<p><a href= "http://www34.atwiki.jp/hit-terakoya/?%E6%B2%96%E7%B8%84%E8%BF%94%E9%82%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B"> 「沖縄返還とは何なのか」(12月14日発表)</a></p> <p> </p> <p>大きな流れ</p> <p>・52年サンフランシスコ平和条約→日本独立、但し沖縄・奄美大島・ 小笠原諸島は米施政下</p> <p> 72年5月沖縄返還(佐藤栄作)</p> <p> 同年9月日中国交正常化(田中角栄)</p> <p> 78年日中平和条約(福田赳夫)</p> <p> ※国家間関係として、国交正常化と平和条約の違いは後者の場合、戦時の懸案事項が基本的に解決した状態であると理解しております。従って日中間では中国の戦後賠償放棄により平和条約を締結しておりますが、日露間は北方領土問題が解決していないため、国交正常化止まりであると認識しています。</p> <p>・問題点</p> <p> 1、52年時になぜ沖縄も返還しなかったのか?</p> <p> 2、なぜ統治までする必要があったのか?</p> <p> 軍事目的であったとの理由は、返還の有無に関らず、駐留軍をおくことで目的が達成されるため、理由になりません。他の理由を考えましょう。当時、日本の繊維産業が対米大幅黒字であり、両国の貿易問題でしたが沖縄を米側に留めたことで、輸出超過継続の方向が継続されたため、日本政府は、「糸で(沖)縄を買った」と揶揄されました。</p> <p> 3、72年、なぜこのタイミングで沖縄は返還されたのか?</p> <p> 4、当時の東アジア(ソ連を含む)のパワーバランスは?</p> <p> ヒントはキッシンジャー外交にあることは間違いないでしょう。71年ニクソン訪中ですが、中ソ対立は既にフルシチョフのスターリン批判以降から始まっています。ソは対米平和共存路線でしたが、毛沢東は対米強行路線で、58年大躍進政策、59年中ソ技術協定破棄、62年中印国境紛争ではソのインド支持とキューバ危機の妥協、66年プロレタリア文化大革命、68年中国のプラハの春批判、69年ダマンスキー島紛争、一方アメリカは65年ヴェトナム北爆、68年パリ和平会議で挫折、米の経済的覇権が揺らぎ、71年ニクソン=ショック(8月)の直前7月にニクソン訪中になります。</p> <p> 5、返還時の軍用地はどうなったのか?</p> <p> 沖縄住民に返す際に、軍隊の宿舎や戦車が散々踏みしめた土地、大砲をうちまっくた禿山をそのまま返していただいても困ります。撤去費用・整地費用は当然使った人たちが出すのが筋でしょうし、日本の公文はアメリカ負担となってますし、外務省・政府は今でもアメリカが負担したと言ってますが、アメリカの文書や当時の担当者(「他策無カリシヲ信ゼント欲ッス」の著者)はどうも違うことを言っています。</p> <p>後者を信じるとした場合、なぜなのか?</p> <p> </p> <p>それでは次回までに</p> <p>『沖縄返還とはなんなのか?』NHKブックス</p> <p>『他策無カリシヲ信ゼント欲ッス』</p> <p>『 』手嶋龍一</p> <p>を読んだり読まなかったりして、全体像を掴んできましょう。</p> <p>間違いがあれば訂正してください。</p>