佐々木倒一少将私記

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佐々木倒一少将私記 - (2009/04/09 (木) 18:03:40) のソース

*佐々木倒一少将私記(歩兵第三十旅団長・陸軍少将18期)
※この私記は南京戦史資料集Ⅰ(P.265~276)により、スペース一個は改行、二個は段落を変えることを示す。 
&bold(){十二月九日}
>三、敵前九十度旋回 ○十二月九日(昭和十二年) 未明行動を開始したが態勢を整へた時は結局夜が明けてゐた。 敵の死体が田圃に幾つでも転がつてゐる中を乾田中の徒小径を三縦隊となつて前進する。砲兵の進路が一度揚子江江岸近くまで進出した後九十度左折しなければ通過できない一本道路であつたのと、兎も角敵を一度江岸まで追撃しなくては目指す南京北側地区への進出が出来ないので、昨八日夜戦場追撃は少くも敵に脅威を与ふる程度に前方まで進出しなくてはならなかつたのである。併し僅かに二日間の力闘ではあつたが兵の体力はかなり枯渇してゐたのでこの夜間追撃は実際活溌を欠いた、そしてその夜の内に鎮江方面よりする敵の退却がおこなはれたらしく列車の運行する火光や轟〃の音が聞えたのであつた。 旋回の角頂にある東陽鎮附近にこの朝大なる火の手があがつてゐた。敵は退却する縦隊の側翼を放火に依つて我軍から阻止しやうと試みたらしい。 鎮江から退却する敵に対し無二無算に懸つて行かなかつたことの可否は別に議論の余地があるかも知れないと思ふが、我支隊の任務は速に邪魔する敵を蹴散らして南京城の背後を遮断しなくてはならないのである、従つて道草を食ふやうな行動は予としては断じて避けることに決心してゐたのである。 併しこの行動は実に無暴に近い危険性を帯びてゐた、「閣下大丈夫ですか」「何大丈夫さ、逃げて行く敵には振り返つてくる丈けの勇気はない。やつて来れば来た時の話さ」副官は予に絶対の信頼を持つてゐるから此問答も実は御座なりに過ぎなかつた、併し之が図上戦術ならば甲論乙駁はあると思ふ。慎重な戦術家は少くも三乃至四分の一の兵力は残置したであらう。 前衛、右前衛、後衛を設けなければ危険を感ずる行軍部署である、従つて例の如く支隊本隊は僅かに一個大隊に足りないのであつた。 午前十一時新態勢に於て行動開始、幸にして敵は我を追尾して来なかつた。 七日から左翼大狐山に膠著して
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