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サマータイムレコード(前編) - (2022/12/02 (金) 16:15:15) の1つ前との変更点

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 "破壊の八極道"とは、極道斜陽時代を終わらせるための最後の灯火である。  輝村照の父、輝村極道が組織した忍者抹殺のための魔人集団。  道を極めるが故に孤独を強いられる哀しき極道者(ヤクザ)達の切り札。  極道にとっての救世主であり、忍者にとっての怨敵であり、堅気にとっての悪夢である八人。  しかしてその実力の水準(レベル)は決して一律ではない。  麻薬無しに忍者の殺害を成し遂げてきた"忍殺(ニンジャスレイヤー)"から、根性と侠気のみを寄る辺にする凡夫まで幅広い。  そこにあるのは確かな優劣――そしてその点で言うならば、今輝村照/ガムテが前にしている男は確実に彼よりも格下の存在であった。 「悲しいぜェ――殺島ァ。アンタのこと、これでも結構本気(マジ)に慕ってたんだけどなァ~~……」  殺島飛露鬼。通称を"暴走族神(ゾクガミ)"。  不良の歴史上類を見ないカリスマ性を以って、文字通り酔い痴れるような暴走を魅せてくれた男。  彼は八極道の中では明確に下から二番手だった。  直接戦闘に限るならば最弱に数えてもそう間違いはないだろう彼よりも、ガムテは確実に極道としてのステージで上に立っていたが。  しかしガムテの目に宿る敵意の中には、驕りも嘲りも微塵たりとてありはしなかった。  殺島と殺し合うとしたら、勝てる自信はあった。むしろ負ける可能性の方が少ないと認識していた。  だがそれは、あくまでも彼が人であった頃の話。  今の殺島は人ではない。人であるのは、ガムテの方だけだ。  かつてガムテが兄ちゃんと呼んで慕った男は――ガムテをただの子供と侮らずに居てくれた"不良(ヤンキー)"は今。 「良い絆(モン)持ってるじゃねえか、ガムテ。正直、お前が界聖杯(こっち)でも殺し屋の王子やってると知った時は冷や汗かいたぜ」  名実共に、人ではなくなった。  命を失い、魂となってガムテの前に立つ障害物。  道を極めた結果の、その成れの果て。  暴走族神は此処に在る。死の峠をすら超えて、地獄の果てから舞い戻ってきた。  ガムテの知る笑顔を浮かべて、ガムテの知る拳銃(チャカ)携えて。  ガムテと、その同胞である割れた子供達の精鋭集団を前にしながら――笑う。ただ、不敵に。 「勝てないよ、アンタは」  そんな殺島にガムテは酷薄にそう告げた。  それは頑然とした事実。警戒はしているし、侮りは最初から抱いていない。  だが勝利を疑う気持ちは微塵もなかった。  殺し屋としてのプライドが、たかだか英霊になった程度で自分とアンタの差は埋まらないのだとガムテにそう吐かせる。 「オレはアンタをブッ殺す。殺し屋の威信にかけてブッ殺す、八極道のよしみとして後腐れなくブッ殺す。  死柄木とかいうシャバい加齢臭野郎(オッサン)に着いたアンタには、もう欠片の魅力も感じねー」 「何だよ、そうなのか? 寂しいじゃねえか、ガムテ。  オレは今でもお前のことが好きだぜ。可愛い可愛い……オレの弟分さ」  その懐から取り出したのは、有刺鉄線だった。  それを、殺島は慣れた手付きで自分の額へと巻き付ける。  有刺鉄線の鉢巻。たかだか鉄線如きでサーヴァントの肌が破れる筈もないのに、その額からは血が滴り落ちた。  さながらいばらの冠。神の愛した独り子イエス・キリストをなぞるが如くに――暴走族神は君臨する。 「死ぬ気で来いよ、ガムテ」  戦力だけを見れば、取るに足らない相手だ。  殺島は技でも執念でもガムテに及ばない。  英霊故に物理攻撃が効かないという唯一の利点さえも、今のガムテは克服済みだ。  皮肉にも。必ず殺すと決めたクソババア――シャーロット・リンリンのお節介のおかげで。  今のガムテは英霊すらも殺せる。だから、殺島飛露鬼などという八極道の捨て石に負ける道理はない。  その筈なのに、ああ何故。 「――オレも本気で行くからよ」  血を滴らせ、二丁拳銃のみを携え立つその姿がこうまで大きく見えるのか。  後光すら幻視するような立ち姿に、ギリッとガムテは奥歯を鳴らす。  癪だった。かつて確かに勝っていた相手に怯まされかけたという事実が、彼のプライドを逆撫でした。  なればこそもう容赦はない。語るべき言葉も、もはやない。    抜刀――関の短刀(ドス)。  女王によって改造/改悪された凶器(ホーミーズ)。  見るだけで腸が煮えくり返りそうになるそれをなるべく視界の片隅に追いやりながら、ガムテは声を張り上げる。  開戦の号砲を鳴らせるのは、子供達の王様である彼だけであるから。 「総員、予定通りだ。――命令(オーダー)は一つ、この場の全員ブッ殺せ!  どいつを殺してもMP(マサクゥルポイント)は言い値だ! どの首も値千金、殺し屋にとって最高の名誉だと思えッ!!」  狂気の形相を浮かべて、高らかに宣言する。  それと同時に鳴り響く咆哮、雄叫び。  溢れ出すは子供達。ガムテに付き従う幼い殺し屋達。心の割れた殺意の群れ。  本格的な混沌の幕開けが成った今。  ガムテが、その先頭へと躍り出る。  そこは彼にだけ許された位置、彼にしか許されない位置(ポジション)。  殺島飛露鬼――不動。  歯は見せず、あくまで不敵に口元に弧を作り。  殺し屋と偶像が……極道と極道が。  今、此処に、交差する。 「"破壊の八極道"――ガムテェ!!」 「"破壊の八極道"……いや。"敵連合"――殺島飛露鬼」   浮かべる表情は殺意と殺意。  それだけで十分、否それ以外にはない。  それこそが彼と彼が語り合うのに必要な、この世の何より雄弁な言語であるから。 「「――――ブッ殺す!!!」」  さあ、始めようか。  極道と極道。  どちらが生存るか、死滅るか……!! ◆◆◆ 「極道技巧――狂弾舞踏会(ピストルディスコ)」    想定通りの行動だった。   殺島飛露鬼は凄腕の銃手(ガンナー)だ。  殺し屋としてのステージで上に立つガムテであれど、銃の扱いでは殺島の影すら踏めない。  超人的なセンスと感覚によってのみ実現する自由自在の跳弾。   彼が人間であった頃でも十分に異次元の技巧であったが、英霊となった今の脅威度はもはやその頃の比ではない。  跳弾、跳弾跳弾跳弾跳弾――  跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾。  ガムテの記憶に残っている殺島の拳銃の装弾数を遥かに超えた弾数が朝焼けの街並みに弾ける。  チッ、と舌打ちが漏れた。当たって欲しくない予想が的中したのを物語るリアクション。  改めて確信する。殺島飛露鬼はもはや単に銃撃の巧い極道の領分には留まらない。  致死の銃弾を際限なく自由自在に撒き散らす、魔弾の射手(カスパール)であると。 「(弾薬の補充を、マスターの魔力に依存してんのか……)」  その推測は的中している。  英霊と成った殺島に、弾切れの概念はもはやない。  撃てば撃った端から残弾がアイの魔力を源泉として補充されるのだ。  即ち、無限大。銃弾一発を生み出す際にかかる魔力の消費など極小であるのだから、そこの枯渇を期待するのは無謀だとガムテは即断する。 「おお――良いね。流石じゃねえか、ガムテ。間違いなく殺す気で撃ったんだけどなァ」 「そうだったのかよ、ごめんな兄ちゃんッ♪ せっかくサーヴァントにまでなったんだ、一発くらい嘘でも当たってやれば良かった!」  だが、ガムテは被弾しない。  短刀で斬り伏せ、あるいは純粋に避け、受け流す。  ほとんど生存する隙のない弾幕の中に強引に生存圏を作り出して、殺島にそのまま肉薄。  殺島は正確無比に、ガムテが振るう短刀の切っ先に弾丸を命中させる。  微かに逸れる軌道を良いことに、約半歩分の歩幅で回避――からの、至近距離からの銃撃。    過失(ミス)など一万回に一度だって期待出来ない。  視界を常にフル稼働させなければ死ぬのは此方だ。  クーポンをキメている極道を殺すのに、拳銃など本来は役者不足も甚だしいが。  極道の実用に堪える改造を施され、最上の担い手の腕で扱われる銃が吐き出すそれは最早弾丸(タマ)ではない。  ――魔弾(ギョク)だ。 「(サーヴァントの銃撃ってのがまず未知数だ。一発(テスト)だって喰らいたくねえ――)」  全弾回避した上でブッ殺す。  殺し屋の美学通りに刺して殺す。  意識を限界まで研ぎ澄ました今のガムテは、殺意という概念で形作られた一匹の獣に他ならなかった。    弾幕を切り払い、掻い潜り、縦横無尽に戦場を跳ね回る。  スーパーボールのように不規則な軌道でバウンドする小さなシルエットを、しかし殺島も見逃さない。  それどころか移動の先に配置するように跳弾を飛ばし、かと思えばストレートでの射殺軌道で発砲。  正攻法と搦め手を巧みなセンスで配分した、殺島飛露鬼だけが奏でられる鉄風雷火の極道多重奏(デクテット)。  認めざるを得ない。一人じゃ殺せない――独りじゃ命(タマ)取れない。  予想通りの事実という名の身の丈を受け入れながら、ガムテはしかし獰猛に笑った。 「アンタは凄えよ、殺島飛露鬼。あいつが見初めたのも分かるぜ」  弾幕の渦を抜け、殺島に迫るガムテ。  サーヴァントの魔弾雨を無傷で抜けて殺害圏内に入り込む時点で、マスターとしては破格の性能なのは間違いなかったが。  振るうドスに合わせて殺島も放つ。この至近距離で逐一ドスの動きに対応し、それを潰す形で射撃するのは並大抵の技術ではない。  まして殺島はそれを――あえて地面に弾丸を放ち、跳弾させることによるいわば"先置き"した迎撃という形で実現させていた。  異次元。常識外れ。まさに、神業。  改めてガムテは確信する。  自分は殺し屋として殺島より上だが、それは目の前の男が傑物でないことを意味などしない。  この男は間違いなく怪物だ。  しかし考えてみれば、それもその筈。  いかに自分と境遇が近くとも――殺しの王子様ともあろう者が、技も力もない凡夫に懐くなどあり得る筈がないのだから。 「だから……こっちも全力だ。オレに使えるモン、全部使ってブッ殺す!」  銃弾とドスが激突する。  最高の使い手により振るわれたそれらは、激突の瞬間に激しい衝撃波を生じさせ。  ガムテのみならず殺島さえもを、後退させた。  そして下がったその先で――殺島は瞠目する。  夜空を引き裂きながら自分に迫る、実に禍々しい球体があったから。 「黄金球(バロンドォォル)ッ!」 「応さガムテェ――オレは絶対外さねえ!」  サッカーボールを模した鋼鉄球。  クーポンによるブーストを受けた超脚力で蹴り上げられたのだろうそれは、時速数百キロを超える魔球だった。  そして何より驚くべきは、その表面に顔があったこと。  夜空を背にして微笑む球体は、まるで絵本の中にしばしば登場する人面の月のよう。  殺島の知る"彼"が使っていた球は、こうではなかった。  その上で。顔のある得物というモノに、今の殺島は覚えがあった。           ・・・ 「驚いたぜ。てっきりお前らは、あのババアのことは嫌いなモンだと思ってたんだが――」  四皇ビッグ・マムの能力。もしくは、宝具。  物体や現象に魂を与えることで誕生する、喋る人面の武器――ホーミーズ。  考えたものだと殺島は思う。確かにこの方法でなら。  肉体はクーポンで強化し、得物には魂を与えて極道の領分から英霊の領分まで押し上げるという手段でなら。 「嫌いに決まってんだろ、暴走族神(ゾクガミ)の兄ちゃんよぉ。  だけどオレらがアンタら英霊ブッ殺すには、こうでもしなきゃ届かねえんだろ?」  ――割れた子供達。彼らの凶器/狂気は、サーヴァントに届く。 「だったら嫌悪感(ニガムシ)噛み潰して嚥下(ゴックン)さ!  割れた子供達――"黄金球"! アンタのことは何だか嫌いになれねえが、ガムテのためにブッ殺す!!」  黄金球……割れた子供達が誇る"三凶"の一角。  膂力だけならば末席とはいえ八極道である、あの夢澤恒星にすら届くと聞いていた。  そんな使い手が、狂った母の力を授かり更に強化されているのだ。  これは既に、殺島をして脅威と呼ぶに値する暴力だった。 「極道技巧――"蹴球地獄変(ビバ・ラ・ファンタジスタ)"ァ――!」  縦横無尽にして変幻自在。  一度躱しただけでは終わらない、それは本来殺島の十八番である筈だったが。  躱したところでビルを削り取り戻ってくる、止まらない鉄球。   「(こりゃ……まともに食らうとちとマズいか)」  地面に潜り込めば、今度は殺島の足元を食い破るようにして飛び出してくる。  きゃきゃきゃきゃ、とまるで子供のような笑い声をあげながら跳ね回る黄金球の象徴。  純粋な火力で相殺するのが難しい分、ある意味ではガムテ以上に厄介な攻め手だった。  その上で、黄金球の技巧(スキル)も癖も傾向も全て知り尽くしているガムテは当然……この暴れ馬ならぬ暴れ球と、同時に彼を攻められる。 「笑顔(ツラ)が曇ったね」 「……おう、そりゃな。何だよお前ら、見ない間にずいぶんデカくなりやがって」  刃の雨霰が降り注ぐ中で、雷のようにやって来る蹴球を捌く。  並大抵のことではないが、それを可能にしている辺りはやはり彼も八極道である故だろう。  避けきれない分はしょうがないと弁えて、クーポンの再生能力で即座に追いつく分のみ選んで受け止める。  黄金球の鋼球を右手で受け止めれば、べきべきと音を立てて殺島の腕が内側から破砕した。    死地になる前に退いて――そのついでにガムテ、及び黄金球本人へ銃撃を見舞う。  黄金球は跳弾によって身体を貫かれていたが、彼は八極道にも届く剛の者(タフガイ)。  牽制程度の攻撃では、さすがの殺島も容易くは削り切れないらしい。  そしてそれは、サーヴァントとの戦闘経験がないガムテ及び子供達にとって値千金の情報だった。 「――嬉しいじゃねえか」  魔弾が、それを収める銃身が、火を噴く。  溢れ出す無尽蔵の弾薬、弱点を克服した無敵の二丁拳銃。  狂弾舞踏会の火力は、当然ながら装弾数の概念が破綻したことで天井知らずに上昇していた。  そして殺島ならば、視界に収まる全ての敵へ同時並行して"本気"の跳弾射撃をすることも――もちろん可能である。  顔の真横を通り過ぎていく鉄球にすら怯えず、臆さず、地を蹴って前に進む殺島の姿はまさに"極道"。  魔弾を断ちながら、ガムテが殺島と再度接敵する。  殺島ならこの距離でも自分を殺せると、近付かれたからというそれだけの理由で詰む雑魚ではないと、ガムテは確信していた。  やろうと思えば銃口を武器にして、物理攻撃で自分を殺しに来る可能性も十分にある。  あらゆる可能性を想定しながら、ガムテは彼と鍔迫り合いの状態になり。  殺島と奇しくも――いや、"当然"か。  同じ表情(えがお)を浮かべながら。  ガムテは欠けた歯を覗かせ、呟いた。 「今だ――オレごと爆(や)れ」  その指示の意味を殺島はすぐに理解したが、逃さない。  違う。逃げられないのだ。ガムテの言葉を受けた"彼ら"が行動を完了するまでの時間は、殺島が逃げの動作に移るよりも速いから。    55・39・78・89――  呟く声は殺し合いの騒音に解けて、一切聞こえないまま。  気付いた時には既に、鍔迫り合う殺島とガムテの頭上から"それ"が墜ちていた。   「ッ……! 何だそりゃ……!!」  刀剣での近接戦が時代遅れに成り果てた現代の戦場にて、唯一使われ続けている"槍"がある。  神槍(グングニル)の如く雄々しいフォルムを持つそれは、しかし正確には槍ではなく"弾"だ。  名を徹甲弾。間違っても市街地でぶっ放すべき兵器ではないこれが、ガムテが託した"彼ら"の凶器(エモノ)。  極道技巧――"剛拳巨砲主義"。腕で殴り飛ばすという使用法で放たれた徹甲弾は、両者の丁度真ん中に墜ちて。    そして――――爆ぜた。 「……良いのか"司令(オーダー)"? 直接首ぶち抜いた方が確実に殺せたんじゃねえのかよ?」 「サーヴァントを舐め過ぎだ。欲を掻いて空振りに終わるよりは、殺し切れる公算が薄くても確実に"削る"方が理に適ってる」  殺島から距離を取った場所にて、四肢のない少年が盲目の相棒に背負われていた。  彼らは相棒(バディ)だ。割れた子供達の中でも最高精度の殺人(コロシ)を可能とする、以心伝心を地で行く戦闘人形。  本来なら、彼らは神槍を爆発物ではなく純粋に槍として用いて敵を殺す。  だが、ビッグ・マムの能力によりホーミーズ化させた神槍の爆発は――普段のスタイルを曲げてでも使うに足る"価値"がある。  確実に殺島を削りつつ、ガムテの体勢を立て直させて戦場をこちら有利の状況で仕切り直せるのだ。 「構えろ攻手。次は、いつも通りだ」 「了解だぜ……司令! やっぱりオレぁこっちが性に合う――景気良くブチ抜いてやるよォ!!」  更に――  爆発が奪うものは、敵の体力や命だけではない。  誇りを曲げて手を染めた皇帝の力、魂を操る魔女の権能。  その炸裂はサーヴァントであろうと、一時的に聴力を奪われるほどの威力を誇る。  そしてそれだけの大爆発が生み出す爆炎、巻き上げる粉塵は――敵の視界までもを奪い去る。 「……チャチな真似するじゃねえの。目眩ましした隙に、訳も分からないまま削り切っちまおうってか?」  爆風が晴れるまで、数秒。  正しくはそれだけの時間があれば、サーヴァントの視界は平時と変わらない見通しを取り戻す。  それまでを勝機と見据えたことを確信しながら、殺島はまず手始めに銃乱射を開始した。  聴力はまだ死んでいる。だが殺島ほどの銃手になれば、弾丸が物体に衝突した感触を大気の震えから感じ取ることすら容易であった。  ましてや今、彼は不純物が大量に含まれた爆風の中に居るのだ。  感知の制度は、むしろ普段以上に良好でさえあった。  この状況にあって尚、殺島飛露鬼に隙はない。  その証拠に黄金球の鋼球を、まるで"見えている"かのように回避し―― 「で、上だな」  真上から飛来する攻手の徹甲弾(ミサイル)を察知し、一歩移動。  そのまま着弾に合わせて神槍を足場に跳び上がる。  真上へ。爆風の外へ。司令の状況分析から繰り出される、攻手の剛拳砲撃は言わずもがな正確無比の命中精度だったが、それですら不足していた。  此処が複雑でかつ逃げ場に乏しい建造物(ビル)の内側だったならば、いざ知らず。  周囲が開けている野外においては、彼らの精密砲撃の脅威度は目減りを強いられてしまう。  視界が開ける。  世界が、戻ってくる。  音も少しずつ、帰ってきている。  まずはガムテよりも、周りの子供達から殲滅するべきか。  そう考えながら数秒ぶりの世界を目の当たりにした殺島の表情が――凍った。 「――何……だ、こりゃ……」  そこに広がっていたのは――東京のコンクリートジャングルではなかった。  一面に広がる、湖。一目見ればどんな悩みも苦しみも忘れ果てるような、美しい湖だった。  流れる空気も、響く安らかな水音も、全てが静謐とした長閑さに満ちていて。  だからこそ殺島は一瞬、確かに呆気に取られた。  それを責めることはきっと、ガムテにすら出来ない。  何故ならこれは、彼の父であり。  破壊の八極道を組織した極道の救世主……極道の未来を担う孤独な男ですら、麻薬なしだったとはいえ初見では順応出来なかった技巧(わざ)。  白鳥の飛び交う麗らかな湖により、思考を空虚に染められたその一瞬を縫って。  殺島飛露鬼の肺が――鋭く、それでいて美しい一撃の前に突き破られた。 「ガ……ッ!?」  殺島の前に立つのは、一人の少女だった。  顔にガムテープを巻いた、割れた子供達の新参者(ルーキー)。  しかしその才能は、すぐさま彼女を三狂の一人にまで駆け上がらせた。    殺島は同じ破壊の八極道として、割れた子供達の構成員をいくらか知っている。  だが、それは決して全員ではない。  黄金球のように分かりやすく目立つ殺り方(スタイル)なら目に付くし、種も割れるが。  顔は知っていてもどういう技巧を持っているのかは知らない、そんな構成員が殆どだ。  彼女もその内の一人であった。  白鳥の湖を背にするに相応しい舞踏鳥(プリマ)――この世界の主。 「極道技巧――"夢幻燦顕視"」  夢幻燦顕視。  その効果は読んで字の如く、夢幻の展開。  標的に幻を見せながら、弛まぬ練習によって鍛えられた舞踏鳥の舞に載せた攻撃を打ち込み抹殺する美しき明晰夢。  人間の脳のキャパシティを、幻と割り切って尚無視出来ない迫真(リアル)な幻覚によって食い潰す、プリマに憧れた少女の狂気のかたち。 「……あのババアから貰った靴だなんて、死んでも履きたくなかったけど。  貴方を殺すために我慢してやったのよ。だから――私達の屈辱(イラつき)のためにも、ちゃんと此処で死になさい。オジさん」  それに殺島は、まんまと嵌った。  一度爆風で視界を奪われていたからこそ、完全に虚を突かれた。  結果として殺島の動きは止まり、舞踏鳥はそれを見逃さず彼の肺を破り。  ようやく幻覚に嵌められたことを認識し、反撃に転じようとする殺島の胴へ――追い打ちのように鋼球が食い込んだ。 「(ッ……視えな――)」 「視えないでしょう。それは当然。貴方は今も変わらず、私の極道技巧の中にあるから」  跳ね飛ばされ、殺島が背から倒れ込んだ。  そのまま地面を跳ね、車に撥ねられた歩行者のように転がっていき。  やがて大の字で横たわり、がはっ、と口から血を吐いた。  誰がどう見ても明白な、"敗北"の光景が――そこにはあって。 「――ガムテ。殺りなさい」 「最ッ高(グ~~ッド)、お前ら。イイ仕事してくれたぜ」  美しい青空を、幻の蒼穹を見つめながら、殺島は笑う。  そこに迫るのは、ガムテだ。  いざや止めを刺さんと、此処でかつての先輩(アンちゃん)ブッ殺さんと。  駆ける、迫る。死神の足音は、幻覚の中に居る殺島には聞こえない。  よって彼はこの瞬間、完全に詰んでいた。  "破壊の八極道"殺島飛露鬼は、同じく"破壊の八極道"ガムテと、その同胞達の前に敗れ去った。  極道は互いの目的のため、野望のため、面子のために殺し合う。  敗れた極道は全てを失うのが常だ。面子も、沽券も、信用も、部下も、そして命も。  殺島は極道としてガムテよりも下だと、完全に格付けがされてしまった。 「界聖杯(こっち)でもよ、運転手やってたんだ……」  殺島自身、そのことはよく分かっている。  悔しさもあったが、喜びも大きかった。  可愛がっていた後輩が、こうして自分を乗り越えてくれたのだ。  ガムテが殺島に懐いていたように、彼もまた、ガムテのことを快く感じていた。  根本の部分を理解することは決して出来ないだろうと察知しながらも、それでも、彼の前での殺島飛露鬼は確かに"兄ちゃん"だった。    強えじゃねえか、お前。    一人で戦わなければ卑怯だとか、そんな古臭い考え方に殺島は興味などなかった。  ましてガムテは殺し屋だ。ルール無用をこそルールとする彼は今、まさに最善を尽くして自分を倒してみせた。  そのことを嬉しく感じながら、殺島は血を吐きながら笑っていた。  そのスーツは黄金球の一撃を受けた時に大半破れ、もはや服というよりも不格好な外套のように成り下がってしまっている。 「けどよ――やっぱり極道やる時は、特攻服(こっち)の方が性に合うんだよなァ。礼服(スーツ)は、どうも堅苦しくってよ……」  ゆらり、と幽鬼のように立ち上がれば。  スーツだった布切れは、ずるりと彼の身体からずり落ちた。  それにより、スーツの下に着込んでいた衣服が露わになる。  特攻服(トップク)。暴走族のシンボルであるそれが、湖に吹く風によってひらりとはためいた。 「ようガムテ。それに友達(グラチル)のお前ら。  お前ら強えなあ。オレみたいな凡夫より、お前らよっぽど極道してるよ」  緩んだ冠を締め直す。  既に受けた傷はほぼほぼ回復していたが、力なく笑う姿は弱々しい。  つう、と顔を伝っていく血。  その顔に浮かぶ薄い笑みは、依然として崩れる気配はなく。  そして――  ぞわり、と悪寒を覚えた。 .  殺島が、ではない。  彼以外の全員が、だった。  黄金球も、舞踏鳥も。司令と攻手も。  そして、彼らの王子であるガムテ自身も。  誰もが背中に氷柱を直接突っ込まれたような、そんな悪寒に固まった。  どう考えても、自分達は勝っているにも関わらず。  あとは王将を圧殺すればそれで終わるだけの話なのにも関わらず――。 「だから、極道はもうやめだ」  何故、こんなに怖いのか?  一度倒し、地に臥させた男が、何故。  こうも底知れない、眩く輝く"何か"に見えるのか――  その答えが出るよりも前に。  舞踏鳥は、確かにそれを聞いた。 「え……」  穏やかにせせらぐ湖のほとりに。  この世界に相応しくない音が、響いている。  それはマフラーの音。違法改造された単車(バイク)の咆哮。  彼女が作り上げた舞踏(バレエ)の幻界を、無粋に塗り潰し掻き消すように。  白鳥たちが飛び立って湖から次々と消えていく、去っていく。  音は増え続ける。一台、二台、百台、千台、それさえ遥かに超える単車の騒音(ノイズ)。 「何よ、これ――」  殺島も、当然それを見る。  湖から白鳥は消え。  凪いでいた湖面は無粋な振動によって掻き乱される。  それと同時に、世界に罅が入った。  まるで砕け散るダイヤモンドのように美しく、夢幻が悲鳴をあげている。 「……ッ! ガムテ――早くトドメを刺しなさい! 今すぐにッ!!」  舞踏を変更――"白鳥の湖"から、チャイコフスキーの"くるみ割り人形"へ。  くるみ割り人形の兵隊が無数に具現化し、殺島を抹殺するべく行進を始める。  だが音は止まない。世界は、またしても罅割れていく。  あがく舞踏鳥を見やり、殺島はふっ、と笑った。  そこにはあの輝村極道ですら怯んだ、兵隊達の幻に対する恐怖や動揺など微塵もない。 「違う――退けお前らッ! 今すぐにッ!!」  舞踏鳥の声を、ガムテは否定する。  彼は既に分かっていた。これから何が起こるか、いや何が来襲(く)るか。  今選ぶべきは突撃ではない。最後の一手を此処で詰めるのは悪手の中の悪手だと、実際に"あれ"を見ているガムテには分かった。  今すぐ退かせるしかない。そうでなければ、負けるのは……失うのは此方だと理解していたからガムテは吠えた。  だが―― 「もう遅え。覚悟しろよ、ガムテ。  そんでもってしかと見てくれや。  オレにもお前に決して負けない、凄え仲間(ダチ)が居るんだ」  そう、遅い。  既に、招集は掛けられたのだ。  かつて彼がその一声で以って、世界中から彼らを呼び戻したように。  暴走(ユメ)の終わりから十年以上の年月が経っていたにも関わらず、誰一人としてその呼び声を拒む者など居なかったように。  彼らは必ず来襲る。  そこに、神が居るならば。  地獄の果て、地平の果てまでも先陣に立って自分達を導いてくれる、眩しく雄々しい現人神が、暴走族神(ゾクガミ)が居るならば。  彼らは来襲るのだ、それが何処であろうとも。  どんな世界であろうとも、敵が誰であろうとも。  忍者も閻魔も恐れない、大人になれない馬鹿共は。  いついかなる時であろうとも、騒音(エンジン)かき鳴らしてやって来る。 「来襲(く)るぜ、そして開闢(はじま)るぜ――――オレ達の黄金時代(オウゴン)が」  そしてこの瞬間を以って――かつて地獄と化した街(シンジュク)は、今度こそ焦土と化すことが確定した。 ◆◆  それは、一言で言うならば狂気だった。  轟く閃光、響くは騒音。  数十、数百、数千、数万――それですらまだ足りない熱狂の騎馬。  ある者は笑いながら、ある者は泣きながら、またある者は言葉ですらない音を吠えながら。  彼らは、新宿区の町並みを文字通り蹂躙し始めた。  爆走、暴走、疾走。果てしない熱病に浮かされた黄金時代(オウゴン)の亡霊達。  現代の日本に形をなしたワイルドハントが、明日も未来も知ったことかと全ての現実を拒絶しながら駆け回る。  道に人がいるなら轢き殺し。  車がいるなら撥ね飛ばし。  建物が遮るなら吹き飛ばし。  ビルが建ち並ぶなら、引き裂いて進む。  朝焼けの街を照らすヘッドライトは、"彼ら"の来襲る証。  地上の流星群は、辛くも新宿事変の大破壊から難を逃れた日常の残滓をすら無慈悲に、そして無造作に殺戮する。  ――事の序でに。"暴走"という目的の序でに、誰かの笑顔を轢き潰して進む狂った車輪。  彼らは誰もが夢を見ている。  夢を見ながら、人を殺す。  爽やかな気分のままに、荒れ狂う。  現世に甦った"神"の託宣に従い――地獄の釜から溢れ出た。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  爆走(はし)る、  暴走(はし)る、  疾走(はし)る――この世に神を見出した者達。  悪童(ワルガキ)の群れ、総数十万!  吹き荒れるは死の嵐。青龍と鋼翼の戦争すら、世田谷消滅の激戦すら、純粋な規模で言えば上回り得る暴走の津波!   「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  今宵――この街に理(ルール)は存在しない。  掟を定めた神そのものが、全ての無法を許すから。  彼らにとっての神である男が、彼らをこの地に招いたこと。  それは即ち、止まず終わらない暴走(ユメ)の幕開けに他ならないから。  暴走を神が赦す。殺害を神が赦す。  その暴走(ユメ)邪魔する全部――殺害せよと、神はそう望んでいる。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  ――破壊の八極道は、神をも恐れぬ極道者の集まりだ。  忍者をすら殺す"番長"、救済を標榜しながら人を殺す"怪獣医"。  滅びの歌を奏でる"歌姫"、全てを笑覧する"脚本家"。  だが、彼らの中で最も英霊という形に向いている男は間違いなく"暴走族神"殺島飛露鬼である。    十万の軍勢を率いて忍者と戦った"伝説"。  二十年の年月を経て甦った"再生"。  全ての逸話が、この上ないほどに信仰の獲得に適している。  仮に他の八極道がサーヴァントになろうとも、殺島ほどの規模で悪事(わるさ)を働く宝具は得られまい。  こと語られること、崇められること、畏れられることにおいて暴走族神は間違いなく唯一無二。  そして今――極道・殺島飛露鬼は敗れ。現人神・殺島飛露鬼の"本気"が、割れた子供達の全殺しという目的のために新宿へ解き放たれた。 「暴走師団……聖華天……ッ」    ガムテは、それを知っている。  その筈だったが、しかし彼が知っているのはあくまでも"再生"した暴走師団の姿でしかない。  しかし今宵、此処に再現されたのは紛れもない全盛期の暴走師団。  忍者に半殺しにされ惨敗を喫したとはいえ、殺島の宝具として立派な神秘に押し上げられた彼らの疾走の脅威度は生前の比ではない。    ――ガムテの想定を、此処で殺島が超えた。  聖華天は無軌道の極みだ。  神の号令一つで、何にでも文字通り全力で取り組む馬鹿の集団だ。  笑いながら、吠えながら、悪童達に新宿が蹂躙されていく。  ――辛うじて難を逃れた都庁。  邪魔だとばかりに、単車の群れに食い破られた。  ――新宿中央公園。  ショートカットのために数千台の単車が通り、草木一本残らない轍の山と化した。  ――新宿ゴールデン街。  極道車の爆速大渋滞(スクランブル)で、平らな地平に均された。  ――避難民数千人が集まった避難所。  聖華天に認識されることすらなく、ものの十数秒で"全殺し"に遭った。  異常事態を中継しようとしていたテレビ局のヘリは、ウィリー走行で勢い余って天空に跳ね上がった一台で轢き潰され。  仮設の遺体置き場となっていた体育館は、暴走の余波で燃え上がり巨大火葬炉と化し。  今回の大戦争でサーヴァントを失った落ち武者マスターを狩るべく潜ませていた、"割れた子供達"五十三人が抵抗の余地も許されず粉砕された。  そのまま迫る、神の号令に応えるために。  "狩る側"を"狩られる側"へと変える鋼の軍勢が――ノスタルジアを超えた黄金時代(オウゴン)が。  大人崩れの悪童(ワルガキ)が、本当の悪童(チルドレン)殺すためにやって来襲(き)た。 「"今の"ボスに倣おうかね、オレも」  そして――殺島がその口に放り込んだのは、地獄への回数券。  既に服用している筈の麻薬(それ)を、追加で服用することの意味。  当然ガムテは、理解していた。  聖華天の出現以上の戦慄が走る。    クーポンの二枚服用(ギメ)が禁忌な理由は、一つだ。  人間の肉体は、如何にデフォで屈強な極道であろうとも二枚服用の負荷に耐えられない。精神も、また然りである。  只でさえ常軌を逸した薬効を持つ地獄への回数券のオーバードーズは、それ即ち数分後の死を約束するもので。  それだけに、極道としての仕上がりでガムテに敵わない殺島は生前――この芸当が不可能だった。  しかし今は違う。  肉の器から解き放たれ、魂の器となったその肉体(カラダ)に限界は最早なく。  精神だって、人間とは比較にならないほど高い次元にまで鍛え上げられている今。  殺島にとってのクーポン二枚服用は、"不可能"ではなく"可能"となり。 「完全解放だ――全部ブッ破壊(こわ)せ。アイツの夢見る地平(みらい)の、前夜祭と行こうぜ」  "無謀"ではなく――"切り札"と化した。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  暴走族神・殺島飛露鬼。  今、改めて――悪童の王の前に、立ち塞がる。 [[→>神戸家:ライジング]]
 "破壊の八極道"とは、極道斜陽時代を終わらせるための最後の灯火である。  輝村照の父、輝村極道が組織した忍者抹殺のための魔人集団。  道を極めるが故に孤独を強いられる哀しき極道者(ヤクザ)達の切り札。  極道にとっての救世主であり、忍者にとっての怨敵であり、堅気にとっての悪夢である八人。  しかしてその実力の水準(レベル)は決して一律ではない。  麻薬無しに忍者の殺害を成し遂げてきた"忍殺(ニンジャスレイヤー)"から、根性と侠気のみを寄る辺にする凡夫まで幅広い。  そこにあるのは確かな優劣――そしてその点で言うならば、今輝村照/ガムテが前にしている男は確実に彼よりも格下の存在であった。 「悲しいぜェ――殺島ァ。アンタのこと、これでも結構本気(マジ)に慕ってたんだけどなァ~~……」  [[殺島飛露鬼]]。通称を"暴走族神(ゾクガミ)"。  不良の歴史上類を見ないカリスマ性を以って、文字通り酔い痴れるような暴走を魅せてくれた男。  彼は八極道の中では明確に下から二番手だった。  直接戦闘に限るならば最弱に数えてもそう間違いはないだろう彼よりも、ガムテは確実に極道としてのステージで上に立っていたが。  しかしガムテの目に宿る敵意の中には、驕りも嘲りも微塵たりとてありはしなかった。  殺島と殺し合うとしたら、勝てる自信はあった。むしろ負ける可能性の方が少ないと認識していた。  だがそれは、あくまでも彼が人であった頃の話。  今の殺島は人ではない。人であるのは、ガムテの方だけだ。  かつてガムテが兄ちゃんと呼んで慕った男は――ガムテをただの子供と侮らずに居てくれた"不良(ヤンキー)"は今。 「良い絆(モン)持ってるじゃねえか、ガムテ。正直、お前が界聖杯(こっち)でも殺し屋の王子やってると知った時は冷や汗かいたぜ」  名実共に、人ではなくなった。  命を失い、魂となってガムテの前に立つ障害物。  道を極めた結果の、その成れの果て。  暴走族神は此処に在る。死の峠をすら超えて、地獄の果てから舞い戻ってきた。  ガムテの知る笑顔を浮かべて、ガムテの知る拳銃(チャカ)携えて。  ガムテと、その同胞である割れた子供達の精鋭集団を前にしながら――笑う。ただ、不敵に。 「勝てないよ、アンタは」  そんな殺島にガムテは酷薄にそう告げた。  それは頑然とした事実。警戒はしているし、侮りは最初から抱いていない。  だが勝利を疑う気持ちは微塵もなかった。  殺し屋としてのプライドが、たかだか英霊になった程度で自分とアンタの差は埋まらないのだとガムテにそう吐かせる。 「オレはアンタをブッ殺す。殺し屋の威信にかけてブッ殺す、八極道のよしみとして後腐れなくブッ殺す。  死柄木とかいうシャバい加齢臭野郎(オッサン)に着いたアンタには、もう欠片の魅力も感じねー」 「何だよ、そうなのか? 寂しいじゃねえか、ガムテ。  オレは今でもお前のことが好きだぜ。可愛い可愛い……オレの弟分さ」  その懐から取り出したのは、有刺鉄線だった。  それを、殺島は慣れた手付きで自分の額へと巻き付ける。  有刺鉄線の鉢巻。たかだか鉄線如きでサーヴァントの肌が破れる筈もないのに、その額からは血が滴り落ちた。  さながらいばらの冠。神の愛した独り子イエス・キリストをなぞるが如くに――暴走族神は君臨する。 「死ぬ気で来いよ、ガムテ」  戦力だけを見れば、取るに足らない相手だ。  殺島は技でも執念でもガムテに及ばない。  英霊故に物理攻撃が効かないという唯一の利点さえも、今のガムテは克服済みだ。  皮肉にも。必ず殺すと決めたクソババア――シャーロット・リンリンのお節介のおかげで。  今のガムテは英霊すらも殺せる。だから、殺島飛露鬼などという八極道の捨て石に負ける道理はない。  その筈なのに、ああ何故。 「――オレも本気で行くからよ」  血を滴らせ、二丁拳銃のみを携え立つその姿がこうまで大きく見えるのか。  後光すら幻視するような立ち姿に、ギリッとガムテは奥歯を鳴らす。  癪だった。かつて確かに勝っていた相手に怯まされかけたという事実が、彼のプライドを逆撫でした。  なればこそもう容赦はない。語るべき言葉も、もはやない。    抜刀――関の短刀(ドス)。  女王によって改造/改悪された凶器(ホーミーズ)。  見るだけで腸が煮えくり返りそうになるそれをなるべく視界の片隅に追いやりながら、ガムテは声を張り上げる。  開戦の号砲を鳴らせるのは、子供達の王様である彼だけであるから。 「総員、予定通りだ。――命令(オーダー)は一つ、この場の全員ブッ殺せ!  どいつを殺してもMP(マサクゥルポイント)は言い値だ! どの首も値千金、殺し屋にとって最高の名誉だと思えッ!!」  狂気の形相を浮かべて、高らかに宣言する。  それと同時に鳴り響く咆哮、雄叫び。  溢れ出すは子供達。ガムテに付き従う幼い殺し屋達。心の割れた殺意の群れ。  本格的な混沌の幕開けが成った今。  ガムテが、その先頭へと躍り出る。  そこは彼にだけ許された位置、彼にしか許されない位置(ポジション)。  殺島飛露鬼――不動。  歯は見せず、あくまで不敵に口元に弧を作り。  殺し屋と偶像が……極道と極道が。  今、此処に、交差する。 「"破壊の八極道"――ガムテェ!!」 「"破壊の八極道"……いや。"敵連合"――殺島飛露鬼」   浮かべる表情は殺意と殺意。  それだけで十分、否それ以外にはない。  それこそが彼と彼が語り合うのに必要な、この世の何より雄弁な言語であるから。 「「――――ブッ殺す!!!」」  さあ、始めようか。  極道と極道。  どちらが生存るか、死滅るか……!! ◆◆◆ 「極道技巧――狂弾舞踏会(ピストルディスコ)」    想定通りの行動だった。   殺島飛露鬼は凄腕の銃手(ガンナー)だ。  殺し屋としてのステージで上に立つガムテであれど、銃の扱いでは殺島の影すら踏めない。  超人的なセンスと感覚によってのみ実現する自由自在の跳弾。   彼が人間であった頃でも十分に異次元の技巧であったが、英霊となった今の脅威度はもはやその頃の比ではない。  跳弾、跳弾跳弾跳弾跳弾――  跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾跳弾。  ガムテの記憶に残っている殺島の拳銃の装弾数を遥かに超えた弾数が朝焼けの街並みに弾ける。  チッ、と舌打ちが漏れた。当たって欲しくない予想が的中したのを物語るリアクション。  改めて確信する。殺島飛露鬼はもはや単に銃撃の巧い極道の領分には留まらない。  致死の銃弾を際限なく自由自在に撒き散らす、魔弾の射手(カスパール)であると。 「(弾薬の補充を、マスターの魔力に依存してんのか……)」  その推測は的中している。  英霊と成った殺島に、弾切れの概念はもはやない。  撃てば撃った端から残弾がアイの魔力を源泉として補充されるのだ。  即ち、無限大。銃弾一発を生み出す際にかかる魔力の消費など極小であるのだから、そこの枯渇を期待するのは無謀だとガムテは即断する。 「おお――良いね。流石じゃねえか、ガムテ。間違いなく殺す気で撃ったんだけどなァ」 「そうだったのかよ、ごめんな兄ちゃんッ♪ せっかくサーヴァントにまでなったんだ、一発くらい嘘でも当たってやれば良かった!」  だが、ガムテは被弾しない。  短刀で斬り伏せ、あるいは純粋に避け、受け流す。  ほとんど生存する隙のない弾幕の中に強引に生存圏を作り出して、殺島にそのまま肉薄。  殺島は正確無比に、ガムテが振るう短刀の切っ先に弾丸を命中させる。  微かに逸れる軌道を良いことに、約半歩分の歩幅で回避――からの、至近距離からの銃撃。    過失(ミス)など一万回に一度だって期待出来ない。  視界を常にフル稼働させなければ死ぬのは此方だ。  クーポンをキメている極道を殺すのに、拳銃など本来は役者不足も甚だしいが。  極道の実用に堪える改造を施され、最上の担い手の腕で扱われる銃が吐き出すそれは最早弾丸(タマ)ではない。  ――魔弾(ギョク)だ。 「(サーヴァントの銃撃ってのがまず未知数だ。一発(テスト)だって喰らいたくねえ――)」  全弾回避した上でブッ殺す。  殺し屋の美学通りに刺して殺す。  意識を限界まで研ぎ澄ました今のガムテは、殺意という概念で形作られた一匹の獣に他ならなかった。    弾幕を切り払い、掻い潜り、縦横無尽に戦場を跳ね回る。  スーパーボールのように不規則な軌道でバウンドする小さな[[シルエット]]を、しかし殺島も見逃さない。  それどころか移動の先に配置するように跳弾を飛ばし、かと思えばストレートでの射殺軌道で発砲。  正攻法と搦め手を巧みなセンスで配分した、殺島飛露鬼だけが奏でられる鉄風雷火の極道多重奏(デクテット)。  認めざるを得ない。一人じゃ殺せない――独りじゃ命(タマ)取れない。  予想通りの事実という名の身の丈を受け入れながら、ガムテはしかし獰猛に笑った。 「アンタは凄えよ、殺島飛露鬼。あいつが見初めたのも分かるぜ」  弾幕の渦を抜け、殺島に迫るガムテ。  サーヴァントの魔弾雨を無傷で抜けて殺害圏内に入り込む時点で、マスターとしては破格の性能なのは間違いなかったが。  振るうドスに合わせて殺島も放つ。この至近距離で逐一ドスの動きに対応し、それを潰す形で射撃するのは並大抵の技術ではない。  まして殺島はそれを――あえて地面に弾丸を放ち、跳弾させることによるいわば"先置き"した迎撃という形で実現させていた。  異次元。常識外れ。まさに、神業。  改めてガムテは確信する。  自分は殺し屋として殺島より上だが、それは目の前の男が傑物でないことを意味などしない。  この男は間違いなく怪物だ。  しかし考えてみれば、それもその筈。  いかに自分と境遇が近くとも――殺しの王子様ともあろう者が、技も力もない凡夫に懐くなどあり得る筈がないのだから。 「だから……こっちも全力だ。オレに使えるモン、全部使ってブッ殺す!」  銃弾とドスが激突する。  最高の使い手により振るわれたそれらは、激突の瞬間に激しい衝撃波を生じさせ。  ガムテのみならず殺島さえもを、後退させた。  そして下がったその先で――殺島は瞠目する。  夜空を引き裂きながら自分に迫る、実に禍々しい球体があったから。 「黄金球(バロンドォォル)ッ!」 「応さガムテェ――オレは絶対外さねえ!」  サッカーボールを模した鋼鉄球。  クーポンによるブーストを受けた超脚力で蹴り上げられたのだろうそれは、時速数百キロを超える魔球だった。  そして何より驚くべきは、その表面に顔があったこと。  夜空を背にして微笑む球体は、まるで絵本の中にしばしば登場する人面の月のよう。  殺島の知る"彼"が使っていた球は、こうではなかった。  その上で。顔のある得物というモノに、今の殺島は覚えがあった。           ・・・ 「驚いたぜ。てっきりお前らは、あのババアのことは嫌いなモンだと思ってたんだが――」  四皇ビッグ・マムの能力。もしくは、宝具。  物体や現象に魂を与えることで誕生する、喋る人面の武器――ホーミーズ。  考えたものだと殺島は思う。確かにこの方法でなら。  肉体はクーポンで強化し、得物には魂を与えて極道の領分から英霊の領分まで押し上げるという手段でなら。 「嫌いに決まってんだろ、暴走族神(ゾクガミ)の兄ちゃんよぉ。  だけどオレらがアンタら英霊ブッ殺すには、こうでもしなきゃ届かねえんだろ?」  ――割れた子供達。彼らの凶器/狂気は、サーヴァントに届く。 「だったら嫌悪感(ニガムシ)噛み潰して嚥下(ゴックン)さ!  割れた子供達――"黄金球"! アンタのことは何だか嫌いになれねえが、ガムテのためにブッ殺す!!」  黄金球……割れた子供達が誇る"三凶"の一角。  膂力だけならば末席とはいえ八極道である、あの夢澤恒星にすら届くと聞いていた。  そんな使い手が、狂った母の力を授かり更に強化されているのだ。  これは既に、殺島をして脅威と呼ぶに値する暴力だった。 「極道技巧――"蹴球地獄変(ビバ・ラ・ファンタジスタ)"ァ――!」  縦横無尽にして変幻自在。  一度躱しただけでは終わらない、それは本来殺島の十八番である筈だったが。  躱したところでビルを削り取り戻ってくる、止まらない鉄球。   「(こりゃ……まともに食らうとちとマズいか)」  地面に潜り込めば、今度は殺島の足元を食い破るようにして飛び出してくる。  きゃきゃきゃきゃ、とまるで子供のような笑い声をあげながら跳ね回る黄金球の象徴。  純粋な火力で相殺するのが難しい分、ある意味ではガムテ以上に厄介な攻め手だった。  その上で、黄金球の技巧(スキル)も癖も傾向も全て知り尽くしているガムテは当然……この暴れ馬ならぬ暴れ球と、同時に彼を攻められる。 「笑顔(ツラ)が曇ったね」 「……おう、そりゃな。何だよお前ら、見ない間にずいぶんデカくなりやがって」  刃の雨霰が降り注ぐ中で、雷のようにやって来る蹴球を捌く。  並大抵のことではないが、それを可能にしている辺りはやはり彼も八極道である故だろう。  避けきれない分はしょうがないと弁えて、クーポンの再生能力で即座に追いつく分のみ選んで受け止める。  黄金球の鋼球を右手で受け止めれば、べきべきと音を立てて殺島の腕が内側から破砕した。    死地になる前に退いて――そのついでにガムテ、及び黄金球本人へ銃撃を見舞う。  黄金球は跳弾によって身体を貫かれていたが、彼は八極道にも届く剛の者(タフガイ)。  牽制程度の攻撃では、さすがの殺島も容易くは削り切れないらしい。  そしてそれは、サーヴァントとの戦闘経験がないガムテ及び子供達にとって値千金の情報だった。 「――嬉しいじゃねえか」  魔弾が、それを収める銃身が、火を噴く。  溢れ出す無尽蔵の弾薬、弱点を克服した無敵の二丁拳銃。  狂弾舞踏会の火力は、当然ながら装弾数の概念が破綻したことで天井知らずに上昇していた。  そして殺島ならば、視界に収まる全ての敵へ同時並行して"本気"の跳弾射撃をすることも――もちろん可能である。  顔の真横を通り過ぎていく鉄球にすら怯えず、臆さず、地を蹴って前に進む殺島の姿はまさに"極道"。  魔弾を断ちながら、ガムテが殺島と再度接敵する。  殺島ならこの距離でも自分を殺せると、近付かれたからというそれだけの理由で詰む雑魚ではないと、ガムテは確信していた。  やろうと思えば銃口を武器にして、物理攻撃で自分を殺しに来る可能性も十分にある。  あらゆる可能性を想定しながら、ガムテは彼と鍔迫り合いの状態になり。  殺島と奇しくも――いや、"当然"か。  同じ表情(えがお)を浮かべながら。  ガムテは欠けた歯を覗かせ、呟いた。 「今だ――オレごと爆(や)れ」  その指示の意味を殺島はすぐに理解したが、逃さない。  違う。逃げられないのだ。ガムテの言葉を受けた"彼ら"が行動を完了するまでの時間は、殺島が逃げの動作に移るよりも速いから。    55・39・78・89――  呟く声は殺し合いの騒音に解けて、一切聞こえないまま。  気付いた時には既に、鍔迫り合う殺島とガムテの頭上から"それ"が墜ちていた。   「ッ……! 何だそりゃ……!!」  刀剣での近接戦が時代遅れに成り果てた現代の戦場にて、唯一使われ続けている"槍"がある。  神槍(グングニル)の如く雄々しいフォルムを持つそれは、しかし正確には槍ではなく"弾"だ。  名を徹甲弾。間違っても市街地でぶっ放すべき兵器ではないこれが、ガムテが託した"彼ら"の凶器(エモノ)。  極道技巧――"剛拳巨砲主義"。腕で殴り飛ばすという使用法で放たれた徹甲弾は、両者の丁度真ん中に墜ちて。    そして――――爆ぜた。 「……良いのか"司令(オーダー)"? 直接首ぶち抜いた方が確実に殺せたんじゃねえのかよ?」 「サーヴァントを舐め過ぎだ。欲を掻いて空振りに終わるよりは、殺し切れる公算が薄くても確実に"削る"方が理に適ってる」  殺島から距離を取った場所にて、四肢のない少年が盲目の相棒に背負われていた。  彼らは相棒(バディ)だ。割れた子供達の中でも最高精度の殺人(コロシ)を可能とする、以心伝心を地で行く戦闘人形。  本来なら、彼らは神槍を爆発物ではなく純粋に槍として用いて敵を殺す。  だが、ビッグ・マムの能力によりホーミーズ化させた神槍の爆発は――普段のスタイルを曲げてでも使うに足る"価値"がある。  確実に殺島を削りつつ、ガムテの体勢を立て直させて戦場をこちら有利の状況で仕切り直せるのだ。 「構えろ攻手。次は、いつも通りだ」 「了解だぜ……司令! やっぱりオレぁこっちが性に合う――景気良くブチ抜いてやるよォ!!」  更に――  爆発が奪うものは、敵の体力や命だけではない。  誇りを曲げて手を染めた皇帝の力、魂を操る魔女の権能。  その炸裂はサーヴァントであろうと、一時的に聴力を奪われるほどの威力を誇る。  そしてそれだけの大爆発が生み出す爆炎、巻き上げる粉塵は――敵の視界までもを奪い去る。 「……チャチな真似するじゃねえの。目眩ましした隙に、訳も分からないまま削り切っちまおうってか?」  爆風が晴れるまで、数秒。  正しくはそれだけの時間があれば、サーヴァントの視界は平時と変わらない見通しを取り戻す。  それまでを勝機と見据えたことを確信しながら、殺島はまず手始めに銃乱射を開始した。  聴力はまだ死んでいる。だが殺島ほどの銃手になれば、弾丸が物体に衝突した感触を大気の震えから感じ取ることすら容易であった。  ましてや今、彼は不純物が大量に含まれた爆風の中に居るのだ。  感知の制度は、むしろ普段以上に良好でさえあった。  この状況にあって尚、殺島飛露鬼に隙はない。  その証拠に黄金球の鋼球を、まるで"見えている"かのように回避し―― 「で、上だな」  真上から飛来する攻手の徹甲弾(ミサイル)を察知し、一歩移動。  そのまま着弾に合わせて神槍を足場に跳び上がる。  真上へ。爆風の外へ。司令の状況分析から繰り出される、攻手の剛拳砲撃は言わずもがな正確無比の命中精度だったが、それですら不足していた。  此処が複雑でかつ逃げ場に乏しい建造物(ビル)の内側だったならば、いざ知らず。  周囲が開けている野外においては、彼らの精密砲撃の脅威度は目減りを強いられてしまう。  視界が開ける。  世界が、戻ってくる。  音も少しずつ、帰ってきている。  まずはガムテよりも、周りの子供達から殲滅するべきか。  そう考えながら数秒ぶりの世界を目の当たりにした殺島の表情が――凍った。 「――何……だ、こりゃ……」  そこに広がっていたのは――東京のコンクリートジャングルではなかった。  一面に広がる、湖。一目見ればどんな悩みも苦しみも忘れ果てるような、美しい湖だった。  流れる空気も、響く安らかな水音も、全てが静謐とした長閑さに満ちていて。  だからこそ殺島は一瞬、確かに呆気に取られた。  それを責めることはきっと、ガムテにすら出来ない。  何故ならこれは、彼の父であり。  破壊の八極道を組織した極道の救世主……極道の未来を担う孤独な男ですら、麻薬なしだったとはいえ初見では順応出来なかった技巧(わざ)。  白鳥の飛び交う麗らかな湖により、思考を空虚に染められたその一瞬を縫って。  殺島飛露鬼の肺が――鋭く、それでいて美しい一撃の前に突き破られた。 「ガ……ッ!?」  殺島の前に立つのは、一人の少女だった。  顔にガムテープを巻いた、割れた子供達の新参者(ルーキー)。  しかしその才能は、すぐさま彼女を三狂の一人にまで駆け上がらせた。    殺島は同じ破壊の八極道として、割れた子供達の構成員をいくらか知っている。  だが、それは決して全員ではない。  黄金球のように分かりやすく目立つ殺り方(スタイル)なら目に付くし、種も割れるが。  顔は知っていてもどういう技巧を持っているのかは知らない、そんな構成員が殆どだ。  彼女もその内の一人であった。  白鳥の湖を背にするに相応しい舞踏鳥(プリマ)――この世界の主。 「極道技巧――"夢幻燦顕視"」  夢幻燦顕視。  その効果は読んで字の如く、夢幻の展開。  標的に幻を見せながら、弛まぬ練習によって鍛えられた舞踏鳥の舞に載せた攻撃を打ち込み抹殺する美しき明晰夢。  人間の脳のキャパシティを、幻と割り切って尚無視出来ない迫真(リアル)な幻覚によって食い潰す、プリマに憧れた少女の狂気のかたち。 「……あのババアから貰った靴だなんて、死んでも履きたくなかったけど。  貴方を殺すために我慢してやったのよ。だから――私達の屈辱(イラつき)のためにも、ちゃんと此処で死になさい。オジさん」  それに殺島は、まんまと嵌った。  一度爆風で視界を奪われていたからこそ、完全に虚を突かれた。  結果として殺島の動きは止まり、舞踏鳥はそれを見逃さず彼の肺を破り。  ようやく幻覚に嵌められたことを認識し、反撃に転じようとする殺島の胴へ――追い打ちのように鋼球が食い込んだ。 「(ッ……視えな――)」 「視えないでしょう。それは当然。貴方は今も変わらず、私の極道技巧の中にあるから」  跳ね飛ばされ、殺島が背から倒れ込んだ。  そのまま地面を跳ね、車に撥ねられた歩行者のように転がっていき。  やがて大の字で横たわり、がはっ、と口から血を吐いた。  誰がどう見ても明白な、"敗北"の光景が――そこにはあって。 「――ガムテ。殺りなさい」 「最ッ高(グ~~ッド)、お前ら。イイ仕事してくれたぜ」  美しい青空を、幻の蒼穹を見つめながら、殺島は笑う。  そこに迫るのは、ガムテだ。  いざや止めを刺さんと、此処でかつての先輩(アンちゃん)ブッ殺さんと。  駆ける、迫る。死神の足音は、幻覚の中に居る殺島には聞こえない。  よって彼はこの瞬間、完全に詰んでいた。  "破壊の八極道"殺島飛露鬼は、同じく"破壊の八極道"ガムテと、その同胞達の前に敗れ去った。  極道は互いの目的のため、野望のため、面子のために殺し合う。  敗れた極道は全てを失うのが常だ。面子も、沽券も、信用も、部下も、そして命も。  殺島は極道としてガムテよりも下だと、完全に格付けがされてしまった。 「界聖杯(こっち)でもよ、運転手やってたんだ……」  殺島自身、そのことはよく分かっている。  悔しさもあったが、喜びも大きかった。  可愛がっていた後輩が、こうして自分を乗り越えてくれたのだ。  ガムテが殺島に懐いていたように、彼もまた、ガムテのことを快く感じていた。  根本の部分を理解することは決して出来ないだろうと察知しながらも、それでも、彼の前での殺島飛露鬼は確かに"兄ちゃん"だった。    強えじゃねえか、お前。    一人で戦わなければ卑怯だとか、そんな古臭い考え方に殺島は興味などなかった。  ましてガムテは殺し屋だ。[[ルール]]無用をこそルールとする彼は今、まさに最善を尽くして自分を倒してみせた。  そのことを嬉しく感じながら、殺島は血を吐きながら笑っていた。  そのスーツは黄金球の一撃を受けた時に大半破れ、もはや服というよりも不格好な外套のように成り下がってしまっている。 「けどよ――やっぱり極道やる時は、特攻服(こっち)の方が性に合うんだよなァ。礼服(スーツ)は、どうも堅苦しくってよ……」  ゆらり、と幽鬼のように立ち上がれば。  スーツだった布切れは、ずるりと彼の身体からずり落ちた。  それにより、スーツの下に着込んでいた衣服が露わになる。  特攻服(トップク)。暴走族のシンボルであるそれが、湖に吹く風によってひらりとはためいた。 「ようガムテ。それに友達(グラチル)のお前ら。  お前ら強えなあ。オレみたいな凡夫より、お前らよっぽど極道してるよ」  緩んだ冠を締め直す。  既に受けた傷はほぼほぼ回復していたが、力なく笑う姿は弱々しい。  つう、と顔を伝っていく血。  その顔に浮かぶ薄い笑みは、依然として崩れる気配はなく。  そして――  ぞわり、と悪寒を覚えた。 .  殺島が、ではない。  彼以外の全員が、だった。  黄金球も、舞踏鳥も。司令と攻手も。  そして、彼らの王子であるガムテ自身も。  誰もが背中に氷柱を直接突っ込まれたような、そんな悪寒に固まった。  どう考えても、自分達は勝っているにも関わらず。  あとは王将を圧殺すればそれで終わるだけの話なのにも関わらず――。 「だから、極道はもうやめだ」  何故、こんなに怖いのか?  一度倒し、地に臥させた男が、何故。  こうも底知れない、眩く輝く"何か"に見えるのか――  その答えが出るよりも前に。  舞踏鳥は、確かにそれを聞いた。 「え……」  穏やかにせせらぐ湖のほとりに。  この世界に相応しくない音が、響いている。  それはマフラーの音。違法改造された単車(バイク)の咆哮。  彼女が作り上げた舞踏(バレエ)の幻界を、無粋に塗り潰し掻き消すように。  白鳥たちが飛び立って湖から次々と消えていく、去っていく。  音は増え続ける。一台、二台、百台、千台、それさえ遥かに超える単車の騒音(ノイズ)。 「何よ、これ――」  殺島も、当然それを見る。  湖から白鳥は消え。  凪いでいた湖面は無粋な振動によって掻き乱される。  それと同時に、世界に罅が入った。  まるで砕け散るダイヤモンドのように美しく、夢幻が悲鳴をあげている。 「……ッ! ガムテ――早くトドメを刺しなさい! 今すぐにッ!!」  舞踏を変更――"白鳥の湖"から、チャイコフスキーの"くるみ割り人形"へ。  くるみ割り人形の兵隊が無数に具現化し、殺島を抹殺するべく行進を始める。  だが音は止まない。世界は、またしても罅割れていく。  あがく舞踏鳥を見やり、殺島はふっ、と笑った。  そこにはあの輝村極道ですら怯んだ、兵隊達の幻に対する恐怖や動揺など微塵もない。 「違う――退けお前らッ! 今すぐにッ!!」  舞踏鳥の声を、ガムテは否定する。  彼は既に分かっていた。これから何が起こるか、いや何が来襲(く)るか。  今選ぶべきは突撃ではない。最後の一手を此処で詰めるのは悪手の中の悪手だと、実際に"あれ"を見ているガムテには分かった。  今すぐ退かせるしかない。そうでなければ、負けるのは……失うのは此方だと理解していたからガムテは吠えた。  だが―― 「もう遅え。覚悟しろよ、ガムテ。  そんでもってしかと見てくれや。  オレにもお前に決して負けない、凄え仲間(ダチ)が居るんだ」  そう、遅い。  既に、招集は掛けられたのだ。  かつて彼がその一声で以って、世界中から彼らを呼び戻したように。  暴走(ユメ)の終わりから十年以上の年月が経っていたにも関わらず、誰一人としてその呼び声を拒む者など居なかったように。  彼らは必ず来襲る。  そこに、神が居るならば。  地獄の果て、地平の果てまでも先陣に立って自分達を導いてくれる、眩しく雄々しい現人神が、暴走族神(ゾクガミ)が居るならば。  彼らは来襲るのだ、それが何処であろうとも。  どんな世界であろうとも、敵が誰であろうとも。  忍者も閻魔も恐れない、大人になれない馬鹿共は。  いついかなる時であろうとも、騒音(エンジン)かき鳴らしてやって来る。 「来襲(く)るぜ、そして開闢(はじま)るぜ――――オレ達の黄金時代(オウゴン)が」  そしてこの瞬間を以って――かつて地獄と化した街(シンジュク)は、今度こそ焦土と化すことが確定した。 ◆◆  それは、一言で言うならば狂気だった。  轟く閃光、響くは騒音。  数十、数百、数千、数万――それですらまだ足りない熱狂の騎馬。  ある者は笑いながら、ある者は泣きながら、またある者は言葉ですらない音を吠えながら。  彼らは、新宿区の町並みを文字通り蹂躙し始めた。  爆走、暴走、疾走。果てしない熱病に浮かされた黄金時代(オウゴン)の亡霊達。  現代の日本に形をなしたワイルドハントが、明日も未来も知ったことかと全ての現実を拒絶しながら駆け回る。  道に人がいるなら轢き殺し。  車がいるなら撥ね飛ばし。  建物が遮るなら吹き飛ばし。  ビルが建ち並ぶなら、引き裂いて進む。  朝焼けの街を照らすヘッドライトは、"彼ら"の来襲る証。  地上の流星群は、辛くも新宿事変の大破壊から難を逃れた日常の残滓をすら無慈悲に、そして無造作に殺戮する。  ――事の序でに。"暴走"という目的の序でに、誰かの笑顔を轢き潰して進む狂った車輪。  彼らは誰もが夢を見ている。  夢を見ながら、人を殺す。  爽やかな気分のままに、荒れ狂う。  現世に甦った"神"の託宣に従い――地獄の釜から溢れ出た。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  爆走(はし)る、  暴走(はし)る、  疾走(はし)る――この世に神を見出した者達。  悪童(ワルガキ)の群れ、総数十万!  吹き荒れるは死の嵐。青龍と鋼翼の戦争すら、世田谷消滅の激戦すら、純粋な規模で言えば上回り得る暴走の津波!   「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  今宵――この街に理(ルール)は存在しない。  掟を定めた神そのものが、全ての無法を許すから。  彼らにとっての神である男が、彼らをこの地に招いたこと。  それは即ち、止まず終わらない暴走(ユメ)の幕開けに他ならないから。  暴走を神が赦す。殺害を神が赦す。  その暴走(ユメ)邪魔する全部――殺害せよと、神はそう望んでいる。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  ――破壊の八極道は、神をも恐れぬ極道者の集まりだ。  忍者をすら殺す"番長"、救済を標榜しながら人を殺す"怪獣医"。  滅びの歌を奏でる"歌姫"、全てを笑覧する"脚本家"。  だが、彼らの中で最も英霊という形に向いている男は間違いなく"暴走族神"殺島飛露鬼である。    十万の軍勢を率いて忍者と戦った"伝説"。  二十年の年月を経て甦った"再生"。  全ての逸話が、この上ないほどに信仰の獲得に適している。  仮に他の八極道がサーヴァントになろうとも、殺島ほどの規模で悪事(わるさ)を働く宝具は得られまい。  こと語られること、崇められること、畏れられることにおいて暴走族神は間違いなく唯一無二。  そして今――極道・殺島飛露鬼は敗れ。現人神・殺島飛露鬼の"本気"が、割れた子供達の全殺しという目的のために新宿へ解き放たれた。 「暴走師団……聖華天……ッ」    ガムテは、それを知っている。  その筈だったが、しかし彼が知っているのはあくまでも"再生"した暴走師団の姿でしかない。  しかし今宵、此処に再現されたのは紛れもない全盛期の暴走師団。  忍者に半殺しにされ惨敗を喫したとはいえ、殺島の宝具として立派な神秘に押し上げられた彼らの疾走の脅威度は生前の比ではない。    ――ガムテの想定を、此処で殺島が超えた。  聖華天は無軌道の極みだ。  神の号令一つで、何にでも文字通り全力で取り組む馬鹿の集団だ。  笑いながら、吠えながら、悪童達に新宿が蹂躙されていく。  ――辛うじて難を逃れた都庁。  邪魔だとばかりに、単車の群れに食い破られた。  ――新宿中央公園。  ショートカットのために数千台の単車が通り、草木一本残らない轍の山と化した。  ――新宿ゴールデン街。  極道車の爆速大渋滞(スクランブル)で、平らな地平に均された。  ――避難民数千人が集まった避難所。  聖華天に認識されることすらなく、ものの十数秒で"全殺し"に遭った。  異常事態を中継しようとしていたテレビ局のヘリは、ウィリー走行で勢い余って天空に跳ね上がった一台で轢き潰され。  仮設の遺体置き場となっていた体育館は、暴走の余波で燃え上がり巨大火葬炉と化し。  今回の大戦争でサーヴァントを失った落ち武者マスターを狩るべく潜ませていた、"割れた子供達"五十三人が抵抗の余地も許されず粉砕された。  そのまま迫る、神の号令に応えるために。  "狩る側"を"狩られる側"へと変える鋼の軍勢が――ノスタルジアを超えた黄金時代(オウゴン)が。  大人崩れの悪童(ワルガキ)が、本当の悪童(チルドレン)殺すためにやって来襲(き)た。 「"今の"ボスに倣おうかね、オレも」  そして――殺島がその口に放り込んだのは、地獄への回数券。  既に服用している筈の麻薬(それ)を、追加で服用することの意味。  当然ガムテは、理解していた。  聖華天の出現以上の戦慄が走る。    クーポンの二枚服用(ギメ)が禁忌な理由は、一つだ。  人間の肉体は、如何にデフォで屈強な極道であろうとも二枚服用の負荷に耐えられない。精神も、また然りである。  只でさえ常軌を逸した薬効を持つ地獄への回数券のオーバードーズは、それ即ち数分後の死を約束するもので。  それだけに、極道としての仕上がりでガムテに敵わない殺島は生前――この芸当が不可能だった。  しかし今は違う。  肉の器から解き放たれ、魂の器となったその肉体(カラダ)に限界は最早なく。  精神だって、人間とは比較にならないほど高い次元にまで鍛え上げられている今。  殺島にとってのクーポン二枚服用は、"不可能"ではなく"可能"となり。 「完全解放だ――全部ブッ破壊(こわ)せ。アイツの夢見る地平(みらい)の、前夜祭と行こうぜ」  "無謀"ではなく――"切り札"と化した。 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」 「暴走族神! 暴走族神! 暴走族神! 暴走族神!」  暴走族神・殺島飛露鬼。  今、改めて――悪童の王の前に、立ち塞がる。 [[→>神戸家:ライジング]]

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