たんですね」
「誰より先に知らせようと思ってな、面白いだろう、いいから飯を食え、また来る」
二た誕生になる前で、子供は日毎に舌がまわりだす。信兵衛にとってその一つ一つが可愛く面白くて堪らない、寝るときにおぶん[#「おぶん」に傍点]が話すのだろう、お伽噺《とぎばなし》をちぐはぐに覚えていて見当もつかないようなことを饒舌っては頻り[#「頻り」に傍点]に笑わせるが、そのたびに迷惑をするのは差配の平七であった。三日にあげずとび込んで来て、
「平七、平七はいるか」と呶鳴る、「おまえ番太の処にいるむく[#「むく」に傍点]犬を知ってるだろう、あの灰色の毛の長い爺さん犬だ、あれをおまえなんと云って呼ぶか知ってるか」
「なんてったってあれはクマでしょう」
「それが素人だ、あれを鶴之助はこう呼ぶんだ」信兵衛はその口まねをする、「ぼーろぼろぼろ、ぼーろぼろぼろ、どうだ、はっはっは、いかにも襤褸《ぼろ》という感じじゃないか、いや実に勘のいいやつなんで驚くよ」
「ちっとも驚きゃあしません、ばかばかしい」
「じゃあまた来る」
そして半日も経つとまたとんで来て、
「平七、平七はいるか」
と呶鳴るという始末だ。老人うんざりして、
「婆さんおまえ出て呉れ、おらあ頭がくらくらする」
「おい平七はいないのか」
「へえいることはいますよ、なんです」
「や、どうもその、はっはっは、面白いのなんのと云って、はっはっは」独りで笑いだす、「いま鶴坊が眼をまるくしてとんで来た、お父さん向うの垣根に鬼がいるよと云うんだ、鬼だぞ、いってみるとなるほどいたよ、いたにはいたがむろん本当の鬼じゃない、なんだと思う平七」
「なんですかねえ」平七はそっぽを向く、「どうせ子供のこったから詰らねえものに吃驚してるんでしょう」
「まあいい知らなければ教えてやるがな、実は蝸牛《かたつむり》だ、朝顔の垣根に蝸牛が這《は》ってるんだ」
「そんなこったろうと思いましたよ、――で、どうしたんです」
「いやそれでどうしたという訳でもないがさ、詰りおぶん[#「おぶん」に傍点]から鬼の話でも聞いていたものなんだろう、鬼には角があるもんだと覚えていた訳だ、見ると蝸牛が角を出している、そこで鶴之助の頭にぴんときた、角があれば即ち、――いや止そう、どうもおかしい」
信兵衛は自分でむっとする。
「折角の話がおまえにすると少しも面白くなくなってしまう、やめた、一言にして云えば詰り蝸牛を鬼と云っただけのこった、ふん、もう来ないぞ」
「助かりますよ」
本当に来ないかと思うとどう致しまして、明くる日になるとけろりとした顔で、
「平七、平七はいないか」
と駆けつけるのであった。
「血肉を分けた親子でもあれほど可愛がりはしなかろう」
長屋の者はよくこう云い合った。
「病気でもされたら先生きちがいになるかも知れない」「それにしても男手でとうとうあれまで育てた、出来ないこったぜ」
七月はじめの或る夜。午後からの雨で商売は休みにし、日本橋槇町まで用達しにいって帰ると、家の表におぶん[#「おぶん」に傍点]が鶴之助を抱き、傘をさして立っていた。――泣くのをだましに出たようでもない。
「濡れるじゃないか、どうした」
こう云って近寄ると、おぶん[#「おぶん」に傍点]は蒼《あお》いひきつったような顔で家のほうへ振向いた。
「――お客さまが待ってます」
「お客さま?」信兵衛は傘をすぼめた、「また折笠道場の使いか」
「――沖石さんです」
信兵衛は訝《いぶか》しそうに眼を細めた。そして口の中で、「沖石」と呟《つぶや》いたが、とたんに恟《ぎょっ》っと色を変えた。
「あたし鶴坊を見せたくないから出ていたんです」おぶん[#「おぶん」に傍点]は硬い無表情な顔で云った、「うちへいってますから、話が済んだら呼んで下さい、お待ちしてます」
おぶん[#「おぶん」に傍点]が自分の家のほうへ去るのを見て、信兵衛は格子をあけ、上へあがった。――そこに沖石主殿が待っていた。紋付の帷子《かたびら》に袴をつけ、蝋色鞘《ろいろざや》の立派な刀を脇に置いている。僅か一年、見違えるように人品があがった。
信兵衛を見ると座を退り、そこへ手をついて慇懃に挨拶を述べ始める。信兵衛は坐るなり手を振って遮《さえぎ》った。
「いや挨拶はおきにしましょう、見れば出世をなすったようだが、本望を達せられた訳なんですね」
「苦労もしましたが幸運だったのでしょう、この春ふと亡父の旧友にめぐり会い、その伝手《つて》で松平出雲家へ召抱えられました、新参には破格の百五十石、書院番を勤めています」
「それはなによりめでたい、――で、ずっと江戸詰でいた訳ですね」
「住居もおちつかず御挨拶も延びておりましたが、このたび雲州松江へ転勤になり、四五日うちに出立をしなければならなくなりました、それで御礼を兼ねて御挨拶にあがったのですが、――実はお預け申した鶴之助も、一緒に松江へ伴れてまいりたいと思いまして」
信兵衛の頬が微《かす》かにひきつった。かっと頭へ血がのぼり怒りとも絶望ともつかぬ激しい怒りの感情がつきあげてくる。
――預けた子供、一緒に松江へ伴れてゆく。……これはそういう簡単なことだろうか。
「これまで御養育の御苦労には、言葉で礼は申上げられません、松村うじなればこそお怒りもなくお預かり下された、今日無事に我が子と会えるのもひとえに松村うじのお蔭です、お厚意にはとうてい酬いるすべとてもございませんが、ただ私の気持だけをお汲《く》み下すって、まことに些少《さしょう》でお恥ずかしいが――」
「いやいけない、それは引込めて貰おう」信兵衛の声は震えた、「これはそんなこととは話が違うんだ」
「お怒りでは恐縮のほかありません、微力な私としては他に御礼の法もございませんので、御不快でもありましょうがぜひお受けを願いたいと存じます、それでないといかにも心苦しくて」
「鶴之助は返します」信兵衛は頭を振りながら云った、「明日お返しするから、改めて来て下さい、但し謝礼など出してはいけない、決して、――わかったらどうか明日来て下さい」
激しい感情を制しきれない調子だった。相手にもそれがまざまざとわかる、それがなにを意味するかは気づかないが、主殿は気まずくなり、やがて、
「では明日お伺い申します」
と立っていった。――彼が出てゆくと入れ違いに、眠っている子を抱いておぶん[#「おぶん」に傍点]が入って来た。部屋の隅へ蒲団をのべて寝かし、ほろ蚊帳をひろげて、信兵衛の前へ坐るなり、
「あたし厭《いや》です」と云いだした。
眼はいっぱい涙を溜《た》めて、きらきらと妖しいほど光っていた。
「表ですっかり聞いていました、お返しになるって、鶴坊を、――厭です、先生だって御本心じゃあないでしょう、いまさら返すなんて、厭です、どんなことがあったってあたし厭です」
「わかってるよ、おぶん[#「おぶん」に傍点]、だが子供は親のものだ」
「あれが親ですか、母親に死なれたばかりの可哀そうな子を、自分が出世したいからといって馴染みも浅いこんな処へ棄ててゆく、お侍に出世したから取りに来たんでしょ、出世しなければどうするんです、一生ほったらかして自分は自分で暮すんじゃありませんか、そんな薄情な者が親といえますか」
おぶん[#「おぶん」に傍点]はきりきりと歯の音をさせた。
「――夜中に泣きだして泣きやまない、先生が馴れない手つきで抱いて、河岸のほうまでだましにいったのを、あたし知ってます、泣くな泣くな、おれが立派に育ててやる、仕合せにしてやるから泣くなって、……あたし聞いてました、自分の子供だから自分のてしお[#「てしお」に傍点]にかける、先生は御自分でおむつの洗濯までなすったじゃありませんか、これでも沖石さんのほうが親でしょうか、いいえ厭です、鶴坊を返すのは厭です、あたしだって抱いたり寝かしたりするんですから、どんなことがあったって返しゃしません、厭です先生、あたし厭です」
おぶん[#「おぶん」に傍点]はそこへ泣伏してしまった。信兵衛のつむっている眼尻から涙がつっと糸をひいた。やや暫く、おぶん[#「おぶん」に傍点]の泣くのを黙って聞いていたが、やがて彼は静かにこう云った。
「おまえの云うとおりだ、それも慥《たし》かには違いない、然しそれだけじゃあないんだよおぶん[#「おぶん」に傍点]、おれも去年あの男が鶴坊を棄てていったとき、なんという不人情な親だろうと肚を立てた、だが今夜あの男を見て考えたのは、もしあの男が子の愛にひかされ、この長屋に住みついたとすればどうだろう。――お定まりの内職をするか手伝いに出るか、今でもその日の生活に追われて齷齪《あくせく》しているに違いない、わかるか、あのとき思い切って子を棄てたからこそ、百五十石の歴《れっき》とした武士になれた、鶴之助は百五十石書院番の子だぞ、おぶん[#「おぶん」に傍点]、……夜鷹そば屋の伜《せがれ》のほうがいいと思うか」
信兵衛はそっと眼尻を拭った。
「――男はきめどころをきめなければいけない、小さい人情に溺《おぼ》れるのはやさしいが、きめどこをきめないと未練になる、鶴之助は返そう、鶴坊のゆくすえを思ったらそうするのが本当じゃないか、わかるだろうおぶん[#「おぶん」に傍点]」
「――先生」おぶん[#「おぶん」に傍点]は信兵衛の手を犇《ひし》と握り緊めた、「先生……」
堰《せき》を切るようなおぶん[#「おぶん」に傍点]の声で、鶴之助が眼をさましたらしく、寝返りをうってぐずぐず云い始めた。信兵衛とおぶん[#「おぶん」に傍点]が同時に立った、先にゆこうとするおぶん[#「おぶん」に傍点]の肩を、信兵衛は手で押えて、
「頼むよ」と云った、「夜の商売で偶にしか抱いて寝かせなかった、今夜はおれに寝かさせて呉れ――」
そしてほろ蚊帳の中へ上半身を入れ、横になって子供に手枕をさせた。
「どうした鶴坊、眼がさめたのか、よしよし、もう夜中だから温和しく寝なくちゃあいけない、お父さんがいま面白い話をしてやるからな」
おぶん[#「おぶん」に傍点]は坐って袂《たもと》で面を掩《おお》った。信兵衛は片手で子の背を叩きながら、馴れない口ぶりで話し始めた。
「むかし、むかし、なあ鶴坊、お爺さんとお婆さんがあったとさ、――お爺さんは山へ……」
そのときおぶん[#「おぶん」に傍点]は堪り兼ねたように、わっと声をあげて泣伏してしまった。
明くる朝まだ早く、おぶん[#「おぶん」に傍点]が来ると信兵衛はでかける支度をしていた。もちろん鶴之助は眠っている。
「こんなに早く、どこへいらっしゃるんですか」
咎《とが》めるようなおぶん[#「おぶん」に傍点]の眼から、信兵衛は寝不足の蒼ずんだ顔をすっとそむけた。
「沖石があとで来る、おれにはとても、――」彼はこう云った、「夕方になったら帰る、頼むよ、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん」
そして表へ出ていった。――おぶん[#「おぶん」に傍点]は後を追った、どういう積りもない、ただなにか大変な事でも起こりそうな気がしたから。……信兵衛は路地を出るとすぐ角の、三河屋の店先へいって立った。
「おい定公、桝で一升」
小僧の定吉は口をあいた。馬鹿にでもなったように眼をまるくし口をあいたまま、五合桝へ酒を注いで出した。――信兵衛はそれをひと息に呷《あお》った。一年ぶりの酒である。きゅうっとやって桝の隅を歯でこいた。
「――うめえ、ここへ置くぞ」
銭を置いて去ってゆく。定吉はまだ夢を見るような眼で、暫く松村先生の後ろ姿を眺めていたが、とつぜん身震いをし、天と地面を眺めながら、こう呟いた。
「――地震でもゆるんじゃあねえか」
その夜八時、おぶん[#「おぶん」に傍点]は夕飯のあと片付けをしてから、寝ているお祖父さんの枕許で、信兵衛の浴衣を縫っていた。
お祖父さんは六十日ばかりの湯治で痛みは治ったけれど、肝心の腰骨が悪くて、まだ寝たきりであった。鶴之助は主殿に伴れられて去り、信兵衛はまた飲みだした。なにもかもお終いである、しょせん仕合せにめぐまれない運命なのだろう、――思いだすと泣けそうになるので、頭を振ってはたどたどと針を運んでいた。すると路地を入って来た足音が、家の表で停って、「おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん」と信兵衛の声がした。
「――まだ起きているか」
おぶん[#「おぶん」に傍点]は膝《ひざ》の上の物を押しやって立った。酔って、赤い顔をして、信兵衛が立っている、やっぱり、――悲しい思いでどうぞと上へあげた。信兵衛は重助とおぶん[#「おぶん」に傍点]のまん中へ坐った。
「お祖父さん、今夜はお願いがあって来たんだ」彼はきちんと膝に手を置いた、「――私は夜鷹そばをやめる、この長屋もひき払う、そして、館林様の家来になってお扶持を貰う」
「先生――」重助は頭をあげた、「そ、それあ本当のことですか」
「剣法師範、食禄《しょくろく》は二百石だ、それに就いて、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃんを嫁に欲しい、もちろんお祖父さんも一緒だ、どうだろう」
重助はなにか云おうとした。然し舌がもつれて言葉にらず、低く呻きながら壁のほうへ向いてしまった。おぶん[#「おぶん」に傍点]は蒼くなり、両手を握り緊めたまま震えている。――信兵衛はおぶん[#「おぶん」に傍点]のほうへ振向いた。
「武士は武士で生きるのが本当だ、きめどこをきめよう、――沖石のことからおれはそう決心をし、折笠道場を訪ねて話をきめて来た、館林の家老にも会って来たよ」彼はこう云って微かに笑った。
「――嫁に来て呉れるな、おぶん[#「おぶん」に傍点]ちゃん、そして鶴坊よりもっと可愛い、二人の子を……」
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「講談雑誌」
1948(昭和23)年7月号
初出:「講談雑誌」
1948(昭和23)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ